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未唯空間「テーマ」の感想

ひめたんのモバメがこないと苛立っている

 なぜ、ひめたんは出てこないのか。一〇日間、モバメがないといらだっている。私の携帯では受けられない。だけど、私なんかはメールを20年間待っています。トラウマの比ではない。

コミュニティにおける暴露への対応

 今週のらじらーに出れないのではないか。コミュニティの機能として、トラブルにどのように対応するかを探っていきます。ひめたんの周りがざわついている。大事なことが見えないのかもしれない。コミュニティの機能として、トラブルにどう対応するのか。。

 ネットでの暴露を見ていると、本当に人類ってバカだよね。まとめようとしない。方向が見えない。自分のことだけを考えている。ひめたんは唯一の希望なのに。

 こういう時は、コミュニティのルールを変えてしまえばいいんだ。コミュニティは外部からの攻撃を守る。コミュニティの中に防御する力を明確にする。ただし、過剰反応は自体をややこしくする。

 コミュニティが「暴露」にどう対抗するかを注視。弱いモノを守るのがコミュニティ。個人とコミュニティの関係も見ていく。

未唯空間「テーマ」

 未唯空間から未唯宇宙に行くために、「テーマ」を一緒に考えて、再考していく。

「暴露」のが追求するもの

 世界は無秩序です。そんなことやってどうするのか。先のことを考えていかないと。「暴露」がすごいといっても、暴露というカタチを使っているだけです。これがトランプの本心というなら、意味はわかるけど、あまりにも弱いモノ相手に儲けようとしている。

 その後ろには、それを支える膨大な力が存在する。彼らは無責任に進めていきます。どこへ持って行きたいのかを思っていない多くの人間。

 暴露という言葉をどう使っていくのか。本来、それは知っていなければならないことか、先の世界にとって、関係あることなのか、関係ないことなのか。

 例えば、トランプとか阿部の役割は手遅れにならないうちに暴露すべきです。そして、行動に結びつける時です。

「テーマ」で取り上げる理由

 人を人を愛することとか、孤独と孤立に関することはなくさないといけない。これとシェアとの関係。今は家族という単位がガードしているけど、それをシェアという単位でがーどしていくのか。そのために、コミュニティという中間の存在があって、チームという活動の舞台がある。

 未唯空間の一項目ではまとめきれないものを「配置」として、取り上げている。一年前で更新が止っている。内容も大きく変わってきています。配置の考えもかなり前進しています。

M1:社会との関わり

 ここは完全に独我論が前面に出てきています。社会を自分と離して、他者の世界として、客観的に見ていくということです。

 影響を受けるものとしては、多様化だけではなく、グローバル化もあります。これを追加します。それとアーレントの「社会」の見方も。

M2:サファイア

 サファイアは完全に理論と行動に分けています。最終的にはサファイア革命です。その時には循環しかなかったけど、今は配置が加わっています。だから、立体的になっている。最終形は循環を含めたサファイア社会です。

M3:未唯空間

 未唯空間はあくまでも内側の世界を作ることです。対比として、外に向ける未唯宇宙も必要です。未唯宇宙は自分の内なる世界に外から事象を参考資料として与えます。それによって、宇宙空間に放り出すことになる。放り込まれた私が放り出すことになります。

M4:システム設計

 システム設計はもっと大きく捉えた方がいい。ヘッドロジックの衝撃を追加します。技術者がモノをどう見るのか、それを部品に展開する時のロジックです。

 ヘッドロジックと中間の存在がつながった時に様相が変わった。この類いの配置だけで本にすることができるレベルです。いくらでも述べられます。述べたモノをカタチにしていく。本の携帯というモノは、私の場合は項目になります。

 個々では正規化に拘りますが、本来は非正規化です。それぞれの項目に大小があります。非正規化を正規化にすることの良さは絞り出すところで、逆は言葉を縛ります。

M5:コミュニティ

 これは乃木坂をコミュニティとみるところで大きく進展しています。コミュニティで守るモノは何か。この中に暴露に関した安心・安全も取り入れます。ネット放送をどう使っていくか、ファンのような取り巻きとの関係、どのように伝播していくかにも拡大します。

 業務コミュニティにも拡大します。病院のコミュニティ、学校も企業もコミュニティ。皆、中間の存在です。そこで、いかにメンバーを守っていくか、育てていくのか。それが教育の原点につながっていく。

 本来、生涯学習というのはコミュニティでなされるモノです。学校をコミュニと考えれば、連続性が保てます。学校があまりにも教育の場になりすぎている。教えるのではなく、個人が育っていくところです。

 食事とか住むとことか、仕事というものに流動性を持たせるか。コミュニティで考えるところでしょう。流動性などという曖昧な世界に人類がどのように耐えていけるか。どうしても、周りに依存してしまうのでしょう。

 コミュニティでの知識と意識は格好良すぎて、名前だけになっているモノを知の世界につなげていく。

M6:政治形態

 政治形態としては、資本主義・民主主義、そして国民国家の三つが大きい。ここには、現在の世界情勢もドロップしていきます。変革期です。

 トランプの周りが作ろうとして世界、EUの姿も考えていきます。どういうジャンルにまとめていくか。

M7:持続可能な環境

 持続可能性で教育・仕事・家庭の変革を位置づける。一つ一つでもジャンルに出来るぐらいに追い込んで、M71などの番号を振っていきます。

 例えば、教育の循環で考えると、幼児期、小・中・高、大学、生涯学習、老いたるものでの一貫性を考える。その中で、学校という形態の異常さを見ていく。

 学校という形態の方を先に考えて、生涯学習などを考えるので、どうしても「教えてもらう」というカタチになる。教えてもらうのではなく、自分の中にあるものを言葉にして、発信して、伝播していくモノです。

M8:環境社会

 環境社会とシェア社会、その前のクルマ社会の関係です。

 誰もが望んでいない環境社会をどういうカタチで実現していくのか。前提となるのは、個人の覚醒です。環境社会が人類の歴史の中で完成形であるかどうかで決まりそうな気がします。

未唯空間「テーマ」の趣旨

 「テーマ」で珍しいのは、未唯空間の項目とつなげていることです。これを作った時は、時間に余裕があったので、エクセルなども使い、逆関数でつなぎ合わせた。こういう表現でいいのかも含めて、生かしていく。思考の連鎖ですね。

 M(メンタル。外側)に対して、L(リテラル、内側)についても、分析している。

L1:存在と無

 「存在と無」から始まって、「存在の無」で終わるのが、未唯空間です。自分の中の問題です。未唯宇宙ではもっと違うカタチになる。

 「存在の無」は最終形とも関係する。端と中核が同一になる奇妙な状態を示している。これは宇宙のロジックを表している。そうでないと、宇宙は存在しない。認識も出来ない。個人と宇宙がつながるから始めると言える。これは宇宙の旅人にも関係する。

L2:存在の力

 あまりにもザックリしている。言葉ではなく、本質を見ていかないといけない。覚醒できるかというところにつなげます。

L3:内なる世界

 独我論との関係をハッキリさせる。内にいながら、外とつながるという意味で宇宙の旅人を通して、外なる世界との関係が出来る。その手段として、未唯空間で内なる世界を作り出す。

L4:情報共有

 情報共有はバラバラなモノがどのようにくっつくかのベース。ソーシャルネットが出てきて、始めて可能になった。これで世界がどのようになっていくのか。

 お互いに状況把握することがキーポイントになります。クライシスに遭遇した時に、状況把握が対策の決め手になります。

 乃木坂でいうと、ファン的なカタチをとると、暴露につながります。これは情報共有の負の世界です。負の世界は何のためにあるのか。

L5:共有意識

 このキーワードで本が書けるぐらいです。永年、蓄積してきました。公共図書館から入ってきた概念です。図書館が先行しました。共有はシェアにつながります。

 今、単体である仕事とか家庭が共有する姿に変わっていきます。なぜ、変わっていかないかというと、所有の意識が邪魔をしている。

 皆が所有することの負荷が増大している。共有するメリットが増大している。あくまでも、生産手段まで共有しようとした共産主義とは異なることはハッキリさせないと方向を狂います。

L6:位相表現

 位相というモノが、未唯空間の後半に出てきます。これは点から近傍でもって拡大し、全体の空間を創り出すモノです。そこでのカバーリング、標準形、連続性という概念が現実社会とどうなっていくのか。それがわかっていれば、先に進めます。解決できます。

L7:進化

 歴史の進化が一番大きい。進化の最終形はLL=GG(ローカルのローカルとグローバルのグローバルが同一)。その理論のベースになるのが、新しい数学です。その中に何を入れ込むか。

 進化のためにはクライシスが必要です。地球の歴史を見ると、進化が起こったのは、絶滅の後です。生き残ったモノが無人の荒野に拡がっていく。

 第2次世界大戦の反省からEUが出来たけど、最初の精神を無くしている。国民国家からの圧迫を受けている。変革が中途半端になると、さらなる破壊が起きる。進化の時にその部分をどうしていくのか。

L8:未来の姿

 色々なジャンルで未来のカタチが出てきたモノを集約します。

 「配置」と「テーマ」の差は何なのか。「テーマ」は未唯空間のキーワード空間を作りたかった。その後に配置の考え方が生まれた。ジャンルというハイアラキーで見るモノに、点から拡張していく姿を示したかった。

「テーマ」の表現の仕方

 エッセイ0でロジックを追えるようにしておきます。この間のブログから抜き出して、登録すれば容易に対応できる。テーマは未唯空間の流れで正規化ですが、配置は当然、非正規化をめざします。

私に気づかせるために

 私に「暴露」を気づきさせるために、ひめたんにつらい思いをさせてしまった。もっと大きなものに一員なのに、地球のこんなところで考えている。色々な仕掛けがされているんでしょう。ここは舞台なんですね。

 大きな世界、大きな存在の元にいるのにこんなところでウロウロしているのか。それは何かを得るためなんでしょう。

 3.11で地震を起こさせたのも、車メーカーもナチも、私に何かを気づかせるためなんでしょう。何かを起こさせると言うことではなく、見てこいということなんでしょう。

豊田市図書館から借りた24冊

 豊田市図書館から借りた24冊の分類をしている。『アレント入門』が救い。それも中村元さんの著作。これだけで充分! それとエコットに置くといい本があった。

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豊田市図書館の24冊

332.1『日本型新自由主義とは何か』占領期改革からアベノミクスまで

329『国際法で世界がわかる』(ニュースで読み解く32講)

259.1『キューバ現代史』革命から対米関係改善まで

209『世界と日本がわかる 最強の世界史』

675『マーケティングに強くなる』

375.84『東大 vs 京大 入試文芸頂上決戦』

319『図説 よくわかる世界の紛争2017』

518.5『ごみ処理場・リサイクルセンターで働く人たち』しごと場見学! しごとの現場としくみがわかる! ⇒ エコットの図書室に最適

301.2『高校生からわかる社会科学の基礎』

210.19『真「日本戦史」』戦略/戦術で解き明かす

121.67『三木清教養論集』

364.6『「iDeCo」で自分年金をつくる』--個人型確定拠出年金の超・実践的活用術

312.53『総力取材! トランプ政権と日本』

311.23『アレント入門』

918.68『小松左京全集 首都消失』

706.7『サザビーズで朝食を』競売人が倦かす美とお金の物語

367.2『ジェンダー史とは何か』

673.97『店長2万人のクレーム解決術』困った! どうする?

336.49『人間は9タイプ』仕事と対人関係がはかどる人間説明書

329.67『東京裁判』全訳 パールy判決書

007.35『Yahoo!Japan 全仕事』現場200人に聞く、過去⇒現在⇒未来

016.21『地方自治と図書館』「知の地域づくり」を地域再生の切り札に

010.4『図書館の基本を求めてⅦ』『風』『談論風発』2014~2015より

335.7『公民連携白書2016~2017』まちのコンパクト化とPPP コンパクト化は人口減少時代に地域が持続していくための切り札である
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「地方創生」の視点から見た図書館と課題

『地方自治と図書館』より まちづくりを支える図書館 まちづくりへの図書館の効果 まちづくりを支える図書館の特徴

二〇四〇年にはわが国の自治体のおよそ半分が、若者の滅少などに起因して自治体としての機能を維持できなくなる。二〇一四年五月、日本創生会議がこんなショッキングなレポートを発表して以来、「消滅可能性」のある自治体だと名指しされた市町村は動揺の色を隠せず、浮足立った。

これを受けた安倍政権は、その年の秋から「地方創生」を最重要政策の一つに掲げ、財政面を中心に自治体を支援することとした。そのねらいは、もっぱら地域経済を活性化することと地方の人口減少に歯止めをかけること、とりわけ若い人たちの域外への流出を減らすことにある。

全国ほぼすべての自治体は、政府から促されて、自分たちの地域の将来像を盛り込んだ「総合戦略」を作成した。その戦略に基づいて様々な事業が展開されているところだが、果たして全国を総動員したこの壮大な取り組みによって地域経済を活性化し、人口減少に歯止めをかけるという所期の目的を達成することになるのかどうか。

地方自治や地域振興に長年かかわってきた筆者の現時点での感想を率直に言えば、関係者には大変失礼な物言いになるが、今のままでは「地方創生」はさしたる成果をもたらさないまま終焉を迎えることになる可能性が高いと踏んでいる。そう考える理由は、国の側にも地方の側にも見出せる。

国の側のことで言えば、過去の地方施策の点検をしていないことをまず指摘しておかねばならない。というのは、地域経済が停滞し多くの若者が大都市圏に流出する現象は決して今に始まったことではない。また、それに対して国も自治体も損手傍観、何もしてこなかったわけではない。地域活性化対策、過疎対策などあれこれ施策を講じ、膨大な財政資金を投入してきたあげくが今日の地方の窮状なのである。

それならば、このたびの「地方創生」を始めるに当たってまずやるべきは。、過去の同種の施策の点検であるはずだ。地域活性化対策などのこれまでの施策には何か足らなかったのか、欠けていたものは何か、この際よく点検してみる必要があると思うが、どうやら政府にはそんな点検をした形跡はなさそうである。

「地方創生」がうまくいかないだろうと予測する理由は、地方側にもある。筆者が強く懸念しているのは、地域経済の衰退や雇用不足の主たる要因を、当の自治体が必ずしも的確に把握していないと思われることである。そのことの結果、地域の現在及び将来のことを、自治体自身がいい意味で「地域本意」に考えることが妨げられているように思われるのである。

地域経済の力が弱まる原因や背景は、もとより地域によって異なる面がある。ただ、多くの地域に共通すると思われる要因もある。その一つが、地域から外部に向けてお金が流出し続けている状況である。もちろんどの地域でも域外に売る物があり、それによってお金が外から入ってくる。しかし、その一方で域外から買うものが多ければ、差し引きではお金が外に出ていくことになる。

例えば、佐賀県武雄市では、指定管理者制度を通じて、図書館の運営を書籍の流通業に携わる域外の大都市の民間事業者に委ねることとした。その事業者によって運営される図書館は、従来の図書館のイメージとは大きく異なっている。館内ではその事業者自身が本を売っているし、アメリカの有名なコーヒー店も営業している。

この点については、図書館を利用する市民は図書館で本を借りられるし、買うこともできる。この面でいわばワンストップサービスを享受できるので、市民の利便性が向上したとの評価がないわけではない。

ただ、地域の経済などの観点からは別の見方もできる。市内にはもともと書店があって、昨今の本離れの傾向が強い中では経営は決して楽ではないはずだ。そんな環境の中で、市役所が図書館を改造し、域外から誘致した「商売敵」にそこで営業させるのだから、既存の書店はたまったものではない。自分のところも市に税金を納めているというのに、この仕打ちはあまりにもひどすぎるともし筆者がその書店の経営者であったら強く憤ると思う。

また、公立図書館は本来なら書籍は地元の書店を通して購入するのが望ましい。例えば、鳥取県立図書館では毎年度およそ一億円の予算で書籍や資料を購入しているが、そのほとんどは地元の書店を通じてである。

それは単に県内の書店の売り上げを増やすために買い取っているのではない。いくっかの書店から、県立図書館として保存するにふさわしい本を提示してもらい、それらを参考に司書と書店とが協議しながら購入する本を決め、それを提案した書店から購入する仕組みを採っている。いわば、司書と県内の書店とがそれぞれの知見を出し合って選書を行い、県立図書館の質の向上を図っている。そうした両者の切磋琢磨が、結果として県内書店を支えることにもつながっているのである。

話を武雄市の図書館に戻すと、図書館の管理運営を委ねられた指定管理業者はもともと書籍の流通業に携わっているので、市立図書館が購入する本は自前の流通システムを通じて導入できる。地元の書店を通すようなまどろっこしい作業は不要だろうから、この面でも地元の書店は埓外に置かれる。地元書店にとっては、市が図書館に「商売敵」を呼び入れたことと併せて、手痛いダブルパンチを食らわされたことになる。

市の図書館政策を地域経済の面から点検すると、地元書店の事業機会を縮退させ、代わりに域外の事業者に優越的にビジネスチャンスを与え、その収益を地元から域外に流出させることに寄与していると言える。地域経済が元気を失っている地域においては、どうにかしてお金を域外に流出させないことに意を用いるのが合理的だとする先はどの考え方とは全く逆の結果をもたらすことになっている。

民間の力を活用して図書館にたくさんの人を呼び込み、賑わいの空間を創出する。そこに入っているアメリカのコーヒー店はことのほか若者に人気がある。市の政策にはそれなりの狙いや言い分はあるのだろう。そのことを敢えて否定するつもりはない。ただ、自治体が公費を使って地元の事業者を疲弊させるような政策が本当にいいことかどうか、少なくとも「地方創生」の観点からは首を傾げざるを得ない。
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チエ・ゲバラ ボリビア・ゲリラ--「予告された死」

『キューバ現代史』より チエ・ゲバラ--なぜボリビアで死ななければならなかったのか 「第二、第三の、そして多くのベトナムを!」 ゲバラとキューバ革命

ボリビア・ゲリラ--「予告された死」

 “革命が反革命を革命する”

  コンゴのゲリラ運動は失敗し、タンザニアとプラハに隠れ住んだが、カストロの懇願に応えて密かにキューバに戻り、ピネル・デル・リオでゲリラ戦の準備を整え、1966年11月、ゲバラはボリビアヘ向かった。だが、1年後の1967年10月8日、政府軍に捕えられ、銃殺された。

  世界の多くの人々も、妻のアレイダも、また「ゲバラであればこそ」と彼について行った戦士たちも、たとえわずかであれ、生きて帰れる可能性を信じていた。しかし、今から振り返ればそれは「予告された死」であった。ゲバラ自身もほぼ100%の死を覚悟してキューバを出立していた。

  ボリビア・ゲリラ部隊はゲバラのほか40人から成っていた。キューバ人16人、ペルー人3人、ドイツ系アルゼンチン人のタマーラ・ブンケ、そのほかにソ連派のボリビア共産党と袂を分かったインティ・ペレド、日系のフレディ・マイムラなどボリビア人が20人。ゲバラはラテンアメリカ革命の第一弾としてボリビアでゲリラ戦を展開しようとしていたのである。

  ボリビアは南米大陸の中心にあり、貧しい農民の国である。この地でゲリラ闘争を発展させ、その他の諸国で運動が起きれば、「第二、第三の、そして多くのベトナム」という状況が生まれる。このように考えたが、農民の支援を得られないまま、ゲバラのゲリラ部隊は「核」(フォコ)の段階で消滅した。

  なぜ、ボリビア・ゲリラは失敗したのであろうか。

  何よりも、キューバ革命後、米国の反乱抑止能力は大幅に向上していた。「第二、第三のキューバ」を阻止するため、米軍の装備や情報収集能力は格段に強化されていた。ラテンアメリカ諸国の軍部も近代化され、米国で教育を受けた将軍が軍のトップを握っていた。各国の軍部は米軍と連携し合いながら、また地域のネットワークを形成し、反政府ゲリラや反体制派の一掃に乗り出していた。ゲバラの小さなゲリラ部隊は米軍とラテンアメリカ軍部の巨大な力の前には無力であった。

