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21世紀型帝国主義のやり方

観光はローカルの活性化

 観光に力を入れるというと、広報とか、ガイドを養成することはするけど、一番重要なのは、ローカルの活性化、エンパワーメントだということに気づいていない。

 郡上八幡だったら、自分たちが活性化するのは、例えば、地元のこども英会話でのコミュニケーション能力を上げていくこと。歓待する心を表現できるようにすること。

 それこそ、1次×2次×3次=6次の世界です。総合力で、内に力をつけてから、外へ持って行く。

21世紀型帝国主義のやり方

 アメリカは帝国主義として、通常兵器で北を攻撃するだろう。たぶん、宇宙戦争並の攻撃になるでしょう。あのロシアを崩壊に招いた「宇宙戦争」の武器を使って、ピンポイントで攻撃する。それに対抗できるのは、GPSを狂わせるなどの方法しかない。

 南に仕掛けたときは容赦ない「報復」です。攻撃させて「報復」する成功事例は対日本で実証済みです。毛沢東がいない中国は手を出さない。毛沢東のように国民を犠牲にすることが不可能になっている。

 東富士の時の鮮明な記憶があります。どんなそれは湾岸戦争開始の緊迫感。米軍の攻撃開始のタイミングは感じていた。そして、予定通りに起こった。

 21世紀型帝国主義として、北を攻撃する。自国に影響があると感じたら、遠方でも攻撃する。イスラエルが原発を攻撃したのと同じ論理です。

 攻撃のシミュレーションは出来ているけど、最後のシナリオが完成していない。それは中国の出方です。合意までまだ時間が掛かりそう。その時は政権は関係なく、軍は動くことになる。

中間の存在としてのコミュニティ

 どこかで、中間の存在としてのコミュニティを未唯宇宙の中に一つにまとめないといけない。書くだけ作り上げます。ターゲットは乃木坂というコミュニティです。
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未唯宇宙詳細 1.1~1.4

進む道

 存在と無

  同居

   (1)行動せず、考える
   (2)死すべき者の定め
   (3)複数の観点から見る
   (4)自分の進め方向

  存在で生きる

   (1)孤立と孤独で自由
   (2)外なる世界は現実
   (3)無為をめざす
   (4)内なる世界で完結

  新しい数学

   (1)数学者にあこがれ
   (2)数学者になれない
   (3)数学は無意味
   (4)新しい数学を求める

  進む方向

   (1)20代・30代は数学
   (2)40代・50代は社会学
   (3)60代・70代は歴史学
   (4)未来学者

 孤立と孤独

  絶対的孤独

   (1)存在しなくなる
   (2)宇宙空間に浮遊
   (3)あまりにも狭い
   (4)死しか見えない

  放り込まれた

   (1)存在感がない
   (2)生まれてきた
   (3)生きていく
   (4)生きる空間

  他者の存在

   (1)存在を信じない
   (2)誰もいない
   (3)私は見えていない
   (4)私は私の世界

  他者の承認

   (1)他者は不要
   (2)自分を律する
   (3)孤立はやさしい
   (4)孤立をつらぬく

 真理

  存在の謎

   (1)存在の謎だらけ
   (2)私がいるから認識
   (3)存在と無は空
   (4)存在と無から始まる

  存在の証し

   (1)真理を求める
   (2)存在を確認
   (3)世界の姿を知る
   (4)人間と社会の構造

  数学から見る

   (1)全てを対象
   (2)論理で飛躍
   (3)存在は不変
   (4)無を表現

  哲学から見る

   (1)存在と時間
   (2)行動より理念
   (3)一人で作り出せる
   (4)言葉で表現

 トポロジー

  空間認識

   (1)トポロジーのロマン
   (2)真理は単純なもの
   (3)真理は数学にある
   (4)空間で本質が見る

  部分と全体

   (1)空間認識
   (2)小さな変化から変革
   (3)連続性と不変性
   (4)未来から今を見る

  全体を創造

   (1)全体を把握
   (2)先を考える
   (3)多様な全体構造
   (4)空間の本質を認識

  シナリオ

   (1)数理的思考を具体化
   (2)循環モデル
   (3)社会現象を抽象化
   (4)支配を配置で説明

存在の意味

 偶然

  大いなる意思

   (1)意思を感じる
   (2)偶然に意図を感じる
   (3)私のために準備
   (4)流れを把握

  偶然は必然

   (1)生まれてきた
   (2)偶然は連鎖
   (3)人間原理
   (4)歴史の方向修正

  偶然を活かす

   (1)仕掛けられた偶然
   (2)偶然を読み解く
   (3)原因をたどる
   (4)啓示として表現

  意図された未来

   (1)私は私のすべて
   (2)与えられた全て
   (3)偶然と未来
   (4)未来を作り出す

 もう一人の私

  μのいる

   (1)もう一人の私
   (2)別人格化
   (3)μとの対話
   (4)別の視点

  行動する

   (1)最終兵器
   (2)女性は恐くない
   (3)組織は恐くない
   (4)前向きに行動

  他者を分析

   (1)心の中を分析
   (2)自然な理解
   (3)精神分析
   (4)心を傷つけない

  人類に対する夢

   (1)真理探究
   (2)全てを知る
   (3)夢を叶える
   (4)社会、人類に夢

 考える存在

  考え抜く

   (1)いい加減
   (2)トポロジスト
   (3)本質を見る
   (4)行動しない

  啓示を得る

   (1)デルフォイの啓示
   (2)行動せずに考える
   (3)赤ピラミッドの啓示
   (4)歴史の変革が起こる

   つながる

   (1)繋がる時はつながる
   (2)心が震える
   (3)自然につながる
   (4)未来につながる

  生きること

   (1)生きるは考えること
   (2)考えるは生きること
   (3)論理的な思考
   (4)真理はシンプル

 夢

  女性の存在

   (1)心に救われる
   (2)愛すること
   (3)無条件に肯定
   (4)世界は存在

  夢を聴く

   (1)皆の夢を自分の夢に
   (2)自分の夢を皆の夢に
   (3)夢をカタチに
   (4)聴くことから始まる

  夢を語る

   (1)自分を語る
   (2)大きな世界につなぐ
   (3)夢を聴いてくれる
   (4)自然に伝わる

  夢を共有

   (1)考え続ける
   (2)夢がある人を支援
   (3)イメージを共有
   (4)未来につなぐ

存在の力

 生まれてきた

  理由

   (1)理由を知りたい
   (2)なぜ、<今>なのか
   (3)神は存在しない
   (4)何をなすか

  私が全て

   (1)存在は不思議
   (2)本当に存在するか
   (3)大いなる意思
   (4)私の感覚

  願うこと

   (1)願うことを商売
   (2)願うために生まれた
   (3)思いがあれば叶う
   (4)人間を循環で見る

  考える

   (1)生きるために考える
   (2)考えるために生きる
   (3)周りは考えていない
   (4)存在を掛けて考える

 宇宙の旅人

  無に帰す

   (1)全ては無に帰す
   (2)心はどこにある
   (3)ちっぽけな存在
   (4)宇宙の感覚

  .宇宙の存在

   (1)核が存在、端が無
   (2)核と端以外はない
   (3)好き嫌いで選ぶ
   (4)絶対的孤独

  .心を軽く

   (1)親は親ではない
   (2)縛られない生き方
   (3)宇宙人と呼ばれる
   (4)全てを対象にする

  地球に寄った

   (1)宇宙人のミッション
   (2)人間を完全コピー
   (3)多重宇宙を形成
   (4)いつでも抜け出す

 存在の力

  存在の確認

   (1)存在だけが頼り
   (2)意思の力の圧迫
   (3)承認は求めない
   (4)めげない

  組織と個人

   (1)組織は被害者意識
   (2)組織はハイアラキー
   (3)組織の中の個人
   (4)未来に責任を持つ

  ぶれない

   (1)μの視点
   (2)μの行動力
   (3)諦めない心
   (4)やり抜く

  対話

   (1)μとの対話
   (2)組織に制約されない
   (3)知恵を生み出す
   (4)未来へ飛び出す

 社会構造

  ハイアラキー

   (1)仕事をやりきる
   (2)数学者として観察
   (3)社会を解析
   (4)富の収集・分配

  全体解析

   (1)近傍と全体の関係
   (2)社会を対象
   (3)近傍と全体を接続
   (4)全体の構造

  組織と近傍

   (1)会社は組織
   (2)近傍は組織を超える
   (3)近傍でカバリングー
   (4)中間の存在がキー

  サファイア循環

   (1)循環の仮説
   (2)中間の存在の役割
   (3)サファイアで定義
   (4)共生の民主主義

内なる世界

 考え抜く

  考える

   (1)考える為に存在
   (2)無の意味
   (3)独力で考える
   (4)考え続ける

  哲学的思考

   (1)哲学者は無為な存在
   (2)根源に至る
   (3)宇宙から発想
   (4)何を知りうるか

  大いなる意思

   (1)放り込んだ責任者
   (2)意思の力を体現
   (3)与えられた偶然
   (4)行動をを妨害

  私はは正しい

   (1)私は間違っていない
   (2)何が正しいのか
   (3)未来を預言
   (4)自己肯定

 私の世界

  他者の存在

   (1)存在を確認できない
   (2)本当は在るのか
   (3)考える時だけ在る
   (4)他者の承認は不要

  私は私の世界

   (1)私の世界しかない
   (2)全てを知りたい
   (3)私の世界を説明
   (4)外なる世界と接点

  夢でつなぐ

   (1)世界は夢の外
   (2)夢は持てば叶う
   (3)夢をかなえる
   (4)女性は懸け橋

  未唯空間に集約

   (1)内なる全てを表現
   (2)未唯空間で体系化
   (3)私の世界を把握
   (4)歴史に投影

 内なる世界

  コンパクト

   (1)存在はコンパクト
   (2)無は開空間
   (3)存在と無の境界
   (4)意思の力を超える

  女性の存在

   (1)絶対的存在
   (2)仏陀にスジャータ
   (3)私の世界と接点
   (4)孤立と孤独を超える

  哲学で再構成

   (1)ニーチェの頂き
   (2)西洋哲学の根源
   (3)ムハンマドの戒律
   (4)法然は組織を破壊

  未唯空間で表現

   (1)考えをまとめる
   (2)環境社会を提案
   (3)他者の世界に方向
   (4)存在の力

 外なる世界

  無の世界

   (1)基本は無
   (2)自分がなくなる
   (3)<今>が全て
   (4)存在の無に向けて

  無に関心

   (1)無からの逆襲
   (2)社会は全て外側
   (3)無に帰する願望
   (4)好奇心の旅

  他者の世界

   (1)身体は私の外側
   (2)内は外で、外は内
   (3)他者が見る目は外
   (4)死は外なる世界

  リスク回避

   (1)女性の接点に限定
   (2)漠然たる不安
   (3)全てを知るために
   (4)宇宙の旅人から発信
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21世紀型帝国主義

『テロリズムと現代の安全保障』より 協調介入あるいは新帝国主義時代の到来

現代の帝国主義とは

 アフガン戦争、イラク戦争を受けて、帝国主義論が興隆した。論者によって概念はさまざまだが、ひとつの共通点があった。それは米国の「単独行動主義的傾向」や「一極支配」に注目し、米国を帝国とみなしている点である。つまり、米国を古代ローマになぞらえて、あたかも米国が世界を支配する野望を持っているかのように論じていた。しかし、「帝国主義論者」がその主張の根拠としたアフガニスタンやイラクヘの武力攻撃が原因で米国は苦境に陥り、また経済面でも世界に金融危機の一因を作った。現地では混乱が続いており、安定化への出口が見えない。このため、2009年にはオバマが米大統領になり、米国による一極支配論や帝国主義論は影を潜めた感がある。シリアヘの不介入、イスラム国に対する地上軍による介入の見送り(空爆のみ)は、この傾向が続いていることを示す。

 本書で言う帝国主義とは、ローマ時代の帝国主義ではなく、列強による帝国主義をモデルにしている。19世紀に欧米(遅れて日本)は世界を分割して、植民地支配を行なった。この19世紀型帝国主義は、第2次世界大戦後の植民地独立により終了した。かつての列強も新興独立国も、法の下では平等な主権国家となった。国家主権の尊重と内政不干渉が、世界の原則となった。しかしながら、現代の列強、たとえばG8プラス欧州連合(EU)・中国が、必要とあれば一国の主権を無視し、そこに干渉することが許容される、あるいはさらに進んで正当性を持つとみなされうる世界の到来、換言すれば19世紀型帝国主義の復活の可能性を示唆するのが本書の見方である。

 この場合の帝国主義とは、必ずしも大国の利益のみを追求するものではない。むしろ、人類の公共益とも言うべきものの達成を目的としている場合も考えられる。たとえば、テロ対策や大量殺戮の阻止、飢餓の救済、大規模感染症対策などである。したがって、「帝国主義」という表現は適切ではないかもしれないが、それでも一国の主権を侵害する可能性のある行動であることには違いない。

 現代の帝国主義的政策は二国だけでとりえるものではなく、米国、ヨーロッパや日本、あるいは口シア、中国も含めた現代の列強が協力して初めて実現可能となる。「協調介入」という表現に置き換え可能である。なぜなら、一国あるいはその同盟国の一部だけが是とする政策では、人類の公共益の追求とは言いがたく、正当性に疑義があるからである。換言すれば、列強の間に合意を見れば、主権国家に対する干渉も合法・可能となる。他方、列強の間で合意が存在しないにもかかわらず、一部の国が一方的に帝国主義政策を強行すれば、正当性とともに必要な支援が受けられず、失敗に終わる公算が大である。イラク戦争がこの例に当てはまる。

「新しい帝国主義」の問題点

 以前の帝国主義と異なるとはいえ、「新しい帝国主義」は、各国家の法の下の平等の否定である。すなわち、第2次世界大戦以後の世界の理念であった民族自決、主権の尊重、内政不干渉などの原則の根本的変更である。これまでも国連安保理における常任理事国の拒否権保持や、核拡散防止条約下での核保有国と非核保有国との取り扱いの差などはあった。だが、各国は不平等を承知の上で、それらの体制に参加したのである。

 当該政府の意思に反して、軍事介入を行ない、新たな政府を樹立することは、1945年以後も事実上は行なわれたことはあるが、「新しい帝国主義」ではこれに公然と一般的正当性が認められることになる。冷戦が終結し、共産主義という対抗イデオロギーの消滅により、民主主義的価値が強調・意識されなくなり、大国の利益がより重視されるようになった結果だと言えば言い過ぎであろうか。9・11事件は歴史の転換点となるかもしれない。

 しかし、中小国の主権が制限されるからと言って、それがただちに道義的に拒否すべきものとはならないであろう。主権国家システムの下では治安維持は各国の責任であるが、そのことと破綻国家には取り締まり能力がないという現実との葛藤がある。秩序と正義は、必ずしも同義ではない。独裁国家において秩序が保たれていても、それを正義が実現されているとは言えまい。両者のバランスをとる必要がある。大国による国際秩序の維持は、すべての国に平等の正義を与えるとは限らないのである。

 問題は「新しい帝国主義」政策が、その適用に当たって、正当性を確保できるかであろう。二国の主権を侵害し、内政不干渉原則に抵触する行為、つまり国際法違反の行為をする訳であるから、説得力のある「違法性阻却事由」が必要である。テロリズムの脅威が深刻で将来も持続する可能性が濃厚であること、問題となっているテロ組織が当該国を拠点としている明白な事実があること、当該国にテロリストを取り締まる意思あるいは能力がないこと、介入に国際的合意(国連安保理の容認、または少なくとも地域機構の支持)があること、過剰な武力行使を行わないこと、一般住民の被害を最小限にすること、捕捉したテロ容疑者あるいは抵抗した当該国の戦闘員の処遇については然るべき人権を尊重すること、責任ある新政権樹立後は速やかに撤退することである。

 以上の条件を満たさない場合には、次のような不幸な結果を生じるであろう。すなわち、対テロ国際連帯にひびが入り、内外の世論の支持を失い、将来のテロリスト誕生の種子を蒔くことになる。テロ対策としては、逆効果である。さらに悪いことには、民主主義国家の基本的理念を損ねて、介入した国にとって自己破壊となる。

 コリアーは、テロ対策も含めて秩序の回復、紛争後の平和維持、クーデターの阻止のために、適切な軍事介入の必要性を論じている。統治不能となった国家(厳密に言えば、もはや国家ではないが)は、テロリズムだけでなく、感染症、麻薬生産および取引、海賊、大量の難民流出などで、他の国々に対して、災厄の源となる恐れがある。コリアーは、破綻前に国際的な保健機関が介入して天然痘を撲滅したソマリアの例を挙げ、破綻後ではそのような介入は不可能であり、現在でもソマリアでは天然痘が流行していたとする。それはソマリアだけでなく、人類にとっても不幸な事態であった。

 極論すれば、仮想の例ではあるが、核保有国が崩壊し、核兵器システムの管理が危うくなり、テロ集団や密売組織等が核兵器・核物質を奪取する可能性も考えられる。そのように判断される場合、私的集団への核拡散を阻止する目的で当該国に軍を派遣し、核兵器こ似物質を押さえることは国際社会の公益である。そのような国は、あまり数が多くないので、予め核兵器・核物質の所在地を把握しておき、タイミングを逃すことなく介入しないと手遅れになる。

21世紀型帝国主義とは

 「新しい帝国主義」は、使い方次第で、善にも悪にもなる。それは人類の公共益とも言うべきものに資するものであって、「全世界的な協調的介入」と称することもできよう。「列強(大国)」の力は極めて制限されている。それは、実効性ある統治とは、当事国の意思と能力に多くを負い、外国が強制して効果が上がる性質のものではないからである。対テロ政策に関して言うならば、外国にできることは、警察・司法改革など現地政府の統治能力向上に協力し、住民の政府に対する信頼構築を間接的に支援することである。

 したがって、「新しい帝国主義」原則、すなわち主権制限や干渉が一定の条件で容認されるという原則は確立されても、適切な適用は容易ではないし、相当の労力が要る。軍事介入は最後の手段であり、その前に説得や経済的見返り・制裁を用いて、自発的に治安維持能力を向上させ、テロリストの取り締まりを強化させる努力は欠かせない。多くの場合、この方式が功を奏している。

 米国の「単独行動主義的」傾向が懸念されていたが、破綻国家あるいはテロ支援国家への介入は一国だけでは難しい。軍事的にテロ支援政権を打倒することは可能であるとしても、国家再建の支援や、そのための経済的負担は他国にも求めざるをえない。何より当事国の国民の努力が欠かせない。米国を中心とする諸国は、タリバン政権打倒には成功したが、新生アフガニスタンの再建には、有効な手立てがない。これは何らかの理由によって、米国が後押しする国家再建が現地で不人気だからであろ

 いかに軍事的に米国が他国の追随を許さないほど強力であっても、単独では帝国主義的政策を追求できない。正当性が必要であり、その確保には、国連安保理の承認が最も効果的である。国際的正当性の必要は認めつつも、中口や途上国を除外するため国連を迂回し、米主導の新たな組織の創設を訴える論者もいるが、イラク戦争を経て米国の権威が失墜した今となっては、この構想は消滅したも同然である。アリソンは、イラク戦争での最大の犠牲は、米国が第2次世界大戦後、世界のリーダーとして築いてきた信頼が損なわれたことだとしている(最大の犠牲はイラク国民の生命であるが-筆者)。米国はその同盟国や友好国、あるいは戦略的要衝の国および中国、ロシアとの協調が不可欠であるが、「新しい帝国主義」のための協調は、調整が容易ではない。このことは2011年に発生したシリアでの動乱に関し、シリア政府に収拾能力はないが、取って代わる勢力もなく、米欧中口および中東各国(トルコ、サウジアラビア、イラン、イラク)の政策も一致せず、解決の方向さえ見えないことが示している。

 一国に公然と軍事的に介入し、新たな政権を樹立することには、同盟国同士でも複雑な利害が絡む。イラク戦争をめぐる米英豪と独仏の、本来、緊密に協力し合わなければならない国同士の対立が、このことを如実に物語っている。各国の利害が複雑に入り組むことは、「新しい帝国主義」に存在する内在的限界である。

 将来、テロリストの脅威がより深刻となれば、大国はテロリストが拠点としている国への介入という選択肢を保持しているが、それには大国間のコンセンサスが必要である。単独行動主義と新しい帝国主義とは、両立しないのである。
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現代コスタリカのコーヒー事情

『コスタリカを知るための60章』より

国際競争に挑戦する独自のブランド化をめざして

 ほろ苦く、しかし芳香な一杯のコーヒーは、私たちの日常生活に欠かせない飲み物である。眠気を覚まし、精神を活性化させ、また社交や恋人同士の語らいの道具ともなるコーヒーは、人類が愛用する数ある飲み物のなかでも、最も多くの愛好者をもっているが、同時に強い副作用を有する飲み物としても知られている。長い歴史のなかで、時代によっては媚薬、下剤、強壮剤、長寿薬として使用されたことのあるこのコーヒーがアメリカ大陸で広く栽培され始めたのは19世紀になってからで、ちょうどスペインとポルトガルの植民地から独立したばかりのラテンアメリカ諸国の独立国家形成期であった。

 コーヒーは、原産地アフリカのエチオピアから世界を一周し、現在では地球上のコーヒーベルトと呼ばれる、北と南の回帰線の間の熱帯と亜熱帯に位置する多くの国で栽培されている。北緯8度から11度に位置するコスタリカはまさにコーヒー栽培適地のひとつで、高品質のコーヒ上豆を生産することで知られている。そしてコーヒー経済の発達の歴史がコスタリカの国家と社会に与えた影響については、すでに第Ⅱ部で紹介している。

 コーヒーには、エチオピア原産のアラビカ種、コンゴ原産のロブスタ種、リペリア原産のりベリカ種が存在するが、まろやかな甘味があり、カフェインの含有量がほかの2種より少ないアラビカ種が、19世紀からコスタリカが生産するコーヒ-豆であった。しかしアラビカ種は高温多湿に弱く、年平均気温20度、気温の年較差の少ない熱帯の500~1800メートルの高地が適地である。このような条件を満たしているのが、コスタリカの中央盆地である。標高800~1500メートルのこの盆地は、現在その70%がコーヒー畑で埋め尽くされ、遠目にみる丘陵地のコーヒーの畝は日本の茶畑のようだ。

 かつてコスタリカの輸出総額の90%を占めたこともあるコーヒーは、20世紀半ばには30%前後にその地位を低下させ、同時に「コーヒー貴族」は没落した。そして第二次世界大戦後には中小コーヒー栽培農家の協同組合化と近代化政策を通じてコーヒー産業の組織化が国家によって推進されたが、1989年以降コーヒーはこの国の主要な輸出産品の地位を失ってしまった。その原因のひとつは、88年に国際コーヒー機構がコーヒー輸出量の割当制を廃止したことで起こった競争の激化とコーヒー価格の下落であった。コスタリカの輸出総額の30%前後をそれまで占めてきたコーヒーの地位は、最悪を記録した99年には4・4%にまで低下した。2000年には14%台にまで回復したが、この間の厳しい経験はコスタリカ・コーヒーの国際市場における地位を物語っている。

 割当制に守られていたコスタリカのコーヒー産業は、それまで自国産コーヒー豆をほかの国のコーヒー豆とブレンドされて販売することを認めてきた。その結果、専門業者を除くと、コスタリカのコーヒーが世界の消費者の間で知られることはほとんどなかった。しかし90年代の輸出の落ち込みによって目覚めたコスタリカのコーヒー関係者は、高品質のコーヒーを独自のブランドで国際市場に送り込む新しい戦略に取り組み始めた。

 2000年の資料によると、コーヒー産業に関わって暮らす人口は約30万人とされ、コーヒー栽培農家の数はそのほぼ4分の1の7万人であった。2015年には5万人となっている。収穫したコーヒ上豆を加工するベネフィシオ業者の数は93、輸出業者の数は56となっていた。1958年に最初の協同組合が組織されて以来、国家の指導で促進された協同組合は34となり、その組合員約4万5000のコーヒー農家が生産するコーヒーは総生産量の40%に達している。

 コーヒー生産農家の90%は面積5ヘクタール以下しか所有しない小規模農家である。一方、80ヘクタール以上を所有する大規模コーヒー農園は約10%となっている。ちなみに50ヘクタールのコーヒー農園を経営するには、経験を積んだ1人の現場監督と8人の労働者を常雇用する必要がある。この規模のコーヒー農園を切り盛りする現場監督は、経験を必要とするとはいえ、小学校教育レベルの人材で十分である。しかしさらに大規模なコーヒー農園を経営するには現場監督のほかに管理人が必要となり、1人の管理人が管理できるのは5人の現場監督までであるという。つまり250ヘクタールのコーヒー農園を経営する場合、40人の常雇用の労働者が必要となり、大学の農学部を出た専門家を管理人として雇用し、そのほかに会計係などの職員が必要となる。コスタリカのコーヒー農園の圧倒的多数は家族労働力を中心として若干の労働者を常雇用し、収穫期には臨時の労働力を使うという経営方法をとっている状況が容易に理解できる。

 このような小規模のコーヒー生産農家を束ねる協同組合は、これまで国際市場のニーズにあまり敏感ではなかった。ジャマイカやコロンビアのような独自のブランドでコスタリカ産コーヒーを売る努力をしておらず、どこかの国の製品とブレンドされて売られるのが普通であった。しかし自由競争の激化するなかで、高品質のアラビカ・コーヒーを独自のブランドで売りだす作戦が取り組まれており、その代表的なものが「ブリッツ・コーヒー」である。

 コスタリカを訪れる観光客の多くが参加するのが、首都サンホセから車で1時間ほどのエレディア郊外に位置するブリッツ・コーヒー農園ツアーである。1985年にアメリカ人がこのコーヒー農園を取得し、生産から販売にいたるまで独特のコーヒー・ビジネスを展開して大成功を収めたことで知られている。観光客を受け入れる農園の一部には、小劇場からおみやげ売店まで完備しており、観光客を迎える3名の職員はプロの劇団員で、コーヒーの歴史から栽培方法、さらにはコーヒー産業に従事する人びとの暮らしにいたるまで、物語風に演じながら紹介してくれる。それも19世紀のコーヒー農民の衣装をつけ、スペイン語と英語で演じる小劇はなかなかのものである。こうして販売先を拡張してきたブリッツ・コーヒーは、現在ではフアン・サンタマリア国際空港、国立劇場、その他いろいろな場所にしやれたカフエ店を開き、コーヒーだけでなくみやげものまで扱うカフエ・ブリッツ・ブランド商品の販売戦略を展開している。

コーヒー産業の進化

 コーヒーのブランドの代名詞とされる銘柄にはジャマイカのブルーマウンテン、米国ハワイのコナなどがある。また、グアテマラやコロンビアといった国のコーヒーも世界的に評価が高い。これまで、コスタリカのコーヒーについては、ある程度評価されてはいたものの、各農園から集荷されたコーヒー豆をベネフィシオ(大規模加工処理施設)業者が一貫精製したため農園や品種のカラーが出せず、個性に乏しく、コーヒー豆が小粒であるなどと言われてきたが、近年、後述のように好評価を受けることが多くなってきた。

 コスタリカのコーヒーは、国際競争に勝ち抜くために1989年から品質の劣ったロブスタ種の栽培が法律で禁止され、すべてアラビカ種になった。原種はティピカ種であり、これから突然変異種や人工交配種などで新種が生まれた。その中でも高収穫のカトゥーフ種(突然変異種)やカトウアイ種(ムンド・ノーボ種とカトウーラ種の交配種)が80%を超える。国土の太平洋岸斜面で栽培されるコーヒーは品質が高く、標高の高い所からストリクト・ハード・ビーン(SHB)、グッド・ハード・ビーン(GHB)、ハード・ビーン(HB)そしてミディアム・ハード・ビーン(MHB)と分類され、等級が順に下がって格付けされる。最高のコーヒーとされるSHBは標高1200~1700メートルで収穫される。この地域は日中雲や霧が発生しやすく、昼夜の寒暖差が激しいので高級なコーヒーを生む。

 2001~02年に史上最悪といわれる世界的なコーヒー危機でコスタリカのコーヒーも悲惨な状況に陥り、多くの生産者・協同組合・企業などが倒産した。この時、同国はコーヒー豆の品質改善に取り組み、品質の悪い大量の豆を焼却した。また、2001年からコスタリカ・コーヒー協会(ICAFE)が、コーヒーの生産・開発・商品化を向上させるために「国家コーヒー栽培計画」を策定・実施した。このことは同国産コーヒーのイメージ向上につながった。

 かつてコーヒー栽培は収穫量を増やすために、日向栽培(Iヘクタール当たり3000~5000本の密植)が多かった。しかし近年では日陰栽培(同1000~2000本、日陰となる樹木の下で栽培)が多くなってきた。これによって樹齢が延び、農薬散布量が少量で済み、有機栽培ができることから農園労働者の健康にも良い影響を与える。一方、通年の維持管理が必要であるため雇用が安定し、自然保護の観点からも推奨されて、日陰栽培は拡大の一途を辿っている。

 コスタリカはエコツーリズム、森林保護、生物多様性など、国を挙げて環境問題に取り組んでいるが、コーヒー生産過程にもそれは取り組まれている。手摘みしたコーヒ上豆をパルパーと呼ばれる果肉除去機にかけてそのまま乾燥させる方法(エコ・ウオッシュト方式)を採用し、ほとんど水を使用しない所が大半である。これはハニー精法(パルプトナチュラル)と呼ばれている。この方式によるとハニー(蜜)のような甘味を出す。コスタリカはこのハニー精法を重視している。また、除去した果肉は有機肥料として利用されている。

 現在は、世界的にコーヒーの「第3波」とも呼ばれるスペシャルティ・コーヒーの時代で、その特徴は1990年代初頭に北米で始まった「グルメ・コーヒー」である。第1波は第2次世界大戦後のインスタント・コーヒーの時代で、第2波はスターバックスなどのコーヒー・チェーン出現の時期である。スペシャルティ・コーヒーとはワイン・テイストのようにカッピングと呼ばれる審査会であるカップ・オブ・エクセレンス(COE)で良い評価をされたコーヒーである。コスタリカでは、上述のカトゥーラ種などのSHBを手摘みし、良質の豆を(ニー精法で精製している。また、既述のように従来は多くの農園からコーヒー豆を集めてベネフィシオで加工処理を行なったため、20世紀後半には各ベネフィシオ名が商品名になっていた。しかし、2000年代前半に生まれた「マイクロ革命」といわれる、家族や親類または生産者グループが運営するマイクロミルという施設で加工を行なうようになり、より細かな単位で加工処理でき、これで農園や品種ごとに個性を出せるようになった。07年にはコスタリカでCOEが開催され、その後マイクロミルが急増して、現在、国内に140以上ある。2014年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップで日本人が初のチャンピオンになり、その際に使用したコーヒー豆がコスタリカ産(レオンシオ農園)であった。翌15年に開催されたCOEのオークションでは「日本とオーストラリアのロースターと輸入業者が最良のコスタリカ・コーヒーを購入」という記事(『ナシオン紙』6月18日)で紹介されたことからも分かるように、今最も注目されているのが同国産のコーヒーである。

 コスタリカにおいては、コーヒー栽培は零細・中小規模の生産者・協同組合が大半である。かれらはフェアトレード(FT)取引を行なうと、通常の収入に比べ、かなりの増収になるため、FT認証を得ようとしている。FTコーヒーは、大半が有機栽培であり、さらに中間搾取を排除した形で取引される。栽培者はこのFT認証を受け、その数量が年々増大してきている。フェアトレード・インターナショナルによると、2009~10年の世界のFTコーヒー総輸出量10万3000トンのうち、コスタリカは4120トンを輸出して、全世界の4%であったが、2012~13年に2万7900トンとなり、全世界の7%が同国産である。このように、認証を受けたコーヒーは着実に増加し、現在、コスタリカでは、9生産者組織、5貿易業者が認証を受けている。

 また、スターバックス社が2004年に土壌管理と農作物生産の専門家を集めた技術支援センターをコスタリカに設立して、生産者の生活向上、高品質なコーヒー豆の継続的な供給が行なわれ、ドータやクラスの農業協同組合は同社にコーヒー豆を販売している。いずれも太平洋岸に近い雲霧林の標高1200~1500メートルに位置する。2003年にアキアレス農園がレインフォレスト・アライアンス認証を受け、07年にはオア(カ農園などが続いている。ほかには、ベネフィシオ・セロ・アルトは、2011~12年のコーヒー収穫についてカーボン・ニュートラル認証を取得した。さらには、「トレーサビリティー」や「サステナビリティー」といった認証も取得しつつある。このように、さまざま認証を取得して、コスタリカは高付加価値のコーヒー生産に重点を置いて、他国との差別化を推し進めている。
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グローバル化とグローバルな正義

『インドから考える』より

国、個人、人類

 最後に国籍の特権化に目を向けよう。これまた、コミュニテイ最優先の決めつけと同じくらい人々を制約してしまう。もし世界がちがった国民に「区分」されてしまい、別の国民を見るときに、ある国の市民が別の国の市民を見る以外の見方ができないのであれば、個人間の人間関係は国際関係に取り込まれてしまう。これはグローバルな正義の理解に対して大きな影響を持つ。グローバルな正義は、世界の経済秩序をめぐるアジテーションや、「グローバリゼーション」と呼ばれるものに関連する抗議デモなどのおかげもあって、最近ではかなりの注目を集めるようになっているのだ。アイデンティティの問題は、このとても大きな問題にどう関係してくるのだろうか?

 ここで行うべき最初の区別は、広いグローバルな視点と、狭い国際的な視点との区別だ。国籍や市民権の重要性は現代世界では否定できないが、それ以外のアイデンティティで、国境を越えて結びついた人々の関係(国や政治ユニット以外の区分に基づいた分類による連帯のアイデンティティ)にどう注目すべきかも考えるべきだ。たとえば政治的な仲間意識、文化的なつながり、社会的な信念、共有された人間的懸念、共有された欠乏による結びつき(これは階級やジェンダーなどとも関連する)など、市民性以外のつながりによるものだ。職業的なアイデンティティ(たとえば医師や教師としてのアイデンティティ)の要求と、それらが国境とは関係なしに生み出す義務感とをどう評価すべきだろうか? こうした配慮、責任、義務は、単に国民アイデンティティや国際関係に寄生するだけの存在にとどまらず、国際関係とは正反対の方向に向かうこともしょっちゅうあり得るのだ。ある意味で最も広いアイデンティティと言える「人間」というものでさえ、きちんと考えて見れば、ずっと広い視点を認識させてくれるだけの力を持つはずだ。共通の人間性と関連づけられた各種の動機は、「国」や「市民性」といった集合体への帰属を通じて仲介される必要はない。

 これは決定的に重要な認識だ。この論点は、私たちの故郷であるこの危ういインド亜大陸では容易に見てとれる。私たちは、インドやパキスタンの人々がそれぞれの国の市民というだけでなく、お互いを人間として見られる人間どうしなのだという事実を把握すべき十分な理由がある。私たちは、相互のつきあいをそれぞれの国や政府を通じて行う義務などない。私たちの危うい世界--まさに爆発的な原爆を持つ世界--は(インド亜大陸、ひいては他のところでも)自分が何者かを自問することを要求するのだ。自分の人間性が切除され、国籍だけが残った場合のあり方だけを考えてはいけないのだ。

グローバル化とグローバルな正義

 こうした問題は、近年他の理由からも重要となってきた。たとえば、グローバリゼーションの課題という文脈などだ。そうした課題は、各種のレベルで注目を集め、中には騒々しく荒っぽい抗議デモもあった--シアトル、メルボルン、ワシントン、ロンドン、プラハ、ケベックなど各地で。最近のグローバリゼーション反対デモについて真っ先に指摘しておくべきことは、こうした抗議自体が実にグローバル化したイベントだということだ。かれらを「反グローバリゼーション」抗議として見るのは、かなり誤解のもとだ。かれらは世界的な不満と不信を表現する声なのであり、世界中の多くの国やちがった地域から人々を集めている(デモ参加者はシアトルやケペックの「地元連中」ではない)。そしてかれらの価値観の多くは、不平等と格差というグローバルな問題と関連している。

 デモ参加者たちの懸念はしばしば、まとまりのない要求や、粗雑に考案されたスローガンに反映されているが、そうした抗議のテーマのほうが、かれらの理論よりも一貫して重要だ。かれらの絶え間ない問いかけのほうが、スローガンの中で提出されている出来合いの答えよりも重要だ。浮かび上がってくる問いかけは、グローバルな経済と政治の体制における、大幅な制度変更を要求しており、その中身は特許法改定や経済関係の互恵性から、一九四四年ブレトンーウッズ合意の初期の努力から受けついだ制度的アーキテクチャの拡大まで様々だ。こうした変化は、本当にグローバル化されたやりとりを、減らすよりはむしろもっと増やすだろう。特に重要なのは、こうした運動や、その他多くのグローバルな懸念の表明(たとえば環境問題のアジ)に表現を見出しているアイデンティティの感覚は、国民としてのアイデンティティを大きく超えるということだ。

 アイデンティティの選択は、グローバルな正義に強く影響する。アイデンティティ選択の可能性を認識すると、グローバルな正義が国際的な正義(この両者はよく混同される)よりずっと大きな観念として見るべきものだという含意が即座に出てくる。グローバルな正義を国際的な正義として見るのは、ある人物の国民アイデンティティが、なぜか私たちの支配的なアイデンティティでなければならないと想定することだ。でも世界のあちこちにいる人々は、いろいろちがった形で相互に作用し合う--商業、科学文学、音楽、医療、政治的なアジ、さらにはグローバルNGO、ニュースメディアなどを通じてそうした相互作用は行われる。かれらの関係は、政府や国の代表などを通じてはほとんど仲介されていない。

 たとえば、フランスのフェミニストが、仮にスーダンなどでの女性の低い地位のある側面を正すような仕事をしたいと思ったら、その人はある国の国民が別の国民に対して感じる同情を通じて活動をしているわけではない。同じ女性としてのアイデンティティ、または同じ人間としてジェンダー平等を重視するというアイデンティティのほうが、市民権よりは重要かもしれないのだ。同様に、多くのNGO--国境なき医師団、オックスフアム、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチなど--は明示的に、国境を越えた連帯や関係性に注目している。

理性か降伏か?

 終わりに、いくつかの問題に注目しよう。まず、私たちはとても多くのちがった集団に所属しており、それらの間で優先順位を選ばねばならない。ある州やらミュニティや、国でもいいのだが、そうした局所的なアイデンティティの、一部では抵抗しがたいと呼ばれる要求が持ち出され、私たちを無理矢理従属させることはあっても、私たちは自分たちに瑳小性が押しつけられるのに抵抗しなくてはならない。

 第二に、コミュニタリアン的なアイデンティティは、私たちにとって重要なこともあればそうでないこともあるし、どの程度の重要性をそれに持たせるかを決めるのは、私たち自身だ。その選択は、何やら勝手に想定された不可思議な障壁だの、事前に決まった優先度についての説明もない信念だのを根拠に奪われてはならない。

 第三に、世界は単なる国の集まりではなく、人々の集まりでもある。ある人間と別の人間との関係は、それぞれの政府に仲介してもらわなくてもいい。これは、私たちが暮らす、ミサイルや原爆の陰が強まる危うい不安定な世界においては、とても重要な認識になり得る。

 第四に、国際正義はグローバルな正義の要求を完全に包含するものではない。私たちのグローバルな相互関係は、国際的な相互関係よりずっと広範なものだったりするし、反グローバリゼーションの抗議ですらグローバルなイベントとなるのを逃れられない。平等性の問題、懸念、責任は、適切な広がりを持った視点での対応が求められる。

 まとめると、アイデンティティの複数性の含意と、社会的な立論と選択の役割は、このようにすさまじく広範だ。それらは、安全保障から平等性に至る様々なきわめて重要な問題に対し、直接的な関係を持つ。私たちは、相互理解不能性(不可侵な文化障壁により生じるとか言われているもの)をいい加減に想定して、直面すべき問題や必要な選択から逃げるわけにはいかない。また、立論の領域を、受動的な発見の領域に変換するという正当化しにくい手口を通じてうっちやってしまえるものでもない。私たちは、自分が送る人生について責任を持たねばならず、自分たちが暮らす世界についてすら責任をとるべきだ。それ以外の道は、社会的な叡智ではなく、知的降伏でしかないのだ。
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