goo

人間の行動範囲

右胸の調子

 また、右胸が調子悪いですね。そう言えば、乃木坂の曲に「左胸の勇気」がある。

人間の行動範囲

 人間の行動範囲は大きくなっているのか。今日もグランパスとの試合のために、朝から来ている連中がいます。乃木坂もポートメッセで今日はセブンイレブンのイベントで、明日は前膊です。ブログを見ていると、かなり遠くから泊まりで来るみたいです。

 アンダーの広島のために北海道から飛行機で来る連中も書き込んでいた。

 今、フェスを開くと、何万人という単位で集まります。それぞれは別の目的を持っているだろうに。何が彼らを動かしているのか。

 そして、ヒットラーのやり方、皆の煽り方。その時の皆は自分と同じなのか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

リーダーシップにおける孤立

『ハーバードのリーダーシップ講義』より

孤立というリスク

 孤立してはいけない--そう言うと、誰もがすぐに同意します。たとえ「孤立」が意味することがわからなくても、ネガティブなことだと理解しているのです。

 私が考える孤立とは、自分やまわりの状況が見えない状態をいいます。よく見えないせいで、状況を分析するのも、行動するのも、人のために価値を作り出すのもうまくできなくなるか、あるいはこうした能力が失われていきます。

 もちろん誰にでも盲点はあります。問題は、一歩踏み込んで自分の盲点を見つけ、それを認識する気があるか否かです。何もしなければ、毎度同じ盲点に気がつかないまま、孤立し続けるでしょう。世の中には、自分が問題を引き起こしていることに気づかない人がいます。あなたがその盲点を指摘してあげたら、彼らがどれだけ救われると思いますか? この種の孤立を防ぐにはコミュニケーション--人にフィードバックを求め、もらったフィードバックを受け入れること--が不可欠なのです。

 エグゼクティブと話をすると、彼らは一様に孤立するような状況は避けるべきだと主張し、孤立している人に同情します。ところが、彼ら自身の状況について話し出すと青ざめてきます--思っていた以上に自分が孤立していたことに気づくのです。

 わからないことを人に訊けない人や、すべての答えを知っていると思い込んでいる人は、ほぼ間違いなく「余計な口出しをするな」という雰囲気を醸し出しています。あなたがそうなら、周りの人々は黙ってあなたに従うでしょう。人生は短いですし、いい気になっている人をあえて打ちのめすほど暇ではないのです。さらに上司であるあなたは、部下よりも強い権力を持っています。部下は上司を怒らせたくないですし、たとえ聴いてもらう必要があっても上司が聴きたがらないことは言いにくいものです。繰り返しますが、他人に意見を求めて孤立した状態を打破するには、第一歩を踏み出さなければなりません。そしてそれをすべきなのは権力と責任を持っているあなたなのです。

 孤立は時間をかけてゆっくりと進行するため、おそらく本人はその状況に気づきません。孤立しているかどうか判断したい人は、以下を自問してみてください--人にアドバイスを求めますか? 部下と面談しますか? 人の話を黙って最後まで聴きますか? 携帯端末をテーブルに置いたまま人と話しますか? いつも人とどうやってコミュニケーションを取りますか--電子メール、電話、それとも直接会いますか? あなたの重大な盲点を教えてくれる〈早期警告システム〉はありますか?--たとえば無記名の投書箱(手紙またはオンライン形式)、あなたの助言役を務める部下と定期的に一対一でミーティングを行うなど。

孤立に気づくとき

 大抵の場合、何らかの転換点を迎えるまで、自分の孤立には気づかないものです。たとえば、昇進、新しい仕事、他の地域への異動、自分または家族の生活の変化、チームの変化などです。退職が転換点となる人もいます。さらに、経済動向の変化、業界の変化、主力商品の寿命、競合他社の動きが転換点となる場合もあります。

 きっかけが何であれ、転換期を迎えると、リーダーは自分の状況を正確に見極めて状況にうまく適応しなければならなくなります。というのも転換期が来たということは、状況が変わりつつあるということであり、うまく適応しなければ変化に乗り遅れいつか脱線してしまうからです。状況の変化に適応するには、戦略を変えるか、チームメンバーを変えるか、あるいはリーダーシップスタイルを変えなければなりません。

 孤立している人は、状況をあまり客観視できておらず、迅速にリーダーシップスタイルを変えられないことがあります。経営幹部が判断を誤るのは、ほとんどの場合、転換点をすばやく察知できなかったことが原因です。その結果、大きな問題を回避できなかったり、絶好の機会を逃したりするのです。リーダーの失敗談には、転換点となる問題に気づかなかったために、対応が遅れたことを後悔する話がたくさんあります。

孤立のリスク

 前述したように、リーダーは孤立を避けるために何らかの対策を採らねばなりません。エグゼクティブや野心的なリーダーは、十分に孤立対策を施していると思い込みがちです--しかし困った事態に陥ると、そうでなかったと気づきます。ビジネス上の難題にぶつかったときや、自身に関するアドバイスが必要なとき、彼らは往々にして相談相手やアドバイスをくれる人が見つからなくて苦労するのです。

 本章では、人と協力するための重要な要素についてご説明します。といってもよくあるアドバイスとは違います--好印象の与え方、説得力のある話し方、人を魅了する方法といった話ではありません。もちろん、こうした能力がある方が有利には違いありませんが。本章ではむしろ、振る舞い方や他人との接し方を学びます。たとえばあなたの情熱を人に話す、アイデアを共有する、悩みや不安を打ち明ける、他人の意見を求める、相手への理解を深めるために質問する、人の話を素直に聴く、フィードバックやアドバイスを請う、などです。

 仲間たちと効率よく仕事をするには、一対一でのやり取りとグループでのやり取りの両方が必要になります。協力して働くには、両方をマスターしなければならないので、人と交流する手腕を向上させる方法についてもお話します。

孤立する起業家

 会社の経営者には、フィードバックをもらうのはかなりの難題に思えるようです。というのも、彼らは「頼める人がいない」と思い込んでいるからです。私のオフィスには起業家たちがひっきりなしに訪れます。そしてその多くが、会社で困難な状況に陥った、自分のリーダーシップスタイルの見直しが必要だと語ります。私が上級管理職たちからフィードバックをもらってはどうかと訊ねると、彼らは大体こう答えます。「フィードバックなんて無理ですよ。みんな萎縮して何も言えませんよ」さらには「有益なフォードバックをくれるほど尊敬する人がいないからねぇ」などと言う人もいます。

 このような人には、私はこう伝えます。「そんなはずはありません。優秀な人を雇って上級管理職の質の向上をはかればいいではないですか。いや、ひょっとしたらチームは優秀なのに、あなたに問題があるのかもしれませんよ。あなたは、部下たちに彼らの能力にふさわしい敬意を払っていません。彼らのフィードバックは役に立つはずです。しかし、あなたから頼まない限り、彼らは何も言わないでしょう。上司であるあなたには、自覚している以上の権力があるのです。彼らは上司であるあなたに従う立場ですから、リスクを冒して率直な意見を言おうとはしないでしょう。彼らの給料を払っているのはあなたなんですから」

 起業家から部下たちにアドバイスを求めると、部下たちは有益なフィードバックをくれますし、チームとの関係も劇的に良くなります。そうなると、チームのメンバーは早い段階から--つまり手遅れになる前に--問題点を報告してくれるようになります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

イスラーム諸派の形成

『イスラーム信仰概論』より 信仰論争の系譜

イスラームの最初期は当然ながらしっかりした信者を増やし、彼らの共同体を樹立することが急務であった。信仰をめぐる議論もそのような観点からの諸問題が優先度の高いものとなった。イスラームの基本的な信仰箇条は何か、見せかけや付和雷同の信者を見分けること、またどのような罪を犯した者が共同体から追放されるべきか、そして信仰は増減するのかといった問題などがかまびすしく論じられた。

