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善き生、善き社会のために何をすべきか

『サンデル教授の対話術』より

日本、そして日本人はこれから何を目指すべきだと思いますか。 

 経済力の順位は、善き社会や善き生にとって決定的な問題ではないと思います。イタリア、フランス、ドイツ、イギリスを見てみれば、GDPではどの国も世界の三位以内にも入っていません。しかし、それでも、イギリスやドイツやフランス、イタリア、スベインが意気消沈するというようなことはありません。ですから、日本のGDPが二位から三位になったという事実によって意気消沈すべきではありません。日本は成熟した、経済的に発展した国です。だから、日本の課題は、民主主義国家として、民主的制度とその実践を深化させて、人々のために善き生を創り出していくことだと思います。

 善き生はどのようなものかについて、また正義に適った社会はどのようなものなのかについてぱ、競合する見方か存在しています。私はこうした問題か日本で中心的なテーマとなって話し合われ、討論されるようになっていくべきだと思うのです。ちょうど、アメリカにとってもこういったことは、解決すべき問題として、中心的に討論されるべきであるのと同じように。ですから、他の何事にもかかわらず、GDPが二位から三位になったということは根本的だとは思いません。満足度や幸福度、生活水準か非常に高い世界の国々、ヨーロッパの国々を考えてみてください。GDPの順位にとらわれるということは、生活の質、民主主義の質、正義に適う社会の問題といったより大きな問題と比べれば、本当にささいなことだとわかるでしょう。ですから、日本はこういった重要な問題に敢然と取り組むべきです。国も違えば、人口も違うのですから。日本は確立した、成熟した先進国です。ですから、これからの課題は、豊かで満足のいく社会生活と公共的生活を発展させていくことなのです。

善き生、善き社会のために何をすべきでしょうか。

 善き生を生きることに役立ちうる二つの考え方があると思います。

 一つは、過去の伝統的な階層制により定義された習慣や規則を何も考えずにただ受け入れるのではなく、自分自身の道徳的な想定に基づいて批判的に省察する習慣を発達させることです。家族生活、家族構造、男女間の役割の割り当てについて自分自身で考える習慣、批判的に省察する習慣を作り上げることは、善き生を生きる上で一つの重要な特徴です。

 しかし、同様に重要な部分は、私たちの生活が、他の人の生活と深く結び付く方法か整っているということです。私たちはただ自分自身だけの人間でぱありません。「私だちか何者であって、何を目指しているか」の多くは、どのように成長し、どのコミュニティに暮らしているか。どのような歴史や文化的伝統が私たちの価値やお互いの関わりを形成したか、によって決まります。

 ですから、人類全体とのある種の普遍的な一体感のなかで、人権の重要性か増していることには、深く称賛に値するものがあります。この前、パキスタンで洪水がありました。私たちはそこに暮らしていませんし、そこで暮らす人を誰も知らないかもしれません。しかし、被害にあった人たちを助けようとする衝動は、人間の深奥にある普遍的な衝動です。同時に私たちは、国家と同様に、より特定の連帯である家族、近隣の住民、同業者、コミュニティ、時には信仰のコミュニティ、労働組合、企業団体などによって、自分たちの人生を生きています。私だちが自らの過去やアイデンティティをいくら批判的に省察しても、善き生が“私たちを今あるものにしているコミュニティやアイデンティティのすべての外側に立つことを意味する”とは私は思いません。

 ですから、善き生を生きることは、ある意味では、特定のアイデンティ間の緊張のなかで生きることです。そのアイデンティティとは、私たちを形作り、定義し、また私だちか相互に持っている責任を特徴づけているものです。そして、より普遍的な願望として、人類というひとつのコミュニティを、私たちの行動や関心に対して重要な要求をする存在と見なさなければなりません。ですから、ある意味で、善き生には、私たちのアイデンティティ、忠誠、道徳的責任の普遍的な特徴と、特定の特徴との間の緊張と共に生きることか伴うでしょう。

 これは善き生を生きるための秘訣でも、どうやって正確に生きて選択するべきかについての概要でもありません。しかし、ジレンマに遭遇したり、緊張と共に生きたり、競合するアイデンティティのなかで生きることが失敗ではないと知るのは、ある種の慰めとなりうると思います。これは問題ではなく、人間であるということの一部なのです。
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サンデル教授の対話術

『サンデル教授の対話術』より

あなたが講義で自分の意見をほとんど言わない理由は何ですか。

 私の立場、“こういった事柄を私かどう見るか”について、学生たちには率直に知ってもらいたいと思っています。異議を唱えるのは自由ですし、実際に多くの学生はそうします。そして、私たちはとてもいい議論を行えるのです。

ある問題に関して、そゐそも問題が何も無いと感じている人は、対話に参加しません。こうした学生を日常の問題に関しても積極的に関わるように促す方法はありますか。

 民主的社会におげる公共的言論のレベルを上げるために、私たちかできることは数多くあると思います。確かにアメリカにおいては、私の見解では、公共の場での議論は比較的低いレベルにあると思います。重要な問題についての関心は高くなく、政治において道理にかなった意見は、あるべき数よりも非常に少なくなっています。私の印象では、これは多くの民主的社会においても同様です。

 私たちがすべきことの一つは、民主的な企てを再び活性化する手段として、この社会における公共的言論の質を高めることだと思います。その面において、教育機関は特に大きな役割を担うでしょう。学生には、公民的教育によって備えがなされなければなりません。つまり、彼らは大学在学中にこうした社会の大きな問題と向き合わなければならないのです。

 メディアが担う役割も大きいと思います。公共の場での言論の質は、部分的にはメディアが何を提供し、要求し、示すかによるからです。多くのメディアは、怒鳴り合いのような争論や、視野の狭い議論を取り上げます。私は、メディアは、真剣な議論と礼節に基づいて意見の不一致を明らかにするための場を提供する必要かあると思います。

 最後に、政党も公共的言論の質を高める上で重要な役割を担っていると思います。しかし、国民がそれを要求するまでは、達成されるとは思いません。つまり、教育機関やメディアか、より良く、高尚な公共的言論を作り出せるかにかかっているのです。

教師にとって、学生たちを授業に集中させることはとても重要です。あなたはどのようにして今のスタイルを思いついたのですか。

 一つ実践的なアドバイスをしましょう。これは、私の専門の政治哲学だけではなく、すべての科目に当てはまる一般的なことです。

 私は、教えることの非常に重要な部分は聴くことだと思っています。私たちは、教えることとは、学生たちに情報を与えて彼らに講義をし、時には説教をすることだとさえ考えがちです。しかし私は、教えることの重要な部分の多くには、聴くことが深く関わっていると思います。

 学生に講義している時、私は頭のなかで自分が提示したい議論や題材の順番について考えています。講義中のソクラテス的対話のなかで学生が提示した議論やその理由を聴いている時にも、私は、“話している学生は自分では十分に明確に表現できていないけれども、その学生の意見の背後にある理由は何だろうか”と耳を澄ましています。学生の意見の背後にある、正に根本的な思想であるかもしれないものに近付けるよう、学生の答えを多少言い換えることもあります。

 聴くことに関して、教師の立場からは、もうひとつ重要な点があります。それぱ、今説明したような、行ったり来たりしながら議論を表すこととは関係ありません。

 それは、こういうことです。講義があまりうまく進んでいなくて、学生たちが混乱したり、退屈したりしている時、私はそれにすぐに気か付きます。なぜだと思いますか。講義がそのような状況の時は、学生がやたらに咳をしたり、足をちょっと動かすなどの音が教室内で聴こえてくる″のです。以前は、咳は無意識の反射作用だと思っていましたか、そうではありません。なぜなら、私がうまく講義を進めていて、学生たちも講義に没頭して注意深く聴いている時は、誰も咳をしないからです。私かあまりうまく講義をできていなくて、学生だちか退屈したり、混乱している時は、ものの二、三分で咳が聴こえてきたり、足を組み替えたりする学生か出てきます。突然、紙が動いたり、笑い声も聴こえてきます。

 その意味では、学生とのアイコンタクトも、重要なヒントとなります。これは、私は教師として常日頃よく感じていることで、すべての教師に当てぱまるに違いないと思います。教師が、丿目分か学生と通じ合っているかどうか、学生が理解しているかどうか″を確かめるには、学生の目を見ればわかります。これは、科目にかかわらずー自然科学でも、哲学や歴史などの人文科学でも、また初等教育であっても-1当てはまる一般的なアドバイスです。
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太平洋戦争開戦時の集団的浅慮

『グループ・ダイナミックス』より

政府首脳の決定が国家に甚大な被害をもたらした事例としてすぐ頭に浮かぶのは、太平洋戦争開戦の決定である。当時、経済力ならびに軍事力において日米間には圧倒的な差があった。1941年の石油生産量は、アメリカは日本の527倍、鉄鋼や石炭などの主要物資生産高は76.7倍,海軍力(船舶保有トン数)は2倍であった。この決定が集団的浅慮の症状や原因にどの程度合致するのか検討する。

 ① 集団成員相互の同調圧力
  閣議や最高首脳会議(大本営政府連絡会議)などで開戦に異を唱えることは、かなり自由に行われていたようである。事実、1941 (昭和16)年11月5日に行われた開戦の決意を固める御前会議の直前に開かれた大本営政府連絡会議では東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相は開戦に激しく反対した。それから11月29日の開戦直前の宮中での重臣会議でも、非戦の主張が少なからずあった。ただ当時日本が大陸に所有していた権益を無にすると思われるアメリカのハル国務長官の要求、いわゆるハルノートを受け入れることができなかったこと、戦争終結に関しても、星野直樹元内閣書記官長は「今から考えれば早く戦争を止めるべきであったが、当時は敗戦や戦争終結を口にすることは犯罪とされていたので、誰もなかなか言い出せなかった」と証言している。わが国では圧倒的な社会的気運がある方向に動こうとするときそれに協賛せぬものは非国民となると述べている。根拠のある独自の思考よりもみんなの「空気」に和すること、気配りが重要な徳目とされている。

 ② 自己検閲
  先ほど述べたように、非戦の主張はあったが、ハルノートを受け入れることができなかったこと、それからすでに日米開戦を想定しての準備も行っていたことなどもあり、自分の身命を賭し戦争を阻止するために行動した最高指導者はいなかった。

 ③ マインドガードの発生
  政府首脳集団は一枚岩ではなく、マインドガードの役割を果たすような人物の存在は確認できない。

 ④ 表面上の意見の一致
  上述のように強い反対意見もあり、意見の一致はなかった。

 ⑤ 無謬性の幻想           ″
  杉山元参謀総長は開戦直前の会議で「連合国兵士のうち白人本国兵は30%にすぎず、あとは戦闘能力の低い現地兵である。日本の方が陸海とも編制、装備、素質に優れている。それに連合国の兵力は広大な地域に分散し、共同作戦が困難であるばかりでなく、インド、オーストラリアからの増援も困難である。奇襲攻撃で先制し集中攻撃によって連合国を各個撃破する」と言っている。それから永野修身軍令部総長も「米の艦隊の6割しか太平洋にいない。英の大艦隊が来る可能性もない。ハワイ奇襲作戦が成功すれば2年間は十分戦える」と言っている。

 ⑥ 道徳性の幻想
  政府首脳らは、八紘一宇、大東亜共栄圏のスローガンを掲げた。近衛文麿内閣の基本国策要綱には「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(国のはじめ)の大精神に基づき、世界平和の確立を招来することを以て根本とし先ず皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するにあり」とある。八紘一宇は日本書紀にある言葉で、全世界を統一して一軒の家とするという意味である。要するに日本が全面協力してアジア民族を白色帝国主義から独立させ、東アジアに白人の力が及ばない日本を中心とした共栄圏をつくることを意図した。そのために日本の南進は侵略ではなく新秩序の建設と考えた。

 ⑦ 外集団に対するゆがんだ認識
  陸軍のある高官は「アメリカは多民族の寄せ集めで、愛国心はない。兵隊もダンスはうまいが、鉄砲は下手。それに対して皇軍には比類無き志気がある」と言っていた。

 ⑧ 問題解決方略の拙さ
  軍は長期戦の見通しがなかったことを、島田繁太郎元海相は次のように証言している。開戦2年の間は勝利する確信があるが、米英の本土を攻略する力はない。相手が動員体制を整えて反抗してくるだろう3年目以降については予見できなかった。そのために相手の事情も考えず、身勝手な楽観的な見通しを考えた。例えば、南方の資源を確保すれば自給自足しながら戦える、インド洋を制圧すればイギリスは資源不足になる。そのうちドイツが英本土上陸をやるだろうから、そうなればイギリスは脱落し、仲間を失ったアメリカも戦意を喪失する、そのときに中立国を通して工作すれば有利に戦争を終結できる、このように思い込んだ。それから日本の先制攻撃がアメリカ世論を激高させ志気を高めることも、あまり計算していなかった。また日本政府と駐米大使館との連絡は、アメリカの暗号解読により全部筒抜けであった。
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シェアする世界

