goo

プロに接するには

プロに接するには

 プロに対して、どう接すればいいのかを習得したのは、研究所の時です。相手はプロ中のプロです。

 私の方は完全に素人です。素人がプロ中のプロにどう受けられるのか、というよりも、当時の感覚は彼らを使っていこうか。幸いにも、私には、トポロジーという、グローバルとローカルをつなぐ武器があった。

 そこでやったのは、「宇宙人」です。まあ、後からつけられた名前ですけど。彼らのない視点で考える。彼らはものすごく、範囲が狭いです。だから、プロでありうるのですが。そのプロを使い切るには広い視野が必要です。また、将来に向けてどうしていくのか、自分たちの技がどうなっていくのか、という懸念事項があった。そこに付け入った。

 それをどのようにして、パートナーに適用させていこうか。パートナーの武器は全体を考えて、先が見えることです。本人は気付いていないけど。ここから考えてもらおう。

豊田市を変えるには

 豊田市を変えるために、最初にやるべきことはクルマの存在そのものです。この狭いところで、朝・夕に渋滞しています。あれこそ無意味です。エミッションがどうの河野とかではない、何しろ、動いていないのだから。

 クルマの中はほとんど一人です。道の上が駐車場になっている。排気ガスを流しながら、インフラと時間をロスしています。効率的な生産といいながら、こういう事態を放置している。それも全世界レベルで行っている。年としての役割を果たしていない。この間にどれだけ本が読めるか。か。

 それを片付ける方法は割と簡単です。車の所有権を放棄すればいいだけです。当然、そのためには資本主義を少し変えないといけないし、民主主義のやり方も下から変えていけばいい。単にそれだけです。

市民の覚醒

 その時に、個人が何のために生きているかの覚醒です。それさえ気づけば、自然と広がっていきます。6世紀にアラビア半島に起こったような動きです。

 これは、ムスリムとかハジージャのような、カリスマは必要ではなく、それぞれ個人からやっていくものです。それによって、狭い範囲で効果を確認しながら、拡大していく。ローカルの動きをつなげていく。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

傾聴場面にあらわれやすい心理 ホンネを隠す防衛機制

『傾聴術レッスン』より

傾聴場面にあらわれやすい心理 ホンネを隠す防衛機制

 傷つきたくないという本能の働き 誰でも傷つくのは怖いし、イヤなもので、できれば避けたいと思っています。

 そのため、不安や葛藤、フラストレーションなどによって心が傷つきそうになると、無意識のうちになんとか不安を軽減して、自分を守り、心を維持しようとします。これを防衛機制といいます。

 防衛機制は、心理的満足を得るために働く無意識的解決方法で、差し迫った状態になるとしばしば登場します。

 ただ、いつ、どこで、どのように使われるかは、本人にもまったくわかりません。しかも、場当たり的な対応であることも多く、矛盾した行動をとることもよくあります。

 防衛機制は、ジークムント・フロイトとその娘のアンナによって提唱された概念で、本能的な衝動(わがままなエス)がもたらす不安から自我を守ることを目的としています。

 しかし、防衛機制が強く働き、自分を守るために目の前の現実から逃げてばかりいると、かえって心の傷を深めることになってしまいます。

無意識に追いやる「抑圧」

 防衛機制にはいろいろな種類がありますが、ほとんどの防衛機制と関連しているのが「抑圧」です。

つらい現実を回避しようとする 現実から逃げる防衛機制

 逃避はまさに現実回避そのもので、自分の欲求が満たされない、あるいは満たされない危険を感じたときに、その場面から逃れようとする、実に消極的な防衛機制といえます。

現実を否定する防衛機制

 現実から逃げるのではなく、現実を受け入れず否定する防衛機制を否認といいます。否認は、現実に起こった不愉快な出来事を認めず、無視して意識にのぼらせないようにすることです。

未熟な発達段階に戻る防衛機制

 欲求が満たされなくなったときに、その不安から自らを守るために、発達のより未熟な段階へと逆戻りすることを退行といいます。

都合の悪いことは置き換えようとする 言い訳し、正当化する防衛機制

 自分の思いどおりにいかないことがあると、都合のいい理由をつけて言い訳したくなることがよくあります。これは、合理化という防衛機制です。

かわりのもので充足を得る防衛機制

 かわりのもので欲求を満たそうとする防衛機制に代償というものがあります。これは、欲求が社会的に認められないことであったり、実現が困難で満たされそうもないときに、それにかわるもの、かわる行為で充足を得ようとすることです。

知識でカハーしようとする防衛機制

 欲求を直接満たすことに不安があるときは、それに関連した知識を取り入れることによって欲求を充足しようとすることがあります。これは、知性化と呼ばれる防衛機制の働きによるものです。

置き換えた欲求で高みを自指す かわりの行動で補おうとする防衛機制

 能力的に劣っていたり、不足していたりすることを、かわりのもので補おうとする防衛機制は、補償と呼ばれます。

社会的価値の高い欲求にかえる防衛機制

 攻撃衝動や性的衝動などの抑圧された反社会的な欲求を、社会に受け入れられるような価値ある活動に打ち込むことによって解消することを昇華と呼びます。

他者と自分を重ねて心を安定させる 他者の行動を取り入れる防衛機制

 ある対象への強い感情が動機となって、その人の考え方や行動を自分の中に取り入れ、まるで自分のもののようにふるまうことがあります。これは同一視(同一化)と呼ばれる防衛機制です。

自分の感情を相手に重ねる防衛機制

 同一視と同様に、相手と自分を重ねる防衛機制に、投影(投射)と呼ばれるものがあります。こちらは、自分の中にある望ましくない欲求や感情を、他者に映し出してしまう心の働きです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

チャップリン『独裁者』結びの演説

『チャップリンとヒトラー』より

四日違いの光と影

 一八八九年四月一六日、ロンドンの貧民街で、チャールズ・スペンサー・チャップリンが生まれた。同じ週の二〇日、オーストリアのブラウナウ・アム・インで、アドルフ・ヒトラーが生まれた。二〇世紀でもっとも愛された男ともっとも憎まれた男が、わずか四日違いで誕生した。

 五一年たって--その後、同じチョビ髭を生やした両者は、偶然と必然の絡み合うなか歴史を創る二人の天才として世界に君臨していた。

 一九四〇年六月二三日早朝、アドルフ・ヒトラーは征服者としてパリに到着した。その前日に、ナチス・ドイツは電撃戦の結果フランスを降伏させていた。ヒトラーは少人数の側近とともに長年の宿願だったパリ観光を楽しんだ。ナチスのフランス征服のニュースは世界を駆けめぐり、人々を暗澹たる気持ちにさせた。誰もヒトラーの勢いを止めることはできないように思えた。

 そのニュースが流れた翌日。チャーリー・チャップリンは、ハリウッドの撮影所で、『独裁者』のラストシーンの撮影準備に入った。

 それまで何ヶ月ものあいだ、チャップリンは『独裁者』のラストについて考えあぐねていた。当初は、ドイツ兵士が武器を捨てて、ユダヤ人と一緒にみんなで踊る平和の饗宴とも言うべきラストシーンを構想しており、何度か撮影を試みてもいた。

 しかし、彼はみずからのアイディアに納得しなかった。そして、ヒトラーの脅威が世界を席巻しつつあった一九四〇年の四月から六月まで考え抜いた末、彼はラストシーンにおいて、世界に向けて崇高なメッセージを発することに決めた--六分間にも及ぶ、あの演説のシーンだ。

 まだ中立国だったアメリカで、ヒトラーに真っ向から対決を挑むこの演説は危険だった。各方面から脅迫の声が届き、身内からも(あの演説で興行収入が一〇○万ドルは減る」と反対の声があがった。チャップリンは、「五〇〇万ドル減ったところでかまうものか」と言い放ち、撮影に入る前、演説に反対していたスタッフをセットから追い出した。

 チャップリンは、たった一人、闘う決意で、キャメラの前に立った。

 今でこそ、歴史的な名作と称賛されている『独裁者』。だが、製作当時のアメリカでは、ヒトラーを「ドイツを苦境から救った力強い指導者」と英雄視する傾向もあり、反ユダヤ主義も根強く、さまざまな批判や圧力の中で撮影が進められた。しかし、その製作過程の詳細は、これまで明らかではなかった。

 困難な状況に抗ってチャップリンが『独裁者』を作り上げた事実は、グローバリズムが世界を席巻し、テロや紛争が頻発する二一世紀に生きる私たちに、多くのことを教えてくれるはずだ。

 はたして、迫り来る全体主義の恐怖の中、チャップリンはいかにして悪夢の独裁者と闘ったのか--(笑い〉という武器しか持たない、あの小さな放浪者が。

『独裁者』結びの演説

 申し訳ない。私は皇帝なんかにはなりたくない。そんなのは私のやることじゃない。誰かを支配したり征服もしたくない。できれば、ユダヤ人にしろキリスト教徒にしろ、黒人にしろ白人にしろ、みんなを助けたいと思っている。

 私たちはみんな、お互いを助けたいと望んでいる。人間とはそういうものだ。他人の不幸によってではなく、お互いの幸福で支えあって生きていきたい。私たちは、お互いを憎んだり軽蔑したりしたくはない。この世界には一人ひとりのための場所があるんだ。そして、良き大地は豊かでみんなに恵みを与えてくれる。

 人は自由に美しく生きていけるはずだ。なのに、私たちは道に迷ってしまった。貪欲が人の魂を毒し、憎しみで世界にバリケードを築き、軍隊の歩調で私たちを悲しみと殺戮へと追いたてた。スピードは速くなったが、人は孤独になった。富を産み出すはずの機械なのに、私たちは貧困の中に取り残された。知識は増えたが人は懐疑的になり、巧妙な知恵は人を非情で冷酷にした。私たちは考えるばかりで、感情をなくしてしまった。私たちには、機械よりも人の心、抜け目のない利口さよりも優しさや思いやりが必要だ。そういったものがなければ、人生は暴力に満ち、すべては無になってしまう。

 飛行機とラジオは私たちを結び付けた。本来それらの発明は人間の良心に訴えて、国境を超えた兄弟愛を呼び掛け、私たちを一つにするものだ。今も、私の声は何百万どいう人々に届いている。何百万もの絶望する男や女、そして小さな子供たち、人々を拷問し罪なき者を投獄する組織の犠牲者たちに。そんな人々に言おう、絶望してはならない、と。今、私たちを覆う不幸は、消え去るべき貪欲、人間の進歩の道を怖れる者の敵意でしかない。憎しみは消え去リ、独裁者たちは死に絶える。彼らが民衆から奪い取った権力は、再び民衆のもとに戻るだろう。人に死のある限り、自由は決して滅びることはない。

 兵士たちよ! けだものに身をゆだねてはならない! あなたたちを軽蔑し、奴隷にし、生き方を統制し、何をして、何を考えて、どう感じるかまで指図する奴らに。彼らはあなたたちを猛訓練させ、食事まで規制し、家畜のように扱って、大砲の餌食にする! そんな血が通っていない奴らに身をゆだねてはならない。機械の頭と機械の心を持った機械人間に。みんなは機械じゃない、みんなは家畜じゃない、みんなは人間なんだ! 心に人間の愛を持っているんだ。憎んではならない。ただ愛されない者だけが憎むのだ。愛されない者と血の通わぬ者だけが。

 兵士たちよ! 隷属のためにではなく、自由のために闘おう! 「神の国はあなた方のうちにある」と『ルカ伝』17章に書いてある。それは、一人の人や、一つの集団ではなく、すべての人々、みんなのうちにあるんだ! あなたたち、民衆は力を持っている! 機械を産み出す力を。幸福を創る力を。あなたたち、民衆はこの人生を自由で美しいものにし、素晴らしい冒険にする力を持っている! さあ、民主主義の名のもとに、その力を使うんだ! 力を合わせて、新しい世界のために闘おう!人々に仕事の機会を与え、若者に未来を、老人に保障を与える立派な世界のために。

 けたものたちもそんな約束をして権力に上り詰めた。だが、彼らは嘘つきだ! 彼らは約束を守らない。絶対に守ろうとしない。独裁者たちは自分たちを自由にし、民衆を奴隷にする。今こそ、あの約束のために闘おう! 世界の解放のために闘うんだ。国同士の壁を取り除くために、貪欲と憎しみと偏狭を取り除くために。理性ある世界--科学と進歩がすべての人々の幸福へと通じている、そんな世界のために闘うんだ。

 兵士たちよ、民主主義の名のもとに、持てる力を集めよう! ハンナ--僕の声が分かる? どこにいても空を見上げて、ハンナ! 雲が切れて、日がさし始めた。僕たちは暗闇を抜けて、光の中に入っていく。僕たちは新しい世界に近づいている。もっと心優しい世界に。人間が自分たちの憎しみや貪欲や残忍さを克服する、そんな世界だよ。

 元気を出して、ハンナ。人間の魂には翼が与えられていた。今、やっと飛び始めた。それは虹の中へと飛んでいく--希望の光へ、未来へと。輝かしい未来は、君や僕、そして僕たちみんなのものだ。上を向いて、ハンナ、元気を出して--。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

自分のキャリアの時間軸は自分で決める

『パラレルキャリアを始めよう!』より ⇒ 28歳の時に、仕事の伏線として、数学・社会学・歴史学を決めたのは正解だった!

60歳を過ぎてもいきいき働ける人

 第1章で、シングルキャリアのリスクについて触れた。ここで考えてみたいのは、長い期間、ずっとシングルキャリアのままでいた場合のリスクだ。

 昨今では、定年をどう延長していくかということに議論の焦点が当たっている。ただし、定年そのものを延長するわけではなく、定年は60歳のまま、その後は再雇用などの仕組みを導入している企業が現段階では多数派である。

 再雇用の場合、報酬などは従来に比べて減額されてしまうことが多い。また、そもそも60歳になる前に役職定年制度があり、その段階でも報酬が減額される場合が多い。シングルキャリアで会社に尽くしてきた自負があればあるほど、また自分が経営幹部まで昇進する可能性を強く信じていたほど、実際に報酬が減額されたときの衝撃が大きいという。いきなりやる気がなくなってしまう場合もあるという。やる気がないまま職場にいるとなれば、同じ職場のより若い社員たちから冷ややかな目で見られてしまうこともあるだろう。

 そのような事態を避けるためには、ひとつの組織での昇進ということ以外の目標があることが望ましい。しかしシングルキャリアでひとつの組織に依存し切っている場合は、目標を切り替えることはなかなか難しいのではないだろうか。

 実際、筆者は、2014年の時点で、すでに65歳まで定年延長をしている複数の会社に、その状況をヒアリングしてみたことがある。その際、明らかになったことは、役職定年後、あるいは60歳を過ぎた後にいきいき働くことができる人と、そうではない人に二極化するということだ。

 では、なぜ二極化するのだろうか。実は、いきいきと働くことができる人は、自分の役割を再設定することができる人だという。たとえば、いままで営業部長だった人が同じ営業部にいたとしても、別の役割--単に第一線の営業部員に戻るということではなく、これまでの営業部長としての経験を活かしつつ、自分がずっとあたためていた新しい営業戦略に基づき、新規顧客、新規事業の開拓をするなど--をするということだ。一方、いきいきと働くことができない人は、いままでの営業部長という役割に固執してしまい、あたかも部長であるかのようにそれまでどおりに職場の人が接してくれないと強い疎外感を感じてしまうという。

 つまり、ある意味、自分を再定義できる柔軟性のある人がいきいきと働くことができるわけだ。

キャリアの時間軸は自分で決める

 自分を再定義するためには、どうしたらいいだろうか。役職定年のときまで、あるいは60歳になるときまで、ずっとシングルキャリアのままでいて、いきなり自分を柔軟に変えるというのはなかなか難しいだろう。ここで参考になるのは、キャリアの時間軸を自分で決めるという考え方である。これは職業生活の長期化に対応するためには、どのようなキャリアの選択肢があるのかという研究の中で提唱された考え方だ。

 キャリアの時間軸を自分で決めない場合、これは他者が決めた基準によって自分の職業生活の終了時点を決めることになる。簡単に言えば、会社が60歳定年を定めているから、自分の職業生活の終了時点も60歳と考えるということだ。これに対し、キャリアの時間軸を自分で決めるとは、会社が定めた定年の年齢には関わりなく、自分は何歳まで働きたい対話のある職場がシニアと若手の共存を生むと考えることを指す。

 会社の定めた定年が60歳だとしても、自分は75歳までは働きたいと考えたらどうだろう。このように考えることは、キャリア時間軸の延長と表現できる。キャリア時間軸を延長するとなると、シングルキャリアには収まりきらず、ひとつの組織に頼らない期間(たとえば60歳から75歳)が発生する。そうすると、その期間を生き抜くためにどうしたらいいか、事前に考えなければならない。つまり、複合的なスキルや経験が必要となってくるわけで、パラレルキャリアによって新しい経験やスキルを培うことは役に立つことだろう。キャリア時間軸の延長と、パラレルキャリアはなじみのよい考え方なのである。

 実際、このキャリア時間軸についての研究によれば、キャリア時間軸を自分で決めたいと思う人は、そうでない人に比べ自己啓発に熱心なことが明らかになっている。キャリア時間軸を延長していくとなると、シニアがいきいきと働くことのできる組織が多ければ多いほどいい。では、そのような組織にはどのような特徴があるのだろうか。筆者の大学院のゼミ生か、シニアと若手が共存している組織を選んで、その特徴を抽出した研究がある。

 その研究によれば、シニアと若手がうまく共存している組織の特徴は職場で対話が促されていることだった。実は、対話のある職場が成立するには、それを支える3つの要素が必要だという。第1の要素は、フラットな関係性である。組織には役職・肩書があるが、これにこだわりすぎるとうまく対話できなくなる。役職・肩書で、人の上下関係が決まるわけではない。役職・肩書はあくまで、役割、ラべルにすぎない。それにもかかわらず上下関係にこだわると、本音で対話することが難しくなってしまうのだ。実際、対話のある職場では、役職名で呼び合うことはなく、「さん」づけで呼び合うことが多い。

 第2の要素は、自律性である。たとえば開発の討議などは、自由参加が基本になっている。自ら手を挙げればさまざまな機会に参加することができるが、望まなければ強制的に参加させられることはない。このように自ら手を挙げて参加する文化があると、いやいや参加して何もしやべらないという状態は少なくなっていく。

 第3の要素は、開かれた関係性である。開発の会議には、社内の誰でも手を挙げれば参加することができる。必要とあれば、社外の人にも参加してもらう。オープンイノべーションにも近い考え方だが、社外を含めた多様な関係者の意見を確保することが対話につながるという。

 こうした3つの要素が存在すると、シニアと若手は年齢の壁を感じずに忌憚なく対話することができる。対話のある職場の成立である。そうなると若手がシニアをけむたく思う、あるいはシニアが若手に上から目線で物を言うなどの事態にはなりにくい。シニアは、若手にうまく自分の経験を助言することができるようになる。

 この対話のある職場は、サポートプロジェクト、プロボノの状況と似ていないだろうか。サポートプロジェクト、プロボノでも、多様なメンバーが、自律的に、年齢、性別、肩書に関わりなく対話していくことが求められる。パラレルキャリアで生み出される状況は、シニアがいきいきと働くための個人の特徴、組織の特徴に通じるところがあるのではないだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )