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ニーチェ『ツァラトゥストラ』の影響が出ている

未唯へ。スッキリした天気にならない。寒い。さあ!やろうと思ったけど、寝よ。

昨日、放送された「100分de名著」のニーチェ『ツァラトゥストラ』の影響が出ています。ニーチェも知らないといけない、結局、未唯への手紙を自分でやっていると言うことです。これは人へつなげるものです。ニーチェにあったけど、失敗するための試みは偉大である。周りの人間は見てみない振りをする。または邪魔をする。その二種類しかない。

どうも、私みたいな孤独な人間にはニーチェはあっている。ニーテェは勇気を与えてくれます。

ジンメルの社会分化論にして、個人と社会との関係は、その間のグループの大きさによって、中身が変わっていく。組織ができたことで、分化していく。分化によって、疎外を起こしていくのが社会です。ジンメルからすると、未唯空間は完全に社会学です。

常備軍から国民軍に移った時に、非日常が出来てきた。常備軍にとって、戦争は日常でした。国民軍にとって、戦争は非日常です。それで、変な分化が起きてきた。国民軍が市民に戻る時に、非日常と日常が合体するのです。同じことが、社会にも、会社にもいえます。分化させたところで、それを合体させます。

これは専門家とふつうの人との関係も一緒です。専門家に分化したけど、結局、皆で考えた方が絶対に儲かります。これは国民軍と一緒です。その発想で変えていく。皆が専門家になり、専門家が皆になる。道具が進んでくると、技術者とふつうの人の間の日常と非日常が同一になります。これがテクノロジーの進化が果たす役割です。皆が工夫して使えるようにすることです。「使う」ところはふつうの人の方が専門家です。

社会学的にシェアに向かうと言うことは、非日常と日常が一緒になると言うことと、分化したものが同一になっていくということです。なぜ、常備軍と国民軍があるかというと、それは数の差です。

中国の農民は、戦争があっても、ふつうに働いてきました。ところが、八路軍では、土地を与えるという餌で持って、この根底を覆した。そこから、中国の悲劇が起こっています。コントロールが効かない。では、中国はどうなっていくかです。分解するのは確かですが、そこからどういう社会を作っていくのか。

なぜ、哲学は自分のところで止めておくのか、他とかの関係とかやっていけばいい。社会学とか歴史学とつながることで、もっと、色々なことができるようになる。本来、未唯空間、未唯に渡したかったものは、そういうところを数学で解いてほしかったのです。未唯は動物の方に行ったから、私が手伝っています。

専門家を解放する方法は、モノに入れ込んでしまうことです。今回の原発にしても、モノに入れ込んでなくて、技術でやろうとするから難しいのです。そうすると、専門家は色々なことを考えて、色々なことをやって、結局失敗します。

今、一番必要な専門家は、予測する専門家です。それで事前対策が打てもス。事後の専門家は何の役にも立ちません。研究開発部署での専門家は何をしたかというと、自分のデータベースを揃え、それでシミュレーションをして、依頼者に対して、いくつもの答を出して、その中で、最適なものを出しました。

初めて、専門家とかプロを見た。それ以外のものはプロではない。だから、私もプロになることにしました。そうでなければ、何千・何百の結果から部品を選べないです。ましては、それから、新機能の商品を作ることもできなかったはずです。電気をいかに回収するかを、ゼロから作りました。その前のエンジンの開発技術を活用しました。

3月のブログ件数は2月の3倍です。これは震災もあるけど、ICレコーダーの性です。朝、考え始めると、すぐに50から100になり始めます。つぶやくことに飢えている。言いたいことが一杯あります。
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