goo

人はなぜ戦争をするか

『ギリシア哲学入門』より 『世界平和実現』への理念と方途

戦いは万物の父

 旧約聖書はイスラエル人とパレスティナ人との絶え間のない抗争の記述である。ギリシア文化はトロイ戦争で始まり、ペルシア戦争の勝利で絶頂期を迎え、アテネとスパルタとの二〇年に亘る抗争で滅亡した。日本の歴史は神武天皇の東征で始まり、先住民を北方へ追い詰めながら領土を拡大し、源平の戦いから戦国時代を経て、昭和二〇年の敗戦にいたるまで、戦争に継ぐ戦争の歴史である。しかし、このことはまた、社会の現実を見ても明らかである。社会の現実とは、地球上における人類の配置である。すなわち、ある民族は土地肥沃、気候温暖な地方に住み、他の民族は凡そ生存には不適な砂漠地帯に住み、あるいは、極寒の地方、あるいは、酷暑の地方に住んでいる。

 このような相違はどこから生じたのか。言うまでもなく、主として、戦争によってであろう。人類は、何千何万年に亘り、自己保存と自己拡大のために、より良い土地を求めて争いあい、この生存競争の結果、強い民族が弱い民族を押しのけて住みよい土地を獲得し、弱い民族は次第に住むには悪条件の土地へと追いやられた結果が現在の諸国家の配置である、と言ってもあまり的を外してはいないだろう。

 歴史上、古代から中世へかけて繰り返された「民族移動」や近代に入って全地球に横行した「植民地の建設」とはそういうことであり、その結果、後からやって来た強い民族は土着の弱い先住民を完全に追放抹殺しなかった場合には、インドにおけるカースト制度が示しているように、征服者アーリア人は支配階層として先住民のドラヴィダ人を奴隷化したのである。すなわち、社会の中に階層制度があるということ自体が、その社会の成立において戦争があり、勝者と敗者があったことを示しているのである。

生の必然的条件の確保

 さて、人間は生きるためには一定の土地を占有し、食料、衣服、住居を確保しなければならない。プラトンが国家成立のための必要最小限の条件として挙げたこれらの事柄は、人間が存在しうるための条件である、と言ってよい。それは、人間が存在欲求である限り、人間であることの農質である。

 それゆえ、もしもある人間(民族)がこれらの条件を欠く事態に至れば、すなわち、住む土地を奪われ、食料、住居、衣服にもままならぬ事態に至れば、人々は必然的にこれらを求めて争いあうであろう。そして、争いがその時どのような結末に終わろうとも、敗者は勝者に対して怨恨と憎悪を抱き、その憎悪は何代にも亘り潜伏して持続し、やがて復讐のための戦争を忘却の彼方から呼び返すであろう。

強さは美徳

 存在欲求である人間の本性を、自己保存、自己拡張と見れば、以上に述べたことは当たり前のことである。そこから、人間は強ければ強いほど良い、という観念が生まれてくる。強さ、勇気は人間にとって、最高の美徳の一種とさえ考えられてきたのである。

 カントは『永遠平和論』の中で、戦冷々起こすためにはなんの特別な動因をも必要としない、と言っている。それは、「不正な加害から身を守るため」というようなまことしやかな理由がなくても、人々は戦争を起こす、という意味である。すなわち、戦争は人間の本性に接木されていて、なにか高貴なものと見なされ、特別に利己的な動機がなくても、名誉心から容易に起こされえたからである。

 強さの現れである戦争自体のうちになにか尊厳があるかのように、人々には見えていた。スペインやポルトガルは南米大陸を植民地化することに、また、イギリスはインドを植民地化することに、ほとんど罪悪感を抱かなかっただろう。それは、「強いことが良いことだ」という観念によって人間が生きてきたからである。

 それどころではない。かれらは、未開野蛮な習俗や宗教を撲滅し、野蛮人を文明化することは善行である、という強者の自惚れさえ持っていたからである。紀元前五世紀に、古代ギリシアで、ソフィストのカリクレスやトラシュマコスが言ったように、「道徳とはただの建前であり、実は、強者が弱者を支配することが自然の定めであり、それが正義である」と本当は人々が考えていたからである。

 さて、以上は、二一世紀になっても人間が戦争を止めない理由の極めて単純化した説明である。戦争は無数の罪悪、災害、苦悩を惹起するのに、人間はなぜ戦争を止めないか。それは、人間が存在欲求であり、存在欲求は生存競争を引き起こし、生存競争に勝つためには強くなければならないからである。その結果、強いこと自体が美しいことに見え、最高の尊厳を持つに至ったからである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

公共という概念

唯へ。

 昨日の堂島ロールはどうでした。今後、月曜日に名古屋の食べ物を三人分買っていきます。今回は来週を含めて、2回分です。25年前に、毎週水曜日に少年マガジンを買っていった時以来です。

最大限のこと

 この時期に、これだけの環境と時間をもらった。それに応えるためにどうするのか。私はそれに応えているか。最大限のことができているかどうか。

 それを人の性にしてないかどうか。そんなことを朝3時から考えていた。

環境問題セミナーへの参画

 環境問題についての日本の悪さは、環境問題の組織に入っていないと環境問題は考えさせてもらえないということです。

 8年前の環境学習施設での視察団の時も、我々3人は素人です。あとは何らかの組織から来た人です。彼らは、自分のテーマ以外は興味がない。実際に、報告書を書いて、次の市民会議での検討グループT-GALsを作ったのは、我々だった。私はICレコーダーに海外の専門家の言葉を録音して、それを書き起して、皆にレポートしました。

環境問題の専門家

 仕事をしながら、環境問題を考える。仕事をしながら、原発問題を考える。そのフローを作っていかない限り、専門家が市民側には来られません。単なる環境ジャーナリストとか原発反対を唱えて10年とかの人だけになります。

 企業はモノを作るしか能がない。その能を使っていかないといけない。何を作るかは環境問題などトータルで考えていく。そのためにも、企業の内部のさまざま人にも声を掛けていかないといけない。組織の隙間を狙うことです。

 環境学習施設の設計者には循環の発想がありません。環境学習にしても、すぐに「上流」「下流」となり、「下流」であるところの焼却場でおしまいです。「上流」「下流」が逆になることは考えないですね。

環境は循環がキー

 デンマークのカルンボー市ではないけど、循環をベースにして、回していく。熱エネルギー一つとっても循環する。

 次の社会を考えた時に、お客様データベースの意味合いはさほどない。あるのは、市民との間のシェアをするための市民間の状況を把握でき、コラボレーションできるものです。

ThinkとAct

 環境問題を担当している人を見ると、何かを行って、名前を上げることに汲々としている。

 Thinkより、Actを重視するから、動けなくなります。そういう人だけでは自分の立場を守るために動けなくなります。一つ、始めたら、すごい手間です。そういう人の集まりでは、お互いの軋轢でダメになります。先ず、しっかり考えて議論することです。行動したい人は、そこから配置してもらえばいい。

歴史とエネルギー

 「歴史とエネルギー」これはポイントです。歴史はエネルギーで変わってきました。なぜ、エネルギーが必要か。人が増やせるからです。国勢が増やせるからです。

 太平洋戦争における、日本での石油が歴史を変えてしまった。石油とアラブにしても、一番大きな所です。

 歴史を変えると言っても、エネルギーをローカルに持ってくるだけで可能です。様相が変わります。その管理能力を市民を持っていません。個別では大変だから、コミュニティで行います

公共という観点

 なぜ、図書館のような環境があるのに、大人の男性は使わないのか。これは日本人の体質とも関係します。

 これを太平洋戦争とつなげます。作ること主体になっていると、専門家に任せます。太平洋戦争の政策でも専門家に任せました。ところが、専門家がいなかった。そこで、決まったことは、単にやるだけです。それが自分たちの「責任」です。

 図書館という観点を持っているのは、いいですね。公共という、市民から作られたモノ。この公共という概念が今後のポイントです。これが、循環の次のステップであることは、数学でも実証されています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )