goo

地方からの変えるには

地方からの変えるには

 人口規模が1000人以下の小さな自治体でも、小売り・郵便局・一般診療所・看護老人福祉は生き残る。銀行などは、人口は6500人、老人看護保護設備は人口9500人、ショッピングセンターは4万から5万人。インフラの最低条件は人口二万人になっているけど、これはでかくないか。

 これはサービスする方とサービスされる側が分かれているケースです。一緒にすればいいし、組織とか個人が分化すれば、さらに小さな規模で維持することができる。

 リヒテンシュタインはスイスとオーストリアに挟まれた人口三万五千人の小さな国です。国土の三分の二が山地です。そこで、四つの言語で生活している。

 本屋にしても、図書館とどういう関係にしていくのか。難しいというよりも複雑になってきます。単純に商売するだけのことは不可能です。

「居場所」

 「居場所」は不要です。承認してもらえる場所よりも、持って行き先です。この地球にとどまるつもりはないから。

お茶のこころ

 パートナーは、なぜ、「お茶のこころ」を使わないのか。お茶は相手をどうもてなすかの塊です。永年、お茶をやって、師範をとるところまで来ているのだから、それを仕事に活かせばいい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

無緑死は自由だった証

『死に方の思想』より 無縁社会とは何か

無緑死は自由だった証

 無縁社会と対極にあるのが、村社会です。村社会にいれば、さまざまなしきたりや行事が共有され、人が死ねば葬式組の人たちがすべてを仕切ってくれます。まさに「有縁社会」です。もちろん孤独死などはありえませんが、縛られることが多いのも事実です。

 無縁社会の到来に衝撃を受けた人も、そうした「有縁社会」に戻りたいかと聞かれたら迷うのではないでしょうか。

 村には菩提寺があり、それぞれの家はその檀家になっています。村の名家は檀家総代などを務めることになり、たくさんのお布施をします。村に生きるということは、それを支える社会的な秩序の存在を意識し、そこから食み出ないようにすることを意味します。

 人が孤独には死なない、ということは「孤独に死ねない」の裏返しです。

 冠婚葬祭は村全体の行事ですから、参加しないことはありえません。檀家を辞めることは、秩序を乱すことですから、信教の自由が許されないことでもあります。

 束縛されたくなければ村を離れることになり、「無縁」社会に出て行くことになるわけですが、そうなれば縛られることはありません。それは、まさに自由を求めることでもあります。

 他者との強いつながりのなかで自由に生きることが理想なのかもしれませんが、それは容易に実現できることではありません。

 そういう意味で、「孤独死」「無縁死」は自由を求めて力強く生きたことの証と言えるのかもしれません。

無緑死は時代の必然

 いまでは、無縁死、孤独死を防ごうという対策がとられるようになっています。

 たとえば高齢者が多い団地の中で、自治体が見回りを強化し、亡くなっていたり、誰にも知られず病気で臥せっているケドスをなくそうとするのです。

 地方自治体でも、単身の高齢者世帯を巡回したり、増え続ける孤独死を防ごうという努力がされています。

 けれどもそうなると、人手と予算が確実にかかるのです。国や地方自治体の財政は危機的な状況にあり、そして今後団塊の世代が死を迎える時代となります。

 たくさんの人が死んでいく時代に、莫大な予算を使うことは事実上不可能でしょ

 これまで書いてきたように、そもそも無縁死、孤独死を即、不幸で悲惨な死とするのは違うと思います。

 もちろん、防げるものなら防いだほうがよいでしょうが、「完全ゼロ」を目指すのも無理があります。

 無縁死が増えてきたのは、戦後の都市化、産業構造の変化、さらには女性の社会進出などさまざまな要因が積み重なってきたからです。

 それはけっして日本人にとって不幸なことではなく、言ってみれば時代の必然でした。

 だからこそ、無縁死は『おみおくりの作法』の映画にも見られたように、日本だけの現象ではないのです。

葬式とは何か

 孤独死をして、身寄りの者が葬式を出さないという場合、葬儀社の費用は行政から出ることになります。葬式は、火葬場で葬儀社の職員が行なって終わりです。それが「直葬」というものです。

 この「直葬」は以前からあったのですが、NHKの番組「無縁社会」で紹介されました。

 ひとりで亡くなり、近親者が遺体を引き取らなかったために、葬儀社の社員二人だけが見送って火葬されるのです。

 家族も参列者もいないまま、火葬場で死の儀式が営まれます。葬式というよりも、遺体の処理に限りなく近く、視聴者に衝撃を与えました。

 ところが、この「直葬」で死者を葬るケースが増えているのです。

 行き倒れでもなければ、孤独死でなくても、首都圏では現在行なわれる葬儀の四分の一が直葬になっています。

 番組を通して「直葬」を知ったことをきっかけに、潜在的にそうしたいと思っていた人が直葬を選択するようになったのかもしれません。

 いまは、葬儀社も「直葬」をメニューにしていますから、これを選択しやすくなりました。

 この「直葬」に近い言葉として「密葬」がありますが、一般の人の場合には「密葬」とは言いませんでした。

 著名人だからこそ「密葬」なのです。著名人の場合には、密葬のあとにお別れ会のような会を行なうことが前提になっているわけです。

 「家族葬」というのは、「密葬」に限りなく似ていますが、「家族葬」は家族だけでやって終わりです。いま、家族葬も葬儀社のメニューに入っており、費用が安くて済むというイメージもあって、葬儀の中心を占めるまでになっています。

 いずれにしても現代は、会社ぐるみの葬式も少なくなりましたし、公職選挙法の規定もあって、政治家も参列できません。地域のつながりも希薄です。

 こうした社会のあり方が変わることによって、個人の「死」は共同体の中での「死」ではなくなってきています。そうすると、多くの人たちが共有する必要がなくなり、孤独死、無縁死でなくても、葬儀というものがどんどん簡素なものになってきているのです。

葬儀の形は時代の必然

 いずれにしても、葬儀、墓の問題は、法律も含めて見直さなければならない時代になっています。

 なんのために葬儀を営み、墓を建てるのか。現代社会では、その意味が曖昧になっています。

 私も親族を亡くしたときに経験していますが、八十代、あるいは九十代ともなれば、すでに故人の友人、知人の多くは亡くなっています。存命だとしても、葬儀に参列するのが難しい状態であることが多いわけです。

 多くの人が八十、九十代まで生きる現代、大々的に人を集めて故人の死を悼む儀式がどれほど必要とされているのでしょうか。

 肉体の死はある瞬間のできごとですが、「社会的な死」はそうではありません。まずは仕事を引退し、付き合いのあった人たちとも徐々に関係が希薄になっていくものでしょう。

 そういう意味では、生と死の境目は曖昧なものになりつつあるといえます。

 社会的な関係がおおかた切れてしまっている人が亡くなったとき、家族にとってはもちろん重要でも、周囲に与える影響は大きくはありません。

 葬儀も家族のみでこぢんまりと行なう、という流れが自然なのです。

 葬儀の簡略化は、時代の必然なのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

専門家による技術予測はなぜ外れるのか

『理系社員のトリセツ』より 理系の悲しい性分

理系人材が、科学技術のスキルを持っていること自体は結構であるが、それだけでは人材としては活躍できない。

専門性は人材の強みであるが、毒にもなる。技術職という地位は、専門性によって守られているので、かなり安定している。だからこそ、ややもするとその地位に安住してしまい、専門の殻に閉じこもって視野が狭まり、新しいことに挑戦する動機が希薄になるものだ。

本来、プロフェッショナリズムとは前代未聞の状況での破天荒な課題に、新しい人脈を編成して、対応するというタフな能力であるはずだ。しかし、今やプロフェッショナルを指す「専門性」という言葉には「視野が狭い」「専門馬鹿」というネガティブなニュアンスすら感じられる。

大学院で宇宙物理学を専攻し博士号を取ったばかりの新卒が就職希望者としてやってきたとしたら、あなたの会社は採用するだろうか? たぶんしないだろう。日本の企業は博士号持ちの採用に消極的というのが相場である。博士号持ちということは、専門の学問はもちろん、英語で論文を書いてプレゼンできるという便利なスキルまで持っているはずだ。しかし、「どうせ学問にしか興味のない常識に欠ける奴だろう」という判断になって採用されない。

さらには、専門家ほど大きな間違いをする「専門家のエラー」という現象があるため、彼らはマイナスに受けとめられる。なまじ技術に詳しい人間がしでかした大間違いの事例は産業史の中に山ほど見つかる。

例えば、次のようなものだ。

 ・「空気より重たい機械が空を飛ぶわけがない」→ 偉大な科学者ゲルピン卿の言葉

 ・「ソ連まで行ける長距離爆撃機は原子炉を動力源とするべきだ」→ 米軍が冷戦期に研究したが、放射線を+分に遮蔽しようとすると重くなりすぎて飛べず。

 ・「海軍力の主力は戦艦だ」→ 結果は、戦艦は航空機によって次々撃沈。戦闘でも出番なし。

 ・「コンピューター産業は大型計算機が主役である。パソコンなんぞは、どこかの趣味人に自宅のガレージで作らせておけばよい」→ 結果は、ガレージ発の零細企業がパソコンで世界を制する。

 ・「ソフトウェアはハードウェアのおまけだ。どこかの零細企業に作らせておけばよい」→ 結果は、零細企業がOSソフトウェアで世界を制する。

 ・「コンピューター産業はOSソフトが主役である。インターネット向けの技術は重要ではない」→ 結果は、零細企業がネット検索技術で世界を制する。

 ・「デジカメはフィルムカメラに劣る。将来は入れ替わるとしても、当分はフィルムカメラの需要は残る」「薄型テレビはブラウン管テレビに劣る。ブラウン管を製造し続けるべきだ」→ 結果は、あっという問に交代した。

 ・「自分が何を買ったのかを、ソーシャルネットワーキングでつながっている仲間にも自動で教えてあげましょう」(二〇〇七年に登場したフェイスブックのビーコンという機能)→ 大不評で撤回に追い込まれる。

 ・「その技術は我が社で作られたものではないので、採用しない。他社から技術は買うのは屈辱だ。必要なら自社で似たような技術を開発する」この自前主義的な心理傾向はNIH(Not Invented Here、「我が社の発明じゃないから」)症候群と呼ばれる。→ 結果、VHS・ベータ戦争などの、消費者にとってはまったくありがたくない消耗戦に。偉大なエジソンですら、自前の直流送電方式に固執し、交流送電方式のことを人体に有害なものだと言いがかりを付けた。結局、競争に勝ったのは交流方式だった。

 ・「その技術は米国では研究も商品化もしていないので投資しない。米国で流行っているなら投資する」(拝米主義)→ 今話題の3Dプリンターは日本発の技術だが、当初は重要視されず特許化のチャンスを逃している。

このように、特にマーケティングの予測において、理系の専門家の意見は的外れなことがある。もちろん、専門家であるから、その意見は多くの場合まずまず正しいのだろう。しかし、革新的な技術の出現に対しては、予測を致命的なまでに外すことがある。

このように、大外れをしてしまう理由は二つある。

専門家は「古い技術の専門家」であるから、古い技術について膨大な知識がある。人間には、情報があるものの方を肯定的に感じるという心理傾向がある。たとえば「Aについてはマーケティングの調査報告が二〇〇件あるが、Bについてはまったく情報がない」と言われれば、Aの方を選んでしまうのである。こうして知識のある古い技術を優先するのである。