未唯へ。

 あなた達の世界はシェアする世界にしていきませんか。動物をシェアするのは難しいですね。

作ること・買うこと

 来月もラインが動くのは半分以下。作ってナンボから、使ってナンボの世界にシフトすればいいです。従来の半分しか作れないとしたら、価格は上がります。

 部品も分散して買わないといけなくなる。安く作ることが難しくなる。電池なども、リユースするために、どこにあるかをトレースするカタチになります。売りきりではなくなる。管理が前提です。l

 お客様の方も、家族分買うだけのお金がなくなります。諸経費を無くすには、台数を少なくするのが一番です。

使う世界

 どっちみち、作ることはできないけど、お客様はドンドン使っていきます。

 プラグアウトも現実なものとして、やっていきます。スマートグリッドに参画できます。その時に、重要なのは自分たちでやることではない。行政を使っていきます。

 それはレンタのようなちんけな世界ではない。構造を変えていくことです。メーカーの総力を挙げていきます。人員の配置とか、店舗での教育を含めて、お客様に要望に応えます。

家の中のシェアリング

 家の中のシェアリングから始めよう。家計簿みたいな位置付けで、家族のスケジュールを決めていかないといけない。それぞれが一台ずつ使うものを共有していきます。

 家の中のコミュニケーションのベースになります。逆に考えることも可能です。それをSNS的な感覚で行えば、新しい環境が提供できます。家を超える時は、お客様状況ファイルを活用します。

ケータイによる予約システム

 ケータイのアプリは学生とドコモで作ってもらえばいい。簡単にできます。予約システムのような考えを入れればいい。設備が3つしかない。お客様は大勢いる。その設備をどのようにスケジュールするかです。

 同様なシステムを、研究開発部署の耐久ベンチのスケジュールで作ったことがあります。人工知能のイベント駆動のロジックを使ったら、簡単にできました。

 それによって、予約システムのケータイアクセスも変わってきます。もっと、気楽で強力になります。その中に、コラボレーション機能を入れれば、話し合いの場ができます。

 重要なのは、それをコミュニティーに対して、行政に対して、仕事での活用に対して。拡大していく。

 予約システムをオンラインでできるというのは、本来、そういうことです。汎用的で、ケータイでできて、ライブラリを皆でシェアする世界です。発想自体が変わっていきます。

家庭内コミュニケーション

 我が家は、夫婦で2台持っているけど、使用頻度とかタイミングからすると一台で十分です。夫婦間のコミュニケーションがないから、2台あるだけです。

 家庭内のコミュニケーションができれば、負荷なしに調整できます。

販売店からの支援

 その中で、足りない部分を、リース会社とか、販売会社が提供すればいい。お客様状況が分かっていれば、いくらでも提案はできます。

 これらはエネルギー問題に対しての解決策にもなります。最初から、リースで考えるのではなく、コミュニケーションから考えて、リースにしていくという世界です。

 販売店要望の一つの答は、売る世界ではなく、使う世界に関することはシェアです。独占する必要はない。

マーケティングの活用

 グーグルにしてもしてもシェアです。ライブラリもシェアです。自分の都合で独占するよりも、もっと、いい世界があります。シェアする世界です。

 グーグルも独占するわけにはいかない。シェアする支払いをマーケティングにしているだけです。マーケティングを使えば、かなりのことがシェアできます。

 重要なのは、それぞれの人が犠牲になるのではなく、自分の状況をハッキリさせて、そのなかで使っていくことです。

 所有物は限定されます。これが新しい民主主義です。

ライブラリの決着

 ライブラリは今年で決着をつけます。これまで参画した企業を進化させます。これはパートナーとは別に、私の仕事にします。そこから、コラボレーションの感触も得てきます。

 お客様とシェアするためには、お客様状況のデータを使っていきます。販売店から始めましょう。それも雑多な販売店から始めます。

 メーカーの機能には頼らない。販売店のライブラリを行う分については私の範囲です。ライブラリに参画している販売店だから、それなりの意識があります。

 ベースはお客様が使えるようにするにはどうしたらいいか。今こそ、つながるときです。
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