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情報による不安定性と政治--アラブの春

『<情報>帝国の興亡』より 近代世界システムの崩壊--不安定な情報化社会 ⇒ 未唯宇宙では「分化と統合」で中核のない世界でのシステム化を考えていく

情報による不安定性と政治--アラブの春

 情報による不安定性は、言うまでもなく、経済面にとどまる現象ではない。

 二〇一〇年から二〇一二年にかけ、アラブ世界においてそれまでになかったような規模の反政府デモが起こった。この運動を総称して、「アラブの春」という。とくに重要だったのは、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンである。

 チュニジアでは、二〇一〇年一二月一七日、ある青年が焼身自殺するという事件が起こったのをきっかけとして、反政府デモが国内全土に拡大することになった。しかも軍部が離反したため、二〇一一年一月一四日にザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、二三年間つづいた政権が崩壊した。

 この事件は、チュニジアを代表する花の名前をつけ、「ジャスミン革命」と呼ばれる。

 チュニジアのジャスミン革命に触発され、エジプトで二〇一一年一月から大規模な反政府デモが発生し、ホスニー・ムバ-ラク大統領は二月一一日、エジプト軍最高評議会に国家権力を委譲し、ムバーラクの独裁政治は終焉した。

 リビアでは、二〇一一年二月にカダフィ大佐の退陣を求めるデモが発生・拡大した。やがてNATOとリビア国民評議会を主にした反政府組織の攻撃がはじまり、同年八月二三日に首都のトリポリが陥落した。さらに、国民評議会は一〇月、カダフィのいるシルトを制圧した。カダフィは、このときの攻撃により死亡した。

 イエメンでは、サーレハ大統領の退陣を求める運動が活発になったため、二〇一一年二月二日、二〇一三年の次期大統領選に自分が出馬せず、世襲もしないことを発表した。二○一二年二月二一日には、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーが大統領になった。

 このような運動はなぜ起こったのか。なぜ、アラブの春は発生したのか。

 もちろん、さまざまな視点から分析することができるだろうが、「情報」という観点から考えてみると、アメリカの技術であるインターネットがアラブの春をもたらしたといえるだろう。少なくとも、デジタルメディアの発展がなければ、アラブの春は生まれなかった。

 第二次世界大戦後、多数の国が欧米の植民地ではなくなった。しかしながら、これらの旧植民地が、民主主義体制を敷いているわけではない。それゆえ、多くの人びとの不満が、これらの地域で高まっている。彼らを結びつける絆は、じつはインターネットや携帯電話というデジタルメディアである。

 デジタルメディアをコントロールできる国は、もはや世界中に存在しない。世界は、情報の不安定性によって翻弄される社会となっているのである。

 デジタルメディアとは、比較的最近に誕生した新しい情報の生産と伝達を担うメディアである。その誕生以前には、電信や電話などが大きな役割を果たしていた。つぎに、どのようにしてデジタルメディアが広がっていったのか、マクロな視点からとらえてみたい。

アラブの春とデジタルメディア

 四カ国--チュニジア、エジプト、リビア、イエメン--のなかで、イエメンだけが突出して携帯電話保有率が低い。その一方で、リビアの高さには、目を見張るものがある。

 人びとは携帯電話でメッセージを流し、さらにYouTubeに自国のひどい状態の映像をアップロードした。そのためチュニジア、エジプト、リビアでも反政府活動が活発になった。

 すべての人びとがインターネットを利用できる環境にあったわけではないが、携帯電話は、コミュニケーションギャップを埋める点で重要な役割を果たした。したがって抗議運動をした人びとは、携帯電話を所有していたか、ブロガーやモバイル市民ジャーナリストのグループに参加していた。

 カダフィはリビアの携帯電話ネットワークを機能不全にしようとしたが、つぎつぎとどこからともなく敵対者が現れるため、ある電話がどこにつながっているのか、わからなくなった。したがって、対処の方法がなかったというのが現実であった。携帯電話による音声の伝達が、大きな影響力を及ぼした。

 イエメンは、国内ではあまりインターネットが普及していない国であった。そのイエメンでは、ハッシュタグを使ったツイートが多かったことが、図5-3から読み取れる。過剰結合を表す事例といってよかろう。

 デジタルメディアは、国を越えた政治的反体制運動の手段となった。かなり異なる歴史的・政治的伝統を持つ国々が、デジタルコミュニケーションをとれるようになってから、政治的に同じような変化を経験することが増え、さらにその経験を共有化できるようになったのである。それが独裁政権を倒すパワーになった。

ソフトパワーがつくるハードパワー

 どのような人も、政治にある程度の不満を抱いているだろう。もし不満の程度が高い人がたくさんいるような国であれば、何かがきっかけとなって、携帯電話を通じ、そのような人びとの連帯が生まれ、社会運動となってもまったく不思議ではない。

 その規模が大きくなればなるほど、社会運動としては激しいものとなり、人びとが武器を持ち、政府を転覆させるような事態にまで拡大する。その社会運動が目的を果たさずに終わったとしても、ときとして大きな反響を生む。

 ソフトパワーが、ハードパワーヘと転換したのである。

 アラブの春とはおそらく、そういう出来事の一つなのであろう。欧米のメディアの一部は、これを民主化の動きととらえているようである。デジタル・デモクラシーという言い方もある。しかし、そうした表現はまちがいとはいえないが、あまりに一面的な見方であろう。そこにあるのは、むしろ情報による不安定性ではないだろうか。

 デジタルメディアの特徴は、人びとを統括するリーダーがいない点に求められよう。ツイッターからの発信に対して別の人がリツイートする。そのようなことをくりかえして、運動が拡大する。そこには、同じ目的を持っている人びと、あるいはそう思っている人びとが多数いたとしても、目的を達成したあとでいったい何をおこなうべきかという発想は乏しい。

 もっとも、こうしたことは、これまでのほぼすべての革命的行為にいえることだろう。

 建設するよりも破壊する方がたやすい。人びとは破壊することに主眼を置く。一から建設することは、破壊するよりもはるかに困難な道を歩かなければならない。だからこそあらゆる革命的行為のあとには、険しく、ときとして残酷な道が待っている。

 デジタルメディアは、そうした事実をさらに強化したといえよう。見知らぬ人びとの連帯を強め、一瞬のうちに人びとが集う。破壊がなされる。言い換えれば、「過剰結合」である。そのあとに待ち受けているのは、必ずしもより良い新たな社会の建設ではない。明確なヴィジョンなき破壊のあとには、もしかしたらよりたいへんな生活が待っているだけかもしれない。

 それが、情報による不安定性がもたらすマイナス面であろう。情報による不安定性は、経済生活のみならず、政治面においても深く浸透しているのである。

 情報による不安定性により、世界は多様化し、どのような国も国際機関も、経済・政治面での不安定性をコントロールできなくなっているのが、現代なのである。

新しいシステムヘ

 この、コントロールがきかない状況は、近代世界システムが消滅しつつある現在の世界の姿である。情報という観点からとらえるなら、中核も周辺も半周辺も、もはや存在しない状況が生まれつつある。新しいシステムとは、近代世界システムと異なり、中核を欠くシステムになるものと予想される。

 近代世界システムとは、あくまで経済のシステムであり、中核国とは、政治ではなく、経済の中心である。インターネットの不安定性がもたらしたのは、中核がない世界である。「はじめに」でも述べたように、中国であれアジアのどの国であれ、アメリカのつぎにヘゲモニー国家になることはないだろうと推測される。世界の情報は、凝集力を欠くこととなる。経済的凝集力のない世界システムとは、経済的中心が存在しないシステムである。「ポスト・アメリカ」という概念そのものが成り立たないのである。

 そのような世界の誕生に、われわれは立ち会っているといえよう。

 デジタルメディアの発達によって、情報は、誰もが、そしてどこからでも発信できるようになった。近代世界システムの特徴として、(商業)情報の均質化がある。それは、中核国を通じて実現されてきた。しかし新しく誕生しつつあるシステムでは、それは世界中に散在するデジタルメディアを通してなされる。やがて、情報発信の中心は存在しなくなるであろう。それは、すべての人が情報の発信者になりえるという点で、平等な社会を形成した。

 しかし同時に、情報による不安定性という問題をたえず抱え込んだ社会ももたらした。ポスト・近代世界システムの社会は、金融危機が頻繁に生じる可能性があり、さらにいつ、どこで、どのようなかたちで社会的騒乱が生じるのかわからない社会である。
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