また、自分が今まで関わってきた「なじみの技術」には、自然と愛着が深まるという点も無視できない。たとえその技術が、時代遅れとなりつつあっても、ひいき目に見てしまうのだ。「故きを温めて故きを知る」という堂々巡りに陥り、新興の技術に対する感受性を失うと、「専門バカ」のできあがりである。

先に挙げたように、大企業が開発能力を有り余るほど持っているにもかかわらず、決定的に重要な新技術を無視してしまい、零細な新興企業にかっさらわれる例が多い。大企業内では、専門家が自社の従来技術が一番優れていると説いて回るので、技術予測に対してはかなり保守的になる。

第二の理由は、技術の高さを、正当性や倫理的な高さを保証するものと誤認しがちな点である。理系の多くは、「高度な技術は正しい」と考えている。だから、「高度な数学・金融工学によって運用された金融商品は儲かる」などと、リーマンショツクの前までは専門家も考えていたのである。

技術の神聖視が高じると、理系社員は「技術の進歩を否定することは悪である」と信じはじめる。既存技術の存続と改良は、絶対に断絶してはならないと考えるため、環境やプライバシーに配慮して技術の乱用を控えるという視点には思いが至らないのである。より大きく、より強くという、重厚長大を追求することが行動原理となるのだ。

ブログという技術が存在するのならば、もっと大きなブログ技術を開発しようとする。逆に技術を退化させて、わずか二〇○字そこそこしか書き込めなくしたミニブログというアイデアは、エンジニアからは失笑に付されるだろう。ミニブログは技術的には「退化」しているので、並み居るIT企業ならどこでも簡単に着手できる技術だったのに、エンジニアは食指を動かすことはなかった。独壇場を築いたのは新興のツイッター社であった。

理系専門家は自分自身ぶ無謬性を幻想しがちである。

学校での数学のテストのように、あるいは物理学の実験のように、理論通りに論を進めていけば、間違いのない答えにたどり着けると、信じ切ってしまう。あるいは、どんな問題に対してもイエスかノーで答えられると過信する。しかし、現実にはどんな理論も完璧ではなく、適用できる範囲や精度には限界がある。さらには、自分の主観的で勝手な論理を理論的だと言い始めると、もはや救いがたい。理屈っぽい人が論理的に正しい人であるという保証はない。

こうして理系専門家は大きなミスをやらかすリスクを背負っている。大勢の科学者の見解は大抵間違っているので、それとは逆のことをやれば正しいと、有名な計算機科学者、マービン・ミンスキーは言った。「人の行く裏に道あり花の山」という相場の格言と同じである。

しかしながら、技術の動向予測を調べようにも専門家以外に尋ねる人がいないというのが現実である。半年後の短期間の予測なら、専門家はぴたりと当てられるだろう。特に純技術的な予測は当てやすい。

半導体産業の世界では、「半導体の集積度は三年で二倍に進歩する」という経験則が成り立っており、「ムーアの法則」と呼ばれている。大ざっぱに言えば、三年後には今の二倍の性能のパソコンが出現するということである。この法則がなぜか成立しつづけてきた。一つの技術に限って言えば進歩の速度は安定しているものなのだろう。その技術が、まったく別の原理に基づく技術に取って代わられないかぎり、予測は比較的容易である。

だが、長期の予測では、専門家は保守的で我田引水の答えを出してしまいがちである。あるいは、「○○技術の確立は一〇年後。実用化は一五年後。主要産業に成長するのは二五年後」という、かなり遠い未来での予測を出して、たとえ外れても責任を取らなくても済むようにするだけである。

理系の性分 理系専門家の技術予測は、ここ一番で大きく外れる
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

県外資本のメガソーラーが全体の八割

『ゴーストタウンから死者は出ない』より 再生可能エネルギーの意志ある波のゆくえ--エネルギー政策の経路依存と構造転換 再生可能エネルギー固定価格買取制度による市場環境の変化

二○一二年三月に電源種ごとの買取価格が決定してから、太陽光発電はとくに増加した。出力一〇キロワット以上の太陽光は、一律四〇円/キロワット時(税抜き)で二〇年間買い取られることとなったため、短期間で投資回収の見込みが立つと判断されたのである。

すでに建設・稼働を開始している事業をいくつか紹介しよう。

金ケ崎町内で宿泊施設「みどりの郷」を経営するジュリアン(岩手県奥州市)は、同施設の敷地内に一五〇〇キロワットのメガソーラーを建設し、二〇一三年三月から発電を開始した。事業費は五・二億円で日本政策金融公庫と地元地銀から融資を受けた。地元地銀からの融資は、岩手県が新たに設けた再生可能エネルギー立地促進のための融資制度を活用した。

被災した大船渡市では、五葉山の中腹にある牧野に二万キロワットのメガソーラーが二〇一三年六月から建設されている。事業主体は前田建設工業(東京)を代表社員とし、地元企業も出資する合同会社で、事業費六六億円は、都銀・地銀五社が協調融資を行った。

雫石町では、エトリオン(スィス)と日立ハイテクノロジーズ(東京)が合同会社を設立して、二〇一四年一〇月から二万五千キロワットのメガソーラーを建設している。

このように岩手県内でメガソーラーを行う事業者は県内・県外・外資系企業までじつに多様であり、その全体像や詳細は明らかになっていない。そこで私は、県内各地で調査を行うとともに、岩手県内の新聞各紙、事業者のホームベーダやプレスリリースを収集し、四六件の事業の概要に関する情報をまとめた。

事業者や規模など詳細が把握できた四六件のメガソーラーの出力合計は二三万五八九八キロワット、二〇一四年一一月末時点で稼働しているものは二五件・四万六三四七キロワットであった。上述した資源平不ルギー庁の発表(二〇一四年八月末時点)における稼働済みメガソーラーが二〇件であることから、すでに稼働している施設については、おおむね網羅的に把握できていると考える。

詳しく見ていこう。まず、県外企業(国外を含む)による事業は二七件・一五二二八六キロワットであるのに対して、県内企業による事業は一二件・一万九七二三キロワットにとどまる。県内外の企業が合同で設立した特別目的会社(SPC)による事業も二件一三万二〇〇キロワットあるが、ともに地元企業の出資比率はきわめて少ないとされる。このほか、自治体が所有する土地に事業者を公募した公共関与的性質の強い事業が五件・三万三六八九キロワットあるが、選定された事業者は県外に本社を置く企業か、県外企業が主導した共同事業体(JV)に地元企業が参加するケースである。

買取価格は一キロワット時あたりで設定されているため、事業の件数ではなく出力ペースで集計すると、図1のような比率となる。県内企業あるいは自治体が経営に関与するメガソーラーは、全体の二二%にすぎない。つまり、岩手県内に降りそそいだ太陽光を資源に発電した施設でありながら、その利益は、八割近くが県外へ流出する可能性がきわめて高い。

一件あたりの事業規模の比較においても、県外企業による事業規模の平均は五六四〇キロワットであるのに対して、県内企業による事業のそれは一六四四キロワットであり、差は歴然としている。

こうした現状は、各地でどのような問題を顕在化させているのか。

県南部に位置する金ケ崎町の例を挙げよう。町の農業用水路などを管理運営する岩手中部土地改良区では、仙台藩の時代から濯漑用水源として整備してきた「千貫石ため池」を活用して、二○○九年に小水力発電可能性調査を実施した。採算がとれることがわかり、二○一二年、概略設計に着手、出力一三八キロワットの発電設備を導入し、収益を施設の維持管理費に充て、組合員である地元農家の負担金を軽減する事業計画を立てた。ところが二〇一三年に入り、東北電力に送電網に接続するための事前相談を行うと、「可能」の回答とともに「じつは変電所の空き容量がもうすぐなくなる」と説明を受けた。その後、近隣でメガソーラーが二つ、送電網に新たに参入したため、小水力発電の計画は頓挫したままである。次に接続可能な変電所までは一六キロメートル離れており、その間の送電線を自前で整備するには億単位の追加的投資が必要なことが判明した。小水力発電は河川管理者と水利権の協議が必要であるなど、太陽光発電に比べて計画から完工までに時間がかかる。同土地改良区の事業課長は「(太陽光発電と)同じ土俵で戦っても負けてしまう。せっかく目の前に自然エネルギーが眠っているのに歯がゆい思いだ」と話す。

メガソーラーと小水力の優劣を判断するつもりはない。どちらも重要なエネルギー源だ。しかし、特性が異なり、必要な手続きや事業化の所要時間も異なる電源種の受け入れを、一律に先着順にすれば、てっとり早く着手できる太陽光発電が有利になってしまうのは明白であった。この制度運用上の問題は解決されぬまま、東北電力は二〇一四年一〇月、家庭用を除く太陽光と水力、地熱、バイオマスの、出力五〇キロワット以上の施設の新規接続申し込みへの回答を、管内全域で中断すると保留した。その後、二〇一五年一月に改正された省令(後述)にもとづいて、接続申し込みへの回答を再開している。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

被災自治体財政の分析--宮城県南三陸町を事例に

『ゴーストタウンから死者は出ない』より 被災自治体財政の分析--宮城県南三陸町を事例に

本稿においては、東日本大震災の被災地となった地方自治体の財政が震災によってどのように変化したのかについて、宮城県南三陸町を事例に分析を行う。分析にあたって、まずは歳出入の変化について検討する。そして、今後の南三陸町の財政に関する予測について議論する。そのなかで、じつは進みつつある復興事業のなかに、将来の町財政の悪化につながる要因が潜んでいることを明らかにする。さらに、基幹税である固定資産税の税収見通しを示す。これらのことから復興が進んでも被災自治体の財政は厳しい状況に置かれる可能性が高いことを指摘する、。

本稿の分析対象である南三陸町は、人ロ一万四二五六人(二〇一四年一〇月末現在の住民基本台帳人口)の町であり、二〇〇五年一〇月に旧志津川町と旧歌津町が合併してできた町である。震災直前の二〇一一年二月末の人口は一万七六六六人であり、台帳上は約三千人の人口減少がみられる。多くの被災地と同じように、震災によって町の様子が大きく変化した地方自治体である。

まずは歳出入総額の変化について見てみたい。表は二〇一〇~二〇一四年度における歳出入総額の推移を見たものである。この表から読み取ることができるように、震災後に歳出入規模は大きくなっている。とくに二〇一三年度は六六四・七億円となっており、二〇一〇年度と比較して約九倍となっている。一方で、町税は減少している。表2は二○一〇~二○一二年度における町税の推移を示したものである。この表から読み取ることができるように、震災前には一三億円であった町税が二〇一一年度には五・八億円と四割程度にまで減少している。なかでも固定資産税が減少しており、税収減のなかでもっとも大きなウエイトを占めている。

さらに、より詳しく歳出入について見ていきたい。表3は二〇一三年度における歳入の内訳を示したものである。この表から読み取ることができるように、歳入のなかでウエイトの高い項目は、繰入金、国庫支出金、地方交付税の順となっている。

歳入のなかでもっとも多いのが繰入金である。繰入金とは、一般会計、特別会計、基金等の会計間の現金の移動のことをいう。基金繰入金三一八・三億円のうち三一六・六億円が復興交付金繰入金である。復興交付金は基金による執行も可能であり、事業の進捗に合わせて基金を取り崩している。

次いで多いのが国庫支出金である。国が地方自治体に対して交付する負担金、補助金、委託金等を総称して国庫支出金と呼んでいる。国庫支出金は使途が特定される特定補助金である。総額一五七・七億円のうち復興関連のものは国庫負担金が六五・五億円、国庫補助金が九二・八億円となっている。

前者のうち五〇・二億円が農林水産業施設災害復旧費負担金であり、漁港、道路橋りょうおよび河川災害復旧事業に充てられた。後者のうち九一・五億円が災害復旧費国庫補助金であり、東日本大震災にともなう災害廃棄物処理委託料(ガレキ処理費)に充てられた。災害復旧事業については、国庫負担金と国庫補助金を充当した残額に震災復興特別交付税(以下、震災特交)が措置される。したがって、地方自治体の負担なく事業を行うことができる。震災特交とは、大震災の復旧・復興事業に係る被災自治体の財政負担を解消するとともに、被災自治体以外の地方自治体の負担に影響を及ぼすことがないよう、通常収支とは別枠で確保し、事業実施状況に合わせて決定・配分するものである。

三番目に多いのが地方交付税である。地方交付税とは、国税の一定割合の額で、地方自治体が等しく行うべき事務を遂行することができるよう、一定の基準により国から交付されるものである。地方交付税は国庫支出金とは異なり、使途が特定されない一般補助金である。総額一二七・八億円のうち三六・八億円が普通交付税、二・四億円が特別交付税、八八・六億円が震災特交となっている。

では、歳出はどのような内容になっているのであろうか。表4は二〇一三年度における歳出の内訳を示したものである。この表から読み取ることができるように、歳出のなかでウエイトの高い項目は、復興費、民生費、災害復旧費の順となっている。

歳出のなかでもっとも多いのが復興費である。この復興費は二〇一二年度予算から新たに設けられた款である。復興費のうち復興総務費の項以外はすべて復興交付金が財源として充てられる。復興費総額三八三・四億円のうち復興土木費が三三一・六億円となっている。このうち二一三・二億円が防災集団移転促進事業費であり、うち一〇六・四億円が公有財産購入費(事業用地)である。これに次いで多いのが災害公営住宅整備事業であり、事業費は四二・七億円である。三番目に多いのが津波復興拠点整備事業費であり、事業費はニ八・八億円である。このうち一〇・一億円が公有財産購入費(事業用地)である。四番目に多いのが道路事業費であり、二四・九億円である。

次いで多いのが民生費である。民生費とは、社会福祉の向上を図るために、地方自治体が、児童、老人、心身障害者等のための各種福祉施設の整備および運営、生活保護の実施等の諸施策を推進するのに要する経費のことである。総額一二四・五億円のうち災害救助費が一〇五・五億円である。そのうちガレキ処理費が一〇一・七億円であり、二〇一三年度で事業は完了している。

三番目に多いのが災害復旧費である。災害復旧費とは、降雨、暴風、洪水、地震等の災害によって被害を受けた施設等を原形に復旧するために要する経費のことである。総額六六億円のうち漁港施設災害復旧費が五四・八億円である。この事業は原形復旧を基本に町管理施設一九港の復旧を行うものであり、二〇一五年度の事業完了を見込んでいる。また、このほかに公共土木施設災害復旧費が九・六億円となっており、道路橋りょうや河川の災害復旧に充てられてしる

ここまで二〇一三年度における歳出入の状況について見てきた。歳入においては復興交付金、復興特交、災害復旧費国庫補助金が、歳出においては復興費、災害救助費、災害復旧費が大きなウエイトを占めていることが明らかになった。復興に関連した歳出額は非常に大きいが、国からの交付金でまかなわれている。

このような巨額の予算に関しては、執行の遅れと繰り越しがメディアにおいて問題として取り上げられているが、問題はそれだけではない。じつは進みつつある復興事業のなかに、将来の南三陸町の財政に問題を生じさせかねない要因が潜んでいる。要因はいくつか考えられるが、本稿においては次の二つの要因を挙げたい。第一に、災害公営住宅整備事業による財政の硬直化である。第二に、数十年後のインフラの維持補修費の増加、更新時期の集中である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )