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なぜ、教育は集団でやるのか

部屋が寒くて、本が読めない

 部屋が寒すぎる。寝て、本を読むために腕を出していると、凍えてくる。

 部屋の暖房が欲しい。2011年の3月11日の数日前に部屋で小火を起こした。小さなストーブからニュージーランドの資料に点火した。偶々、ノブが居て、助かった。それが3.11につながったと思っている。

 それ以来、布団乾燥機だけで過ごしてきた。

本はどのように書かれているのか

 本は皆、自分の体験をまともに書いているのか。記憶があまりにも鮮明すぎる。ほとんど、創作だと思う。俘虜記にしても人の名前を覚えているはずないし、言葉が鮮明に出てくるはずがない。どこから持ってきているのか。それともイメージでビデオのように覚えているのか。これを蓄積というのでしょう。

俳句の本

 言葉として、俳句にすること。その裏に膨大な事実と風景がある。

宇宙人を探すために本を読む

 本の中に宇宙人を探している。そんな感じです。何を書いているのか。当たり前のことを当たり前に書いている人。それで飯を食っている風景が見える。そこから、書いているのが宇宙人「独我論者」を見つけたい。

 何故、哲学の本がいいか、数学の本がいいか。それは自分のことを書いているからです。

なぜ、教育は集団でやるのか

 効率的なんでしょう。優秀な先生が少ないからでしょうか。松下村塾の時代なら、そうかもしれない。1;nの関係です。本来、教育というのは、1:1もしくはn:1です。アリストテレスはアレキサンドロスの教育係になったように。

 家庭も教育と同様にしていったらどうか。それとも、教育を家庭と同様にしていくか。そこから変化が始まる。

教育を変えるために

 教育を変えていくために、「教育とは何か」から圏が得るために、教育原理をOCR化した。単なる理念だけだった。何故、学校で教育なんだろう。それで生涯学習までの連続性が保証されるのか。逆に、生涯学習が教室スタイルになっている。考えているのだろうか。

 皆に教えるとなると、どうしても同調性になってしまう。教える人が少ないから1:nになる。皆が皆に教えるようにすることが配置と循環の考えに沿っている。

今週の図書館の新刊書

 今週の図書館の本は合っていない。ロクでもない感じ。それでも、9冊をOCR対象にした。

OCR化した本の感想

 『図説 日本の都市問題』

  「サービス産業の拡大と就業問題」をピックアップした。次の時代の仕事はサービス業しかないと思っている。農業なども六次産業として位置づけられる。作っているだけでは仕事ではない。使われて初めて、仕事になる。その中にはメーカーも入る。

  その時に重要なのはお客様ひとりに対応する高度サービス化です。サービス自体に意味を持たせて、付加価値を明確にする。スタバはコーヒーを売るのではなく、空間とか時間を売っている。その時に重要なのはスタッフの意識です。

 『中東崩壊』

  石油の地政学では、あまりにも見え透いた、アメリカのシェール戦略です。結果として、ロシアの石油戦略を崩壊させたが、ロシアをあらぬ方向に導いてしまった。プーチンのえんめいに寄与するカタチになってしまった。併せて、アメリカ自体の環境意識をないがしろにした。

  主要国の光と影では、チュニジアを取り上げた。第3次ポエニ戦争でカルタゴがローマに消失された。その時の思いが、チュニジア革命の発火点になった焼身自殺と結びついている。この歴史の連サの結果がいかなるものになるか。

 『2017年アメリカ大転換で分裂する世界立ち上がる日本』

  この著者も本の装丁も好きにはなれない。あえて、アップしたのは、最期の「EU加盟国のなかから自由、平等、民主主義が壊れていく」と言葉のためです。自由、平等、民主主義、これがどのようになっていくのかが未唯空間の歴史編の主要テーマだから、参考としました。
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EU加盟国のなかから自由、平等、民主主義が壊れていく

『2017年アメリカ大転換で分裂する世界立ち上がる日本』より ⇒ 著者は仰々しい。「自由・平等、民主主義」を一纏めにしているところだけは合意できる。未唯空間と同じ。ただし、そしてどうなるかまで、未唯空間では述べている。超国家としてのEUでの実験から新しい社会が生み出される

「リベラル・ナショナリズム」という言葉をご存じだろうか。リベラル・ナショナリズムとは、「自由、民主主義、平等、さらにはマイノリティの保護のためにはナショナリズムが不可欠である」という考え方である。

たとえば、国内である程度の平等を追求するためには、累進課税などで高所得者層に負担を求め、社会福祉という分配政策を実施する必要がある。高所得者層が、税負担の増大と低所得者層への所得分配を受け入れるためには、「同じ国民だから」という同胞意識、仲間意識、連帯意識が不可欠だ。

現在のフランス国民などヨーロッパのネイティブな「国民」は、はたして国内のムスリムと連帯意識をもっているのだろうか。正直、とてもそうは思えない。

筆者は以前から、

 「中華人民共和国ではまともな社会保障は成り立たない」

と主張しているが、理由は同国には「ナショナリズム」がないためだ。

チベットやウイグルの人びとが、漢人の社会保障を負担することに納得するはずがない。それどころか、上海人が北京人の社会保障を負担することすら拒否するだろう。

中国人には「同族意識」は強く存在するが、「国民意識」はない。結果的に、社会保障は成立しえない。毛沢東のように独裁的に相互負担を押しつけるならば別だが。

また、民主主義は「多数決」である。多数決で負けたほうが、敗北に「納得」するためには、「ナショナリズム」が不可欠だ。多数決の敗者が納得しない場合、最終的には国民統合は壊れてしまう。

筆者は常々、

 「現在の日本政府が憲法9条の改正を国民投票にかけることは危険だ」

と主張している。

理由は、まさに日本国の国民統合が破壊されることを懸念しているからだ。改正派、改正反対派のどちらが勝っても、負けた側は納得しないだろう。

また、政治学的に「自由」とは、「選択の自由」を意味する。選択の自由を高めるためには、「ナショナリズム」に基づき、「母国語」でビジネスや文化を繁栄させる必要がある。

日本国民が比較的「職業選択の自由」を享受できているのは、わが国が曲がりなりにも「ナショナリズム」に基づき「日本語」の文化を維持しているためである。

たとえば、特定の職業に就くためには「英語を流暢に話さなければならない」という事態になれば、われわれの「自由」は相当に制限されることになってしまう。

実際、イギリス領インド帝国のインド住民は、行政の領域で働きたい場合、「英語」を流暢に話す必要があった。英語を話せない一般のインド住民は、インド庁で働くことはできなかったのである。

そして、マイノリティや少数派を保護するためには、現実には、「同じ国民なのだから、マイノリティの権利であってもきちんと守ろう」と、多数派が認識する必要があるはずだ。

たとえば、日本の「移民問題」といえる在日朝鮮人、在日韓国人に対し、多数派の日本国民が「反感」をもつのは、彼らが外国人であるためだ。厳密には、外国人でありながら、地方参政権などの「権利」を要求するためだ。

彼らが「朝鮮系日本国民」「韓国系日本国民」であれば、多くの日本国民が、「同じ国民なのだから、マイノリティの権利を守ろう」と思ってもおかしくないはずだが、現実は異なる。

すなわち、現在のヨーロッパが国内のムスリムを「同胞」として受け入れるためには、ナショナリズムを再構築する必要があるのだ。当然ながら、言語的にも「母国語」を強制する必要がある。それがむしろ、移民のためだ。

ジダンを引き合いに出して、多文化共生主義のすばらしさを説くのは簡単だ。とはいえ、現実の「国民」は、言語、文化、人種、そして宗教までもが異なる移民や難民が生きていくコスト(社会的なコストを含む)を、自分たちが負担することに簡単には納得しない。

納得するとすれば、それは彼らを「同胞」として受け入れている場合のみだ。すなわち、ナショナリズムが不可欠なのである。

メイ首相の発言を見るかぎり、「623国民投票」以降、イギリスはナショナリズムの再構築に大きく舵を切った。ナショナリズムの再構築を果たすためには、国民が「選挙」や「投票」によって意思を明確に示すことが不可欠である。

イギリス以外のEU諸国の国民も、ナショナリズムの再構築に乗り出す意思を示さなければならない。さもなければ、人類はEU加盟国のなかから、自由、平等、そして民主主義が壊れていく光景を目撃することになるだろう。
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中東崩壊 リビアとチュニジアの光と影

『中東崩壊』より 主要国の光と影 ⇒ ポエニ戦争からの都市国家カルタゴの末裔として、チュニジアの将来に関心がある。

リビア--もう一つの失敗国家

 国土の大半は砂漠の原油大国

  リビアは地中海に面し、国土の大半が砂漠だ。沿岸部では降水があるものの、中部や南部は乾燥地帯で、農業生産が可能な地域は限られている。こうした地域では、複数の部族が遊牧などで生計を立てている。

  歴史的には、チュニジアと同じく、古代はフエニキア人によって都市国家として栄えた。7世紀にアラブ人が侵入し、16世紀にオスマン帝国の支配を受けてイスラム教が広く浸透した。1912年に「イタリア・トルコ戦争」でオスマン帝国がイタリアに敗れると、イタリアの支配下に入った。

  第2次世界大戦中に連合軍が占領し、英国とフランスが支配した。1951年に連合王国として独立し、69年にカダフィ大佐などが率いる民族主義の青年将校団がクーデターを起こして政権を掌握した。カダフィ大佐は、アラブ民族主義や直接民主制に基づく国家「ジャマヒリヤ」の樹立を宣言した。カダフィ氏は一切の役職から退いた後も「大佐」の称号で呼ばれることが多かった。

  カダフィ大佐は「汎アラブ主義」を掲げてエジプトやシリアと共和国連邦を志向したが、後にこの構想は頓挫した。カダフィ大佐はアラブ主義を掲げて列強の植民地支配を批判し続けたこともあり、欧米と対立することが多くなった。79年にエジプトがイスラエルと平和条約を結んだことも、強く批判した。

  リビアは豊富な天然資源で知られる。英資源会社BPによると、リビアの原油埋蔵量は約484億ハレルと、世界で10位の水準だ。天然ガスも豊富で、こうした天然資源を資金源としてアフリカ諸国に資金を援助し、アフリカ地域で大きな発言力を確保していった。

 孤立するカダフィ体制

  80年代から90年代にかけて、欧州でのテロ事件や米航空機の墜落事件にリビア政府が関与したとして、欧米はリビアに対して制裁を科し、リビアは国際的な孤立を深めた。

  大量破壊兵器や核兵器を開発しているとの疑惑が深まったことも、リビアの孤立に拍車をかけた。しかし、2003年に大量破壊兵器の開発計画の放棄を約束し、国連機関による無条件の査察を受け入れることで米英と合意。04年に米国はリビアヘの制裁を解除し、06年に関係は正常化した。

  国際的な孤立からは徐々に脱したものの、国内では、長期の独裁による汚職や言論弾圧、側近の要職登用など、弊害が目立ち、国民の不満は強まっていく。H年1月に隣国のチュニジアでベンアリ政権が崩壊すると、2月からリビアでも反体制デモが起きるようになる。カダフィ体制を敵視する欧米やペルシヤ湾岸諸国は、反体制派への支援を表明し、資金や武器を供与。カダフィ政権を支える国軍と反体制派との間で内戦状態に突入した。

 無秩序に乗じた「イスラム国」

  もともと、リビアはアラブ人が大半を占めるが、多くの部族が地域ごとに散在し、カダフィ政権の強権で辛うじて統一を保っていた側我がある。内戦により、多くの部族が武装するようになり、国軍から離反した兵士などが民兵組織を結成。カダフィ大佐は国営メディアに度々登場して「国を守れ」と訴えたが、同政権を欧米が見限り、反体制勢力の優勢となった。

  11年8月に重要拠点である西部のトリポリが陥落したことで、42年間続いたカダフィ政権は事実上崩壊。10月には民兵組織に拘束され、カダフィ大佐は殺害された。

  カダフィ政権が崩壊すると、これまで「反カダフィ」で連携していた組織同士が対立するようになり、今に至るまで内戦状態が続いている。国内には2つの議会が樹立されて国家は事実上分断状態となり、何度も統一国家の樹立で合意しても、その後事実上無効となる状態が続いている。

  こうした混乱に乗じて勢力を伸ばしたのが、過激派組織「イスラム国」(IS)だ。石油施設などを占拠して資金稼ぎを目的としているとも言われ、リビアがISにとってシリアとイラクに次ぐ拠点になるとの懸念が高まっている。

チュニジア--欧州を手本とし世俗主義に

 都市国家カルタゴの末裔

  チュニジアは北アフリカに位置し、北部は地中海に面する。中部から南部にかけては大半の国土は砂漠だが、首都チュニスなど、地中海に近い北部沿岸地域では地中海性の気候で、オリーブやかんきつ類などの農業も盛んだ。原油や天然ガスなどの埋蔵量は多くないが、リン鉱石は豊富で、主要な輸出産品の一つだ。

  紀元前には当時地中海沿岸で栄えたフエニキアの一部となり、紀元前9世紀頃にはフエニキア人が建設した都市国家、カルタゴが誕生した。今でも国内のあちこちにカルタゴの遺跡が多く残っており、世界的な観光名所で知られる。2010年から起きた民衆蜂起「ジャスミン革命≒が起こるまで、こうした観光地を訪れる外国人観光客による観光収入は、チュニジアの経済を支えていた。

  歴史的には、地中海貿易で栄えたが、現在のイタリア南部にあるシチリア島など、地中海沿岸の利権を巡る争いでローマ帝国と対立。3度にわたる「ポエニ戦争」で敗れ、カルタゴは消滅した。7世紀にはアラブ人が侵入し、16世紀にはオスマン帝国の支配地域に。

  オスマン帝国崩壊後はフランスの支配を受けるようになり、保護領となった。現在の公用語はアラビア語だが、国民には仏語が広く浸透しており、医師や高級官僚などのエリート層には、フランスヘの留学経験を持つ者が多い。

  第2次世界大戦後の1956年に独立して共和制に移行し、独立運動の指導者だったブルギ、バが初代大統領に就任した。ブルギバ大統領は宗教と政治・社会を分ける「政教分離」を重視。フランスに対抗しつつも、政治や社会の制度設計には欧州の価値観を積極的に取り入れた。

  国教はイスラム教としつつも、イスラム教が容認する一夫多妻制などを禁じたほか、一定の条件を課しながらも飲酒も容認した。中部や南部など農村地帯には保守的な風土が残るが、チュニスなど大都市では飲酒や喫煙をする女性の姿を日常的に目にする。

 不安定なジャスミン革命後の政権

  2010年12月17日、中部のシディブジドで青年が警察官に抗議して焼身自殺すると、瞬く間に抗議デモが全土に広がった。87年にベンアリが大統領に就任して独裁体制を敷いて以降、汚職や縁故主義、言論弾圧や強権姿勢がはびこり、一般の国民に不満が蓄積していたことが、この背景にある。翌年1月にベンアリ大統領が亡命して独裁体制は終わった(ジャスミン革命)が、治安や経済の悪化など、社会問題が深まった。

  ベンアリ政権の崩壊後にイスラム原理主義組織「アンナハダ」が政権を率いたことで、イスラム勢力の存在感が増すことに主に政教分離を重んじる世俗派が強く反発するようになり、両者の対立は深刻な社会問題となった。世俗派の政党関係者などが暗殺される事件が相次ぎ、国内ではイスラム過激派によるとみられるテロが相次いで起きるようになった。

  自由選挙による大統領選と議会選挙を通じて15年2月に正式政府が発足したものの、依然として治安の改善と経済再生が重要な課題になっている。

  リビアやシリア、イエメンなど、独裁が崩壊した各国では混乱が続く。民主的な過程を経て正式政府の発足にこぎ付けたチュニジアが再び混乱に陥れば、周辺国への影響も大きい。

  15年10月に、イスラム勢力と世俗派との和解を担った労働組合などの4者「国民対話カルテット」にノーベル平和賞が授与されたのは、チュニジアが民主化の道筋を着実に進むよう国際社会が支援するように促す狙いがあった。

  チュニジアが後世まで「アラブの春」の「唯一の成功例」と呼ばれ続けるか、今まさに分岐点に差し掛かっている。
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石油の地政学 原油高、原油安は中東に何をもたらしたか

『中東崩壊』より 石油の地政学

シェール革命の影響は何か

 米国を世界最大の産油国に

  サウジアラビアなど従来型の原油で主導権を握ってきた中東の産油国を揺さぶっているのが、北米のシェールオイルだ。

  シェールオイルとは、地下深くにある「シェール」という頁岩の層に分布している石油の一種だ。ここにはシェールガスと呼ばれる天然ガスもある。2000年ごろに取り出す手法が開発され、本格的な生産が始まった。ガスとオイルを合わせて「シェール革命」という。米国は14年、サウジを抜き世界最大の産油国に躍り出た。

  シェールオイルの開発・生産が進んだことで、原油の供給は膨らみ、需要を上回り続けている。世界の原油在庫は過去最高の水準にまで積み上がった。これに対し大きな消費国である中国などの経済減速で需要は思うほど伸びていない。結果として、原油価格は落ち込み、なかなか上昇しない状況が長引いている。

 サウジの思惑

  石油輸出国機構(OPEC)が力を持っていたかつては、OPECの「盟主」を自負する最大の産油国サウジが油市場を安定させるため、自分の生産量を増やしたり減らしたりしてバランスをとっていた。このためサウジは「スイング・プロデューサー」(生産の調整役)と呼ばれた。

  しかしサウジは14年、もはやこの立場をとらないことを明らかにした。米国やロシアなどOPECに加盟していない産油国が自由に生産を増やす中では、サウジをはじめOPECだけが生産量を調節しても相場を左右することはできないからだ。サウジは自らの市場シェアを守る方針を鮮明にし、高水準の生産を続けた。

  原油市場はこの流れに売りで反応した。14年6月に1バレル=115ドルを超えていた原油価格は下落を続け、16年1月には一時1バレル=30ドルを割り込んだ。

  サウジの原油生産コストは極めて低く、シェールは相対的に高い。安値競争はサウジ自身にとっても痛手になるが、米シェール産業を採算割れに追い込み、市場から退出させる思惑がある。

  実際、米シェールの投資や開発は鈍ってきた。しかしシェールは投資のサイクルが短いため、原油価格が回復すれば比較的短い期間で生産を再び増やせる。サウジの思惑通りに事態が進むかは見通しにくい。

 「米国の中東離れ」とサウジの独自外交

  シェール革命の影響は相場だけにとどまらず、政治的な緊張の種にもなっている。シェールの生産拡大が結果的に、米国の「中東離れ」を招いているとの不安が中東の産油国にはある。米国がサウジを中東外交の要と見なし、同盟関係を築いてきたのは、中東からの原油供給を安定させる狙いがあったからだ。

  しかし自前のシェールの生産が増えると、米国が中東の原油に頼る必要は薄れる。サウジやアラブ首長国連邦(UAE)、カタールなどは中東に展開する米軍に安全保障を頼っている部分が大きい。もはや米国がかつてほど中東に注意を払ってくれないとなれば、頼みとしてきた中東の親米国にとっては重大な事態だ。

  サウジで15年1月に即位したサルマン国王は、隣国イエメンヘの軍事介入やイランとの断交などで独自の強硬な外交を展開している。伝統的に親密だった米国の忠告にかつてほど耳を貸している様子はない。イエメンでの作戦にはUAEやカタール、バーレーンも加わった。オバマ米政権の中東への関与が及び腰だとみて、自らの安全保障を米国には頼らないとの意思を表しているとの見方もある。

原油高、原油安は中東に何をもたらしたか

 天国から地獄へ

  原油価格が1バレル=100ドルを超えていた2014年まで、中東の産油国は好景気に沸いた。豊富なオイルマネーをインフラの整備や都市開発につぎ込み、国内外で強気の投資が相次いだ。主役になったのが、原油輸出で得た多額のお金を集めて株や国債、不動産などに投資し、配当や利回り、賃料収入などを稼ぐ役割の政府系ファンドだ。カタールやクウェートなどの政府系ファンドが、有力企業の株や、欧州の高級ホテルをはじめとする不動産を買い集め、日本企業にもずいぶん投資したとみられている。国の「貯金」に当たる外貨準備は積み上がった。

  半面、財政のスリム化や無駄な事業の見極めは遅れた。やがて原油が出なくなる時代が来ることを見据えて進める必要がある産業の多角化や、人材の教育もあまり進まなかった。奇抜なデザインの高層建築や沿海部の埋め立てによるリゾート開発など、ぜいたくな投資が相次いだ。節約して本当に必要な分野に集中する必要に迫られなかったからだ。

  しかし原油安で、この構図は暗転する。原油価格が半分以下の安値に落ち込んだため、収入のほとんどを原油に頼る産油国は当然のように巨額の赤字に陥った。

  赤字を穴埋めするため、政府が銀行からお金を借り入れたり、借金に当たる国債を発行したりするケースが相次いだ。積み上げてきた外貨準備を取り崩し、政府系ファンドも保有する株や債券を売却して現金を手に入れようとしているとの見方が強い。

  サウジアラビアは15年秋に、急がないプロジェクトは実行を遅らせると発表し、すべての政府機関の新たな発注を一時停止した。契約済みの案件で、外国企業への支払いが滞った例もある。大手の建設会社で、従業員が賃金不払いに抗議するといった騒動も起こった。

 経済構造改革のチャンスだが

  湾岸の産油国は支出を減らそうと、これまで国民に大盤振る舞いしてきた補助金のカットにも動いている。アラブ首長国連邦(UAE)は15年にガソリンや軽油の小売価格を「国際市場価格に連動させる」として補助金を撤廃。サウジやバーレーン、オマーンも同様の措置をとった。アラビア半島の6カ国でつくる湾岸協力会議(GCC)は足並みをそろえて、日本の消費税に当たる付加価値税(VAT)を導入しようとしている。

  各国とも、教育や保健、電力・水インフラといった国の将来に必要な分野については支出を続ける構えだ。UAEのドバイでは20年に万国博覧会を、カタールでは22年にサッカー・ワールドカップ(W杯)を開催する予定で、こうした国際的なイペントのための工事は止めるわけにいかない。

  各国とも原油安のショックを和らげようとしているが、支出を絞らなければならない原油安の局面は、経済構造を厳しく見直す改革のチャンスにもなる。サウジは16年4月、向こう15年間の経済改革の道筋を示す「ビジョン2030」を公表した。経済を多角化し、原油依存から抜け出すという野心的な目標を掲げている。

  しかし過去にも原油安で改革への動きが一時は高まっても、再び原油価格が上向けば変化の機運がしぼむことが多かった。今回は「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ということにならないのかどうか。補助金削減や新たな税金の導入はどんな国でも人気のある政策ではない。国民の不満が高まったとしても改革を実行するのか、産油国は覚悟を問われている。さが、エルドアン政権の弱点として再び浮上する可能性がある。
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サービス産業の拡大と就業問題

『図説 日本の都市問題』より ⇒ スタバのようなサービスの行動化への径を探りたい

(1)サービス業の概念とサービス産業の進展

 現代はサービス経済化が進展しているといわれる。サービス業のマクロ経済に占める重要性が高まる一方で、新たな就業問題が生じている。

 サービス業の定義は論者によって多様にあり、一意的に規定することは難しい。日常的には「サービス」の語を「無料」「割引」「おまけ」といった意味でも使用されるが、英語のserviceの動詞形であるserveは人に仕えるという意味である。そこから考えると、サービスとは自分の代わりに何かをやってもらうということになる。クリーニングは洗濯をしてもらうというサービス財という商品を代金と引き替えに交換している。ただし、サービス財は物財とは異なり、基本的には物理的実体のない無形既という特徴をなっている。サービス業は広義には第三次産業と捉えられる。一方、狭義には捉え方は多様であり、第三次産業から商業、運輸業、金融保険業、不動産業、公務等が除かれる。

 サービスの本質を「代行」と捉えれば、サービス経済化は基本的には分業の進展である。仮に夕食を外食で済ませるために1、000円かかるとしよう。自宅で作れば材料費は300円ですむが、料理の経験に乏しいAさんが満足に作れるようになるには相当練習する必要かおる。この場合、バイトで稼いだお金で外食するのが合理的である。では、料理が比較的得意なBさんの場合はどうか。この場合もライフスタイルや価値観の問題を別にすれば、外食した方が経済的に合理的なことが多い。食事の準備には買物を含めれば1時間は必要である。その時間をバイトで時給900円が得られれば、外食の方が200円分出費を少なくできる。企業間の取引でも同様であり、相対的に不得意な部門や間接部門はアウトソーシング(外注)し、自身は最も得意で稼げる部門に特化する。製造業包例外ではなく、究極的には今や世界最大の企業となった米国アップル社のような、自社工場を持だないファブレス化である。

(2)サービス業の分類と立地

 サービス業は、対個人サービス業と対事業所サービス業に大別される。対個人サービス業は主として一般消費者を対象としたサービス業で、飲食店・宿泊業、医療・福祉、教育・学習支援業、郵便局、洗濯・理容・美容・浴場業、旅行業・冠婚葬祭業等のその他の生活関連サービス業、娯楽業、宗教、放送業などが含まれる。対事業所サービス業は主として企業向けのサービスを提供しており、情報通信業(放送業を除く)、法律事務所・公認会計士事務所、情報処理サービス業・デザイン業等の専門サービス業、建築設計業・商品検査業等の技術サービス業、協同組合、学術・開発研究機関、廃棄物処理業、自動車整備業、機械等修理業、物品賃貸業、広告業、建物サービス業・警備業等のその他の事業サービス業、政治・経済・文化団体などが含まれる。

 サービス取引の基本的特性の一つとして同時性があげられる。たとえば、高級フレンチレストランで食事をするということを考えてみよう。単にフランス料理を食べるということなら、デパ地下で中食を購入して家で食べるということもできる。しかし、それは高級レストランでの飲食とは別物である。洗練された調度品、上品な雰囲気やもてなしなど、料理だけではなくトータルとして非日常性を楽しむには、そのレストランに出向かなければサービスを受けられない。つまり、サービスを提供する側と消費する側が時間と場所を共有している。この結果、サービス業は需要に近接しで立地することになる。換言すればサービス業は基本的に都市型の産業である。東京23区における立地をみると、対事業所サービス業は都心や副都心に多く、山于線の外側の近郊ではほとんど立地がみられない。干代田区・中央区・港区やターミナル駅周辺で、企業どうしが取引関係をもって集積の利益を受けている。一方、対個人サービス業は、対事業所サービス業に比べると分散的である。ただし、近郊の住宅地は相対的に多く、都心や副都心は少なく、城東や城南の中小工場が多い地区も相対的に少なくなっている。

(3)非正規労働者の増加

 近年、大学の新規学卒者でも正社員として就職することができず、非正規労働者として社会人をスマートせざるを得ない人が増えてきている。日本全体では、雇用者のうち30%以上が非正規労働者となっている。非正規労働者とは、パート、アルバイト、派遣社員、契約社員などとよばれ正規雇用以外の地位として働いている人のことである。非正規労働者は、正規労働者と比べて、労働時間が短いことが多い、契約雇用期間が短いといった特徴がある。

 非正規労働者の割合は業種によって差がみられ、対個人サービス業でその割合が高い。東京都においては、宿泊業・飲食サービス業(66%)、生活関連サービス業(52%)といった対個人サービス業で特に非正規労働者が多い。非正規労働者は一般に労働時間が短いことに加えて、給与水準が低いことも多いことから年間所得も低くなり、産業ごとの非正規労働者の割合と所得の関係をみると、負の相関の傾向がみられる。

 なぜ、対個人サービス業で非正規労働者の割合が高いのであろうか。第一に、サービス財は無形性という特徴をもつので、物財とは異なり在庫としてストックしておくことができない。しかも、サービスの需要は時間的に一定ではない。飲食業ならばランチタイムや夕方以降に客が増えるし、レジャー関連業ならば十日に需要が大きくなる。雇用者側としては、業務量に応じて柔軟に労働力を確保できる非正規労働者を雇うことが好都合である。第二に、サービス取引は同時性をもつことと関係する。サービス財は物財とは異なり、移動することができない。サービス業は、サービスを提供する側が消費者に対して接触する必要があるので、一般に労働集約的である。

 デフレが進行する中で人件費を抑制するには二つある。一つは、ハンバーガ一店に代表されるように、セルフサービス、つまり客に自分で働いてもらうことである。ただし、これには限界がある。もう一つは、賃金水準の引き下げである。物財の生産と消費の場は離れていても可能であるので、大都市の多くの製造業は、労働コストの安い地域に立地移動した。しかし、サービス業はそうはいかず、既存の正社員の賃金を大幅にカットすることも難しい。そこで正社員を採用する代わりに非正規労働者を雇う。この場合、労働時間や仕事内容は正社員と変わらないことも多い一方、低賃金や不安定雇用が問題となっている。
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