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ユダヤ人問題 実験は必ず行き詰まる

『ユダヤ人』より 問題の否認 ユダヤ人問題は存在しないとする態度 ⇒ 一九二〇年代の本。ヒットラーよりも10年前にユダヤ迫害の世界が広がっていた

ますますもって私たちは、時代遅れの中立性や虚構に、適正に対処しなければならない。今、私たちは虚構をしぶしぶでも退けなければならないと思うのだが、退ける前に、虚構の弁明として言えることはすべて書き留めておくべきだろう。「しぶしぶ」と申し上げたのは、虚構といえども、それは偉業を成し遂げた私たちの父親の世代に定着していた風潮であり、それを捨ててしまえば、父親たちの顔に泥を塗ることになると思うからだ。しかしながら、私たちの不安など、どこ吹く風と思っている年配者も、いまだに山ほどいるわけである。

まず第一に、西洋では、ユダヤ人をユダヤ人として扱うのではなく、ユダヤ人以外の人々と同じ一般市民として、すこぶる上手に扱っていた時期があったことを思い出さねばならない。たとえば、一八三〇年から一八九〇年に至るまで、平均的な教育を受けたイギリス人やフランス人やイタリア人、そしてドイツ人でさえも、ユダヤ人問題を意識することはなかったと言ってよいかもしれない。イングランド、フランス、イタリア、そしてそれ以外の西洋諸国にいるごく少数のユダヤ人集団といえば、一般人の意識としては、ただ漠然と富を連想しただけだった。そのユダヤ人の大部分が、種々の公共事業で頭角を現わしていた。その多くは慈善事業にも従事していた。そのような人々がいても、おそらく政治的な障害にはなりえなかっただろう。少なくとも当時はそう思えた。

東ヨーロッパから伝わってくる迫害の物語や、そこのユダヤ人の大集団と彼らの寄留する諸国の人民との間で生じた摩擦の実例でさえも、西洋では、完全に文明化されていない常軌を逸した人々のなせる業だとして、嫌悪感をもって受け取られたのである。

ユダヤ人の数がもっと多く、ユダヤ人のことがはっきりと知れわたっていたライン川流域でさえ、もっとも文明化された西洋の慣習が受け入れられていた。この問題では、フランス革命の純粋に理論的な概念や学説が、すでに行き渡っていたのである。

ここで歴史的感覚のある読者なら、私が先ほど引き合いに出した時代のスパン(一八三〇年から九〇年まで)は、短くて話にならないと直ちに指摘することだろう。非常に重大な政治問題となると、数世紀も歴史を遡るわけである。その問題をどのように扱うにせよ、たった六〇年間足らずでは、うまく対処できたとしても、その後に崩れ始めるというのでは、何の解決策にもならないからだ。しかし私なら、この時期は特に遠近感をもって歴史を俯瞰する視点が失われていた時期だったと答えるだろう。十九世紀の人々は、高い教育を受けた人々でさえ、歴史という絵画の前景だけを非常に強調したのである。

当時の学校の学習指導書を見れば、そのことに気づくだろう。ローマ帝国の礎が築かれたまるまる四世紀にも及ぶ歴史は数行に、暗黒時代は数ぺージに、中世の一大絵巻は二、三章に圧縮されている。膨大な指導書の大部分は、判で押したように最後の三世紀の記述に割かれている。その中で十九世紀は、それ以外の世紀をすべて一緒にしたものと同じくらい重要と見なされているのだ。

この誤った歴史観は、それ以外の政治思想のどの分野でもはっきりと見て取れる。たとえば、資本主義、巨額の国債、匿名での金融活動などが全盛を極めはじめるのは、十九世紀も三分の一を過ぎてからだった。誰でも、この社会が極端に不安定な性格を持っていることに気づいただろう。しかし私たちの父親は、物事が永遠に変わらない状態にあることを、当然のことと見なしたのである。鉄道株券を一〇万ポンド持っているヴィクトリア朝の人々は、十分な収入があるので、家族は永遠に安泰だと思いこんでいた。父親たちは、資本主義についての考え方が、新たに発達した個性のない新聞、国境、議会、そしてそれ以外のすべてのことについての考え方にも同じように当てはまると考えていた。そのような誤った永続感と安定感の影響を受けていたとしたら、私たちがここで論じている最重要な問題でも、歴史的見通しを喪失しているとしても何の不思議もない。

しかし、私がユダヤ人に対する十九世紀的、あるいは自由主義的態度と呼ぶものが、ごく短期間だけ(少なくとも西ヨーロッパでは)うまくいったという主張があることは別にしても、過去には、ずっと長期間にわたり、うまく行なわれていたという事実もある。

たとえば、アムステルダムのような街でのユダヤ人の地位を例にとってみよう。ユダヤ人の数はすこぶる多かったけれども、ユダヤ人を他者と全く同じような市民として受け入れること、すなわち、ユダヤ人の独立した民族性を否定する虚構が、その社会では何世代にもわたって維持されてきたのである。そこでは双方とも、平和とはっきりとした満足感を得ることができた。今日のアムステルダムに当てはまることは、これまでもっと長い期間にわたり、数多くのコスモポリタン的な商業社会で営まれてきた生活にも当てはまる。特にヴェネツィアの共同体、そしてローマの共同体にも大いに当てはまる。フランクフルト、リヨン、そして特別の時代における一〇〇都市の共同体もそうだった。同じことが何世代にもわたり、ポーランド全土についても言えた。

このリストには、際限なく付け加えられるかもしれない。しかし、誰かが書いていたように、長い目で見れば、この実験は必ず行き詰まるという不愉快な結果が、常について回る。

この十九世紀の自由主義的な態度に対しては、次のような強力な主張も可能であった。つまり、結局のところ、その態度は、一方の側のイギリス人、フランス人、イタリア人などにとって申し分のないものに思えるし、確かに何の危害も及ぼさない。それと同時に、ユダヤ人の側にとっても非常に受け入れやすかったということだ。ユダヤ人たちは、少なくとも自分にとって深刻な現実問題になるとわかっていたことに対しては、いつも原則として、このような特別の処置を受け入れていただけでなく、歓迎もしていたのである。というのも、ユダヤ人には他の誰にもわからない人種的な記憶があるからだ。このように申し合わせをすることで、ユダヤ人がユダヤ民族の歴史(どのユダヤ人もはっきりと意識している)を経験したがゆえに、熱烈に望むようになった安全が、すべて与えてもらえるように思えたのである。

この虚構によってユダヤ人の「正義」感も満足したことを付け加えるべきだと私は思う。実際にそのような特別扱いを受けて当然だとユダヤ人が感じていることが、私たちが検証している問題の決して小さくない部分なのである。この特別な扱いがないと、ユダヤ人は不利な条件下に置かれていると感じてしまう。ユダヤ人の見方からすると、このように保護されて、ようやく潜在的な敵意がもたらす不利益を被らなくて済むのである。だからユダヤ人は、どのような共同体にたまたま滞在することになっても、世間はこの完全な市民権という唯一の特権をユダヤ人に与える義務があると同時に、自分たちはユダヤ国家での完全な市民権も持ち続けるものと確信しているのだ。
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情報による不安定性と政治--アラブの春

『<情報>帝国の興亡』より 近代世界システムの崩壊--不安定な情報化社会 ⇒ 未唯宇宙では「分化と統合」で中核のない世界でのシステム化を考えていく

情報による不安定性と政治--アラブの春

 情報による不安定性は、言うまでもなく、経済面にとどまる現象ではない。

 二〇一〇年から二〇一二年にかけ、アラブ世界においてそれまでになかったような規模の反政府デモが起こった。この運動を総称して、「アラブの春」という。とくに重要だったのは、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンである。

 チュニジアでは、二〇一〇年一二月一七日、ある青年が焼身自殺するという事件が起こったのをきっかけとして、反政府デモが国内全土に拡大することになった。しかも軍部が離反したため、二〇一一年一月一四日にザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、二三年間つづいた政権が崩壊した。

 この事件は、チュニジアを代表する花の名前をつけ、「ジャスミン革命」と呼ばれる。

 チュニジアのジャスミン革命に触発され、エジプトで二〇一一年一月から大規模な反政府デモが発生し、ホスニー・ムバ-ラク大統領は二月一一日、エジプト軍最高評議会に国家権力を委譲し、ムバーラクの独裁政治は終焉した。

 リビアでは、二〇一一年二月にカダフィ大佐の退陣を求めるデモが発生・拡大した。やがてNATOとリビア国民評議会を主にした反政府組織の攻撃がはじまり、同年八月二三日に首都のトリポリが陥落した。さらに、国民評議会は一〇月、カダフィのいるシルトを制圧した。カダフィは、このときの攻撃により死亡した。

 イエメンでは、サーレハ大統領の退陣を求める運動が活発になったため、二〇一一年二月二日、二〇一三年の次期大統領選に自分が出馬せず、世襲もしないことを発表した。二○一二年二月二一日には、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーが大統領になった。

 このような運動はなぜ起こったのか。なぜ、アラブの春は発生したのか。

 もちろん、さまざまな視点から分析することができるだろうが、「情報」という観点から考えてみると、アメリカの技術であるインターネットがアラブの春をもたらしたといえるだろう。少なくとも、デジタルメディアの発展がなければ、アラブの春は生まれなかった。

 第二次世界大戦後、多数の国が欧米の植民地ではなくなった。しかしながら、これらの旧植民地が、民主主義体制を敷いているわけではない。それゆえ、多くの人びとの不満が、これらの地域で高まっている。彼らを結びつける絆は、じつはインターネットや携帯電話というデジタルメディアである。

 デジタルメディアをコントロールできる国は、もはや世界中に存在しない。世界は、情報の不安定性によって翻弄される社会となっているのである。

 デジタルメディアとは、比較的最近に誕生した新しい情報の生産と伝達を担うメディアである。その誕生以前には、電信や電話などが大きな役割を果たしていた。つぎに、どのようにしてデジタルメディアが広がっていったのか、マクロな視点からとらえてみたい。

アラブの春とデジタルメディア

 四カ国--チュニジア、エジプト、リビア、イエメン--のなかで、イエメンだけが突出して携帯電話保有率が低い。その一方で、リビアの高さには、目を見張るものがある。

 人びとは携帯電話でメッセージを流し、さらにYouTubeに自国のひどい状態の映像をアップロードした。そのためチュニジア、エジプト、リビアでも反政府活動が活発になった。

 すべての人びとがインターネットを利用できる環境にあったわけではないが、携帯電話は、コミュニケーションギャップを埋める点で重要な役割を果たした。したがって抗議運動をした人びとは、携帯電話を所有していたか、ブロガーやモバイル市民ジャーナリストのグループに参加していた。

 カダフィはリビアの携帯電話ネットワークを機能不全にしようとしたが、つぎつぎとどこからともなく敵対者が現れるため、ある電話がどこにつながっているのか、わからなくなった。したがって、対処の方法がなかったというのが現実であった。携帯電話による音声の伝達が、大きな影響力を及ぼした。

 イエメンは、国内ではあまりインターネットが普及していない国であった。そのイエメンでは、ハッシュタグを使ったツイートが多かったことが、図5-3から読み取れる。過剰結合を表す事例といってよかろう。

 デジタルメディアは、国を越えた政治的反体制運動の手段となった。かなり異なる歴史的・政治的伝統を持つ国々が、デジタルコミュニケーションをとれるようになってから、政治的に同じような変化を経験することが増え、さらにその経験を共有化できるようになったのである。それが独裁政権を倒すパワーになった。

ソフトパワーがつくるハードパワー

 どのような人も、政治にある程度の不満を抱いているだろう。もし不満の程度が高い人がたくさんいるような国であれば、何かがきっかけとなって、携帯電話を通じ、そのような人びとの連帯が生まれ、社会運動となってもまったく不思議ではない。

 その規模が大きくなればなるほど、社会運動としては激しいものとなり、人びとが武器を持ち、政府を転覆させるような事態にまで拡大する。その社会運動が目的を果たさずに終わったとしても、ときとして大きな反響を生む。

 ソフトパワーが、ハードパワーヘと転換したのである。

 アラブの春とはおそらく、そういう出来事の一つなのであろう。欧米のメディアの一部は、これを民主化の動きととらえているようである。デジタル・デモクラシーという言い方もある。しかし、そうした表現はまちがいとはいえないが、あまりに一面的な見方であろう。そこにあるのは、むしろ情報による不安定性ではないだろうか。

 デジタルメディアの特徴は、人びとを統括するリーダーがいない点に求められよう。ツイッターからの発信に対して別の人がリツイートする。そのようなことをくりかえして、運動が拡大する。そこには、同じ目的を持っている人びと、あるいはそう思っている人びとが多数いたとしても、目的を達成したあとでいったい何をおこなうべきかという発想は乏しい。

 もっとも、こうしたことは、これまでのほぼすべての革命的行為にいえることだろう。

 建設するよりも破壊する方がたやすい。人びとは破壊することに主眼を置く。一から建設することは、破壊するよりもはるかに困難な道を歩かなければならない。だからこそあらゆる革命的行為のあとには、険しく、ときとして残酷な道が待っている。

 デジタルメディアは、そうした事実をさらに強化したといえよう。見知らぬ人びとの連帯を強め、一瞬のうちに人びとが集う。破壊がなされる。言い換えれば、「過剰結合」である。そのあとに待ち受けているのは、必ずしもより良い新たな社会の建設ではない。明確なヴィジョンなき破壊のあとには、もしかしたらよりたいへんな生活が待っているだけかもしれない。

 それが、情報による不安定性がもたらすマイナス面であろう。情報による不安定性は、経済生活のみならず、政治面においても深く浸透しているのである。

 情報による不安定性により、世界は多様化し、どのような国も国際機関も、経済・政治面での不安定性をコントロールできなくなっているのが、現代なのである。

新しいシステムヘ

 この、コントロールがきかない状況は、近代世界システムが消滅しつつある現在の世界の姿である。情報という観点からとらえるなら、中核も周辺も半周辺も、もはや存在しない状況が生まれつつある。新しいシステムとは、近代世界システムと異なり、中核を欠くシステムになるものと予想される。

 近代世界システムとは、あくまで経済のシステムであり、中核国とは、政治ではなく、経済の中心である。インターネットの不安定性がもたらしたのは、中核がない世界である。「はじめに」でも述べたように、中国であれアジアのどの国であれ、アメリカのつぎにヘゲモニー国家になることはないだろうと推測される。世界の情報は、凝集力を欠くこととなる。経済的凝集力のない世界システムとは、経済的中心が存在しないシステムである。「ポスト・アメリカ」という概念そのものが成り立たないのである。

 そのような世界の誕生に、われわれは立ち会っているといえよう。

 デジタルメディアの発達によって、情報は、誰もが、そしてどこからでも発信できるようになった。近代世界システムの特徴として、(商業)情報の均質化がある。それは、中核国を通じて実現されてきた。しかし新しく誕生しつつあるシステムでは、それは世界中に散在するデジタルメディアを通してなされる。やがて、情報発信の中心は存在しなくなるであろう。それは、すべての人が情報の発信者になりえるという点で、平等な社会を形成した。

 しかし同時に、情報による不安定性という問題をたえず抱え込んだ社会ももたらした。ポスト・近代世界システムの社会は、金融危機が頻繁に生じる可能性があり、さらにいつ、どこで、どのようなかたちで社会的騒乱が生じるのかわからない社会である。
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乃木坂16thシングルの選抜条件

未唯宇宙 歴史編

 歴史編はあくまでも今からの話です。今までの137億年は参考にするだけです。自由をどう保証するのか、平等をどう表現するのかとなると、国民国家になってからの話になります。

 歴史の主体は日本ではない。日本はあまりにも特殊です。これが歴史と言えるかどうか分からない、この国はずっと変わらないでしょう。自分たちだけの世界。

民主主義から始まる歴史

 だから、始まりは民主主義から始まって、先の世界として、全体主義と共産主義を扱って、それが破綻したところで、新しい民主主義がどうなるか、と言うことになります。そこでのキーワードは自由です。付帯としての平等です。

 民主主義がいかに難しいか。市民が主役になると、皆、バラバラになります。すぐに共和制になってしまう。国を維持しようとすると、帝国主義になります。民主主義は共有意識で、自分も皆も一緒に暮らせるようにしようと言うところから起こってきた。

 いかにつながっていくのかと言うことで、さまざまな武器を使いました。端的な表れが、アラブの春です。それまで、個別でバラバラなものがつながっていった。だけど、それらを統治する方法がなかった。これはどの国でも同じです。だから、新しい民主主義が必要です。

 平等を狙って起こってきたのが、全体主義であり、共産主義です。

新しい民主主義の形がどうなるか

 今の行政とか会社のようなハイアラキーで民主主義は不可能です。インフラを変えなければならないし、個人が覚醒しないといけない。それが歴史編の言いたいことなんでしょう。

 ただし、覚醒しても、いかに分化につなげて、統合していくのかは難しい。そのシナリオが必要になってきます。

 デジタルメディアで潰せるけど。その情報の不安定化。それが複雑性であり、トポロジーである。

乃木坂16thシングルの選抜条件

 最大の関心事は16thシングルの選抜メンバー。紅白を考えるとひめたんは欠かせない。今年の最大の楽曲のオリラジのパーフェクトヒューマン、ベビメタルと乃木坂が一緒に出たときにひめたんがアンダーでは運営の恥になる。だから、選抜の枠を18人にしても残すでしょう。

 三期が来るまでに二期を救わないといけない。アイドルを目指していなくて、センターを宣言している蘭世を一気に持ってくる。飛鳥が化けたように大化けする可能性を持っている。その際は生田が誘導することになる。二人のタイミングからすると16thしかない。生田の軸足がミュージカルに移る直前。

ベビメタルの楽曲は「紅月」

 紅白でのベビメタルの楽曲は「紅月」が望ましい。煽るとか掛け合いは紅白の客には無理ですね。その時は、英国とかスイスとかからの衛星放送になる。年の最後に「紅月」が聴きたい。最高画質 最高音質の映像がネットにアップされた。爆音の中ですぅの声が直接、内に入ってくる。

乃木坂こそがコミュニティー

 そう考えていくと乃木坂こそがコミュニティーですね。メンバーを分化させて、社会を活性化させる。10年以上前の環境学習設備で描いていたものです。「さあ!」そのものです。やっとだけど、すごい時代になってきた。。
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