ところが一九世紀以来の西欧からの文明的な衝撃により、信仰論議も大きく変容することとなった。要するに、かつてはイスラームと西洋の強弱関係がまったく逆であったはずなのに、近代科学の圧倒的な力を眼前にして一体どうしてこうなったのか、それはイスラームの何かが悪いからなのか、そして何をどうすればいいのか、というイスラーム文明復興の議論が陰に陽に主流を占めざるをえなくなったのである。

そこで本章第一節ではまず、初期の古から一九世紀までの時代について、どのような諸派の議論がなされてきたかを箇条書きで簡潔に見ることとしたい。かかる動向は思想史的にはダイナミックであり興味が尽きないものの、人々の実際の信仰生活におけるその位置づけは、時代の推移とともにすっかり変貌を遂げてしまった。

どの宗教であれ議論が盛んになると、学派が形成されるケースもあれば、共同体の政治指針となり党派的な動きを示すこともある。時の支配者間の闘争の具として特定の派を支持し、それに対抗するものを弾圧するようなパターンも見られた。

まず特記しておくのは、シーア派の誕生についてである。その全貌を示すことは大きなテーマであるが、ここではその要点のみを記す。シーア派が生まれたのは、イスラーム暦第一世代のころ、西暦七世紀のことであった。それは基本的には、正統カリフのアリー(没六六一年)の人望が高く、彼を強く支持する人たちがその死後も遺徳を偲んだことが出発点となった。アリーの信奉者たちは、イスラームの教えは彼に預言者ムハンマドより秘伝されて、それはアリーの直系しか伝えられないと主張し始めた。ちなみにアリーは、預言者ムハンマドの娘婿でもあった。そしてこの一派は、「アリーの党「シーア・アリー)」と呼ばれたところから、シーア派という名称が定着したのであった。

シーア派は当時のウマイヤ朝と対立して、アリーの息子フサインがウマイヤ朝により殺害されたのでますます両者の対立は深まった。そしてフセインが殺されたのは支持者である自分たちが十分に彼を守らなかったからだと悔やんで、これをきっかけに自身の身体を痛めつける毎年の恒例行事が始まった(アーシューラーといわれる時期に実施)。なおシーア派に従うと、アリーは初代のカリフであるということになる。それまでの三代のカリフの継承は、秘伝が伝授されていないので認められないということである。

アリーの後は、正式に秘伝を伝授された特定のイマームに従うとする基本思想により、シーア派内部でも分派活動を推し進めることとなった。一六世紀以来、イランで国の宗派として正式に採用されてきた一二代派は、指導者がその代でお隠れになったとする。正式のイマームが現れるまでは小指導者でつなぎ、いずれ現れる一三代目のイマームを待とうという救世主待望論の考え方である。五代派(イエメンのザイド派)や七代派(一一世紀エジプトのファーティマ朝や現在もインドにあるイスマーイール派)も同様の発想で、それぞれ五代目、あるいは七代目で秘儀を伝える指導者のイマームはお隠れになったと考えるのである。またレバノンやシリアに多いドルーズ派やアラウィー派もシーア派とされる。これら分派の多様性を跡づけてその系譜を追う作業は、一つの大きな研究分野となっているほどである。

イランがどうしてシーア派を採用したのかは、自らのアイデンティー確立の問題であり、背後にはアラブとの対抗意識が強い。アラブの方でも、従来アジャミーと称して、イラン人を何かと二流市民扱いする向きがあった。アジャミーとは「外国人の」といった意味でアラブではないということを一義的には意味する。

