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17thシングル 生田組への期待

私には歴史がない

 私には歴史がない。放り込まれて、意識したところから始まっている。他者の世界には歴史があり、それも137億年も継続しているように見せている。

第4章歴史編のシナリオ

 歴史編の最初の分析は民主主義と国民国家。人類は苦労して、この2つを作り上げてきた。ここに至って、多様化とグローバル化で方向を見失っている。

 歴史の認識も個々の歴史の事実、その後に続き、そして未来のカタチ、歴史の未来を語る。未来のカタチの中から。存在の力が出て、それで再構成、分化と統合を果たす。

 配置の世界の構造でグローバル化と多様化に耐えるというよりも、推進する方向に動くことになる。それらのカタチがどうなっていくのか、市民と超国家がつながるイメージでそれを述べる。その前に、国家に対して、超国家、市民に対して、コミュニティのアナロジーを設定する。

歴史編で何が言いたいのか。

 個人の覚醒で全体を変える可能性を持つ。そのための準備は出来ている。これは新しい革命で、市民の覚醒したところでしか成り立たない。従来のハイアラキーでは成り立たない。その分岐点に来ている。

ペンを忘れた

 スタバに来たが、ペンを忘れたので、書き起こしができない。今日は録音のみです。書き起こしが大変です。

乃木坂17thシングルの選抜発表

 17thシングルの選抜発表が来週あります。録画はかなり前に今野からあったみたい。バナナマンにしてもらいたいけど、スケジュール調整が出来ないんでしょう。ひめたんとかきーちゃんの体調不良はこの性なのか?

生田組への期待

 生ちゃんをセンターにして、国民的歌謡をめざして欲しい。2016年の目標だったが、卒業関係で趣旨が変わってしまった。

 希望としては、生田組(飛鳥、蘭世、北野、中元)でフロントを張ってほしい。蘭世は飛鳥と対でセンターの補助を行なう。ひめたんは音質を変えて、キャラ変して攻撃的な煽りが前提。妹のすぅちゃん並の煽りができるはずです。ちーちゃんはドンドンおどける。それを客にぶつける。

 5人だけで歌うバージョンを二つ(生田組、サンエト)作り、コンパクトに披露して、皆がマネできるようにしていく。

 曲調は「ダンケシェーン」です。それで日本の雰囲気を変えると同時に、ネット放送を駆使して、メディアの雰囲気を変える。1999年9月発売のモーニング娘。の役割を果たしていく。アンダーは、ダンケシェーンでの松井のように、声援するカタチを取れば、十分に目立ちます。幾ら居ても邪魔にはならない。

選抜の方法の展開

 選抜の方法も、曲調に合わせて、メンバーを決める方式にする。それなら、選ばれなかった時に納得がいくし、まいやん、ななせなどに引っ張られなくて済む。生田組は20歳以下で構成されている。これは、まっちゅんの言葉で言えば、「展開」です。乃木坂はコミュニティを超えて、チームでの活動を活発化させる。

生ちゃんセンターの問題

 生ちゃんをセンターにする時の問題はレミゼです。5月から10月までフルです。どこまで出来るのか。まずは、3月~5月の間に生田組を定着させる。その時のキーは蘭世です。あとは煽りのひめたんときーちゃんです。

 生ちゃんの声が出だしにないと国民的歌謡は無理です。他のメンバーでは「別れ」とか「青春」などは表現できるけど、未来を表せるのは生ちゃんだけです。「何度目の青空か」のように。

レミゼのフラッシュ・モブとの抱き合わせ

 3月~5月はロミジュリとレミゼの間に入っている。レミゼは当然、フラッシュ・モブをするはずです。レミゼのメンバーを活用して、路上ライブが敢行できる。国民的歌謡には、指原のフォーチューン・クッキーのような形態が必要です。

私にとって、仕事とは何か

 今のためにやってきたとしか思えない。技術者の思い、ネットワーク、部間を超えた考え、データベースとか色々なことをやってきた。その真ん中に「夢をカタチに」などのキャッチフレーズも作り上げた。

 それらは、数学的思考を用いたので、割と容易に片付けることができた。そこで得た、最大の発見はサファイア循環だった。色々なケースが見事にはまると同時に、語呂も最初から用意されていたようにはまった。

 単に考えただけではなく、システム化して、6千拠点に展開できた。同時に、全体を考え、先を見ていく人間がメーカーの中には居ないことが分かった。

 それを考えられる中間の存在として、販売店という具体的なところを見いだした。それのシステム化を行なった。そこで分かったのは、今、変わろうとしていること。情報共有とネットワークがそのトリガーになって、人との関係が変わろうとしている。中間の存在のあり方も変わろうとしている。

車の未来もそこから生み出した

 人の動きをベースとして、車が拡張した時にインフラがどうなるか。売るから使うに変革したら、地域はどうなるか。それらを統一的に考えると、従来のハイアラキー的な組織の論理では動かないことが分かる。メーカーが企画しても、販売店は動かない。販売店が企画しても、市民は動かない。

 流れは全て、逆にしていかないといけない。点から始めて、拡張することで、持続可能性を維持しながら、社会全体を変革することが出来る。

未唯空間の項目の意味を吟味する

 それぞれの未唯空間の項目に意味をもたらす。

第6章「知の世界」

 「本と図書館」改め、「知の世界」を述べる順序は難しい。本の役割は「知識と意識」であり、「公共」図書館がそれを支援する。本で個人は内側の世界を作り出すことが出来る。

