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エストニアのIT

『エストニアを知るための59章』より

いまや「IT立国」として知られるようになったエストニアであるが、そんな同国の姿は、独立回復直後の1990年代には想像もつかなかった。

1994年から95年にかけて、筆者が最初に長期間エストニアに住んだときの記憶の一つである。当時、日本に国際電話をかけるには、電話局に行って申し込みをして、名前が呼ばれるといくつか並ぶ電話のブースに入る。タルト市の電話局は、夕ルト大学本館近くのリューテル通りの端にある比較的新しい建物であった。いまではもちろんこの電話局は存在しない。短期間に、エストニアの情報通信事情は大きく変わった。約10年後の2003年の二度目の長期滞在の際には、もはやインターネットは当たり前で、無料で利用可能な無線LANが公園などの戸外も含めて張り巡らされた(というのは少し大げさだが)国になっていた。

エストニアは知る人ぞ知るskypeの発祥の地でもある。インターネットを使った音声通話ソフト「スカイプ」の技術は3人のエストニア人(ヤーン・タリン、アハティ・ヘインラ、プリート・カセサル)によって、2003年に開発された。それ以降、スカイプの利用者数が急増していることは周知のとおりである。世界で優に1億人を超えるユーザーが、その技術の恩恵に浴している。スカイプ社は2011年にマイクロソフト社に買収されたが、その後もエストニアのタリンにあるオフィスは技術開発の中心であり続けている。

「IT立国」としてのエストニアの実態はどのようなものか。後で述べる電子投票制度などにより、「IT先進国」としてのイメージが定着しているようにも思える。だがこれも、エストニアの上手なイメージ戦略の産物であるかもしれない。2010年で比較してみると、エストニアにおけるインターネット普及率は67・8パーセント、対する日本では85・4パーセントである。情報通信・技術(ICT)へのアクセス、利用状況、スキルによって算出されるICTインデックスでは、日本が13位であるのに対し、エストニアは33位である。インターネットの普及率に関しては、高齢者、単身家庭、地方居住者、低学歴者の使用の少なさが影響しているようである。一方、子供のいる家庭では普及率は高い。ちなみに世界でトップの普及率を誇るのは韓国、EU諸国では、スウェーデン、オランダなどが上位を占めている。

こうした数字は、ショッピングセンターや図書館、空港で当たり前のように無線LANが使用できる状況からすると意外な気もする。使う人は銀行決済から各種チケットの予約にまでインテンシブに使うが、必ずしもエストニア人がみなそうであるわけではないということではないだろうか。家庭への普及率は経済状況などとも関連しているのだろう。

「IT立国」としての面目躍如は、他に先駆けての電子投票制度の導入である。エストニアでは、2002年からの実験を経て、2005年、正式に、まずは地方議会選挙で電子投票が採用され(全国規模での電子投票方式の採用は世界初)、続く2007年には国会選挙で、2009年には欧州議会選挙でも採用された。電子投票の利用は、有権者中の割合で見ると、2005年の0・9パーセントから2011年の国会選挙での15・4パーセントまで増加している。期日前投票では、同じく2011年の選挙で利用者が半数を超えた56・4パーセント。

この電子投票では、投票受付期間中(現行法では投票期日の10日前から4日前まで)、何度でも投票を行うことができる。これに対しては一人一票の原則という観点から議論もないわけではないが、買収や強要の危険性を回避し自由な投票の確保のために再投票の可能性が保障されているのである。また、期日の4日前までであれば、紙の投票用紙で変更を行うことも可能である。興味深いのは、この再投票権の行使者が大幅に増加していることである。2005年では364人であったが、2011年には4384人であった(紙の投票用紙を除く)。

再投票については、有権者問の平等性に加え、秘密投票の原則に関する問題もある。すなわち、再投票を可能にするにあたって、多重投票を防止するために、前に投じた票を確実に無効にしなければならない。ところがそのためには、当該の票を投じた人を特定しなければならないため、投票内容の秘密が守られない危険性が生じるのである。この問題の解決策として、エストニアでは、封筒方式が採用されている。投票内容は封筒の中に入れられるので、再投票の際には、封筒で票を特定することで中身を見ずに処理することができる。なお、電子投票での本人確認ならびに電子署名は、15歳以上の国民が保持義務を有するIDカードを利用して行われる。

最後に2008年にタリンに設立されたNATOサイバー防衛COEについても触れておこう。夕リンヘの同研究所の設立は、2007年4月末から3週間ほど続いたサイバー攻撃を受けてのことである。このときのサイバー攻撃では、大統領府、外務省、政府機関、政党に加え、銀行、マスコミが被害を受け、各種インターネットサービスはほぼ使用不可能となった。エストニア側はロシア政府の関与を疑っているが、ロシア側はこれを否定している。いずれにせよ、「サイバー戦争」(あるいは第一次サイバー大戦)と呼ばれるほど大規模なサイバー攻撃は前代未聞であったために、この事件は注目を集め、エストニア政府も戦略の修正を迫られた。サイバー攻撃も通常の武力攻撃と同等の脅威として認識されていることは、2010年に改定された国家安全保障概念に、従来は含まれていなかったサイバー攻撃についての言及があることにも表れている。志願民兵組織「カイツェリート(防衛同盟)」に、サイバー防衛同盟部門があることも、エストニア人の脅威認識を示していると言える。なお、必ずしもエストニアの事件のみが理由であるわけではないが、2010年に発表されたNATOの新戦略概念でも、サイバー攻撃への対策は重視されている。
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