『ピアニストは語る』より 演奏の神秘
物事は起こるがままに
--では、あなたはどのようにして、そうした多様な要素に自然な統一感をもたらすのでしょう?
V・A 物事はただ起こるものなので、私はそれを起とるがままにします。私はフランス語でいう「音を押しつけない」という言いかたが好きなのですが、私はなにどとも強いたりはしません。もし、うまく行かなければ、それはうまく行かないものなのです。『熱情ソナタ』でも同じことが起とりましたが、私は自分で弾く弾かないの決断をしたくなかったのです。それが起とるかも知れないし、あるいは起こらないかも知れないということがわかっていましたから。多くの物事は起とりますが、『熱情』に関しても私の内面ではなにかが働きかけていたのでしょう。そうしてようやく、先程お話ししたように、ある朝、ピアノで少しばかり弾いてみて、演奏できるだろうとわかったのです。
作品の演奏準備をするとき、私は期限を設けません。締め切りというものが好きではないのです。ラフマニノフには二度、デッドラインがありましたが、彼には例外的なことでした。しかし、それはうまく行きました。ラフマニノフは予定より早く学位をとるために、仕上げる決心をしたのです。たしか、なにかしら急ぐ理由があって、外発的なことが関わっていたのでしょう。しかし、私はそのような仕事のしかたはまったくしません。私はことが起こるのを待ちます。来年の演奏会のプログラムを早々に出したことは決してありません。ほんとうに自分が演奏できるのかできないのかということを知ることなく、この曲やあの曲を弾くなどとは言えないからです。
ソヴィエト連邦時代に、私は多くの非凡な人々に出会いました。今日では彼らのような人はいません。ダヴィッド・オイストラフやムスティスラフ・ロストロポーヴィチの演奏会をいくつか聴き逃してしまったことが深く悔やまれます。「いいや、今夜は友だちに会うことにしよう。もしオイストラフが亡くなったって、数年後にまたどこかにオイストラフのような人が出てくるだろう」と、私は思っていたのです。しかし、オイストラフのような人は、そしてカラヤン、ロストロポーヴィチのような人はもはや現れない--トスカニーニ、ラフマニノフ、クレンペラー、ブルーノ・ワルターについては言うまでもありません。しかし、そのように正直に話すと、楽観主義者たちに批判されたり、嘲笑されたりします。そして彼らには、自分たちのバラ色のものの観かた、自分たちの幸福のために、こちらを抹殺する心構えさえあるのです。「私たちは史上最高の時代に生きているのですよ。テクノロジーの進歩、偉大な作家、偉大なアーティストとともに」。私が「違う」と言うと、彼らは眼差しや、ときには言葉をもって、私を葬り去ろうとする、オスカー・ワイルドが提起していたように。「なんにせよ私を殺さないものは、私を強くするのだ」とニーチエは言いました。彼らは私を殺さなかった、そのかわりに私を強くしたのです。口シアだけではありません、全世界が、私たちが生きている世界が、人生を学ぶのによい学校なのです。スキャンダルを教えられるだけでなく、人生のためにもよい学びの場である--これは確かなことです。
ピアノという楽器
--あなたはピアノとともに生きてきましたが、総じて、どのようなピアノがあなたにとって良いピアノということになるのでしょう?
V・A 響きのレンジが広いこと。最近の二つの録音では、ベーゼンドルフアーのインペリアルを弾きました。オーケストラのような巨大な響きがしましたよ。概して私は、強く打鍵して、音や響きを押しつけるのが好きではない。鍵盤の上にただ自分の手を置くだけ、それですべてが起とるのです。
--ご自身の所有される楽器について教えてください。モスクワの高層アパートで弾いた最初のピアノや、引っ越しで替わったピアノについて。
V・A 始まりは家族が所有していたアップライト・ピアノでした。父がベヒシュタイン、それからまた別のピアノを買ってくれました。私が最後にもっていたベヒシュタインは素晴らしいピアノで、二〇世紀の初頭に製造されたものでした。驚くべき音がしましたよ、大ホール向きではなかったですけれど。いまは二九七四年にハンブルクで購入したスタインウェイを置いています。今日のスタインウェイよりもずっとよい楽器です。
--演奏しているとき、あなたにとってピアノとはどのような存在ですか?
V・A 共犯者、友、幸運--あるいは不運--の道づれです。弾くピアノからインスピレーションを受けることは多いですね。リヒテルとは違って、ピアノと距離を置いて、ほとんど抽象的とも言える物質的な概念を抱くことはありません。自分のピアノや他のピアノを運んで演奏旅行に出ることも、私は決してしないでしょう。
--さまざまに異なる楽器を弾き、多様なレパートリーに臨みながら、あなたはいつもど自身の深い音で演奏されます。ピアノの響きとはどのようなものだと思われていますか?
V・A 私は人生を通じて音楽的な響きを聴き続けています。これからもそうするでしょう。手はいつも自由で、理想的なポジションを打鍵できるようにしています。もし両手が自由であれば、音は自然で、豊かな音量をもつでしょう。これは音楽院で言われていたことですけれど。
創造性をめぐって
--創造的な演奏に求められる才能とはどんなものでしょう?
V・A ある作品を演奏するときは、ある意味、それを創造していることになります。しかし、この種の創造性は作曲や執筆をするときのものとは根本的に異なるものです。作曲家を頼りにすることができますし、コンサートやレコーディングはとくにインスピレーションを必要とはしません。最近のことで言うと、私は二枚のCDを二日と二時間で録音しました。ただピアノを弾いて、録音しただけのことです。ミケランジェリやソフロニツキーがレコーディング・スタジオで問題を抱えていたことは、私には理解できません。べートーヴェンはすぐそこにいるのです。ただ彼に耳を傾け、この指が奏でるだけのことです。盲六の創造性がときには狂気を帯びるのと比べたら、いたってシンプルなものです。疑いを抱き、絶望し、眠れない夜をいくつか過ごすことに比べれば。楽譜にある以外のことは、この世界では書かれ得ないのです。主体も客体もなく、書くべきこともない。ジョゼフ・コンラッドやサミュエル・ベケットのことを考えてもどらんなさい。ピアノを演奏するには、ただ座って、弾くだけでよいのですよ。
--では、音楽における天才性とはなんでしょう?
V・A 演奏家を語るのに、天才とか、天才的なピアニストとかいう言葉は当てはまらないと思います。しかし、作家ロベルト・ムージルは天才です。それから、美術家にして演出家、振付家でもあるヤン・ファーブルもそうでしょう。もし芸術にどのような能力がいるかと言うなら、十分な数の遺伝子が必要で、その質も問われます--自我を構成するためにです。そして、自我が十分に巨大で豊かであれば、望むとおりのことができます。ピアノを演奏するよりも、本を書くほうが私にははるかに興味深いことです。
--この本を通じて、私たちはヴァレリー・アファナシエフという芸術家について語ってきました。さて、彼の近い未来について、あなたはどのような期待を寄せていますか? どのような成熟、変化、さらには冒険が彼の七〇歳代に待ち受けているのでしょう。
V・A この五年というもの、私は膨大な原稿を書いています。ですから、私はいまとても幸せなのです。商業的には一見、失敗に終わっているとしても。私はいま『羽の終わり』という題の本を書き続けています。世界が終わるまで書いていくつもりです。最後に残るのは一枚の羽なのです、ロバート・ブラウニングの詩にあるように。
レコーディングも何枚かはしたいですね。ベートーヴェン、そしてハイドンのソナタ、シューマンのCDを一枚、などなど。コンサートはあまりたくさんやりたくはないです、宣伝のためにするのは嫌ですから。コンサート活動はほとんど時間の無駄で、その意味でグールドは正しかったのだと思います。しかも、彼がそう考えたのは、いまよりもピアノがずっと良くて、聴衆がはるかに教養豊かだった時代のことなのです。セルジュ・ゲンズブールは、ソング・ライティングと歌は二流のアートだと考えていました。真の芸術には「イニシエーション(通過儀礼、入門の手ほどき)」が要るのです。今日のパフォーマーはブリトニー・スピアーズみたいなのばかりで、いいですか、ピンク・フロイドのようではないのですよ。聴衆は足や胸、ハンディキャップ、それからたんに「カリスマっぽい」少年少女に夢中なのです。
私の芸術への貢献はイニシエーション、つまり努力を要するものです。それから、おそらく、眠れない夜もいくつか--。
物事は起こるがままに
--では、あなたはどのようにして、そうした多様な要素に自然な統一感をもたらすのでしょう?
V・A 物事はただ起こるものなので、私はそれを起とるがままにします。私はフランス語でいう「音を押しつけない」という言いかたが好きなのですが、私はなにどとも強いたりはしません。もし、うまく行かなければ、それはうまく行かないものなのです。『熱情ソナタ』でも同じことが起とりましたが、私は自分で弾く弾かないの決断をしたくなかったのです。それが起とるかも知れないし、あるいは起こらないかも知れないということがわかっていましたから。多くの物事は起とりますが、『熱情』に関しても私の内面ではなにかが働きかけていたのでしょう。そうしてようやく、先程お話ししたように、ある朝、ピアノで少しばかり弾いてみて、演奏できるだろうとわかったのです。
作品の演奏準備をするとき、私は期限を設けません。締め切りというものが好きではないのです。ラフマニノフには二度、デッドラインがありましたが、彼には例外的なことでした。しかし、それはうまく行きました。ラフマニノフは予定より早く学位をとるために、仕上げる決心をしたのです。たしか、なにかしら急ぐ理由があって、外発的なことが関わっていたのでしょう。しかし、私はそのような仕事のしかたはまったくしません。私はことが起こるのを待ちます。来年の演奏会のプログラムを早々に出したことは決してありません。ほんとうに自分が演奏できるのかできないのかということを知ることなく、この曲やあの曲を弾くなどとは言えないからです。
ソヴィエト連邦時代に、私は多くの非凡な人々に出会いました。今日では彼らのような人はいません。ダヴィッド・オイストラフやムスティスラフ・ロストロポーヴィチの演奏会をいくつか聴き逃してしまったことが深く悔やまれます。「いいや、今夜は友だちに会うことにしよう。もしオイストラフが亡くなったって、数年後にまたどこかにオイストラフのような人が出てくるだろう」と、私は思っていたのです。しかし、オイストラフのような人は、そしてカラヤン、ロストロポーヴィチのような人はもはや現れない--トスカニーニ、ラフマニノフ、クレンペラー、ブルーノ・ワルターについては言うまでもありません。しかし、そのように正直に話すと、楽観主義者たちに批判されたり、嘲笑されたりします。そして彼らには、自分たちのバラ色のものの観かた、自分たちの幸福のために、こちらを抹殺する心構えさえあるのです。「私たちは史上最高の時代に生きているのですよ。テクノロジーの進歩、偉大な作家、偉大なアーティストとともに」。私が「違う」と言うと、彼らは眼差しや、ときには言葉をもって、私を葬り去ろうとする、オスカー・ワイルドが提起していたように。「なんにせよ私を殺さないものは、私を強くするのだ」とニーチエは言いました。彼らは私を殺さなかった、そのかわりに私を強くしたのです。口シアだけではありません、全世界が、私たちが生きている世界が、人生を学ぶのによい学校なのです。スキャンダルを教えられるだけでなく、人生のためにもよい学びの場である--これは確かなことです。
ピアノという楽器
--あなたはピアノとともに生きてきましたが、総じて、どのようなピアノがあなたにとって良いピアノということになるのでしょう?
V・A 響きのレンジが広いこと。最近の二つの録音では、ベーゼンドルフアーのインペリアルを弾きました。オーケストラのような巨大な響きがしましたよ。概して私は、強く打鍵して、音や響きを押しつけるのが好きではない。鍵盤の上にただ自分の手を置くだけ、それですべてが起とるのです。
--ご自身の所有される楽器について教えてください。モスクワの高層アパートで弾いた最初のピアノや、引っ越しで替わったピアノについて。
V・A 始まりは家族が所有していたアップライト・ピアノでした。父がベヒシュタイン、それからまた別のピアノを買ってくれました。私が最後にもっていたベヒシュタインは素晴らしいピアノで、二〇世紀の初頭に製造されたものでした。驚くべき音がしましたよ、大ホール向きではなかったですけれど。いまは二九七四年にハンブルクで購入したスタインウェイを置いています。今日のスタインウェイよりもずっとよい楽器です。
--演奏しているとき、あなたにとってピアノとはどのような存在ですか?
V・A 共犯者、友、幸運--あるいは不運--の道づれです。弾くピアノからインスピレーションを受けることは多いですね。リヒテルとは違って、ピアノと距離を置いて、ほとんど抽象的とも言える物質的な概念を抱くことはありません。自分のピアノや他のピアノを運んで演奏旅行に出ることも、私は決してしないでしょう。
--さまざまに異なる楽器を弾き、多様なレパートリーに臨みながら、あなたはいつもど自身の深い音で演奏されます。ピアノの響きとはどのようなものだと思われていますか?
V・A 私は人生を通じて音楽的な響きを聴き続けています。これからもそうするでしょう。手はいつも自由で、理想的なポジションを打鍵できるようにしています。もし両手が自由であれば、音は自然で、豊かな音量をもつでしょう。これは音楽院で言われていたことですけれど。
創造性をめぐって
--創造的な演奏に求められる才能とはどんなものでしょう?
V・A ある作品を演奏するときは、ある意味、それを創造していることになります。しかし、この種の創造性は作曲や執筆をするときのものとは根本的に異なるものです。作曲家を頼りにすることができますし、コンサートやレコーディングはとくにインスピレーションを必要とはしません。最近のことで言うと、私は二枚のCDを二日と二時間で録音しました。ただピアノを弾いて、録音しただけのことです。ミケランジェリやソフロニツキーがレコーディング・スタジオで問題を抱えていたことは、私には理解できません。べートーヴェンはすぐそこにいるのです。ただ彼に耳を傾け、この指が奏でるだけのことです。盲六の創造性がときには狂気を帯びるのと比べたら、いたってシンプルなものです。疑いを抱き、絶望し、眠れない夜をいくつか過ごすことに比べれば。楽譜にある以外のことは、この世界では書かれ得ないのです。主体も客体もなく、書くべきこともない。ジョゼフ・コンラッドやサミュエル・ベケットのことを考えてもどらんなさい。ピアノを演奏するには、ただ座って、弾くだけでよいのですよ。
--では、音楽における天才性とはなんでしょう?
V・A 演奏家を語るのに、天才とか、天才的なピアニストとかいう言葉は当てはまらないと思います。しかし、作家ロベルト・ムージルは天才です。それから、美術家にして演出家、振付家でもあるヤン・ファーブルもそうでしょう。もし芸術にどのような能力がいるかと言うなら、十分な数の遺伝子が必要で、その質も問われます--自我を構成するためにです。そして、自我が十分に巨大で豊かであれば、望むとおりのことができます。ピアノを演奏するよりも、本を書くほうが私にははるかに興味深いことです。
--この本を通じて、私たちはヴァレリー・アファナシエフという芸術家について語ってきました。さて、彼の近い未来について、あなたはどのような期待を寄せていますか? どのような成熟、変化、さらには冒険が彼の七〇歳代に待ち受けているのでしょう。
V・A この五年というもの、私は膨大な原稿を書いています。ですから、私はいまとても幸せなのです。商業的には一見、失敗に終わっているとしても。私はいま『羽の終わり』という題の本を書き続けています。世界が終わるまで書いていくつもりです。最後に残るのは一枚の羽なのです、ロバート・ブラウニングの詩にあるように。
レコーディングも何枚かはしたいですね。ベートーヴェン、そしてハイドンのソナタ、シューマンのCDを一枚、などなど。コンサートはあまりたくさんやりたくはないです、宣伝のためにするのは嫌ですから。コンサート活動はほとんど時間の無駄で、その意味でグールドは正しかったのだと思います。しかも、彼がそう考えたのは、いまよりもピアノがずっと良くて、聴衆がはるかに教養豊かだった時代のことなのです。セルジュ・ゲンズブールは、ソング・ライティングと歌は二流のアートだと考えていました。真の芸術には「イニシエーション(通過儀礼、入門の手ほどき)」が要るのです。今日のパフォーマーはブリトニー・スピアーズみたいなのばかりで、いいですか、ピンク・フロイドのようではないのですよ。聴衆は足や胸、ハンディキャップ、それからたんに「カリスマっぽい」少年少女に夢中なのです。
私の芸術への貢献はイニシエーション、つまり努力を要するものです。それから、おそらく、眠れない夜もいくつか--。