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未唯への手紙

未唯への手紙

アメリカ民主主義に関する新刊書

2016年11月19日 | 6.本
人類が忘れていること

 人類は生きるために、一番肝心なことを忘れている。生まれてきたことの意味。

何でもできそうな風体

 自分は写された写真を見て、ビックリしました。なんじゃ、これ! これなら、どんな風変わりなことでもできそうです。誰も文句は言わないでしょう。

未唯空間をストック情報としてアップしようか

 未唯空間をストック情報として、ウェブ化しようか。残すことには意味がないけど、私の世界の物語としてはしゃれている。

 そんなサービスをやっているところを見つけないといけない。ブログのようなフローでは無く、ストックです。未唯空間本体のパワーポイントをウェブ化はマイクロソフト側にあるので問題ない。

 アウトライン側はインスピレーションでは20年前のツールだから、ワードに変換して、ウェブ化するカタチになる。自分のパソコン内でリンクを付けて、そのまま展開するのは古いタイプだから、クラウドを活用した、新しいタイプを探さないといけない。これは出版形式になるかもしれない。

トランプへの対抗策

 とりあえず、米国に勝つためには、中国と組んで、アメリかを占領するしかない。これはヨーロッパがアメリかに対して行なったのと同じです。中国を一億人ぐらいを送り込んで駆逐するしかない。

 前の大戦のようないい加減な戦争をするんではなく、最後までのシナリオを作っておかないと。それが不可能なら、いかに平和的に次の時代のシナリオを描くか。

アメリカに関する新刊書

 今週の新刊はアメリかに関するものが多かった。やはり、あんな民主主義でどうするのか。どこへ向かっているのか。わからないことだらけ。歴史から見るとかなり、やばいことになっている。

『メイキング・オブ・アメリカ』移民国家アメリカ 同化主義から文化多元主義へ

 アメリカ合衆国が、多層な移民から成り立った国で同化主義をとってきたが、実態はインディアン対策に見られるように、都合のいい排他主義である。それがメキシコ国境の州はあまりにも流入が多いので、文化多元主義に変わってきた。LAPL(ロサンゼルス公共図書館)では、移民に対する英語学習センターを開いている。

 コミュニティで対応していくしかない。イスラエルのように、壁を作ろうとしている。出て行く人間に対する壁はできるけど、入ってくる人間に対しては壁はできない。

『貧しい人々のマニフェスト』危機が持続する構造 恐るべき資本主義 幸福とは何か?

 フェアトレードが資本主義を内から変えていくように書かれているけど、スタバが標榜しているように、フェアトレードは安く、商品を手に入れ、ゆーざーの共感を得ようとする手段に過ぎない。フェアトレードには幸福はない。

『移民の経済学』国境の開放化に関する急進的な見解

 国境が拓かれていないのは確かです。EUに入り込もうとする移民が払う犠牲、移住しようとする移民の数は膨大です。なぜ、国境があって、それを超えようとするのか。国民国家の枠が民族とか宗教にとって、制約になっている。超国家としてのEUに対するアラブ国家とか地中海国家という枠を拡張させれば、「移民」はなくなる。

世界は開かれた国境からほど遠い

2016年11月19日 | 3.社会
『移民の経済学』より 国境の開放化に関する急進的な見解

今日、世界の国境はどのくらい開放されているのだろうか。実際のところ、ほとんど開放されていないと言ってよいだろう。この問題について、次の三つの視点から検討してみたい。まず法律の条文、法律逃れのために移民が払う犠牲、そして移住できない移民の数の三点である。今日の世界の国境はほとんど開放されていないため、すべての数字は推測の域を出ない。それでもこれらの数字は、開かれた国境のもつ本質を理解するのに役立つ。もっと正確にいえば、閉ざされた国境がどれだけグローバル社会を歪め、自由と経済的価値を破壊しているのかを評価する助けになる。

まず法律から始めよう。先進国の基準によると、アメリカの移民に関する法律はかなりリべラルである。それにもかかわらず、合法的移民になるルートは限られている。家族の呼び寄せ(家族の再統合)、高い技能の保有、難民や亡命、そして移民多様化ビザの抽選などである。典型的な家族の再統合の場合、認可までに7~12年の年月がかかり、メキシコ人の場合は約20年が必要である。就労ベースのビザの必要条件はかなり厳しい。合法移民の申込みには、非凡な能力、少なくとも大学卒業以上の学位、アメリカの多国籍企業の保証、あるいは50万ドルの投資資金が必要である。高度人材なら、非移民H-1Bビザを申請することも可能である。H-1Bビザは永住者ビザに移行できる。このカテゴリーは非常に競争が激しく、年間応募の割当て枠は通常10日でいっぱいになる。アメリカでは、年間約5万人の避難民と亡命者の入国を認めているが、2012年の上限は7万6000人とされた。最後の移民多様化ビザの抽選に当たる確率は、ほぼゼロに等しい。2008年には、1億3600万人が5万人の募集枠に殺到した。さらに低い技能しかもたない単純労働者の中には、H-2AやH-2Bを取得する者もいる。しかしこれらのビザは取得が難しく、失効も早い。また長期の居住者ビザに切り替えることができない。

要するにアメリカは、世界の人々に対して長期滞在への道を開放していない。一時的な就業機会もほとんど提供していない。実際には、一時的な滞在でさえ難しい。領事館に長期滞在の意図がないことを認めてもらえなければ、申請は簡単に却下されてしまう。その結果、将来合法的移民となれる見込みがある人でも、不法に国境を越えてきたり、ビザの在留期限が到来した後もそのまま居残ってしまう。アメリカには、現在1100万~1300万人の不法移民が滞在している。それはアメリカ国内で暮らす外国生まれの人々の約三分の一に当たり、全人口の約4%に相当する。

移民法はどれほど重要であるのか。闇市場の価格をみてみよう。闇市場の価格とは、貧しい移民が国境を越えるために支払おうとする価格のことである。メキシコからアメリカヘの密入国者が斡旋業者へ支払う金額は、現在約4000ドルと言われる。これはメキシコの典型的な農業従事者の四年分の所得に相当する。さらに遠くの国からの斡旋価格は、おそらくもっと高くなるだろう。インドでは現在、斡旋業者はアメリカヘの不法入国希望者に6万ドルを請求している。それを支払うためには、インド人の中所得層でも10年間以上もの所得をすべて貯蓄しなければならない。この金額を非常に高額だと思う人がいるかもしれない。しかし、移民の決意はこんなものではない。メキシコとアメリカの国境を越える移民には、灼熱の砂漠が待ち受けている。アフリカからヨーロッパヘ渡る移民が乗船するのは、今にも沈没しそうなボロ船だ。南アフリカの国境を越えてくる者はライオンに襲われるリスクを負っている。

低い技能しか持たない貧しい移民は、密入国斡旋業者に巨額な料金を支払わなければならない。彼等はその資金をどこから手に入れるのか。手短に言えば、多くは「誰も手助けしてくれない」。逆に言えば、もしも国境が開放されていれば、今よりももっと多くの移民が流入してくるはずである。密入国の料金をどうにか支払うことができた者がいたとしよう。その資金源は次の三つである。長い時間をかけて家族で貯めた資金、外国に移住している家族からの資金援助、そして借金である。借金の場合は、入国後に仕事を見つけて稼いだ所得から少しずつ返済していかなければならない。密入国ではすべてが非合法であるため、借金の取り立てでも、各地域の犯罪者集団が絡んでくることが多い。もし移民の規制を完全に撤廃すれば、密入国の手数料や事件に巻き込まれる危険はほとんど解消される。そうなった場合、どのくらいの移民がアメリカに入国してくるであろうか。2010年以来、ギャラップ社は世界規模で成人を対象にした世論調査を行ってきた。その中に、もし許可が出たならすぐにでも他国に移住したいと考えているかという質問があり、6億人以上、すなわち世界の成人人口の14%が他国に移り永住したいと回答している。また10億人以上が、一時的でも良いから海外で働くことを望んでいる。参考のために言えば、現在、生まれた国以外の場所に住んでいる人の数は2億3200万人である。1億人以上の人々にとってアメリカは一番住みたい国となっている。ギャラップ社ではこれらの世論調査を用いて、すべての人々が第1希望の国に移住した場合、各国の人口増減がどうなるかを予測している。ハイチは人口の半分を失い、オーストラリア、シンガポール、そしてニュージーランドの人口は2倍以上に増加する。世界で3番目に人口が多いアメリカでさえ、60%も増加する。

これは、アメリカがただちに国境を開放すれば、翌日には2億人の移民が殺到するということではない。移民は複数のボトルネックに直面する。輸送、住宅、仕事などの需要が短期間に集中すれば、その調整にかなりの時間がかかる。さらに厄介な問題は文化と言語である。スペインはドイツよりも移民先として人気かおる。それは世界的には、スペイン語人口が多いためである。またサウジアラビアもランキングの上位に位置する。世界のイスラム教徒にとって宗教的に重要な場所であるからだ。しかし国境が開放されたとしても、その国に実質的な「ディアスポラ」すなわち彼らの文化や言語を共有するサブカルチャーがない限り、人々の移住の動機はそれほど高まらないだろう。

ディアスポラはどのくらい機能しているのか。文化的、言語的に完全に切り離された地域の間では、移民率は最初は低い水準に止まっている。しかし時間の経過とともに噂が広まり、移民は雪だるま式に増加していく。最初に押し寄せた移民の波は、「私達は成功している」という良いニュースを母国に送る。第二の波はさらに良いニュースを送る。「私達は成功して、自分達のコミュニティを作り始めた」と。第三の波はさらに良いニュースである。「成功のおかげで、我々のコミュニティは大きく栄えている」と。たとえば1904年にアメリカがプエルトリコとの国境を開放した時、移民はそれほど目立だなかった。1900~1910年にプエルトリコからやってきた移民はわずか2000人にすぎなかった。しかし10年ごとにプエルトリコからの移民は増え続け、アメリカ本土にいるプエルトリコ人はますます居心地が良くなった。2000年にはプエルトリコにいるプエルトリコ人よりも、アメリカに住むプエルトリコ人の方が多くなった。

2010年の時点で、外国生まれのアメリカ人のうち29%はメキシコ出身である。24%はその他のラテンアメリカ諸国、28%がアジア、12%がョーロッパ、4%がアフリカ、2%が北アメリカ、1%がその他の国の出身となっていび。国境の開放が、いち早くラテンアメリカ、特にメキシコからの移民の急増をもたらす。この予想は間違いないであろう。アメリカには、メキシコ人のディアスポラと援助に熱心な家族がすでに移り住んでいるためだ。中国人やインド人はもともと人口が多いので、ディアスポラは最初は比較的小さくても、中期的に移民は拡大すると予想すべきだ。アフリカ移民の人口は少なく、アフリカの文化や言語はアフリカ系アメリカ人とはかなり異なっている。これを前提にすると、アフリカ移民はしばらくは小規模で推移するかもしれない。しかし現在、アフリカ地域で急速な人口拡大が続いていることから、最終的に移民はかなりの規模に達するだろう。

1920年までは、アメリカの国境はほとんど開放状態にあった。19世紀に起きたアメリカ経済の奇跡的な発展で、大量の移民が重要な役割を演じたことはほぼ間違いない。フリーパスに近い移民のプラス効果が、19世紀後半の貿易制限のマイナス効果を大きく上回り、それを覆い隠しているとする指摘さえある。こうして移民と経済発展の相乗効果は、20世紀初頭まで続いた。デトロイトの自動車産業のような大量生産を行う製造業は、そうした移民やその子供たちによる人口の増加や流動化の高まりから、多大な恩恵を受けた。

それでも最近の基準からすれば、移民の数は国境が開かれていた割には穏当な水準に止まっていた。外国生まれの人口比率は、現在の13%に対して、1910年のピークでも15%であった。もしもアメリカの国境が再び開放されたならば、ディアスポラの動学に反して、従来よりも大規模で急激な変化が訪れるかもしれない。交通・輸送の費用はかなり安くなり、安全になっている。そのため最貧国や遠くの国の人々にも、移民の可能性が開けてきた。コミュニケーションの方法も大幅に改善されている。移民は友人や家族と常に連絡をとることができる。そして多くの就業機会があるという噂は、世界の隅々まで伝わるだろう。文化はグローバル化している。つまり、数億人とも言われる潜在的な移民は、いまや「移住する前から同化している」のである。彼らは英語を流暢に話すことができ、アメリカの雑誌、テレビ、映画に夢中になっている。重要な点は、国境が開放されれば数十年でアメリカの人口が2倍になる可能性があるということだ。

国が人々を脅す。対抗するフェアトレード

2016年11月19日 | 5.その他
『貧しい人々のマニフェスト』より 危機が持続する構造 恐るべき資本主義 幸福とは何か?

怒れる世界の貧困者たちは、金融と市場の世界に明確なルールを導入することを要求する。金融のジャグジーの蛇口を絞めるべきであり、社会的で人道的な確かなルールを科すべきだ、ということを彼らは自覚している。砂漠の中で叫びたいような心境の者もいるはずだ。1990~2000年代に実施された規制緩和の下で自国経済が存在しているだけの弱い国家の有り様が問われているのである。国家の機能が体制のセーフガード役にのみに縮小されてきたが、何かできそうなことを取り返そうとはしている。いかなる国家も、もはや民主的に運営されているとは言い難く、金権政治にまみれている。国家を間接的にコントロールするのは、銀行、大企業、大手情報関連企業(マスメディアを含む)である。両手と両足を縛られ、巨大企業の権力によって操作されている国家は、意義深い変化を実行することはできない。それゆえ、国家には、できる範囲で水漏れを塞いだり、1日もすれば剥がれると知りつつ絆創膏を重ね張りする程度のことぐらいしかできない。ウルトラ自由主義のナイフに脅され、国家の責任はどんどん限定されてきており、社会的で公正な経済を取り入れることができなくなっている。依然として、国家の役割の要諦は、国民全体を民主的に代表すること、あらゆる関心群の大きなパートナーシップであり続けること、そしてコンセンサスをつくっていくことではないだろうか。理論上、領土の防衛、市民の安全、インフラの建設など仕事は、自由主義の最右翼ですら、国家の責務として認めているはずだ。

けれども現実は違う形で物事が進んでいる。真の意味において、国家は民主的ではない。アメリカでバラク・オバマ大統領がやろうとしていた医療保険制度改革に関する法案が通らなかった理由は何だろうか。大企業とそのロビー団体が反旗を翻したからであり、結果として、大企業は大統領よりも強大な権力を獲得したのである。現代の金権政治国家には、ルールを課したり、銀行、株式市場、多国籍企業をコントロールする能力はない。なぜなら、政府は真っ当な人々に不利に動き、人々を会社に押し込めようとするからだ。私たちはフェアトレードをもって、政府に対して最終的に社会的責任を全うすることを要求する。政府はどのような類の食料安全を国民に対し保障するのか。どのレベルまでの汚染を地球は容認できるのか。すべての人々、とりわけ最も安全を欠いた人々に対してどのようなインフラを提供するのか。私たちの運命と未来を大企業の関心の手の中に委ねることなど、決して上手くいがないし、これまでも上手くいったためしはない。あるいは。高速道路やサッカースタジアムの建設のための大規模な土地収用という今まさに進行中の出来事が物語るように、周辺化されたところでのみ上手く機能するだろう。企業は国の支援を受け、極めて安いコストで集合型風力発電所を建設する機会をモノにするケースもあるだろう。土地所有者だちから土地を収用した後、企業はそこで発電した電気を販売し利益を上げる。例えば、イタリアとメキシコを含むいくつかの国々では、情報メディア産業が完全に民営化されている。なぜ国家は国民に情報を提供する能力を保持しないのか。どうすれば民主主義を取り戻せるのか。特定の手段の関心だけでなく、国民の関心を本当に代表できるような政府をどうやって創造するのか。

どう見ても金権政治にまみれた操作的で秘密主義の国家に直面した時、私たちの政治的選択肢は必ずしも明白ではないように思われる。権力の上にあぐらをかく政党はその権力を温存することを望むものである。それが白票あるいは反対票であろうと、権力は無効な少数意見を聞く耳は持たない。民主主義下において、投票数の50パーセントにも満たない票数で当選した政治家の存在を誰も問題にしないことが、このシステムが機能していない証左であろう。国家が機能するに際しては、無効となった声が無数に存在する。フェアトレードは、経済の民主化を手始めに、この無効にされた声の空白を埋めることを目指す。マジョリティの人々の社会構造に則った組織群を創造し、それらが結びつくことによって、貧困者たちはみずからを意識化し、最終的には人々が力を自分たちの手中に取り戻すことができる。このような感情へと高めていく。

移民国家アメリカ 同化主義から文化多元主義へ

2016年11月19日 | 3.社会
同化主義から文化多元主義へ

 アメリカ合衆国が、多層な移民から成り立った国であればあるほど、国民統合をどう達成するかが、国家的な課題であったことは言うまでもない。移民がアメリカに帰化を果たして国民になった以上、彼らをどう「アメリカ人」にしてゆくかが大きな問題であったが、19世紀に主流であった国家統合のイデオロギーは、同化主義である。同化主義は、インディアンを「文明化」する政策において、充分に実験されていたと言ってよい。おもに教育を通じて実施された同化政策は、インディアンの子弟を家族から引き離し、寄宿学校に入れて、母語と部族習慣を捨てさせ、キリスト教化することだった。有名な寄宿学校、ペンシルヴァニアのカーライル校の入り口には、「インディアンを殺し、人間を救え」という標語が掲げてあった。インディアン文化を捨てて、アメリカに同化することが、人間になることを意味した。

 移民たちのアメリカヘの同化は、「アングロ・コンフォーミティ」を基礎とした。アメリカ文化が、イギリスからの植民者によって形成されたものである限り、後からやってくる移民たちは、アングロアメリカ的な制度や慣習を全面的に受け入れて、それに順応(コンフォーム)すべきだという考えだ。それによって移民たちは、母国の伝統文化、母語や生活習慣を捨て去らなければならない。だがこの考えは、ワスプ的な単一の価値を押し付け、外国系のもの、異質なものを排除しようとする排外主義と背中合わせの偏狭なイデオロギーだった。

 20世紀になると、「メルティング・ポット論」が台頭した。人種のるつぼというイメージは、18世紀末に、クレヴクールの『アメリカ人の農夫からの手紙』に提示されていた。彼は、アメリカ人とはなにかと問い、ヨーロッパからやってきた人々が、アメリカという育ての母の元で交じり合い(混血して)、アメリカ人という新しい人間になると述べた。だが、この言葉が広く使われるようになったのは、ユダヤ人作家イスラエルーザングウィルの戯曲『メルティング・ポット』が、1908年に上演されたことが契機になっている。ポグロム(ユダヤ人に対する迫害行為)で家族を殺されたロシア系ユダヤ人が、ポグロムの指揮官の娘と恩讐を超えて結ばれる話であるが、作中、主人公デヴィッドが建物の屋上からニューヨークを見渡しながら、恋人ヴェラに言う。

  ここには偉大なルツボがあるのだ。どよめき、ブツブツとたぎるルツボの音が聞こえないかい? ケルトも、ラテンも、スラブも、チュートンも、ギリシャ人もシリア人も、黒人も黄色人種も、ユダヤ人も非ユダヤ人も、イスラム教徒も、練金術師たる創造主が清めの火をもって溶かし融合させているのだ。

 メルティング・ポット論は、現実的な要請から意外なところで実践された。それは、移民たちが働く産業の現場である。自動車メーカーのフォードは、いち早く工場内に移民のための英語学校を設立した。移民たちが、班長の指示を理解しないと、工場のアセンブリーライン(流れ作業)に支障をきたすからだ。英語学校には、舞台がしつらえてあり、中央に大きなルツボ(物資を溶解するための容器)が置いてあり、生徒(工員)たちがつぎつぎに入ってゆく。ルツボには、はしごがかかっており、はしごのてっぺんでは、生徒の一人が長い棒を持って、ルツボをかき回しながら、言っている。「溶けろ、溶けろ、溶けて一つとなれ、溶けてアメリカ人になれ」。そうしてしばらくすると、それぞれの民族衣装で入っていった工員たちが、こざっぱりした作業員服で、ルツボから出てくるのである。

 多様な民族が融解されて、アメリカ人という新しい国民が形成され、移民がもたらす多様な文化が合成されて、「アメリカ文化」ができるという考え方は、一つの範型に移民を押し込めるアングロ・コンフォーミティとは、一見異なるようにも見える。だが、移民の文化が溶けてなくなる(しかも急速に)ということは、アイデンティティの喪失を意味しており、これも形を変えた同化主義と言えるのである。

 メルティング・ポット論を超克する理論として登場したのが、文化多元主義である。哲学者ホレス・カレンが初めて提唱したその言葉は、「人は自分の宗教や哲学をかえることが出来るが、祖父をかえることはできない」という彼の主張に基づいている。彼はアメリカを、「人類のオーケストラ」に喩えた。それぞれの民族集団が、オーケストラの各楽器となって、調和して美しいハーモニーを奏でる。これこそが、アメリカの望むべき国の姿である。彼の考えは、現在の多文化主義の種子として、大変重要な意味を持つ。だが、20世紀初頭においては、知識人の理想論として影響力を持だなかった。実際この時期、移民政策は多様性を否定し、それを制限する方向に動いたのである。

多文化主義のゆくえ

 1965年の新移民法は、それまでの移民制限を撤廃する画期となった。ジョンソン政権下、公民権法が成立し、アメリカがこれまで黙認してきた黒人やインディアン、その他マイノリティ集団に対する差別や不公正をただす時代的機運が高まった。旧ソビエト連邦と対抗する冷戦下、「自由と民主主義の盟主」を謳うアメリカは、襟を正してその理念を点検する必要に迫られた。人種主義を根幹の枠組みとした移民割当法は、当然撤廃されなければならなかった。

 1960年代、70年代のリベラリズムのなか、多民族・多文化国家アメリカの検証が、活発に行なわれるようになった。日系二世の歴史学者ロナルド・タカキは、『多文化社会アメリカの歴史』を著し、アメリカを構成する多様な人種・氏族集団の歴史が、いかに密接に絡み合っているか、またいかにアメリカの歴史がこうした多様な集団が寄り集まって、新しい社会をつくろうとしてきた歴史であるかを示し、今後のアメリカでの多民族・多文化の共存に、この認識を欠くことはできないことを明らかにした。

 大学では、エスノ・ヒストリー、エスニック・スタディーズのコースやプログラムが展開し、これまでのワスプ中心の歴史観は相対化された。移民の子孫の民族集団では、エスニック・リバイバルが起こり、民族固有の文化遺産に改めて光をあて、自らのエスニックの出自、エスニック・アイデンティティに誇りを持つ大きなうねりがアメリカ社会を覆った。Japanese-American、Chinese-American、Italian-American など、いわゆるはイフォンつきアメリカ人が、自らの出自を誇った。彼らの多くはすでに移民1世ではなかった。3世や4世、あるいは祖先がいつアメリカにやってきたかも明らかでなく、母語もとおに失った人が大多数であった。マーカス・ハンセンの法則は、「子供が忘れたものを、孫が思い出す」と言う。移民1世の子供は、同化に苦労する親を見て育ち、自らの民族的・文化的出自を捨てようとする。孫の世代は、そういう親に育てられ母語も話せず、アメリカ化しているにも関わらず、自らの出自を探ろうとする。エスニックーリバイバルで起きたことは、まさにこういうことであったろう。移民の子孫たちは、先祖が故国から持ちこんだ文化伝統を再学習し、アイデンティティの礎にしようとしたのである。

 エスニック・リバイバルを、民族の拡散と捉えて警鐘をならした学者もいた。アーサー・シュレジンガー・ジュニアは『アメリカの分裂』のなかで、多文化主義が行き過ぎて、それぞれのエスニック集団が自己主張をぶつけ合うようになれば、アメリカは分裂しかねないと危惧した。

 それぞれの民族集団の多様性を維持しながら、どうやって一つにまとまってゆくのか、「多から一ヘ」は移民国家アメリカの永遠の課題なのかもしれない。