『社会学講義』より 理論社会学 社会学に標準テキストがないのは、なぜか? ⇒ 大学での講義みたいに体系だったものと捉えます。
近代社会は、いわば、自己意識をもつ社会であり、その自己意識の最も自覚的な表現が社会学である。このような趣旨のことを先に述べました。社会学は、近代社会という土壌から生まれてきたわけです。
ところで、二〇世紀の末期、一九八〇年代あたりから、その近代が大きく変容しつつある、ということが気づかれ、社会学の主要なトピックとなってまいりました。社会学が、自分自身を生み出した基盤そのものの変化を、自ら探究の対象としてきた、ということです。つまり、近代社会の内部に孕まれた大きな転換をどのように解釈し、また説明するのか、というのが、二〇世紀末期以来の社会学の中心的な話題であり、それは二一世紀を迎えた現在まで続いています。最後に、駆け足で、近代の変容を捉える現代社会論を紹介しておきましょう。
先に、近代社会においては、個人主義とナショナリズムとが車の両輪のようなものになっていた、と論じました。この両極の間の相互規定の関係が、大ざっぱに言えば、あの「循環構造」に対応しています。近代社会の変容は、この両極に現れます。
ポストモダン論
変容した近代をどのように呼ぶかは、論者によって異なっていて、その呼び名は、各論者が変容のどの部分を本質的なものとみなしているかを反映しています。最もよく使われる語は、「ポストモダン」です。ポストモダンというと、「近代以降」という印象を与えますが、むしろ、「ポスト」という接頭辞のついた近代社会の後期的形態とみなすほうがよいと思います。
ポストモダンとは何かを、明確に定義したのは、フランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールです。リオタールによれば、ポストモダンの条件は、「大きな物語」の喪失です。大きな物語というのは、歴史を理念や目的の実現過程とみなして、自分たちの現在を意味づけることです。近代においては、民主主義とか、自由とか、人間解放とか、民族独立とか、共産主義とかが、大きな物語の焦点となる理念や目的として機能していました。「大きな」物語というとき、それは、物語の内容が気宇壮大だということではなく、社会的に大きいということ、つまり、物語が社会的に広く共有されていた、ということです。物語の核となっていた、理念や目的が失われた時代、それがポストモダンです。
ポストモダンの段階の社会学的分析の多くは、情報化とか、消費とかに注目しています。そのような分析を試みた社会学者の代表は、ジャン・ボードリヤールでしょう。彼は、従来の社会学が、経済を「生産」を中心に見ていたのに変えて、消費、とりわけ記号的な消費に注目し、ポストモダンな社会を消費社会と呼びました。「記号的な消費」とは、あるブランドの流行のようなことを考えると最もわかりやすいわけですが、商品が、その使用価値によってではなく、他者との差異化に役立つ記号として欲望されることを指しています。
この種のポストモダン論の特徴は、個人の意味世界(リアリティ)が変容し、それにともなって、近代がかつて描いていたような個人の強い主体性が崩壊してきている、ということに注目していることです。ちなみに、私も、この流れの中で--主に日本の戦後社会の変容を念頭におきながら--理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代という三段階を考えています。見田宗介が、現実を意味づけるときの原点となる「反現実」がどのようなモード(タイプ)か、ということで、時代区分をしているのですが、私の三段階は、それを継承したものです。この三段階では、理想の時代が、もともとの近代に、そして、虚構の時代と不可能性の時代がポストモダンに対応しています。
国民国家から〈帝国〉ヘ
マルクス主義の潮流に属する社会学者たちも、近代の変容ということに対応した資本主義社会の分析を提起しています。その上うな理論は実にたくさんあるのですが、その集大成的なものとしては、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの〈帝国〉という把握があります。
近代においては、グローバルな社会は、主権を有する国民国家の集合として捉えられてきました。しかし、今や、このような像は成り立だない、というのがネグリたちの診断です。つまり、古典的なナシ’ナリズムの段階は終わった、というわけです。彼らは、現代社会を統治する新しい主権のあり方を、〈帝国〉と呼んでいるのです。
この〈帝国〉は、かつての中華帝国とかイスラーム帝国とかというときの帝国とも違いますし、またある時期マルクス・レーニン主義者がよく使った「帝国主義」とも違います。〈帝国〉というのは、グローバルな経済や文化の交換やネ″トワークを調整している複合的な主体のことで、特定の国家や機関と同一視することもできません。〈帝国〉と呼ばれるのは、このグローバルな社会を、ローマ帝国の比喩で考えるとわかりやすいからです。
この〈帝国〉に対して、地球上の至るところに、労働したりしなかふたりしている、有象無象の群衆がいる。その群衆のことを、ネグリたちは「マルチチュード」と呼びます。要するに、近代後期の(国民国家の時代以降の)グローバルな社会は、「〈帝国〉対マルチチュード」という構図で捉えることができる、というわけです。
リスク社会
もうひとつ、近代の変容に着目している現代社会論として重要なのは、リスク社会論です。「リスク社会」ということを最初に唱えたのは、ドイツの社会学者、ウルリヒ・べックです。この概念を提起した、彼の『リスク社会』という本は、ちょうど、チェルノブイリの原発事故があった直後に、出版されたのです(一九八六年)。彼は、この事故が起きたあとに本を書いたわけではないのですが、原発事故こそ、リスク社会のリスク、「新しいリスク」の典型でもあったため、『リスク社会』はベストセラーになりました。学問的な概念と現実の出来事が完全にシンクロしていたわけです。
リスクと危険一般とは違います。リスクの特徴は、人間の選択ということと関係しています。リスクというのは、人間が何事かを選択したとき、それに伴って生じると認知された不確実な損害のことです。このようなリスクは、人間の主体性ということが社会の根本的な前提となった近代社会になってから生まれます。そして、リスク社会というのは、その上うなリスクの中でも、とくに新しいタイプのリスクによって特徴づけられる社会です。
新しいリスクとは何か。今あげた原発事故などはその典型ですが、それは、二つの顕著な特徴かあります。第一に、その危惧されているリスクは、しばしば、きわめて大きく破壊的な結果をもたらす、ということです。温暖化による地球生態系の破壊などは、その例です。第二に、そのリスクが生じうる確率は、一般に、非常に低いとされているか、あるいは、計算不能である、ということです。このくらいの確率で、それが起きる、ということを確定的に言うことができないのです。まだ言及していない例を出せば、先進国の大都市での無差別テロのようなものも、新しいリスクのぴとつです。
このような新しいリスクが登場してくるのは、後期近代である、というのがべックをはじめとするリスク社会論者の主張です。後期近代とポスト近代は、外延的には、ほぼ同じ時期を指しています。後期近代と呼んだ方が、近代の一部であるということが強調されます。
リスク社会の新しいリスクは、われわれのリアリティの感覚に大きな変化をもたらさざるをえません。なぜかというと、それは、「責任」(それは「自由」の観念とセ″卜になっています)という観念を破壊するからです。個人の主体性ということをベースにしたとき、責任という観念が重要なことはすぐにわかるでしざっ。人類は、リスクがある程度大きくなって、個人ではその責任を担ったり、補償したりできなくなったとき、保険というシステムを編み出しました。保険というのは、一人では担いきれない責任を、ある規模の人口をもつ集団によって担う、というアイデアです。しかし、新しいリスクに対しては、そのょうな意味での責任すら成り立ちません。たとえば、温暖化で、生態系に致命的な破壊がもたらされたとき、誰かがこの責任を負い、損害を補償できるか、と考えてみるとわかります。このように、リスク社会は、伝統的な近代社会の前提を切り崩しているのです。
社会の社会
