『アラー世代』より
若者がイスラム原理主義の過激派になるのは、イデオロギーに飛びつくからであると私たちは確認してきた。彼らはごく幼い頃からすでに、はっきりとあるいはぼんやりと、そうしたイデオロギーの核心に触れていたのだった。だが若者が過激化する原因は、ドイツのイスラム教モスクの団体の大半が新しい世代とその要求に応えるのを怠ってきたためでもある。
従来これらの団体は自分たちの信者のことを知っていた。彼らは「外国人労働者」の第一世代、あるいは第二世代だった。彼らはドイツ語を話せないままドイツにやって来て、生活も考え方も祖国の伝統に則っていた。いまもなお、多くのモスクでトルコ語かアラビア語で説教がおこなわれるのは、対象がこうした旧来のグループだからだ。
しかし第三世代の若者にとってはどうだろう? 彼らはドイツで生まれ、ドイツ語を話す。もしかするとトルコ語あるいはアラビア語はほとんどできないのかもしれない。彼らの願いや不安や観念は、学校やメディアや現在の社会的・政治的出来事や昨今の世界紛争によって強い影響を受けている。両親にモスクに連れて行かれれば、彼らはただあくびをするしかない。モスクになんの関心もないか、あるいはイマームの話がほとんど理解できないのだ。他方で、ドイツで説教するイマームは、ドイツでの生活は数年足らずというのがほとんどだ。彼らはドイツ語に通じておらず、若者の世界について、若者が頭を悩ませる問題について、ごくごく大まかな知識しかもちあわせていない。そんな説教者がドイツの若いムスリムにはたらきかけられるだろうか? --ありえない。
このようにして、まさしく宗教上の需給ギャップが生まれた。サラフィストはそのギャップを見つけ、きわめて巧妙に入り込んだのだ。サラフィストはドイツ語だけでなく、若者言葉も話す。彼らはより優れたソーシャルワーカーだと言わざるをえない。彼らは若者がいるところに出向く。青少年センターヘ、ゲームセンターの前へ出向いていく。そこには、まさに最後のもち金をすってやけになっている少年がいる。あるいは公園や広場で待ちかまえる。そこでは若者が酒を飲み、ドラッグをやっている。あるいは少年たちが賞賛を求めてボールを追うサッカー場でも待ちかまえる。サラフィストは、若者たちが入り浸り、退屈して、いらいらしながら時間をもてあましている場所で待ちかまえる。
サラフィストはケバブのスタンドやバス停で若者と出会う。彼らは家の呼鈴を鳴らして、若者にやさしくたずねる。「金曜日の夜なのに、どうして礼拝に来ないんだい?」。家族の祝い事にサラフィストがやって来て、そこではじめて彼らと話す若者も少なくはない。サラフィストは布教にたいへん真面目で、自分たちの計画を情熱的に推し進める。
サラフィストといえば、一見してそれとわかるような異質な人たちのように考えてしまう。だが、それは錯覚だ。彼らはとくに目立つこともなく、私たちのごく身近で生活している可能性がある。彼らが若者に話しかけるとき、「さあおいで、君たちもサラフィストになろう」などとは言わない。もっと器用で慎重なやり方をする。彼らは連帯感や親近感を作り出す。「やあ、元気? 友達とはうまくいってる? サッカーはどうだった? お兄さんたちとのゴタゴタはどうなの? 卒業したら仕事を探すつもりかい?」。声をかけられた若者がいやな体験や不安を嘆いたりすれば、サラフィストはすぐに味方になったり、火に油を注いだりする。「たしかにね。この国は本当に人種差別をするよ。君は何を期待していたんだ? 君の髪は黒く、ムスリムだ。ここでは仕事を見つけられないだろうし、社会にもけっして受け入れられないよ」。サラフィストはあらゆる身振り手振りに言葉を尽くして、「私たちは君の抱える問題を理解している」ことをはっきりわからせる。しばらくしてから、若者たちに「君たちを信頼しているから言うんだ」と打ち明ける。「私たちのところに来れば、宗教を見出せば、君は受け入れられるし救われるんだよ」。サラフィストはおきまりの主題をふたたび取り上げる。「この社会を見てごらん。ただ物質的なことばかりに向かっている--どれほど病んでいることか。人々は沈んでいて、目的もなくあくせくはたらくのに、その賃金だけでは生活できないなんて。イスラム教ではすべてが完全無欠で、光に満ちているんだ!」。つまり別の世界の可能性がある、というわけだ。けっして押しつけがましくなく、つねに粘り強く、彼らは若者・に自分たちの提案を語りかける。やさしく親しげに、そして思いやりがある話に、ときおりイスラム教の恩恵についての短いコメントや助言が加わる。なかには少年たちといっしょにサッカーをする者もいる。「君たちが勝ったら、みんなに飲み物をおごるよ。私たちが勝ったら、一度いっしょにモスクに来て、礼拝をしよう」
ただし、激しい調子で不安や憎しみを煽るビラが校門の前で配られている光景にも出くわすこともある。そこにはコーランから数行が引用されている。「『なぜおまえたちは地獄に堕ちたのか?』。あなたたちは言う。『私たちは祈りを捧げる者とともにいなかったのです』」。ビラには黒をバックに「地獄」、「祈り」、「いなかった」が赤で強調され、悪しきムスリムを脅すような無数の場面が描かれている。
興味本位に、あるいはひまつぶしに、実際にモスクに足を運び、一度か二度礼拝をした若者は、自分を少し誇らしく思うのかもしれない。彼らはともかくよいことをしたのだから。二度目に行くと、今度は礼拝だけでなく、話を聞かないかと誘われる。そんなに長い時間はかからず、おそらく十分か十二分程度だ。そのときにはもう本題に入り込んでいる。
三度目に若者が連れて行かれると、話はいくぶん長くなる。ムスリムが強くて輝かしい力をもっていた時代が物語られる。そして今度は、死後の世界もきらめく色彩で描き出される。しかし突然不安を呼び起こすテーマ、とりわけ死、また死後の問題が語られる。「血のなかにアルコールがあるまま死んだらどうなるだろう? 無実をあかす前に死んでしまったら、何が起こるだろう? 結婚する前に女の子と寝てしまったら、何か君を脅かすだろう?」。若者は耳をそばだてて聞く。
ところが、その後すぐに聞かされるのは、ふたたびコーランの美しく幻想に満ちた物語である。よきアラーについての物語だ。とりわけ若者の憧憬に訴えかけ、ロマンチックな雰囲気がっくりあげられ、若者はひたすら感激してその雰囲気に身をゆだねたくなる。たとえば、信者に対するムハンマドの愛が語られると、願望に火がつけられる。このように愛されたい、完全に、献身によって! それは、ある人たちにとって父や母からは受けたことのない愛である。
しだいにサラフィズムが若者にとって、いまの苦境からの最後の逃げ道のように思われてくる。サラフィズムは僻病、薬物中毒、アルコール依存を癒し、退屈やゲーム中毒から救い、両親の家から解放すると約束する。これらすべてを若者は心から信じたいと思う。サラフィストが少年刑務所の前に立って、たったいま出所して自由を実感している若者を待ちかまえていることがある。あるサラフィストはさっきまで受刑者だった者に話しかける。「よう、兄弟、こんなところでもう二度と会いたくないね。おいでよ、助けてやるよ。仕事を探してやるよ。面倒見るよ。ともかくこんなところには二度と足を踏み入れてはダメだ」。心を打たれた若者はさらに二、三冊の小冊子を手渡され、電話番号を交換する。出所したときに両腕を広げて出迎え、支援を約束してくれた人を頼ることになる若者もめずらしくはない。
若者がイスラム原理主義の過激派になるのは、イデオロギーに飛びつくからであると私たちは確認してきた。彼らはごく幼い頃からすでに、はっきりとあるいはぼんやりと、そうしたイデオロギーの核心に触れていたのだった。だが若者が過激化する原因は、ドイツのイスラム教モスクの団体の大半が新しい世代とその要求に応えるのを怠ってきたためでもある。
従来これらの団体は自分たちの信者のことを知っていた。彼らは「外国人労働者」の第一世代、あるいは第二世代だった。彼らはドイツ語を話せないままドイツにやって来て、生活も考え方も祖国の伝統に則っていた。いまもなお、多くのモスクでトルコ語かアラビア語で説教がおこなわれるのは、対象がこうした旧来のグループだからだ。
しかし第三世代の若者にとってはどうだろう? 彼らはドイツで生まれ、ドイツ語を話す。もしかするとトルコ語あるいはアラビア語はほとんどできないのかもしれない。彼らの願いや不安や観念は、学校やメディアや現在の社会的・政治的出来事や昨今の世界紛争によって強い影響を受けている。両親にモスクに連れて行かれれば、彼らはただあくびをするしかない。モスクになんの関心もないか、あるいはイマームの話がほとんど理解できないのだ。他方で、ドイツで説教するイマームは、ドイツでの生活は数年足らずというのがほとんどだ。彼らはドイツ語に通じておらず、若者の世界について、若者が頭を悩ませる問題について、ごくごく大まかな知識しかもちあわせていない。そんな説教者がドイツの若いムスリムにはたらきかけられるだろうか? --ありえない。
このようにして、まさしく宗教上の需給ギャップが生まれた。サラフィストはそのギャップを見つけ、きわめて巧妙に入り込んだのだ。サラフィストはドイツ語だけでなく、若者言葉も話す。彼らはより優れたソーシャルワーカーだと言わざるをえない。彼らは若者がいるところに出向く。青少年センターヘ、ゲームセンターの前へ出向いていく。そこには、まさに最後のもち金をすってやけになっている少年がいる。あるいは公園や広場で待ちかまえる。そこでは若者が酒を飲み、ドラッグをやっている。あるいは少年たちが賞賛を求めてボールを追うサッカー場でも待ちかまえる。サラフィストは、若者たちが入り浸り、退屈して、いらいらしながら時間をもてあましている場所で待ちかまえる。
サラフィストはケバブのスタンドやバス停で若者と出会う。彼らは家の呼鈴を鳴らして、若者にやさしくたずねる。「金曜日の夜なのに、どうして礼拝に来ないんだい?」。家族の祝い事にサラフィストがやって来て、そこではじめて彼らと話す若者も少なくはない。サラフィストは布教にたいへん真面目で、自分たちの計画を情熱的に推し進める。
サラフィストといえば、一見してそれとわかるような異質な人たちのように考えてしまう。だが、それは錯覚だ。彼らはとくに目立つこともなく、私たちのごく身近で生活している可能性がある。彼らが若者に話しかけるとき、「さあおいで、君たちもサラフィストになろう」などとは言わない。もっと器用で慎重なやり方をする。彼らは連帯感や親近感を作り出す。「やあ、元気? 友達とはうまくいってる? サッカーはどうだった? お兄さんたちとのゴタゴタはどうなの? 卒業したら仕事を探すつもりかい?」。声をかけられた若者がいやな体験や不安を嘆いたりすれば、サラフィストはすぐに味方になったり、火に油を注いだりする。「たしかにね。この国は本当に人種差別をするよ。君は何を期待していたんだ? 君の髪は黒く、ムスリムだ。ここでは仕事を見つけられないだろうし、社会にもけっして受け入れられないよ」。サラフィストはあらゆる身振り手振りに言葉を尽くして、「私たちは君の抱える問題を理解している」ことをはっきりわからせる。しばらくしてから、若者たちに「君たちを信頼しているから言うんだ」と打ち明ける。「私たちのところに来れば、宗教を見出せば、君は受け入れられるし救われるんだよ」。サラフィストはおきまりの主題をふたたび取り上げる。「この社会を見てごらん。ただ物質的なことばかりに向かっている--どれほど病んでいることか。人々は沈んでいて、目的もなくあくせくはたらくのに、その賃金だけでは生活できないなんて。イスラム教ではすべてが完全無欠で、光に満ちているんだ!」。つまり別の世界の可能性がある、というわけだ。けっして押しつけがましくなく、つねに粘り強く、彼らは若者・に自分たちの提案を語りかける。やさしく親しげに、そして思いやりがある話に、ときおりイスラム教の恩恵についての短いコメントや助言が加わる。なかには少年たちといっしょにサッカーをする者もいる。「君たちが勝ったら、みんなに飲み物をおごるよ。私たちが勝ったら、一度いっしょにモスクに来て、礼拝をしよう」
ただし、激しい調子で不安や憎しみを煽るビラが校門の前で配られている光景にも出くわすこともある。そこにはコーランから数行が引用されている。「『なぜおまえたちは地獄に堕ちたのか?』。あなたたちは言う。『私たちは祈りを捧げる者とともにいなかったのです』」。ビラには黒をバックに「地獄」、「祈り」、「いなかった」が赤で強調され、悪しきムスリムを脅すような無数の場面が描かれている。
興味本位に、あるいはひまつぶしに、実際にモスクに足を運び、一度か二度礼拝をした若者は、自分を少し誇らしく思うのかもしれない。彼らはともかくよいことをしたのだから。二度目に行くと、今度は礼拝だけでなく、話を聞かないかと誘われる。そんなに長い時間はかからず、おそらく十分か十二分程度だ。そのときにはもう本題に入り込んでいる。
三度目に若者が連れて行かれると、話はいくぶん長くなる。ムスリムが強くて輝かしい力をもっていた時代が物語られる。そして今度は、死後の世界もきらめく色彩で描き出される。しかし突然不安を呼び起こすテーマ、とりわけ死、また死後の問題が語られる。「血のなかにアルコールがあるまま死んだらどうなるだろう? 無実をあかす前に死んでしまったら、何が起こるだろう? 結婚する前に女の子と寝てしまったら、何か君を脅かすだろう?」。若者は耳をそばだてて聞く。
ところが、その後すぐに聞かされるのは、ふたたびコーランの美しく幻想に満ちた物語である。よきアラーについての物語だ。とりわけ若者の憧憬に訴えかけ、ロマンチックな雰囲気がっくりあげられ、若者はひたすら感激してその雰囲気に身をゆだねたくなる。たとえば、信者に対するムハンマドの愛が語られると、願望に火がつけられる。このように愛されたい、完全に、献身によって! それは、ある人たちにとって父や母からは受けたことのない愛である。
しだいにサラフィズムが若者にとって、いまの苦境からの最後の逃げ道のように思われてくる。サラフィズムは僻病、薬物中毒、アルコール依存を癒し、退屈やゲーム中毒から救い、両親の家から解放すると約束する。これらすべてを若者は心から信じたいと思う。サラフィストが少年刑務所の前に立って、たったいま出所して自由を実感している若者を待ちかまえていることがある。あるサラフィストはさっきまで受刑者だった者に話しかける。「よう、兄弟、こんなところでもう二度と会いたくないね。おいでよ、助けてやるよ。仕事を探してやるよ。面倒見るよ。ともかくこんなところには二度と足を踏み入れてはダメだ」。心を打たれた若者はさらに二、三冊の小冊子を手渡され、電話番号を交換する。出所したときに両腕を広げて出迎え、支援を約束してくれた人を頼ることになる若者もめずらしくはない。