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社会主義の性質から見える資本主義の限界?

『高校生からわかる社会科学の基礎知識』より 社会主義の性質から見える

資本主義とイノベーション

 資本主義の変革について、オーストリアの経済学者シュンペーターは「創造的破壊」の必要性を唱えました。創造的破壊とは、時代遅れの企業や競合に負けた企業、古い技術、非効率的な流通体制などがつぎつぎと刷新され、そのたびに著しい成長が目標となり、新しい成長パターンが描かれることです。要するに、創造的破壊とは資本主義経済の新陳代謝のようなものです。

 刷新(=イノベーション)とは、経済主体が単に商品を改善するというより、商品そのものや、それをつくり出している資源や生産組織といった要素を、新たな結合や革新的な手法によってコ耕することです。たとえば、企業が有線の固定電話機を洗練させても社会は大して変わりませんが、無線の携帯電話という革新的な機器が生まれることで社会は大きく変わります。

 このようなイノベーションには倒産や失業を伴います。倒産や失業というと、どうしても否定的に見られがちですが、倒産する企業は時代遅れの企業だったり、補助金漬けの企業だったりします。イノベーションには、市場からそのような非効率な組織や技術を取り除くとともに新たな市場をつくり出し、資本主義的発展を推し進めるという利点もあります。この創造と破壊の繰り返しによって資本主義社会は豊かになるのです。

経済成長を鈍らせる懸念材料

 しかし、シュンペーターは資本主義に新陳代謝を見出す一方で、資本主義の末路も示しました。シュンペーターによれば資本主義が発達すると、競合に優位で成功を収めてきた大企業ばかりが生き残りますが、それによって企業は起業家精神を失った官僚的な組織と化してしまうといいます。

 シュンペーターの論説はおもに人間と企業の性質に踏み込んだものですが、一方で資本主義の限界の要因は限られた天然資源にあるという声もあります。

 というのも、二〇世紀後半までの資本主義の歴史では、先進国が途上国から安い原料を買い、それを加工・販売して利潤を蓄えてきました。しかし、原料価格は長期的には全体のインフレとともに上昇基調にあるように見えます。

 近代人は豊かさを人為的につくり出せるようになりましたが、それは安い天然資源の存在を前提としています。したがって、天然資源の供給力が人口の拡大に追いつかなくなったり、採掘コストが割に合わなくなってきたりすると、資本主義社会は変革を迫られるでしょう。

経済成長の余地

 とくに現代では新興国の台頭もあって、フロンティア(=開拓の余地を大きく秘めた地域)は少なくなっており、先進国の経済は政府が様々な政策を発しても、かつてほどの上昇カーブを描けていません。そもそも、物資やインフラがすでに行きわたっている国と、そうではない国とでは、後者が経済成長にとって有利なのは当然なのかもしれません。

 また重要なのは、地球の資源は土地も含めて限られているということです。一五世紀後半の大航海時代以降、帝国主義、冷戦後のグローバル化、インターネットなどによって、それぞれの時代の人々は活動するエリアを絶えず広げ、さらに資本主義や株式会社といったシステムを生み出して収益を大きくしてきました。

 しかし、地球の資源は土地も含めて限られているとなると、途上国と呼ばれている国がすべて発展を終えたとき、人類はそれ以降も経済成長を望めるのかという問題に突き当たることが推測されるのです。

第三次産業がもたらす可能性

 この点、たとえばアメリカは製造業での優位性を失っていった一方で、金融業やIT産業、さらに不動産市場を活性化させて経済を成長させてきました。なぜなら経済成長に伴って労働者の賃金は上がりますが、企業経営は賃金が安い方が有利なので、単純作業が多い製造業の工場は賃金の安い途上国に生産拠点を移してしまうからです。

 そこで工場が減っている国家では第三次産業が発達します。このことによって先進国の労働者は、製造現場の衰退や業務の効率化(=IT化や自動化)の影響を受けない人ほど高い賃金が得られ、そうではない人ほど賃金が下がるといわれています。一方でグローバル化とともに途上国の労働者の賃金は改善されるため、国内(先進国)の労働者の間では賃金格差が広がるとしても、先進国と途上国の間での賃金格差は縮まるといわれています。かつて欧米列強は途上地域を搾取しましたが、現代の一部の途上国では先進国の企業が相次いで進出していることもあって現地民の待遇が改善されつつあるのです。

企業救済の是非

 アメリカで第三次産業が発達すると、金融市場と不動産市場は半ばバブル状態に陥り、二〇〇八年のリーマンショツクを機にバブルは弾け世界中にダメージを与えました。

 ここで難しいのが、危機に瀕している金融機関を政府が救済することの是非です。一般に企業が自らの行為によって大きな損害を被った場合、資本主義ではその企業が自ら責任をとることが筋です。しかし、それを金融機関にも当てはめると、破綻した場合に混乱が広がってしまいます。これは場合によっては金融業以外の大企業にもいえることです。そのため企業が経営危機に瀕した場合、政府から救済されるケースと、そうではないケースが出てくるのです。

 その対応が政府の決議や裁量によって分かれることは不公平でもあるため、被救済企業の幹部の報酬を含めて、かなりの論争を伴います。この処置については後世から見て的確だったといえる判断を緊急時に下すのはきわめて難しいといえるでしょう。

 世界恐慌やリーマンショックに見られるように、資本主義下での秩序維持も、そう簡単ではないことは確かなようです。
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各国企業の会議

『会議の9割はムダ』より 世界のトップ企業の実情

インド企業の会議

 インド企業といっても、筆者がアクセスできたのは、バンガロールのホワイト・シティやエレクトリックーフィールズといったITクラスター地域に拠点をおく限られた企業であり、そこに存在するのはことごとくグローバルIT企業である。

 つまりこれらは上記の〝グローバルIT企業〟とまったく同じであると考えていい。しかもインド人の場合は言語や環境にまったく障害がないため、欧米とインドを頻繁に行き来しており、カルチャーもきわめて似通っている。

 インドのITクラスターは、厳格なセキュリティのゲートを通らないと入れず、完全に周囲とは隔離されている。したがって、現地の企業群はこれら企業と大きく異なっている可能性も否定できない。しかしインドのIT企業は現地の下請けを多用しており、それら下請けに対して自社内と同様の管理を要求する。筆者が会議観察できた現地下請け企業も、会議は十分に的確かつ厳格に行われていた。

 グローバル化、あるいは英米化の傾向は、インドと同様に植民地統治の影響を受けたシンガポール、香港、マレーシアなどにも共通してみられる。インドネシアはイスラム教の民族系が政治・軍事的な影響力を確立したが、経済においてはキリスト教の華人財閥ネットワークが支配しており、そこではリーダー主導型のグローバル企業と同様の会議運営形態が一般的である。

中国企業の会議

 中国の経済もインドと同様にグローバリゼーションにおいて発展した。インドがIT系であるのに対して、中国は製造系という違いはあるが、そこでもグローバル企業のプレゼンスは非常に大きい。そしてインドの現地下請けと同様に、製造の下請け企業もグローバル企業の管理基準に準拠している傾向が強い。

 日本企業が、現地企業の管理には自社と同等に近いレペルを要求し、管理がいい加減な企業とは取引をしないのと同じである。したがって、現地の各企業の会議においても、厳格な管理志向の傾向がみられる。グローバリゼーションの会議基準が、中国の地方都市にまで浸透しているという印象である。

 それではグローバル企業と取引のない、沿岸都市以外の、内陸のドメスティックな企業ではどうであろうか。中国の企業は、外資系やベンチャー系企業と旧来の国営企業の二つに大きく分類される。筆者らは四川省成都市の経済局(日本の経産省に相当)の協力を得て、2004年に国内国営企業の会議を調査したことがある。

 結論としては、会議の準備、計画、その管理はかなり厳格に行われていたことに非常に驚かされた。優良企業のみが当局に紹介された可能性を差し引いても、しつこく質問を重ねた結果、的確な管理体制は全般的に定着しているという印象を得た。

 それは共産党の時代から、各企業、各個人の責任を明確に設定し管理するという経営手法が一般化しているからということであった。各個の責任と役割が明確であるため、それらをすりあわせるインターフェース(規定や決まりなど)も明示されることになる。責任が明確になっていると、緊張感が増し、必要なことを確実に行うという観点からは好ましい影響が生まれるのである。

 そのような見える化の努力が、会議を含めて歴史的に追求されてきており、それがグローバル企業の管理基準を受け入れるのに十分な土壌として備わっていたと考えられる。

北欧企業の会議

 北欧企業の違いを際立たせるために、その紹介の前にまず、世界的な一般動向について確認しておく。ヨーロッパは元来、旧ソ連からの影響に対抗するために労働者の権利を尊重する社会民主主義的な文化が強い。筆者が客員研究員として駐在していたベルギーも社会民主主義的な政治体制をとっているが、それでもビジネス・スクールや企業のガバナンスは米国型のリーダーシップ重視である。

 米国型がグローバル型として世界を席巻するようになる中で、反米という感情も根強かったように思われるが、それでも米国型マネジメントが徐々に広まってきている。

 グローバル企業では、相互の人材移動が日本からは想像できないほど活発に行われている。欧米で生まれて教育を受けたインド人や中国人が母国に帰って活躍し、インドや中国の企業が欧米的な運営を取り入れるようになっているが、アフリカや中東、東南アジアも多かれ少なかれ、これに近い。

 グローバル型の会議とは、米国MBA型であるということができる。米国ビジネス・スクールは世界中に拡散しており、多くの非米国人の卒業生を生んでいる。フランスやスイスのビジネス・スクールがブランドを確立したのは、非英語圏で英語でのビジネス・スクールを展開したことが大きい。今やイタリアやスペインでさえも英語のみで講義を行うビジネス・スクールやデザイン・スクールが増えており、それらは米国MBA型の教育方針を採用している。

 ハーバード・ビジネス・スクールは誰にでも教育ができるようにできているケース教材と講義マニュアルをセットで世界中に輸出している。それは一言でいえば「リーダーシップ教育」である。

 つまり1人で全社の戦略に準拠した意思決定が現場で行え、それを部下に徹底する力をもったリーダーの育成である。そこで目指すものは個人の意思決定と執行管理であるため、原則、会議は重視されない。しかし、現場からの情報収集や全メンバーによる確認、実際に顔を合わせたうえでの指示・通達、そして特に全員の前で各メンバーがコミットメントを宣言するという管理では、会議が重要な役割を担う。

 前置きが長くなったが、世界で唯一、米国MBA型が一般化していないのが、日本を除けば北欧企業なのである。そこでは合意形成と参加意欲が重視された管理スタイルが追求されている。筆者らは北欧諸国に近いといわれるオランダを選択して、同国で取締役会の研究者と会議形態について6か月間にわたり調査分析を行った。どのようにして「合意形成と参画意欲」を形成しているのかを研究テーマとして約10社の取締役会などを分析した。

 そこから得られた結論は、合意形成というのは建前にすぎず、実態は権力、権限、権威によって力ずくで「合意」が形成されているという姿であった。全員参加の議論は形式的にのみ重視され踏襲されるが、議論が混乱すると必ずといっていいほどパワーをもつ者、声の大きい者が支配するという傾向が強いというのがわれわれの結論である。
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二一世紀の富国と強兵 金融化とグローバリゼーション

『富国と強兵』より 平和の経済的帰結 なぜ新自由主義は勝利し得たのか グローバリゼーションの帰結

長期停滞そして格差の拡大は、金融化とグローバリゼーションによって引き起こされた。それを示す分析結果は十分にある。そして、金融化とグローバリゼーションをもたらした要因についても、新自由主義というイデオロギーに帰する説や、金融階級の政治力に帰する説、アメリカの国際金融戦略に帰する説、あるいはこれらすべてを結びつける説など、数多くの議論がすでに提起されてきている。

これらの議論はいずれも傾聴に値するものではある。しかし、なぜ金融化とグローバリゼーション、そしてそれを支えるイデオロギーである新自由主義が、一九八〇年に前後してかくも急速に台頭し得たかについては、十分に説明されていない。

この問題を解く鍵となるのが、地政経済学の視点である。

金融化とグローバリゼーションの端緒となったのは、国際資本移動を規制したブレトン・ウッズ体制の崩壊であったが、アメリカがブレトン・ウッズ体制を破壊した背景には、ヴェトナム戦争による国際収支の悪化があった。また、一九六〇年代後半以降、西側諸国の経済力が拡大し、アメリカ経済の相対的地位が低下する一方で、冷戦の緊張緩和が進んでいたという地政経済学的変化も、アメリカがブレトン・ウッズ体制を維持する負担を放棄する要因となった。

さらに、ケインズ主義の失墜を決定づけた二九七〇年代のインフレもまた、ヴェトナム戦争を遠因としたブレトン・ウッズ体制の崩壊によるドル安、第四次中東戦争による第一次石油危機、そしてイラン革命による第二次石油危機という地政経済学的要因によるものであった。

経済社会システムには、小さな事件や偶然をきっかけにして初期の軌道が決まると、自己強化メカニズムが作動し、その軌道が固定化し、増幅するという「経路依存性」がある。戦後の世界経済体制もまた、ヴェトナム戦争などの地政学的衝撃を契機にブレトンーウッズ体制が崩れ、ワシントン・コンセンサス体制へと転換すると、金融化とグローバリゼーションの自己強化メカニズムが作動したのである。こうして、資本主義の不安定性はその変動幅を増幅し、格差は拡大する一方となり、ウォール街・財務省複合体はますます強固になり、新自由主義のイデオロギーは人々の頭に一層強く固着していった。

また、オフショアリングは先進国の雇用の流出や賃金抑圧を促進する要因の一つとなったが、このオフショアリングを可能にした情報技術は、元々はアメリカの軍事技術から派生したものである。ここでもまた経済と戦争との関係を確認できる。

さらに、一九九〇年代以降、新興国、とりわけ中国がグローバル経済に本格的に統合されると、グローバリゼーションがいっそう進展し、労働者の経済的地位の悪化や格差の拡大を招いたが、この一九九〇年代以降のグローバリゼーションも、東西冷戦の終結によって引き起こされたものであった。

ピケティは二度の世界大戦が格差の縮小をもたらしたと論じたが、この東西冷戦という特異な地政学的環境もまた、無視できない要因である。

欧米諸国の資本主義における格差は、ロシア革命が起きた一九一七年あたりから、縮小の傾向を見せ始めており、東西冷戦の緊張が高まった二九五〇年代から六〇年代にかけては、歴史的に平等な資本主義社会が実現していた。社会主義が資本主義に代わる理想として登場し、一定の成功を収めていた間は、西側諸国においても労働者の地位が向上し、福祉国家が整えられていった。社会主義とのイデオロギー上の競合において、西側諸国が労働者の支持を得るべく出した対抗策が、福祉国家資本主義であったのだ。しかし、社会主義の失敗が明らかになり、その脅威が弱まっていくにつれ、西側先進諸国における福祉国家資本主義も後退し、格差の拡大が再び始まった。そして一九八九年にベルリンの壁が崩壊し、一九九一年にソ連が消滅すると、格差拡大の潮流は決定的となった。ソ連の軍事力の相対的な強さと、所得格差の大きさは逆相関の関係にあるのである。

