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コミュニティでの囲い込みの弊害

ブログにアクセスできない

 GOOにアクセスできなくなっている。まあ、その内に治るでしょう。こういう事態を想定して、以前は、ブログを二本立てにしていた。パソコンなどのITを当てにしてはいけないというのが、30年以上やってきた経験則です。

 OSトラブルを想定して、同一内容をWindowsとMacで入れ込んでいた。

人間の心は面倒くさい

 生駒の謝罪を見ていても、人間の心というのは面倒なモノですね。こんなんで覚醒に辿りつけれるのか。

 やはり、上から従わせるのが一番楽ですね。その時は暴力を使うことになる。死ねば、何も言えないでしょうから。だけど、上海での赤軍粛正が毛沢東を作り上げたように、歴史は単純ではない。

 ナチのように、沈黙の螺旋まで、高度に仕掛けないといけないかもしれない。一つの塊の内ではそれを感じる。

コミュニティでの囲い込みの弊害

 ファン心理、ファンになることはその他を排除する。乃木坂と欅坂の間にも溝がある。自分もどっちでもいいけど、固執します。そして、相手を中傷します。ましてやAKBとなると断絶です。

 この心理合戦をコメント上では一日やっています。これで先に進めるのか。この分析はコミュニティの役割を明確にするには欠かせないことです。

 そして、裏の力、ソニーミュージックとか秋元とかを気にしている。自分の無力さが情けなくなる。もっと素直になっていかないと。人が多面的なモノを持っていることを信用しないといけない。コミュニティの多面性そのもの。

全体を考えて、先を見る

 自分を変えればいくらでも変えられる。固執する必要は無い。そのために、今を見ていてはダメです。全体を考えて、先を見る。これは生ちゃんも言っていたことと同じです。先を見ることで初めて、希望が湧く。

 配置の世界は不安定な状態にいることになる。それに耐えられるのか。全体を考えて、全体と自分を一致させることが、人類の覚醒につながるのでしょう。

 今の生活をしながら、全体を考えて、先を見るためには何が必要なのか。それはパートナーであり、コミュニティでしょう。仲介者がいなければ、ムリです。相手はあまりにもでかい。

 自分はあまりにも小さいという意識、あまりにも自由であり、何をしてもつきまとう不安感。これで精神は保てるのか。そのために先を見ていく。

文句を言うのは屑な連中

 自分のことを棚に上げておいて、非難することに楽しい。文句を言うのは簡単です。それでどうしたらいいのかが一切ない世界。バナナマンに言わせると屑な連中。はるかに我々の方が努力している。

 重要なのは提案する心。それをするのは難しい。相手が分かるはずがない。皆、独我論の世界に居るのだから。

 コミュニティを作るという意識でのコメンターになることが最短の道でしょう。

先を知ることの重要さ

 ナチという全体主義の最期を知っていることによって、ドイツの反応は異なります。ナチ前なら熱狂的になれたでしょう。

 当時は町に暴力があふれていても、ユダヤに対する差別意識も気にならなかった。その結果がどうなるかを見ていなかったから。先を見ていなかったから、無責任になれた。他人事になれた。

 今は、ナチがやっていることがどうなるのか、全体はどうなるのかを知っている。ドイツはそれを十分、味わっている。だから、敬礼一つにも反応する。

日本は国境で閉じられている

 日本の場合は、それがない。それは国境が守られているから。内にクローズしているから。日本の国境を開放するにはどうするのか。海を埋め立てるのが一番いいけど、日本海溝はあまりにも深い。

 グローバル化に対しても、いつまでもローカルのままで済ませている。国境を開放しない限り、変化は出来ない。

朝6時に家を出ていたのが不思議

 今、思うと、毎日6時に家を出て行けたモノです。寒いし、暗い。金のためという意識はなかった。

ノートへの書き起こし

 このままいくと、独特な書き方になりそう。心を反映しています。感じが浮かんでくる前に先に行きます。追いつけていない。ペンにしてみようか。

 自分の世界に入り込んでいる。音はイヤモニで完璧になった。フードをかぶれは完全に自分の世界です。書く時には、出だしに対して、予想を裏切る言葉を続けます。予定調和させない。

未唯へ

 リクはまだ、あの忠犬ポーズをしているのか。外へ出たいよ~という構えです。
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