 配置の考えが生きてくる。「公共の世界」から「知の世界」に入ってくる。「知の入口」「知の共有」そして「知の未来」。これを現実社会にどう作っていくかについては、他の章で行ないます。

第7章「生活」

 生活編の特徴は最初の四つです。生活を「考える」「存在する」「生活する」「生きる」に分けていることです。そうなると、「存在する」は外との世界、「生活する」は権利です。その次には「女性の世界」「知の世界」。今の生活を見ても、この二つしか無い。

 それらの目的は「全てを知る」ということ。そこからの帰結の「存在の無」。それで完結する。

第8章「クルマ社会」

 これはシェア社会の前哨戦です。分かりやすい車をターゲットにして、環境社会に居たる前のシェア社会の実証実験を地域で行なっていく。

 まぜ、販売店が変わる、車が変わる、地域が変わる。そのためのシナリオという四部作です。次に、「情報共有」と「ソーシャル」で「分化と統合」を起こす。そして、クルマ社会とはどういう社会なのかを示します。

第9章「環境社会」

 第9章は更に単純です。「環境社会」です。問題がある。それに対して、多様化とグローバル化に対応する方法を示します。反発ではなく、受入れていく。そのために、市民が覚醒した上で、どういう社会を浮くって行くかというところで、サファイア循環を具体化していく。

 循環と配置で革命を起こして、持続可能性を維持させていく。それが環境社会になるというシナリオです。その際に、配置と循環で、家庭と企業と教育まで変革していく。

ニコニコ生放送はあざとい

 「生のアイドルが好き」が46回記念で、写真集を発売するまいやんがゲストだということで、ニコニコ生放送をセットした。始まったところで、プレミアム会員に弾かれました。有料の方に誘導する仕組みです。SHOWROOMはタダで見えるのに。

 まだまだ、ネット放送の分化の統一が取れていない。

クリスタルナハトの世界は近い

 民主主義が機能している時と機能していないときの市民の行動は違う。クリスタルナハトは間違っている。その判断は相手が民主主義を信じているか。民主主義は脆弱です。容易に全体主義に変わりうる。「民意」によって。
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教養のヘーゲル『法の哲学』での「所有の放棄」

『教養のヘーゲル『法の哲学』』より ⇒ 未唯空間の最終結論のキーターム「所有」に関して、へーゲルでの見解を抜き出した。自由の出発点を「所有」にしているのは意外。未唯空間では、「所有」が自由の到達点です。シェアすることで自由と平等が同時に得られる。「所有の放棄」がキーになる。

A.所有

 a.所有と自由

  「抽象法」というのは、いわゆる法、法律のことを指す。法が自由と直結するものであるということは、すでに繰り返し述べた。しかし注意しなければならないのは、ヘーゲルが、法の段階では、まだ意志が「抽象的概念」のうちにある状態でしかないと決めつけていることである。そこでは、自由の問題が個人にとって外的なものでしかない法律という次元で問題にされるだけだから「抽象的」と呼ばれるのである。しかし『法の哲学』のなかでは、ここだけが普通の意味で法学的な内容が展開されていると言える所である。では、その自由は何を出発点としているのかというと、それは所有であるとヘーゲルは答える。

   法は、まず、第一に、自由が直接的な仕方で自己に与える直接的な定在、すなわち

   (a) 占有である。これは、自分のものという意味の所有である。

  何であろうと、物件を自らの手でつかみ取ること、つかみ取って、放さないこと、それが占有(Besitz)と呼ばれているものであるが、それこそが自由の端的なあり方であるという。占有は所有とも言われている。所有という言葉はドイツ語でアイゲントゥーム(Eigentum)という。アイゲン(eigen)は「自分の」という意味である。私たちが物件を所有するということのうちには、それによって自分の特定の欲求を満足させるためという側面が重要なこととしてあるであろうが、しかし、その前に、「自由の直接的な定在」という性格、自由が「直接的」に具体的な形を取って示されるという意味があって、それこそが重要だというのである。「直接的」という言葉の原語はウンミッテルバール(unmittelbar)である。「無媒介的」とも訳せる。その方がここではその意味を伝えていると言えよう。いずれにせよ、自由というものが、他のなにものかによって媒介されて分かるというのではない特質、その端的な現れが所有であるという特質が示されるのである。そして、所有に自由が結びつけられたことに対応して、所有する主体は「人格」と呼ばれる。人格はドイツ語ではペルゼーンリッヒカイト(Personlichkeit)と言い、英語のpersonalityと同じく、もともとラテン語のペルソナ(persona)を語源にしている。ヘーゲルは、この言葉を、一般に考えられるように道徳的な意味にしたがってではなく、所有する個人という法学的概念として使っている。