べックやギデンズのように、リスク社会を重視する社会学者は、近代社会の「再帰性(リフレクシヴィティ)」ということを強調します。再帰性とは、次のようなことです。最初の方で述べたょうに、行為は規範やルールを前提にしています。近代社会では、規範への反省的(再帰的)態度が浸透している、というのがギデンズたちがいうことです。つまり、規範やルールを「変えることができる」という自覚を前提にして、規範やルールを不断にモニタリングし、修正や調整をほどこしていく。これが再帰性という現象です。
このような、社会システムに備わった、自己言及の構造にさらに徹底してこだわり、その含意を完全に余すことなく引き出したのが、前節でも名前を挙げた--社会システムをオートポイエシス・システムと捉えた--ルーマンです。この理論によれば、システムがとらえる「実在」は、それぞれのシステムに固有な「観察」の産物です。つまり、それは、生の客観的実在ではなく、システムの構築物です。たとえば、法システムは、人々の行為が違法か遵法かという観点で分節しますが、他の側面は無視します。このょうに、実在は、システムの観察に相関してしか現れない。これをラディカルな構成主義と呼びます。
ルーマンは、二〇世紀もほぼ終わろうとしている時期に亡くなりましたが、晩年まで旺盛に執筆をしていました。彼の最後の十年くらいの本の多くはとてもふしぎなタイトルをもっているのです。「社会のX」となっています。このXの位置に、「経済」とか「法」とか「芸術」とかが入ります。たとえば「社会の経済」は、社会学的な経済システムの理論ですが、なぜ「社会の」などと付いているのか。それは、Xの位置にあるものが、社会システムによる構成の所産であることを強調するためです。
そうすると、最終的にはどうなるか、というと、Xの位置に「社会」そのものが入るのです。『社会の社会』です。これは、ルーマンの集大成のような本で、普通に考えれば、社会システムの一般理論、つまり社会学そのものです。社会学という認識自体が、社会システムに内在している、という痛烈な自覚のもとにあるわけです。それは、社会システムに外在する超越的な「観察する主体」を断じて認めない、という意味でも、近代の黄昏に見合った学問になっています。社会学は、近代とともに生まれ、近代の変容とともに変化しているのです。
近代社会は、いわば、自己意識をもつ社会であり、その自己意識の最も自覚的な表現が社会学である。このような趣旨のことを先に述べました。社会学は、近代社会という土壌から生まれてきたわけです。
ところで、二〇世紀の末期、一九八〇年代あたりから、その近代が大きく変容しつつある、ということが気づかれ、社会学の主要なトピックとなってまいりました。社会学が、自分自身を生み出した基盤そのものの変化を、自ら探究の対象としてきた、ということです。つまり、近代社会の内部に孕まれた大きな転換をどのように解釈し、また説明するのか、というのが、二〇世紀末期以来の社会学の中心的な話題であり、それは二一世紀を迎えた現在まで続いています。最後に、駆け足で、近代の変容を捉える現代社会論を紹介しておきましょう。
先に、近代社会においては、個人主義とナショナリズムとが車の両輪のようなものになっていた、と論じました。この両極の間の相互規定の関係が、大ざっぱに言えば、あの「循環構造」に対応しています。近代社会の変容は、この両極に現れます。
ポストモダン論
変容した近代をどのように呼ぶかは、論者によって異なっていて、その呼び名は、各論者が変容のどの部分を本質的なものとみなしているかを反映しています。最もよく使われる語は、「ポストモダン」です。ポストモダンというと、「近代以降」という印象を与えますが、むしろ、「ポスト」という接頭辞のついた近代社会の後期的形態とみなすほうがよいと思います。
ポストモダンとは何かを、明確に定義したのは、フランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールです。リオタールによれば、ポストモダンの条件は、「大きな物語」の喪失です。大きな物語というのは、歴史を理念や目的の実現過程とみなして、自分たちの現在を意味づけることです。近代においては、民主主義とか、自由とか、人間解放とか、民族独立とか、共産主義とかが、大きな物語の焦点となる理念や目的として機能していました。「大きな」物語というとき、それは、物語の内容が気宇壮大だということではなく、社会的に大きいということ、つまり、物語が社会的に広く共有されていた、ということです。物語の核となっていた、理念や目的が失われた時代、それがポストモダンです。
ポストモダンの段階の社会学的分析の多くは、情報化とか、消費とかに注目しています。そのような分析を試みた社会学者の代表は、ジャン・ボードリヤールでしょう。彼は、従来の社会学が、経済を「生産」を中心に見ていたのに変えて、消費、とりわけ記号的な消費に注目し、ポストモダンな社会を消費社会と呼びました。「記号的な消費」とは、あるブランドの流行のようなことを考えると最もわかりやすいわけですが、商品が、その使用価値によってではなく、他者との差異化に役立つ記号として欲望されることを指しています。
この種のポストモダン論の特徴は、個人の意味世界(リアリティ)が変容し、それにともなって、近代がかつて描いていたような個人の強い主体性が崩壊してきている、ということに注目していることです。ちなみに、私も、この流れの中で--主に日本の戦後社会の変容を念頭におきながら--理想の時代/虚構の時代/不可能性の時代という三段階を考えています。見田宗介が、現実を意味づけるときの原点となる「反現実」がどのようなモード(タイプ)か、ということで、時代区分をしているのですが、私の三段階は、それを継承したものです。この三段階では、理想の時代が、もともとの近代に、そして、虚構の時代と不可能性の時代がポストモダンに対応しています。
国民国家から〈帝国〉ヘ
マルクス主義の潮流に属する社会学者たちも、近代の変容ということに対応した資本主義社会の分析を提起しています。その上うな理論は実にたくさんあるのですが、その集大成的なものとしては、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの〈帝国〉という把握があります。
近代においては、グローバルな社会は、主権を有する国民国家の集合として捉えられてきました。しかし、今や、このような像は成り立だない、というのがネグリたちの診断です。つまり、古典的なナシ’ナリズムの段階は終わった、というわけです。彼らは、現代社会を統治する新しい主権のあり方を、〈帝国〉と呼んでいるのです。
この〈帝国〉は、かつての中華帝国とかイスラーム帝国とかというときの帝国とも違いますし、またある時期マルクス・レーニン主義者がよく使った「帝国主義」とも違います。〈帝国〉というのは、グローバルな経済や文化の交換やネ″トワークを調整している複合的な主体のことで、特定の国家や機関と同一視することもできません。〈帝国〉と呼ばれるのは、このグローバルな社会を、ローマ帝国の比喩で考えるとわかりやすいからです。
この〈帝国〉に対して、地球上の至るところに、労働したりしなかふたりしている、有象無象の群衆がいる。その群衆のことを、ネグリたちは「マルチチュード」と呼びます。要するに、近代後期の(国民国家の時代以降の)グローバルな社会は、「〈帝国〉対マルチチュード」という構図で捉えることができる、というわけです。
リスク社会
もうひとつ、近代の変容に着目している現代社会論として重要なのは、リスク社会論です。「リスク社会」ということを最初に唱えたのは、ドイツの社会学者、ウルリヒ・べックです。この概念を提起した、彼の『リスク社会』という本は、ちょうど、チェルノブイリの原発事故があった直後に、出版されたのです(一九八六年)。彼は、この事故が起きたあとに本を書いたわけではないのですが、原発事故こそ、リスク社会のリスク、「新しいリスク」の典型でもあったため、『リスク社会』はベストセラーになりました。学問的な概念と現実の出来事が完全にシンクロしていたわけです。
リスクと危険一般とは違います。リスクの特徴は、人間の選択ということと関係しています。リスクというのは、人間が何事かを選択したとき、それに伴って生じると認知された不確実な損害のことです。このようなリスクは、人間の主体性ということが社会の根本的な前提となった近代社会になってから生まれます。そして、リスク社会というのは、その上うなリスクの中でも、とくに新しいタイプのリスクによって特徴づけられる社会です。
新しいリスクとは何か。今あげた原発事故などはその典型ですが、それは、二つの顕著な特徴かあります。第一に、その危惧されているリスクは、しばしば、きわめて大きく破壊的な結果をもたらす、ということです。温暖化による地球生態系の破壊などは、その例です。第二に、そのリスクが生じうる確率は、一般に、非常に低いとされているか、あるいは、計算不能である、ということです。このくらいの確率で、それが起きる、ということを確定的に言うことができないのです。まだ言及していない例を出せば、先進国の大都市での無差別テロのようなものも、新しいリスクのぴとつです。
このような新しいリスクが登場してくるのは、後期近代である、というのがべックをはじめとするリスク社会論者の主張です。後期近代とポスト近代は、外延的には、ほぼ同じ時期を指しています。後期近代と呼んだ方が、近代の一部であるということが強調されます。
リスク社会の新しいリスクは、われわれのリアリティの感覚に大きな変化をもたらさざるをえません。なぜかというと、それは、「責任」(それは「自由」の観念とセ″卜になっています)という観念を破壊するからです。個人の主体性ということをベースにしたとき、責任という観念が重要なことはすぐにわかるでしざっ。人類は、リスクがある程度大きくなって、個人ではその責任を担ったり、補償したりできなくなったとき、保険というシステムを編み出しました。保険というのは、一人では担いきれない責任を、ある規模の人口をもつ集団によって担う、というアイデアです。しかし、新しいリスクに対しては、そのょうな意味での責任すら成り立ちません。たとえば、温暖化で、生態系に致命的な破壊がもたらされたとき、誰かがこの責任を負い、損害を補償できるか、と考えてみるとわかります。このように、リスク社会は、伝統的な近代社会の前提を切り崩しているのです。
社会の社会
べックやギデンズのように、リスク社会を重視する社会学者は、近代社会の「再帰性(リフレクシヴィティ)」ということを強調します。再帰性とは、次のようなことです。最初の方で述べたょうに、行為は規範やルールを前提にしています。近代社会では、規範への反省的(再帰的)態度が浸透している、というのがギデンズたちがいうことです。つまり、規範やルールを「変えることができる」という自覚を前提にして、規範やルールを不断にモニタリングし、修正や調整をほどこしていく。これが再帰性という現象です。
このような、社会システムに備わった、自己言及の構造にさらに徹底してこだわり、その含意を完全に余すことなく引き出したのが、前節でも名前を挙げた--社会システムをオートポイエシス・システムと捉えた--ルーマンです。この理論によれば、システムがとらえる「実在」は、それぞれのシステムに固有な「観察」の産物です。つまり、それは、生の客観的実在ではなく、システムの構築物です。たとえば、法システムは、人々の行為が違法か遵法かという観点で分節しますが、他の側面は無視します。このょうに、実在は、システムの観察に相関してしか現れない。これをラディカルな構成主義と呼びます。
ルーマンは、二〇世紀もほぼ終わろうとしている時期に亡くなりましたが、晩年まで旺盛に執筆をしていました。彼の最後の十年くらいの本の多くはとてもふしぎなタイトルをもっているのです。「社会のX」となっています。このXの位置に、「経済」とか「法」とか「芸術」とかが入ります。たとえば「社会の経済」は、社会学的な経済システムの理論ですが、なぜ「社会の」などと付いているのか。それは、Xの位置にあるものが、社会システムによる構成の所産であることを強調するためです。
そうすると、最終的にはどうなるか、というと、Xの位置に「社会」そのものが入るのです。『社会の社会』です。これは、ルーマンの集大成のような本で、普通に考えれば、社会システムの一般理論、つまり社会学そのものです。社会学という認識自体が、社会システムに内在している、という痛烈な自覚のもとにあるわけです。それは、社会システムに外在する超越的な「観察する主体」を断じて認めない、という意味でも、近代の黄昏に見合った学問になっています。社会学は、近代とともに生まれ、近代の変容とともに変化しているのです。
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