  戦術的問題もあった。ゲバラが入ったサンタ・クルスのニャンカウアスーはほとんど人の住まない地域であり、1952年のボリビア革命の主要な担い手である鉱山労働者の住む地域とも、また人口が集中する首都ラパスのある高地地帯とも、あまりにも遠く離れていた。他方、ソ連派のボリビア共産党は選挙路線を譲らず、最後まで支援を渋った。キューバ政府の説得も無駄であった。農民もまた、貧しいまま放置されていたにもかかわらず、政府系の農民組織に統合され、その影響下にあった。

  ゲリラの「核」は外部の支援を得られないまま孤立し、政府軍の包囲が狭まってからは連絡手段も失われ、米国の支援を受けたボリビア軍の前に敗北した。
 「僕は理想主義者などではない」

  ゲバラは閣僚としての地位も、愛する妻や子どもたちもあとに残して、ラテンアメリカ革命を目指してボリビアで闘い、銃弾に斃れた。しかも、閣僚であるからといって特権を享受することを拒否し、一般国民と同じように配給だけで暮らし、キューバを後にするときにも家族には財産らしいものは何も残さなかった。みずから唱道していた「新しい人間」を体現した人物であった。そのため、ボリビアでの死から半世紀を過ぎても、キューバ革命を知らない世代の心を捉え、最期の地、ボリビアのバジェ・グランデを訪れる人々は絶えない。そればかりか、世界にはコルダが撮影したあの肖像が印刷されたTシャツやコーヒーカップなど「ゲバラ・グッズ」が溢れている。「理想主義者」ゲバラはイデオロギーを超えて世界の人々の心を捉えている。

  しかし、ゲバラは「自分は理想主義者などではない」と言う。

  1962年10月に青年組織の指導者たちの前で、ゲバラは次のように語っていた。キューバがソ連や中国とも異なる「平等主義社会」の建設を目指したときに、「理想主義だ」という国際社会からの批判に応えたものである。インターネットにはこの演説を引用して「理想主義者」ゲバラを讃える言葉が駆け巡っているが、誤訳が世界を席巻してしまったのであろう。実際には、ゲバラはこのとき、キューバの若者たちを前に、次のように語り、ラテンアメリカをはじめ世界の抑圧された人々の解放のために闘うよう訴えていたのである。一見、理想にすぎないとみなされていることであっても、実現のための客観的条件は存在する。人々が力を合わせて一歩一歩努力を重ねていけば、その条件は熟していく、というのである。

   「われわれに対し、どうしようもない理想主義者であるとか、できもしないことを考えているという人々があるかもしれない。……これに対し、われわれは何度でも答えなければならない。いや、それはできることなのだ。本当にできるのだ、と。革命の4年間のキューバがそうであったように、人民が平凡となれば、前進し続け、人間のちっぽけさを解消していくことができる」

 ゲバラがゲバラであるために

  これまで述べてきたように、ゲバラもラテンアメリカ革命のためには多様な戦略が可能であることは認識していた。しかし、ほとんどの諸国ではゲリラ戦略の条件は整っているとして、ラテンアメリカ革命を目指して出立した。

  ボリビア行きについて、カストロは「少し待つように」と説得していた。これはタイボⅡ著の『エルネスト・チエ・ゲバラ伝』でも明らかにされていることだが、ゲリラ路線に反対するボリビア共産党の支持を取りつけるには時間が必要だったのである。ボリビア共産党が最終的に拒否した場合には、少なくとも他の左翼勢力の支援を得る必要があった。ゲリラは人民の支援なくして闘えない。ゲバラのボリビア・ゲリラには、キューバ人やペルー人などのほか、ボリビア共産党の方針に反対するボリビア人が加わっていたが、ゲリラの発展のためには、その他の左翼勢力や地域農民の支援が不可欠であった。

  では、なぜ、ゲバラは制止を振り切りボリビアに向かったのであろうか。コンゴでのゲリラ戦の失敗のあとに、カストロは何度も帰国を促したが、ゲバラは頑なに拒んでいた。退路を断ってハバナを後にしたゲバラにとってキューバヘ戻ることはできなかったのである。最終的には、ボリビア・ゲリラの訓練のために一時的にでも帰国した方がよいのではないかというカストロの提案を受け入れ、キューバに戻ったが、そこには「ゲバラであればこそ」とつき従う覚悟を固めた多くのキューバ人が待っていた。「ゲバラがゲバラである」ためにはボリビアに赴く以外に選択肢はなかった。

  キューバ革命はキューバ固有のものである。ラテンアメリカ諸国は共通の歴史や社会経済構造を持つとはいえ、それぞれの地域や国の違いは大きい。特にキューバは砂糖プランテーションを基盤にした米国の政治的経済的支配が確立していた国である。これに対しボリビアは鉱業が経済の中心を占め農村では先住民共同体が根強く残っている。特に、1952年には革命が起き、不完全なものであり、不十分な結果に終わったとはいえ、土地改革によって多くの農民が土地を手に入れ、革命政権がなし崩し的に右傾化したあとも政府系の農民組織に統合されていた。農民とともに革命の主要な勢力であった錫鉱山労働者は、依然として戦闘性を維持してはいたものの、鉱山地帯に集住していた。このようなボリビアで農村に基盤を置くゲリラ戦略は有効であったのかどうか。

  1956年にグランマ号でキューバ東部海岸に上陸したあと、カストロらがシエラ・マエストラ山頂にたどり着くことができたのは農民の支援網によるところが大きかった。農民の組織化はセリア・サンチェスの努力のたまものであったとはいえ、キューバ東部は独立運動揺藍の地であり、革命意識は強かった。カストロらの救出に力を尽くしたペレス一族はオルトドクソ党の支持者であったが、その無力ぶりに不満を募らせていた。

  これに対し、当時のボリビアは軍人のバリエントス政権下(1964~69年)にあった。右傾化を進めていた革命政権のパス・エステンソロ政権を1964年にクーデターで倒して「革命の垣根」を取り払い、鉱山などに米国資本を積極的に導入し、米軍と協力して反乱抑止政策を強化した政権である。錫鉱山の労働者管理制度を解体し、1967年にはこれに抵抗するカタビ・シグロ・ベインテ鉱山労働者に対する虐殺事件を起こしている。しかし、その一方では、ケチュア語を話す大統領として、農村をこまめに回り農民の支持を集めていた。農民組織は政府と協定を結び、軍部傘下の組織として農民の民兵隊を形成していた。

  ゲバラはこのような状況のもとでニャンカウアスーに入り込んだことになる。土地改革によってわずかな土地を与えられただけで、政府の支援もなく放置され、農民は依然として貧しいままであったが、ゲバラが『ボリビア日記』に1967年4月30日に記しているように、「農民の基盤は発展していない。計画的に脅し、中立化するのがせいぜいのところであり、支持はそのあとのことだ」。

  21世紀に入り、ボリビアでは史上初めて先住民大統領が誕生し、そのもとで先住民共同体を評価し、混血(メスティソ)すら一つの民族乏みなした、民族共同体を基礎とする、多民族国家が形成された。ゲバラはラテンアメリカの旅でペルー、ボリビア、グアテマラにおいて先住民社会に接している。青年時代にペルーを訪問したときにも、先住民共同体を基礎に独自の社会主義理論を発展させたマリアテギの理論を知る機会もあったはずだ。しかし、20世紀半ばには、ゲバラだけではなく、世界の多くの人々にとっても、21世紀のボリビアのような「新しい社会主義概念」は想定しがたいものであった。
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キューバ 平等主義社会の解体

『キューバ現代史』より ⇒ 共産主義での平等主義の限界を破ろうと苦悩する姿

国民はどれだけおなかをすかせていたか--平均1780カロリー摂取の不思議

 経済危機に見舞われたキューバには多くの外国人記者が押し寄せ、国民の飢餓ぶりを報道した。「ゴミ箱をあさっている」、「みな、痩せこけている」等々……。これに対し、キューバの人々は「私たちはきちんと衣服も着ているし、食べている」と怒りに震えていた。メタボの人は皆無であろうが、飢餓のためにやせ細っている人はいない。

 では、国民はどのくらいおなかをすかせていたのであろうか。

 経済危機が最も激しかったころには、成人への配給量は米が月6ポンド、パンは一日80グラム、コングリと呼ばれる主食の豆ごはんやスープに使うフリホルの赤豆は月1・6ポンド、黒豆は同じく1・6ポンド。豚肉はゼロだったが、蛋白源としては卵が週に5個、わずかながらも鶏肉と魚肉も配給されていた。このほかに、ジャガイモが月2ポンド、芋(ュカ)が月1ポンドというところであった。砂糖は1か月6ポンドである。こうした配給量はあくまでも規定量であり、急に減ったり、配給が中止になったりすることもあった。配給の量から計算すると、国民はおなかをすかせていたことになる。また、食料の確保が優先されたために、石鹸などの日用品はほとんど配給されなかった。厳しい生活であった。

 ところが、経済が最悪の状態にあった1994年12月に米国のギャラップ社の協力で全国3000世帯を対象に行われた家計調査では、国民は一人当たり平均1780キロカロリーをとっていた。1年後の95年には2218キロカロリー、タンパク質は56グラムであった。99年には2400キロカロリーとなった。キューバ経済が最後の通常の年といわれる89年のレベルまで回復したとされるのは2000年である。

 それでも1980年代に平均3000キロカロリーとっていたというキューバ人にとってはおなかのすく、苦しい日々であった。しかし、飢餓に苦しみ、ごみ箱をあさるような状況ではない。外国人ジャーナリストが撮った写真は「あれは犬の餌を探しているのよ」という女性の言葉が本当のところであろう。

 実は配給量だけを計算して判断するのは間違っていた。

 当時、自由市場はあまりにも価格が高く、一般市民にはなかなか手が届かなかったが、食料の入手ルートは他にもいくつかあった。前にも述べたように、最もカロリー供給源として大きかったのは学校や職場の給食である。経済状況の悪化とともに給食も無料から有料になったり、有料だったところは価格が引き上げられたりしたが、制度としては維持されていた。しかも、キューバでは朝食と夕食は簡単にすまし、昼食がメインの食事になる。

 このほか、前にも述べたように、地区の市民菜園も重要な食糧供給源となっていた。全国で200万人から300万人がこの恩恵を受け、一人当たり一日約1000カロリーほどをそこから得ていた。

 家庭収入についても同様である。94年の全国調査では、食費は一人当たりおよそ60ペソ。夫婦と子ども二人の核家族では240ペソであった。これに家賃や衣類などその他の経費を入れるとI家庭の必要経費は平均500ペソ。平均賃金は200ペソであるから300ペソの不足であり、家計は火の車ということになる。

 しかし、キューバでは共働きが一般的であり、ダブル・インカムである。住宅不足のために親子3代が同居しているという家庭も多い。革命後、結婚年齢が低下し、17歳から18歳くらいで結婚するケースが増えているため、祖父母、夫婦、子どもの3世代が働いているという例も少なくない。因みに1995年には1世帯あたりの家族数は1人から3人が54・7%、4人から5人が32・9%、6人から9人が11・1%であった。

 このように考えると、最も生活が苦しいのは母子家庭や年金生活者ということになる。一般的にはその通りである。しかし、これらの人々がどのような暮らし方をしているのかはそれぞれの家庭によって異なる。家族が少ないケースも「同居人」、つまり、パートナーと暮らしていることもある。

経済自由化が生み出す「貧困・所得格差・不正の横行」

 ソ連解体後の経済危機のもとで、貧困層が増え、1996年には「危機家庭」、すなわち、何らかの最低限の必要を満たせない貧困家庭がハバナ市では11・5%、全国の都市の平均では14・7%に上った。かなり高い貧困率である。

 ただし、キューバではどんなに山奥に住んでいても、望めば大学まで無償で進学でき、交通の不便な地域に住んでいる子どもたちのためには寄宿舎も完備している。また、病気になれば無料で医者にかかれる。貧しい老人は地区のセンターで無償の給食を受けられる。他のラテンアメリカ諸国の貧困率とは単純に比較できない面もある。

 「経済自由化」は所得格差を拡大させた。

 キューバでは「大金もち」はいない。「小金もち」と言えば、まず外国からドル送金のある者や恒常的にドル収入を得られる観光業の従事者などであろう。公定レートは1ドル=1ペソであるが、94年半ばには実勢レートは1ドル=170ペソに達していた。ほぼ平均月収にあたる。その後、徐々に低下し、2000年代には1ドル=24ペソにまで低下したが、それでもドルを持つ者の強みは変わらない。

 このほかに、農産物の自由市場に出荷する小農民や協同組合農場メンバー、パラダールと呼ばれるレストランやタクシーの運転手や外国人への「民泊」などの個人営業者も小金もちである。

 さらに、国営企業でも経営状態がよければ報奨金が与えられるため、黒字企業と赤字企業との格差がある。外国企業の従業員も賃金は政府の雇用機関からペソで支払われるが、ドルでボーナスが出れば生活は楽になる。

 これに対し、政府は賃金を引き上げ続け、2000年代には平均400ペソにまで上がったが、それでも追いつかない。

 「経済自由化」が進むとともに自由化を利用した不正も広がっている。

 卸売市場が自由化されていないため、個人営業者は食材その他の材料・資材を自由市場から調達しなければならない。しかし、価格は高く、入手できる量も限られるため、盗品と知りつつ闇で買ったり、賄賂を使って工場から密かに持ち出してもらったりする……。

 かつてキューバでは泥棒はほとんど見られなかったが、徐々に増えている。

 盗品や横流し物資を買うのは個人営業者だけではない。たばこや酒などは価格が引き上げられたものの、ごく最近まで平等に配給切符が配布されてきた。そのため、たばこを吸わない家庭や酒を飲まない家庭では、闇で販売し、収入を得る。また、盗品と知りつつ、背に腹は代えられないと食料や衣類などを購入する家庭も少なくない。

 個人営業の業種は政府によって決められていたが、密かに外国人を泊めて下宿代を稼ぐ家庭、自宅でキャバレーを開いたり、ポルノ雑誌やビデオ、海賊版のDVDを販売する者など、不正行為が広がった。数は少ないが、麻薬取引をする者も出た。外国人向けホテルのロビーではヒネテーラと呼ばれる女性が外国人旅行客と談笑する姿が目立つ。恋愛の名を借りた売春である。

 「頭脳流出」も深刻になった。高収入の得られる観光業や個人営業に多くの技術者や専門職などが流出し始めた。観光ガイドには外国語の堪能な元教員、医師、大学教授、コンピューター技術者等々、高学歴者が多い。1993年には1万4000人の教員・大学教授が職場を去ったとされている(カストロ第一書記の第5回党大会基調報告)。望む職業ではないが、高収入の魅力には勝てない。農業も同じであり、小農民のなかには元大学教授もいる。

 観光業主導の経済発展構造は21世紀に入っても変わらず、学歴と職業のミスマッチは相変わらず続いている。経済危機のために学歴に相応しい職業は限られ、良い職につける可能性がなければ勉強しても意味がない。こうして学習意欲の低下、大学進学率の減少、教員の不足や質の低下など、教育立国キューバの一角が綻び始めた。

 腐敗や不正の横行や社会の衰退は、物資不足のもとで部分的な経済自由化が進められた結果であった。経済が活性化すればいずれ問題は解決すると見られたが、実際には生産も生産効率も上がらず、物資不足↓不正の横行↓経済情勢の一層の悪化という悪循環が続いた。

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食事の空間から「コミュニケーションの空間」へ Yahoo! JAPAN 社員食堂のあるべき姿

が運用しているSNSは、Facebook、Twitter、Instagram、Google+の4つ。それとは別にYahoo! JAPANコーポレートブログでも情報を発信している。これら公式SNSの運営を任されているのが中野晶子さんで、現在は2人体制で仕事をしている。「4つのSNSの中で、タイミングを見て、それぞれのアカウントに適した表現で情報を発信するようにしています」という中野さんは、ずっとこの業務を担当していたわけではない。Yahoo! JAPANに入社する前は新聞社におり、そこで編集や執筆のスキルを磨いてきた。中野さんが入社したのは、ューザーの声を直接聞きたくなったからだという。

  「新聞の影響力は大きく、とてもやりがいのある仕事でしたが、もっと読者からの反応をヴィヴィッドに感じてみたい、という気持ちがありました。インターネットならそれが可能なのではないかと、Yahoo! JAPANに転職しました。最初の部署はYahoo!セカンドライフというサーピスでした。リタイアした方々のセカンドライフを応援するサービスで、どうやったらシニア層の方にもっとインターネットに親しんでもらえるかを模索していました」

 その後は、Yahoo!映画の編集を経て卜ップページの編集部へ移った。

  「トップページの部署で、主にスマートフォンのトップページの編集デスクをしていました。トップページのメインコンテンツはYahoo!ニューストピックスです。しかし、地震などの緊急事態の際、通常の卜ピックス欄でのコミュニケーションのみでは、緊急事態であることをューザーに伝えきれません。非常時であることをすぐに分かってもらうために、ページ上部にイレギュラーで災害の最新情報を掲出する対応などをしていました」

 Yahoo! JAPANのトップページはかなり洗練されており、誰にでもわかりやすいように作られている。しかし、地震などが起こった場合、そのニュースが埋もれてしまっては意味がない。そうした緊急情報も、わかりやすく目につくように工夫がされている。

  「Yahoo! JAPANのトップページ、イコールYahoo!トピックスでしょ、といわれることも多いのですが、トピックスだけでは実現しにくいコミュニケーションをトップページの編集部ではやっていました。地震や台風、大雪などの災害時はもちろん、オリンピックなどの大きなイベント時など、ューザーの関心事が高いと判断したものは、トップページで発信、演出するようにしていました」

 3年ほどトップページの編集業務をこなした後、今の部署に移った。

  「大きなミッションを担うトップページでの業務にはとても満足していたのですが、3年という区切りを前に、新しいことにチャレンジしたいと思い始めました。ユーザーコミュニケーションをもう少し突き詰めてみたいな、と。トップページ上で発信することもコミュニケーションだとは思いますが、また違った形もあるのではないかと、それに挑戦したくなったんです」

 小回りの利くSNSで会社と従業員に貢献する

  中野さんは、トップページでのコミュニケーションは「私のキャパシティーでは限られていた」と謙遜するが、たしかに企業の顔ともいうべきトップページで、自由度は限定されるだろう。SNSであれば、ある程度の自由は確保できる。しかし、だからといって自由が過ぎれば、炎上を招く恐れもあり、Yahoo! JAPANのような有名企業であれば、その拡散も早い。

   「今まで、あえて人格を持たないという指針でアカウントを運用してきました。Yahoo! JAPAN はお年寄りからお子さんまで、男女問わず多くのューザーのみなさんに使っていただいているサーピスなので、誰にとっても課題解決になるような情報を、誰にとっても受け入れられやすいトーンで発信する必要があります。今の段階では人格を出す運用はなじみにくいかなと思っていますが、チームでは定期的に方針を見直し、よりよいコミュニケーションを模索しています」

  SNSの有用性は、そのスピードにある。面白い記事、役に立つ記事であれば、その拡散スピードは、トップページより早い場合も。また、SNSならではの利便性もある。「ブログやSNSは、比較的小回りが利きやすいコミュニケーション手段です。サービスのプロモーションや会社のプランディングで、スピード感を求められたり、予算が回らなかったりする場面が出てくると思いますが、そういうところを私たちがすくっていって、会社に貢献していきたい。また、働いている人の顔が見えにくい会社と言われることがたまにあるので、従業員の姿も積極的に紹介していきたいな、と。Yahoo! JAPANが提供しているサービス上では伝えきれない、Yahoo! JAPAN という会社のブランドを発信していくことも、私たちの役目なのではないかと思っています」
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