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ギリシャはキリギリシャ

ムハンマドの奥さんハジージャ

 私の心を奥さんは理解することはない。トルストイとかソクラテスも同様なんでしょう。ムハンマドの奥さんのハジージャだったら、分かってくれる気がします。何しろ。皆が戯言だと言った預言を最初から、絶対的に信じた人だから。

世界に対する違和感

 この世界に対する違和感が増している。全てが前例のないことだから、ゼロから決める。最初から、決まっているかのような雰囲気は幻想です。

 もう、いいか! FBの連中は自分の事しか考えない。私は私の世界。ここに居ます。やるべきことはやって、もう、終わりましょう。私の終わりは世界の終り。この世界ごと、終わりましょう。

ギリシャの方向性

 ギリシャはやはり、地中海に戻らないといけない。

4.4.3「循環を組み込む」

 歴史編の4.4.3「循環を組み込む」ことの意味は何か。今まで、歴史の中に循環はなかった。要するに、心臓から静脈に押し出されるだけで、それを吸い上げていくやり方はあったけど、歴史では、静脈から吸い上げていくモノがなかった。

 「存在の力」で初めて、静脈系の流れができた。それが循環になった。だから、最初は「地域のしくみ」とする。つぎが「コミュニティ」となってくる。

 そして、「循環で考える」というロジックを提案していく。その際の前提は、個人の覚醒です。おまけで、これを確信したのは、赤ピラミッドでの「啓示」です。歴史は変わるんだ。どのように変わるのか。

 そして、半年後に起きたエジプト革命。そして、さらに混沌となった、イラクの情勢。今までは、共和制で、上から見たものであったが、各レベルで変わって来るものの歴史。これは明確に新しい歴史を示しています。そうなると、自分の中からFBは駆逐します。

4.4.4「分化と統合」

 それを数学モデルにしたのが、4.4.4「分化と統合」です。数学モデルで考えた時に、位相的な変化、循環というよりもむしろ、行動して考える。

 バラバラなモノが、如何に集まってきて、また、バラバラなところへ行くのか。その構造自体は位相です。歴史がやっと、位相に追いついた。位相が先行していた。

 その時に地域インフラで何が必要なのか。特に、社会でのクルマ、あとは高度サービス。

 エネルギーも当然、分化と統合で変わってきます。それぞれのところが、現場はおかしいけど、まあ、こんなものでしょう。

 4.4.4「分化と統合」を今日、上げます。

ギリシャはキリギリシャ

 アリとキリギリスは同じコミュニティには居られない! キリギリスはキリギリスとまとまる。地中海は地中海でまとまる。

 キリギリシャ(キリギリスの組織)は出て行って、地中海連合を作り出す。自分たちの価値観に沿った世界です。トルコとかレバノンとかチュニジア、そして、同じ価値観でお調子者のイタリアを巻き込む。当然、共通貨幣は「ギョロメ」。

 東ヨーロッパがどちらに行くかは、ロシアとの関係で決めてもらえばいい。何のために生きているかの違いです。

「歴史は位相化」のプレゼン

 「歴史は位相化」みたいなプレゼンテーションの簡略なモノを自分のために作っていく。

ギリシャ人とイスラム

 ギリシャ人は中東から見ると、ドイツ・フランスと異なって、独特です。中性です。ギリシャ人とは組める! だから、ソホクリスはレベノン人と組んでいる。その点では日本人と同じかもしれない。

 トルコも多分、どう思っているのでしょう。支配した人間として。トルコはEUに入る必要はないです。地中海沿岸諸国と連合すればいい。イスラエルを除いて。

「休まないウサギ」

 「休まないウサギ」なんて、価値観が違い過ぎる。そんなところと一緒になっても意味がない。遺伝から言って、「休まないウサギ」は滅亡しているはずです。休むからウサギは存在できるのです。

 カメはカメです。自分の周りを自分たちのモノにしていけばいい。甲羅でもって。

結婚に納得していない

 未唯が豊橋に引っ越しするから、来てと前日の11時から言ってきたので、断った。やっぱり、結婚に対して納得がいっていない。そのまま、ずるずると決めているから。まずは、面と向かった話し合いでしょう。

 急変しますね。今度は奥さんの母親がなくなったって。97歳だから、だれも慌てないけど、唐突ですね。明日が通夜で、明後日が本葬(家族葬)

 なぜ、孫の未唯の前日に葬儀なのか。結婚式が在ったら、ヤバかった。
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対話のない社会

 『対話のレッスン』より

 「日本人の新しい対話の形をさぐる」と大見得を切って始めた連載も三年目に入り、いよいよ二一世紀も間近(二〇〇一年が二一世紀の始まりとする説が有力だが、二〇〇〇年ともなれば、やはり気分は二一世紀である)に迫ってきた。ここら辺で話を整理しておこう。
 連載第一回に、私はまずもって、対話と会話を区別して考えなければならないと書いた。「会話」とは、お互いの事情をよく知った者同士の気軽で気楽なお喋り。「対話」とは、お互いのことをあまりよく知らない者同士が、「知らない」ということを前提として行う意識的なコミュニケーション。とまあ、こんなふうに定義をしてきたわけだが、ここでちょっと、難しい問題に出会ってしまった。
 私はいま、三省堂の中学二年生向けの国語教科書に、「対話を考える」という書き下ろし原稿を書いている。教科書というのは、できあがるまでにたいへん時間がかかるものらしく、一度教科書見本を作って、現場の教師の反応を見てまた作り替え、さらに文部省の検定を受け、またまた現場の教師に採択のための検討をしてもらうということになっている。
 さて、そこでも私は、会話と対話の違いについて中学生向けの文章を書いたのだが、これがどうも中学生には判りにくいのではないかという意見が出てきた。これまでの通念では、会話というのは「ただ喋ること」、対話というのは「一対一で喋ること」といった程度の認識だったようだ。
 おそらくこれは、「会話」「対話」という漢字の字面から来る印象が強いためもあるのではないだろうか。会話というのは、なんだかこう、輪になって喋る感じ。対話は、面と向かってしっかりと喋る感じ。また、「対話」は「会話」に含まれるという印象を持っている人も多いようだ。
 これはもう、まさに言葉の問題だから、いかようにも定義付けはできるだろう。私は私でその定義付けをはっきりさせようと試みているのだが、ひとつだけはっきりと言えることは、「会話」と「対話」の語源になっている「Conversation」と「Dialogue」に関しては明確な違いがあり、決して「Dialogue」が「Conversation」に含まれることはないだろうという点だ。
 そこでもう一度、「対話」についてのきちんとした定義をしておこうと思うのだが、この点に関しては、私がくどくど説明するよりも、『〈対話〉のない社会--思いやりと優しさが圧殺するもの』(中島義道著・PHP新書)という素晴らしい本が出版されている。
 この本のなかで中島氏は、対話の基本原理を一二ヵ条にわたって書かれている。それをそのまま載せると、ほとんど引用の範囲を超えてしまうので、ここでは本連載に特に関係のある箇所だけを抜き出して考えてみる。興味のある方は、ぜひ書店にてお買い求めいただきたい。
 まず氏のあげる第一の原理は、対話は「あくまでも一対一の関係である」という点である。これは、先に掲げた「対話というのは、単に一対一で喋ることではない」という私の説明と矛盾するようにも見えるので、若干の解説が必要だろう。
 中島氏が書いているのは、コ対一の関係」ということである。実際に対話が行われる場での人数は、二人でも一〇人でも構わない。ただ、「談話」や「教授」と違って、一方的な「一対多」の関係にならないこと。また、そこに参加する人々が、一人ひとり、たしかな価値観や人生観を持って、そのコミュニケーションに参加していることが重要になる。「対話」の典型的な形であるプラトンの著作などでも、ソクラテスはたいていの場合、複数の弟子たちと問答を交わしている。しかしソクラテスは決して、一方的に弟子たちに知識を伝えたり(談話)、教えたり(教授)、説得したり(討論)しているわけではない。あくまでお互いの価値観をぶつけ合うなかで、普遍の高みへと昇ろうとしているのだ。
 他にも中島氏は、対話の基本的な原理として、次のような点をあげている。
  ・自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれらを引きずって語り、聞き、判断すること。
  ・相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること。
  ・相手と見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。
  ・自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること。
 「会話」が、お互いの細かい事情や来歴を知った者同士のさらなる合意形成に重きを置くのに対して、「対話」は、異なる価値観のすり合わせ、差異から出発するコミュニケーションの往復に重点を置く。
 対話は、単に自分を他人に紹介することではない。対話は初対面の人間とのみ行われるものでもない。ごく親しい人との間でも、異なる価値観のすり合わせが必要となる場合には、対話的なコミュニケーションが要求される。
 かつてこの連載のなかでも、演劇、ドラマは対話から始まると書いた。その恰好の例は『忠臣蔵』だ。『忠臣蔵』の四十七士たちは、江戸と赤穂に勤務地が分かれていたとはいえ、基本的には勝手知ったる間柄である。ところが、これが血気盛んな若い殿様の前後見境ない行動のために、お家断絶という大きな運命に直面する。
 その日まで、すなわち江戸からの早駕寵が到着する日まで、赤穂の武士たちは、おそらく日がな一日、藩の雑務を円滑に進めるための合意形成を目的とした「会話」だけを繰り返していたはずなのだ。ところが、彼らは、思っても見なかった大きな運命に直面し、初めて個々人の価値観、世界観(ここでは、藩や忠義に対する考え方や、個々人の身の処し方)の相違を認識する。
 おそらく彼らは、それぞれが、隣にいる人間が、こうも自分と違う考え方をしていたのかと驚いたことだろう。この驚き、戸惑いが疑心暗鬼を呼び、忠義と裏切りの物語を生み出して、『忠臣蔵』を不朽の名作としているのだ。
 価値観の差異に気がついた義士たちは、生まれて初めて「対話」を始める。自分の経験と未来を賭けて意見を表明し、(江戸時代の封建社会のなかであるから、限られた範囲であろうが、身分を超えた発言もし)また他人の意見に耳を傾け、そして最終的な結論を出し行動する。『忠臣蔵』が現在も上演可能で、様々なバリエーションを生んできたのは、こういった「対話」の構造を内包しているからである。
 さらに「対話」を考えるうえで重要なことは、「ディべート」「討論」との差異だろう。ディべートは、自分の価値観を主張し、その価値観と論理によって相手が説得されることが最終的な目的となる。だが、対話は、中島氏も指摘している通り、自分の価値観と、相手の価値観をすり合わせることによって、新しい第三の価値観とでもいうべきものを創り上げることを目標としている。だから、対話においては、自分の価値観が変わっていくことを潔しとし、さらにはその変化に喜びさえも見いだせなければならない。相手の意見に合わせるのでもない。自分の意見を押し通すのでもない。新しい価値創造の形が、いま必要とされているのだ。
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イスラム国は何をめざしているのか

 『新・自衛隊論』より 「イスラム国」の背景にあるイラク国家建設の失敗

 ISISとは

  本稿を進める上で、名称について少し細かい話をします。「イスラム国」の略称であるISISというのは何の略なのか、大シリアとはどういう意味なのかなどのことです。
  ISISは、アラビア語の用語を直訳すると、「イラクと大シリアのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Sham)となります。この「大シリア(Sham)」が、欧米的に言うと「レバント」という言い方にもなるので、「イラク・レバントのイスラム国」(Islamic State in the Iraq and the Levant)と呼ぶメディアもあります。一般にはシリアとレバノンを合わせて、現地ではアラビア語でシャームと言われます。歴史的に見れば、オスマン帝国の時代にシャーム地域として扱われていたなかには、ヨルダンもパレスチナも入ります。つまりイスラエルも入るのです。
  私がいま一番危惧しているのは、イスラム国が着々と制圧地域を広げておりますが、シヤーム全体に勢力を及ぼそうと考えた時に、当然イスラエルもターゲットに入るということです。イスーフエルがターゲットになって、たとえば「ガザを攻撃しているイスラエルはけしがらん、イスラム教徒は結集してイスラエルに対抗せねばならない」とイスラム国が言い出したら、おそらく多くのイスラム教徒がそれに賛同しようと支持するでしょう。ところが、イスラエルに対しては意外なほど何も言っていません。その点が、イスラム国がこれまでのアラブーナショナリズムやアルカイダなどとは全く異なるところです。
  歴史的な背景を見ると、イスラム国はいま紹介したように、地中海からペルシア湾までを勢力拡大の目標にしています。一方、その発生の直接のルーツはイラクにあります。
  イラク戦争後、アメリカが統治に失敗し、2004年にはファッルージャを中心とした西部地域において住民が反米活動を行っていました。そこに外国からイスラム主義義勇兵が入ってきて、2006年にはイラクーイスラム国が作られました。その後、2006年から2007年にかけて激しい内戦が起こるわけですが、2008年頃には一旦その内戦は終息します。イラク西部に拠点をおいたイスラム国も掃討され、その残党がシリアなどに逃げたのですが、2011年から今度はそのシリアで内戦が起こります。そこで内戦の混乱に乗じてシリアで勢力を拡大し、その上で2014年イラクに舞い戻ったのです。かつてのソマリアやアフガニスタンのように、国家の治安が崩壊したところに巣をつくって生きていく武装勢力の典型的な例だと言えるでしょう。

 旧勢力によるクーデター

  では、イスラム国は何をめざしているのか。目的としているのは、カリフ制の再興ということになります。ISISは2014年6月29日にカリフ国家の樹立を宣言しています。
  カリフ制というのは、オスマン帝国の時までとられていたイスラム国家の統治体系で、預言者ムハンマドの後継者を共同体の長におく、という考えです。またオスマン帝国はハナフィー派というスンナ派の一つの学派をもとに国家運営をしていましたが、その当時、基本的にはシーア派は異端でイスラムと認めないという姿勢をとってきました。もちろん、いまではスンナ派の多くがシーア派もまたイスラム教であると認めています。しかしイスラム国は、ワッハーブ系やサラフィー主義(純粋なィスラムヘ戻れと主張する主義)の、イスラム法の厳格な支配を主張しているグループですから、モースルにいるキリスト教や少数宗派のヤズィディ教徒などを排除し、シーア派を異端として殺害する、というようなことをやっているのです。
  イラクの北部には世界遺産となっているようなキリスト教の遺跡、聖書に出てくるような遺跡がありますけれど、それも破壊されたという報道がありました。2000年以上生き延びてきたイラクのマイノリティであるキリスト教徒が殲滅される危機にあるという報道もされています。
  以上のような背景があるので、現在の事態は宗派対立だと言われることがあります。イラクにはクルド人もいれば、アラブのスンナ派とシーア派もいて、宗派や民族が複数だから対立し続けていると一般に思われています。
  しかし、現在の事態について注目しておくべきは、イスラム主義の勢力拡大や宗派間の対立ということだけではなくて、イラク戦争でひっくり返された旧政権、サッダーム・フセイン政権の残党の動きと関わっていることです。そういう人々がイスラム国に入り込んでいると言われています。そうでなければ、あれだけ効果的な軍事行動を展開できるとは考えられません。
  イスラム国の今回の動きは、基本的には、イラク戦争で実質的に政権を奪取された旧勢力側のクーデターの試みだったと考えられます。つまり、イラク戦争でひっくり返された体制をもう一回ひっくり返し直そうというものです。
  イラクのシーア派というのは、主として南部に住んでいて、聖地ナジャフが信仰の中心にあります。一方で、スンナ派は北部から西部にかけての中部地域に住み、部族的紐帯が強い大部族が多い地域です。とはいっても、その両派は、歴史的に分離されてきたわけではなく、互いに混じり合って住んでいて、結婚も多くあります。
  ところがアメリカは、物事を単純化して見る傾向があります。つまり、サッダーム・フセインはスンナ派の出身であり、違う宗派、民族であるシーア派とクルド民族を抑圧し続けてきたので、スンナ派全体が、シーア派とクルド民族に牛耳られた戦後のイラク体制を面白く思っていないに違いない、といった考えです。だからアメリカは、徹底的にスンナ派地域を掃討しました。米軍の掃討作戦の結果、破壊された町や村がたくさんあります。宗派対立と言われるけれども、今回の事態の根幹には、アメリカのイラク戦争後の統治政策の失敗があるのです。
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NDC1類・2類解説

 『NDCへの招待』より 各類解説

  2.1類

   10 哲学
   11  哲学各論
   12  東洋思想
   13  西洋哲学
   14  心理学
   15  倫理学.道徳
   16 宗教
   17  神道
   18  仏教
   19  キリスト教.ユダヤ教
   1類は哲学ですが、それ以外にも14心理学、15倫理学、16宗教が展開されています。このうち16宗教は第2次区分表で字上げされていますので不均衡項目であり哲学とは異なる分野であると考えられているのですが、14心理学と15倫理学は字上げされていませんので、NDCとしてはこれらを、哲学の下位に位置すると考えていることがわかります。
   哲学はさらに11哲学各論、12東洋思想、13西洋哲学に分かれますにこで東洋思想が「哲学」ではなく「思想」となっているのは単にことばの慣例に従っただけです)。
   111から118には、111形而上学.存在論、112自然哲学.宇宙論など、哲学の主題になるものが挙げられています。ただし、「*111/118には、包括的な著作・概論・歴史などを収め、個々の哲学者・思想家の著作で111/118の主題に関するものは、120/139に収める」と注記されています(9版では最後の「120/139に収める」の部分が「131/139」となっていて、西洋哲学のみが対象でした)。
   121から139には、おもな哲学者が時代と地域別に列挙されています。これらの哲学者の著作は、111/118に挙げられている哲学の各論に対応するものについては、111/118の各主題のところではなく、それぞれの思想家・哲学者のところに分類します。例として、サルトル著「実存主義とは何か」は、実存主義の記号である114.5ではなく、サルトルの記号である135.54に分類するよう指示があります。哲学者の著作はその主題よりもその哲学者の著述であるところに意味があるという考えなのでしょう。これによりある哲学者の著作が一箇所に集まるようになっています。
   しかし、哲学者の著作であればすべてその哲学者のところに分類するかというとそうではなく、注には続けて「111/118に収まらないものは、各主題の下に収める」とあり、例としてサルトル著「マラルメ論」は主題であるマラルメの分類記号である951.6とすることが示されています。他にも、例えばルソーが著した教育論である「エミール」は135.34ルソーではなく、フランス教育学史(371.235)に分類します。
   しかし、この規定はかなり弾力的に運用されることが多いようです。
   例えば、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』は、「倫理学」というタイトルどおり、幸福、徳、正義、愛といった倫理学的内容を論じたものですので、その主題は15倫理学となります。これは上に挙げてある111/118の範囲ではありませんのでNDCの規定どおりであれば15に分類すべきものですが、極めて重要な哲学者であるアリストテレスの代表的著作であることから、15倫理学ではなく131.4アリストテレスに分類することが多いようです。
   さらに121から139にその名前が挙げられている著名な哲学者の場合はそれぞれのところに分類しますが、最近の哲学者の著作でその主題が111/118の範囲内のものは、包括的著作・概論・歴史ではなくても111/118の主題に分類することが多いようです。

   (1)12東洋思想
    123経書と124先秦思想。諸子百家
    123が経書で124に先秦思想.諸子百家があります。124.1が儒家.儒教となっていて、123経書との使い分けが必要ですが、123経書は書物を分類し、124先秦思想.諸子百家には思想や思想家を分類します。この原則がわかれば、どちらにも項目として挙げられている「孟子」について、123.84の孟子は書物を、124.16の孟子は人物を意味していることがわかります。とはいっても、孟子という人物の思想をまとめたものが『孟子』という書物なのですから、人物としての孟子の研究には書物としての『孟子』も対象となっているはずであり、どちらに重点があるかによって使い分ける必要があることには変わりません。

   (2) 14心理学
    一般的な心理学のほか、147超心理学.心霊研究、148相法.易占もここに分類します。例えば、予言や透視(147.4)、心霊写真(147.5)、風水(148.5)なども心理学の一部に位置づけられています。

   (3) 15倫理学.道徳
    159人生訓.教訓
    哲学者の人生論はその哲学者のところに文学者の人生論はその文学者のところに分類します.それ以外の著者による、人生訓やどう生きたらよいかという心構えなどを著したものをこの159人生訓.教訓に分類します。
    原則としてNDCでは、「○○のための△△」のように対象者が明確に限定されている場合にはその対象者に分類するのですが、人生訓の場合は対象者のところではなく、159に分類して、個別の対象者はその下に、経営者やビジネスパーソン(.4),児童(.5),女性(.6),青年・学生(.7)、老人(.79)などのように区分します.

   (4) 16宗教
    166/199各宗教に個別の宗教の項目が立てられていますので、160宗教には個別の宗教に限らないものを分類します。
    164神話。神話学は地理区分をしますが、地理区分には古代ギリシアや古代ローマという区分はありませんので、このままではギリシア神話やローマ神話を分類することができません。そのため、あらかじめ本表に.31ギリシア神話、.32ローマ神話という項目が挙げられています。

   (5) 17神道、18仏教、19キリスト教
    日本で一般的な三つの宗教が第2次区分の綱目として立てられています.
    それぞれの3次区分は、-1が「神道思想.神道説」「仏教教理.仏教哲学」「教義.キリスト教神学」のように教理に関するもの、-2が「神祇・神道史」「仏教史」「キリスト教史.迫害史」のように歴史に関するもの、-3が「神典」「経典」「聖書」のように聖典に関するもの、-4が「信仰録.説教集」「法話・説教集」「信仰録.説教集」のように聖職者が語った話に関するもの、-5「神社.神職」「寺院.僧職」「教会.聖職」のように聖職者の組織に関するもの、一6が「祭祀」「仏会」「典礼.祭礼.礼拝」のように儀式や祭りに関するもの、-7がいずれも「布教.伝道」で教えを広めることについて、-8が「各教派.教派神道」「各宗」「各教派.教会史」のようにその宗教の中での宗派について、となっています.さらに-8の各宗派は固有補助表を使うことで、17神道、18仏教、19キリスト教と同様の内容に細分することができるようになっています.

  3.2類

   20 歴史.世界史.文化史
   21  日本史
   22  アジア史.東洋史
   23  ヨーロッパ史.西洋史
   24  アフリカ史
   25  北アメリカ史
   26  南アメリカ史
   27  オセアニア史.両極地方史
   28 伝記
   29 地理.地誌.紀行
   2類には、2歴史と29地理および28伝記があります。
   数字の記号として2歴史の下に29地理があるのは、概念的に上下の関係があるからではもちろんなくて不均衡項目なのですが、これは2以下の地理区分と29以下の地理区分を対応させるための措置です(地理区分は1日本から7極地までの範囲ですので、29の9が地理区分と重なることはないのです)。
   2歴史の場合は、二桁目以降が地理区分になります。例えば、21日本史、221朝鮮史、23ヨーロッパ史。西洋史、233イギリス史となります(したがって、地理区分を知るために、一般補助表の地理区分表ではなく2歴史にある記号の二桁目以降を見ることも可能です。。
   2歴史のところではこれに対応して、29地理.地誌.紀行は三桁目以降が地理区分になります。つまり、291日本の地理、292.1朝鮮の地理、293ヨーロッパの地理、293.3イギリスの地理となります。
   地域によってはその地理区分の下に時代区分ができるところもあります。時代区分があるのは、210日本、220アジア史.東洋史、221朝鮮、222中国、223.1ベトナム、223.5カンボジア、223.8ミャンマー、225インド、227西南アジア. 227.1アフガニスタン、227.2イラン、227.3イラク、230ヨーロッパ、233イギリス、234ドイツ。中欧(ドイツのみ)、235フランス、236スペイン、237イタリア、238ロシア、242エジプト、253アメリカ合衆国、256メキシコ. 268ペルーです(このうちカンボジアと西南アジアおよびその下位の国の時代区分は10版で追加になったものです)。
   また、地理区分ではありませんが231古代ギリシア, 232古代ローマも時代による区分ができます。
   特定主題の歴史はその主題に分類します。例えば、法制史は32法律の下の322,経済史は33経済の下の332などです。2歴史には一般政治史、一般社会史、一般戦争史、文化史、災異史、対外交渉史、革命史および総合的な歴史を分類します(文化史、災異史、対外交渉史、戦争史は210.1日本史の通史にのみ挙げられていますが、日本以外の歴史についても同様に扱います)。
   地域は時代に優先するという原則、および1~9が0より優先されるという原則により、まず地域に分類し、その後で時代による区分が可能であれば時代で区分します。例えば、2歴史の下は、1日本、2アジア、21朝鮮のようにまず地域で区分されています。そして地域を限定できないもの、つまり世界史について20に区分します(実際には世界史として209を割り当ててあります)。 21日本史の下には211北海道地方から219九州地方までが区分されており、地域を特定できないものを210日本史に分類します。10版では、日本の歴史の場合は各地域についても時代で区分できるようになりました。沖縄県以外は固有補助表の時代区分を使用し、沖縄県は本表にある項目に従って時代区分を使用します(なお、各地方に使用する固有補助表の時代区分は06近代までであり、21日本史にある。7昭和・平成時代はありません)。
   この原則を理解することで、フランス革命当時のパリの論述は235.06フランス史のフランス革命ではなく、235.3パリの歴史に分類することがわかります。
   ただし、特定の地域で発生した事件や出来事でも、全体に関わるものは全体の方に分類します。例えば、「関ケ原の戦」は今の岐阜県で行われましたが、単に岐阜県のできごとに留まらず日本全体に関わることですので、215.3岐阜県の歴史ではなく210.48日本全体の歴史の安土桃山時代に分類します。
   なお、このように地域は時代に優先するのが原則ですが、9版では210.025考古学の注として、「*個々の遺跡・遺物に関するものは、日本史の特定の時代に収める」とありました。これはこの原則に反しますので、10版では「*特定の地域全般に関するものおよび個々の遺跡・遺物に関するものは、211/219に収める;ただし、個々の遺跡・遺物に関するものでも一国の歴史に関係ある遺跡・遺物は、日本史の特定の時代に収める」と改められています。

   (1) 28伝記
    28伝記は人の歴史です。
    伝記といっても、一般的な意味での伝記だけでなく、自叙伝はもちろん、日記、書簡、語録、逸話など、その人の個人的な様子をうかがい知ることができる資料もここに分類します。さらに「OO氏を偲んで」のようにその人物を中心に据えた追悼録などもここに分類します。
    その資料で扱われている対象が3人以上である場合は列伝として扱い、281/287各国・各地域の列伝に分類して地理区分します。対象が1人または2人の伝記は個人伝記として、289個人伝記に分類します。さらに地理区分をするか、あるいは.1日本人、.2東洋人、.3西洋人およびその他の三つに区分することもできます。
    ただし、一部には主題の方に分類する例外もあります。
    まず列伝の場合ですが、特定主題に限った列伝は個人的な論述であってもその主題に分類します。312.8政治家〈列伝〉、402.8科学者〈列伝〉など、本表中に項目がある場合はそこに分類し、ない場合にはそれぞれの主題で分類した後に形式区分の-028多数人の伝記を付加することができます。
    次に個人伝記の場合には、哲学者、宗教家、芸術家、スポーツ選手[スポーツマン]、諸芸に携わる者、文学者の伝記は常にそれぞれの主題に分類します。注記ではこれらの人たちは、その思想、作品、技能などと不可分の関係にあるため、と説明があります。
    しかし、それ以外の主題や分野に関わる人の伝記でも、おもにその人の業績を扱っている場合にはその主題に分類した方がよいものもあります。業績ばかりが扱われていてその人の個人的な人となりを知ることができない場合には伝記とは言えないからです。
    さらに天皇や王室などについても特別の佞宗がありさす。
    288系譜.家史.皇室には、家の歴史や皇室、天皇など、伝記に関連するいくつかの主題や、.6紋章[家紋]や.9旗を分類します.

   (2) 29地理.地誌.紀行
    29には地理.地誌.紀行を分類します.
    291/297に地理区分をし、さらに固有補助表がありますので細分することができますにの補助表の項目のうち、-013景観地理は10版で追加になったものです).
    -087写真集と-09紀行は、それぞれ748写真集と9□5日記。書簡。紀行との使い分けが必要です(□は言語区分)。
    写真集の場合は、その地域を紹介するための手段として写真を使用したものは29△087に分類し、芸術的な写真作品は748写真集に分類します(△は地理区分)。風景の写真は748写真集との区別が難しいものが多いのですが、7類の解説のところで挙げる点を基準として区分することも可能です。
    紀行文は、文学者の紀行文は文学として9□5日記.書簡.紀行に分類し、それ以外の著者による紀行文をここ地理の下の29△09に分類します.
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