未唯への手紙

未唯への手紙

OCR化した7冊

2016年09月26日 | 1.私
『ブラックホールはそれほど黒くない』

 ホーキング

『世界の複数性について』

 世界の複数性テーゼ

 現実性

 あらゆるものが現実的になってしまう?

 すべての世界がひとつの世界のうちにある?

 実際よりも多くの世界がある?

 いかにして知りうるのか?

『<情報>帝国の興亡』

 近代世界システムの崩壊--不安定な情報化社会 2016/09/24 1:31 午後

 近代世界システムの終焉

 インターネットの発達

 情報による不安定性

 つながりすぎた世界

 携帯電話の役割

 デジタルメディアの発展

 インターネットがつくる社会

 情報による不安定性と政治--アラブの春

 アラブの春とデジタルメディア

 ソフトパワーがつくるハードパワー

 新しいシステムヘ

『ユダヤ人』

 問題の否認 ユダヤ人問題は存在しないとする態度

 摩擦は存在しないとする人々

 迫りくる危険

 実験は必ず行き詰まる

 ユダヤ人がもっとも欲したもの

 ユダヤ人の市民権

 国際金融を支配する最重要人物

 同化する特異な能力

 虚構を支持する最後の論拠

『アマゾンと物流大戦争』

 物流のターニングポイント--ネット通販と宅配便の異変

 アマゾンはなぜ書店から始まったのか?

 ネット書店の新しさ

 「ロングテール」の裏側

 「ネット通販=店舗がないから安い」のウソ

 拡大するネット通販

 なぜネット通販の家電は安いのか?

 楽天が急成長できた理由

 ネット通販における物流機能

 モール型ネット通販の弱点

 苦戦する楽天

 楽天物流の失敗

 非効率な物流で破綻したネット企業

 独自の配送網を築くカクヤス

 ストックポイントを見る

 オフィスグリコの革命

 ラストワンマイルが差別化の分かれ目

 アスクルの強みは物流

 アスクル成功の要因

 日本の宅配サービスはすごい

 宅配便の異変

 転機となる運賃値上げ

 寡占が進む宅配便業界

 深刻なトラック不足

 「再配達」問題

 受け取り場所の多様化

 「全品送料無料」中止の衝撃

 重くのしかかる配送費の負担

 アマゾンが秘密にする物流センター

 アマゾンのラストワンマイル戦略

 広がるアマゾンの自前配送

 自走式ロボットを取り込む

『「宗教」で読み解く世界史の謎』

 なぜ商人であったムハンマドがイスラム教をひらいたのか?

 ムハンマドの登場

 不安に満ちた部族社会の生活

 布教の始まり

 メッカの有力者との対決

 ムハンマド、メディナに遷る

 ウンマ(イスラム共同体)の掟

 無血で従えたメッカ

 スンニー派とシーア派の起こり

 後継者をめくる紛争が現代まで残る

『社会学講義』

 理論社会学

 社会学に標準テキストがないのは、なぜか?

 社会学の必要性はどこにあるのか?

  行為とは何か?

  規則は行為を決定できない

  クリプキの「規則は存在しない」

  規則とは他者の存在によって媒介されて生ずる一種の錯覚である

 近代社会の自己意識の構造はどのように生まれたか?

  一九世紀の社会学--「個人/集合」という対立軸

  ウェーバーの「方法論的個人主義」とデュルケムの「方法論的集合主義」

  近代を定義する主体性=主観性

  主体を生み出す権力機構--フーコーの一望監視装置

  抽象的な支配者、ネーション(国民)の誕生

  社会学はすぐれて近代的な営みである

 社会学理論の困難な問題とは何か?

  「ホッブズ問題」をどう解決するか

  社会学理論の共通の困難--「循環の構図」とは?

  ↑機能主義の限界

  現象学的社会学の限界

  「循環の構図」を解かなかった構造主義

  ギデンズとブルデューの理論

  ハーバーマスのコミュニケーション論とは何か?

  ルーマンの「オートポイエシス」と「合理的選択理論」
 近代の変容とともに

  近代の変容

  ポストモダン論

  国民国家から〈帝国〉ヘ

  リスク社会

  社会の社会

社会学 近代の変容とともに

2016年09月26日 | 3.社会
『社会学講義』より 理論社会学 社会学に標準テキストがないのは、なぜか? ⇒ 大学での講義みたいに体系だったものと捉えます。

近代社会は、いわば、自己意識をもつ社会であり、その自己意識の最も自覚的な表現が社会学である。このような趣旨のことを先に述べました。社会学は、近代社会という土壌から生まれてきたわけです。

ところで、二〇世紀の末期、一九八〇年代あたりから、その近代が大きく変容しつつある、ということが気づかれ、社会学の主要なトピックとなってまいりました。社会学が、自分自身を生み出した基盤そのものの変化を、自ら探究の対象としてきた、ということです。つまり、近代社会の内部に孕まれた大きな転換をどのように解釈し、また説明するのか、というのが、二〇世紀末期以来の社会学の中心的な話題であり、それは二一世紀を迎えた現在まで続いています。最後に、駆け足で、近代の変容を捉える現代社会論を紹介しておきましょう。

先に、近代社会においては、個人主義とナショナリズムとが車の両輪のようなものになっていた、と論じました。この両極の間の相互規定の関係が、大ざっぱに言えば、あの「循環構造」に対応しています。近代社会の変容は、この両極に現れます。

ポストモダン論

 変容した近代をどのように呼ぶかは、論者によって異なっていて、その呼び名は、各論者が変容のどの部分を本質的なものとみなしているかを反映しています。最もよく使われる語は、「ポストモダン」です。ポストモダンというと、「近代以降」という印象を与えますが、むしろ、「ポスト」という接頭辞のついた近代社会の後期的形態とみなすほうがよいと思います。

 ポストモダンとは何かを、明確に定義したのは、フランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールです。リオタールによれば、ポストモダンの条件は、「大きな物語」の喪失です。大きな物語というのは、歴史を理念や目的の実現過程とみなして、自分たちの現在を意味づけることです。近代においては、民主主義とか、自由とか、人間解放とか、民族独立とか、共産主義とかが、大きな物語の焦点となる理念や目的として機能していました。「大きな」物語というとき、それは、物語の内容が気宇壮大だということではなく、社会的に大きいということ、つまり、物語が社会的に広く共有されていた、ということです。物語の核となっていた、理念や目的が失われた時代、それがポストモダンです。

 ポストモダンの段階の社会学的分析の多くは、情報化とか、消費とかに注目しています。そのような分析を試みた社会学者の代表は、ジャン・ボードリヤールでしょう。彼は、従来の社会学が、経済を「生産」を中心に見ていたのに変えて、消費、とりわけ記号的な消費に注目し、ポストモダンな社会を消費社会と呼びました。「記号的な消費」とは、あるブランドの流行のようなことを考えると最もわかりやすいわけですが、商品が、その使用価値によってではなく、他者との差異化に役立つ記号として欲望されることを指しています。

 この種のポストモダン論の特徴は、個人の意味世界(リアリティ)が変容し、それにともなって、近代がかつて描いていたような個人の強い主体性が崩壊してきている、ということに注目していることです。ちなみに、私も、この流れの中で--主に日本の戦後社会の変容を念頭におきながら--理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代という三段階を考えています。見田宗介が、現実を意味づけるときの原点となる「反現実」がどのようなモード(タイプ)か、ということで、時代区分をしているのですが、私の三段階は、それを継承したものです。この三段階では、理想の時代が、もともとの近代に、そして、虚構の時代と不可能性の時代がポストモダンに対応しています。

国民国家から〈帝国〉ヘ

 マルクス主義の潮流に属する社会学者たちも、近代の変容ということに対応した資本主義社会の分析を提起しています。その上うな理論は実にたくさんあるのですが、その集大成的なものとしては、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの〈帝国〉という把握があります。

 近代においては、グローバルな社会は、主権を有する国民国家の集合として捉えられてきました。しかし、今や、このような像は成り立だない、というのがネグリたちの診断です。つまり、古典的なナシ’ナリズムの段階は終わった、というわけです。彼らは、現代社会を統治する新しい主権のあり方を、〈帝国〉と呼んでいるのです。

 この〈帝国〉は、かつての中華帝国とかイスラーム帝国とかというときの帝国とも違いますし、またある時期マルクス・レーニン主義者がよく使った「帝国主義」とも違います。〈帝国〉というのは、グローバルな経済や文化の交換やネ″トワークを調整している複合的な主体のことで、特定の国家や機関と同一視することもできません。〈帝国〉と呼ばれるのは、このグローバルな社会を、ローマ帝国の比喩で考えるとわかりやすいからです。

 この〈帝国〉に対して、地球上の至るところに、労働したりしなかふたりしている、有象無象の群衆がいる。その群衆のことを、ネグリたちは「マルチチュード」と呼びます。要するに、近代後期の(国民国家の時代以降の)グローバルな社会は、「〈帝国〉対マルチチュード」という構図で捉えることができる、というわけです。

リスク社会

 もうひとつ、近代の変容に着目している現代社会論として重要なのは、リスク社会論です。「リスク社会」ということを最初に唱えたのは、ドイツの社会学者、ウルリヒ・べックです。この概念を提起した、彼の『リスク社会』という本は、ちょうど、チェルノブイリの原発事故があった直後に、出版されたのです(一九八六年)。彼は、この事故が起きたあとに本を書いたわけではないのですが、原発事故こそ、リスク社会のリスク、「新しいリスク」の典型でもあったため、『リスク社会』はベストセラーになりました。学問的な概念と現実の出来事が完全にシンクロしていたわけです。

 リスクと危険一般とは違います。リスクの特徴は、人間の選択ということと関係しています。リスクというのは、人間が何事かを選択したとき、それに伴って生じると認知された不確実な損害のことです。このようなリスクは、人間の主体性ということが社会の根本的な前提となった近代社会になってから生まれます。そして、リスク社会というのは、その上うなリスクの中でも、とくに新しいタイプのリスクによって特徴づけられる社会です。

 新しいリスクとは何か。今あげた原発事故などはその典型ですが、それは、二つの顕著な特徴かあります。第一に、その危惧されているリスクは、しばしば、きわめて大きく破壊的な結果をもたらす、ということです。温暖化による地球生態系の破壊などは、その例です。第二に、そのリスクが生じうる確率は、一般に、非常に低いとされているか、あるいは、計算不能である、ということです。このくらいの確率で、それが起きる、ということを確定的に言うことができないのです。まだ言及していない例を出せば、先進国の大都市での無差別テロのようなものも、新しいリスクのぴとつです。

 このような新しいリスクが登場してくるのは、後期近代である、というのがべックをはじめとするリスク社会論者の主張です。後期近代とポスト近代は、外延的には、ほぼ同じ時期を指しています。後期近代と呼んだ方が、近代の一部であるということが強調されます。

 リスク社会の新しいリスクは、われわれのリアリティの感覚に大きな変化をもたらさざるをえません。なぜかというと、それは、「責任」(それは「自由」の観念とセ″卜になっています)という観念を破壊するからです。個人の主体性ということをベースにしたとき、責任という観念が重要なことはすぐにわかるでしざっ。人類は、リスクがある程度大きくなって、個人ではその責任を担ったり、補償したりできなくなったとき、保険というシステムを編み出しました。保険というのは、一人では担いきれない責任を、ある規模の人口をもつ集団によって担う、というアイデアです。しかし、新しいリスクに対しては、そのょうな意味での責任すら成り立ちません。たとえば、温暖化で、生態系に致命的な破壊がもたらされたとき、誰かがこの責任を負い、損害を補償できるか、と考えてみるとわかります。このように、リスク社会は、伝統的な近代社会の前提を切り崩しているのです。

社会の社会

 べックやギデンズのように、リスク社会を重視する社会学者は、近代社会の「再帰性(リフレクシヴィティ)」ということを強調します。再帰性とは、次のようなことです。最初の方で述べたょうに、行為は規範やルールを前提にしています。近代社会では、規範への反省的(再帰的)態度が浸透している、というのがギデンズたちがいうことです。つまり、規範やルールを「変えることができる」という自覚を前提にして、規範やルールを不断にモニタリングし、修正や調整をほどこしていく。これが再帰性という現象です。

 このような、社会システムに備わった、自己言及の構造にさらに徹底してこだわり、その含意を完全に余すことなく引き出したのが、前節でも名前を挙げた--社会システムをオートポイエシス・システムと捉えた--ルーマンです。この理論によれば、システムがとらえる「実在」は、それぞれのシステムに固有な「観察」の産物です。つまり、それは、生の客観的実在ではなく、システムの構築物です。たとえば、法システムは、人々の行為が違法か遵法かという観点で分節しますが、他の側面は無視します。このょうに、実在は、システムの観察に相関してしか現れない。これをラディカルな構成主義と呼びます。

 ルーマンは、二〇世紀もほぼ終わろうとしている時期に亡くなりましたが、晩年まで旺盛に執筆をしていました。彼の最後の十年くらいの本の多くはとてもふしぎなタイトルをもっているのです。「社会のX」となっています。このXの位置に、「経済」とか「法」とか「芸術」とかが入ります。たとえば「社会の経済」は、社会学的な経済システムの理論ですが、なぜ「社会の」などと付いているのか。それは、Xの位置にあるものが、社会システムによる構成の所産であることを強調するためです。

 そうすると、最終的にはどうなるか、というと、Xの位置に「社会」そのものが入るのです。『社会の社会』です。これは、ルーマンの集大成のような本で、普通に考えれば、社会システムの一般理論、つまり社会学そのものです。社会学という認識自体が、社会システムに内在している、という痛烈な自覚のもとにあるわけです。それは、社会システムに外在する超越的な「観察する主体」を断じて認めない、という意味でも、近代の黄昏に見合った学問になっています。社会学は、近代とともに生まれ、近代の変容とともに変化しているのです。

社会学の必要性はどこにあるのか?

2016年09月26日 | 3.社会
『社会学講義』より 理論社会学 社会学に標準テキストがないのは、なぜか? ⇒ 大学での講義みたいに体系だったものと捉えます。

まず、われわれにとってどういう意味で社会学という知の在り方の必要性が出てくるか、について見ていきましょう。

社会学の入門者がまず気がつかなければいけないのは、「実践」「認識」がもっている社会的な被規定性です。つまり実践や認識の内容はもちろんのこと、その方法そのものの多くの部分が--一般に素朴に信じられているよりもはるかに多くの部分が--、特定の型の社会構造を背景にして、社会化・共同(主観)化されている、ということを前提として押さえていなければいけません。

ちょうど音声言語が、その言語を母語としている人としていない人では別様に分節されて聞こえるように、物理的には同じ刺激でも、その人がどのような社会構造・社会関係の内にあるかによってまったく異なったものとして現れます。たとえば食欲は、人間がそれぞれ特定の社会に属しているということから独立した、生理的な欲求だと信じられています。しかし、食欲の大部分は社会的に形成されたものです。構造人類学者レヴィ=ストロースは、ひとつの文化に属するさまざまな料理が、相互にシステマティックな差異・関係を保っており、その差異・関係のシステムのなかで規定された記号的こ象徴的な意味を担っていることを示しています。つまり、人は食物の摂取を通じて、生理的な要求を満たすと同時に、文化的・社会的に規定された意味的欲望を充足させているのです。同じことは、性欲に関して、もっとはっきりと言うことができます。

行為とは何か?

 行為や意識の社会的な被規定性とは別に、行為が社会的なものとしてのみ成立しうるのだということ、つまり行為がまさに行為として成立するために「他者」の存在が不可欠の条件となっているのだ、ということを話しましざっ。常識的に言えば行為には私的な行為と社会的な行為があり、そのうちの後者のみが、他者の存在を前提にしているということになります。しかし行為は、ぴどく私的な営みに見えるものも含めてすべて、他者の存在を前提にしているのです。だから行為についての考察は、必然的に社会学とならざるを得ないのです。

 では、行為とは、そもそも何でしょうか。行為(Action)とは、何らかの意味で規則、規範に従っていると解することができるパフォーマンスのすべてを指します。行為に、それが生起する情況に相関して、正しいもの(適合的なもの)/正しくないもの(非適合的なもの)という区別を与える情報を、規範あるいは規則と言います。逆に言うと、そういう解釈を許されないものは行為と呼びません。飛んできたボールに対して反射的に目をつぶってしまったといった生理的な反応は行為ではありません。私たちは、べつに規範的に正しいから(妥当だから)目をつぶるわけではありませんから。

 行為を可能にする中核的な要素は規則、規範です。先に、「社会秩序がいかにして可能か」という問いは、規則、規範がいかにして可能かを問うことにつながっていくと説明しましたが、規則、規範の成り立ち方は社会学にとって中核的な問題になってきます。

 規範・規則の特徴として、ここではふたつのことを押さえておきましざっ。

 まず、どんな規則も行為の無限集合を標的にしています。有限の集合を対象にする規則は、論理的に存在しません。規則は、行為の無限の可能性に対処できなくてはなりませんから。

 もうひとつは、これは非常に自明ですが、どんな規則もその行為より先に決まっているということ、つまり行為に対してプライオリティ(先行性)をもっているということです。行為のあとに決まる規則など、規則ではあり得ません。ある行為が規則に従っていると言われるためには、規則はその行為よりも先に決まっていなければいけません。

規則は行為を決定できない

 どんな行為も規範・規則とセッ卜になっているということから、「意味」への志向性を伴うことになります。行為が規範・規則に従うということは、その行為が、「正しい」とか「妥当だ」とかといった性格づけを伴っていることです。妥当な行為は、対象を自らにとって適合的なものとして認識し、志向します。その対象の適合的なあり方が、その対象の行為にとっての「意味」です。

 ところで、社会学の基礎論にあたるようなことを結果的にやってしまった有名な哲学者にヴィトゲンシュタインがいますが、彼は規則に従うことについての有名なパラドクスを『哲学探究』という本の中で提出しています。原文を訳せば、

 〈規則は行為を決定できない。なぜならば、いかなる行為の仕方もその規則と一致させられるからだ〉となります。

 先に述べたとおり、規則は正しい行為とそうではない行為、あるいは妥当な行為とそうではない行為とを区別できなければいけません。ところがヴィトゲンシュタインは、常識的にはそう映るかもしれないが、それは錯覚である、と言っているのです。つまり、ある規則を採ってきたとき、どんな行為も、その規則と一致していると言いくるめることができるというのです。そうなると、規則は正しい行為とそうでない行為とを区別できないことになる。それは規則が存在しないに等しいことになります。


日常に極端なことを入れよう

2016年09月25日 | 7.生活
日常に極端なことを入れよう

 極端なことをしないと、納得がいかないみたいです。毎朝8時に駅前スタバとか。何しろ、午前中がおかしい。どうにかしないと

4.1「民主主義」

 4.1「民主主義」。出発点を全体主義にします。ここから、私の歴史への関心が生まれた。なぜ、全体を支配できたのか。なぜ、市民は沈黙したのか。全体主義は民主主義の欠陥を補ったもので合法的だったこと。だから、民主主義です。民主主義は人民の表に立つ。そのために共有意識とつながることが必要です。

いかにして統合するか

 アラブの春で共和制の破壊はできたけど、新しい形の民主義ができなかった。何が足りなかったのか。欲しかったのは統合のシナリオです。そこで、自由と平等を取り上げた。民主主義は自由と平等で目指したが、自由が全面に立った。平等は格差になった。国を作ったのは、自由と平等です。

共産主義の狙い

 平等を徹底的に考えたのは共産主義です。それは、民衆のレベルが追いついていなかったために、一点集中というハイアラキーのために今のようなカタチになってしまった。革命が目的になってしまった。革命後の維持は集中型になったために、人は虐げられた。中国のように、単に昔よりはよいというカタチで存在しています。

 一つ一つがシナリオです。一度、崩さないといけない。最初は歴史へのとっかかりと言うことで、全体主義から入ります。

戦間期から入った

 実際に、歴史への認識を始めたのは、戦間期です。なぜ、ああなってしまったのか。私が生まれてくる前の歴史です。

4.2「国民国家」

 4.2「国民国家」。国民国家の意味合いとしては、民主主義がなぜ、限界に来ているのか、なぜ作られたのか。一番大きいのは国家です。自由を保障するために国家を作ったはずです。共和制を経て、国民国家になった。市民が主役になったはずです。

 その結果として、世界大戦を起こしてしまった。そして、大きな変化が襲っています。グローバル化と多様化。これに民主主義が耐えられるかどうか。グローバル化は平等を脅かしています。格差は拡大する一方です。

 多様化は国として一つであることの限界を向かえた。小さくするしかない。小さくして、バラバラにすることは決していいことではない。どうして、統合感を持たせるのか。

4.3「歴史認識」

 4.3「歴史認識」。歴史認識は歴史を流れとしてみたときの課題を全て挙げておきます。だから、ボリュームが大きすぎる。これだけもいいし、一つのジャンルになります。

ウンマ(イスラム共同体)の掟

2016年09月25日 | 4.歴史
『「宗教」で読み解く世界史の謎』より なぜ商人であったムハンマドがイスラム教をひらいたのか?

布教の始まり

 アラー(神)の教えを記すクルアーン(コーラン)は、「声に出して読むことによって身に付けるべき戒律」である。アラビア語の「クルアーン」は、「読誦すべきもの」という意味の言葉である。

 ゆえに現代でも、イスラム教徒はどこの国の者でもクルアーン(コーラン)をアラビア語で声に出して読み上げなければならないとされる。クルアーン(コーラン)は脚韻(詩歌の句の終わりを同じ音にそろえること)を踏んだ美しい韻文の形式をとっており、アラビア語の意味がわからない者でも、その美しい響きに感動する。

 だから日本語などの他の言語に訳されたものは、クルアーン(コーラン)でなく「クルアーンの解説書」として扱われる。またアラビア語のクルアーン(コーラン)であっても、文章にしたものを黙読してしまうと、クルアーン(コーラン)の良さが伝わらないという。

 クルアーン(コーラン)とは、天使ジブリールを介して預言者ムハンマドに授けられたアラー(神)の教えだとされる。これは本来、ムハンマドから弟子たちに、口頭で伝え暗誦させるべきものと考えられた。

 しかしイスラム教の信者が拡大したために、第三代カリフのウスマーンの時代に現在みられるような文字になったクルアーン(コーラン)がつくられた。クルアーン(コーラン)は一一四章から成り、その章の中には二八六節の長いものから、三節の短いものまである。

 メッカに戻ったムハンマドは、毎日クルアーン(コーラン)を誦み上げ、少しも違うことなくそこに記された教えを実行した。質素で慎み深い生活をおくり、あれこれ周囲の人を助けた。これを見たムハンマドの妻ハディージャは、「私の夫は大そう偉い方だ」と感じた。

 彼女も夫を見習ってともにクルアーンを誦え、その教えに従う生活を始めた。ムハンマドが、

  「このアラー(神)の教えを広めたいが、メッカの有力者に反感をもたれるのが怖い」

 と妻に相談したとき、賢いハディージャはこう言って夫を励ました。

  「教えを実行するようになってから、あなたは前より健康で、人々から好かれるようになりました。このような立派な教えは、私たちが独占すべきものではありません。広く人々に伝えて、役立てるべき教えです」

 それでもムハンマドは用心して、四年間は気心の知れた知人だけにアラー(神)の教えを語った。その間にムハンマドの親友で商人仲間のアブー・バクルや従弟のアリーをはじめとする五〇人ほどの者が、イスラム教の信者になった。

 ムハンマドの教えが、ユダヤ教の健康法などの科学知識や社会的規範を取り入れた有益なものだったからである。ようやく、

  「アラー(神)の教えに触れた者の大部分は、アラー(神)を信仰するようになる」という確信を得たムハンマドは、六一四年になってようやくメッカでの本格的な布教を開始した。

 ムハンマドはかれが属したクライシュ族の名門、マフズーム家の青年アルカムが提供してくれた邸宅を拠点に、メッカで布教を始めた。ムハンマドは三九名の弟子をこの邸宅に集めてともにアラー(神)の神を礼拝したのちに、アラー(神)の戒律をていねいに説いた。

 メッカの有力者たちからみればそれは、メッカにいくつもある多神教の信者の集団の一つのように最初はみえた。

 このあとムハンマドのもとに、三十代半ばに満たない若者で上流の下といった階層の者が続々と集まってきた。

 特に有力な家の出ではないが中流の人々より有力な向上心の強いかれらは、ムハンマドから得た生活に役立つ情報を自分の仕事に活かして、地位を上げたいと考えたのだ。

ムハンマド、メディナに遷る

 クライシュ族の族長に疎んじられたムハンマドは、メッカから六〇キロメートルほど東方にあるターイフという小さな町に活動の場を移した。しかしかれはターイフからも追われ、新たな保護者を探してメッカに戻らねばならなかった。

 しかしクライシュ族を敵に回したかれが大っぴらに布教することはできない。このあと傷心のムハンマドのところに、思いもよらぬ助けがきた。六二一年にメッカの北方約四〇〇キロメートルの位置にあるヤスリブ(メディナ)の町から、「ムハンマドを招きたい」という使者が来たのだ。

 ムハンマドとかれの弟子たちは、翌六二二年に、クライシュ族に見つからぬように秘かにヤスリブに移住した。これが、イスラム教の急速な発展のきっかけとなった。

 イスラム教徒は、「ムハンマドのメディナ(ヤスリブ)への移住」を「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、ヒジュラが行なわれた年をイスラム暦の元年としている。ヤスリブはオアシスを中心に開けた土地で、住民は主に農業を営んでいた。

 そこの居住者の約半分がアラブ人、残りがユダヤ人であり、ヤスリブのアラブ人はアウス族とハズラジュ族の二大部族に分かれて対抗し合っていた。ヤスリブのアラブ人は、名高いムハンマドが中立の立場でこの争いの調停者となることを期待したのである。

ウンマ(イスラム共同体)の掟

 ムハンマドを迎えたアウス族とハズラジュ族は、そろってアラー(神)の信者になった。このときヤスリブの地名は、メディナと改められた。

 ムハンマドはこのメディナで部族社会を解体し、それに代わってすべてのアラー(神)の信者から成るウンマ(イスラム共同体)を結成するという思い切った改革を行なった。

 イスラム教の「イスラム」とは、「アラー(神)にすべてを委ねて生きること」を意味する言葉である。アラビア語では、その言葉は「イスラーム」と発音される。アラビア語で「ムスリム」の言葉は「アラー(神)に帰依する人」を意味している。「絶対者としてのアラー(神)を信仰して互いに助け合う者」の集団を表わす「イスラム教徒」という概念は、イスラム共同体(ウンマ)結成のときに初めてつくられたと評価できる。

 ムハンマドの指導によって、イスラム共同体の「メディナ憲章」という取り決めがなされた。そこには、次のような規定が定められていた。

  「異教徒からの攻撃があれば、イスラム教徒は互いに助け合って戦う」

  「部族間の争いは、話し合いをひらいて身代金によって解決する」

  「イスラム共同体に従った異教徒には保護を与え、イスラム教徒と平等な商売上の保証をする」

 このメディナ憲章の主旨に従って、ムハンマドは、宗教面での指導権と行政、司法、外交などの最高の決定権をあわせもつウンマ(イスラム共同体)の長とされたのである。

 このようなムハンマドの地位は、歴代のカリフに受けつがれていった。

無血で従えたメッカ

 ムハンマドと同時代に、ローマ帝国の流れをひくビザンツ帝国(東ローマ帝国)やササン朝ペルシアなどの大国があった。これらの国には、武力を用いて強大な権力を握り、思いのままに贅沢をした君主が多くいた。ムハンマドの行動をかれらと比べてみると、比較的質素に過ごしたムハンマドが権力欲を満たすためだけに戦ったのではないことがわかってくる。

 ムハンマドは何度も危機にみまわれながらも、「アラブに平和な世界をつくる」夢のために頑張り抜いた。しかしその平和は、「平和のための戦い」でしか得られないものであった。

  「一つの信仰のもとにアラブがまとまれば、部族間の争いはなくなる」

 このような考えを受け入れる動きは、ムハンマドの時代のアラブ社会の側にも確かにあった。

 しかも豊かな草原が乾燥地になっていったあと、多神教の神々に対する信頼は後退していた。

 さらにアラブの人々は、中近東の各地にみられるユダヤ人が、一神教のもとで争いの少ない安定した社会をつくっているのを見てきた。しかしアラブ人にはアラブ人としての誇りがあり、民族の違うかれらに、

  「ユダヤ教に入信させてください」

 と頼むわけにはいかない。そういったときに、ムハンマドが「アラブ人のための一神教」を起こし、さまざまな立場の者の共存を目指す規則や日常生活に役立つ知識を広めたのだ。

 部族間の対立を超えて団結したメディナの人々はムハンマドの理想に動かされる形で、同一の信仰で結ばれた軍勢を組織してアラブ世界の統一に乗り出した。六二四年にメディナの軍勢は手始めに、メッカのクライシュ族の武装した隊商を襲って勝利した。

アマゾンと配送

2016年09月25日 | 3.社会
『アマゾンと物流大戦争』より 物流のターニングポイント--ネット通販と宅配便の異変

アマゾンが秘密にする物流センター

 米国サンフランシスコ、バークレーには、現時点(2016年8月時点)でアマゾンがまだ公には存在を表に出していない秘密のフルフィルメント(物流)センターがあります。

 2016年2月下旬に私が訪れた際、看板にはガムテープが貼られていましたが、裏にはしっかりと「Amazon」の文字が書かれていました。これはアマゾンがその存在を秘密にしているからにはかならないでしょう。

 私がこの物流センターに注目した理由は、その立地にあります。アマゾンは現在、物流センターを「消費者立地型」(対極は「生産立地型」。これらは筆者による造語)にシフトしています。消費者立地型とは、物流センターをできるだけ消費者の多い場所の近くに立地させることです。通常、アマゾンの物流センターは消費者が多く集積する大都市と数百キロメートル以上離れていますが、消費者立地型の物流センターの場合、その立地は大都市から100キロメートル以内と距離が大きく縮まります。

 消費者立地型のように、より消費者に近い場所にストックポイントとなる物流センターを設置することにより、2つの利点が得られます。1つは宅配会社に支払う配送費を抑えることができます。もう1つは顧客へ商品を届ける配送のスピードをより上げることができます。

 物流の専門用語に「リンク」と「ノード」というものがあります。リンクはつながり、つまりトラックなどでの配送です。ノードは結び目、つまり物流拠点のことを指します。アマゾンが消費者立地型の物流センターを作った理由は、リンク(配送)のコストが上がってきたので、ノード(物流拠点)に多少お金をかけても、リンクの長さ(配送距離)を短くしたほうが得策だと考えるのは当然でしょう。

 例えば、今までは顧客が注文した商品が近くの物流センターにない場合、ほかの物流センターから取り寄せて配送する必要がありました。でもストックポイントとなるノードを消費者に近い場所に多く設置すれば、リンクを経由するムダがなくなります。消費者立地型の物流センターの設置には大きな投資が必要となりますが、それだけ物流を効率化でき、顧客の利便性も増します。

 アマゾンが消費者立地型ヘシフトを始めたのは2011年頃からです。しかしながら、まさに消費エリア内で稼働する物流センターは、今回のバークレーが初めてとなります。その意味で、バークレーの物流センターはアマゾンの物流戦略を占う上で、大変に重要なマイルストーンになるでしょう。

 新たに稼働するバークレーの物流センターが、自前配送の強化に使われることは間違いありません。また、アマゾンはバークレーの物流センターだけでなく、南サンフランシスコなどのベイエリアに複数の配送デポ(小型の物流センタ-)を稼働させています。これもアマゾンは公にしてはいません。近年になり、アマゾンは確実に消費エリア内で物流センターと配送デポを稼働させる消費者立地型に移行しているのです。

アマゾンのラストワンマイル戦略

 アマゾンが消費者立地型の物流センターを開設し始めただけでなく、UPS以外の宅配方法の模索を始めたのも2011年頃からです。

 私は、全米の累計10か所以上のさまざまなネット通販の物流センターを視察してきました。私の肌感覚になりますが、おおよそ9割以上の荷物は最大手UPSによる出荷でした。ネット通販向けのB2Cホームデリバリー、すなわち宅配のほとんどのシェアをUPSが占めているのです。

 しかし、驚くことに2013年のアマゾンの6億800万個の米国出荷のうち、UPSを使った出荷はわずか30%ほどにすぎません。一番高いシェアだったのはUSPS(United States Postal Service:米国郵便)の35%でした。日本では日本郵便にあたる公共性の高い組織ですが、労働組合が強く、サービスが悪いと評判がよくありません。ほかは地域配送会社が18%、フェデックスが17%でした。

 USPSのような評判の悪い配送会社を使っていて、アマゾンは大丈夫だろうかと少し心配していましたが、そこはアマゾン。PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルを回すことで継続的に配送品質を改善しているようです。例えば、米国ではUPSやフェデックスでしか実現していなかった日祝配送を、アマゾンがUSPSで実施すると2013年に発表したときには、全米のネット通販事業者が驚きました。

 なぜアマゾンにはそれができたのか。実はUSPSにとって負担になる仕分け作業をアマゾンが肩代わりしているのです。仕分けされた物を配送するところだけをUSPSに任せることにより、日祝配送を実現したのです。そういった事情もあり、USPSはアマゾン以外のEC事業者が日祝配送を依頼しても、受けてはくれません。自然とそこには参入障壁が出来上がるのです。これも、アマゾンのロジスティクスがいかに強い武器になっているかを示すエピソードでしょう。

 また、地域配送会社のシェアも18%ありますが、これはアマゾンが消費者立地型の物流センターを持つようになったから可能になったことです。私はアマゾンが当日配送用に使っている地域配送会社数社をリサーチに訪れましたが、アマゾンは自らその会社の拠点にトレーラーで荷物を持ってくるといいます。リードタイムから逆算すると、アマゾンの物流センターがよほど近くになくては、そこからの当日配送は不可能です。

 このように、米国アマゾンはラストワンマイルを制するために消費者立地型の物流センターを開設することでUPSへの依存を回避し、宅配会社同士の競争を生み、容易に宅配料金を上げられないように手を打っているのです。

広がるアマソンの自前配送

 さらにアマゾンは自前配送を広げているようです。それは、トレーラーを数千台購入したとされる報道や、貨物飛行機(ボーイング767F)を約20機リースしたという報道からもうかがい知れます。物流センターの拠点と拠点を結ぶ輸送を、自前のトレーラーや貨物飛行機で行うことで、配送ネットワークを自社でコントロールしようとしているのです。

 そう考えていくと、序章で登場した「アマソン・プライム・エア」が単なる実験ではないことが見えてくるのではないでしょうか。アマゾンは宅配会社に依存する状況からの脱却を目指して、ドローン配送を試みているのです。

 さらにユニークなものとして、一般の人に自分の車を持ち込んでもらって配送をしてもらう実験や、自動車会社のアウディと組んで、車のトランクに届ける試みも始めています。クラウドソーシングで配送員を一般の人から調達するモデルはすでにありますが、アマゾンのチャレンジはそのはるか先を行っているようです。

 このような先進的な施策は、ただパフォーマンスとしてやっているわけではありません。アマゾンは物流ネットワー・クを自社のコントロール下に置き、機械化を加速することでロジスティクスのさらなる効率化を本気で目指しています。

 今は1・3兆円の配送費を支払うアマゾンが、いつかはUPSのように宅配ネットワークを持つようになるのではないか、という議論が米国で巻き起こりました。小売企業で世界一であったウォルマートの時価総額をアマゾンが超えたように、200以上の国・地域で展開し世界最大級のネットワークを持つ宅配企業のUPSをもアマゾンは飲み込む、という話が真実味を帯びてきたのです。

 米国のシリコンバレーでは、既存産業を壊滅させるという意味の「ディスラプション(Disruption)」」という言葉が流行っていますが、アマゾンが既存小売業界や既存宅配業界を壊滅させるのではないかという話も真剣に語られています。

自走式ロボットを取り込む

 物流センター内の仕組みも進化しています。アマゾンは2012年に物流センター向けのシステム開発を手掛ける「キバ・システムズ(現アマゾン・ロボティックス)」を7億7500万ドル(約650億円)で買収しました。

 キバは物流センター内で使われる自走式ロボットの開発を得意としている会社です。アイロボット社の掃除ロボット「ルンバ」を大きくしたような形をしたロボットです。人間が倉庫の中でピッキングする商品のある棚まで歩いて行く代わりに、商品を載せた棚そのものをロボットを使って人間のいる場所まで運びます。ピッキングしなければならない商品の場所はレーザー光線によって示され、人間はその商品を取ってバーコードをスキャンし、商品が間違えていないかをチェックした上で箱詰めする仕組みです。

 こうした自走式ロボットを使った仕組みは、ペルトコンペアーを使った自動化システムが設置までに12~18か月と時間がかかるのに対して、数週間で設置することができ、商品の売れ行きに応じて棚の配置を臨機応変に変えられるなど柔軟性が高く、さらなる作業効率の向上を目指すことができるというわけです。人間ではなくロボットですので、物流センター内全体に照明や冷暖房をつける必要がなく、光熱費も節約できます。

 二〇一四年に公開された資料によれば、すでにキバのロボットは10か所の物流センターに3万台以上が配備されています。ある調査会社の試算によれば、キバのロボットを1万台配備することで、時給14ドルのスタッフ2万5000人分に相当するそうです。物流センターの運営費を約20%下げたというレポートもあります(ドィッ銀行調査ょり)。機械化により人件費を削減することで、物流コストを削減したいアマゾンの思惑に合致しています。

 キバの創業者で最高経営責任者(CEO)のミックーマウンツは、実は先ほど紹介した「ネットバブル最大の経営破綻」と言われるオンラインスーパーのウェブバンで物流担当をしていました。ウェブバンが倒産した後に、「もっと良いやり方がぜったいあるはずだ」と、マウンツは物流分野に商機を感じ、「個々の商品が作業者のところまで歩いて来てくれれば一番いい。そのためには棚とモーターを分離し、その実現には移動ロボットが使えるという考えに至った」と言います(ウォールストリートジャーナル日本版「米アマゾンの600億円の買い物から垣間見る未来の物流倉庫」より)。

 ウェブバンの壮大な失敗がもたらした自走式ロボットによるピッキングの自動化という成果を、アマゾンが買収により自社に取り入れたと言えるでしょう。

楽天とネット通販

2016年09月25日 | 3.社会
『アマゾンと物流大戦争』より 物流のターニングポイント--ネット通販と宅配便の異変

楽天が急成長できた理由

 こうした中小のネット通販会社が出店して、ショッピングモールとして1つのまとまりになるのが、楽天市場やヤフーショッピングのようなモール型のECサイトです。アマゾンのように注文から配送までを自前で完結するのではなく、集客から注文までは楽天やヤフーに任せ、その後のピッキングから梱包、配送といった物流作業を各店舗が担うというスタイルです。

 インターネットの登場以後、今までの20年ほどは、モール型ECサイトが優勢でした。楽天の2014年の国内EC流通総額は2兆100億円です。その多くが中核事業である楽天市場の流通総額ですから、1997年のサービス開始からわずか20年弱で急成長を遂げたわけです。

 ネット通販の初期において、楽天市場のようなモール型ECサイトが急成長できたのには理由があります。先ほど示したように、一言で言えば中小のネット通販会社の集合体であったからです。

 楽天は、さまざまなネット通販会社に出店してもらうことで、どこよりも早く充実した品揃えを実現しました。現在の店舗数は4万を超えています。買い物するときには、店舗が点在しているよりも、ショッピングモールのようにIか所に集まっていて品揃えが充実しているほうが便利です。これはネット通販でも同じでした。豊富な品揃えを武器に、たくさんの店舗を巻き込むことで楽天は急成長しました。

 これを裏側から見れば、要するに楽天は物流をそれぞれの店舗に委ねていますので、余計な時間がかからなかったともいえます。繰り返しになりますが、ロジスティクスは積み上げであり洗練されてくるまでに相当に時間がかかるものです。大きな投資をして物流センターを築き、システムを作り、運用のノウハウを積み上げてステップを踏む必要があります。そもそも楽天のようなモール型ECサイトは、ロジスティクスのノウハウを必要としていなかったため、立ち上がりのスピードが速かったのです。

ネット通販における物流機能

 アマゾンのように一社による総合ネット通販と、楽天のように複数のネット通販会社が1つに束ねられたモール型ネット通販を、物流の側面で比較すると図4のようになります。

 総合ネット通販の場合、商品の流れは非常にシンプルです。各メーカーからトラックなどで商品が「入荷」し、物流センターに届いた商品は顧客からの注文があるまで「保管」されます。保管には在庫数など数量と、在庫している場所などロケーションの2つを管理する「在庫管理」という機能が必要とされます。そして顧客からの注文に応じて、商品を「ピッキング」し、ダンボール箱などに商品を入れ破損しないように緩衝材なども入れて「梱包」し、宛先のラベルを貼る作業があります。最後に商品が「出荷」され、委託先の宅配業者などによりそれぞれ配送され、顧客のもとへ商品が届けられるのです。

 一方でモール型ネット通販の場合は、各店舗が「入荷」「保管」「在庫管理」「ピッキング」「梱包」「出荷」という物流機能を担うため、商品の流れが複数に分散されます。また総合ネット通販と比較してメリット・デメリットが出てきます。

 大きなメリットは先ほど述べたように物流センターヘの投資が必要なく、ノウハウも各店舗が持っているのですぐに始めることができるため、立ち上げのスピードを速くすることができる点です。また、たくさんの店舗に出店してもらうことで、いち早く品揃えを充実させることができるため、お客にとって魅力的に見えます。

モール型ネット通販の弱点

 モール型ネット通販のデメリットは3つ考えられます。

 1つ目は、物流品質のバラツキです。物流がそれぞれの店舗に委ねられているため、保管状態が悪い、梱包が雑になる、配送が遅れるなど物流品質に問題が出た場合、改善に時間がかかり効率も悪い点が挙げられるでしょう。物流品質が安定しないと、顧客からの信頼を失いかねません。

 2つ目は、規模のメリットが生じない点です。それぞれの店舗が個別にメーカーから商品を仕入れるため、大量に買うから割引してもらうこと(ボリュームディスカウント)ができません。これは宅配業者との配送料の交渉でも同じです。メーカーにしても宅配業者にしても、1か所との取引でこそ量の割に手間(出荷・集荷コスト)も少なくなり、値引きすることができるのです。

 3つ目は、お客にとって利便性が悪い点です。お客にとっては1回の注文だったとしても、商品をモール内の違う店舗で買った場合は、それぞれの店舗から配送されてくるので、それぞれに配送料がかかってしまいます。

 こうしたデメリットは、アマゾンのような総合ネット通販のロジスティクスが洗練されてくればくるほど、不利に働いてくるものです。総合ネット通販の場合、物流品質は年々向上されますし、売上高が大きくなることで価格競争力も出てきます。物さえ揃えばもちろん配送は一回でまとめて行うことが可能です。

 物流はインフラであり、すぐには品質の違いを認識しづらいものです。しかし、総合ネット通販とモール型ネット通販の差が、近年になりはっきりと現れてきています。注文の翌日の配送はもちろん当日配送での勝負が始まった現在、こうしたモール型ネット通販の不利な面が年々顕在化しているのです。

苦戦する楽天

 2014年以降、楽天は、楽天トラペルや楽天ポイントカード・クレジットカードの取扱高を加えたグループ流通総額しか公表しておらず、比較できる楽天市場だけの数字はありません。しかし、何人かの証券アナリストが指摘するように、私も中核事業である楽天市場が現在のところ、かなり苦戦しているのではないかと予想しています。

 楽天市場が伸び悩んでいるという話題になると、よく「楽天市場のサイトは商品が買いにくい」という話を聞きます。欲しい商品を検索すると複数の同じ商品が表示されたり、送料も店舗ごとに異なるため価格だけで比較することもできず、そもそも店舗によりデザインがまったく違うので使いづらい、というのです。

 しかし、サイトのデザイン自体は昔から大きく変わっておらず、それで売上を伸ばしてきたことを考えると、楽天市場の売上が伸びない理由をサイトのデザインや使い勝手だけで語るのはミスリードでしょう。もちろん、サイトの使い勝手が時代にそぐわないものになってきている側面はあると思います。しかし、苦戦の要因はもっと別のところにあるのではないでしょうか。

 それが先ほど物流の側面から説明した、モール型ネット通販のメリット・デメリットの中にあります。

 1つには、楽天市場の品揃えが優位に働かなくなっている点が挙げられます。序章でアマゾンの売上高の推移をご覧いただきましたが、それだけアマゾンが品揃えを充実してきていると解釈することができます。また2013年10月にはモール型ネット通販で楽天と争うヤフーショッピングが出店手数料の無料化を打ち出したことで、店舗数では34万店と楽天をはるかに上回りました。品揃えがサイトの差別化につながらなくなってきているのです。

 もう1つが商品の価格です。楽天市場に出店しているネット通販事業者は、長期的に見ると価格競争力が高くありません。規模のメリットが生じにくく、物流へ大規模に投資できないため、物流改善によるコスト削減の余地もほとんどありません。さらには、楽天市場に出店するための月額利用料やシステム利用料といった手数料の負担もあります。アマゾンのような総合ネット通販の規模が拡大し、またヤフーショッピングのように出店手数料が無料化された場合、楽天市場の商品価格はほかのネット通販サイトよりも高くなりやすくなってきます。さらにヤフーは楽天に対抗して、ユーザーヘの大胆なポイント還元を打ち出しました。

 かつては圧倒的優位にあった品揃えで追いつかれ、価格競争で不利なモール型ネット通販の楽天は、非常に苦しい状況に置かれているといってよいでしょう。ネット通販は今、ターニングポイントを迎えているのです。その苦境の理由を説明するために必要なのが、ロジスティクスの視点です。

楽天物流の失敗

 その楽天も、こうなるまでに手をこまねいていたわけではありません。2010年に楽天は「楽天物流」という子会社を立ち上げました。出店するネット通販会社の物流品質を上げるため、在庫管理やピッキング、梱包から出荷まですべてを出店企業がアウトソーシングできる物流支援サービスです。北は東北から、南は九州まで日本全国をカバーする5都市に8つの物流拠点を作り、物流ネットワーク構築を目指しました。

 ところが2013年12月期、先行投資のコストがかさみ、楽天物流は債務超過に陥りました。同年7月に親会社の楽天に吸収合併される形で会社は清算され、一部の物流センターが閉鎖されるなどリストラが行われて、新たな物流センターの建設計画も撤回されました。現在も物流支援サービス会社「楽天スーパーロジスティクス」が関東で2か所、関西で1か所と限られた範囲で「楽天フルフィルメントセンター」を運営していますが、計画は大きく縮小されたのです。

 一方でアマゾンも同様の機能を持つ物流拠点を全国に9か所、2016年の秋には10か所目(川崎市高津区)がオープン予定であり、本拠地である米国での展開を見る限り、日本においても今後もロジスティクスヘの投資を続けていくでしょう。序章で、注文から最短1時間で商品を届ける「プライム・ナウ」のサービスを実現するため、アマゾンが専用の小型物流センターを設置している事例を紹介しましたが、アマゾンにとってロジスティクスは他社を圧倒するためのサービスであり、武器なのです。

 ロジスティクスを楽天は短期で買えるもの、つまりコストだと考え、アマゾンは長期で構築する投資だと考えたところに決定的な違いが現れました。楽天物流の設立前に、私自身、物流コンサルタントとして彼らに助言しようとアポイントをとろうとしましたが、かないませんでした。今から思い返せば残念です。こうした戦略の違いの背景には、モール型ネット通販か総合ネット通販かというそもそもの出自の違いもありますが、ロジスティクスが今後の成否を分けることは間違いないでしょう。

ユダヤ人問題 実験は必ず行き詰まる

2016年09月24日 | 4.歴史
『ユダヤ人』より 問題の否認 ユダヤ人問題は存在しないとする態度 ⇒ 一九二〇年代の本。ヒットラーよりも10年前にユダヤ迫害の世界が広がっていた

ますますもって私たちは、時代遅れの中立性や虚構に、適正に対処しなければならない。今、私たちは虚構をしぶしぶでも退けなければならないと思うのだが、退ける前に、虚構の弁明として言えることはすべて書き留めておくべきだろう。「しぶしぶ」と申し上げたのは、虚構といえども、それは偉業を成し遂げた私たちの父親の世代に定着していた風潮であり、それを捨ててしまえば、父親たちの顔に泥を塗ることになると思うからだ。しかしながら、私たちの不安など、どこ吹く風と思っている年配者も、いまだに山ほどいるわけである。

まず第一に、西洋では、ユダヤ人をユダヤ人として扱うのではなく、ユダヤ人以外の人々と同じ一般市民として、すこぶる上手に扱っていた時期があったことを思い出さねばならない。たとえば、一八三〇年から一八九〇年に至るまで、平均的な教育を受けたイギリス人やフランス人やイタリア人、そしてドイツ人でさえも、ユダヤ人問題を意識することはなかったと言ってよいかもしれない。イングランド、フランス、イタリア、そしてそれ以外の西洋諸国にいるごく少数のユダヤ人集団といえば、一般人の意識としては、ただ漠然と富を連想しただけだった。そのユダヤ人の大部分が、種々の公共事業で頭角を現わしていた。その多くは慈善事業にも従事していた。そのような人々がいても、おそらく政治的な障害にはなりえなかっただろう。少なくとも当時はそう思えた。

東ヨーロッパから伝わってくる迫害の物語や、そこのユダヤ人の大集団と彼らの寄留する諸国の人民との間で生じた摩擦の実例でさえも、西洋では、完全に文明化されていない常軌を逸した人々のなせる業だとして、嫌悪感をもって受け取られたのである。

ユダヤ人の数がもっと多く、ユダヤ人のことがはっきりと知れわたっていたライン川流域でさえ、もっとも文明化された西洋の慣習が受け入れられていた。この問題では、フランス革命の純粋に理論的な概念や学説が、すでに行き渡っていたのである。

ここで歴史的感覚のある読者なら、私が先ほど引き合いに出した時代のスパン(一八三〇年から九〇年まで)は、短くて話にならないと直ちに指摘することだろう。非常に重大な政治問題となると、数世紀も歴史を遡るわけである。その問題をどのように扱うにせよ、たった六〇年間足らずでは、うまく対処できたとしても、その後に崩れ始めるというのでは、何の解決策にもならないからだ。しかし私なら、この時期は特に遠近感をもって歴史を俯瞰する視点が失われていた時期だったと答えるだろう。十九世紀の人々は、高い教育を受けた人々でさえ、歴史という絵画の前景だけを非常に強調したのである。

当時の学校の学習指導書を見れば、そのことに気づくだろう。ローマ帝国の礎が築かれたまるまる四世紀にも及ぶ歴史は数行に、暗黒時代は数ぺージに、中世の一大絵巻は二、三章に圧縮されている。膨大な指導書の大部分は、判で押したように最後の三世紀の記述に割かれている。その中で十九世紀は、それ以外の世紀をすべて一緒にしたものと同じくらい重要と見なされているのだ。

この誤った歴史観は、それ以外の政治思想のどの分野でもはっきりと見て取れる。たとえば、資本主義、巨額の国債、匿名での金融活動などが全盛を極めはじめるのは、十九世紀も三分の一を過ぎてからだった。誰でも、この社会が極端に不安定な性格を持っていることに気づいただろう。しかし私たちの父親は、物事が永遠に変わらない状態にあることを、当然のことと見なしたのである。鉄道株券を一〇万ポンド持っているヴィクトリア朝の人々は、十分な収入があるので、家族は永遠に安泰だと思いこんでいた。父親たちは、資本主義についての考え方が、新たに発達した個性のない新聞、国境、議会、そしてそれ以外のすべてのことについての考え方にも同じように当てはまると考えていた。そのような誤った永続感と安定感の影響を受けていたとしたら、私たちがここで論じている最重要な問題でも、歴史的見通しを喪失しているとしても何の不思議もない。

しかし、私がユダヤ人に対する十九世紀的、あるいは自由主義的態度と呼ぶものが、ごく短期間だけ(少なくとも西ヨーロッパでは)うまくいったという主張があることは別にしても、過去には、ずっと長期間にわたり、うまく行なわれていたという事実もある。

たとえば、アムステルダムのような街でのユダヤ人の地位を例にとってみよう。ユダヤ人の数はすこぶる多かったけれども、ユダヤ人を他者と全く同じような市民として受け入れること、すなわち、ユダヤ人の独立した民族性を否定する虚構が、その社会では何世代にもわたって維持されてきたのである。そこでは双方とも、平和とはっきりとした満足感を得ることができた。今日のアムステルダムに当てはまることは、これまでもっと長い期間にわたり、数多くのコスモポリタン的な商業社会で営まれてきた生活にも当てはまる。特にヴェネツィアの共同体、そしてローマの共同体にも大いに当てはまる。フランクフルト、リヨン、そして特別の時代における一〇〇都市の共同体もそうだった。同じことが何世代にもわたり、ポーランド全土についても言えた。

このリストには、際限なく付け加えられるかもしれない。しかし、誰かが書いていたように、長い目で見れば、この実験は必ず行き詰まるという不愉快な結果が、常について回る。

この十九世紀の自由主義的な態度に対しては、次のような強力な主張も可能であった。つまり、結局のところ、その態度は、一方の側のイギリス人、フランス人、イタリア人などにとって申し分のないものに思えるし、確かに何の危害も及ぼさない。それと同時に、ユダヤ人の側にとっても非常に受け入れやすかったということだ。ユダヤ人たちは、少なくとも自分にとって深刻な現実問題になるとわかっていたことに対しては、いつも原則として、このような特別の処置を受け入れていただけでなく、歓迎もしていたのである。というのも、ユダヤ人には他の誰にもわからない人種的な記憶があるからだ。このように申し合わせをすることで、ユダヤ人がユダヤ民族の歴史(どのユダヤ人もはっきりと意識している)を経験したがゆえに、熱烈に望むようになった安全が、すべて与えてもらえるように思えたのである。

この虚構によってユダヤ人の「正義」感も満足したことを付け加えるべきだと私は思う。実際にそのような特別扱いを受けて当然だとユダヤ人が感じていることが、私たちが検証している問題の決して小さくない部分なのである。この特別な扱いがないと、ユダヤ人は不利な条件下に置かれていると感じてしまう。ユダヤ人の見方からすると、このように保護されて、ようやく潜在的な敵意がもたらす不利益を被らなくて済むのである。だからユダヤ人は、どのような共同体にたまたま滞在することになっても、世間はこの完全な市民権という唯一の特権をユダヤ人に与える義務があると同時に、自分たちはユダヤ国家での完全な市民権も持ち続けるものと確信しているのだ。

情報による不安定性と政治--アラブの春

2016年09月24日 | 4.歴史
『<情報>帝国の興亡』より 近代世界システムの崩壊--不安定な情報化社会 ⇒ 未唯宇宙では「分化と統合」で中核のない世界でのシステム化を考えていく

情報による不安定性と政治--アラブの春

 情報による不安定性は、言うまでもなく、経済面にとどまる現象ではない。

 二〇一〇年から二〇一二年にかけ、アラブ世界においてそれまでになかったような規模の反政府デモが起こった。この運動を総称して、「アラブの春」という。とくに重要だったのは、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンである。

 チュニジアでは、二〇一〇年一二月一七日、ある青年が焼身自殺するという事件が起こったのをきっかけとして、反政府デモが国内全土に拡大することになった。しかも軍部が離反したため、二〇一一年一月一四日にザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、二三年間つづいた政権が崩壊した。

 この事件は、チュニジアを代表する花の名前をつけ、「ジャスミン革命」と呼ばれる。

 チュニジアのジャスミン革命に触発され、エジプトで二〇一一年一月から大規模な反政府デモが発生し、ホスニー・ムバ-ラク大統領は二月一一日、エジプト軍最高評議会に国家権力を委譲し、ムバーラクの独裁政治は終焉した。

 リビアでは、二〇一一年二月にカダフィ大佐の退陣を求めるデモが発生・拡大した。やがてNATOとリビア国民評議会を主にした反政府組織の攻撃がはじまり、同年八月二三日に首都のトリポリが陥落した。さらに、国民評議会は一〇月、カダフィのいるシルトを制圧した。カダフィは、このときの攻撃により死亡した。

 イエメンでは、サーレハ大統領の退陣を求める運動が活発になったため、二〇一一年二月二日、二〇一三年の次期大統領選に自分が出馬せず、世襲もしないことを発表した。二○一二年二月二一日には、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーが大統領になった。

 このような運動はなぜ起こったのか。なぜ、アラブの春は発生したのか。

 もちろん、さまざまな視点から分析することができるだろうが、「情報」という観点から考えてみると、アメリカの技術であるインターネットがアラブの春をもたらしたといえるだろう。少なくとも、デジタルメディアの発展がなければ、アラブの春は生まれなかった。

 第二次世界大戦後、多数の国が欧米の植民地ではなくなった。しかしながら、これらの旧植民地が、民主主義体制を敷いているわけではない。それゆえ、多くの人びとの不満が、これらの地域で高まっている。彼らを結びつける絆は、じつはインターネットや携帯電話というデジタルメディアである。

 デジタルメディアをコントロールできる国は、もはや世界中に存在しない。世界は、情報の不安定性によって翻弄される社会となっているのである。

 デジタルメディアとは、比較的最近に誕生した新しい情報の生産と伝達を担うメディアである。その誕生以前には、電信や電話などが大きな役割を果たしていた。つぎに、どのようにしてデジタルメディアが広がっていったのか、マクロな視点からとらえてみたい。

アラブの春とデジタルメディア

 四カ国--チュニジア、エジプト、リビア、イエメン--のなかで、イエメンだけが突出して携帯電話保有率が低い。その一方で、リビアの高さには、目を見張るものがある。

 人びとは携帯電話でメッセージを流し、さらにYouTubeに自国のひどい状態の映像をアップロードした。そのためチュニジア、エジプト、リビアでも反政府活動が活発になった。

 すべての人びとがインターネットを利用できる環境にあったわけではないが、携帯電話は、コミュニケーションギャップを埋める点で重要な役割を果たした。したがって抗議運動をした人びとは、携帯電話を所有していたか、ブロガーやモバイル市民ジャーナリストのグループに参加していた。

 カダフィはリビアの携帯電話ネットワークを機能不全にしようとしたが、つぎつぎとどこからともなく敵対者が現れるため、ある電話がどこにつながっているのか、わからなくなった。したがって、対処の方法がなかったというのが現実であった。携帯電話による音声の伝達が、大きな影響力を及ぼした。

 イエメンは、国内ではあまりインターネットが普及していない国であった。そのイエメンでは、ハッシュタグを使ったツイートが多かったことが、図5-3から読み取れる。過剰結合を表す事例といってよかろう。

 デジタルメディアは、国を越えた政治的反体制運動の手段となった。かなり異なる歴史的・政治的伝統を持つ国々が、デジタルコミュニケーションをとれるようになってから、政治的に同じような変化を経験することが増え、さらにその経験を共有化できるようになったのである。それが独裁政権を倒すパワーになった。

ソフトパワーがつくるハードパワー

 どのような人も、政治にある程度の不満を抱いているだろう。もし不満の程度が高い人がたくさんいるような国であれば、何かがきっかけとなって、携帯電話を通じ、そのような人びとの連帯が生まれ、社会運動となってもまったく不思議ではない。

 その規模が大きくなればなるほど、社会運動としては激しいものとなり、人びとが武器を持ち、政府を転覆させるような事態にまで拡大する。その社会運動が目的を果たさずに終わったとしても、ときとして大きな反響を生む。

 ソフトパワーが、ハードパワーヘと転換したのである。

 アラブの春とはおそらく、そういう出来事の一つなのであろう。欧米のメディアの一部は、これを民主化の動きととらえているようである。デジタル・デモクラシーという言い方もある。しかし、そうした表現はまちがいとはいえないが、あまりに一面的な見方であろう。そこにあるのは、むしろ情報による不安定性ではないだろうか。

 デジタルメディアの特徴は、人びとを統括するリーダーがいない点に求められよう。ツイッターからの発信に対して別の人がリツイートする。そのようなことをくりかえして、運動が拡大する。そこには、同じ目的を持っている人びと、あるいはそう思っている人びとが多数いたとしても、目的を達成したあとでいったい何をおこなうべきかという発想は乏しい。

 もっとも、こうしたことは、これまでのほぼすべての革命的行為にいえることだろう。

 建設するよりも破壊する方がたやすい。人びとは破壊することに主眼を置く。一から建設することは、破壊するよりもはるかに困難な道を歩かなければならない。だからこそあらゆる革命的行為のあとには、険しく、ときとして残酷な道が待っている。

 デジタルメディアは、そうした事実をさらに強化したといえよう。見知らぬ人びとの連帯を強め、一瞬のうちに人びとが集う。破壊がなされる。言い換えれば、「過剰結合」である。そのあとに待ち受けているのは、必ずしもより良い新たな社会の建設ではない。明確なヴィジョンなき破壊のあとには、もしかしたらよりたいへんな生活が待っているだけかもしれない。

 それが、情報による不安定性がもたらすマイナス面であろう。情報による不安定性は、経済生活のみならず、政治面においても深く浸透しているのである。

 情報による不安定性により、世界は多様化し、どのような国も国際機関も、経済・政治面での不安定性をコントロールできなくなっているのが、現代なのである。

新しいシステムヘ

 この、コントロールがきかない状況は、近代世界システムが消滅しつつある現在の世界の姿である。情報という観点からとらえるなら、中核も周辺も半周辺も、もはや存在しない状況が生まれつつある。新しいシステムとは、近代世界システムと異なり、中核を欠くシステムになるものと予想される。

 近代世界システムとは、あくまで経済のシステムであり、中核国とは、政治ではなく、経済の中心である。インターネットの不安定性がもたらしたのは、中核がない世界である。「はじめに」でも述べたように、中国であれアジアのどの国であれ、アメリカのつぎにヘゲモニー国家になることはないだろうと推測される。世界の情報は、凝集力を欠くこととなる。経済的凝集力のない世界システムとは、経済的中心が存在しないシステムである。「ポスト・アメリカ」という概念そのものが成り立たないのである。

 そのような世界の誕生に、われわれは立ち会っているといえよう。

 デジタルメディアの発達によって、情報は、誰もが、そしてどこからでも発信できるようになった。近代世界システムの特徴として、(商業)情報の均質化がある。それは、中核国を通じて実現されてきた。しかし新しく誕生しつつあるシステムでは、それは世界中に散在するデジタルメディアを通してなされる。やがて、情報発信の中心は存在しなくなるであろう。それは、すべての人が情報の発信者になりえるという点で、平等な社会を形成した。

 しかし同時に、情報による不安定性という問題をたえず抱え込んだ社会ももたらした。ポスト・近代世界システムの社会は、金融危機が頻繁に生じる可能性があり、さらにいつ、どこで、どのようなかたちで社会的騒乱が生じるのかわからない社会である。

乃木坂16thシングルの選抜条件

2016年09月24日 | 7.生活
未唯宇宙 歴史編

 歴史編はあくまでも今からの話です。今までの137億年は参考にするだけです。自由をどう保証するのか、平等をどう表現するのかとなると、国民国家になってからの話になります。

 歴史の主体は日本ではない。日本はあまりにも特殊です。これが歴史と言えるかどうか分からない、この国はずっと変わらないでしょう。自分たちだけの世界。

民主主義から始まる歴史

 だから、始まりは民主主義から始まって、先の世界として、全体主義と共産主義を扱って、それが破綻したところで、新しい民主主義がどうなるか、と言うことになります。そこでのキーワードは自由です。付帯としての平等です。

 民主主義がいかに難しいか。市民が主役になると、皆、バラバラになります。すぐに共和制になってしまう。国を維持しようとすると、帝国主義になります。民主主義は共有意識で、自分も皆も一緒に暮らせるようにしようと言うところから起こってきた。

 いかにつながっていくのかと言うことで、さまざまな武器を使いました。端的な表れが、アラブの春です。それまで、個別でバラバラなものがつながっていった。だけど、それらを統治する方法がなかった。これはどの国でも同じです。だから、新しい民主主義が必要です。

 平等を狙って起こってきたのが、全体主義であり、共産主義です。

新しい民主主義の形がどうなるか

 今の行政とか会社のようなハイアラキーで民主主義は不可能です。インフラを変えなければならないし、個人が覚醒しないといけない。それが歴史編の言いたいことなんでしょう。

 ただし、覚醒しても、いかに分化につなげて、統合していくのかは難しい。そのシナリオが必要になってきます。

 デジタルメディアで潰せるけど。その情報の不安定化。それが複雑性であり、トポロジーである。

乃木坂16thシングルの選抜条件

 最大の関心事は16thシングルの選抜メンバー。紅白を考えるとひめたんは欠かせない。今年の最大の楽曲のオリラジのパーフェクトヒューマン、ベビメタルと乃木坂が一緒に出たときにひめたんがアンダーでは運営の恥になる。だから、選抜の枠を18人にしても残すでしょう。

 三期が来るまでに二期を救わないといけない。アイドルを目指していなくて、センターを宣言している蘭世を一気に持ってくる。飛鳥が化けたように大化けする可能性を持っている。その際は生田が誘導することになる。二人のタイミングからすると16thしかない。生田の軸足がミュージカルに移る直前。

ベビメタルの楽曲は「紅月」

 紅白でのベビメタルの楽曲は「紅月」が望ましい。煽るとか掛け合いは紅白の客には無理ですね。その時は、英国とかスイスとかからの衛星放送になる。年の最後に「紅月」が聴きたい。最高画質 最高音質の映像がネットにアップされた。爆音の中ですぅの声が直接、内に入ってくる。

乃木坂こそがコミュニティー

 そう考えていくと乃木坂こそがコミュニティーですね。メンバーを分化させて、社会を活性化させる。10年以上前の環境学習設備で描いていたものです。「さあ!」そのものです。やっとだけど、すごい時代になってきた。。