  ところで、この所有する権利、所有権を有する人格は、自分と所有する物件との間の閉鎖的関係に閉じこもっているだけではない。他の人格との関係にも入っていかざるをえない。自分が所有を通じて自分の自由を自覚することができるというのと同じ権利を他の人格もまた持っているという事態に出会わざるをえないということである。そのようにして、お互いに相手の権利を認め合うということが実現されれば、所有の主体である人格は「普遍的人格」として「法的能力」を持つ存在とみなされることになる。その際注目すべきことは、このような人格は、彼が人間一般であることを意味しているというだけのことであって、彼が具体的にはどのような個人、どのような顔つきをし、どのような生まれの人物であるか、ドイツ人なのか、イタリア人なのか、ユダヤ人なのか、カトリックなのか、プロテスタントなのか、親切な人間なのか、感じの悪い人物なのかなどに関わることではないとされることである心)。そのような形で、人格による所有は、「形式的」で「抽象的」なものとして法の基盤をなすと言われる。そのような抽象性こそは、法の、とりわけ近代法の特徴をなすものということで、その考え方をヘーゲルも全面的に取り入れている。このような所にも、ヘーゲルの『法の哲学』が近代法の基本原則を前提としているものであることが示されていると言えよう。

  次には、ヘーゲルの論述にしたがって、この所有の問題を、①人格としての個人における物件の所有、②所有物の人格同士の間での移行を可能にする「契約」、③「契約」を支える法秩序に反する違法行為、すなわち「不法」の順序で検討することにしよう。

 b.人格と所有

  【自己の肉体の所有】

   所有ということで、まず第一に思い浮かぶものは、私たち一人一人による自らの肉体の所有である。ただ、肉体の所有がまず最も手近な所有の例であるとはいえ、それ以外の物件の所有とは大きく異なるものであることも事実である。たしかに私の肉体には、物件同様に私の意志にしたがって所有されるという側面がある。だから、良し悪しはともかく、自分の肉体を傷つけることも、極端な場合、自殺することも可能となるのである。しかし、私は、肉体のうちに生きている存在、肉体のお陰で生きている存在でもある。肉体と心とは不可分なものなのである。自由が心の問題だといっても、肉体が囚われの状態にあっては自由などとはとても言えないし、また、自分の肉体だからといって、勝手に扱って良いというものではないという気持ちは誰の心にもあることだろう。これは、自殺や不摂生などへの諌めといった古来続いてきた問題であるだけではなく、臓器移植が問題とされる現代においてこそ、改めて注目すべきこととなっていると言えるであろう(とは言え、この問題に対するヘーゲルの答えも、肉体は単なる所有物でもあれば、そうとも言い切れない所もあるというようなものなのだから、言ってみれば煮え切らない、常識的なものに終始しているという所はある。しかし、この常識性を深めていく所にこそ、彼の思想の最大の特徴があると言えるのであろう)。

 c.所有権の確立と時効

  次には、この肉体を介して人格が物件を占有取得すること、それによって所有権が確立されることについてである。所有権が成立する際の契機としてあげられることとしては、まず、何かしらの物件がたまたま最初にそれを手にした者に属するという、早い者勝ちの方式が考えられる。次には、その物件に標識をつけるとか、自分で手を加えて自分の思い通りの形に変形するといった契機もつけ加えられるであろう。しかし、何よりも重要なことは、所有する人格の意志というものが所有の根拠をなしているということである。そのことは、物件の所有と物件の使用との関係の考察という場面で注目すべき段階に達する。

  ある物件を所有しているということは、その所有者が自分の意向でその物件をいかようにも使用することが許されているということを意味する。ヘーゲルが考える近代の自由な所有においては、使用者はすなわち所有者でなければならない。しかし、過去の権威による封土の所有といったことはいまだに行われている。そうなれば、使用者と所有者とが別人だということもあることになる。農民が地主から土地を借りて、耕作し、農作物を年貢として地主に捧げるといった場合の農民と地主との関係がその例である。その際、名義上の所有者と実際の使用者との間では、深刻な係争が生じる可能性がある。その所有と使用との確執との関連のなかで、ヘーゲルは「時効」という概念を導入するのである。

   占有に与えられた形式と、標識とは、それだけでは外面的状態であり、意志の主観的現存を欠いている。主観的な意志の現存だけが、これらの形式と標識の意義と価値とをなしている。しかし、使用であれ、利用であれ、あるいは意志のそれ以外の表明であれ、この主観的な意志の現存は時間に属する。そしてこの時間という観点から見れば客観性というものは、この表明の持続である。この表明の持続なしには、物件は意志と占有の現実性から見放されたものとして無主物となる。それゆえに、私は時効によって所有を失ったり、あるいは獲得したりするのである。

  ある物件に対して自分の所有権を主張するために標識をつけておいたとしても、それだけでは外面的なものでしかない。肝腎なことは、この物件が自分のものだと主張する「主観的な意志の現存」がそこに注入されていなければならないことである。ある物件を自分で現に使っているとか、利用しているとかだと話はすっきりするが、そうでない場合には、言葉で主張するといった形でも自分の所有権を表明し続けなければ駄目だということになる。そのように、これは私のものだという意志を表明し続けていなければ、その物件は持ち主のいない無主物と化し、それを横取りして勝手に使用する別の人の所有物になってしまう。意志を表明し続けている持続の時間の長さこそ大事な要件であって、表明を怠っている時間が長くなると元の所有者の所有権の方が危なくなる。まさに時効だというわけである。物件に投入される主観的な意志の現存というものは、所有の意志表示がされたか否かにかかっているのであり、客観的なものとしての所有権を支えるものは、意志を表明する時間の長さなのである。