マイケル・デッシュは、ヒンツェやジンメルの理論に依拠しつつ、冷戦の終結により、多民族国家が分裂するであろうと予想した。対外的な共通の敵の存在は、国内に集団の差異を超えた連帯を生み出し、社会的凝集性を高める。その逆も然りであり、ソ連という脅威が消滅したことで、多民族国家内で民族間の対立が先鋭化するのである。それと同様に、階級を越えた連帯感も弱まり、階級間の格差が拡大する。国際平和が皮肉にも国内の階級闘争を促すのである。

こうした国際政治環境の変化に加えて、戦争というものの性格の変化も、労働者の地位の低下を引き起こす大きな要因となったことも見逃してはならない。

これまでの議論において再三強調してきたように、大規模化した近代戦争、とりわけ二度の世界大戦における総力戦は、民主化や労働者の地位の向上の触媒として機能した。たとえば、人々は兵士として戦争へと動員されたことで平等意識を高め、戦後には政治参加の要求を強めたので、民主化が進んだ。また、総力戦は、その費用負担を国民全体で共有すべきであるという感情を強め、累進課税の導入を可能にした。国家は国民の戦時動員の見返りとして福祉の向上を約束し、それが社会保障の整備につながった。戦時中や終戦後の人手不足により、労働組合の交渉力が強まり、労働者の権利の保障や賃上げの要求が認められやすくなった。戦時中に拡大した国家財政は、「置換効果」や「民政化」によって、戦後の福祉国家への道を拓いた。

しかし、第二次世界大戦後、この総力戦という戦争形態が次第に廃れていった。軍事技術の高度化により兵力は職業軍人に依存するようになった上に、核兵器の登場によって大国間の大規模な総力戦が想定されにくくなったのである。総力戦への参加の見返りとして労働者の交渉力が強まったのであれば、総力戦の消滅は、当然の帰結として、交渉力を弱めることになる。核抑止力によって維持された平和は、労働者の地位の向上を妨げるように働くのである。

さらに一九九〇年代以降、安全保障の「市場化」によって、戦争と労働者との関係はより希薄になった。安全保障の「市場化」とは、国家が国軍ではなく、民間軍事会社への委託によって、戦争を遂行することを意味する。これは言わば、新自由主義が軍事分野にも及んだ結果である。一九九〇年代、民間軍事会社は、バルカン半島、ソマリア、ハイチ、コロンビア麻薬戦争におけるアメリカの介入の際に活用された。二〇〇三年のイラク戦争においては、動員された人員の一〇人に一人が民間軍事会社に雇われた民間人であった。

一般に、民間軍事会社への個別の委託契約は行政府によって行われるため、立法府の関与が薄くなり、民主的な透明性は下がる。戦争と国民の距離がより遠くなるのである。このため、政府は、国民に対して何ら譲歩や妥協をすることなく、より低いコストで軍事力を展開することができるようになる。これは、冷戦後のアメリカのグローバルな軍事戦略をより容易にしたが、その代わりに、かつての世界大戦とは異なり、戦争の人的な犠牲の補償として労働者の地位が向上するという機会も失われることとなった。

しかも最近では、アフガニスタンやイラク、あるいはシリアの戦闘において見られるように、無人機が多用されるようになっている。国民は、ますます戦争による人的な犠牲を強いられることが少なくなっているのである。

もっとも、戦争が国民に人的な犠牲を強いることは少なくなったとしても、財政的な負担は課されることになるはずである。ガブリエル・アルダンやチャールズ一ティリーが論じたように、近代国家は、戦争の資金調達のための課税と引き換えに、国民に参政権や労働者への権利付与を認めてきたという歴史がある。

