『テロリズムと現代の安全保障』より 協調介入あるいは新帝国主義時代の到来
現代の帝国主義とは
アフガン戦争、イラク戦争を受けて、帝国主義論が興隆した。論者によって概念はさまざまだが、ひとつの共通点があった。それは米国の「単独行動主義的傾向」や「一極支配」に注目し、米国を帝国とみなしている点である。つまり、米国を古代ローマになぞらえて、あたかも米国が世界を支配する野望を持っているかのように論じていた。しかし、「帝国主義論者」がその主張の根拠としたアフガニスタンやイラクヘの武力攻撃が原因で米国は苦境に陥り、また経済面でも世界に金融危機の一因を作った。現地では混乱が続いており、安定化への出口が見えない。このため、2009年にはオバマが米大統領になり、米国による一極支配論や帝国主義論は影を潜めた感がある。シリアヘの不介入、イスラム国に対する地上軍による介入の見送り(空爆のみ)は、この傾向が続いていることを示す。
本書で言う帝国主義とは、ローマ時代の帝国主義ではなく、列強による帝国主義をモデルにしている。19世紀に欧米(遅れて日本)は世界を分割して、植民地支配を行なった。この19世紀型帝国主義は、第2次世界大戦後の植民地独立により終了した。かつての列強も新興独立国も、法の下では平等な主権国家となった。国家主権の尊重と内政不干渉が、世界の原則となった。しかしながら、現代の列強、たとえばG8プラス欧州連合(EU)・中国が、必要とあれば一国の主権を無視し、そこに干渉することが許容される、あるいはさらに進んで正当性を持つとみなされうる世界の到来、換言すれば19世紀型帝国主義の復活の可能性を示唆するのが本書の見方である。
この場合の帝国主義とは、必ずしも大国の利益のみを追求するものではない。むしろ、人類の公共益とも言うべきものの達成を目的としている場合も考えられる。たとえば、テロ対策や大量殺戮の阻止、飢餓の救済、大規模感染症対策などである。したがって、「帝国主義」という表現は適切ではないかもしれないが、それでも一国の主権を侵害する可能性のある行動であることには違いない。
現代の帝国主義的政策は二国だけでとりえるものではなく、米国、ヨーロッパや日本、あるいは口シア、中国も含めた現代の列強が協力して初めて実現可能となる。「協調介入」という表現に置き換え可能である。なぜなら、一国あるいはその同盟国の一部だけが是とする政策では、人類の公共益の追求とは言いがたく、正当性に疑義があるからである。換言すれば、列強の間に合意を見れば、主権国家に対する干渉も合法・可能となる。他方、列強の間で合意が存在しないにもかかわらず、一部の国が一方的に帝国主義政策を強行すれば、正当性とともに必要な支援が受けられず、失敗に終わる公算が大である。イラク戦争がこの例に当てはまる。
「新しい帝国主義」の問題点
以前の帝国主義と異なるとはいえ、「新しい帝国主義」は、各国家の法の下の平等の否定である。すなわち、第2次世界大戦以後の世界の理念であった民族自決、主権の尊重、内政不干渉などの原則の根本的変更である。これまでも国連安保理における常任理事国の拒否権保持や、核拡散防止条約下での核保有国と非核保有国との取り扱いの差などはあった。だが、各国は不平等を承知の上で、それらの体制に参加したのである。
当該政府の意思に反して、軍事介入を行ない、新たな政府を樹立することは、1945年以後も事実上は行なわれたことはあるが、「新しい帝国主義」ではこれに公然と一般的正当性が認められることになる。冷戦が終結し、共産主義という対抗イデオロギーの消滅により、民主主義的価値が強調・意識されなくなり、大国の利益がより重視されるようになった結果だと言えば言い過ぎであろうか。9・11事件は歴史の転換点となるかもしれない。
しかし、中小国の主権が制限されるからと言って、それがただちに道義的に拒否すべきものとはならないであろう。主権国家システムの下では治安維持は各国の責任であるが、そのことと破綻国家には取り締まり能力がないという現実との葛藤がある。秩序と正義は、必ずしも同義ではない。独裁国家において秩序が保たれていても、それを正義が実現されているとは言えまい。両者のバランスをとる必要がある。大国による国際秩序の維持は、すべての国に平等の正義を与えるとは限らないのである。
問題は「新しい帝国主義」政策が、その適用に当たって、正当性を確保できるかであろう。二国の主権を侵害し、内政不干渉原則に抵触する行為、つまり国際法違反の行為をする訳であるから、説得力のある「違法性阻却事由」が必要である。テロリズムの脅威が深刻で将来も持続する可能性が濃厚であること、問題となっているテロ組織が当該国を拠点としている明白な事実があること、当該国にテロリストを取り締まる意思あるいは能力がないこと、介入に国際的合意(国連安保理の容認、または少なくとも地域機構の支持)があること、過剰な武力行使を行わないこと、一般住民の被害を最小限にすること、捕捉したテロ容疑者あるいは抵抗した当該国の戦闘員の処遇については然るべき人権を尊重すること、責任ある新政権樹立後は速やかに撤退することである。
以上の条件を満たさない場合には、次のような不幸な結果を生じるであろう。すなわち、対テロ国際連帯にひびが入り、内外の世論の支持を失い、将来のテロリスト誕生の種子を蒔くことになる。テロ対策としては、逆効果である。さらに悪いことには、民主主義国家の基本的理念を損ねて、介入した国にとって自己破壊となる。
コリアーは、テロ対策も含めて秩序の回復、紛争後の平和維持、クーデターの阻止のために、適切な軍事介入の必要性を論じている。統治不能となった国家(厳密に言えば、もはや国家ではないが)は、テロリズムだけでなく、感染症、麻薬生産および取引、海賊、大量の難民流出などで、他の国々に対して、災厄の源となる恐れがある。コリアーは、破綻前に国際的な保健機関が介入して天然痘を撲滅したソマリアの例を挙げ、破綻後ではそのような介入は不可能であり、現在でもソマリアでは天然痘が流行していたとする。それはソマリアだけでなく、人類にとっても不幸な事態であった。
極論すれば、仮想の例ではあるが、核保有国が崩壊し、核兵器システムの管理が危うくなり、テロ集団や密売組織等が核兵器・核物質を奪取する可能性も考えられる。そのように判断される場合、私的集団への核拡散を阻止する目的で当該国に軍を派遣し、核兵器こ似物質を押さえることは国際社会の公益である。そのような国は、あまり数が多くないので、予め核兵器・核物質の所在地を把握しておき、タイミングを逃すことなく介入しないと手遅れになる。
21世紀型帝国主義とは
「新しい帝国主義」は、使い方次第で、善にも悪にもなる。それは人類の公共益とも言うべきものに資するものであって、「全世界的な協調的介入」と称することもできよう。「列強(大国)」の力は極めて制限されている。それは、実効性ある統治とは、当事国の意思と能力に多くを負い、外国が強制して効果が上がる性質のものではないからである。対テロ政策に関して言うならば、外国にできることは、警察・司法改革など現地政府の統治能力向上に協力し、住民の政府に対する信頼構築を間接的に支援することである。
したがって、「新しい帝国主義」原則、すなわち主権制限や干渉が一定の条件で容認されるという原則は確立されても、適切な適用は容易ではないし、相当の労力が要る。軍事介入は最後の手段であり、その前に説得や経済的見返り・制裁を用いて、自発的に治安維持能力を向上させ、テロリストの取り締まりを強化させる努力は欠かせない。多くの場合、この方式が功を奏している。
米国の「単独行動主義的」傾向が懸念されていたが、破綻国家あるいはテロ支援国家への介入は一国だけでは難しい。軍事的にテロ支援政権を打倒することは可能であるとしても、国家再建の支援や、そのための経済的負担は他国にも求めざるをえない。何より当事国の国民の努力が欠かせない。米国を中心とする諸国は、タリバン政権打倒には成功したが、新生アフガニスタンの再建には、有効な手立てがない。これは何らかの理由によって、米国が後押しする国家再建が現地で不人気だからであろ
いかに軍事的に米国が他国の追随を許さないほど強力であっても、単独では帝国主義的政策を追求できない。正当性が必要であり、その確保には、国連安保理の承認が最も効果的である。国際的正当性の必要は認めつつも、中口や途上国を除外するため国連を迂回し、米主導の新たな組織の創設を訴える論者もいるが、イラク戦争を経て米国の権威が失墜した今となっては、この構想は消滅したも同然である。アリソンは、イラク戦争での最大の犠牲は、米国が第2次世界大戦後、世界のリーダーとして築いてきた信頼が損なわれたことだとしている(最大の犠牲はイラク国民の生命であるが-筆者)。米国はその同盟国や友好国、あるいは戦略的要衝の国および中国、ロシアとの協調が不可欠であるが、「新しい帝国主義」のための協調は、調整が容易ではない。このことは2011年に発生したシリアでの動乱に関し、シリア政府に収拾能力はないが、取って代わる勢力もなく、米欧中口および中東各国(トルコ、サウジアラビア、イラン、イラク)の政策も一致せず、解決の方向さえ見えないことが示している。
一国に公然と軍事的に介入し、新たな政権を樹立することには、同盟国同士でも複雑な利害が絡む。イラク戦争をめぐる米英豪と独仏の、本来、緊密に協力し合わなければならない国同士の対立が、このことを如実に物語っている。各国の利害が複雑に入り組むことは、「新しい帝国主義」に存在する内在的限界である。
将来、テロリストの脅威がより深刻となれば、大国はテロリストが拠点としている国への介入という選択肢を保持しているが、それには大国間のコンセンサスが必要である。単独行動主義と新しい帝国主義とは、両立しないのである。
現代の帝国主義とは
アフガン戦争、イラク戦争を受けて、帝国主義論が興隆した。論者によって概念はさまざまだが、ひとつの共通点があった。それは米国の「単独行動主義的傾向」や「一極支配」に注目し、米国を帝国とみなしている点である。つまり、米国を古代ローマになぞらえて、あたかも米国が世界を支配する野望を持っているかのように論じていた。しかし、「帝国主義論者」がその主張の根拠としたアフガニスタンやイラクヘの武力攻撃が原因で米国は苦境に陥り、また経済面でも世界に金融危機の一因を作った。現地では混乱が続いており、安定化への出口が見えない。このため、2009年にはオバマが米大統領になり、米国による一極支配論や帝国主義論は影を潜めた感がある。シリアヘの不介入、イスラム国に対する地上軍による介入の見送り(空爆のみ)は、この傾向が続いていることを示す。
本書で言う帝国主義とは、ローマ時代の帝国主義ではなく、列強による帝国主義をモデルにしている。19世紀に欧米(遅れて日本)は世界を分割して、植民地支配を行なった。この19世紀型帝国主義は、第2次世界大戦後の植民地独立により終了した。かつての列強も新興独立国も、法の下では平等な主権国家となった。国家主権の尊重と内政不干渉が、世界の原則となった。しかしながら、現代の列強、たとえばG8プラス欧州連合(EU)・中国が、必要とあれば一国の主権を無視し、そこに干渉することが許容される、あるいはさらに進んで正当性を持つとみなされうる世界の到来、換言すれば19世紀型帝国主義の復活の可能性を示唆するのが本書の見方である。
この場合の帝国主義とは、必ずしも大国の利益のみを追求するものではない。むしろ、人類の公共益とも言うべきものの達成を目的としている場合も考えられる。たとえば、テロ対策や大量殺戮の阻止、飢餓の救済、大規模感染症対策などである。したがって、「帝国主義」という表現は適切ではないかもしれないが、それでも一国の主権を侵害する可能性のある行動であることには違いない。
現代の帝国主義的政策は二国だけでとりえるものではなく、米国、ヨーロッパや日本、あるいは口シア、中国も含めた現代の列強が協力して初めて実現可能となる。「協調介入」という表現に置き換え可能である。なぜなら、一国あるいはその同盟国の一部だけが是とする政策では、人類の公共益の追求とは言いがたく、正当性に疑義があるからである。換言すれば、列強の間に合意を見れば、主権国家に対する干渉も合法・可能となる。他方、列強の間で合意が存在しないにもかかわらず、一部の国が一方的に帝国主義政策を強行すれば、正当性とともに必要な支援が受けられず、失敗に終わる公算が大である。イラク戦争がこの例に当てはまる。
「新しい帝国主義」の問題点
以前の帝国主義と異なるとはいえ、「新しい帝国主義」は、各国家の法の下の平等の否定である。すなわち、第2次世界大戦以後の世界の理念であった民族自決、主権の尊重、内政不干渉などの原則の根本的変更である。これまでも国連安保理における常任理事国の拒否権保持や、核拡散防止条約下での核保有国と非核保有国との取り扱いの差などはあった。だが、各国は不平等を承知の上で、それらの体制に参加したのである。
当該政府の意思に反して、軍事介入を行ない、新たな政府を樹立することは、1945年以後も事実上は行なわれたことはあるが、「新しい帝国主義」ではこれに公然と一般的正当性が認められることになる。冷戦が終結し、共産主義という対抗イデオロギーの消滅により、民主主義的価値が強調・意識されなくなり、大国の利益がより重視されるようになった結果だと言えば言い過ぎであろうか。9・11事件は歴史の転換点となるかもしれない。
しかし、中小国の主権が制限されるからと言って、それがただちに道義的に拒否すべきものとはならないであろう。主権国家システムの下では治安維持は各国の責任であるが、そのことと破綻国家には取り締まり能力がないという現実との葛藤がある。秩序と正義は、必ずしも同義ではない。独裁国家において秩序が保たれていても、それを正義が実現されているとは言えまい。両者のバランスをとる必要がある。大国による国際秩序の維持は、すべての国に平等の正義を与えるとは限らないのである。
問題は「新しい帝国主義」政策が、その適用に当たって、正当性を確保できるかであろう。二国の主権を侵害し、内政不干渉原則に抵触する行為、つまり国際法違反の行為をする訳であるから、説得力のある「違法性阻却事由」が必要である。テロリズムの脅威が深刻で将来も持続する可能性が濃厚であること、問題となっているテロ組織が当該国を拠点としている明白な事実があること、当該国にテロリストを取り締まる意思あるいは能力がないこと、介入に国際的合意(国連安保理の容認、または少なくとも地域機構の支持)があること、過剰な武力行使を行わないこと、一般住民の被害を最小限にすること、捕捉したテロ容疑者あるいは抵抗した当該国の戦闘員の処遇については然るべき人権を尊重すること、責任ある新政権樹立後は速やかに撤退することである。
以上の条件を満たさない場合には、次のような不幸な結果を生じるであろう。すなわち、対テロ国際連帯にひびが入り、内外の世論の支持を失い、将来のテロリスト誕生の種子を蒔くことになる。テロ対策としては、逆効果である。さらに悪いことには、民主主義国家の基本的理念を損ねて、介入した国にとって自己破壊となる。
コリアーは、テロ対策も含めて秩序の回復、紛争後の平和維持、クーデターの阻止のために、適切な軍事介入の必要性を論じている。統治不能となった国家(厳密に言えば、もはや国家ではないが)は、テロリズムだけでなく、感染症、麻薬生産および取引、海賊、大量の難民流出などで、他の国々に対して、災厄の源となる恐れがある。コリアーは、破綻前に国際的な保健機関が介入して天然痘を撲滅したソマリアの例を挙げ、破綻後ではそのような介入は不可能であり、現在でもソマリアでは天然痘が流行していたとする。それはソマリアだけでなく、人類にとっても不幸な事態であった。
極論すれば、仮想の例ではあるが、核保有国が崩壊し、核兵器システムの管理が危うくなり、テロ集団や密売組織等が核兵器・核物質を奪取する可能性も考えられる。そのように判断される場合、私的集団への核拡散を阻止する目的で当該国に軍を派遣し、核兵器こ似物質を押さえることは国際社会の公益である。そのような国は、あまり数が多くないので、予め核兵器・核物質の所在地を把握しておき、タイミングを逃すことなく介入しないと手遅れになる。
21世紀型帝国主義とは
「新しい帝国主義」は、使い方次第で、善にも悪にもなる。それは人類の公共益とも言うべきものに資するものであって、「全世界的な協調的介入」と称することもできよう。「列強(大国)」の力は極めて制限されている。それは、実効性ある統治とは、当事国の意思と能力に多くを負い、外国が強制して効果が上がる性質のものではないからである。対テロ政策に関して言うならば、外国にできることは、警察・司法改革など現地政府の統治能力向上に協力し、住民の政府に対する信頼構築を間接的に支援することである。
したがって、「新しい帝国主義」原則、すなわち主権制限や干渉が一定の条件で容認されるという原則は確立されても、適切な適用は容易ではないし、相当の労力が要る。軍事介入は最後の手段であり、その前に説得や経済的見返り・制裁を用いて、自発的に治安維持能力を向上させ、テロリストの取り締まりを強化させる努力は欠かせない。多くの場合、この方式が功を奏している。
米国の「単独行動主義的」傾向が懸念されていたが、破綻国家あるいはテロ支援国家への介入は一国だけでは難しい。軍事的にテロ支援政権を打倒することは可能であるとしても、国家再建の支援や、そのための経済的負担は他国にも求めざるをえない。何より当事国の国民の努力が欠かせない。米国を中心とする諸国は、タリバン政権打倒には成功したが、新生アフガニスタンの再建には、有効な手立てがない。これは何らかの理由によって、米国が後押しする国家再建が現地で不人気だからであろ
いかに軍事的に米国が他国の追随を許さないほど強力であっても、単独では帝国主義的政策を追求できない。正当性が必要であり、その確保には、国連安保理の承認が最も効果的である。国際的正当性の必要は認めつつも、中口や途上国を除外するため国連を迂回し、米主導の新たな組織の創設を訴える論者もいるが、イラク戦争を経て米国の権威が失墜した今となっては、この構想は消滅したも同然である。アリソンは、イラク戦争での最大の犠牲は、米国が第2次世界大戦後、世界のリーダーとして築いてきた信頼が損なわれたことだとしている(最大の犠牲はイラク国民の生命であるが-筆者)。米国はその同盟国や友好国、あるいは戦略的要衝の国および中国、ロシアとの協調が不可欠であるが、「新しい帝国主義」のための協調は、調整が容易ではない。このことは2011年に発生したシリアでの動乱に関し、シリア政府に収拾能力はないが、取って代わる勢力もなく、米欧中口および中東各国(トルコ、サウジアラビア、イラン、イラク)の政策も一致せず、解決の方向さえ見えないことが示している。
一国に公然と軍事的に介入し、新たな政権を樹立することには、同盟国同士でも複雑な利害が絡む。イラク戦争をめぐる米英豪と独仏の、本来、緊密に協力し合わなければならない国同士の対立が、このことを如実に物語っている。各国の利害が複雑に入り組むことは、「新しい帝国主義」に存在する内在的限界である。
将来、テロリストの脅威がより深刻となれば、大国はテロリストが拠点としている国への介入という選択肢を保持しているが、それには大国間のコンセンサスが必要である。単独行動主義と新しい帝国主義とは、両立しないのである。
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