  一般には、時効というものは司法業務の能率化のために一定期間を過ぎた法的権利、法的義務を消滅させることというほどに解されているであろう。殺人を犯しても15年も逃げていれば帳消しになるといった悪評高い時効もその例であったかもしれない。それに対して、ヘーゲルは、時効問題を法の根源をなす所有権の規定に遡って考察し、所有権を支える要の位置に所有物に対する個人の意志とその意志の表明の時間という契機を浮上させて説明しようとしているのである。時効はローマ法以来のものであるとしても、時効概念を欠いて、伝統的権威が幅を利かせるようでは、合理的商取引や契約関係によって成り立つ資本主義経済などの存立も不可能なこととなるであろう。そうであってみれば、このような時効の捉え方に、ヘーゲルによるいかにも近代法にふさわしい法理解の性格を読み取ることは可能であろうし、抽象的な権利関係の背後に存在する具体的な意志の存在の理解を読み取ることも可能になってくるであろう。

 d.所有の放棄

  すでに見たように意志の自由が所有の源泉をなすというのならば、この所有を放棄することもまた同じ意志の自由にもとづいてのこととなるだろう。否、むしろ、物件に関する所有権を放棄すること、それによって私に属していた物件を無主物にするなり、他人の占有に委ねることの方が、物件を超越する度合いが増すのだから物件の占有取得の場合よりも多く自由意志が表明されているということになるというのが、ヘーゲルの見解である。そこで、「放棄は真の占有獲得である」というような一見逆説的な言葉も語られることになる。この所有の放棄ということは、譲渡される物件をめぐって他の人格との緊密な関係を作り出すという側面も持っている。物件が譲渡される際には、それをめぐって合意に基づく契約が結ばれなければならない。これに関し、ヘーゲルは、

   契約は、契約を締結した者達が相互に人格として所有者として承認し合うことを前提とする。

  と言う。法関係を支えるものが、独立した人格同士の承認(アンエアケンネン〔anerkennen〕)関係であるという考え方が明確に打ち出されているのである。

  「承認」概念は、ヘーゲルにとってイエナ期という初期の段階から重要な概念である。『精神現象学』では、いわゆる、主人と奴隷の自立をめぐる弁証法の場面で登場する。常に、個人ではなく、全体というものを出発点とするかに見えるヘーゲルの社会哲学であるが、それとは異なり自立した個人というものを出発点とする思想もないわけではない。その個人相互の自由意志に基づいて共同体を形成する理論として、相互承認の概念が存在する。そのような自立した個人が相互の承認関係を結ぶことを通じて社会が形成される、少なくとも形成されねばならない。そのような理論への願望から、相互承認の理論が持てはやされたのである。たとえば、ユルゲン・ハバーマスに見られる、ヘーゲルの承認論の導入を拠点とした革新的理論の展開もその例と見ることができるであろう。それによって全体主義的ヘーゲル解釈からの解放が図られるのである。
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地政学 ドイツ:ヨーロッパの中央で

『ラルース地図で見る国際関係』より

ドイツはおそらく、第2次世界大戦以降のヨーロッパの国で、国際社会の勢力図によって地政学的特徴がもっとも変化した国だろう。ドイツは19世紀末から、強力な軍事・産業国家であり、まさに征服者たる帝国であった。第1次世界大戦敗戦後、短命に終わったワイマール共和国をへて1933年に第三帝国となったドイツは、敗戦をのりこえ、ロシアを含むヨーロッパ全土の征服にのりだした。その後ヒトラーはアメリカに宣戦布告し、ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させようとする。1945年の敗戦は、ドイツ人にとって最悪の惨事となった。死者600万人(うち200万人が民間人)を数え、廃墟と化した国は東部を切り離され、ライバル同士になった戦勝国によって国はその後長く対立しあう二つの地域に分割された。アメリカの管理下にある西ドイツと、ソ連の支配下にある東ドイツである。

国内の地政学的状況

 ドイツを二分する「鉄のカーテン」を発端として、NATO軍とソ連圏の間に第3次世界大戦が勃発するのではないかというおそれは、40年にわたって存続した。しかしベルリンの壁崩壊後の1990年になされたドイツ再統一は冷戦の終わりを告げ、その1年後にソヴィエト連邦が崩壊する。

 現在のドイツは連邦共和国で、連邦議会に選出された首相が率いる。16の州で構成され、それぞれが比較的権限の大きい州議会をもつ。16州のうち3州(ハンブルク、ブレーメン、ベルリン)は非常に面積が狭く、大都市程度である。いちばん広い州はバイエルンで、19世紀末にドイツが統一されるまで存在した王国と変わらない。今でも「バイ

エルン自由国家」を名のり、カトリックの伝統を色濃くとどめている。他の州(どちらかというとプロテスタントの伝統をもつ)も、領土的な境界は変わっているものの、かっての小王国や公国の歴史的名称を引きついでいる。

 16州のうち旧西ドイツに属していた11州の境界線は、1947年のドイッ連邦共和国設立時に「占領軍」が決定した。すなわち1945年5月のドイッ敗戦以降、同国西部を占領したアメリカ、イギリス、フランス軍の指導者である。一方、東ドイツの5つの州は、1947年に共産党支配下で生まれたドイッ民主共和国(GDR)消滅後、1990年に創設された。戦後、ドイッ帝国の旧首都ベルリンも二分された。東ドイッ領内における西ドイツの飛び地となった西ベルリン(アメリカ、イギリス、フランスがそれぞれ占領地域を保有)と、東ベルリン(ソ連の占領地域)である。1961年には、共産党当局は西ベルリンを完全に包囲する壁を建設した。東西ベルリン間の接触をいっさい遮断し、東ドイッから西ドイッヘの亡命を阻止するためである。この複雑なベルリンの地政学的状況は、「ベルリンの壁」(1961年以来町を二分していた)が崩壊する1989年11月まで続いた。このときには、1947年の「冷戦」開始以来ドイツを二分していた要塞化した障害物も撤去された。

