『新・自衛隊論』より 「イスラム国」の背景にあるイラク国家建設の失敗
ISISとは
本稿を進める上で、名称について少し細かい話をします。「イスラム国」の略称であるISISというのは何の略なのか、大シリアとはどういう意味なのかなどのことです。
ISISは、アラビア語の用語を直訳すると、「イラクと大シリアのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Sham)となります。この「大シリア(Sham)」が、欧米的に言うと「レバント」という言い方にもなるので、「イラク・レバントのイスラム国」(Islamic State in the Iraq and the Levant)と呼ぶメディアもあります。一般にはシリアとレバノンを合わせて、現地ではアラビア語でシャームと言われます。歴史的に見れば、オスマン帝国の時代にシャーム地域として扱われていたなかには、ヨルダンもパレスチナも入ります。つまりイスラエルも入るのです。
私がいま一番危惧しているのは、イスラム国が着々と制圧地域を広げておりますが、シヤーム全体に勢力を及ぼそうと考えた時に、当然イスラエルもターゲットに入るということです。イスーフエルがターゲットになって、たとえば「ガザを攻撃しているイスラエルはけしがらん、イスラム教徒は結集してイスラエルに対抗せねばならない」とイスラム国が言い出したら、おそらく多くのイスラム教徒がそれに賛同しようと支持するでしょう。ところが、イスラエルに対しては意外なほど何も言っていません。その点が、イスラム国がこれまでのアラブーナショナリズムやアルカイダなどとは全く異なるところです。
歴史的な背景を見ると、イスラム国はいま紹介したように、地中海からペルシア湾までを勢力拡大の目標にしています。一方、その発生の直接のルーツはイラクにあります。
イラク戦争後、アメリカが統治に失敗し、2004年にはファッルージャを中心とした西部地域において住民が反米活動を行っていました。そこに外国からイスラム主義義勇兵が入ってきて、2006年にはイラクーイスラム国が作られました。その後、2006年から2007年にかけて激しい内戦が起こるわけですが、2008年頃には一旦その内戦は終息します。イラク西部に拠点をおいたイスラム国も掃討され、その残党がシリアなどに逃げたのですが、2011年から今度はそのシリアで内戦が起こります。そこで内戦の混乱に乗じてシリアで勢力を拡大し、その上で2014年イラクに舞い戻ったのです。かつてのソマリアやアフガニスタンのように、国家の治安が崩壊したところに巣をつくって生きていく武装勢力の典型的な例だと言えるでしょう。
旧勢力によるクーデター
では、イスラム国は何をめざしているのか。目的としているのは、カリフ制の再興ということになります。ISISは2014年6月29日にカリフ国家の樹立を宣言しています。
カリフ制というのは、オスマン帝国の時までとられていたイスラム国家の統治体系で、預言者ムハンマドの後継者を共同体の長におく、という考えです。またオスマン帝国はハナフィー派というスンナ派の一つの学派をもとに国家運営をしていましたが、その当時、基本的にはシーア派は異端でイスラムと認めないという姿勢をとってきました。もちろん、いまではスンナ派の多くがシーア派もまたイスラム教であると認めています。しかしイスラム国は、ワッハーブ系やサラフィー主義(純粋なィスラムヘ戻れと主張する主義)の、イスラム法の厳格な支配を主張しているグループですから、モースルにいるキリスト教や少数宗派のヤズィディ教徒などを排除し、シーア派を異端として殺害する、というようなことをやっているのです。
イラクの北部には世界遺産となっているようなキリスト教の遺跡、聖書に出てくるような遺跡がありますけれど、それも破壊されたという報道がありました。2000年以上生き延びてきたイラクのマイノリティであるキリスト教徒が殲滅される危機にあるという報道もされています。
以上のような背景があるので、現在の事態は宗派対立だと言われることがあります。イラクにはクルド人もいれば、アラブのスンナ派とシーア派もいて、宗派や民族が複数だから対立し続けていると一般に思われています。
しかし、現在の事態について注目しておくべきは、イスラム主義の勢力拡大や宗派間の対立ということだけではなくて、イラク戦争でひっくり返された旧政権、サッダーム・フセイン政権の残党の動きと関わっていることです。そういう人々がイスラム国に入り込んでいると言われています。そうでなければ、あれだけ効果的な軍事行動を展開できるとは考えられません。
イスラム国の今回の動きは、基本的には、イラク戦争で実質的に政権を奪取された旧勢力側のクーデターの試みだったと考えられます。つまり、イラク戦争でひっくり返された体制をもう一回ひっくり返し直そうというものです。
イラクのシーア派というのは、主として南部に住んでいて、聖地ナジャフが信仰の中心にあります。一方で、スンナ派は北部から西部にかけての中部地域に住み、部族的紐帯が強い大部族が多い地域です。とはいっても、その両派は、歴史的に分離されてきたわけではなく、互いに混じり合って住んでいて、結婚も多くあります。