しかし、たとえば、ジョージ・W・ブッシュ政権によるアフガニスタンやイラクにおける戦争の資金は、増税することなく調達されている。国債の発行がそれを可能としたのである。政府は、国債を発行して市場から資金を調達すれば、国民に税負担を求める必要はなくなり、したがって国民に対する妥協や譲歩も不要になる。

もちろん、国債の過度な発行は、インフレという形で国民の経済的負担を増やす可能性はある。しかし、新自由主義的なマクロ経済運営によって低インフレを維持しさえすれば、あるいは「長期停滞」下でインフレのおそれがない状況下においては、国民に何ら経済的負担を感じさせることなく国債を増発し、戦争資金を捻出することが可能となる。レーガン政権とジョージ・W・ブッシュ政権がやったことは、まさにこれであった。

今日の戦争は、人的動員の面においても、財政面においても、国民の監視や関心の届きにくいところで行い得るようになっている。かつては戦争を契機に民主化が進展したが、現在では、その戦争と民主政治の関係が著しく希薄化しているのである。

たとえば第14章において参照したように、シーダ・スコッチポルは、アメリカにおいては、二つの世界大戦を経て、政府の公共計画の拡大とともに、中間団体の規模と活動範囲も拡大し、市民社会の発展が促されたことを示した。しかし、そのスコッチポルが、二〇〇一年九月一一日の同時多発テロ以降の「テロとの戦争」においては、政府の公共計画の拡大や中間団体の公共活動の活発化といった現象がみられなかったと指摘している。当時のブッシュ政権は確かにアメリカ国民の連帯を呼びかけたが、実際には一般市民が公共活動に参画する機会は広げられず、むしろ富裕者層に対する減税が行なわれたのである。

スティーブン・ウォルトは、国際的なテロリズムという脅威は、国民の連帯を高めるのではなく、その逆であると指摘する。テロリズムは見えにくい脅威であり、国内にテロリストが潜んでいるという恐怖をかきたてる。このため、国民は国外ではなく国内に不安を感じ、隣人を信じることができなくなる。こうして、テロリズムは国内社会を分裂させる方向へと働くのである。アメリカ国内に広がるイスラム教徒に対する偏見はその典型であり、それを悪用して支持を集めようとするドナルド・トランプはその象徴である。「要するに、米ソ冷戦が国民の一体性を生み出す上で『完璧』な脅威であるならば、テロリズムはアメリカ合衆国のまとまりに対する、おそらく最悪のタイプの危険である。」国内社会が凝集性と連帯感を失えば、格差の是正に向けた経済政策が実行される可能性もほとんどなくなるであろう。テロが格差を拡大するのである。

こうして、かつての総力戦とは異なる二一世紀の「新しい戦争」は、民主化や労働者の地位の向上や格差の縮小とは何ら関係のないものと化した。金融階級による支配構造は、かつての世界大戦の時とは異なり、戦争による労働者階級の台頭によって脅かされることはもはやない。

ピケティは、二一世紀に入って著しく拡大した富の格差を是正するためには「ひたすら次の危機や次の大戦を待つしかないのだろうか?」と嘆息したが、それすらも楽観に聞こえる。二I世紀の戦争は、もはや格差を是正する機会を与えはしないのである。
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配置の方が自然な選択

企業のグローバル化

 グローバル化に対して、企業のグローバル化がない。国家に集中している。実態が見えにくいためか。9.3.1.4「新経済理論」に企業のグループ化を入れ込みます。

日本のグローバル化

 日本の今までと今後で2項目を使っている。最後までグローバル化しない国でしょう。

 グローバル化より、恐いのはポピュリズム(大衆迎合主義)です。グローバル化の反発として、自国の利益を優先する。知らない間に目の前のことから、それらの方向に行くと同時に、その先にあるものに気がつかない。それは全体主義です。大衆迎合にカリスマが出てくれば、全体主義です。

配置の方が自然な選択

 ハイアラキーよりも配置の方が自然です。何しろ、生まれてきた時にハイアラキーが決まっているよりも、対等の関係で配置に従って、生きていく。そして、そこから近傍を拡げていく。

 圏を作るところが人間関係なら、私にはできません。だから、内なる世界になるのでしょう。

ものをいう権利

 本を書くとか、コメントするのか、どのように権利があるのか。私のように別の世界に入らないとできないことです。そうでないと自分を維持できない。自分で行動するような振りをしているけど、私は行動しない。

 組織から役割を与えられたようなかたちで行動しているのはインチキです。組織にはそんな権利はない。好き嫌いでの行動の方がはるかに偉大だし、自分の枠を決めてもらっての行動は不当です。

独我論はモノを言わない

 「独我論で行く」という言葉には矛盾があります。ふつうに考えたら、哲学は皆、独我論になるでしょう。なのに、なぜ、哲学で独我論が言われないのか。独我論で考えると、他の人に言う必要がなくなる。他者の存在を信じていないし、承認を求めていない。

未唯が寄生すると奥さんの機嫌がいい

 年末年始に未唯+赤ちゃんが一週間、寄生(名の通り)していた。親子共々、寝転がって、TVを見ていた。元旦だけは実家に居たが、すぐに戻ってきた。ちなみに、元旦の朝食はお持ち二切れと、焼き豚の端切れ。

OCR化した本の感想

 『富国と強兵』 こういった偏った見方

  戦争というものの性格の変化も、労働者の地位の低下を引き起こす大きな要因となった。

  大規模化した近代戦争、とりわけ二度の世界大戦における総力戦は、民主化や労働者の地位の向上の触媒として機能した。たとえば、人々は兵士として戦争へと動員されたことで平等意識を高め、戦後には政治参加の要求を強めたので、民主化が進んだ。また、総力戦は、その費用負担を国民全体で共有すべきであるという感情を強め、累進課税の導入を可能にした。国家は国民の戦時動員の見返りとして福祉の向上を約束し、それが社会保障の整備につながった。戦時中や終戦後の人手不足により、労働組合の交渉力が強まり、労働者の権利の保障や賃上げの要求が認められやすくなった。戦時中に拡大した国家財政は、「置換効果」や「民政化」によって、戦後の福祉国家への道を拓いた。

  しかし、第二次世界大戦後、この総力戦という戦争形態が次第に廃れていった。軍事技術の高度化により兵力は職業軍人に依存するようになった上に、核兵器の登場によって大国間の大規模な総力戦が想定されにくくなったのである。総力戦への参加の見返りとして労働者の交渉力が強まったのであれば、総力戦の消滅は、当然の帰結として、交渉力を弱めることになる。核抑止力によって維持された平和は、労働者の地位の向上を妨げるように働くのである。

  さらに一九九〇年代以降、安全保障の「市場化」によって、戦争と労働者との関係はより希薄になった。安全保障の「市場化」とは、国家が国軍ではなく、民間軍事会社への委託によって、戦争を遂行することを意味する。これは言わば、新自由主義が軍事分野にも及んだ結果である。一九九〇年代、民間軍事会社は、バルカン半島、ソマリア、ハイチ、コロンビア麻薬戦争におけるアメリカの介入の際に活用された。二〇〇三年のイラク戦争においては、動員された人員の一〇人に一人が民間軍事会社に雇われた民間人であった。

 『会議の9割はムダ』 会議は何のためにあるのか

  ハイアラキーの元では会議は重要であったが、「配置」の世界では、合意形成からの行動が重要になる。ネットで十分である。上から与えられるものがない。

 『高校生からわかる社会科学の基礎知識』 次の世界が見たい

  資本主義の優位性よりも限界が見えてきている。経済成長ではなく、企業の世界から地域の活力を維持していくかに観点が変わっていく。超・資本主義、超・民主主義のカタチが見えてきてもいい時期になっている。
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