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存在と無から始まった

未唯へ

 一方的な愛がないと、生きていけない。だから、バレンタインデーでポットを買います。

ポータルでつながるをつなげる

 つながるまでつなげましょう。そのための第8章です。つながるの先には市民グループがあります。そして、2015年からのサファイア革命です。

 くれぐれも、私がやるのではない。考えるのが私です。そして関係者に全体の一部を持ち帰る。全体の構想を述べることはしない。そこまで、分かる人間はこの会社にはいない。

存在と無から始まった

 未唯空間にしても未唯宇宙にしても、存在と無から始まっています。ということは、哲学をベースにするしかない。そこから、次の社会はどうするのか、会社をどう生かしていくのか、地域の活性化はどうしていくのか、歴史はどう変わるのか。

 そんなところまで来ています、ベースは哲学です。もう一つあるのは、形態変化を求めるための数学のトポロジーです。この二つをベースにしたものは、今まではなかった。

 数学の形態を歴史にどのように適用するのか。トポロジーはインターネット理論とか、文章学にも使われています。歴史的なことでいえば、カタストフィーの理論なんでしょう。それを私でまとめていこうというのだから、無謀ですけど、内なる世界なら、何でもできます。

 内なる世界には、私しかいないのだから、そこでまとめられます。そのために、どういう形になっているかのサンプルを求めます。内と外をつなぐパートナーがいなくなったから、自分で大胆に行動しましょう。外の世界で失敗しても、私にとっては成功です。

 周りの環境がうまくいくような、そんな無駄なこと、調整することはしません。直に答えを見つけていきます。何が問題なのか。何がこの会社の悪さなのか。それをその部署にぶつけて、自分たちで考えてもらう。やれなければ、それまでのことです。

 どんな歪になっても、私からすると、答えは出せます。本来やりたかった、アピールを作り込んで、表に出します。

ポータルのアピール・アンケートの進化

 表で数字を集めるだけではしょうがない。集めた結果をどうアピールするかです。それでディスカッションしないといけない。


急遽、パソコンを買ってきた

 1時間以上も起動しないので、10万円持って、エイデンへ。10万円のセブンのパソコンを買ってきた。会社と同様の富士通製のUltrabookです。何がウルトラかわからないけど。

 インスピレーション、OCRソフトを入れ込むのと、データ移行に手間取って、6時間ぐらいかかりました。23時半に、すべての作業を終えました。疲れました。

 初期起動、インターネット環境はまともになりました。インスピレーションは外付けだから、起動はよくない。OCRはCPU速度が上がったのと、ディスクに余裕が出たので、かなり良くなった。


岡崎市図書館の10冊

 岡崎市図書館で10冊、借りました。ほとんどが1月の本です。タイミングが良かったみたいです。1月が出たけど、他の人が借りる前なのでしょう。先週は新刊書コーナーが空っぽだったから、その反作用ですね。

 329.3『人道的交渉の現場から』国境なき医師団の葛藤と選択

 992.1『内乱 パルサリア』

 130.2『哲学するのになぜ哲学史を学ぶのか』

 611.7『世界の最先端を行く台湾のレジャー農業』

 913.6『清冽の炎』

 369.2『もう限界!!介護で仕事を辞めないために読む本』大丈夫!! 仕事を辞めなくても介護を続けられる

 312.1『現代日本の政党デモクラシー』

 100『哲学で何をするのか』文化と私の「現実」から

 364.1『福祉社会学の想像力』現代社会学ライブラリー10

 188.5『空海と日本思想』
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カントを理解することとは、カントを越えゆくことをいう

『哲学するのになぜ哲学史を学ぶのか』より ヴィンデルバントの問題史

「われわれみな、一九世紀において哲学するものは、カントの学徒である」。ひとまず話をドイツに限れば、フィヒテ、シエリング、ヘーゲルと続くいわゆるドイツ観念論の諸家はもとより、彼らとは異なる行き方をとったフリース、ヘルバルト、ショーペン等も含めて、世紀前半の哲学者たちがカントの哲学に多大な影響を蒙っていることはよく知られるとおりである。これらドイツ古典哲学の展開の後、世紀中葉には実証科学・歴史主義の進展に伴って反形而上学的な風潮が高まりをみせ、やがて六〇年代になるとツエラー、ヘルムホルツ、リープマン等の一九世紀生まれの諸家が、形而上学と実証主義をともに越えゆこうとする意図をもって口々にカントへの「回帰」を語るようににご。-『プレルーディエン』序文のヴィンデルバントの言葉は、このように出発と回帰という二重の意味でカントに規定されていた時代の講壇哲学の流れに棹差し、それを新たな進路に向けて押し出そうとするものであったといえる。

そこでまず問題は、なぜ、どのような意味で「カント」だったのか、である。

折しも一八八一年は『純粋理性批判』出版百周年にあたり、各地でその百年祭が催されたが、これにあたってヴィンデルバントも「イマヌエル・カント」と題する講演を行っている。「ドイツ文化の最も生き生きとしていた時代」との一世紀の隔たりを強く意識しつつ、ここでヴィンデルバントは古代ギリシアと近代ドイツの文化・哲学の比較対照によって論を進めてゆくが、そのみるところ、まず「ギリシア哲学は単純な、自己完結した民族文化の産物であり、その文化の諸々の動向をそれ自体として身につけている」。そして、このことに応じて、それに依拠する哲学はすべて「人間の知とともに、ある完結した、余すところなく現実を再現している世界像が獲得されるという前提のもとに生き、そのもとに刻苦精励している」。その典型がアリストテレス主義であるが、そこでは「世界の考察において人間が宇宙の中心点とも、その運命が世界の運命とも見倣されるように、人間の諸関係の概念的描出が素朴に世界認識とも見倣されている」。これに対して、しかし、「概してわれわれは研磨・磨耗された全体文化のもとに生きて」おり、[全地球の幾千もの泉から知がわれわれに流れ集い、もはや、一人の頭脳には統一されることはなく、もはや単一の全体式にもたらされることもな」い。それゆえ、「つとに何よりわれわれは、自分たちが世界の生の中心点に腰を据えているのではなく、どこか辺鄙な片隅で慎ましい生存を繰り広げているというイメージに馴染まなければならない」。

しかるにこのとき、「カントの思想の歩みは、先立つ哲学すべてがそれで以って仕事に取り組んでいた概念装置に対してまったく新しいものとして現れる」。実に、彼の思想は「文化の諸活動の変化した関係にはじめてまったく適切な表現を与え」、そうして「われわれの精神の状態全体を大まかに打ち出し」た。曰く、「一方に『現実』が、他方に表象があり、そして表象はそれがもし認識たるべきならば、現実の模写であるーこれがカント以前の哲学の基本前提であ」った。人間の心をこのようにいわば「世界の鏡」とみなす旧説(・通説)に対して、しかし、「カント哲学はあらゆる形而上学を除去することで、諸対象がわれわれにとって表象結合の一定の諸規則以上のものではないと主張札い」。すなわち、「問題はただ、諸表象のざわめきのなかで何らかの結合が、妥当すべき、それもすべての人にとって妥当すべき規則にしたがって完成されるということである」。それゆえ、「哲学は規範的思考の規則を自覚することで、その他の学が自らの個別的「対象」に絶えず行使している活動を基礎づけることに従事する」。--要するに、「哲学はもはや世界の模写であるべきではなく、その課題は、あらゆる思考にはじめて価値と妥当を付与する諸々の規範を意識へもたらすことである」、と。

たしかに、ここでの旧来の模写説のカントによる転換、反形而上学の立場からの諸学の認識論的基礎づけといった主張そのものは、いずれも教科書で馴染みの、それだけに今日では古めかしく感じられるものには違いない(--あるいは、いまやそれ以前のものとなっているかもしれない)。しかし、そう感じるほどにわれわれがそこから隔たっているかは自ら別の問題である。そのことを見届けるためにも、さらに立ち入って、ヴィンデルバントがどのように「カントを越えゆ」こうとしたのかを確認しておく必要がある。

体系的著作を残さなかったヴィンデルバントにとって、「批判的方法か発生的方法か」は自身の思想の方向性を示した最重要論文のひとつであるが、そこでカントについていうのは、「彼自身が時代の問題の考察様式に馴染んでいたことで、自ら『起源』と『基礎づけ』の間に打ち立てた根本的区別を放念している」ということである。そもそも、「われわれの仝熟慮を支配する統一的傾向が、個物が普遍に対してあるところの依属性を理解しようとすることであると定式化さ心び」とすれば、それに応じて「怜やこの普遍的な「公理」は、そのようなものとして、定義上論理的な--帰納や演鐸による--証明が不可能であるから、その「妥当」の明証性を示すには次の二通りの方法のいずれかによる他ない。すなわち、諸公理を「人間の表象、感情および意志決定の発展のなかで形成され、妥当にまで至った事実的把握様式」において取り扱い(「発生的方法」)、心的な諸作用の「現実的過程においてこれら諸公理が事実妥当するものとして承認される」という「事実的妥当」を示すか、あるいは、それらを「『思考は真なる目的を、意志は善なる目的を、感情は美を捉える目的を、普遍妥当的に承認される仕方で達成しようとする』との前提の下に妥当すべき規範」として扱い(「批判的方法」)、「もし何らか目的が実現されるものとすれば、公理の妥当は無条件に承認されなければならない」という「目的論的必然性」を示すかのいずれかを選択しなければならない。翻ってみれば、カントは「アプリオリな総合判断」ということで三つの『批判』書においてこの妥当問題を把握しながらも、その取り組みにおいて必ずしも十分慎重ではなかった。
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内乱 カエサル対ポンペイウス

『内乱』より

「内乱にもましておぞましい戦、正義の名を冠された犯罪」という特異なテーマの提示のあと、皇帝ネロヘの助力を請う呼びかけがあり、内乱の抽象的、あるいは間接的、あるいは直接的な原因が挙げられる。中でも、「同輩を許容せぬ」権力に焦点が当てられ、過去の英雄ポンペイウス、昇竜の勢いのカエサルという両雄のあり方が、前者は「樫の古木」、後者は「雷電」の比喩で示される。

警告、制止するローマの幻影を振り切ってルビコンを渡り、アリミニウムに侵攻したカエサルに、ローマを逐われた「舌を金で売る」蛮勇クリオが合流し、内乱を喉けると、カエサルは決意をいっそう固め、兵士に向かってその決意を述べ、兵士を鼓舞する演説を行う。兵らは疑惺、逡巡するが、百人隊長ラエリウスが忠誠と、ローマの破壊をも辞さぬ覚悟を語って煽ると、全員歓呼して鬨の声を上げる。カエサルはガリア全土に展開する部隊を呼び寄せる(兵らがあとにしたガリアの部族の長いカタログが続く)。

ローマはカエサル進軍の風説で恐怖、混乱に陥り、民衆はもとより、当のポンペイウスをはじめ、高官、元老院議員の大半が挙って早々とローマを脱出する。追い打ちをかけるように予兆や怪異、変事が生じ、占い師アッルンスが呼ばれて内臓占いをするが、「大過が襲う」という曖昧な占いしかしない。しかしフィグルスが星占いをして、「兵乱の狂気」、武勇の美名を与えられた「犯罪」と「君主」の到来を予言し、さらに、アポロンにがり影かれた寡婦が内乱の成り行き(主な出来事)を見通し、暗示する予言を語って都を驚動させる。

ローマの不安と混乱の続き。母親らも、出征する男たちも嘆きの声を上げる中、老父が、マリウスとスッラによって争われ、報復、粛清の荒れ狂った凄惨な過去の出来事を語り、今時の内乱がそれをも越える惨禍をもたらすことを予言する。

内乱に心を痛める義父カトーのもとを、ブルートゥスが訪れ、身の処し方を訊ねる。今はどちらにも付かず、決着が付いたあとに勝者の敵となるとする彼に、カトーは、挑手傍観することの非を言い、祖国と自由のためにポンベイウスに与して参戦する決意を披渥する。そこへ、夫ホルテンシウスの遺骨を骨壷に納めたマルキアが戻り、カトーに復縁を願って叶えられ、形ばかりの再婚の儀か行われる。

都落ちしたポンベイウスは、カプアを拠点にして陣を構えるが(イタリアの地形、地勢の描写と、川のカタログが挟まれる)、民衆や諸都市の支持が区々分かれる中、破竹の勢いのカエサル軍は各地でポンペイウス軍を撃破。コルフィニウムに拠ったドミティウスも撃破され、兵に裏切られてカエサルに引き渡されたものの、宥恕される。ポンペイウスは決戦を目論み、兵を鼓舞激励する演説を行うが、まだ見ぬカエサルにすでに敗れている兵らの怯えを感知し、ブルンディシウムヘの退却を余儀なくされ、息子グナエウスと二人の執政官に、世界を巡って諸都市や諸民族、諸王の瞬起を促し、新兵を徴募するよう指令する。

一方、追撃するカエサルはブルンディシウムに迫り、筏を組んだ堤で港を封鎖。しかしポンペイウスの艦隊は、軽微な損害を被っただけでこれを突破、戦線を国外に散らそうと、ギリシアのエペイロスを目指して脱出する。

海原を逃れ行くポンペイウスに、前妻ユリア(カエサルの娘)の亡霊が現われ、どこまでも付き纏い、悩ませることを告げるが、ポンペイウスは、強いて否んで、エペイロスに上陸する。

一方、カエサルは、民心を掴もうと、穀物調達を指示したうえで、平和を装い、ローマに入城するが、歓呼して迎える民衆の姿はない。身を挺してサトゥルヌス神殿の国庫の略奪を阻止しようとする護民官メテッルスを影がにもかけず、カエサルは国庫を略奪する。以下、挙兵し、徴募されて、全世界から参集したポンペイウス方の大軍勢の長いカタログが続く。

ローマを発ったカエサルは、スペインのポンペイウス軍掃討に向けて西進するが、途次、大義を守って自派に与せず、寵城して抵抗するマッシリア攻めを敢行する(自らは攻城軍を残してスペインヘ)。ドルイドの聖林を伐採し、長大な土手を築いての攻城戦であったが、難渋し、夜間に出撃したマッシリア兵に火を放たれて土手は崩壊、陸戦の望みを絶たれたため、カエサル軍は海戦に命運を賭し、ブルートゥス(カエサル方の司令官)の指揮する艦隊とマッシリアの艦隊との間で海戦が繰り広げられる(闇雲に放たれた槍を受けて瀕死となった若者アルゴスと、息子に先立とうと自刃、投身自殺する父親のエピソードも含め、「種々、数多の衝撃的な死の光景」が、海戦の様とともに描写される)。海戦はカエサル方の一方的な勝利に終わる。
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