マーケティングが人生
マーケティングが人生と言うけど、その時の人生って何?
スタバのプリン
本を読むために。朝のスタバに来ました。何しろ、29冊在るので、寝ながらの処理は難しいので、座って読むことにしました。
スタバのプリンが大量に売れています。1時間もしないで、チョコレートの方がなくなりました。昼前に再度、駅前スタバに行ったら、完全になくなっていた。一人一個という制限を掛けていたので、在るかと思っていた。
帰りに、元町のスタバに行ったら、当然のように売り切れと言われた。明日の入庫は少ないので、朝、並んでも変えないかもしれないと言われた。品薄感を演出しているのでしょうか。
セブンイレブンに寄ったら、小さなプリンが多種に亘って売りに出されている。
『トイレ』TOTOウォシュレットの開発秘話
ウォシュレットにアイシンの燃料噴射技術が使われていると聞いていたが、それはどこにも書かれていなかった。
ミリ単位の噴射技術は素晴らしい! あれこそ、日本人にとってのイノベーションです。それと古代のトルコの公衆トイレの遺跡は現地で見ました。エフェソスの図書館と同様によく出てきます。
『ドイツの歴史を知るための50章』ドイツ史のなかの人の移動--
どうしても、現代のイスラム国からの「移民」だけが問題になるけど、歴史から見ていかないと行けない。移民排出国から移民受入国への三つの流れ。
移民排出国ドイツ:ドイツの外への植民、特に東方への騎士団と地中海の騎士団
国民国家形成とその影:ドイツ系の人々のドイツヘの還流。東ヨーロッパへの侵略とその結果。
移民受入国への変貌:ドイツヘの移民・難民の流入
『ドイツの歴史を知るための50章』ヨーロッパ大転換とユーロ危機
ユーロが実効された2002年4月に、ヘルシンキ(フィンランド)、ペテルスブルグ(ロシア)、ロンドン〔英国)、ローマ(イタリア)、ブラッセル(ベルギー)と回った。2001年10月の予定であったが、9.11で延期になって、予算範囲ぎりぎりでいくことができた。ロシアと英国以外は新札であり、両替がなく便利であった。
ドイツの「独り勝ち」状態はいつまで続けられるのか。メルケルの決断力にすがるしかないけど、その神通力も落ちてきた。
『スペインの歴史を知るための50章』ポエニ戦争とイベリア半島
小説『ハンニバル戦争』の背景の整理のためにOCR化した。ハンニバルがカルタゴから出陣したと思い込んでいた。ジブラルタル海峡をどのようにして象を運んだのかなと思っていた。イベリア半島支配した上で、対ローマ戦力を結集した上、ローマに攻め入った。
有名な殲滅作戦のカンナエの戦いの小説での描写はすばらしかった。そして、スキピオの復讐劇。それはスペインで行なわれた。
第一次ポエニ戦争(前264~241年)でのサルデーニャ島の扱いをハンニバルは恨みに思っていたと小説には書かれていた
ローマに敗北し、前237年にサルデーニャ島をローマに奪われると、銀を産出するイベリア半島は、傭兵を雇うための財源を必要とするカルタゴ人にとって重要な意味を持つようになる。カルタゴはイベリア半島で勢力を拡大する際、基本的には軍事力を行使していた。その一方、ハスドゥルバルやハミルカルの息子のハンニバルが地元出身の娘と結婚するなど、婚姻によってもイベリア半島との結び付きを強めている。
第二次ポエニ戦争
前221年、ハスドゥルバルが暗殺されたことによりハンニバルが25歳の若さでイベリア半島のカルタゴ軍を率いる最高指揮官となる。彼はまずイベリア半島の諸部族に対して戦争を行い、次いでローマの同盟市であったサグントゥム(現サグント)を攻撃する。前219年にこの都市を陥落させ、兵を連れてイベルス川を越えることで父がローマと締結したエブロ条約を破ったことが明白となり、第二次ポエニ戦争(前218~201年)が始まった。彼はガリアを通り、アルプスを越えてイタリアヘと兵を進め、前217年の卜ラスメヌス湖畔の戦いや前216年のカンナエの戦いでローマに勝利する。スキピオは父を継いでヒスハニアヘと赴き、イベリア半島におけるカルタゴの本拠地であったカルタゴ・ノウァを陥落させ、以降も戦勝を重ねたことにより、前206年にカルタゴはイベリア半島を手放すこととなる。ハンニバルも前202年のザマの戦いでスキピオに敗れ、前201年にローマと講和条約を結ぶ。これにより、イベリア半島の大半がローマの傘下に入ることとなった。
第三次ポエニ戦争でカルタゴは抹消された。その時の焼身抗議がアラブに春の発火点につながった。
マーケティングが人生と言うけど、その時の人生って何?
スタバのプリン
本を読むために。朝のスタバに来ました。何しろ、29冊在るので、寝ながらの処理は難しいので、座って読むことにしました。
スタバのプリンが大量に売れています。1時間もしないで、チョコレートの方がなくなりました。昼前に再度、駅前スタバに行ったら、完全になくなっていた。一人一個という制限を掛けていたので、在るかと思っていた。
帰りに、元町のスタバに行ったら、当然のように売り切れと言われた。明日の入庫は少ないので、朝、並んでも変えないかもしれないと言われた。品薄感を演出しているのでしょうか。
セブンイレブンに寄ったら、小さなプリンが多種に亘って売りに出されている。
『トイレ』TOTOウォシュレットの開発秘話
ウォシュレットにアイシンの燃料噴射技術が使われていると聞いていたが、それはどこにも書かれていなかった。
ミリ単位の噴射技術は素晴らしい! あれこそ、日本人にとってのイノベーションです。それと古代のトルコの公衆トイレの遺跡は現地で見ました。エフェソスの図書館と同様によく出てきます。
『ドイツの歴史を知るための50章』ドイツ史のなかの人の移動--
どうしても、現代のイスラム国からの「移民」だけが問題になるけど、歴史から見ていかないと行けない。移民排出国から移民受入国への三つの流れ。
移民排出国ドイツ:ドイツの外への植民、特に東方への騎士団と地中海の騎士団
国民国家形成とその影:ドイツ系の人々のドイツヘの還流。東ヨーロッパへの侵略とその結果。
移民受入国への変貌:ドイツヘの移民・難民の流入
『ドイツの歴史を知るための50章』ヨーロッパ大転換とユーロ危機
ユーロが実効された2002年4月に、ヘルシンキ(フィンランド)、ペテルスブルグ(ロシア)、ロンドン〔英国)、ローマ(イタリア)、ブラッセル(ベルギー)と回った。2001年10月の予定であったが、9.11で延期になって、予算範囲ぎりぎりでいくことができた。ロシアと英国以外は新札であり、両替がなく便利であった。
ドイツの「独り勝ち」状態はいつまで続けられるのか。メルケルの決断力にすがるしかないけど、その神通力も落ちてきた。
『スペインの歴史を知るための50章』ポエニ戦争とイベリア半島
小説『ハンニバル戦争』の背景の整理のためにOCR化した。ハンニバルがカルタゴから出陣したと思い込んでいた。ジブラルタル海峡をどのようにして象を運んだのかなと思っていた。イベリア半島支配した上で、対ローマ戦力を結集した上、ローマに攻め入った。
有名な殲滅作戦のカンナエの戦いの小説での描写はすばらしかった。そして、スキピオの復讐劇。それはスペインで行なわれた。
第一次ポエニ戦争(前264~241年)でのサルデーニャ島の扱いをハンニバルは恨みに思っていたと小説には書かれていた
ローマに敗北し、前237年にサルデーニャ島をローマに奪われると、銀を産出するイベリア半島は、傭兵を雇うための財源を必要とするカルタゴ人にとって重要な意味を持つようになる。カルタゴはイベリア半島で勢力を拡大する際、基本的には軍事力を行使していた。その一方、ハスドゥルバルやハミルカルの息子のハンニバルが地元出身の娘と結婚するなど、婚姻によってもイベリア半島との結び付きを強めている。
第二次ポエニ戦争
前221年、ハスドゥルバルが暗殺されたことによりハンニバルが25歳の若さでイベリア半島のカルタゴ軍を率いる最高指揮官となる。彼はまずイベリア半島の諸部族に対して戦争を行い、次いでローマの同盟市であったサグントゥム(現サグント)を攻撃する。前219年にこの都市を陥落させ、兵を連れてイベルス川を越えることで父がローマと締結したエブロ条約を破ったことが明白となり、第二次ポエニ戦争(前218~201年)が始まった。彼はガリアを通り、アルプスを越えてイタリアヘと兵を進め、前217年の卜ラスメヌス湖畔の戦いや前216年のカンナエの戦いでローマに勝利する。スキピオは父を継いでヒスハニアヘと赴き、イベリア半島におけるカルタゴの本拠地であったカルタゴ・ノウァを陥落させ、以降も戦勝を重ねたことにより、前206年にカルタゴはイベリア半島を手放すこととなる。ハンニバルも前202年のザマの戦いでスキピオに敗れ、前201年にローマと講和条約を結ぶ。これにより、イベリア半島の大半がローマの傘下に入ることとなった。
第三次ポエニ戦争でカルタゴは抹消された。その時の焼身抗議がアラブに春の発火点につながった。