『若者の貧困・居場所・セカンドチャンス』より 若者が自立できる環境をどうつくるか
家族責任から社会サービスヘの転換
2010年には子ども・若者育成支援推進法が成立し、子どもから若者まで、困難を抱えている人たちにこれまでバラバラに機能してきた制度やサービスをまとめて有機的なネットワーク体制をつくり、早期に発見をしてサポートする仕組みをつくることになりました。全国の40~50の自治体がその体制づくりをやっていますが、これまでまったく別々の世界であった福祉・保健・医療・雇用・教育・警察などの関係機関を横につなげながら、一人ひとりの人間をみんなでいっしょになってサポートする体制をつくるのは、本当に手間ひまがかかります。
私もいろいろなところにかかわっているのですが、こういう行政施策ほど難しいものはないと感じています。横浜市はそのなかでもかなり先進自治体だといわれていますが、それでも370万人もの人口を抱えるところで、くまなく市内にそのネットワークをつくり、どんな状態にあってもそのネットワークに入れれば、だれでも支援サービスが受けられる仕組みをつくるのは難しいことだというのが私の実感です。
それから2012年に、生活困窮者への取り組みが始まりました。先ほどの生活保護の受給の増加率を見ていただければわかりますが、小さい子どもから高齢者まで、生活に困窮する人たちが相当数います。重要なことは、生活困窮は経済的困窮と社会的孤立がセットだという点です。お金がなく社会的に孤立し、親子3人で生活保護も受けず、1週間食べるものもなく家のなかで閉じこもって、最後は無縁死する。そういう問題に取り組まなければならないという認識が高まって、2013年の生活困窮者自立支援法に至ります。
これまで家族セクターが担ってきた受け皿機能やコーディネート機能は、家族の変容が進むにしたがって十分とはいえなくなった。そればかりか、家族はときには憎悪や憎しみや恐怖や暴力に満ちた場にさえなる。家族に頼ることのできない人びとが増加するなかで、家族にかわって家族的機能を果たすような社会サービスが求められています。
現在の社会保障制度や社会サービスでは、対象や制度にあわせて問題を限定してとらえて支援したり、あるいは他の支援機関に回しがちですが、それでは問題の悪循環から抜けだして自立に結びつけていくことが難しいケースが多数あります。
では、どのような社会資源が必要か。当事者の抱える問題の全体を構造的に把握したうえで、当事者のニードにあわせて、制度横断的に個々人にあった支援策を立て、資源を調達し、あるいは資源を開拓するなどのコーディネートをおこなうことです。さらに、当事者の状況変化に応じて、ひとりの人間あるいは世帯を継続的にサポートしていくような支援システムが必要とされています。これを伴走型支援といいます。それは、従来の行政組織や専門機関の弱点を衝くものです。対象別(高齢者・障害者・女性・若者・子どもなど)や制度別(介護・福祉・医療・就労支援など)に構築した支援体制では、複雑にからみあった問題の全体的な構造を把握し受けとめることが難しいからです。
人間を丸ごと把握し、そのニーズに丸ごと応えるようなパーソナルーサポートーサービスの営みが地域社会で豊富になれば、事後的な対応を余儀なくされていたこれまでの状況から一歩踏みだすことができるでしょう。そして、新たなリスクに対する早い段階での予防的施策がとられ、真の意味でのセーフティネットの構築につながることになるでしょう。さらにこの営みは、人口減少社会、とりわけ現役稼働年齢層が急速に減少するなかで、人びとが社会の死角に落ちこむことを防ぎ、労働市場や社会への参画を促進して、一人ひとりのもつ潜在的な能力を引きだし、全員参加型の社会を構築するという意味で重要だと思います。
このような社会システムをつくることは、あらゆる課題を家族責任として押しつけることをやめ、家族の力に負うことのできない人びとを放置しない社会づくりといえます。
仕事につながる学び、社会とつながる学び
若者に対しては、将来の長期失業者を生まない予防的対策という位置づけが重要な意味をもちます。しかし、日本の現状では、学校を離れた若者が個々の状況にあわせた支援サービスを受けられる体制にはありません。このような現実をふまえれば、学校教育の責任は大変大きいと思います。
ところが、日本では普通高校への期待が高く、そこからはずれた教育機関は、「劣等」のレッテルが張られやすい。このような世論を恐れ、教育制度に「差別」や「格差」を持ちこまないことを優先するあまり、自立の困難に直面する若者に対して必要とされる教育・訓練がないがしろにされています。「仕事に就くための学び」が担保されているとは言い難い現実があり、この難問をどうやって突破したらよいかを真剣に考えなければなりません。
不利な条件を抱える生徒が実社会で生きていける力を獲得できる高校教育への改革と、学校と実社会をつなぐ多様で持続性のある社会システムヘの改革を進めていく必要があります。
その際、就労困難な要因をもった若者には、通常の手法とは異なる手法が、学校教育においてさえ必要だと思います。その手法とは、ソーシャルワークとしての就労支援です。その中核には、多様な主体が関与するケア(ケース)マネジメントが位置づけられる必要があり、それを支える組織間連携が不可欠です。また、就職にあたっては面接への同行、職場の見学や体験就労などのメニュー、求人内容を本人にあわせてアレンジする作業(つまり援助つきマッチング)などが必要で、ときには求人企業との共同作業が必要だと思います。
現状のようなキャリア教育一般では、目的を達成できないことは明らかではないでしょうか。教育・労働・福祉をセットにした包括的支援教育が必要なのです。
家族責任から社会サービスヘの転換
2010年には子ども・若者育成支援推進法が成立し、子どもから若者まで、困難を抱えている人たちにこれまでバラバラに機能してきた制度やサービスをまとめて有機的なネットワーク体制をつくり、早期に発見をしてサポートする仕組みをつくることになりました。全国の40~50の自治体がその体制づくりをやっていますが、これまでまったく別々の世界であった福祉・保健・医療・雇用・教育・警察などの関係機関を横につなげながら、一人ひとりの人間をみんなでいっしょになってサポートする体制をつくるのは、本当に手間ひまがかかります。
私もいろいろなところにかかわっているのですが、こういう行政施策ほど難しいものはないと感じています。横浜市はそのなかでもかなり先進自治体だといわれていますが、それでも370万人もの人口を抱えるところで、くまなく市内にそのネットワークをつくり、どんな状態にあってもそのネットワークに入れれば、だれでも支援サービスが受けられる仕組みをつくるのは難しいことだというのが私の実感です。
それから2012年に、生活困窮者への取り組みが始まりました。先ほどの生活保護の受給の増加率を見ていただければわかりますが、小さい子どもから高齢者まで、生活に困窮する人たちが相当数います。重要なことは、生活困窮は経済的困窮と社会的孤立がセットだという点です。お金がなく社会的に孤立し、親子3人で生活保護も受けず、1週間食べるものもなく家のなかで閉じこもって、最後は無縁死する。そういう問題に取り組まなければならないという認識が高まって、2013年の生活困窮者自立支援法に至ります。
これまで家族セクターが担ってきた受け皿機能やコーディネート機能は、家族の変容が進むにしたがって十分とはいえなくなった。そればかりか、家族はときには憎悪や憎しみや恐怖や暴力に満ちた場にさえなる。家族に頼ることのできない人びとが増加するなかで、家族にかわって家族的機能を果たすような社会サービスが求められています。
現在の社会保障制度や社会サービスでは、対象や制度にあわせて問題を限定してとらえて支援したり、あるいは他の支援機関に回しがちですが、それでは問題の悪循環から抜けだして自立に結びつけていくことが難しいケースが多数あります。
では、どのような社会資源が必要か。当事者の抱える問題の全体を構造的に把握したうえで、当事者のニードにあわせて、制度横断的に個々人にあった支援策を立て、資源を調達し、あるいは資源を開拓するなどのコーディネートをおこなうことです。さらに、当事者の状況変化に応じて、ひとりの人間あるいは世帯を継続的にサポートしていくような支援システムが必要とされています。これを伴走型支援といいます。それは、従来の行政組織や専門機関の弱点を衝くものです。対象別(高齢者・障害者・女性・若者・子どもなど)や制度別(介護・福祉・医療・就労支援など)に構築した支援体制では、複雑にからみあった問題の全体的な構造を把握し受けとめることが難しいからです。
人間を丸ごと把握し、そのニーズに丸ごと応えるようなパーソナルーサポートーサービスの営みが地域社会で豊富になれば、事後的な対応を余儀なくされていたこれまでの状況から一歩踏みだすことができるでしょう。そして、新たなリスクに対する早い段階での予防的施策がとられ、真の意味でのセーフティネットの構築につながることになるでしょう。さらにこの営みは、人口減少社会、とりわけ現役稼働年齢層が急速に減少するなかで、人びとが社会の死角に落ちこむことを防ぎ、労働市場や社会への参画を促進して、一人ひとりのもつ潜在的な能力を引きだし、全員参加型の社会を構築するという意味で重要だと思います。
このような社会システムをつくることは、あらゆる課題を家族責任として押しつけることをやめ、家族の力に負うことのできない人びとを放置しない社会づくりといえます。
仕事につながる学び、社会とつながる学び
若者に対しては、将来の長期失業者を生まない予防的対策という位置づけが重要な意味をもちます。しかし、日本の現状では、学校を離れた若者が個々の状況にあわせた支援サービスを受けられる体制にはありません。このような現実をふまえれば、学校教育の責任は大変大きいと思います。
ところが、日本では普通高校への期待が高く、そこからはずれた教育機関は、「劣等」のレッテルが張られやすい。このような世論を恐れ、教育制度に「差別」や「格差」を持ちこまないことを優先するあまり、自立の困難に直面する若者に対して必要とされる教育・訓練がないがしろにされています。「仕事に就くための学び」が担保されているとは言い難い現実があり、この難問をどうやって突破したらよいかを真剣に考えなければなりません。
不利な条件を抱える生徒が実社会で生きていける力を獲得できる高校教育への改革と、学校と実社会をつなぐ多様で持続性のある社会システムヘの改革を進めていく必要があります。
その際、就労困難な要因をもった若者には、通常の手法とは異なる手法が、学校教育においてさえ必要だと思います。その手法とは、ソーシャルワークとしての就労支援です。その中核には、多様な主体が関与するケア(ケース)マネジメントが位置づけられる必要があり、それを支える組織間連携が不可欠です。また、就職にあたっては面接への同行、職場の見学や体験就労などのメニュー、求人内容を本人にあわせてアレンジする作業(つまり援助つきマッチング)などが必要で、ときには求人企業との共同作業が必要だと思います。
現状のようなキャリア教育一般では、目的を達成できないことは明らかではないでしょうか。教育・労働・福祉をセットにした包括的支援教育が必要なのです。