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ソフィストと弁論の支配

『哲学の起源』より アテネ帝国とソクラテス

アテネは、デモクラシーの確立とともに、弁論が優位におかれる社会となった。武力(軍事)や呪力(宗教)ではなく、言葉による支配が定着したのである。これは、むろん、ポリス内部だけのものである。また、武力や呪力が消えたわけではない。ただ、民会であれ法廷であれ、公的な活動が弁論にもとづくようになると、人々は弁論の技術を必要とするようになった。裕福な市民は子弟にそれを勉強させた。しかし、このことに関して、ほとんど問われない問題がある。それは、なぜそのような教師が外国人なのか、である。

この時期のアテネは政治的・文化的に最も発展したポリスであったと考えられている。が、それなら、弁論術などの教師が主に外国人であるのはなぜなのか。これはアテネが政治的・経済的に強国となったとはいえ、言論や思想においてはるかに遅れていたことを意味する。アテネの人々はそれを、イオニアやそこからの植民者が築いた南イタリアの諸都市からやって来た人々から学んだのである。

プラトンの『ゴルギアス』では、弁論術は他人を説得する技術であり、それによって「支配」する技術であると述べられている。そして、それを教えるのがソフィストである、と。しかし、弁論をたんに支配のための技術だとみなしたのは、ソフィストではなく、アテネ市民である。彼らは外国人から「技術」としての弁論術以上のものを、何も学ぶ気はなかったのだ。

弁論が他人を支配する手段となるのは、デモクラシー(多数派支配)の下においてである。しかし、弁論が発展したイオニアでは、それは他人を支配する技術ではなかった。法廷であれ民会であれ、弁論は討議には不可欠であったが、それは共同的な吟味の手段であった。それはまた、自然探究の方法でもあった。先述したように、エレア派の特徴と見える間接証明のような弁論は、すでにミレトス派に見出される。つまり、そこでは、弁論は他人を支配する技術ではなく、人間をふくむ自然認識のための方法であった。対照的に、アテネ人は、自然認識や技術開発には無関心だった。アテネで重んじられたのは、公的な活動において、他人を説得し服従させる技術だけである。それが人間支配のための技術としての弁論術である。エレア派の論法も、ここでは、人を論駁し翻弄する技術として利用されたのである。

また、外国人もアテネでは「技術」以上のことを教えなかった。外国人が市民(公人)として活動することはありえなかったし、ポリス内部の政治に関与することは危険だったからだ。彼らは、ペリクレスの友人であったアナクサゴラスが、太陽は燃える石だといったために涜神の罪に問われたことを忘れなかった。この事件はむしろペリクレスに対する政治的陰謀によるものだったが、外国人の思想家にはその種の咎で弾圧される危険がいつもあったのだ。彼らが述べたのは、プロタゴラスがそうだったように、せいぜい懐疑主義・相対主義的な意見であった。

ソクラテスはつぎのような理由で告訴された。《ソクラテスは、国家の認める神々を認めないで、他の新奇なる神霊のたぐいを導入するという罪を犯している。また青年たちを堕落させるという罪も犯している。よって死刑を求刑すむ鴛このため、ソクラテスはソフィストだといわれたのだが、ソフィストと呼ばれた外国人らはむしろ、そのような疑いをかけられることを避けた。彼らはアテネの政治や慣習に介入しなかった。ゆえに、彼らの言動がアテネ市民に影響を与えたとはいえない。アテネの市民のほうが彼らの言説を都合よく利用したのである。

彼らのような考え方は、アテネに「帝国主義」的な傾向が強まったことを反映している。アテネの中で言論によって権力を握ること、また、他のポリスを武力によって揉鯛することが「フィシス」であり、それを抑制させる法、宗教、道徳などは「ノモス」にすぎない、というわけである。つまり「強者の正義」と「リアルーポリティクス」をうそぶくのは、外国人のソフィストではない。ソフィストから弁論術を学んだ、アテネの支配層の子弟なのだ。したがって、プラトンは、「ソフィストが若者たちを毒している、という人たちが最大のソフィストだ」というのである。

そのような若者の代表が、ペリクレスの近親であったアルキビアデスである。彼は主戦派としての帝国主義的言論によって大衆の喝采を浴びた典型的なデマゴーグ(民衆指導者)である。彼は、スパルタ側に加担したメロス島を討伐しに行ったが、壮年の男子を虐殺し婦女子を奴隷にしたことで非難をあび、裁判にかけられた。その後まもなく、シケリア遠征軍の将軍に選ばれたが、そこでヘルメス像を破壊する涜神行為のかどで本国からの召還命令を受けた。そのとき、こともあろうに、敵国スパルタに亡命し、今度はアテネを倒すことに貢献し、その後にアテネに帰還したという、とんでもない人物である。

アルキビアデスはソクラテスが可愛がった弟子であった。そのことが、ソクラテスが告発される理由の一つになったといわれる。「青年たちを堕落させた」といわれるのはそのためである。しかし、アルキビアデスのような青年が出てきたのは、ソクラテスのせいではない。かといって、ソフィストのせいでもない。彼らの誰もこのようなことを教えはしなかった。アルキビアデスのような人物は、帝国主義的となったアテネ社会そのものの「堕落」から生まれたのである。
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8.5のシナリオ

未唯へ

 元町のサウナで体重計測69.2Kg。減ったものです。

8.5.2「ポータルの進化」の内容

 8.5.2の中には、この仕組みをどう展開していくのか、ファシリテーションしていくのかも持たないといけない。展開の条件を持たないといけない。現行通りではダメです。新しい機能をコストを掛けずに入れる条件を織り込みます。

 販売店ヒアリングではないけど、ポータルを作った時も、そんなに意見は聞いてはいない。自分たちがいるものを彼らがどう知りたいのかです。

 ユーザーは新しいものについては、見ないと分からないのは確かです。早めに見せていけばいい。そのためには、作り方も変えていかないといけない。そこでは、お客様ポータルでのコミュニケーションを具体的にさせていくというのもあります。3年前にはコラボレーションとしていた部分です。

 色々な情報を収集する部分では、関係する所をどのようにリンクさせるのか。項目としては書いておいて、そこにどんどん関係することを入れ込みます。バラでやっているのを、それをもとにして、集約していきます。

8.5.3の内容

 そこでの成果を踏まえて、「スタッフの武器化」が8.5.3です。

 武器のところはクラウドですね。元々、ソーシャルウェブをどのように使っていくかです。

 経営者の意識を変えさせるにはどうしたらいいのか、経営者の組織も含めて、外へ向かっていくにはどうしたらいいのか。当然、シェアリングのインフラも考えないといけないでしょう。

 店舗での教育とか、エコとかも関係してきます。その時に、何が武器になるのか。そういう意味では、スタッフが発言できるのが、8.5.3の一番のメインになります。これを富山にもぶつけます。

 パートナーのヒアリングと異なり、私の場合は経営層にスタッフへの対応をどうしていくかを聞いていた。

 サファイア循環は8.5.3でしょうね。本来の狙いですから。それを本部にやるのと、店舗にやるのと、お客様とやることの三段ループをそこに書きます。8.5.3以降は、ポータルから行かなくてもいいけど、具体的なものとして、そこまでの設計だけはしておきます。

 その意味ではミッションステートメントで書いたのと同じシナリオです。バラバラなものをつなげて、情報は店舗に集めて、お客様との関係をつけていく。

8.5.4「市民活動への転用」の内容

 8.5.2の進化のところは、4つの項目について、どのように進化させるかでまとめやすい。当然、今のライブラリの配置なども関係します。電算部の思惑もあるけど、システム設計としては当たり前です。

 もう一つ、大きな観点としては、現在のポータルそのままと言っているけど、ポータルも途中です。これはハッキリしている。本来やりたかったけど、システム的な制約、ユーザーニーズとの観点で、中途半端になっています。

 進めるにあたって、関係するのはニーズに対してのやり方です。ニーズがあるというのをどう見るかです。今、動いているのはニーズがあるということです。それを進化させるには問題はないです。社会の道具の進化をそこに組み込みます。

 8.5.4は意識と知識、そういう意味ではライブラリと議論をどういうカタチで持ってくるのか。そこでは個人の分化を具体的に始めていくためのツールの問題になります。

 8.5.4を具体的なものにするには、シェアリングとか図書館とかクラウドの活用を入れないといけない。そうでないと、抽象的になる。シェアリングをしようとすると市民側にコミュニティが必要です。それもかなり、バラエティに富んだものです。

 シェアリングの目的は、いかに商品を有効活用するのか、移動することに対して、手段に対して、こだわりをなくすことです。

 8.5.4のベースは共有意識です。図書館も一緒です。本というものは買うものではない。電子図書になった時に、どうしていくのかです。詳細は本・図書館で述べています。ただし、あくまでも、ポータルの延長線上でどこまで考えられるのか。そこでもって、それをトリガーにして、どこまで変えていけるのか。

 店舗のエコではないけど、メーカーも店舗をどうしていくのかが重要になってきます。技術としては、駐車場を穴に埋めるとか、電気の場合は30Km以内の道具として、シェアリングの道具としてやっていけばいい。

 いかにして、社会のトータル負荷を減らしていくのか。公共とプライベートの間をどう取り持っていくのか。プライベートでロング走行する人は、道路の使用料を含めて、高い金を払えばいい。

 クラウドのしても、共有意識がなければ、意味がない。共有意識をどうつなげていくのか。どっちが先か。それが、8.5.4のメインテーマです。

 「社会を変えるには」は10のテーマですので、そちらで展開させます。社会を変えるの最終目標はどんな姿かというと、LL=GGです。個人と超国家が結びついて、より多くの人が生きていける社会です。人が多いほど、住みやすい社会です。
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