『最も危険なアメリカ映画』より ディズニー・アニメが東京大空襲を招いた?
・空軍の時代が始まった
『空軍力による勝利』の第一部は飛行機の歴史。1903年、ライト兄弟がわずか十二秒間飛行してからほんの四十年間で航空機は驚くべき進化を遂げた。英仏海峡横断、空母からの離着陸、アメリカ大陸横断……。
飛行機がまだフライング・マシンと呼ばれていた時代の描き方はのどかでユーモラス、『素晴らしきヒコーキ野郎』(65年)みたいで楽しい。
第一次世界大戦当初、戦争における飛行機の役割は偵察だけで、敵国の軍用機と遭遇しても、敬礼を交わして紳士的にすれ違っていた。ところが、ある日、敵機に上空からレンガを落とした者がいた。それは拳銃の発砲にエスカレート。マシンガンを積み込んだが、自分のプロペラを撃って墜落してしまう。笑えるアニメはここまで。プロペラとマシンガンの同期システムが作られると、空も血で血を洗う戦場になる。ディズニー・アニメとはいえ、劇画のようなリアルなタッチなので、生々しい。
第二次世界大戦が始まった。フランスがドイツとの国境に築いた要塞、マジノ線は難攻不落と言われたが、ドイツ軍はこれを迂回してフランスに侵入した(この映画ではトーチカは空からの爆撃には無力)。フランスを降伏させたドイツは爆撃機でイギリス本土を攻撃、歴史に残る大空中戦「バトル・オブ・ブリテン」が始まり、英国は戦闘機スピットファイアでドイツ軍を撃退した。戦争はついに空軍の時代に入った。
・戦略爆撃のススメ
このディズニー・アニメにはミッキー・マウスもドナルド・ダックも登場しない。主人公はセヴァルスキーだ。彼は地図やグラフを駆使して、枢軸国との戦い方をシミュレーションしていく。
セヴァルスキーはドイツの防衛圏をヨーロッパの大地に広がる車輪になぞらえる。外側から外輪をいくら叩いても、車軸からの補給ですぐに立ち直る。日本は南太平洋の小島に拠点を持っているので、何本もの足を広げたタコになぞらえる。足の先をひとつずつ攻撃しても、本体には届かない。その間にアメリカ、イギリスの連合国の戦死者は日々増えていくだろう。
「戦死者を最小限に抑えるには、敵の本土中心部を、直接爆撃することです」
セヴァルスキーは断言する。車輪ではなく車軸を潰せ、タコの足ではなく、頭を叩け。武器を作る工場を破壊しろ、と。前線を飛び越えて敵国の都市を直接叩く戦略爆撃のススメだ。
そのためには、空母で運べるような小さな爆撃機では弱すぎる。十トン級の大型爆弾を搭載し、航続距離がケタ違いに長く、全方位を射撃できる回転銃座を装備した、空飛ぶ要塞のような長距離巨大爆撃機が必要だ。
「ドイツや日本はすでに長距離爆撃機の開発に入り、アメリカ本土を狙っている。遅れを取るな。攻撃は最大の防御だ!」
『空軍力による勝利』は1943年7月にアメリカで劇場公開されたが、興行的にはふるわなかった。しかし、もともと、一般の観客はどうでもいいのだ。
ディズニーは『空軍力による勝利』のフィルムを、近代広告の父と呼ばれるアルバート・ラスカーを通じて、英国のチャーチル首相に送り届けた。チャーチルはこれを観て、ひじょうに感銘を受けたという。
ラスカーはフランクリン・D・ローズヴェルト大統領にも『空軍力による勝利』を勧め、セヴァルスキーと会わせようとしたが、大統領の軍事顧問だったウィリアム・リーヒによって阻止された。海軍提督であるリーヒはセヴァルスキーの戦略爆撃論を嫌っていた。
『空軍力による勝利』公開の一ヵ月後の8月17日、カナダのケベックを英国のチャーチル首相が訪れ、アメリカのローズヴェルト大統領と会談した。その際、チャーチルは『空軍力による勝利』を話題に出したが、ローズヴェルトは未見だった。さっそくフィルムが取り寄せられ、試写が行なわれた。
すでにチャーチルは一ヵ月前にドイツのハンブルグを猛爆撃していた。アメリカも、42年4月にジミー・ドーリトル中佐が東京に小規模な爆撃を敢行していた(使われたのはミッチェルの名を冠したB25爆撃機)。また、スーパーフォートレス(超要塞)の異名を持つ長距離大型爆撃機B29の開発もすでに始まっていた。だから、『空軍力による勝利』がローズヴェルトとチャーチルにどれほど大きな影響を与えたかはわからない。
・東京大空襲と重なるクライマックス
ただ、断じてゼロではない。
この後、英国軍は、「ディズニー爆弾(Disney Bomb)」なるものを開発、実戦に投入した。細長い爆弾で、高高度から投下すると垂直に落ちながらロケットで推進し、時速千五百キロを超えて、コンクリートで作られた敵の防空壕を貫通する、いわゆるバンカー・バスターだ。これは『空軍力による勝利』の中で、Uボート基地を破壊する手段として提案されたので「ディズニー爆弾」と呼ばれた。
『空軍力による勝利』のクライマックスは、アラスカに築かれた基地から離陸する長距離大型爆撃機による東京大空襲だ。大量の爆弾が東京の軍事工場を徹底的に破壊する。日本というタコの頭を破壊した白頭ワシ(米国の象徴)が地球の上に舞い降りて、映画は終わる。
この東京大空襲は、1945年3月に現実になった。違うのは爆撃機がアラスカではなくマリアナ諸島から飛び立ったことと、民間の非戦闘員に十万人とも言われる死者が出たことだ。
戦略爆撃を最初に始めたのは、枢軸国側だと言われる。37年4月、スペイン内戦でファシストのフランコ将軍は同盟国ナチス・ドイツに依頼して、敵対する民主勢力の拠点ゲルニカを爆撃させた。同じ年の8月、日本軍は中国の南京や重慶を爆撃した。両方とも非武装の一般市民を大量に殺したので、国際的非難を浴びた。
『空軍力による勝利』には、ゲルニカや重慶のことは出てこない。セヴァルスキーは、敵の都市爆撃は自軍の死傷者を減らすのが目的だと何度も繰り返すだけで、敵民間人の被害については何も論じない。しかし、このディズニー・アニメがアメリカ軍の戦略爆撃に何らかの影響を与えたのであれば、広島、長崎への原爆投下ともけっして無縁とは言えない。
セヴァルスキーに敵対していたリーヒ提督は、回想録でも原爆投下を批判している。「女子どもを殺して戦争に勝ったとは言えない」と。
・空軍の時代が始まった
『空軍力による勝利』の第一部は飛行機の歴史。1903年、ライト兄弟がわずか十二秒間飛行してからほんの四十年間で航空機は驚くべき進化を遂げた。英仏海峡横断、空母からの離着陸、アメリカ大陸横断……。
飛行機がまだフライング・マシンと呼ばれていた時代の描き方はのどかでユーモラス、『素晴らしきヒコーキ野郎』(65年)みたいで楽しい。
第一次世界大戦当初、戦争における飛行機の役割は偵察だけで、敵国の軍用機と遭遇しても、敬礼を交わして紳士的にすれ違っていた。ところが、ある日、敵機に上空からレンガを落とした者がいた。それは拳銃の発砲にエスカレート。マシンガンを積み込んだが、自分のプロペラを撃って墜落してしまう。笑えるアニメはここまで。プロペラとマシンガンの同期システムが作られると、空も血で血を洗う戦場になる。ディズニー・アニメとはいえ、劇画のようなリアルなタッチなので、生々しい。
第二次世界大戦が始まった。フランスがドイツとの国境に築いた要塞、マジノ線は難攻不落と言われたが、ドイツ軍はこれを迂回してフランスに侵入した(この映画ではトーチカは空からの爆撃には無力)。フランスを降伏させたドイツは爆撃機でイギリス本土を攻撃、歴史に残る大空中戦「バトル・オブ・ブリテン」が始まり、英国は戦闘機スピットファイアでドイツ軍を撃退した。戦争はついに空軍の時代に入った。
・戦略爆撃のススメ
このディズニー・アニメにはミッキー・マウスもドナルド・ダックも登場しない。主人公はセヴァルスキーだ。彼は地図やグラフを駆使して、枢軸国との戦い方をシミュレーションしていく。
セヴァルスキーはドイツの防衛圏をヨーロッパの大地に広がる車輪になぞらえる。外側から外輪をいくら叩いても、車軸からの補給ですぐに立ち直る。日本は南太平洋の小島に拠点を持っているので、何本もの足を広げたタコになぞらえる。足の先をひとつずつ攻撃しても、本体には届かない。その間にアメリカ、イギリスの連合国の戦死者は日々増えていくだろう。
「戦死者を最小限に抑えるには、敵の本土中心部を、直接爆撃することです」
セヴァルスキーは断言する。車輪ではなく車軸を潰せ、タコの足ではなく、頭を叩け。武器を作る工場を破壊しろ、と。前線を飛び越えて敵国の都市を直接叩く戦略爆撃のススメだ。
そのためには、空母で運べるような小さな爆撃機では弱すぎる。十トン級の大型爆弾を搭載し、航続距離がケタ違いに長く、全方位を射撃できる回転銃座を装備した、空飛ぶ要塞のような長距離巨大爆撃機が必要だ。
「ドイツや日本はすでに長距離爆撃機の開発に入り、アメリカ本土を狙っている。遅れを取るな。攻撃は最大の防御だ!」
『空軍力による勝利』は1943年7月にアメリカで劇場公開されたが、興行的にはふるわなかった。しかし、もともと、一般の観客はどうでもいいのだ。
ディズニーは『空軍力による勝利』のフィルムを、近代広告の父と呼ばれるアルバート・ラスカーを通じて、英国のチャーチル首相に送り届けた。チャーチルはこれを観て、ひじょうに感銘を受けたという。
ラスカーはフランクリン・D・ローズヴェルト大統領にも『空軍力による勝利』を勧め、セヴァルスキーと会わせようとしたが、大統領の軍事顧問だったウィリアム・リーヒによって阻止された。海軍提督であるリーヒはセヴァルスキーの戦略爆撃論を嫌っていた。
『空軍力による勝利』公開の一ヵ月後の8月17日、カナダのケベックを英国のチャーチル首相が訪れ、アメリカのローズヴェルト大統領と会談した。その際、チャーチルは『空軍力による勝利』を話題に出したが、ローズヴェルトは未見だった。さっそくフィルムが取り寄せられ、試写が行なわれた。
すでにチャーチルは一ヵ月前にドイツのハンブルグを猛爆撃していた。アメリカも、42年4月にジミー・ドーリトル中佐が東京に小規模な爆撃を敢行していた(使われたのはミッチェルの名を冠したB25爆撃機)。また、スーパーフォートレス(超要塞)の異名を持つ長距離大型爆撃機B29の開発もすでに始まっていた。だから、『空軍力による勝利』がローズヴェルトとチャーチルにどれほど大きな影響を与えたかはわからない。
・東京大空襲と重なるクライマックス
ただ、断じてゼロではない。
この後、英国軍は、「ディズニー爆弾(Disney Bomb)」なるものを開発、実戦に投入した。細長い爆弾で、高高度から投下すると垂直に落ちながらロケットで推進し、時速千五百キロを超えて、コンクリートで作られた敵の防空壕を貫通する、いわゆるバンカー・バスターだ。これは『空軍力による勝利』の中で、Uボート基地を破壊する手段として提案されたので「ディズニー爆弾」と呼ばれた。
『空軍力による勝利』のクライマックスは、アラスカに築かれた基地から離陸する長距離大型爆撃機による東京大空襲だ。大量の爆弾が東京の軍事工場を徹底的に破壊する。日本というタコの頭を破壊した白頭ワシ(米国の象徴)が地球の上に舞い降りて、映画は終わる。
この東京大空襲は、1945年3月に現実になった。違うのは爆撃機がアラスカではなくマリアナ諸島から飛び立ったことと、民間の非戦闘員に十万人とも言われる死者が出たことだ。
戦略爆撃を最初に始めたのは、枢軸国側だと言われる。37年4月、スペイン内戦でファシストのフランコ将軍は同盟国ナチス・ドイツに依頼して、敵対する民主勢力の拠点ゲルニカを爆撃させた。同じ年の8月、日本軍は中国の南京や重慶を爆撃した。両方とも非武装の一般市民を大量に殺したので、国際的非難を浴びた。
『空軍力による勝利』には、ゲルニカや重慶のことは出てこない。セヴァルスキーは、敵の都市爆撃は自軍の死傷者を減らすのが目的だと何度も繰り返すだけで、敵民間人の被害については何も論じない。しかし、このディズニー・アニメがアメリカ軍の戦略爆撃に何らかの影響を与えたのであれば、広島、長崎への原爆投下ともけっして無縁とは言えない。
セヴァルスキーに敵対していたリーヒ提督は、回想録でも原爆投下を批判している。「女子どもを殺して戦争に勝ったとは言えない」と。