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『図書館戦争』の「図書館の自由」

『学びと育ちを支える学校図書館』より ⇒ 「記憶を還元する」を図書館の定義とすると、電子書籍・人工知能などの今後の動きに対応できない

 「記憶を還元する」--図書館--

  ぶらりと書店に立ち寄り本を手にする、本を片手に調べものをする、本を読んで泣いた、笑った、感動した。本は、私たちの生活に欠かせないものです。

  その本とは何なのでしょう。『新明解国語辞典』(第六版)には、「書籍・図書の汎(ハン)称」と解説されています。「汎称」とは、「同じ種類に属する幾つかの物を一まとめにして言う名称」(『新明解国語辞典』のことです。それで、その「本」を「図書」という汎称の一つに置き変えてみました。すると、とてもユニークでピッタリとした図書の定義があります。「図書とは人類の記憶を保存する一種の社会的メカニズムである」という定義です。アメリカの図書館学者ピアス・バトラー(一八八六-一九五三)が、『図書館学序説』のなかで述べている定義です。図書の本質を極めて短い言葉で説明しているように思います。

  人間の記憶は無限であるように思われながら、他方でその記憶を次から次へと忘却していきます。そして、一人の人間が記憶した知識や情報は、その個人の脳裏に永遠には残らないわけです。それは、生命体としての人間の宿命です。ですから悠久の昔からの人間の知的遺産は、何らかの物理的実態であるメディアに記録されることにより後世に伝えられてきました。その物理的実態の代表が図書(紙メディア)です。

  紙メディアが登場するはるか以前には、情報は「粘土板」に記録されました。紀元前三五〇〇~一〇〇〇年頃、メソポタミア北部を占めるアッシリアにおいてです。その粘土板には、模形文字で情報が記録されていました。粘土板は、模形文字を介して、人類の「記憶」を保存したわけです。粘土板、甲骨、植物(竹・杢、羊皮紙、布、様々なメディアを介して人類の「記憶」は保存され、後世に伝えられてきました。その意味において、メディアは人類の歴史の証人です。その代表が図書というメディアです。図書は、普遍的で古典的なメディアです。

  その図書を収集・保存し、求めに応じて利用者に提供している知識や情報の社会的保障装置が図書館です。その図書館についても、先の『図書館学序説』では、「図書館はこれを生きている個人の意識に還元するこれまた社会的な一種の装置といえる」と説明しています。この定義も、極めて短い言葉で図書館の本質を説明しています。図書に記憶された知識や情報が、図書館を通して個人の意識に還元されるというのです。こうした記憶とその還元は、各人の豊かな人間形成を支援し、民主政治を維持、発展させるための不可欠の要素です。

  その記憶メカニズムとしての図書は、紙とインクでできています。しかしその図書は、著者の形を変えた姿、著者(人間)の思い(思想、考え)の体現物です。そして、その人間の思いが、人間の歴史をつくり上げてきたのです。それゆえ権力者のなかには、ときには人間の思いが凝縮されたその図書を「やっかいなものだ」、「この世から消し去りたい」と思う人もいるわけです。それは、世に流通する情報を統制し、自己に都合の良い情報のみを流通させることと同じことです。

  そのため、図書はしばしば、政治権力者から検閲され、禁書扱いされ、さらには焚書の対象となりました。「記憶」を消し去ろうとしたのです。そしてその図書を所蔵する図書館も弾圧の対象となりました。「還元」させまいとしたのです。こうした記憶と還元への権力の介入は、世界各地の歴史はもちろん、わが国の歴史にも見られることです。そしてそれは、図書というメディア規制を通した情報統制の常套的な手法なのです。

 『図書館戦争』

  そうした「記憶」と「還元」を軸に、メディア規制を取り上げた作品があります。『図書館戦争』という本です。図書館への興味の有無にかかわらず、非常に多くの人に人気の作品で、「本の雑誌」が選ぶ「二〇〇六年上半期エンターテイメント」第一位に輝いたことも納得できる作品です。

  単行本の刊行が二〇〇六年ですから、すでに今年(二〇一六年)で十年が過ぎましたが、その人気は今も健在です。私が住んでいる街の図書館(札幌市立図書館)でも「貸出中」という状態が続くこともしばしばです。ドラマの展開がスピーディで面白く、特に若い世代の人気を得ているようです。

  その『図書館戦争』は、本が自由に読めなくなった架空の時代(日本)を舞台にドラマが展開されます。ドラマは、昭和最終年度、「公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律」として「メディア良化法」が成立、施行されたことが発端となっています。そしてこの法を根拠として、メディアを取締る権限を持つ「メディア良化委員会」(法務省に本拠)が発足し、その代執行組織として各都道府県に「良化特務機関」が設置され、その機関には不適切とされた表現物の取締りをする権限が与えられます。いわゆる「検閲」です。そして、この取締り(検閲)が妨害される際には、妨害者を武力で制圧するという世界を描いています。

  こうした世界に対抗する組織として図書館が描かれています。その図書館は、良化特務機関による示威行動に抗して、全国の主要な公共図書館に警備隊を持ち(武装化)、最終的に図書館は全国十地域に図書防衛員の練成本拠地となる図書基地を持つにいたります。本作の舞台となるのは、このうちの関東図書隊です。

  他方、そのメディア良化法の検閲権に抗する法律として「図書館の自由法」(通称)という法律が登場します。「図書館の自由」、この言葉は本書を通底する一つのキーワードです。この(架空の)法律は、「既存の図書館法」全三章に、第四章を付け加える形で成立しています。「既存の図書館法」とは、一九五〇年制定の「図書館法」をさすと考えられます。実際の図書館法は、全三章と附則から成り立っており、その全三章の条文は二十九ヵ条あります。そうしたことを意識したのだと思い圭すが、この法律に「付け加えられた」とする第四章は第三十条から始まり、次のようになっています。その第四章の標題は「図書館の自由」です。

 第三十条 図書館は資料収集の自由を有する。

 第三十一条 図書館は資料提供の自由を有する。

 第三十二条 図書館は利用者の秘密を守る。

 第三十三条 図書館はすべての不当な検閲に反対する。

 第三十四条 図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る。

  この「第四章」は、「図書館の自由に関する宣言」をベースにしています。その「図書館の自由に関する宣言」とは、実際にある宣言です。一九五四年に日本図書館協会(総会)が採択した宣言で、その後一九七九年に改訂され現在に至っています。その宣言では、図書館の「もっとも重要な任務」を「基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供する」ことと位置付け、そのために、次のことが規定されています。

 第一 図書館は資料収集の自由を有する。

 第二 図書館は資料提供の自由を有する。

 第三 図書館は利用者の秘密を守る。

 第四 図書館はすべての検閲に反対する。

 図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

  『図書館戦争』に登場する「第四章」は、宣言の内容とほとんど同じです。異なっている箇所は、検閲に関する項目です。『図書館戦争』では、「不当な検閲に反対する」となっています。宣言も当初の宣言(一九五四年)では、「不当な」と表現されていましたが、改訂された現在の宣言では、その「不当な」の文言は削除されています。憲法第二十一条二項の「検閲は、これをしてはならない」という規定に合致させたためです。
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6次産業とコンパクト化は関係するのか

『地域創生成功の方程式』より ⇒ 青森市の「アウガ」は建てられる前から気にしていた。青森市民図書館が街のコンパクト化にどう絡むか。とってつけた6次産業化政策よりも、図書館という,中間の場を活性化にどうつなげるかの方が正しかった見たいですね。

6次産業化政策の登場

 6次産業化とは、今村奈良臣・東大名誉教授が提唱した概念である。第1次産業である農林水産業が農林水産物の生産だけにとどまらず、農林水産物を原材料とする加工食品の製造や販売、そして観光農園など地域資源を生かしたサービスなど、第2次産業、第3次産業まで踏み込むことをいう。

 「1次産業+2次産業+3次産業=6次産業」である。しかし、農業はじめ1次産業がOになれば6次産業化は成り立たない、各部門の連携といった考え方をより強化するという視点から、現在では「1次産業×2次産業×3次産業=6次産業」と改められている。

 2010(平成22)年には、農林漁業者による加工・販売への進出を促す「六次産業化・地産地消法」が公布され、翌年、施行された。

 6次産業化の取組みが、近年、注目を集めるようになった背景には、農業生産額・農業所得の急速な減少に対する危機感がある。1990(平成2)年に約6兆円だった農業所得は、2011(平成23)年には約3兆円へと半減している。専業の農業従事者も年々減少を続け、その平均年齢は約66歳となっている(2010・平成22年時点農林水産省発表)。こうした中、農林漁業者が他産業と連携し、利益の拡大を目指して、生産する農林水産物の付加価値を向上させようという考えが重要視されるようになった。

 このような農林漁業と他産業が連携するバリューチェーンの構築にはいくつかのパターンがある。市場取引型は効率的に収益を得られる可能性はあるが、市場に出荷するだけなので加工・販売業者へ提供される付加価値は限定的である。契約型の場合、農林漁業者は加工・販売業者と安定した取引ができるが、生産物の付加価値を直接消費者に訴えることはできない。次の段階にあるのが、農商工連携だが、前述したようにほとんどのケースで加工・販売業者が主導する取組みとなっている。

 一方、6次産業化では、いっそうの付加価値向上を目指し、農林漁業者自身が加工・販売まで一体化する取組みである。しかし、農林漁業者単体による新商品・新サービスの開発や販路拡大は一筋縄ではいかないのも事実だ。事業規模拡大には限界もあろう。農林漁業者の所得アップという目標を達成するには、もう一つ高い段階が求められる。

 そこで、登場してきたのが6次産業化ファンド活用型である。農林漁業者が主体となって、他産業と連携して事業展開する6次産業化事業体(合弁会社)をつくる。このため必要な資本を提供する官民ファンドを創設する。この場合、農林漁業者自らが自分の生産品の付加価値を消費者に直接に届けるバリューチェーン構築が可能となる。こうした顧客ニーズの把握を踏まえたバリューチェーン構築には、1次、2次、3次の各段階において付加価値を高める工夫が必要不可欠となる。

 各段階で市場ニーズを徹底的に分析するのはもちろんだが、農林水産物の生産段階では、加工適正のある作物への転換や品質向上に向けた生産方法の改善が必要となる。加工段階では、安全・安心な商品を製造するためのHACCPの導入や商品の品質を向上させるための新たな加工技術の導入が求められる。販売・流通段階では、販売手法・ルートを確立するとともに原料の原産地表示や心に響くキャッチコピーなど、PR手法を吟味する必要がある。

青森市のコンパクトシティ

 2014(平成26)年、コンパクトシティを推進する国土交通省による「改正都市再生特別措置法」が成立した。コンパクトシティは人口減少・高齢化社会における有効な地方創生策として捉えられるケースが多いといえる。

 青森市は青森県の県庁所在地、人口約30万人。北の玄関口として賑わったが、1988(昭和63)年、青函連絡船の廃止などにより、中心市街地が急速に衰退していった。2000(平成12)年までの30年間に約1万3000人が中心市街地から郊外に流出するなど、空洞化が加速したのである。郊外への分散により、道路・下水道などのインフラ整備や住宅地の郊外拡大による除雪のコストが増大していった。

 こうした状況を打破し、行政コストを削減するための地方創生策として青森市が決定したのがコンパクトシティ構想であった。都市をインナー、ミッド、アウターに分け、インナー(中心市街地)に都市機能を集約する一方、アウター(郊外)では新たな開発を行わない方針とした。インナーのコンセプトとして、「ウォーカブルタウンの創造」を掲げたのである。市街地での高齢者対応マンションの建設、商店街の回遊性向上を目指したオープンスペース「パサージュ広場」の設置、歩きやすいまちづくりを目指し、歩道拡幅整備などの施策を実施した。まちなかでの居住を促進することとしたのである。

 特に、コンパクトシティ構想の核となる事業が、約185億円を投じて2001(平成13)年に開業した駅前の複合施設「アウガ」であった。アウガは市が36パーセントを出資する第三セクターによる経営。総面積5万4505平方メートル、店舗部分だけで1万6194平方メートルの施設。地下1階は市場、1~4階は若者向けのファッションブランドショップ、5~9階には図書館や男女共同参画プラザの公共施設が入居した。

 当初は、アウガは多くの若者であふれ、年間集客数600万人とされ、コンパクトシティの先進的な成功事例とされていた。しかし、2008(平成20)年、アウガの経営危機が明らかとなった。図書館に年間約60万人の来館者はあるものの、来館目的が異なるため、売上高は当初見込みの半分程度にとどまり、長期の有利子負債の利払いが経営を圧迫し、破綻が迫っていた。市が運営会社の債権の一部を買い取るなど、その後、たびたび経営再建計画を作成、見直しを繰り返したが、テナントの撤退も相次ぎ、経営不振に歯止めをかけることができなかったのである。

 市としてもアウガの経営再建に取り組んだが、アウガの会長に青森市長、社長に副市長が就くも、結局2016(平成28)年に、1~4階のショッピングフロアを閉鎖し、公共施設として再生する方針を公表した。青森市では、庁舎の老朽化が問題となっており、市役所の機能の一部をアウガに移し、新築予定の新庁舎の規模を縮小することとなった。

 このようにアウガが失敗した理由は何なのだろうか。

 若者にフォーカスしたショッピングフロアは当初の集客は悪くはなかったが、売上が振るわなかった。日常利用する市民のニーズを広聴・傾聴・対話して進めるべきコンパクトシティ構想が十分に機能していなかったといえよう。また、中心商店街との相乗効果も不十分なままだった。巨大なハコモノをつくる前に、中心商店街の魅力を創出する試みが行われる必要があった。中心市街地全体で商業的な魅力が高められてこそ、核となる複合商業ビルが生きてくる。アウガ自体が部分個別最適にとどまり、中心市街地全域を巻き込む準最適から全体最適という視点が足りなかったことが課題・問題点として挙げられるであろう。

 また、郊外化か進行した現状にあって、コンパクトシティ構想がどの都市にも導入できるかどうかは、この事例を踏まえ、再考する必要があるといえる。
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137億年のなかの<今>を感じて

スマホの時代は終わった?

 小坂のauショップにお客が居ない。というか、車が止まっていない。ハードとしてのスマホの時代は終わったのか。

 通信料が8千円レベルから千円レベルになろうとしている。ノブも買い換えたと言っていた。これで十分。無料であることが重要。

 やはり、コンテンツ。文章をどれだけ入れ込むのか、そこから何を得るのか。そのための駆動装置。そういった方に行くんでしょうね。テレビ的な事から、プル型に変わっていく。消費型から使用型に変わっていく。

コミュニティとコミュニケーション

 乃木坂のように,身近にコミュニティとコミュニケーションの存在があるのに、なぜ、そこに着目しないのか。特に年寄りとNPOは!

豊田市図書館の新刊書

 先週は一冊も新刊書が無かった。今週も頑張ったけど、豊田市図書館の新刊書に哲学系が出てこない。「存在と時間」はいつ出てくるのか。

 新刊書に哲学の本が無い! ここ2カ月をみても無い! 需要はあると思うけど。日本で発刊されなくなったのか,豊田市が買わないのか? ネットで新刊書一覧でみても、哲学の本が無い。パスカルのパンセだけありました。

 図書館から借りた本の一覧をオレンジタブレットで確認できるようにしておきましょう。

137億年のなかの<今>を感じて

 137億年後の<今>を感じている。これは宗教・哲学を通じて、なかなか出てこない感覚です。これを玲子に言いたかった。言い忘れた!

 これがある限り、私は強い! 死ぬときまで継続できるかどうかは分からない。

未唯の子ども

 流し台で、赤ん坊用のプールで食器ではなく、赤ん坊を洗っている! 確かにお湯は使い放題です。どんな母親になることやら! 

神宮3日間の感想を生ちゃんがアップ

 生ちゃんのブログで感じたのは、スタッフへの感謝。去年の西武ドーム七時間半の公演を支えたスタッフは2500人。今年は三日間で九時間以上で、雨風にも耐えたから、三千人は下らないでしょう。表には35人しか出てこない。一緒になって作り出すことで次の時代が見えてくる。

 生ちゃんの神宮三日間のコメントがブログでアップされた。それから400件以上のファンからのメッセージが上がっていた。それをずっと見ていた。長文で、何を感じたのかを丁寧に訴えていた。コミュニティのメンバーとの繋がりを感じた。コミュニティを超える存在になっている。

木曜日はエコットでの100円コーヒー

 10年目に入る環境学習設備。どうなっていくのか。100円コーヒーを飲みながら考えていた。展示物よりもコミュニティを見直すことで先が見えてくる。インタープリターさんたちがコミュニティのために何が出来るのかを考えられる環境をいかに作り出すのか。この10年で大きく変わったのはコミュニケーションの仕方です。役所の制約は軽々と超えることはできるはず。

 エコットの活動の中で,芽として感じているのが、100円コーナーです。
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豊田市図書館の22冊

778.2『映画評大全』

210.7『昭和時代 一九八〇年代』

519.7『事件に学ぶ廃棄物処理法』

291.36『ニッポンを解剖する!東京図鑑』

C25.2『バスがまちを変えていく』~BRTの導入計画作法~

010.1『図書館ノート』沖縄から「図書館の自由」を考える

007.3『さよならインターネット』まもなく消える その「輪郭」について

017『学びと育ちを支える学校図書館』

007.3『ネット社会と忘れられる権利』個人データ削除の裁判例とその処理

293.7『ロベルトからの手紙』

913.6『始皇帝の永遠』

007.13『人間さまお断り』人工知能時代の経済と労働の手引き

369.3『もしもごはん』かんたん時短、「即食」レシピ

318.6『地域創生成功の方程式』できる化・見える化・しくみ化

319.2『南シナ海でなにか起きているのか』米中対立とアジア・日本

141.2『脳は、なぜあなたはだますのか』--知覚心理学入門

527.8『集合住宅』--二〇世紀のユートピア』

007.3『ネット検索が怖い』「忘れられる権利」の現状と活用』

181『入門 近代仏教思想』

280.7『読ませる自分史の書き方』

188.84『禅と掃除』足るを知る,清々しく暮らす』

835.1『「超」入門! 論理トレーニング』
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