 東西対立の終焉、ソ連支配下の「人民民主主義国」における共産主義体制の崩壊、ソ連体制の弱体化によって、東ドイツが消滅し西ドイツが存続する形で1990年のドイツ再統一が実現した。統一後、西ドイツは旧東ドイツ国民(ドイツの総人口の5分の1)の生活水準を全国平均に底上げするため、相当額の経済支援をした。しかし東部の州では、ヨーロッパ市場で戦えるほどの産業競争力がなかったことから、旧東ドイツでは存在しなかった失業が深刻な問題となった。一部では、かつての圧制を忘れ、共産党体制を懐かしむ声もあがっている。このように、「鉄のカーテン」で40年間遮断された二つの地域には、大きな政治的格差が存在する。

ドイツとミッテル・オイローパ

 1945年の敗戦によって、ドイツはオーデル川とその支流ナイセ川以東の領土をすべて失い、このオーデル・ナイセ線がポーランドとの新しい東の国境となった。実際ポーランドはソ連の圧力を受けて西へ押しやられ、いっぽうのソ連は1939-40年に占領したブーク川以東のポーランド領土(これにくわえ、バルト諸国、フィンランドの一部、カルパチア・ウクライナ、ブコビナ北部、ベッサラビア、東プロイセン北部)を取り返している。こうしてベルリンは国境からわずか70kmの町になった。中世以来、ドイツの勢力の発祥の地だった東プロイセンはポーランドとロシアに分割され、文字どおり地図から消滅した。ロシアは国境を越えて古都ケーニヒスベルク(プロィセン公国の1日首都でカントの生地)を獲得し、スターリンはこれをカリニングラードと改名した。1945年、ドイツはドイツ人が人口の大半を占める領土を失っただけではなかった。ポツダム会談(1945年8月)で戦勝国は、ドイツ人地理学者の言う「ミッテル・オイローパ(中央ヨーロッバ)」に何世紀も前から住んでいる多数のドイツ人(とくに都市部のコミュニティ)を追放すると決めたのである。この「中央ヨーロッパ」には、バルト諸国、ポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、ユーゴスラヴィアが含まれる。「民族浄化」という言葉が使われる以前のこうした決定により、1200万人近い難民がドイツに流入した。

 この大規模な民族移動と領土の喪失があいまって、ヒトラー主義が台頭した大戦間にみられたのと同じように、ドイツ国内に強い復讐心が生まれてもおかしくはなかった。第1次大戦が終結し1919年にヴェルサイユ条約が締結されたときには、同じ言語を話すドイツとオーストリア(帝国崩壊後弱体化していた)の併合(アンシュルス)が禁じられたことにドイツ人は憤慨したが、そのアンシュルスを、ヒトラーが1938年に実現した。ヒトラーの帝国主義が台頭したのは、ドイツが産業大国であったという背景もあるが、世論の地政学的感情、すなわち1918年の敗戦に対する復讐の念が強く働いたためといえる。 ドイツとオーストリアは1945年にふたたび分離されたが、両国はヨーロッパの国で唯一(完全に)同じ言語を話す二つの国家である。

EU内の地理・経済面における中心的立場

 指摘しておくべきこととして、大戦間と違い、1945年以降のドイツでは、復讐や失われた領土奪回を掲げる大きな民族主義運動は生まれていない。その理由の一つは冷戦である。 NATOに加盟してはいるものの、ドイツは冷戦の影響で恐ろしい被害にあう可能性にさらされていた。ドイツ人は3代にわたって自国が経験した被害の大きさを認識している。とりわけヒトラーがソ連への攻撃を決定した1941年6月以降の、赤軍の脅威は身に沁みていた。またドイツ世論は、ナチがヨーロッパのユダヤ人を絶滅させようとして行った残虐行為の規模に愕然としていた(その結果、とりわけ旧西ドイツでは、若者を中心に国民に向けて忍耐強く歴史が教えられた)。戦勝国は非ナチ化政策をとるよう課し、歴代ドイツ政権は国民の間、とりわけ亡命者の組織の間でネオナチ思想が広まらないように留意した。

 ドイツは敗戦後速いスピードで世界第4位の産業大国になったものの、第2次世界大戦以前のようなヨーロッパにおける地政学的な役割は失った。とはいえ1950年代以降は、現在のEUの原型となる組織の創設にフランスとともに決定的な役割を果たし、スカンディナヴィア諸国や中欧諸国へとEUが拡大するにつれて、EU内で中心的な役割を担うようになっている。ソ連が消滅し、現在は国力が弱まっているロシアの国境から距離ができた今、EUにおけるドイツの存在感はさらに増している。しかし近々EUでは、バルト諸国に暮らす数多くのロシア人の問題と、カリニングラード(旧ケーニヒスペルク、「EUとNATO」の章参照)の問題がもち上がるだろう。カリニングラードはロシアの飛び地になっているが、歴史的にドイツの町であり、ドイツ人はその事実を忘れてはいないからである。

危機に耐えるドイツ

 ドイツは世界第4位の経済大国であるだけでなく、EU内では第一の経済大国である(経済活動額の30%を占める)。そしてとくにこの国は経済危機にもっともよく耐えた。これはドイツが他国に比べて銀行の負債が少ないことから容易に説明できる。1990年以後、発展がはるかに遅れていた東ドイツとの経済・社会的統一を早く成し遂げたかった西ドイツは、緊縮措置を受け入れたことによって、連邦政府が外国の銀行から借りていた負債の一部を返すことができたのである。

 EUの設立当時、ドイツ政府はほかの国々に、国の1年の赤字が国内総生産の3%を越えないようにすることを承認させた。しかしこの規則はこれまで守られておらず、とくにフランスでは2007年の赤字が7%を超えている。

 もう一つドイツの特殊な点として、世界経済がグローバル化していく時代にあって、ドイツ産業が比較的高価で高品質な製品(機械や自動車など)に特化することを選び、それによって高い評価を得たことが挙げられる。ドイツの対外貿易が明らかに、とくにEUに対して黒字なのは、ドイツがこの選択をしたからである。いっぽうフランスの対外貿易は大きく赤字になっている。

 現在の経済危機の中でドイツは発展のさなかにある支配的な大国として現れており、他国から財政改善のための支援を求められている。しかしドイツは自国に大きく費用負担のかかる措置を受け入れることには消極的だ。とはいえドイツ産業にとってEUを形成する国々は主要な市場なのだから、もしユーロが放棄されEUが消滅したら、この国が失うものは大きいだろう。
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地理と地政学 「シリア」地峡とアラビア半島の国々

『ラルース地図で見る国際関係』より 地理と地政学

ヨルダン

 東岸のサウジアラビアと西岸のエジプト領シナイ半島にはさまれたアカバ湾の奥の狭い「窓」がなかったら、ヨルダン(面積9万2000km2、人口650万人、首都アンマン)は海への出口をまったくもたない国になっていた。

 この「窓」の西岸にイスラエルもまたエイラト(アカバ)湾への開口部をもつ。紅海に通じる湾の奥に国境が集中しているこの場所が、競合する4カ国にとって地政学的に重要であることは明らかである。イスラエルがスエズ運河を経由しないアラブ以外の石油を受けとるのはエイラトからであり、シリアとの関係が悪化した際にヨルダンがイラク方面にあらゆる商品を運び出すのもアカバからである。

 この国境もヨルダンという国も、第1次世界大戦後にイギリスが国際連盟からこの中東の土地の「委任統治」を託されたときから始まった。統治領がヨルダン川の両側に広がっていた(イギリスがパレスチナとよばれる地域の境界を画定する前)ことから「ヨルダン」と命名したのも、1924年にメッカのシャリーフであるハーシム家の息子の1人を国王に選んだのもイギリス人である。今もその末裔がヨルダン国王でありっづけているのは、イギリスのたえまない支援と、現国王の父フセイン国王が地政学的辣腕を発揮したおかげである。そもそもフセイン国王が大変な苦労をしたのは、1948年と1967年にパレスチナ難民がヨルダンに押しよせて、イスラエルと戦争をするために何度もヨルダンの政権をとろうとしたからである。現在パレスチナ人は人口の半数近くを占めていると思われるが、それでもヨルダン国籍はもっていない。

レバノン

 フランスの委任統治はシリアとレバノンと名づけられた土地で確立された。委任統治領に2人の君主を任命したイギリスとは違って、フランス政府はこうした便利な解決策をとらず(とはいえチュニジアとモロッコは立憲君主制にした)、代議院を創設した。フランス当局は、レバノンではスンナ派とシーア派、ドゥルーズ派とアラブ人の間に対立があることを前提としつつ、人口の一部を占めるカトリックのマロン派を基盤とした。その後第2次世界大戦中には、イギリスとフランス(ヴィシー政権支持者と自由フランス支持者に分かれていた)の間にさまざまな出来事があったことから、独立運動が活発になった。レバノンでは独立後、[国民協約]によって、以後大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派とすることが定められた。

 第2次世界大戦後の1948年にイスラエル国家が成立すると(「イスラエルとパレスチナ」の章参照)、レバノンやヨルダンなど周辺諸国にアラブ人難民が数多く流入したため、近東は大きな混乱に陥った。1967年にイスラエル軍がアラブ諸国の軍隊に勝利してからはますます難民が増加し、このころから難民キャンプやイスラエルに占領された地区でパレスチナ人の民族意識が高まった。 1970年、すでに互いに対立関係にあったパレスチナの複数の準軍事組織がヨルダンで権力を握ろうとしたが、ヨルダン国王の強力な軍隊(イギリスが大戦闘に砂漠の民ベドウィン人で組織した軍隊)がこれを撃退した。こうして難民が数多く残るヨルダンから撃退されたパレスチナ組織は、さまざまな宗派の対立だけでなく、宗派内の名家同士の対立もあって政情が不安定になっていたレバノンに移動し、難民キャンプを制圧して権力を握ろうとした。このパレスチナ人たちがマロン派をイスラエルの共犯者と非難したことを一因に、1975年にレバノンで内戦が勃発、この内戦は15年間続き、いまだにその影響が尾を引いている。

1975-90年のレバノン内戦

 この内戦は混乱をきわめたが、その中でも二つの大きな事件があった。一つは1976年のシリア軍によるレバノン侵攻である。もともとはベイルートでパレスチナ人に包囲されたマロン教徒を助けることを目的としたものであったが、シリア軍はその後対立する各派と次々に手を組んで、レバノンで力を発揮するようになる(2004年にようやく撤退)。もう一つは、1982年にイスラエル軍がヤセル・アラファト率いるパレスチナ解放機構を排除しようとして、ペイルートまで達した電撃攻撃である。イスラエルはドゥルーズ派とマロン派の紛争をあおりたてたあと、1983年にレバノンの大部分から引き揚げるが、ベイルートとその周辺での民兵組織同士の戦いはさらに8年間続くことになる。内戦はサウジアラビアの圧力によって1990年に終結するが、それまでサウジアラビアは各派のりーダーたちに出資していた。戦争にうんざりしていたレバノンの民兵組織は金と引き替えに武器を置くことを受け入れたが、二つあるシーア派政党のうち、イランに支援されたヒズボラはこれを拒否した。

2006年夏の戦争

 2005年にレバノンのラフィーク・ハリーリ元首相(サウジアラビアと親密だった)が暗殺されたことでレバノン国民の怒りが爆発し、フランス、アメリカの支援や国際世論の支持を受けてついにシリアの軍隊を撤退させるとともに、この犯罪だけでなく数多くの犯罪に手をそめたとしてシリアの諜報機関をも退けた。これでレバノンは真の独立をとりもどしたかに思われた。とはいえレバノンのシーア派組織ヒズボラは政権に参加し、シリアとの密接な関係を断つことに反対した。ヒズボラ軍は南レバノン全体を支配したが、2006年7月、レバノンとイスラエルの国境南部で特別攻撃隊の作戦行動中に、イスラエル兵±8人を殺害、2人を拉致した。イスラエル軍はヒズボラ軍を壊滅させるために南レバノンヘの爆撃で応酬したが、ヒズボラ軍はシリア経由でイランから手に入れた多数のロケット弾をイスラエル北部の都市に打ちこんで反撃した。イスラエル空軍はロケット弾の輸送を妨げるためにベイルートも含めたレバノン全土に爆撃を拡大するが、ロケット弾の数は減少しなかった。2006年8月に国連安保理が停戦とUNIFIL(国連レバノン暫定軍)の強化を命じたことから安保理決議1701による停戦が同月14日に発効するが、この戦争によって荒廃したレバノンは深刻な政治危機に陥り、政治権力分担をめぐって諸宗派が争っている。

シリア

 シリアはオスマン帝国に対抗するアラブ民族運動の中心となり、その後もアラブ世界を統一するための運動を支えた。この汎アラブ主義が、1943年にダマスカスで(キリスト教徒とスンナ派イスラム教徒によって)結成された世俗主義のバアス党の基本的な目的であった。統一をめざすこの党はやがてアラブ諸国の多少とも敵対するさまざまな軍事勢力を包括していく。1958-61年にかけてナセル大佐のエジプトとシリアを連合させたのもバアス党なら、1958年にイラクで王制が崩壊したあと政権にっいたのもバアス党である。その後ダマスカスのバアス党とバグダードのバアス党が政治的に衝突したが、これはアラビア帝国における二大中世都市の歴史的な対立関係の表れである。シリアとイラクの対立は恒常的なものになっていくが、シリアのほうは石油の埋蔵量が莫大だという並外れた利点を有している。

 1970年、少数派のアラウィー派(シーア派)に属するシリア・バアス党のハーフェズ・アル=アサド将軍はダマスカスで政権を握り、2000年に没するまで大統領の座を占めた。その死後は息子のバッシヤールが後継者となった。1979年にイラク・バアス党のリーダーだったサダム・フセインがイラクの指導者となり、1980年にはホメイニ師が政権を握ったイランとの戦争を始めた。

 シリアはこの戦争中(1980-88年)イラクに反対する立場を表明し、イランのムッラー(イスラム法学者)による政権に好意的なレバノンのシーア派に頼った。さらに1990-91年には、クウェートに侵攻したサダム・フセインに対抗する同盟に加わった。このようにバアス党が説くアラブ諸国の連帯は空論にすぎないものになっていたが、その代わりシリアはアラブの統一を守るために、アラブ世界の新たな分裂を防ぐという口実で、パレスチナ解放機構の発展とパレスチナ国家の設立を有利にしかねないことにはなんであれ反対した。

 レバノン、ヨルダン、パレスチナを支配する「大シリア」を実現させてアラブの統一を図りたいというのが、シリア指導者の大計画である。サダム・フセイン政権の崩壊後、イラクでクルド人、シーア派、スンナ派が分裂した(「イラク」の章参照)のは、つまるところシリアの指導者たちにとって悪い話ではない。というのもシリア首脳は、イランの仲介でシーア派と合意すれば、イラクのスンナ派を掌握できると考えているからである。
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シェアリング。少しは追いついてきたのかな

『経済大変動』より ⇒ シェア社会に進むための情報を探している。まだまだ、先が読めていない

情報技術によって実現したシェアリングエコノミー

 情報技術が経済社会を大きく変えつつある。そうした実感を持っている人は多いだろう。IoT(モノのインターネット)、AI(人工知能)、クラウドコンピューティング、ビッグデータなどの用語がちまたにあふれている。金融、医療、教育、コマース、物流、モノづくり、交通など、あらゆるものが情報化の波によって変化をとげようとしているのだ。

 そうした中でいろいろ興味深い概念が提起されている。たとえばシェアリングエコノミーなど、その代表例だろう。情報技術を駆使すれば、いろいろなモノを多くの人がシェアリングできる。それによって生み出される費用削減は大きなものである。

 自動車などはその典型だ。多くの自動車は車庫に眠っている時間が大半だろう。週に一時間しか乗らない人は、自動車の稼働率は〇・五%ということになる。二時間でも一%だ。そのために大枚をはたいて自動車を購入する価値があるだろうか。それでも多くの人が車を購入するのは、いざというときに乗れる自動車を手元に置いておきたいからだ。

 しかし情報技術を駆使すれば、誰でも必要なときだけ自動車を確保することが可能となるはずだ。海外で急拡大しているウーバーは、運転手つきの自動車をシェアリングしようというものだ。このような形でシェアリングできるものは自動車だけではない。

 旅行者に部屋を提供するエアビーアンドビーは、部屋という資産を多くの人でシェアリングしようという仕組みだ。自動車も住宅も大きな金額を投じる耐久財である。そのサービスをできるだけ多くの人でシェアリングしようというのは合理的な動きでもある。情報技術の進展がそうしたことを可能にしている。

 さて、シェアリングエコノミーの動きは、さらにどのような分野に広がっていくのだろうか。価値のあるもの、みんなで共同利用できるものは、すべてシェアリングエコノミーの対象となる。考えてみれば、情報化をすすめる原動力になっているクラウドコンピューティングも、サーバーという資産をシェアリングしている。

 シェアリングの対象となりうる資源として重要なものに労働力がある。それも専門的なスキルを持った労働力だ。弁護士や医師などの労働力は、多くの顧客や患者がシェアリングして使うことができた。標準化されたサービスだからだ。

 しかし、特殊な技能となるとそうはいかない。多くの場合は、そうした技能を持った労働者は企業の中に従業員として囲い込まれることになる。その人の技能を他の人が利用することは難しい。兼業禁止をかけている企業が多いことも、そうした技能労働のシェアリングを難しくしている。

 最近は、いろいろなスキルの人をスポットで活用できる仕組みを提供しているサービスがある。そのようなサービスに対するニーズは少なくないはずだ。特殊な技能やノウハウを持つ人材のシェアリングもインターネットを利用して可能になる。

勢いを増す「読み放題・見放題サービス」はコンテンツホルダーにとって福音となるか

 雑誌や書籍で、定額読み放題のサービスが広がっている。最近では、アマゾンが「キンドル・アンリミテッド」を日本でも導入し、注目された。月額九八〇円で、コミックや書籍を五万点以上読めるという。同様のサービスは他の企業が先行しており、たとえばNTTドコモは月額四〇〇円で一六○誌以上の雑誌が読み放題となるdマガジンのサービスを提供しており、すでに会員数は三〇〇万人を超えているという。

 デジタルコンテンツ・サービスでは、すべての分野で定額料金が広がっている。映像サービスではネットフリックスやHuluが定額で映画やテレビ番組を見放題できるサービスを提供している。アマゾンはプライム会員向けに、映像や音楽を無料で聴けるサービスを提供している。無料とは究極の定額料金である。

 言うまでもなく、こうしたデジタルサービスで定額料金が広がる背景には、これらのサIビスを提供するための限界費用が限りなくゼロに近いということがある。書籍を出版するには、それなりに費用と時間がかかる。ただ、費用の多くは固定費と呼ばれるものだ。書籍のデジタル版を追加的に提供する限界費用は、限りなくゼロに近くなっている。音楽や映像も、この点では同じだ。

 限界費用がゼロに近い商品の価格はどのように設定されるのだろうか。これは大問題である。旧来は平均費用に利益マージンを乗せたものが価格となった。それによって書籍を出版するための固定費用をカバーするのだ。ただ、難しいのは、平均費用の水準そのものが販売数によって動くということだ。たくさん販売できれば平均費用もそれだけ安くなり、価格を低く設定できる。強気の企業は、思い切り低い価格を提示し、より多く売ることで利益を上げようとする。

 定額料金サービスの特徴は、できるだけ多くの種類のコンテンツを取り込むことで、定額料金を低くできるということだ。こうした価格設定で最も利益を受けるのは、価格弾力性の高いコンテンツだろう。ドコモのdマガジンでサービス提供されている雑誌類はその典型だ。安いから気軽に購入するというものは、価格を下げればより多くの人が購読する。

 問題は、価格弾力性の低いコンテンツだ。一定の人は高い料金を払ってくれるが、価格を安くしても需要は増えない。そういう性格を持った書籍や音楽もあるだろう。そうしたコンテンツは定額サービスの中に入れるよりも、個別に高い料金を設定した方が良いとも考えられる。実際、本当に価値の高い映画や値段の高い書籍は定額サービスの中に入らないケースも多いようだ。

 ただ、アマゾンのように定額サービスを提供する側から見れば、そうした価値の高いコンテンツが入ることで定額サービス全体の価値も高められる。そこで少し高い費用を払っても、価値の高いコンテンツを入れようという動きもありうる。いずれにしても、定額サービスに入るかどうかは個々のコンテンツにとっては重要な決断事項となる。
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