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エストニアのIT

『エストニアを知るための59章』より

いまや「IT立国」として知られるようになったエストニアであるが、そんな同国の姿は、独立回復直後の1990年代には想像もつかなかった。

1994年から95年にかけて、筆者が最初に長期間エストニアに住んだときの記憶の一つである。当時、日本に国際電話をかけるには、電話局に行って申し込みをして、名前が呼ばれるといくつか並ぶ電話のブースに入る。タルト市の電話局は、夕ルト大学本館近くのリューテル通りの端にある比較的新しい建物であった。いまではもちろんこの電話局は存在しない。短期間に、エストニアの情報通信事情は大きく変わった。約10年後の2003年の二度目の長期滞在の際には、もはやインターネットは当たり前で、無料で利用可能な無線LANが公園などの戸外も含めて張り巡らされた(というのは少し大げさだが)国になっていた。

エストニアは知る人ぞ知るskypeの発祥の地でもある。インターネットを使った音声通話ソフト「スカイプ」の技術は3人のエストニア人(ヤーン・タリン、アハティ・ヘインラ、プリート・カセサル)によって、2003年に開発された。それ以降、スカイプの利用者数が急増していることは周知のとおりである。世界で優に1億人を超えるユーザーが、その技術の恩恵に浴している。スカイプ社は2011年にマイクロソフト社に買収されたが、その後もエストニアのタリンにあるオフィスは技術開発の中心であり続けている。

「IT立国」としてのエストニアの実態はどのようなものか。後で述べる電子投票制度などにより、「IT先進国」としてのイメージが定着しているようにも思える。だがこれも、エストニアの上手なイメージ戦略の産物であるかもしれない。2010年で比較してみると、エストニアにおけるインターネット普及率は67・8パーセント、対する日本では85・4パーセントである。情報通信・技術(ICT)へのアクセス、利用状況、スキルによって算出されるICTインデックスでは、日本が13位であるのに対し、エストニアは33位である。インターネットの普及率に関しては、高齢者、単身家庭、地方居住者、低学歴者の使用の少なさが影響しているようである。一方、子供のいる家庭では普及率は高い。ちなみに世界でトップの普及率を誇るのは韓国、EU諸国では、スウェーデン、オランダなどが上位を占めている。

こうした数字は、ショッピングセンターや図書館、空港で当たり前のように無線LANが使用できる状況からすると意外な気もする。使う人は銀行決済から各種チケットの予約にまでインテンシブに使うが、必ずしもエストニア人がみなそうであるわけではないということではないだろうか。家庭への普及率は経済状況などとも関連しているのだろう。

「IT立国」としての面目躍如は、他に先駆けての電子投票制度の導入である。エストニアでは、2002年からの実験を経て、2005年、正式に、まずは地方議会選挙で電子投票が採用され(全国規模での電子投票方式の採用は世界初)、続く2007年には国会選挙で、2009年には欧州議会選挙でも採用された。電子投票の利用は、有権者中の割合で見ると、2005年の0・9パーセントから2011年の国会選挙での15・4パーセントまで増加している。期日前投票では、同じく2011年の選挙で利用者が半数を超えた56・4パーセント。

この電子投票では、投票受付期間中(現行法では投票期日の10日前から4日前まで)、何度でも投票を行うことができる。これに対しては一人一票の原則という観点から議論もないわけではないが、買収や強要の危険性を回避し自由な投票の確保のために再投票の可能性が保障されているのである。また、期日の4日前までであれば、紙の投票用紙で変更を行うことも可能である。興味深いのは、この再投票権の行使者が大幅に増加していることである。2005年では364人であったが、2011年には4384人であった(紙の投票用紙を除く)。

再投票については、有権者問の平等性に加え、秘密投票の原則に関する問題もある。すなわち、再投票を可能にするにあたって、多重投票を防止するために、前に投じた票を確実に無効にしなければならない。ところがそのためには、当該の票を投じた人を特定しなければならないため、投票内容の秘密が守られない危険性が生じるのである。この問題の解決策として、エストニアでは、封筒方式が採用されている。投票内容は封筒の中に入れられるので、再投票の際には、封筒で票を特定することで中身を見ずに処理することができる。なお、電子投票での本人確認ならびに電子署名は、15歳以上の国民が保持義務を有するIDカードを利用して行われる。

最後に2008年にタリンに設立されたNATOサイバー防衛COEについても触れておこう。夕リンヘの同研究所の設立は、2007年4月末から3週間ほど続いたサイバー攻撃を受けてのことである。このときのサイバー攻撃では、大統領府、外務省、政府機関、政党に加え、銀行、マスコミが被害を受け、各種インターネットサービスはほぼ使用不可能となった。エストニア側はロシア政府の関与を疑っているが、ロシア側はこれを否定している。いずれにせよ、「サイバー戦争」(あるいは第一次サイバー大戦)と呼ばれるほど大規模なサイバー攻撃は前代未聞であったために、この事件は注目を集め、エストニア政府も戦略の修正を迫られた。サイバー攻撃も通常の武力攻撃と同等の脅威として認識されていることは、2010年に改定された国家安全保障概念に、従来は含まれていなかったサイバー攻撃についての言及があることにも表れている。志願民兵組織「カイツェリート(防衛同盟)」に、サイバー防衛同盟部門があることも、エストニア人の脅威認識を示していると言える。なお、必ずしもエストニアの事件のみが理由であるわけではないが、2010年に発表されたNATOの新戦略概念でも、サイバー攻撃への対策は重視されている。
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ネットワーク全体のまとめを開始

