goo blog サービス終了のお知らせ 

未唯への手紙

未唯への手紙

豊田市図書館の20冊

2016年11月18日 | 6.本
498.8『ストレスチェック時代のメンタルヘルス』労働精神科外来の診察室から

547.48『Webサイト構築&運営がわかる本』新人IT担当者のための

933.7『ダーウィンの警告 上』

933.7『ダーウィンの警告 下』

543.5『死の淵を見た男』吉田昌郎と福島第一原発

778.25『最も危険なアメリカ映画』『国民の創生』から『バック・tゥ・ザ・フィーチャー』まで

333.6『世界経済 危険な明日』

382.1『日本生活史辞典』

518.85『森の都市Ⅱ』緑とスローモビリティによる都市作り

725.5『スーパーリアル色鉛筆』林亮太の世界・技法と作品~より精緻でドラマチックな表現へ~

304『世界大変動と日本の復活』竹中教授の2020年・日本大転換プラン

293.46『ウィーン・プラハ』

116.3『「正しい」を分析する』

290.93『シベリア&シベリア鉄道とサハリン』

234.6『図説 ウイーンの歴史』

386『サンタへの手紙』1870年から1920年までに子どもたちが書いたクリスマスの手紙と欲しい物リスト

334.4『移民の経済学』

211『松前藩』シリーズ藩物語 戦国動乱 北海の覇者、松前氏により立藩。アイヌ交易で繁栄を極め、最北の城下町・松前

317.6『新・情報公開法の逐条解説』行政機関情報公開法・独立行政法人等情報公開法

377.9『面接の達人 2018バイブル版』


アメリか合衆国 衆愚政治の先にあるものは

2016年11月18日 | 4.歴史
『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』より アメリカ合衆国 ⇒ 米国ほど、欺瞞に満ちたものはない。民主主義という建前を適当に使っている。ルメイとかトランプなどを生み出す風土。

衆愚政治が国を亡ぼす

 デマゴーゴス。

 紀元前5世紀、古代ギリシア・アテネにおいて、ペリクレス将軍は古代民主政を完成させました。

 しかし「完成」のあとに待つのは「崩壊」です。

 彼の死後、政才もないくせに舌先三寸で民衆を扇動し、アテネを亡国へと導いた政治家がわらわらと現れ、アテネは衰亡していきます。

 そうした政治家のことを「扇動政治家」といい、デマゴーゴスに導かれている政治のことを「衆愚政治」といいます。

 そして、衆愚政治は「死に至る病」。

 衆愚政治に入った国は、遠からず亡びることになります。

 ところで、2016年のアメリカ大統領選挙は後世に語り継がれる大統領選挙となるかもしれません。

 共和党の候補にD.トランプなる人物が現れたためです。

 彼の発言はもうメチャクチヤです。

  --メキシコ移民は麻薬と犯罪を持ち込む元凶だ。

  よって、メキシコとの国境沿いにこ刀里の長城々のごとき長大な壁を築く。

  その費用(1兆円前後)はメキシコに払わせる。

  --9・11の際、対岸のニュージャージー州では数千人ものアラブ人が拍手喝采してその光景を称えていた(事実無根)。

  --ムスリム(イスラーム教徒)の入国は全面的に禁止させる。

  モスクを閉鎖させ、ムスリムの身辺調査をし、監視体制を敷く。

  --イスラームとの戦いのためには拷問を復活するべき。

  --「イスラーム国」(IS)には徹底的に爆撃を行う。

  --白人によって殺される黒人の数よりも、黒人によって殺される市民の数の方がはるかに多い。

 もうどこからツッコんでよいのやら。

 たいへんに分かりやすい典型的なデマゴーゴスで、民主主義がまともに機能しているなら、けっして勝ち残るはずのない人物です。

 しかし彼は、予備選を勝ち抜きました。

 本書執筆時点ではまだ本選の結果が出ていませんが、こんな人物が大統領候補にまで昇りつめる時点ですでにアメリカの民主主義が〝死の病〟にあり、典型的な「衆愚政治」に陥っている証拠です。

 古代アテネにおいて、「クレオン」という人物はアテネを崩壊に導いた典型的なデマゴーゴスとして歴史にその名を刻みました。

 もしトランプ氏がホワイト(ウスの主となることがあれば、彼もまた「アメリカ合衆国を衰亡に導いた大統領」として歴史にその名を刻むことでしょう。

頂上から先は下りのみ

 頂点に立った者はかならず亡びる。

 歴史の絶対法則です。

 アメリカはすでに頂点を越え、今はその下り坂を転げ落ちている最中です。

 その時代の頂点に君臨するためには、どうしても「国家の特性」と「その時代の特性」をぴったりマッチさせなければなりません。

 これに成功することができれば、その時代において繁栄することができ、その時代の頂点に君臨する資格を得ることができます。

 しかし、時代の頂点に君臨するということは、その維持に莫大な経費を必要とするため、財政を逼迫させます。

 そして、「時代」はかならず変遷しますが、国家の体制‘本質はそうそうおいそれと変えることはできません。

 こうして、ひとつの時代においてその国を頂点にまで導いたシステムそのものが、時代が変わったとき、その国の足柵となって亡んでいくことになるのです。

 アメリカの場合、その建国事情によって、とりわけ「民主主義精神」の強烈なお国柄となりました。

 それが「帝国主義段階」という時代とぴったりマッチすることで、20世紀に覇を唱えることができたのです。

 しかし、「帝国主義時代」も今は昔。

 時代が急速に移り変わり、「21世紀新時代」を迎えてもなお、アメリカはそれに気づくことなく、帝国主義的外交を繰り返すのみ。

 時代が移り変わっても生き残る国はありますが、そうした国は新しい時代に身を合わせることができる国だけです。

 アメリカのように、古い時代のやり方に固執しているようでは亡国の道をまっしぐらです。

 それを証明するように、現在、アメリカ経済はすさまじい勢いで貧富の差が広がっています。

 それは、1929年の世界大恐慌直前の貧富の差に匹敵するほど。すべてのベクトルが「アメリガ崩壊」を示しています。

スローガンと現実

 ちなみに、テレビというものが普及して以降、衆愚の心を掴むためには、いよいよ単純で短い言葉を繰り返し繰り返し叫ぶ「スローガン」がより有効になってきました。

 そこで、歴代大統領の掲げたスローガンを見ていくと、おもしろいことに気づきます。

 彼らの掲げたスローガンはすべて「ないものねだり」であり、実現していないものばか

  L.ジョンソン「偉大なる社会」→貧相な社会

  R.ニクソン「法と秩序」   →法も秩序も崩壊している

  R.レーガン「強いアメリカ」 →弱いアメリカ

  B.オバマ「Change!」「Yes, We can!」→何も変わらない、何もできない

 こうしてみると、滑稽なほど「現実」はスローガンと真逆です。

 では、2016年大統領選挙において、D。トランプ氏はなんと叫んでいるのでしょうか。

 「強いアメリカをふたたび!」

 嗚呼!

アメリカ合衆国 中国進出に邪魔な日本

2016年11月18日 | 4.歴史
『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』より アメリカ合衆国 ⇒ 米国ほど、欺瞞に満ちたものはない。西部が無くなったからフィリピン、そして、中国。

砲艦外交

 その点、アメリカは国内に膨大な「無主の地」を有していたため、それが可能でした。

 改革は〝イバラの道〟ですが、成功すれば未来は明るい。

 膨張は〝安易な道〟ですが、ひとたびこの道に入れば後戻りはできません。

 あとは限界が来るまで膨張しつづけるのみです。

 しかしアメリカは、この〝後戻りできない安易な道〟を選んでしまいました。

 するとたちまち、あれほど広大だった「西部」も、アッという間に食い尽くし、それにも飽き足ることなく、つぎは「海(太平洋)」へ向かいます。

 以後、アメリカは「軍艦を並べて軍事的威嚇によって有利に外交交渉を行い、侵掠政策を進める」という、所謂「砲艦外交」を行っていきます。

 すでに19世紀半ばに西海岸に達したとき(1848年)、彼らは目の前に広がる太平洋をそのまま突き進み、その先にあった日本に対し、江戸湾に「黒船」を並べて開国を求めた(1853年ペリー来航)ことはあまりにも有名です。

 もっともまだこのころは、捕鯨のための寄港地程度にしか考えていませんでしたが、19世紀の末までに北米を食い尽くしたアメリカは、いよいよ建国以来の「孤立主義」をかなぐり棄てて「侵掠」を目論むようになります。

  --我々アメリカ合衆国だけが、アメリカ大陸諸国に介入する権利を持つ!

 要するに、孤立主義を「アメリカだけが独占的に侵掠行為を行使できる権利」と論理のすり替えを行ったのでした。

 まず彼らが目をつけたのが、北米大陸のすぐ南に隣接するカリブ海。

 当時この海域はスベイン植民地でしたが、たまたまキューバのハバナ湾に停泊していた米艦メイン号が突然爆沈した事件を捉え、「スペインの陰謀である!」として国民を煽ります。

 ほんとうの原因は単なる「事故」でしたが、スペインとの開戦口実を探していたアメリカにとって「真実」などどうでもよいこと。

 こうして1898年に勃発したのが「米西戦争」です。

 新進気鋭の「世界第3位の海軍大国」アメリカと「旧時代の二流国家」スペインでは、結果は火を見るより明らかでした。

 戦後アメリカはカリブ海・太平洋地域におけるスペイン植民地をことごとく押さえ、キューバを保護国とし、プエルトリコを併合して、カリブ海域を「アメリカの裏庭」としたのみならず、太平洋ではフィリピン・グァムを併合し、その影響力を太平洋地域にまで延ばします。

 ■アメリカ発展の理由③■

  建国以来の「孤立主義」の解釈を都合よく変えることで、ヨーロッパの介入を阻み、植民地を独占的に拡大することが可能となった。

中国進出

 そうなれば今度は、ここフィリピン・グァムを橋頭堡として中国を見据えます。

 しかし、一歩遅かった!

 その1898年、中国・清朝は、旅順・大連をロシアに、威海衛をイギリスに、膠州湾をドイツに、広州湾をフランスに与え、それに日本を加えた列強5ヶ国に「勢力範囲」を認めさせられ、すでに「瓜分」はほとんど終わっており、アメリカが付け入るスキはなくなっていました。

 アメリカは伝統的に「中立主義」で、それは第5代J.モンロー大統領の「モンロー教書(1823年)」により完成し、このころすでに空文化していながらまだ公式に棄てたわけではありませんから、この中国分割に「俺にも一枚噛ませろ」とはいえません。

 そこで翌1899年、当時の国務長官J.ヘイは所謂「門戸開放宣言」を発します。

  --特定の地域の利権を特定の国が独占するのはよくない。

  誰にも平等に門戸は開かれているべきであり、機会は均等に与えられるべきである!

門戸開放、機会均等。

 たいへん耳当たりのよい、御為ごかしの美辞麗句が並んでいますが、要するに「我がアメリカにも、中国を喰いモノにさせろ」と言っているだけです。

 ■アメリカ発展の理由④■

  自国の行う悪事悪行を美辞麗句に言い換えることが異常に得意であったため、国民国際世論を味方につけることができた。

 もちろん、列強はこれを黙殺。

満州争奪戦

 そこでアメリカは、当時いまだその支配権を巡ってモメていた満州に目をつけます。

 じつは、アメリカが「門戸開放宣言」を発した翌1900年、中国では「義和団の乱(北清事変)」が起こっていました。

 「瓜分の危機「1898年~)」に対する排外運動が暴動化したものです。

 この叛乱自体は、「8ケ国共同出兵」が行われて、アッという間に鎮圧されて終わりましたが、このドサクサにまぎれてロシア軍が満州を不法占拠したまま撤兵しなくなってしまいます。

 これに国家存亡の危機に立たされたのが日本。

 そして、制海権の脅威を受けたのがイギリスとアメリカでした。

 このまま満州がロシアの支配下に入れば、ロシアはここを橋頭堡として朝鮮半島を支配下に置くことは火を見るより明らかでしたし、そうなれば、日本も朝鮮の二の舞となって亡ぼされることは確実だったからです。

 そしてそうなれば、ロシアは朝鮮・日本を足場として太平洋へ海上発展することは明白で、海上支配権を握るイギリス・アメリカにとってははなはだ都合が悪かったのです。

 そこでイギリスは日英同盟(1902年)を結び、アメリカも不平等条約(治外法権)を撤廃(1899年)したり、日露戦争の仲介の労を執ったりして、日本を陰に日向に掩護しました。

日露戦争後の日米関係

 当時の日露は、人口で3倍、海軍力で3倍、陸軍力で15倍、歳入で8倍という圧倒的国力差にあって、本来日本にはまったく勝ち目のない戦争でしたが、こうした掩護のおかげもあってなんとか日本が辛勝、ロシア軍を満州から全面撤退させることに成功します。

 しかし日本は賠償金が取れなかったため、戦後、悶絶することになります。

 日本の歳入が2億5000万の時代に17億円(歳入の7年分)もの戦費を費やしましたから、すでに国力は疲弊しきっていて日本国民が食べていくことすらままならず飢えに苦しんでいるというのに、そのうえこの借款を返還していかなければなりません。

  --一将功なりて万骨枯る--

  戦争そのものには勝利し、ロシアの奴隷民族になる危機からは脱したものの、国は荒廃するばかり。

 この先の見えない事態を打開するためには、満州・朝鮮から新しい収益を得るしかありませんが、当時の満州・朝鮮は日本に負けず劣らず貧困にあり、とてもそこから収益を上げる状態にありません。

 そこでまず、満州・朝鮮から収益が上がるようにするため「投資」が実施されます。

 もちろん、日本に投資の資金などありませんからさらなる借款です。

 いわば「借金を返すために借金をする」というドツボに入っていったのです。

 ここに目をつけ、甘言をかけてきたのがアメリカ鉄道王 E.ハリマン。

  --どうだろう、1億円の資金を提供しようではないか。

  その代わり、南満州鉄道を共同経営にしよう!

 当時の日本にとって、1億円は喉から手が出るほどほしい。

 時の元老・桂太郎、伊藤博文、井上馨らは、ついついこの甘言に乗り、桂ハリマン覚書を交わしてしまいます。

 しかしその直後、ポーツマスから帰国してきた小村寿太郎は、これを知って激怒。

  --こんな「共同経営」など名ばかりだ!

  やつらは口先では日米平等と謳っているが、これを足掛かりに実質的経営を乗っ取る気であることは目に見えているではないか!

  それでは日露戦争で散っていった〝十万の英霊〟に申し訳が立たぬ!

 こうしてアメリカは、仮協定まで漕ぎつけながら一方的に破棄され、アジアヘの足掛かりを挫かれたため、日米関係がこのあたりからギクシャクしはじめました。

  --東アジアを我が国の隷属化に置くためには日本が邪魔だな。

 アメリカはつぎに「満州鉄道中立化」を提案(1909年)するも、これも「中立化」といえば聞こえはいいが、中立化することでアメリカが食い込もうとしているだけで「J.ヘイの門戸開放宣言」と同じ精神のものでしたから、この見え透いた提案に日本はおろか、英・仏・露ともに反対し、失敗に終わります。

 東アジアまで隷属化に置こうとするアメリカにとって、日本という国が「障壁」となりはじめます。

アメリカ合衆国 南北戦争で65万人の戦死者

2016年11月18日 | 4.歴史
『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』より アメリカ合衆国 ⇒ 米国ほど、欺瞞に満ちたものはない。南北戦争から米西戦争への流れ。

米英戦争

 こうしてアメリカ北部の産業界は、ヨーロッパ大陸の諸国に商品を輸出することができなくなって大打撃を被り、米英関係も一気に冷え込みます。

 とはいえ、当時の北部産業界はいまだイギリス経済に依存していたため、ここで「自由拿捕令が不満」だからといって対英開戦すれば、対英貿易までも途絶し、北部の産業は潰滅してしまいかねません。

 したがって、不満は大きかったけれど北部から「開戦!」の声が上がることはありませんでした。

 ところがタイミングが悪いことに……というべきか、ちょうどこのころアメリカは西部に住むインディアンと交戦状態に入っていたのですが、西部や南部の議員たちは、彼らインディアンの後ろで糸を引いているのはイギリスだと睨んでいました。

 そのため「臭いニオイは元から断たなきゃダメ」とばかり、「インディアンを撃滅するためには、黒幕のイギリスを叩くしかない!」という政見が広がっていきます。

 時の大統領J.マディソンは北部産業を守りたかったため、開戦には消極的でしたが、ついに西部・南部議員の開戦派「戦争の鷹」の力を抑えることができず、1812年、イギリスと交戦状態に入ってしまいます。

 これが所謂「米英戦争(1812年戦争)」です。

 対英戦線では、一時英軍が上陸して大統領官邸が焼け落ち、危機的な状況に陥ったこともありましたが、対インディアン戦線においては、H.ハリソン少将が首謀者テクムセを戦死させることに成功し、A.ジャクソン大佐がクリーク族に絶滅作戦を実行したことで、ほぼ戦争目的が達せられると、戦争は急速に終戦に向かいました。

 当初、マディソン大統領は北部産業を守りたい一心で対英開戦を望んでいませんでしたが、いざ蓋を開けてみると、北部産業は潰滅するどころか、内需拡大に力を注いだことで、イギリス経済への依存体制を脱却し、経済的に自立し、のちの第二次産業革命の基盤を作ることに成功します。

 まさに「瓢箪から駒」。

 この戦争が「第二次独立戦争(経済的独立)」と呼ばれることもある所以です。

 そのうえ、西部・南部のインディアンたちに対して絶滅に近い大殺戮を実行したことで、以後、インディアンの抵抗がほとんどなくなり、広大な「新天地」を得て、アメリカはさらなる拡大と発展が可能となります。

 イギリスが「膨大な黒人奴隷の屍」の上にPax Britannicsa を築いていったように、アメリカもまた「膨大なインディアンの屍」の上に、これからPax Americana を築きあげていくことになります。

 一見きらびやかで華やかにみえる白人の繁栄は、つねに「膨大な有色人種の屍」の上に立つ、たいへん〝血なまぐさい〟ものだということを歴史から学ばなければなりません。

 ■アメリカ発展の理由②■

  米英戦争によってイギリスとの交易が強制的に途絶した結果、経済的な自立を促し、それがのちの第二次産業革命を誘引した。

南北対立の要因

 こうしてアメリカ合衆国は、図らずも米英戦争によって発展の基盤を手に入れることになりましたが、「Pax Americana」への道はまだまだいくつかの試練を越えていかねばなりませんでした。

 イギリスは戦中、対米貿易が断絶したことで在庫を抱え苦しんでいたため、戦後、ここぞとばかり、アメリカに輸出攻勢をかけてきます。

 当時すでにイギリスの産業は「産業革命の完成期」が間近に迫り、成熟していたのに対して、アメリカの産業は産業革命どころか、ようやく〝よちよち歩き〟できるようになったばかり。

 まさに〝大人と子供〟で、まったく太刀打ちできません。

 そこで、アメリカ北部の産業界を守るため、1816年「一般関税法」が制定され、保護貿易に突入します。

 イギリスから輸入される「安価で高品質な商品」に高関税をかけることで自国の商品を守ろうとしたわけです。

 しかしそんなことをされては、イギリスの商品が売れなくなってしまうため、イギリスはこれに抗議します。

  --関税をかけるのを止めよ!

 しかし、交渉が決裂すると、イギリス側は報復措置に出ます。

 イギリスの産業革命は綿布を主力とし、その原料である綿花を多くアメリカ南部から輸入していましたが、これに高関税をかけたのです。

 これをやられると、今度は南部の大農主が大打撃を被ります。

 こうして、北部の資本家を守るために実施した関税が、巡り巡って南部の大農主を苦しめる結果となり、北部と南部の対立が表面化していきました。

南北戦争

 このように南北の対立が生まれる中、ちょうどそのころ、アメリカ人による西部地域への植民活動が活性化していきます。

  --我々が西へ西へと植民していくことは、神が与え給うた〝明白なる天命〟である!

 こうして、さらなるインディアンの殺戮・駆逐・掃討しながらの植民活動が盛んになりましたが、それは北部と南部の勢力争いの場ともなります。

 なんとなれば、こうして新たに州が生まれれば、それが「北部の自由州」となるか「南部の奴隷州」となるかで、連邦議会の議員数に直結するためです。

 北部と南部の対立が深刻化する中、両陣営とも議員の数はひとりでも増やしたい。

 こうして、熾烈な〝新州争奪戦〟が繰り広げられる中で、1854年、「南部憎し!」の議員たちが結集して生まれたのが、現在まで脈々とつづく「共和党」です。

 南部議員は「民主党」を権力基盤として対抗していましたが、両者が歩み寄ることはついになく、1860年の大統領選で共和党の候補(A.リンカーン)が大統領に当選すると、これに危機感を覚えた南部は、ついに翌61年、内乱を起こします。

 これが「南北戦争」です。

 南部諸州は「アメリカ連合国」として独立を宣言、以後足かけ4年にわたって合衆国は国を二分して戦うことになりました。

 ちなみにアメリカ合衆国は、独立戦争から始まって21世紀の現在に至るまで、いくつもの対外戦争を経験してきましたが、その戦死者数は意外なほど少なく、そのすべてを総計しても60万に届きません。

 しかし、このときの内乱だけで北軍と南軍、両軍あわせて戦死者は65万を超えるという惨事となりました。

フッサールによる他我の明証

2016年11月18日 | 1.私
『「他者」の倫理学』より フッサールにおける独我論の哲学 ⇒ なぜ、他者が存在しないという、当たり前のことにこれほど拘るのか。それよりも、その先に行かないといけない。「私の世界」と「他者の世界」とする。それが未唯空間第10章のテーマ。

フッサールは、一九三一年に『デカルト的省察』を発表し、その「第五省察」において、いわゆる「間主観性」論を展開することになる。すなわち、これまで彼が遂行してきた世界の超越論的主観性による自己意識への還元に対し、この省察では、純粋自我により構成された世界において、どうすれば他者の主観的世界が妥当視されることが可能になるかという、現象学における最大のアポリアに挑むことになるのである。

いうまでもなく間主観的世界が成立するためには、自己と同じ主観を共有する「他者」、いいかえれば唯一の超越論的主観である自我が認識しているのと同じ世界を認識する「他我」が存在していなければならない。しかしながら現象学においては、自己と同型の他者をあらかじめ前提することはできない。それゆえフッサールは、自己の意識に現れる他者を、自己と同じ主観をもつ存在として「構成」することによって、他我の存在を明証し理解しようとする。つまり、自己の主観は独我論的な主観ではなく、他の主観と相互的で共軌的な間主観性をもつものであり、自己は他者との共属世界においてのみ存立しうることを明らかにしようというのである。

すなわちそれは、これまでの超越論的還元が、世界から純粋自我へと還帰する自我論的還元であったのに対して、いわば純粋自我を出発点にして、あらゆる人々に共通に認識される世界の妥当性を構成する「形相的還元」の試みであるといわれるものである。

出発点は、『イデーンⅠ」とにおいて到達した世界の「第一次領域」である。それが、他者を含むあらゆる自然的な信憑をカッコに入れた超越論的主観性の世界であることはいうまでもないことであろう。そこには自我と、その意識によって構成され意味付与された事象世界しか存在しない。この自我によって構成された事象世界には、あらゆる物質や観念が含まれているが、ただひとつ他とは異なるものが存在する。フッサールはそれが「自己の身体」だというのである。

「身体」はたしかに構成された世界の一部であるが、他の世界の素材とは明らかに異なっている。フッサールによれば、そこには二つの異質性がある。第一に、「自己の身体」は、私のすべての感覚直観が帰属する唯一の素材であること。第二に、「自己の身体」は、私の意識の自由な志向性に応じて動かすことができる、つまり私の意思が直接自由に支配しうる唯一の素材であること、である。こうして「自己の身体」は世界のさまざまな他の構成物と区別され、それらに先行する。すなわち、「自己」と「自己の身体」の関係こそが、世界においてもっとも根源的で密接な関係として認知されることになるのである。

さて、この関係が直観されると、「自己」は、「自己以外の身体」について、それを私ではないものとして認識することになる。なぜなら、「他の身体」は、私の感覚的直観に帰属せず、私の意識の自由な志向性に応じた動きをすることがないからである。けれども、物体としての「他者の身体」は、それが私の身体に類似しているという事実から、具体的には頭部と胸腹部、性器や四肢などによって構成されているという事実から、「自己の身体」との「類比性」を直観することができる。すなわちそれは、私の身体と「対関係」にあるものとして理解されることになる。こうして「他者の身体」は、自己の身体とまったく同じ「身体」という意味を移入されるのである。フッサールは、その第五省察においてつぎのようにいう。

 「私の第二次領域のうちに一つの物体が現れ、それが私の身体に類似している、すなわち私の身体と対関係を結ぶに違いないような外観をもつ物体として現れたばあい、その物体は、私の身体からの意味の移し入れによって、ただちに身体という意味を受け取るにちがいない。」(デカルト的省察二〇三頁)

いいかえれば、「他者の身体」に、「自己」から「自己の身体」への密接な志向関係と同様の意味を付与し、ここから、「自己投入」と呼ばれる「意味の移し入れ」によって、他の身体の動きに対応する「自己」の類似者としての「他者」を構成することになる。たとえば私は、自分が喜びや悲しみを感じたとき、その志向性に応じて自己の身体にどんな創造的作用が生じるかを知っている。一例をあげれば、私の感情の変化によって顔に紅頬や落涙が生じ全身に発汗が生じることがある。それゆえ私は、私ではない他の身体に、私と同じような紅頬や落涙あるいは発汗という作用が起こったとき、そこに私と同様の感情をもつ「類似者」すなわち「他者」の存在を構成することができるようになる。これをフッサールは、身体の「対」関係を介した自己の「根源的呈示」に対応する、他者の「想像的呈示」と名づけている。

こうした一連の過程をへて、初めて「他者」は、「自己」の「類比的統覚」として、私の意識のうちに間接的に呈示されることになるのである。

このように、人間は知覚直観によって物体としての認識を構成し妥当していくことができるが、「他者」の妥当にかぎっては、特殊な構成方法を採らざるをえない。フッサールはこれを空間的位置関係に喩えて、「自己の身体」がここにあり「他者の身体」がそこにあると仮定したばあい、フもし私がそこに身を置いたならば、他者の身体は、同様の現れ方をするであろうものである」という。すなわち「自己」と「自己の身体」の密接な根源的関係から「類比」して、「自己」ではないが「自己」と同様のものがそこに存在するはずだという確信が得られるというのである。

それゆえ「他者」は、自己の類似者として以外にありえない。他者は、必然的に私の客観化された最初の自我であり、これをフッサールは「私の第一次領域の指向的変種」と名づける。ここにおいて「他者」は、たんなる私の類推現象にとどまらず、「私という自我の変容態」すなわち「他我」という意味を付与されることになる。すなわち他我のモナドは、私のモナドを通じて間接的に提示され、構成されることになるのである。

 「根源性(オリジナル)として現前し確認できるものは、固有なものとして私自身に属している。それに対して、原初的には充足されない仕方で経験されるもの、それが『異なるもの』としての『他者』なのである。それゆえ他者は、自分固有のものの類似物(アナルゴン)としてのみ考えることができる。……つまり他者は、現象学的には私という自己の『変容』として現れるのである。」(デカルト的省察二〇六頁)

それゆえ他者は、私と同等の存在でありながら、いいかえれば私でないもう一人の私として根源的に意識される存在でありながら、根源のままには与えられない存在でなければならない。他者は、「根源性」という言葉のなかに形容矛盾として含まれる、私ではない他の私つまり私の「類似物」という二重の性格をもってのみ現前することになる。

したがってフッサールのいう[間主観性]とは、けっして「自己」と「他者」のあいだにある共同的な主観性もしくは主観の相互作用を意味するものではなかった。それゆえまた、「自己」と「他者」がともに同一の世界の中に属しているという事実を保証するものでもなかった。なるほど「他者の主観性」は、それぞれの相関者としての他者の違いに応じて多様に現出するであろう。だが、それはあくまでも、私(自己)の主観性によって他者を認識する、ひとつの確信の妥当を意味しているにすぎない。それぞれの主観は各人の「構成」によってひとつのまとまった体系をもちうるが、それらの「間主観的世界」なるものは、どこまで遡っても、それぞれの私(自己)による超越論的主観性の世界への内属から脱却することはできなかったのである。

以上から明らかなように、フッサールの説く「他者」構成なるものは、自己の意識に現れる主観を他者も同じように共有するはずだという確信を述べているにすぎないことになろう。したがって、そこに構成された「他我」は、たんに自我が投影された自己の操り人形にすぎず、実際に原的に生きている他者になっているわけではない。フッサールのいう「他我」は、超越論的に構成された純粋意識の枠内に閉じ込められて、自我による意味付与から一歩も超出することはなく、いわば自我の暴力性に服従する幻想的な「他者」でしかなかったのである。フッサールはこれを認める。

 「私は他我の身体によって他我を意識するのである。他我の身体は、他我自身には、絶対ここという現れ方において与えられている。しかし私は、私の第一次領域のうちにおいてそこという様態で現れるものと、他我の第二次領域のうちにおいて彼に対してここという様態で現れるものとが、同一の物体であるといったいどうして言えるのであろうか。」(デカルト的省察二一六頁)

すなわち現象学という独我論を前提とするかぎり、私の身体と、私の意識のなかに構成された他者の身体との間には「超えることのできない深淵」がある。それはけっして単一の世界を構成していない。

これこそが、フッサールの説く「問主観的世界」が、ひとつの客観的世界ではありえず、誰もが同じ世界を見ているはずだという、いわゆる「自己投入」された私だけの臆見的世界にとどまったゆえんであろう。こうして、「他者」の主観が「自己」の主観と基本的に同一の構造をもつという推測の範囲において、「自己」は「他者」を理解できるというのが、フッサールの「間主観性論」の結論であった。それはいわば、私(自己)が他者を理解したのではなく、理解したつもりになっているにすぎなかった。そこでは、自己と他者との共属的同一性は、ついに保証されることはなかったのである。

けっきょくフッサールは『デカルト的省察』において、自己とそれ以外の他者とが共通に営むという意昧での「問主観的世界」の構成に失敗したといわざるをえないのではなかろうか。

未唯にスタバのプリンを!

2016年11月18日 | 7.生活
未唯にスタバのプリンを!

 未唯と赤ちゃんが風邪を口実に、実家に避難してきてから、1週間以上。テレビの前に赤ちゃん、その後ろに未唯が居る風景に慣れてきた。赤ちゃんを除けば、以前の風景そのもの。

 居ついている未唯にスタバのプリンと思って、八時過ぎに駅前スタバへ駆けつけた。やはり、売り切れていた。開店後、5分でなくなったそうです。聞くところ、8つしか無いところに、西高の女子高生が開店前から並んでいた。

 未唯が居る内に買いたかった。可哀想な未唯! こんな個数で、期限限定で行なう理由がわからない。

豊田市の行政は50年経っても変わっていない

 久しぶりに八時前に車で道路に出た。駐車場化していた。移動する道具が移動していなくて、エネルギーと時間だけを使っている。豊田市のエコは車と道路との関係から始めないと。と言っても、50年前に西高に自転車で通っていた道は変わっていない。

未唯へ

 朝だと、少し動いただけで、右胸が痛い。原因不明。

 ゴミ出しを理由にすれば、朝早くから家から容易に出れる。

歴史の進化の始まり

 歴史の進化については、全てを述べるわけにはいかないので、補うカタチで行ないます。今までのカタチは意思の力で行なってきた。そこでは、カリスマとか指導者みたいなものが中心になって変わってきた。

 民衆だけで動くと、変わることができるけど、変革を固定できないし、維持できない。そういうことで、リーダーシップというごまかしが出てきた。これがアラブの春とそれ以後の姿。

覚醒から歴史の変節点

 それに対しての限界が出てきた。アラブの春のように、それぞれが動く時代です。動ける時代です。そのための情報共有の武器を持ち始めている。そこで必要なのは、覚醒と全体を見るための力です。

 そのベースになるのは、生きている意味を問う、存在の力です。それで歴史を変えていく。共有する、新しい循環。幸いにも、時間軸は加速化します。以前の100年が1年になっている。個人の覚醒と時間の力を使って、一気に歴史の変節点まで持って行く。

 こんなのんびりした世界をやはり、変えていかないといけない。宇宙の歴史が137億年と今とが時間軸が異なるように。歴史を変えることに人類が耐えられるかどうかの時代になってくる。

 歴史の変節点以降はどうなるかは多重宇宙の論理に任せるしか無いでしょう。

 歴史の進化を簡単に言うと、意思の力で進んできた。進化の条件は揃った。意思の力で、変節点に向かって動く。その後は多重宇宙の論理に従う。

エコットへの遠出

 豊田市郊外にある、環境学習施設に車が並んでいると、ぞっとします。これだけのガソリンを消費して、どこがエコなのか。会議があるのならば、こんなところまで来なくてもいいような環境を作り出すのが趣旨でしょう。それがミライでしょう。ミイラではなく。クルマなんぞという、中途半端なものを使って、移動していてはダメです。

 ガソリン代がもったいないので、岡崎市図書館は2週間に一度にした。ということで、岡崎への途中にあるエコットに行くのも、最低、2週間に一度にした。

10.6「数学的解釈」

 10.6「数学的解釈」はその名の通り、解釈です。原則となるのは存在と無です。本来、矛盾するものが配置されている。

 それに対して、集合論では無いけど、集合と点との関係です。それによって、次元が上がったり、下がったりします。そのカタチです。全体が個になることは起こります。

 今の社会に当てはめると、組織と個人との関係になります。組織も民族とか国家とか会社とか、色々あるけど、それらが一つと対比される。そのためには真ん中が必要です。中間の存在がそれぞれをつなぎ合わせる。その最終形が、個人と超国家を結びつけるものです。

未唯宇宙の表現スタイル

 最初からバラすのでは無く、アウトライン側でやっていきます。次元を拡げるだけの素材があるのかどうか。

 例えば、10.5.1「意思の力」のなかの「宗教」。三つの宗教を深掘りする必要があります。クルアーン、すなわち、戒律。一神教での来世の思想。日本の場合は、阿弥陀弥陀仏だけで救われるというカタチ。

 これらをアウトライン側だけで、10.5.1の下に置きます。それでカタチが決まれば、プレゼン側に反映させます。非正規の姿に耐えます。

アウトラインの脆弱さ

 アウトライン側を整備するしか無いでしょう。その時は参考資料とのサンドイッチになります。常に挟み込むカタチです。その時は参考資料の方の整備を中心に考えます。何しろ、三千冊の要約でもあるのだから。私のために書いてくれた人に報いることになる。

 そうなると、課題はインスピレーションの不安定さです。20年以上前のバージョンがここまで持っているのが奇跡です。

「あらかじめ語られるロマンス」

 「あらかじめ語られるロマンス」のNHKバージョンがなかなか復活しない。生ちゃん達がぴょんぴょん跳ねる。

新刊書の冊数

 岡崎と合わせても30冊。来週も楽ですね。

『「他者」の倫理学』フッサールによる他我の明証

 一連の過程をへて、初めて「他者」は、「自己」の「類比的統覚」として、私の意識のうちに間接的に呈示されることになるのである。⇒ そんなに単純なものなのか。中学生の頃は、他者が全て、自分だと認識した。つまり、時間の差でじぶんが「他者」として、生まれて、そこに居る。それを<今>の自分が見ている。

 その頃は、相見るのが恐くて、初恋の同級生だけは存在しているものと仮定できた。その時以来、常に「絶対的な存在」を一人決めて、やってきた。

 なぜ、他者が存在しないという、当たり前のことにこれほど拘るのか。それよりも、その先に行かないといけない。「私の世界」と「他者の世界」とする。それが未唯空間第10章のテーマ。

『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』アメリカ合衆国 南北戦争で65万人の戦死者

 米国ほど、欺瞞に満ちたものはない。米英戦争後の南北戦争での殺し合い、それも素人がライフルで撃ちまくった。本当に野蛮人です。終戦後に、そのライフルは日本に売られて、明治維新につながった。江戸無血開城のように、血だけは流さなかった。

 その後の米西戦争でキューバを占領して、ついでにフィリピンを占領した。スペインが弱ったところで、乗り込んだ。この時から、名目と異なる、海外戦争が始まった。

『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』アメリカ合衆国 中国進出に邪魔な日本

 「西部」をアッという間に食い尽くし、それにも飽き足ることなく、つぎは「海(太平洋)」へ向かいます。得意な砲艦外交です。日本は幸いにも、南北戦後で、その時点ではタイミングを逸したが、フィリピン・グァムを橋頭堡として、中国に向けられた。日本は日清戦争、日露戦争の真っ最中。

 中立外交とか門戸開放、機会均等という名目で中国の満洲の利権を狙った。偶々のポーツマツ条約という成果で日露の間に入り込んだ。

『「覇権」で読み解けば世界史がわかる』アメリカ合衆国 衆愚政治の先にあるものは

 米国ほど、欺瞞に満ちたものはない。民主主義という建前を適当に使っている。トルーマンとかルメイとかなどを生み出す風土。そして、今、トランプ大統領を生み出した。民主制度を信じないものが民主主義制度の欠陥を狙って、入り込んできた。民衆の声という、訳のわからないものを使って。

 アメリカ第一主義は、皆が考えなくなる。考えない民主主語は全体主義です。アメリか合衆国を滅ぼすだけではすまないでしょう。全てのバランスを壊していきます。そのパンドラの白から何が生まれるか。