このような流れの中で、一〇世紀に至りスンナ派もようやく自らの名称(アフル・アルスンナ・ワアルジャマーア)を持つようになり、その簡略な呼称として「スンナ派」が誕生した。その名称の原語の意味は「慣行と総意の人々」ということで、コーフンに次いで重要な預言者伝承で示される預言者の慣行と関係識者の総意により物事を決定し進めるという意味である。それは合議制であるから、アリーであれ誰であれ、秘伝された教えはないと考えるところがポイントである。

こうしてイスラームの中に、主要な措抗関係が出来上がったことになる。その性格は、本来信仰箇条の理論的な根本問題をめぐるものではなく、誰を指導者にするかという問題であったのだが、時代の波にもてあそばれているうちに事態は硬直化してしまった。

当初は、両派の信徒間の結婚は日常茶飯事であったし、両派のモスクが隣同士に建てられることも珍しくはなかった。しかし一六世紀にサファビー朝が一二代派を正式に国教と定めてからは、抜き差しならない様相を帯びることとなった。そして西の王者としてオスマン帝国というスンナ派の旗手が確立されたのであった。

以下でスンナ派の主要な神学諸派をほぼ時系列に一望しておこう。ただしアシュアリー派とマートゥリーディー派以外の諸派は、異端と見なされるのが現状である。

 ・ジャフム派:イスラーム初期の分派で、ホラサーンの人、ジャフム・イブン・サフワーン(没七四五年)がその祖とされる。神がすべてを完全に定められているとする予定説とアッラーの属性の比喩的解釈を支持。

 ・カダル派:ウマイヤ朝末期、ダマスカスにあってジャフム派に対抗、人間の自由意志説と倫理的責任を唱える。下記のムウタズィラ派につながった。

 ・ムルジア派:ウマイヤ朝の七世紀に起こり、多神崇拝以外なら罪を犯しても信者であるとして行為と信仰を分けて捉えた。このような「罪ある信者」は地獄行きが必定とするハワーリジュ派やムウタズィラ派と異なり、穏健で中立的な思想で知られる。

 ・ハワーリジュ派:行為も信仰のうち、とした。ただしこの派はさらに一四もの小分派に分かれ、オマーンのイバード派もその一つである。反逆者とされたムアーウィアとの調停を受け入れようとした第四代カリフのアリーを殺害した。外見的な行為から不信者であると判断しうるとの立場であるので、武装闘争にも結び付きやすい傾向が指摘される。

 ・ムウタズィラ派一八世紀前半にバスラで起こった一派で、論理的思考を軸としてイスラーム史上最初の体系的な神学を提示した。行為と信仰に関しては前二者の中間を行ったが、クルアーンの創造説、預言者ムハンマドの執り成しを否定、正義はもともとあるのであって、アッラーは正義を識別するだけであること、アッラーの九九の属性の中で古い(カディーム)だけが本質であること、アッラーの擬人的解釈の否定、などがその主張点であった。中庸を行く理性派ともいえるが、極めて抽象性が高いのでアシュアリー派を中心とする一般のスンナ多数派の反発を呼ぶ結果となった。

 ・アシュアリー派一一〇世紀の人、アシュアリーが創始した。彼自身はハンバル法学派であったが、大半の同派神学者はシャーフィー法学派に属していた。ギリシア哲学の影響もありムウタズィラ派の思弁的傾向も引き継いで、この流派がセルジューク朝以来スンナ派神学を代表するに至った。クルアーンは創造されたものではない、全き予定説、多神崇拝以外で異端とはならない、アッラーには力、知識、視聴覚、顔、手、口があり、玉座におられる、預言者の執り成しはある、信仰は言葉と行為を含み信仰の増減がある、クルアーンとハディースに依拠すべし、などの主張をした。またこの世は偶有であり、変化の基体が実体であるといういわゆる原子論を展開した。抽象性を克服した反面、アッラーの直接性が減じられ、アッラーの愛への参入を説く神秘主義の溺漫を招いたとされる。

 ・マートゥリーディー派:前二者の中間を行く立場で、ハナフィー法学派。一〇世紀サマルカンドの神学者マートゥリーディーに始まるが、一一世紀、中央アジアからセルジューク朝の西遷に伴って東アラブ世界にも進出した。人間の自由意志説(ムウタズィラ派)、アッラーの属性の永遠性(アシュアリー派)を支持。信仰は心の問題として行為を除外する点はムルジア派に近い。アシュアリー派と並ぶ正統神学派と認められる。

なお後述するように現代では、イランのソルーシュらのように、信仰と神学を区別して信仰そのものの強化を目指すべきだとして、習慣や大勢順応でムスリムとなるのではなく、自由意志と個人的コミットメントで篤信となるほか、もっと内省的な信徒となるようなことを強調する人たちもいる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

預言者ムハンマドの姿

『イスラーム信仰概論』より 信仰体験論

信仰体験論は日々の信仰体験などを綴った内容であり、枠組みは自由で不定形だが、それだけ読者に訴える自然な力も強いものがある。随筆集のようなかたちをとることも少なくない。

まず初めにイスラームの原初的な体験の様子を訪ねてみたい。預言者ムハンマドに啓示が降りた七世紀初頭以来、当時のイスラームのあり方に根本的に手が加えられたものは何もない。むしろそのような逸脱を回避し、あるいは気がつけば是正したり軌道修正したりされてきた。それらの筆頭として聖者信仰や神秘主義といった思潮、あるいは墓参の慣行などの問題があった。

ではどのような心的風景がイスラームの原像として見えてくるのであろうか。

西暦六一〇年、啓示が始まるまで預言者ムハンマドは、特にラマダンの月になるとマッカ郊外にあるヒラー山に上り、そこの洞窟で一人黙想する日々を過ごすこととしていた。それは精神を浄化し、真実を見極めるためであった。その間、妻ハディージャが少しずつ食料を運んだとされる。八五〇メートルほどの標高だが、そこへの道のりは現在でも均されておらず、急勾配で岩肌が荒々しいかなり危険なものでもある。

ここに見られる求道者としての世俗欲から遠ざかる禁欲的な修行ぶりは、時間的には啓示の始まる前だからイスラーム以前のものということかもしれない。しかしそのような心的浄化と昂揚があったからこそ啓示があったとも理解される。そしてその禁欲的で純粋に道を求める者の心根が、イスラームにおける精神状況の原像として浮き彫りにされるのである。

この側面は名誉心を避けるといった心的な方面だけではなく、外的な、たとえば彼の衣服や食物の面でも控えめで最小限で事足れりとする態度などにも確かめられるのである。また預言者ムハンマドは高貴な家柄とされるクライシュ族出身であったが、そのような出自に関わる特権や待遇もかなぐり捨てていたということになる。

このときの様子はおよそ次のように特徴づけられる。

 節約、畏怖、帰依、禁欲、篤信などで彩られ、世俗から遠ざかり信仰を求めていた。

 宇宙の偉大さ、素晴らしさ、その規則正しいことなどを瞑想していた。柱がないまま誰が空を持ち上げたのか、そこに誰が光を創り、星をちりばめたのか。大地を広げたのは誰か、そこから水を出させて放牧できるようにしたのは誰か、また種々の雌雄の植物を出し、また形状やサイズや色彩や味わいを異にするいろいろの果実を創ったのは誰か、といったことを。

 預言者はまた考え続けた。人を一番素晴らしい形状に創られたのは誰か、聴覚や視覚を与え、筋力と活力、行動と思索を可能にしたのは誰か、と。

以上の求道者としての側面と重なりつつ改めて注目されるのは、預言者がいかに信心深い心境であったか、というイスラーム啓示開始後の信者としての精神状況である。

「本当にアッラーの使徒は、アッラーに終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(部族連合章三三:二一)

なかでも強調される特性は、過ちを悔いて主に悔悟することがしきりであったということであろう。一日の間に、彼は七〇回から一〇〇回は悔悟してアッラーの赦しを請うたとされる。それほどに通常ならぬ繊細な神経をもって自らを律していたともいえよう。あるいはそれほどに主の存在を常に間近に感得していたとも表現できる。

勤行の厳格な順守など彼が信者として際立った行動をとっていたことを間接的に示す証左としては、クルアーンに次のような言葉がある。その理解のためには、彼が悩んでいると見られるほどに、厳しく自分を律していたことを背景として想定する必要がある。それを前提に降ろされた啓示の言葉である。

「われがあなたにクルアーンを下したのは、あなたを悩ますためではない。主を畏れる者への、訓戒に外ならない。」(ター・ハー章二〇:二、三)

預言者ムハンマドに関しては、いうまでもなく歴史を通じて多量の文献が積み重ねられてきた。それらを通じて右に見た求道者や信者としての心根以外の側面についても、彼の精神状況として語られるものが少なくない。

その一つは預言者としてのそれである。例えば啓示を受ける際の精神状況については、多様な描写が伝えられている。落雷にあったような激震が走り、時に意識を失ったり、あるいは記憶喪失の症状も一時的には見られたようだ。

あるいは有名な「夜の旅「イスラーム」の物語にあるように、天馬に乗って一夜でマッカからエルサレムに飛び、そこで礼拝を上げてから天国に誘われ、暁までにはマッカに戻るといった出来事が伝えられている。天国ではアーダムほか先達の預言者に会うと同時に、アッラーより一日五回の礼拝の仕方を教示されたのであった。つまり当初は五〇回するようにとの命令であったのを、地上では五回まで軽減してもらったということだ。ただしアッラーは一回の礼拝の功徳を一〇倍に増加されたので、結局同じ量の恵みを授かることが確保されたとされる。

しかしながらこういった様々な状況は、預言者として啓示を受けるという、他の一般人にはありえない場面における模様である。したがってそれらの場面における精神状態について、ここでこれ以上叙述することは控えることとする。

最後に取り上げる別の側面は、預言者の人間としての偉大さである。まずクルアーンにいう。

 「本当にあなたは、崇高な特性を備えている。」(筆章六八:四)

彼の人格の高邁さや性格の素晴らしさを称賛する言葉も多く伝えられている。預言者伝承集にはそのような章が設けられている。そこでは預言者がいかに謙遜家であり慎み深いか、あるいは思いやりがあり人々に圧迫感を与えず逆に非常に親近感を持たれていたか、いかにハンサムで白肌で上品な容姿であったかなどが列挙されている。

これらは多分に人が尊敬すべき理想像であり、なかでも心は平静で、慈悲深く寛大であったといった彼の偉大な徳性については注目される。しかし本節では預言者の信仰上の心的世界に焦点を絞るのが趣旨であるので、その人格の全体を取り上げることはこれ以上はしない。

預言者の人格が及ぼしてきた影響の大きさについても、看過するわけにはいかない。今日でも日々の礼拝等を通じて、世界で最も称えられる人物は預言者ムハンマドであるということだが、それだけに彼の人格の世界的な影響力は、それこそ語り尽くされぬだけの質と分量である。それをここでは象徴的に比喩をもって語ることで済ませるしかないだろう。

彼の歴史を通じた影響力の大きさは、マディーナからマスジド建設が世界に広まったことが、象徴しているようでもある。元は預言者の質素な家の隣にあった空き地を礼拝所として利用したことが、その始まりであった。礼拝の方向(キブラ)を示すために小石を置いたり槍を立て掛けたりし、そのすぐ近くには三段からなる台がしつらえられていた。それが説教台(ミンバル)の始まりであった。そしてこれらがその後世界に広まる、マスジド建設の雛形を提供した。またそれが数百万人を収容する現在の壮大な預言者マスジドのキブラとミンバルの定位置となっているのだ。

預言者ムハンマドの影響力の大きさは筆舌に尽くしがたい分、このような世界へのマスジド建造発展の話で象徴させることとした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )