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「アレクサンドリア」のヒュパティア

ヒュパティア(Hypatia)は、数学者テオンの娘であり、父親から勉学の手ほどきを受けた。彼女の造詣深い注釈は、アポロニオスやディオパントスの幾何学に輝きを与えた。彼女はアテナで、アレクサンドリアで、プラトン、アリストテレスの哲学を一般の人に教えた。美しく、洗練された知恵をもつ控えめなこの未婚の女性は、愛人を退け、弟子たちを教えた。地位を誇る人たちは、この女性哲学者を訪れるためにじっとしておれなかった。

ヒュパティアは、ローマ帝国の終わり頃に生まれた。時代は、女性がそのキャリアを自由に伸ばせない頃であった。これはまた、因習的な信じ込みが科学的発見を退ける時代でもあった。古いギリシアの著作物が燃やされ、学者たちはひどい目にあわされた。ヒュパティアは、ヘレニズム時代の不思議さを持つ最後の人であった。読者は、アメリカや、そして実に世界全体の多くの最新事情に不思議に似かよったものを見ることであろう。ヒュパティアは、実在の、歴史的に文書に裏付けられたヒロインで、今日の若い世代が求める、強い、そしてフィクションでない人物像である。

女性が、技術者や物理学者同様、数学者であることは稀である。その希少さは、詩人や画家に較べても、まことに重大なことである。その結果、「女性の数学者」の研究は、それを始める前から重大な危機にある。というのも、20世紀に至るまで、そういう議論をつくるための継続的な伝統というものがなかったからである。

哲学者であり数学者であるヒュパティア、紀元後415年にキリスト教の暴徒によって殺されたのは間違いなく歴史的事実である。その彼女は、言い伝えられてきた人たちの中で最も古く、創始的な人物であり、彼女の生活、活動についての諸問題は、いろいろな問題を指し示していくことになると思われる。というのは、もしわれわれが、ギリシアの数学者の中から誰か他の人を何かの「代表」として挙げることになったら、彼等の生涯について知られているほんのちょっとのことを元に、それを一般の形にするのは難しいことであろう。たとえその仕事が物語を作る基礎になったとしても。ヒュパティアについては、事情は全く異なる。彼女の生涯は、他にないほど、後のキリスト教徒の著述家たちにより、好意的、あるいは敵意的な説明で、一般のギリシアの数学の中に文書化されている。特に、彼女の献身的な弟子であったリビアのシレーヌの司教シネシウス(Synesius)は、彼女にいくつもの手紙を書いているし、彼女の生活や教え方についても相当詳しく書いている。彼女の数学者としての能力については、書いたものが沢山あり、またその仕事のタイトルもいくつか残されている。一方、ヒュパティア自身のものとしてあるテキストは現存しないし、「ヒュパティアの定理」と名のつけられたものもない。彼女自身のものというものは発見されていないのである。ヘロンについては、すでに述べたように、業績は残っているが彼がどんな人だったかは何もわからない。ヒュパティアについては、事情は全く逆である。

彼女の生活、彼女の哲学については、文献はいろいろある。(シネシウスは、数学にはあまり関心はなかったようである。)マリア・ジェルスカ(Maria Dzielska)の著書(1995)は、近年のすぐれた文献である。ジェルスカは17世紀以来の彼女にまつわる神話から述べ始める。それは、上に、この節の初めにも記した。彼女はキリスト教の犠牲者であり、古い学究の新しい無知の者による死である(Gibbon)。女性崇拝の聖像であり、(たとえば)マリー・キューリーの先駆者である(Margaret Alic)。ヨーロッパの規範をアフリカに押しつけた一つのシンボルである(Martin Bernal)。ジェルスカはヒュパティアを、数学、天文学、新プラトン的哲学↑9を、クリスチャン、異教徒にかかわらず教えた影響力のある先生としての納得できる像を描いている。
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今回の震災は第二の敗戦、という評論家

未唯へ。今、起きて日曜日だと知って、ホッとした。会社イヤイヤ病ですね。

ジンメンの「社会的分化論」。個人と社会との関係を定義した、社会学の古典。すべてを証明するわけにはいかない。リーマン予想を信じて、無限次元が存在するものとします。個人と社会との関係はあるモノとします。その間にグループを入れます。

歴史の本を見ていると、感じるのですが、皆、細かいところをやっています。それか大きいところをやります。私が知りたいことは、大きいところです。歴史とどう変えるかです。当然、歴史がどう変わるかというのが裏にあります。それがないと変えることができません。

これでも、60歳まで生きてきました。何もしなかったわけでもない。「アレキサンドリア」にしても同じです。自分が知りたいことことが全てです。それは非常に大きいことです。図書館も守っていません。単に、本を持って逃げただけです。最後に、哲学者と主張したけど、単なる、異教徒として、殺されただけです。その覚悟だけしておけばいいんじゃない。

どちらかに組みしないといけないとか、組織の中に入らないとか、その中で葬式をうけるとかは、関係ない。組織に入っている理由は、葬式を受けるためです。そこから外されるのが恐くて入っている、生き方の覚悟を決めないといけない。といっても、これしかない。

「これは第2の敗戦だ」だから、復興と言っている評論家がいる。それ以前に、太平洋戦争は起こったのか。どうすれば、起こさないですんだのか、を分析しないといけない。

アメリカに対して、あまりにも無謀な戦い、成り行きでそうなっただけです。日中戦争での20万人の犠牲をそのままにして、300万人の犠牲を出した。20万人の段階で、救う手はあった。敗戦してみて、分かったことです。今回も同じことをしないことが、戦略ではないのか。

アメリカがそれだけの力を持っているのは予想外だった。そうじゃないでしょう。力ではなく、そう出てくることを想定していなかっただけです。自然も含めて、多くの力を持っている。高々、100年ぐらいの知識は及ぶはずはない。10,000年の範囲で見る力がなかった。

それと同等なことが、ナチの第六軍にも言える。ロシアがもっと弱いと思っていたら、強かった。弱いと思った理由はフィンランドに対して苦戦していたから。そこで出掛けて行って、出掛けて行って、全滅した。その後ろには冬将軍が居た。国を守るフィンランドが強かった。そこを全然見ていなかった。

皆、想定外。そうじゃないでしょう。勝手読みです。予測できたことであり、対策できたことです。同時に、次を考えることです。原子発電をどうするのかが、皆に開示されていない。5年前の国会討論で、福島原発の発電設備を津波で持っていかれたら、どうするかの議論がされていたという、事実は話題になっていない。

太平洋戦争の時も誰もイニシアティブを取らずに突入していった。原子力発電もナアナアできている。チェルノブイニの時に、ヨーロッパでは皆でディスカッションされた。フィンランドは原子力発電なしには生きられないので、徹底的な防御を掛けた。日本の場合の原子力はすべて、コストメリットです。今回のことで、対応には10兆円掛る可能性が出てきました。コストメリットが成り立ちません。今こそ、アゴラです。皆の意見を聞くことです。「がんばれ!日本」ではない。

復興するにしても、新しい視点を入れないといけない。10階建てにして、最上階には全員が集まれるようにするとか、これなら勝てるようにする。同じように、平屋にするのはいいけど、10階建て、アパートで囲うことです。そんな風景を見たことがあります。ペテルスブルグのアパート群です。

誰も答を持ってはいません。なのに、大きな顔をしているのはなぜなのか。ずっと、この世にいるような顔をしている。この間来たばかりではないのか。組織自体にも、存在と無があります。無くなっても誰も構わない。自分たちはそこで存在かもしれないけど。ましてや、組織の中の個人はどんな人でも同じです。
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地球環境と生態系の長期変動を明らかにする

3.11クライスにも関係する概念を見つけました。感動的です。それの一部を記録します。

私たちはどうしても、人間生活の時間スケールにとらわれます。生態系のことを考えるなら、見ている対象の生物がもつ時間スケールで考えなくてはならないのは当然のこととはいえ、言うほどに簡単なことではありません。100年に一度のササの開花や巨大な台風の来襲は、生態系にとっても大きな変化をもたらす現象です。このような100年に一度の現象は、人間には一生に一度経験できるかできないかというものです。しかし、1000年以上生きる樹木にとってみれば、100年に一度のまれなできごとも、一生のうちに10回くらいは起こる現象です。頭でそのことを理解しているつもりでも、なかなか実感はできません。

長期間の研究はなぜ必要か?

生態系は常に変化しつづけています。その変化やメカニズムを理解するために、いろいろな手法が開発され、短期間の研究でも分析的に解明できることが多くなってきました。しかしそれでも、長い時間の観察や、広い範囲をつないだネットワーク、大規模な実験などを用いて初めて解決できるような、本質的な問題は最後まで残ってしまいます。

たとえば、生態系を理解するために、数十年あるいは数百年に一度というようなまれな出来事が重要な場合があります。何十年もかけてゆっくりと変化する現象もあれば、その変化自体が毎年の大きな変動を繰り返しながら進んでゆく場合もあります。こうした変化のメカニズムを知ろうとするなら、複雑な食物連鎖のしくみやエネルギーの流れを理解することも必要になり、長期間をかけて生態系レベルで実験することも必要になるでしょう。

また、非常に広い範囲で共通して起こる現象があり、加えてそれが地域や環境によって異なったふるまいを示すこともあります。こうした場合には、同じ現象を研究する仲間のネットワークを通じて、比較研究を行うことになります。

こうした「長期間・広範囲」で生態系をとらえる研究は、近年の地球環境問題の解決にも重要な役答を果たすと考えられています。ここでは、そのためにどんなことが行われているのかについてお話しします。

長期生態研究のネットワーク

このような長期にわたる生態系変動の重要性は1970年代の後半から認識され、米国では1979年から、長期生態研究(LTER)のネットワークが設立されました。その後、この動きは各国に広がり、1990年代にはそれが国際的なネットワーク(ILTER)に広がり、30以上の国と地域のネットワークが参加し、共通のデータベースづくりや共通メニューによる実験、生態系や生物多様性の地球規模での観測事業への参加などを行って、温暖化や生物多様性など、地球規模の環境問題に対応した貢献を行ってきました。日本でも1990年代から関心が高まり、多くの研究者が個別にさまざまな活動を行ってきましたが、2006年に正式な組織(JaLTER)として発足し、lLTERにも加盟しました。

おわりに

生態系がかかえる問題を理解するには、以上のように長期間にわたる研究や、ネットワークによるデータ収集、大規模な実験などが重要な役割をはたす場面が少なくありません。とくに、近年の人間活動がもたらした環境変化の影響を知るには、長期間の観測が必要になるでしょう。温暖化の問題は、過去の人間活動によらない気候変化に較べて変化のスピードが著しく速いうえに、土地利用変化など他の人間の活動が複合的にかかわる可能性が高いため、自然に生する変化とは質的に異なります。気候変動の予測そのものが不確実性を持つうえ、生物や生態系も複雑な相互作用系をもつので、変化を見つけ出したりその対策を行うためには、長く・広く生態系とその変化を見続ける研究手法が不可欠なのです。
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