電算部のワイアレスの進め方

 相変わらず、バラバラでやっています。だから、事実関係を見ていきます。質問項目はここに書いておかないと忘れますね。

 今のNEC方式がどうなるのか。クラウド方式がどうなるんか。その上で、リバース方式が何時までにできて、どのように展開されるのか。販売店から見たときに、どう使い分けるのか。メンテナンス系はリバースでしかないけど。リバースは元々、地上線の置き換えです。

 活用形はそうはいかないでしょう。自分たちのいいように並べるtか、そういう簡単に使えるアプリが存在しなければ、ならない。

電算部の無線LAN

 無線LANの位置づけは難しくなっています。電算部はやる気はないです。ネットワーク会社任せにするのであれば、直接、ちょっかいを掛けます。

 本当に、認証局が必要なのかの事実関係をハッキリさせます。店舗ン赤の機器とルータとの関係で必要なのか。世の中のホットスポットを使うことを想定すると、認証局がどうなっていくかです。

ネットワーク全体のまとめ

 ネットワーク全体をまとめていきます。一つは上流部分です。これは割と分かり易い。衛星とゲートをやれば、大体、イメージがつかめます。

 販売店が自分とこでやるときに、どういうカタチになるのか。本当の大量データをどう扱っていくのか。合間でも、本音で話さないと意味を持たないです。

偶然と必然

 30年前の「偶然と必然」に戻しましょう。入社したころの本です。内容よりも、偶然が必然につながるということで考え方を変えました

 その観点で歴史を見るとよく分かります。全てが偶然です。その中から選ぶことで、必然になります。ナチにしても、偶然を一つずつ選びながら、隆盛を極めて、滅んでいきました。

 ローマ帝国も一緒です。なぜ、もっと早く、滅びなかったのか。そっちの方が偶然がきつくなっています。本来は、もっと早く、滅するはずだったけど、キリスト教で持ちこたえた。

 今もさまざまな偶然が起きています。私の周りで起こる偶然は、どんな大きな出来事であろうと、小さなものであろうとも、私のために起こっています。

 電算部の担当者がインフルエンザになったのは、偶然かもしれないけど、私には意味があります。SFDCを直接、コントロールせよというところでしょう。

 SFDCとの関係を詰めて、理解者が居なくても、先に進めるようにします。とりあえず、全体設計するために、事実関係を集めます。

お客様とのコミュニケーション

 お客様とのコミュニケーションをどういうカタチにするのかをもっと、細かくしないといけない。チャッターなのか、お客様ポータルなのか、スタッフのポータルにするのか。

 お客様とスタッフの関係は販売店とメーカーとの関係とは逆ですから、どういうカタチにするかです。それこそ、アピール・アンケートです。環境社会でNPOが地域住民に対して、行うと同じことをやっていかないといけない。

 一人300人であったら。300人のニーズを作らないといけない。生命保険会社のように、担当者がお客様をまわって、お客様の意向を聞きまくらないといけない。クルマに関すること、道路に関すること、行政に関すること、生活に関することを代行します。

 それで、お客様との信頼関係を勝ち取ることです。7年掛かって、300人であれば、月に4人です。それなら、できるでしょう。やはり、活用シーンが重要かもしれない。使うということです。そういう意味では、今回のロジックは合っています。

サファイア革命にもっていく

 サファイア革命にどこまで持っていけるか、というのもあります。反映するために、考えたことを全部、そっちへ持っていきます。特に三つのポイントです。

本がそこにある意味

 豊田市図書館には5時半すぎに到着。それでもどうにか、30冊借りることができました。本はバラエティに富んでいます。皆、自分の分野以外は借りないみたいです。

 本がそこにある意味と、人間がそこに居る意味は同じかもしれない。どんな手段を使っても、成し遂げることです。
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第四章 戦後世界の分水嶺

『世界史史料』より

 世界的な反戦運動を巻き起こしたベトナム戦争が一九七五年に終結したことは、一九六〇年前後から顕著になったアジアーアフリカニフテンアメリカ・中東での旧体制からの解放を目指す運動が戦後の冷戦体制を揺るがす象徴となった。それは旧体制を温存して間接支配していた西側陣営だけではなく、社会主義の原理であるはずの民主主義が軽視され上意下達の指令型社会主義に陥っていた東側陣営にも波及効果を及ぼした。

 本章は一九六〇年代後半から、両陣営の盟主国である米ソの国内的不満が陣営内部の多階層の矛盾を噴出させながら、冷戦体制の一角を崩し始めた一九八〇年代後半までの事件についてあらゆる地域、分野での史料を掘り起こすものである。それは戦後世界の分水嶺となる時期であった。

一 「一九六八年」前後の世界

 一九六八年は、大学の民主化をめざすフランスの学生たちのラディカルな闘争で幕開けとなり、チェコスロヴァキア共産党が打ち出した「人間の顔をした社会主義」への改革は東欧の人々に共感を広げたが、ソ連軍の戦車によって、「プラハの春」は潰された。この間の史料は、ソ連東欧崩壊後に公刊された資料集や回顧録によってほぼ跡付けられる。チェロの民主化の挫折は冷戦への逆コースを意味するのではなく、西独はソ連、ポーランドと条約を結び、東西の緊張緩和をはかった。

 西側では未解決のナショナリズムの問題を抱えたが、中東では、第三次中東戦争で仝パレスチナがイスラエルによって占領され、パレスチナ人はアラブ諸国依存から脱してパレスチナ解放機構(PLO)を結成し、アラブナショナリズムの新たな展開をはかることになった。

二 米国社会の亀裂

 南ベトナムヘの軍事援助・派兵の増大によっても解決しない戦争は、アメリカに存在していた経済的貧困、政治的社会的矛盾、黒人・先住民への人種差別の問題をさらけ出した。黒人の公民権運動の高まりは、公民権法を成立させたが、現実の差別、貧困への不満は続いた。そうした状況の中で、ベトナム戦争への更なる深入りを決定したアメリカ政府は、枯葉剤使用と北ベトナムヘの爆撃を強行した。

三 高度経済成長と南北問題

 一九七〇年代、先進工業国はエネルギー革命と輸出振興によって高度経済成長期を迎えたが、これを支えたのは石油であり、産油国は原油埋蔵地域の支配をめぐり勢力対立が生じ、宗教的対立と絡み合って内戦にまで発展した。そして、先進工業国は自国利益のために内戦に関与する。アラブ産油国は、第四次中東戦争でイスラエルに加担した諸国に、石油輸出国機構(OPEC)を通じて原油の輸出禁止を予告した。その後、OPECによる石油生産の削減、原油の値上げなどの政策で経済的不況に陥った先進工業国はオイルショックヘの戦略的対応を行い、新国際経済秩序を打ち出した。一方、産油国の生活全般が向上したわけでなく、貧富の差は拡大し、アラブ諸国間あるいは国内でも南北対立が生じた。アフリカは、飢饉、アパルトヘイトの問題を抱えた。

四 冷戦体制批判と民衆運動

 北爆後、ベトナム反戦運動は国際的にも高まり、アメリカ政府は増派を重ねる一方で、ペトナム支援のネットワークの一角を崩して和平の方途を探していた。その過程でソ連と対立していた中国に接近し、一九七二年米大統領として初めて訪中したニクソンは、米中共同声明を発表し、台湾が中国の一部であることを認めた。中国は国連の代表権を得て国際舞台に登場し、台湾に駐留する米軍の撤退の見通しが出てきた。アメリカの動きに合わせて同年日本も田中角栄首相が訪中し、中華人民共和国政府を中国の唯一の政府と認める共同声明を発表して、直ちに外交関係を樹立した。

 アメリカは、一九七三年一月北ベトナムとパリ協定を結び、和平への糸口をつかんだが、ベトナム統一や南ベトナムの解放戦線について両者の相違点が解決されず、戦争は続いていた。一九七五年四月解放戦線と北ベトナム軍がサイゴンを南ベトナム政府から解放したのはベトナム労働党の決議によるものであったことが、現在明らかにされている。ペトナム戦争については、米側の公文書や政治・軍事担当者の回顧録、ベトナム側のボー・グエン・ザップの回顧録などが公刊されている。ベトナム戦争の終結は、ラオス人民民主共和国の成立をもたらした(史料170)。

 超大国アメリカヘの北ベトナムの抵抗の勝利は、多様な形で反体制運動に影響を与えた。ヨーロッパでは、ポルトガルの革命、ユーロコミュニズム、地域自治、緑の党を生み出し、アジアでは韓国軍政への抵抗、アフリカでは反アパルトヘイト蜂起をもたらした。反核運動も世界的な広がりをみせた。

五 女性の権利拡大

 前世紀からフェミニストたちが運動の目標にしてきた女性参政権は、第二次大戦後多くの国で実現したが、生活の中の女性差別は解決したわけではなかった。一九六〇年代から展開された種々の社会運動の中で、女性の権利拡大・差別撤廃運動が大きな広がりをもってきた。アメリカで出版されたベティ・フリーダンの『女らしさの神話』が火付け役となり、全米女性機構が組織された。女性の社会的地位の公正化運動に対して、国連は、一九七五年国際女性年の「世界行動計画」、女性差別の撤廃条約に取り組み、各国での女性差別改善対策を促した。今やジェンダーの観点から歴史を見直すことは普遍化している。

六 社会主義体制の動揺

 ベトナム戦争は社会主義国ベトナムの勝利ではあったが、世界の社会主義体制そのものは、政治的には共産党一党体制の下で硬直化しており、経済的には計画経済と国有化体制による非効率の面が消費生活を圧迫するようになっていた。そのため、体制内での改革がソ連でも一九六〇年代から行われており、朝鮮、ューゴスラヴィア、中国、チェコスロヴァキアでも試みられた。しかし、その効果が出ないまま、むしろ社会主義の原理からはずれた民衆虐殺、他国への侵略がなされた。社会主義のマイナスイメージが拡大する中、一九八〇年代に体制の根本的改革を目指す運動が始まった。ポーランドの連帯運動、ソ連のペレストロイカは国民の広範な支持を受け、社会主義の再生と未来に大きな期待がかけられた。ソ連では、歴史の見直しが行われる中で、共産党、政府、治安機関の極秘資料が公開され、中央官庁や地方の文書館の利用が可能となった。しかし、そうした民主化が社会主義体制の崩壊に導くことになるとはだれも予想していなかった。 
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これからのシティ・マネジメント

『公民連携白書』より 日本でのシティ・マネジメントの未来

スタッフに対するリーダーシップの発揮

 シティ・マネジャーは職員のリーダーとして、政策の立案や業務の効率的な執行をするためには、職員を統括する強いリーダーシップを発揮しなければならない。

 しかし、欧米の行政体と異なり、わが国の公務員はすべて終身雇用制で、明確な規律違反でもない限り身分は安定しているエこのような集団に対して、どのようにリーダーシップを発揮しなければならないか、新たな方策を講じることが必要である。これらも実態に即して、しっかりと学ばなければならない。

多様な健全化手法の習得

 国の単年度ごとの裁量(地方財政計画)によって収入の大部分が決定する自治体の運営はいわば、他人の財布に頼っているのと同じで、前例主義が堂々とまかり通っている。だからこそ運営専門職・エキスパートのシティ・マネジャーが求められている。

 膨大なインフラ施設、図書館や市民会館を代表とする公共財産、これらの運営・管理を一っとってみても、多様な改革・改善手法がある。しかし自治体における施設白書(利用率や維持管理費を含む施設の一覧表)の導入などは、極めて少ないのが現実である。 PPPやPFIへの転換も遅々として進んでいない。私も市長時代、地方自立計画・行政パートナー制度(有償ボランティア・市民との協働)を導入したが、現行の交付税システムの中では、公務員という常勤の専門職ですることが当然だと、復古主義の意見が数多く飛び出してくる。しかし国と連動する地方財政を考えると、このままの財源が保障されるはずがない。言い換えると、自治体における健全化手法は、意識改革を含めて限りなく用意されていることになる。マネジャーの活躍にとって、十分な宝の山に恵まれていると言える。

住民意思の把握と痛みを嫌う市民

 シティ・マネジャーの役割には、確かな住民意思の把握が求められる。かつて市長の時に「市民プールの新設」について市民の意思を確認したところ、議会の全員が必要だとの判断をしたにもかかわらず、市民の82%が不必要だと回答した。学校プールの一時使用やスポーツジムの活用で十分との結論である。このようにハコものひとつとっても市民の要求は驚くほど、変化している。

 一方では、中央集権システムによって負担と受益が乖離しているため、市民の痛みを伴う改革については、強い嫌悪感を持っているのも事実である。シティ・マネジャーは相反する二つの民意をどのように捉えるかが、役割のひとつである。

求められる中央集権システムの解体

 日本の中央集権システムの弊害については、その一例を紹介してきたが、国の財政悪化の限界や今後の高齢社会の加速、地方の衰退などを考えると、中央集権システムと現在の三層構造システムを抜本的に変える日は近い。

 補完性の原則によって各政府の役割分担を明確にし、地方の自己責任を確立して財政規律を回復する。国民の監視機能も強化されるだろう。道州制を導入して、国の内政的業務を地方の広域団体(道州)に移管し、システムにおける行政経費のムダを省く。分権社会の確立によって一極集中から分散型社会に転換し、地方は画一的運営から解放され、地方自身の努力と創意によって、自立の道を歩むことになる。

 ちなみに広域的な地方の補完機能を持つ現在の都道府県は、国からの内政的業務は移管されていないものの、行政経費の約45兆円強を基礎的自治体(市町村)と均等に費消している。この不可思議な現象について、私たちは特段の関心を持たなければならない。

中央集権システムのムダは18.9兆円

 NPO法人地方自立政策研究所が主宰した国と地方の実務者による「国と地方における事務・事業(現行の公共サービス)の役割分担明確化研究会」の試算では、①官と民の役割分担の明確化によるコスト削減効果(公務の領域外) 5.8兆円(地方3.6兆円、国2.2兆円)、②民間開放のコスト削減効果6.0兆円(地方5.1兆円、国0.9兆円)、③国と地方の事務移管(ベストの政府が実施主体)によるコスト削減効果5.5兆円(地方事業の移管で3.8兆円、国の事業移管で1.7兆円、このうち道州制の導入で4.5兆円が削減されるため道州制の導入は必要不可欠である)、④補助金廃止によるコスト削減効果1.6兆円、⑤人件費、出先機関等の物件費のコスト削減額6.1兆円(国家公務員20万人の削減1.8兆円・公務の領域外、民間開放、道州制の導入等に伴う国と地方の人件費27万人の削減2.3兆円、物件費の削減で2.0兆円)で「中央集権システムの解体」によって、単年度で18.9兆円にのぼる行政経費が削減されることになる。

本格的なシティ・マネジャーの登用は近い

 財政の悪化と環境の激変、中央集権システムの膨大なムダを考えると、改革を極度に嫌うわが国とはいえ、システムの解体は避けて通れるものではない。中央集権システムが解体され、国(中央政府)と道州(広域地方政府)と市町村(地方政府)の水平的な三層構造が確立されると、自治体の自立権が十分に確保され、一極集中から多極分散型に移行される。地方の生き残りをかけた、多様な運営が展開される。シティ・マネジャーは全自治体に登用されることになるだろう。人材は一日で育成されるものではない。本格的な分権社会に備えるためにも、日本型シティ・マネジャーとしての人材が、十分に供給できる体制づくりが求められている。
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サファイア循環のループ

サファイア循環のループに沿って、ランダムに並んだ項目を整理していた。

考え方は、どんな集合も、{Think、Act}×{Local、Global}に分割できる。そして、TL(Think Locally)→AL(Act Locally)→TG(Think Globally)→AG(Act Globally)の方向性を持つ。

最初はグローバルから始めていたが、ローカルの重要性に気づき、Think Locallyを出発点にした。

大ループ
 8.5 ポータル(TL)→8.6 活用シーン(AL)→8.7 支える技術(TG)→8.8 サファイア革命(AG)

中ループ
 8.5 ポータル;8.5.1 現行(TL)→8.5.2 拡張(AL)→8.5.3 企画(TG)→8.5.4 開発(AG)
 8.6 活用シーン:8.6.1 既存システム(TL)→8.6.2 メッセージ系(AL)→8.6.3 サファイア(TG)→8.6.4 ソーシャル(AG)
 8.7 支える技術:8.7.1 セキュリティ(TL)→8.7.2 ワイヤレス(AL)→8.7.3 役割(TG)→8.7.4 大容量データ(AG)
 8.8 サファイア革命:8.8.1 スタッフ武装(TL)→8.8.2 組織を超える(AL)→8.8.3 市民グループ(TG)→8.8.4 マーケティング(AG)

小ループ
 8.5.1 現行:ポータル画面(TL)→メッセージ(AL)→ライブラリ(TG)→情報収集(AG)
 8.5.2 拡張:ポータル画面(TL)→メッセージ(AL)→ライブラリ(TG)→情報収集(AG)
 8.5.3 企画:スタッフ環境(TL)→データの外付け(AL)→メーカーと直結(TG)→お客様と接続(AG)
 8.5.4 開発:要件(TL)→選択(AL)→構築(TG)→展開
 8.6.1 既存システム:基幹系(TL)→情報系(AL)→メッセージ扱い(TG)→お客様ポータル(AG)
 8.6.2 メッセージ系:ポータル画面(TL)→状況把握(AL)→メーカーをつなぐ(TG)→お客様をつなぐ(AG)
 8.6.3 サファイア:販売店方針(TL)→ポータル設計(AL)→コラボレーション(TG)→ライブラリ配置(AG)
 8.6.4 ソーシャル:ナレッジ(TL)→クラウド(AL)→仕事(TG)→SNS活用(AG)
 8.7.1 セキュリティ:つながる(TL)→ポータル(AL)→サーバー(TG)→無線LAN(AG)
 8.7.2 ワイヤレス:クラウド方式(TL)→ケータイ方式(AL)→NEC方式(TG)→リバース方式(AG)
 8.7.3 役割:活用(TL)→展開(AL)→企画(TG)→開発(AG)
 8.7.4 大容量データ:画面(TL)→利用状況(AL)→ネットワーク(TG)→操作性(AG)
 8.8.1 スタッフ武装:知識(TL)→意識(AL)→横連携(TG)→販売店循環(AG)
 8.8.2 組織を超える:知識(TL)→意識(AL)→横連携(TG)→サファイア環境(AG)
 8.8.3 市民グループ:シェアリング(TL)→クルマつくり(AL)→交通体系(TG)→地域エネルギー(AG)
 8.8.4 マーケティング:ソーシャルシフト(TL)→地域活動(AL)→市民主体(TG)→つながる循環(AG)
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自分のモデルを作ってみよう

『ビジュアル3分間シンキング』より

6人を介せぱ世界中の人がつながる スモール・ワールド・モデル

 社会心理学者のスタンレー・ミルグラムは、誰もが知り合いを何人か仲介すれば、世界中の人すべてにつながるという説を打ち出し、1967年に「スモール・ワールド」実験でそれを検証した。

 「私は彼を知っていて、彼はあの人の知り合いで……」というように、最高6人を介せば、世界中の誰もがつながるという。そのため、日本では「6次の隔たり」と呼ばれている。

 「スモール・ワールド・モデル」は、バイラル・マーケティング(「口コミ」によって顧客の獲得を行うマーケティング手法)の観点からも大変興味深い。あなたのアイデアや商品を伝えてくれるのは誰だろうか。リンクトインやフェイスブックといったソーシャル・ネットワークは、どれだけ知り合いがいるか、どれだけの人を介してその人だちと知り合いになったかを示してくれる。

インターネットはいかに経済を変えたか ロングテール・モデル

 2004年、『ワイアード』誌編集人のクリス・アンダーソンは、インターネットで売っているものは、たとえ、どんなに奇抜で不要に思えるような品であっても、ほとんどの商品が「わずかながらも売れている」と主張した。

 アンダーソンはこれを需要曲線で表している。左端の一番高い部分は、書籍にたとえれば市場の全商品の20パーセントを占めるベストセラーである。そこから曲線は急落し、やがて、なだらかになっていく。この、なだらかな部分をアンダーソンは長い尻尾にたとえ「ロングテール」と呼んだ。

 このロングテールには、ベストセラー作品に比べると目立たない本が多く含まれている。一見、ペストセラー(20パーセント)が残りの作品(80パーセント)よりも多くの利益を上げるという、パレートの法則にかなっていると思うかもしれないが、そうではない。ロングテールの部分の総売り上げは、ベストセラーの売り上げよりも実は大きいのである。

 ここにネットビジネスを行うヒントがある。

大惨事は不意に襲ってくる ブラック・スワン理論

 過去は未来を予測する助けになるのか。なぜ想定外のことは想定できないのだろうか。

 1912年、バートランド・ラッセルは『The Problems of Philosophy』(邦訳『哲学入門』)で次のようなことを言っている。「毎日餌をもらっているニワトリは、毎日餌をもらい続けることを予測し、人間が親切だと信じ始める。ニワトリにとって、いつか殺される日がくることを示す要素はなにもない」

 私たち人間も、大惨事が不意に襲ってくるとは、ふだんは考えもしないものだ。だからこそ、ふだんから「当たり前」だと考えていることに疑問をもたなければならない、とラッセルは主張する。

 2001年9月11日、ボーイング機2機が世界貿易センタービルに激突したときは、世界中の人間が大きなショックを受けた。なんの警告もなく、突然大惨事が起こったからだ。しかし、時間がたってみると、この事件の発生を示唆する予兆はたくさんあったように思える。

 レバノン出身の金融トレーダーであるナシーム・ニコラス・タレブは、この現象--過去から未来を予測することはできない--に注目し、突然襲ってくる、予測できない稀な現象を「ブラック・スワン」にたとえた。西洋では、白鳥はすべて白色だと考えられていたが、17世紀に動物学者が黒い白鳥(ブラック・スワン)を発見した。それまで想像できなかったことが、突然にして、当然のことになってしまったのである。

 タレブのブラック・スワン理論は、因果の法則を否定する。そして、私たちが日頃から、頑丈そうだが、実はいつ崩れてもおかしくない柱に強くしがみつきがちであることを思い出させてくれるのである。

自分でモデルを作ってみよう

 従来のモデルを参考に、自分で新しいモデルを作ってみよう。その際、重要なのは、実際に自分でイラスト、図表やモデルを描いてみるということだ。
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人道主義コミュニティのジレンマ

『クライシス・キャラバン』より

人道主義とは人間の苦しみを無条件に和らげる当然の義務に基礎を置いている。赤十字の人道原則を支持する援助団体は、中立性(二者のどちらかを優先して協力することがない)、公平性(純粋に必要に応じて援助を与える)、そして独立性(地政学的、軍事的、あるいは他の利害とは無関係である)を約束する。助けることができるのなら、人道援助活動家はいつでも、どこでも、誰でも助ける。「人類はみな兄弟」なのだから。

「その考えが最もばかばかしく思えるの、なんて言うまでもないわね」、とナイチングールは苦言を続ける。「ジュネーブのような小さな州で産声を上げたのだから、そうなのでしょうね。あそこでは戦争に遭うことは決してないものね」。

ナウルとモンテネグロがそれぞれ二〇〇六年六月と八月に署名したことで、ジュネーブ条約は今や世界一九四のすべての国々で受け入れられたことになる。かつてこれほどまでに赤十字の原則が普遍的に採り入れられたことはなかった。そしてこれほど多くの人道援助団体が存在したこともなかった。それらは非政府組織(NGO)、あるいは国際的に活動する場合は国際NGO(INGO)として知られ、独立した中立的な組織で、政府とは結びついていない。それらの団体はともに「人道主義コミュニティ」を形成し、「人道主義の土地」、つまり紛争地帯の中で孤立した地域と見なされている場所で活動する。そこでは、被害者に援助を供給することが、すべての軍事的および政治的判断より優先される。

ICRCが設立されて一世紀半が経ち、戦争と人道主義の行われる場所はすっかり様変わりしてしまったが、ICRCの原則は同じままだ。デュナンの生きた時代、戦争はまだ戦場で行われ、戦死者と負傷者のほとんどは兵士だった。それから一〇〇年後の第二次世界大戦後には、戦時中の一般市民に対する援助にも赤十字原則が適用されると宣言する決定がなされた。一般市民は軍事目標となり、都市や町には爆弾が投下され、迫害を受けたり大量殺戮計画の対象となっていた。第二次世界大戦では軍人と一般市民の犠牲者の数はほぼ同数になった。私たちの時代では、戦死者の九割が一般市民で、ほとんどの戦争は内戦であって、交戦国の軍隊同士によって戦われるのではなく、戦争で破壊された国家の内部にいる民兵、分離主義者、暴徒、反逆者によって戦われる。通常、紛争当事者は複数いて、もし関わっているとしても政府軍は紛争当事者の一部にすぎない。

今日、人道主義コミュニティが人間の苦痛を減らそうと活躍している場所は、イラクやアフガニスタンのような国々で見つけることができる。そこでは戦闘状態が混乱し長引いている。また、コンゴ、ソマリア、シエラレオネ、エチオピア、スーダンといった困難極まる場所でも人道的な活動は見受けられるが、そこでは交戦中の派閥の主要目的の一つが、できる限り多くの一般市民を殺戮することであり、生き残ったものを家や土地からたたき出すことにある。人道主義の活躍する場所と戦場とは、往々にしてまったく同じ場所だったりするが、それは一般市民がその場所へと集まってきて、援助機関の周りに群がるからだ。

人道援助活動家は今でもその主義を当然のこととして、場所、時間、対象にかかわらず援助を行う。しかし、そうすることによって、活動家は交戦国のなすがままになり、その気まぐれに左右されることになる。立派な赤十字原則の悲劇は、その原則を強制できないことだ。「この類の戦争では、当事者たちに人道原則への尊重を要求あるいは期待することは、武装した強盗団にボクシングのルールで戦うことを要求するようなものです。それっておかしいだけじゃなくて、的外れですよ」とアフガニスタンにいたユトレヒト大学とコーダイドの研究員たちが言った。

もし人道援助活動を行っている場所で、戦闘中の派閥が敵に不利になるように援助を自分たちの利益のために利用し、戦闘を長引かせるとしても、国際NGOはかたくななまでに救済し続けるべきだろうか。あるいは国際NGOはその場所を立ち去るべきだろうか。長い目で見れば、どちらの選択肢がより残酷なのだろうか。

デュナンとナイチングールが直面したジレンマはかつてないほど差し迫った問題となっている。
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要望の「因数分解」

2年前の今日、パートナーに提案した「因数分解」を再構成します。SFDCでかなりの部分が実現できるかもしれない。

店舗の情報共有(店舗の活性化)
 ・情報の徹底 ポータルにインターネット技術を活用したメール・スケジュールの機能追加
 ・ノウハウの見える化 ライブラリと連携して、映像、コンテンツの集約と活用
 ・スタッフ間の横展開 店舗ミーティングでコラボレーション・クラウドを活用して、アイデア展開
 ・要望の吸い上げ アイデア・ボックス・クラウドを活用して、お客様からの提案をグループ公開して、絞り込む

お客様とのコミュニケーション(お客様とつながりたい)
 ・お客様へのアピール メール、DM、POP、映像、ライブラリを活用して、アピール
 ・お客様状況の把握 お客様状況カルテの活用と販売店独自カスタマイズ
 ・SNS・口コミ対応 イベント・店舗HP・ブログ等で、 お客様内で「よい評判」を得る
 ・お客様要望の吸い上げ お客様ポータルでのSMB予約⇒お客様ポータルへ進化

メーカーとの情報共有(他社事例を知りたい)
 ・メーカーCから情報プッシュ 掲示板システムをプッシュタイプに進化
 ・事例の見える化 事例データベースの枠組み、事例の収集、メディア変換
 ・事例の横展開 他社事例の販売店提示
 ・販売店要望の吸い上げ 販売店が収集したお客様要望をTMCが収集

お客様とメーカーとのつながり(お客様の声収集)
 ・お客様の声収集 お客様とのコミュニケーション、店舗の情報共有、メーカーとの情報共有をつないで、お客様要望を届ける
 ・お客様への支援 お客様に伝えるために、事例集、ノウハウ、お客様状況のサーバーの連携していく

ネットワーク(高速で、オープンなネットワーク)
 ・インフラ統合 電話と音声との通信インフラ統合によるコスト削減
 ・無線環境整備 店舗環境の拡大、ケータイコスト削減
 ・大容量データ活用 TV会議、映像ライブラリなどの大容量コンテンツ配信
 ・クラウド対応 クラウド化によるコスト低減と利便性向上

簡単に使えるシステム(ネット技術の活用)
 ・ICT技術 GPS、ナビ、タブレットなどを活用し、スタッフ工数低減
 ・ケータイ 外出先で必要な情報をいつでも見える
 ・カルテ 簡単な操作で、扱いやすいデータで情報がみたい
 ・画像ライブラリ 販売店間の画像・映像の情報共有を可能にする

事務局機能(使うことの支援)
 ・情報を集める 販売店の活動の実態を把握し、事例にする
 ・情報を分ける 事例をノウハウとして、販売店が使えるように展開する
 ・情報を提供する 先行販売店と一緒になって、システム化していく
 ・フォローアップ 課題を明確にして、関係部署に展開する

ライブラリの拡大(ノウハウ蓄積と活用)
 ・機能アップ 社外メール、スケジュール機能などをイントラ上に機能提供
 ・大容量データの取り扱い 映像ライブラリ・アーカイブと役割分担
 ・ライブラリ連携 お客様状況。ノウハウ・事例集の連携
 ・ポータルの進化 ポータル・ライブラリの次期バーションをクラウド化
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フェアトレード ★美味しいコーヒーと持続可能な地域づくりをつなげる★

『エクアドルを知るための60章』より

豊かな自然に恵まれるエクアドルでは、各地に独特の文化が育まれ、ものづくりの技術が磨かれてきた。都市近郊の市場には民族性豊かな織物、焼き物、帽子やセーター、革製品、銀製品、楽器などの工芸品が集まってくる。ただ経済構造は外部依存型のまま変わらず、石油、バナナ、エビ、コーヒーなどの一次産品を輸出して外貨を獲得し、同時に外資導入による無理な開発政策を続けながら対外債務を増大させてきた。経済発展の裏では、急激な森林破壊や土壌浸出も引き起こされ、すでに9割以上の森林が失われたという。先進諸国によるODA(政府開発援助)は債務累積や環境破壊につながる傾向が大きい。生産と流通を支配する多国籍企業も安い労働力と天然資源や市場を求め、格差の拡大を助長する。近年では新自由主義が猛威をふるい、不公平な関係は堪えがたいほどになっている。

こうした動向に対し、1999年の「シアトルの反乱」に発する反グローバリズムの運動が勢いを増してきた。エクアドルでも2000年、石油企業テキサコを相手に、熱帯雨林を破壊し住民の健康を阻害したとして、約3万人の住民が訴訟を起こしている。1992年までの20年間に有毒な排水や原油を廃棄し続け、熱帯雨林や農作物や家畜に打撃を与え、ガンの発病者を増加させたからだ。

同時に、現行の経済システムに反対するだけでなく、南と北の間、生産者と消費者の間、および都市と農村の間に新しい関係を構築しようとする動きが、世界各地で生まれている。その一つが「フェアトレード」の運動である。マイケル・バラット・ブラウンは、フェアトレードを「貿易の相手国同志が第一世界と第三世界の間のより平等な立場の財の交換を、意識的に模索しあう貿易システム」だと定義する。実際、貿易のあり方を再考し「発展」の概念を問い直しながら、フェアトレードに期待が寄せられている。

その一環となるコーヒーの対日貿易を例に、フェアトレードの現状を紹介しよう。まずコーヒー農家を取り巻く状況を述べたい。生産農家の生活や労働に影響を与えるのは先物取引の対象となるコーヒー豆市場の動向である。1989年に、コーヒーの国際割当制度が廃止されると、生産過剰による価格暴落の影響が生産者の生活を直撃するようになった。また天候に左右され、作付けなどのコストを負担しなければならない生産者は、教育費や医療費の支出もままならず、食料生産用の農地も不足する過酷な状況におかれた。一般に、広大な土地を必要とするコーヒー栽培では土地所有の集中化が進む傾向があり、先住民族などの間に大量の零細・土地なし農民を生み出してしまう。こうした農民が低賃金労働者として大農園の労働を支える構造が生まれ、同時に、中小規模の農家の破綻や零細農民の貧窮化と都市への流出を招いてきた。

まさに南北格差を象徴するようなコーヒー生産と貿易の構造が世界を支配するなか、オルタナティブとしての森林農業による無農薬コーヒーの取り組みが始まっている。曹早で述べたコタカチ郡インタグ地方における実践がそれである。ここではフェアトレードの視点から同地方の試みを紹介する。

1998年にアプエラで設立されたインタグ川コーヒー生産者組合(AACRI)は、生産者を支援しつつ、森林を伐採せずに作物を栽培する「森林農法」の普及に努め、有機栽培を進めてきた。これを支援すべく、1999年にウィンドファーム(北九州)がAACRIと取り引きを結び、生豆の輸入を開始した。同社は市場の約3倍もの高値に買入価格を固定したばかりか、50%の前払い、長期の売買関係、それに全量の買い取りという条件を約束し、さらに生産者組合の組織強化や開発問題に関する助言と資金援助も実施してきた。これはまさしく、生産者との直接的な取り引きに基づき、両者の話合いで価格などの諸条件を決めるフェアトレードの実践にほかならない。品質向上や生産拡大を背景として、日本への輸出は増大し、AACRIの会員も350名に達している。

コーヒーを通じて消費者が生産地の情報に直接ふれることは、開発とは何か、私たちの暮らしはどうあるべきかを問い返し、できるだけ公正な取り引きを行い、環境負荷の少ない作物を選ぶという先進国側の意識改革につながる。また消費者の感想が伝えられることで、生産者も森林栽培の意義を再確認し、地域の自然と文化を保全しようという意欲を喚起される。両者の間では、「売れるからといって、コーヒーだけを単一栽培はしない」ことを常に確認する。それは、換金作物と現金のみに頼って自給自足の経済を壊さないようにとの配慮からだ。実際、AACRIの収益の5%がDECOIN(現地NGO)による森林保護活動に役立てられ、環境保全に対する住民の意識を育んできた。住民は学習会を開いて、環境保護と表裏一体のコーヒー管理や、病害虫の防止、有機肥料づくりなどを熱心に学んでいる。森林農法によるコーヒー栽培は、山間地の急斜面における土壌浸食を防ぎ、森の生物多様性を高める効果がある。今後は、フェアトレードを普及すると同時に、代替医療サービスや生産者教育プログラムを充実させるなど、共同体のニーズに合った社会資本の再配分を住民主体で決定することが課題といえよう。
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高福祉高負担の社会意識

『福祉社会学の想像力』より

これまで国民負担率の抑制が国家目標として位置づけられてきた理由の一つには、日本では、高福祉高負担に対する国民の支持が少ないだろうという前提があったとも思われる。しかし各種の世論調査の結果では、必ずしもこれは当てはまらない。

高福祉高負担とは、高い水準の福祉を維持するためには高い水準の負担も覚悟しなければならないという考え方である。これに対して、人びとの福祉の水準を引き上げることよりも、人びとの負担を引き下げることを優先すべきだというのが低負担低福祉の考え方である。両者の中間形態ということで、中福祉中負担といった言い方がされることもある。かつては高福祉低負担の主張をする人もいたが、いまではあまり見られない。

問 A、B2つの対立する意見のうち、しいて言うと、あなたはどちらの意見に近いでしょうか?

 Aの考え:税金や社会保険料などを引き上げても、国や自治体は社会保障を充実すべきだ。

 Bの考え:社会保障の水準がよくならなくとも、国や自治体は、税金や社会保険料を引き下げるべきだ。

 ここでは「Aに近い」または「どちらかというとAに近い」と答えた人々を「高福祉高負担」の支持者とし、「Bに近い」「どちらかというとBに近い」と答えた人々を「低負担低福祉」の支持者と見なすことにする。表5-1が、全国調査を実施した2000年、2005年、2010年の各時点でのそれぞれの支持者の割合を示している。負担低福祉の支持者もつねに3分の1くらいはいるから、これを無視することはできない。しかし多数派は高福祉高負担である。

 この点は、類似の他の世論調査でも確認されている。例えば、2011年2月から3月にかけて、朝日新聞社が実施した世論調査では次のような質問項目が採用されている(朝日新聞2012.03.22.)。

問 社会保障の負担と給付のあり方を考えたとき、これからの日本は次の2つのうち、どちらの方向を目指したほうがよいと思いますか。

 国民の負担を今より増やして、社会保障を維持・充実させるほうがよい。

 社会保障の水準は下がってもよいので、国民の負担を今より軽くするほうがよい。

前者の回答が高福祉高負担に対応するが、その支持者は47‰こ達した。これに対し、低負担低福祉を意味する後者の支持者は36%だった。表5-1の調査のように高福祉高負担が過半数というわけにはいかないが、多数派であることには変わりがない。

国民負担率の抑制方針が打ち出された1980年代、また、潜在的国民負担率の抑制が国政の話題となり始めた1990年代について、人びとが高福祉高負担と低負担低福祉についてどのように考えていたか、今となっては調査のしようがない。しかし、少なくとも2000年代以降については、高福祉高負担の考えが多数派であるとは確実に言えそうである。

なお、朝日新聞の上述の記事に対して、経済学者の橘木俊詔氏は、「国民は福祉国家に賛意を示している」として、同紙で次のようにコメントしている。「格差社会に入って貧困者の数が増加したし、無縁社会に入って血縁、地縁、社縁が希薄となって、福祉にほころびが目立つようになった。

残された道は二つである。アメリカのように自由至上主義に立脚し、自立心を強調してほとんどを個人で解決する策か、リベラリズムの立場からヨーロッパのように社会が支援する策である。自立自助の道か、福祉国家への道か、の選択肢である。

今回の調査結果にはある程度国民の回答が示されている。……一昔前は消費税に嫌悪感の強い人が多かったのと比較すると、隔世の感がある。国民の間で負担の覚悟ができていることは評価してよい。

……国民はヨーロッパ流の福祉国家になることに賛意を表明していると解釈できる。」(朝日新聞2012.03.22.)
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