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シェアリングの仲介者としてのあり方

 『なぜ、日本人は考えずにモノを買いたいのか?』より ⇒ シェアは個人とか企業の思惑を超えたところにあるけど、それまでの動きを探っています。

 「持つ」ことへのこだわりの低下。借り物、中古でもいい

  スマートフォンの普及による環境整備とコト消費志向、ミニマリスト志向、エシカル志向などの価値観変化から、中古・レンタルヘのニーズが拡大傾向にある。企業は新品の提供者としてだけではなく、シェアリングの仲介者としてのあり方も検討していくことが求められる。

  モノヘのこだわりが低下し、中古・レンタルヘのニーズが増えている モノを「持つ」ことのこだわりが低下し、必ずしも新品ではなく、使えれば借り物でも中古でも良いと思う人が増えている。図では、レンタルやリースに対する抵抗感の年代別時系列変化について、およそ30年前の1985年からの変化をみることができる。

  1985年に実施されたNRI「生活者アンケート調査」の結果と、2012年の結果を比較すると、1985年では40代以上でレンタルやリースを使うことに抵抗を感じる人が多い傾向にあったが、2012年ではレンタルやリースに抵抗がないと感じる40代以上の割合が大きく増えている。これは、1985年当時30代だった人が、30年近く経った2012年では60代になっているためである。一方、直近の2012年から2015年にかけては、10代を除くすべての世代でレンタルやリースに対する抵抗感がさらに薄れつつあることがわかる。

  また、「A:中古製品やリサイクル品を買うことに抵抗はない」「B:なるべく新品のものを買いたい(中古製品やリサイクル品を買うことに抵抗がある)」を対にして比較した際に、「Aに近い」または「どちらかといえばAに近い」と回答した中古品・リサイクル品に抵抗がない消費者の割合は、30代以下では過半数を占め、以降年齢が高まるにつれ減少するも、70代でも35%を占める。特に若い世代に「中古品・リサイクル品に抵抗がない」人が多く分布する傾向から、この価値観は今後の消費者の傾向として高まってくるだろう。

  何か必要なモノがあった際に、即「新品を買おう」とならないのが、今の消費者といえる。

  実際に、不要なものをリサイクル店やオークションに出す、必要なものをフリーマーケットで探すといった行動は、リアル店舗、インターネットの双方でよくみられるようになってきている。一部は2014年4月の消費増税による節約意識の影響もあるが、やはりスマートフォンの普及による影響は大きい。

  さらにレンタルサービスやフリマアプリなど利用しやすい環境が整ってきたことで、個々人が持っているモノについての情報交換が進み、求める人と提供したい人がマッチングされやすくなった。顔をみたことがない遠くに住む相手とも、たとえばなくしてしまったおもちゃのパーツのような本当に細かいものまで、時間や物理的距離を気にせずにやり取りし、ニーズをマッチングできるのだ。

  インターネット空間では、店舗を構えることなく、誰もが簡単に売り手になることが可能となる。中古の衣類・日用雑貨から趣味で作ったハンドクラフト品まで、面倒な手続きを踏むことなしに売りに出すことができる。

  また、最近の消費者は、「企業との取引」と「個人間取引」の間に、信頼性の面で違いを見い出さなくなっている。企業の情報よりもューザー評価を参照したいとする傾向が強まっており、一定のブランドカを持つ企業でなくても、ユーザー評価が高ければ個人の売り手についても安心感が得やすくなってきた。それは消費者同士が、ューザー評価というかたちで、お互いに品質保証し合っていることを意味する。

  1999年にサービスを開始した「ヤフオク!」では、出品者に対して評価をつけるしくみがある。評価の内容はすべての利用者に公開され、その人と取引する時の重要な情報となる。2013年に登場した「メルカリ」は、スマートフォン向けのフリマアプリとしてしくみを簡潔にしたことで急成長を遂げているが、こちらも出品者の評価状況がわかりやすく表示されている。商品を選択する際に、過去にその出品者から購入したことのある購入者からの、出品者に対する評価が良ければ、出品されている商品についても状態が良さそう、もしくはきちんと商品情報を載せている(傷や汚れがある場合も正確に載せている)として一定の安心感を得ることができる。ネット上の個人ではあるが、新品を信頼性の高い企業から購入する、あるいは現物を確かめて購入する際に得られる安心感にも似たものが、ユーザー評価によって実現している。

 エコ意識と人とのつながりを求める意識

  エコや人とのつながりといった観点から、シェアリングに対する志向性も高い。カーシェアリングは「めったに使わない車を維持・保有するよりも、お財布にも地球にも優しくてスマート」として特に若者からの評価が高い。不特定多数の人が長時間利用するレンタカーに対し、カーシェアリングはあらかじめ登録された会員のみが短時間(15分単位)でも利用することも可能であり、ちょっとした買い物の際に利用することもできる、より「共有」に近いサービスである。日本ではタイムズカープラスが2016年1月段階で全国7500ヶ所、会員数58万人まで普及しており、珍しいサービスではなくなってきている。

  また、シェアハウスは10代、20代の若者の利用意向が高く、従来若者向けのサービスというイメージも強かったが、最近ではシニア向けのシェア(ウスも出てきている。ただし、若者では一軒の家で各部屋に住みながら居間・キッチンなどを共有スペースとしているのに対し、シニアの場合は、住居としては分譲マンションに住み、コミュニティスペースをシェアするかたちが一般的だ。

  たとえば、シニアが健康なうちに入居し終身まで過ごすための生活共同体「CCRC(Continuing Care Retirement Community)」が注目されており、自立を望むシニアに対して、生活・健康・介護などのサポートを充実させながら、シニア同士で仕事や趣味・娯楽を通じて人間らしい生活を送れる住環境として話題になっている。

  CCRCは1970年代にアメリカで始まった取り組みであり、アメリカでは75万人がCCRCで暮らしていると推計されている。日本の代表的な例としては、千葉市にある日本最大級のCCRC施設「スマートコミュニティ稲毛犬があげられる。1000人以上が過ごせるコミュニティ施設と隣接する分譲マンションが一体となっており、味わう・愉しむ・つながるをテーマとした食生活や多彩なアクティビティ、コミュニケーションを提供し、アクティブな生活が実現化されている。

  シニアと若者が共同コミュニティを形成するシェアハウスも存在する。学生マンションから共生創造企業を目指す「ジェイ・エス・ビー」では、学生マンションとシニア住宅を一体化した住宅を提供している。マンションの低階層をシニア向け住宅、高階層を学生マンションとし、学生ボランティアによる介護サービスによってシニアをサポートするとともに、ボランティア費用として学生マンション部分の管理費として還元するしくみを取っている。シニアと学生にとって、Win-Winな関係が構築されるとともに、異なる世代間の日常的な交流が生まれ、活気あるコミュニティ形成が期待されている事例だ。

  近年、生涯未婚率は急激に上昇、2030年では、男性の29・5%、女性の22・5%が生涯結婚しない社会になることが予測されている。また、離死別者も増加し、2030年では日本人のうち配偶者がいない人が約5割となる見込みであり、一人暮らし世帯は全世帯の3分の1以上を占める予測だ。そのような状況下、来たるべき超高齢化社会において、こうした人と人とが支えあうコミュニティづくりが、未来の日本の課題を解決するカギとなるかもしれない。
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〈紙の本〉と〈電子の本〉とグーグル

 『読書と日本人』より 〈紙の本〉と〈電子の本〉 ⇒ 「7番目のキンドル」にOCR化した3000冊の本を電子化している。そのメリットは絶大です。この実験から、先の世界が見えます。悩みは、残りの時間では、読み切れないことです。私の世界では可能ですけど。

 二〇〇四年、同社は「グーグル・プリント」(現、グーグル・ブックス)という新プロジェクトを発足させ、世界各地の大学図書館や公立の中央図書館と手を組んで、これまで出版された〈紙の本〉のすべてをデジタル・スキャンし、そこから作成した〈電子の本〉を世界中からオンラインで利用できるようにするという大事業にとりかかった。古代アレクサンドリア図書館のむかしから、おおくの図書館人が「世界中角本を一か所にあつめた巨大図書館」という夢を、むなしく追いつづけてきた。その「全世界図書館」の夢を、いまやグーグルというグローバル企業が膨大な資金と技術力を投入して一気に現実化しようとしているのです。

 ただし前世紀の「プロジェクト・グーテンベルク」や「アメリカの記憶」は、全世界の人びとに無料でひらかれた公共的な電子アーカイブとして構想されたが、「グーグル・ブックス」はちがいます。

 じつをいうと、発足時、私はこの計画に少なからず心をうごかされた。アップルがそうだったように、もとはといえばグーグルも、七〇年代のパーソナル・コンピュータ革命(巨大コンピュータの単なる端末ではない自立した個人用コンピュータという夢の実現をめざす)の申し子ですからね。この途轍もない大事業のうちに、当時、さまざまな困難に直面していた図書館の社会的任務を新しい時代に引きつごうとする意志をかいま見たと、うっかり思ってしまった。

 ところが時間がたつにつれて、それがとんでもないまちがいだったことがわかってきます。きれいなタテマエの裏側で、かれらをここまで突き動かしてきたのは、結局のところ、〈紙の本〉という形式で保存されてきた人類の知的資産をじぶんたちの手で根こそぎデジタルーデータ化し、それへのアクセス権を独占して、グローバルな情報権力をにぎろうとする欲望だけだったのです。

 いまとなってそう認めるのはいささかならず癩にさわるのですが、電子本リーダーからインターネット・アーカイブまで、こうして見てくると、二十世紀後半にめばえた〈電子の本〉の未来が、二十一世紀の最初の十年間に、ごく少数の巨大IT企業の支配下におかれてしまったことがわかります。つまりはハリー・ポッターと新自由主義経済による世界制覇の時代ですよ。運わるくそこに「電子本ビジネス元年」がピタリとかさなってしまったのです。

 そのため二十世紀末に表面化した「いますぐ売れる本がいい本、そうでない本は悪い本」という出版業界内での暗黙の了解が、〈紙の本〉のみならず、二十一世紀の〈電子の本〉の世界にまで引きつがれ、日本でいえば、電子書店の棚にならぶ本の八割はコミックスで、のこりを売れ筋のくやわらかい本〉や〈新しい本〉が占めるという状態を呈してしまった。

 対するにアマゾンの kindle は、すでに発足時に〈新しい本〉と〈古い本〉、〈やわらかい本〉とくかたい本〉を合わせて四十五万点という膨大な電子本の在庫を持ち、それをどこからでも安価に、もしくは無料でダウンロードできる仕組みをととのえていた。あからさまな世界制覇を狙う以上、かれらはそこまで徹底的にやるしかなかったのです。

 そしてその結果として、日本の読者もこれと同レベルの市場環境を期待することになった。しかし、よかれあしかれ、われわれの出版濃界にそうした期待に応える力はなかったし、それにとって代わりうる独創的なビジョンを打ちだす意欲もなかった。ただし業界のそとにでれば話はべつです。小さいながらも、「これは!」と思わされるような試みがまったくなかったわけではない。とりあえずその実例をふたつあげておきます。まずは先はども触れた「青空文庫」について--。

 著者の死後五十年たって著作権が消滅した作品(おもに文学)をボランティアの手で電子化し、綿密な校正をへて、無料でダウンロードできるようにした日本で最初の私設電子公共図書館--それが「青空文庫」です。一九九七年にノンフィクション作家、故富田倫生の呼びかけによってはじまった。

 じつをいうと私は本書を書くにあたって、この文庫からかなりの恩恵を受けています。たとえば「読書」というキーワードで検索をかけると、幸田露伴、夏目漱石、寺田寅彦、岡本綺堂、平田禿木、三木清といった人たちの代表的な読書エッセイが二十編ほど、ずらりと並ぶ。「ははア、この線で徹底的にやれば日本でも独立的な電子公共図書館ができるぞ」とすくなからず感動した。そういえば原勝郎の『東山時代に於ける一組紳の生活』も、あるはずの筑摩叢書本が書棚に見つからず、やむなくこの文庫で再読したのでしたっけ。

 いま日本の出版社やIT企業がインターネット上に開設している電子書店をのぞくと、たいていはそこのバーチャルな書棚に「青空文庫」の本が並んでいる。しかし、かつて発足時の同文庫に向けられた業界人の目は、なかなかに冷やかなものでした。そんな出版社やIT企業が、いまは自社の電子出版事業のかくれた目玉のひとつとして、じぶんたちにできないこと(じっくり読むに足る本をまとめて電子化する)を無償でやってくれる「青空文庫」にたよっている。ちょっとへんな気がします。

 そして第二が「自炊」ブーム--。

 いくら待っても読みたい本が電子本化される気配がないので、苛立った読者がじぶんの手で蔵書を電子化することにした。じぶんでつくるから自炊。手持ちの本を裁断機でバラし、一ページずつスキャンしたものをOCRソフトで電子化して、kindle や iPad などの電子本リーダーで擬似的なページめくりが可能なしかたで読む。

 最初にだれがはじめたのか、私は知りません。たぶん二〇一〇年か一一年、あの「電子本元年」騒ぎのなかで自然発生的に生まれたものだったのでしょう。

 発足時の「青空文庫」と同様、「自炊」に対しても、出版社や著作権者の反発はことのほかつよかった。犯罪視する人もいたし、いまもいます。でもね、わが国の出版業界はいつまでたっても、硬軟ひっくるめた大量の本の一挙雄子化と公開に踏み切ろうとしない。おかげで読みたいのに読む本がどこにもない。そのため、やむなく自炊に追い込まれた「本好き」諸氏のささやかな自衛の知恵まで押しつぶして、いったいどうなるというのだろう。「青空文庫」から「自炊」にいたる小さな知恵と工夫の流れ。これまでのところ、日本の出版電子化が世界に誇りうる独創的な試みは、それしかないのかもしれないのに。

 --と私も一応はそう考えるのですが、なにせ書物史上はじめての大変化ですから、なんであれ、そう簡単に結着がつくわけがない。

 そんな厄介なケースの一例としてこんな話があります。著名な書物史家ロバート・ダーントンがハーヴァード大学図書館の館長に選出され、「グーグル・ブックス」計画の提携相手であるグーグル社をはじめて訪れたときのこと。そこでかれは、この会社には弁護士や技術者が何千人もいるというのに、ひとりの書誌学者もいないという事実に気づき、「このプロジェクトはかならず失敗する」という確信をえたというのです。

 では失敗したグーグルは、そのあとどうすればいいのか。「まようことはない」とダーントンはいいます。データの独占を放棄して原則タダの電子公共図書館の企てにすすんで参加すればいい。「こうした気前のよさによって会社が失うものはない。むしろその善行によって大いに称賛されるのではないか」(「グーグルのものよりいい電子図書館」)--。

 この忠告が近い将来、そのままのかたちで実現されるとは思えません。でも、たとえばグーグル社自体が何度か消えてなくなるほどの長い時間がたてばどうか。同社の手でデジタル・スキャンされた「全地球図書館」が、やがて全地球レペルの「電子公共図書館」の重要な一部になってゆく可能性は、かなり大きいといっていいのではないだろうか。

 だとすれば私たちも、そんなにいそいでジタバタせずとも、あと何十年かがたち、「すぐ売れる本がいい本、そうでない本は悪い本」の時代が過ぎ去ってゆくのを、腰を据えて待ちつづければいいのかもしれない。たんに受け身でいるのではなく戦略的に待つ。ゆっくり急げ。そのふくざつな時間に笑って対処できればいうことはないのですが。
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ゼロウェイスト戦略と日本のごみ政策

 『ごみゼロへの挑戦』より ゼロウェイスト戦略とは何か

 ゼロウェイスト戦略の特徴

  ゼロウェイストの主張の特徴は、ごみをゼロにするという理想目標を達成するために、次のような具体的な方策を提案するところに見いだせる。

  a ごみ焼却技術の否定

   焼却は、汚染物質の大気中への排出、素材の循環的利用からの遮断、施設の建設と運転に要する巨額の費用などを理由として否定される。埋立については、資源化の推進により埋立量を極力削減し、ゼロウェイスト達成時点で不要とする。

  b 挑戦的なごみ減量・リサイクル目標の設定

   自治体による「低い目標を最小費用で達成する」という方針のもとで設定される既存の保守的な目標に代えて、大胆な戦略的目標の設定が提唱される。いつまでに理想日標を速成するという長期目標を立て、それを具体的に達成していくためには何年後までに何をやらなければならないかと、中期・短期目標を考えていく方法で、斬新なアイデアが生まれ、よい結果に結びつきやすいとされる。

  c 徹底した資源化の推進

   ゼロウェイスト戦略では、資源化に最大限取り組むことが求められる。その第一段階の基礎プログラムとして、有機ごみ(生ごみ、枝葉草など)、ドライリサイクル物(古紙、古布、缶、びん、ペットボトルなど)、残余ごみ、粗大ごみの4分別による資源化の推進が推奨される。徹底した資源化推進のためカーブサイド(歩道脇)での行政収集を基本とする。とりわけ有機ごみの堆肥化は、埋立量を削減する手段としてだけでなく、土壌の地力回復と砂漠化防止のためにも重要であるので、最優先にカーブサイド収集することが推奨される。堆肥化やリサイクルは、資源の持続可能性に向けた取組課題と位置づけられている。

  d 生産者へのクリーンプロダクションの要求

   徹底的に資源化に取り組んでもどうしても残ってしまうごみについては、その中身が何かを調べ、そうした残流すら発生しない製品づくりをデザインする必要がある。リユースやリサイクルが困難な製品については、生産者の責任で回収することを求め、クリーンプロダクションの導入を促す。クリーンプロダクションとは、必要最小限のエネルギーや物質を使用し、物質が安全に再利用されやすい製品設計で、持続可能な製品を生産することをいう。

  ゼロウェイスト戦略では、まず企業に対してごみ監査の導入により、生産に用いる有害物質やごみの排出量を極力削減し、コストの節約にもつなげることが奨励される。国の規制のもとで拡大生産者責任(EPR)を適用して、使用済み製品の引取・リサイクルを求める。さらには、生産段階での製品設計の見直しにより、省資源、易リサイクル、有害物質使用の削減などに取り組んでいくことを求める。

  以上のようなゼロウェイスト戦略の基軸となる取組について図式化して示すと、図のようになる。ゼロウェイスト戦略は、社会の二大構成主体としてのコミュニティと企業の両者に対して4つのRからなるデュアル・レスポンシビリティを求める。コミュニティ(住民、自治体など)には、リユース、リペア、リサイクルおよび堆肥化に最大限取り組むことを求める。企業に対しては、コミュニティがリユース、リペア、リサイクルおよび堆肥化できないものの設計を見直すこと(リデザイン)を要求し、国に対して生産者による製品引取・リサイクルを制度化するための規制を求める。そしてもちろん、コミュニティは過剰包装や過剰消費などのごみを生み出す行為を減らす必要がある。

 4Lの重視

  ゼロウェイスト戦略においては、4Rへの取組の指針として、次の4つのLが重視されている。

   Local(地域振興)

   Low Technology(伝統技術の活用)

   Low Cost(低コスト)

   Low Impact(低環境負荷)

  ごみ減量・資源化の取組は、再生品、再生可能エネルギー、堆肥などの地産地消を通じて地域のリサイクル事業や農業の振興、地域雇用の確保、まちの活性化に寄与するものであることが望ましい。また、生ごみなどの資源化の推進にあたっては、複雑な焼却技術ではなく、農村で伝統的に用いられてきたローテクな堆肥化やバイオガス化といったシンプルな技術の活用が推奨されている。堆肥化やバイオガス化は焼却・埋立と比べてローコストである。堆肥化やバイオガス化は焼却と比べ生活環境の保全、温室効果ガスの発生抑制などでローインパクトでもある。ゼロウェイスト戦略は、住民に理解しやすいシンプルな技術の活用により、経費削減、環境負荷軽減、地域振興に貢献するように、ごみ減量・資源化を推進することを提唱している。

  現在も世界を股にかけて精力的に講演活動をこなすセント・ローレンス大学名誉教授のコネット博士の新著では、ゼロウェイストヘの道のり10のステップとして、分別排出、リサイクル、堆肥化、リユース・リペア、発生抑制の取組、クリーンプロダクションなどとともに、家庭ごみ有料化、戸別収集を重要な取組として位置づけている。ゼロウェイスト戦略も現実的な施策の組合せを取り込んで、進化を遂げているようにみえる。

 日本のごみ政策と比較した評価

  ゼロウェイスト戦略はいくつかの点でわが国のごみ政策と大きく乖離するものの、基本的な考え方において共通する部分もある。日本のごみ政策と比較しながら、その評価についての私見を述べたい。

  ゼロウェイスト戦略の第1の特徴としての「反焼却」については、わが国のごみ処理は、可燃系のごみについては威容可能かつ衛生的な処理方法として焼却処理を行ってきた。一般廃棄物処理量のうち直接焼却率は79%にも及んでおり、世界的にもきわめて高い水準にある。循環型社会形成推進基本法は、循環型社会づくりの取組の優先順位として、発生抑制(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)を挙げ、そしてその次に熱回収を置いている。3Rに収り組んだ後にやむなく抑川されるごみについては、焼却による熱回収を行うとしている。したがって、焼却を否定するゼロウェイスト戦略は、わが国のごみ処理行政にとって簡単に受け入れることができないものであることに注意を要する。

  第2の特徴としての「挑戦的な目標の設定」は、わが国自治体のごみ処理基本計画の策定における目標設定手法とはかなり異質である。ゼロウェイスト戦略では、まず大胆で理想的な長期目標を設定し、そこに向けての中期・短期目標も設定する。その上で、こうした中期・短期目標を達成するための具体的な施策や事業を検討し、振り付けるが、その際に斬新なアイデアが生まれやすいとされる。これに対して、わが国自治体のごみ処理基本計画では、人口や産業活動などの変化を踏まえたごみ量の想定値をペースに、国の循環型社会形成推進基本計画や廃棄物処理基本方針における目標数値、上位団体の廃棄物処理計画における目標数値、近隣自治体の基本計画における目標数値、近隣でごみ減量に成功した自治体の実績数値なども参考としつつ、導入可能な事業や施策による減量を見込んで、ごみ減量目標値を設定することが多い。したがって、まず大胆で理想的な目標設定から入るゼロウェイストのアプローチは、わが国自治体の基本計画での目標設定とはなじみにくい。

  第3の特徴としての「徹底した資源化」については、循環基本法も、有用なごみを「循環資源」として位置づけ、その循環的な利用を促進するとしており、ごみを資源として捉えることではゼロウェイスト戦略と共通性を有している。ゼロウェイスト戦略では家庭ごみ組成の4割程度を占める有機ごみの堆肥化に積極的に取り組むことを推奨するなど、わが国のごみ政策にとって参考になる点が多くある。しかし、これまでにゼロウェイスト戦略を採用した都市の目標設定とその達成状況をフォローすると、発生抑制よりも資源化に重きが置かれており、資源化が大きく進展した割にはごみ発生量が減っていないケースも散見される。ゼロウェイスト戦略を採用する都市には、大量リサイクルから発生抑制重視への戦略シフトが求められているように思われる。
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<今>は過去である

<今>は過去である

 家の二階への狭い階段を上りながら感じた。<今>は過去である。どうも納得がいかない。こんな薄いことは信じられない。そして、時間の経過が遅すぎます。137億年の一部とは思えない。

仏教の律は頼りにならない

 仏教が弱いのは、意思がないことです。多神教はその日暮らしです。その日が終わればいい。仏教には律があるけど、戒律の戒がない。ムスリムには戒律だけで先に行ける。そう考えると、キリスト教は戒だけかもしれない。だから、免罪符が売れたのかもしれない。

 次のサファイア社会のために戒律を設定するとしたら、日本の仏教という多神教を超えないと行けない。

『ごみゼロへの挑戦』ゼロウェイスト戦略と日本のごみ政策

 ゼロウェイスト戦略は4Lを重視している。Local(地域振興)、Low Technology(伝統技術の活用)、Low Cost(低コスト)、Low Impact(低環境負荷)。低コスト以外はこじつけっぽい。今の日本の地域には、なかなか通じないでしょう。

 日本のごみ政策と比較した評価

  ゼロウェイスト戦略はいくつかの点でわが国のごみ政策と大きく乖離するものの、基本的な考え方において共通する部分もある。日本のごみ政策と比較しながら、その評価についての私見を述べたい。

  ゼロウェイスト戦略の第1の特徴としての「反焼却」については、わが国のごみ処理は、可燃系のごみについては威容可能かつ衛生的な処理方法として焼却処理を行ってきた。

  第2の特徴としての「挑戦的な目標の設定」は、わが国自治体のごみ処理基本計画の策定における目標設定手法とはかなり異質である。市民の覚醒亡くしては、目標というのはなじまないでしょう。

  第3の特徴としての「徹底した資源化」については、循環基本法も、有用なごみを「循環資源」として位置づけ、その循環的な利用を促進するとしており、ごみを資源として捉えることではゼロウェイスト戦略と共通性を有している。結局は、産廃業者のお仕事になっている。

『読書と日本人』〈紙の本〉と〈電子の本〉とグーグル

 現在のキンドル・オアシスは「7番目のキンドル」です。その中に、OCR化した3000冊の本を電子化している。それを「本棚」システムとしている。そのメリットは絶大です。この実験から、先の世界が見えます。

 唯一の悩みは、自分のこの世界での残りの時間では、読み切れないことです。あとは、「私の世界」で対応しましょう。

 「自炊」ブーム:いくら待っても読みたい本が電子本化される気配がないので、苛立った読者がじぶんの手で蔵書を電子化することにした、としているけど、もっと積極的な活動にしていかないと行けない。

 電子化で人類の文明を「知恵の文明」にしないといけない。物理的な本ではコストが掛るのと、実態があることが弊害で、シェアの世界が作られない。

『なぜ、日本人は考えずにモノを買いたいのか?』シェアリングの仲介者としてのあり方

 シェアは個人とか企業の思惑を超えたところにあるけど、それまでの動きを探っています。
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