OCR化した本の感想
『現代日本の地域格差』 情報化社会における結びつき
旧来からの近隣や村落などの機能は低下し、そのまとまりは脆弱化した。しかし、その結果個々人がばらばらに分散したというわけではない。弱体化したとはいえ、これまでの近隣や村落のむすびつきもそれなりに持続しているだけでなく、家族の場合と同じように、従来は直接顔を合わせて話し合っていたことを携帯を使って間接的に交流するという状況もある。それ以上に大きく変化したのは、近隣や村落などの限られた地域空間にこだわりなく、さまざまな機縁によって濃淡のあるネットワークが築かれてきていることであろう。行動範囲も広がっているだけに、直接的なネットワークも広がりを見せているが、機器を介した間接的なネットワークは、空間的制約なしに結びつきを作っている。かつては都市住民の行動範囲は広くその社会的交流の広がりもかなり広い地域に広がっていたのに対して、農村地域の場合には交通手段に恵まれず行動範囲も、社会的交流の空間的広がりも、狭い範囲にとどまるとされていたが、バーチャルな結びつきの比重が大きくなるにつれて、社会的交流における都市と農村の差異を大きく減らすことにもなっている。僻村からでも世界に向けた情報発信や交流が可能になっているのである。
問題になるのは、一つは、広がりを見せる機器を介した間接的ネットワークは、機器の活用のいかんによってきわめて多くのネットワークに結びつく者と、機器の活用が少ないために貧しいネットワークしか組みえていない者との格差を広げていくことである。
もう一つの問題は、直接的な結びつきにせよ、間接的な結びつきにせよ、いずれもそれぞれにきわめて濃密なものから、ごく淡い接点に過ぎないものまで、多様なものが含まれているということであり、単純に直接的な結びつきが濃密で、間接的な結びつきが淡白であるということはできない。
、多くの市民が自らネットワークを組み立てることが可能になっているだけに、中央集権的な体制に対して距離をもち、新たな方向を志向する活動を繰り広げているものも数多い。
『江戸の風俗事典』
単なる興味からOCR化
『フランス史【中世】Ⅱ』キリスト教からのイスラム教を見ると
ヨーロッパとアジア、キリスト教とイスラム教という二人の姉妹は、当時の世界を二分しつつも、互いに相接することはなかった。それが、十字軍によってはじめて直接向き合い、互いを見つめ合うこととなった。最初の一瞥は恐怖のそれであった。彼女たちが互いを認識し、同じ人間であることを認め合うには、なにがしかの時間が必要であった。このとき、彼女たちがどのようであったかを評定し、その宗教としての年齢は何歳になっていたかを確定してみよう。
この両者では、イスラム教のほうが六百年も遅れて誕生したのに、すでに衰退期に入り、十字軍の時代をもってその一生を終えた。いまわたしたちが見ているイスラム教は、生命が去ったあとの抜け殻であり、影にすぎず、アラブの野蛮な相続人たちは、よく調べもしないで、それにしがみついているのである。
イスラム教はアジアの諸宗教のなかでも最も新しく、オリエントにのしかかっていた物質主義を免れるために最後の空しい努力をした。かつては、ベルシアも《光の王国》を《闇の王国》に英雄的に対峙させようとした(それがトルコ系諸族トゥランに対するイランの対決であった)が、充分ではなかった。ユダヤ教も、抽象的な神の単一性のなかに閉じこもって自己の内側に凝固してしまい、物質主義からの解放はこれまた不充分で、いずれも、アジアに救済をもたらすことはできなかった。マホメット(ムハンマド)は、このユダヤ教の神を採り入れ、「選ばれた民」から引き出して全ての人類に押しつけようとしたのであって、何かを生み出すことはできるはずもなかった。イスマイルが兄のイスラエルを超えることができたであろうか? アラビアの砂漠はペルシアやユダヤの地より肥沃になれただろうか?
『現代日本の地域格差』 情報化社会における結びつき
旧来からの近隣や村落などの機能は低下し、そのまとまりは脆弱化した。しかし、その結果個々人がばらばらに分散したというわけではない。弱体化したとはいえ、これまでの近隣や村落のむすびつきもそれなりに持続しているだけでなく、家族の場合と同じように、従来は直接顔を合わせて話し合っていたことを携帯を使って間接的に交流するという状況もある。それ以上に大きく変化したのは、近隣や村落などの限られた地域空間にこだわりなく、さまざまな機縁によって濃淡のあるネットワークが築かれてきていることであろう。行動範囲も広がっているだけに、直接的なネットワークも広がりを見せているが、機器を介した間接的なネットワークは、空間的制約なしに結びつきを作っている。かつては都市住民の行動範囲は広くその社会的交流の広がりもかなり広い地域に広がっていたのに対して、農村地域の場合には交通手段に恵まれず行動範囲も、社会的交流の空間的広がりも、狭い範囲にとどまるとされていたが、バーチャルな結びつきの比重が大きくなるにつれて、社会的交流における都市と農村の差異を大きく減らすことにもなっている。僻村からでも世界に向けた情報発信や交流が可能になっているのである。
問題になるのは、一つは、広がりを見せる機器を介した間接的ネットワークは、機器の活用のいかんによってきわめて多くのネットワークに結びつく者と、機器の活用が少ないために貧しいネットワークしか組みえていない者との格差を広げていくことである。
もう一つの問題は、直接的な結びつきにせよ、間接的な結びつきにせよ、いずれもそれぞれにきわめて濃密なものから、ごく淡い接点に過ぎないものまで、多様なものが含まれているということであり、単純に直接的な結びつきが濃密で、間接的な結びつきが淡白であるということはできない。
、多くの市民が自らネットワークを組み立てることが可能になっているだけに、中央集権的な体制に対して距離をもち、新たな方向を志向する活動を繰り広げているものも数多い。
『江戸の風俗事典』
単なる興味からOCR化
『フランス史【中世】Ⅱ』キリスト教からのイスラム教を見ると
ヨーロッパとアジア、キリスト教とイスラム教という二人の姉妹は、当時の世界を二分しつつも、互いに相接することはなかった。それが、十字軍によってはじめて直接向き合い、互いを見つめ合うこととなった。最初の一瞥は恐怖のそれであった。彼女たちが互いを認識し、同じ人間であることを認め合うには、なにがしかの時間が必要であった。このとき、彼女たちがどのようであったかを評定し、その宗教としての年齢は何歳になっていたかを確定してみよう。
この両者では、イスラム教のほうが六百年も遅れて誕生したのに、すでに衰退期に入り、十字軍の時代をもってその一生を終えた。いまわたしたちが見ているイスラム教は、生命が去ったあとの抜け殻であり、影にすぎず、アラブの野蛮な相続人たちは、よく調べもしないで、それにしがみついているのである。
イスラム教はアジアの諸宗教のなかでも最も新しく、オリエントにのしかかっていた物質主義を免れるために最後の空しい努力をした。かつては、ベルシアも《光の王国》を《闇の王国》に英雄的に対峙させようとした(それがトルコ系諸族トゥランに対するイランの対決であった)が、充分ではなかった。ユダヤ教も、抽象的な神の単一性のなかに閉じこもって自己の内側に凝固してしまい、物質主義からの解放はこれまた不充分で、いずれも、アジアに救済をもたらすことはできなかった。マホメット(ムハンマド)は、このユダヤ教の神を採り入れ、「選ばれた民」から引き出して全ての人類に押しつけようとしたのであって、何かを生み出すことはできるはずもなかった。イスマイルが兄のイスラエルを超えることができたであろうか? アラビアの砂漠はペルシアやユダヤの地より肥沃になれただろうか?