ところがアメリカは、物事を単純化して見る傾向があります。つまり、サッダーム・フセインはスンナ派の出身であり、違う宗派、民族であるシーア派とクルド民族を抑圧し続けてきたので、スンナ派全体が、シーア派とクルド民族に牛耳られた戦後のイラク体制を面白く思っていないに違いない、といった考えです。だからアメリカは、徹底的にスンナ派地域を掃討しました。米軍の掃討作戦の結果、破壊された町や村がたくさんあります。宗派対立と言われるけれども、今回の事態の根幹には、アメリカのイラク戦争後の統治政策の失敗があるのです。
ISISとは
本稿を進める上で、名称について少し細かい話をします。「イスラム国」の略称であるISISというのは何の略なのか、大シリアとはどういう意味なのかなどのことです。
ISISは、アラビア語の用語を直訳すると、「イラクと大シリアのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Sham)となります。この「大シリア(Sham)」が、欧米的に言うと「レバント」という言い方にもなるので、「イラク・レバントのイスラム国」(Islamic State in the Iraq and the Levant)と呼ぶメディアもあります。一般にはシリアとレバノンを合わせて、現地ではアラビア語でシャームと言われます。歴史的に見れば、オスマン帝国の時代にシャーム地域として扱われていたなかには、ヨルダンもパレスチナも入ります。つまりイスラエルも入るのです。
私がいま一番危惧しているのは、イスラム国が着々と制圧地域を広げておりますが、シヤーム全体に勢力を及ぼそうと考えた時に、当然イスラエルもターゲットに入るということです。イスーフエルがターゲットになって、たとえば「ガザを攻撃しているイスラエルはけしがらん、イスラム教徒は結集してイスラエルに対抗せねばならない」とイスラム国が言い出したら、おそらく多くのイスラム教徒がそれに賛同しようと支持するでしょう。ところが、イスラエルに対しては意外なほど何も言っていません。その点が、イスラム国がこれまでのアラブーナショナリズムやアルカイダなどとは全く異なるところです。
歴史的な背景を見ると、イスラム国はいま紹介したように、地中海からペルシア湾までを勢力拡大の目標にしています。一方、その発生の直接のルーツはイラクにあります。
イラク戦争後、アメリカが統治に失敗し、2004年にはファッルージャを中心とした西部地域において住民が反米活動を行っていました。そこに外国からイスラム主義義勇兵が入ってきて、2006年にはイラクーイスラム国が作られました。その後、2006年から2007年にかけて激しい内戦が起こるわけですが、2008年頃には一旦その内戦は終息します。イラク西部に拠点をおいたイスラム国も掃討され、その残党がシリアなどに逃げたのですが、2011年から今度はそのシリアで内戦が起こります。そこで内戦の混乱に乗じてシリアで勢力を拡大し、その上で2014年イラクに舞い戻ったのです。かつてのソマリアやアフガニスタンのように、国家の治安が崩壊したところに巣をつくって生きていく武装勢力の典型的な例だと言えるでしょう。
旧勢力によるクーデター
では、イスラム国は何をめざしているのか。目的としているのは、カリフ制の再興ということになります。ISISは2014年6月29日にカリフ国家の樹立を宣言しています。
カリフ制というのは、オスマン帝国の時までとられていたイスラム国家の統治体系で、預言者ムハンマドの後継者を共同体の長におく、という考えです。またオスマン帝国はハナフィー派というスンナ派の一つの学派をもとに国家運営をしていましたが、その当時、基本的にはシーア派は異端でイスラムと認めないという姿勢をとってきました。もちろん、いまではスンナ派の多くがシーア派もまたイスラム教であると認めています。しかしイスラム国は、ワッハーブ系やサラフィー主義(純粋なィスラムヘ戻れと主張する主義)の、イスラム法の厳格な支配を主張しているグループですから、モースルにいるキリスト教や少数宗派のヤズィディ教徒などを排除し、シーア派を異端として殺害する、というようなことをやっているのです。
イラクの北部には世界遺産となっているようなキリスト教の遺跡、聖書に出てくるような遺跡がありますけれど、それも破壊されたという報道がありました。2000年以上生き延びてきたイラクのマイノリティであるキリスト教徒が殲滅される危機にあるという報道もされています。
以上のような背景があるので、現在の事態は宗派対立だと言われることがあります。イラクにはクルド人もいれば、アラブのスンナ派とシーア派もいて、宗派や民族が複数だから対立し続けていると一般に思われています。
しかし、現在の事態について注目しておくべきは、イスラム主義の勢力拡大や宗派間の対立ということだけではなくて、イラク戦争でひっくり返された旧政権、サッダーム・フセイン政権の残党の動きと関わっていることです。そういう人々がイスラム国に入り込んでいると言われています。そうでなければ、あれだけ効果的な軍事行動を展開できるとは考えられません。
イスラム国の今回の動きは、基本的には、イラク戦争で実質的に政権を奪取された旧勢力側のクーデターの試みだったと考えられます。つまり、イラク戦争でひっくり返された体制をもう一回ひっくり返し直そうというものです。
イラクのシーア派というのは、主として南部に住んでいて、聖地ナジャフが信仰の中心にあります。一方で、スンナ派は北部から西部にかけての中部地域に住み、部族的紐帯が強い大部族が多い地域です。とはいっても、その両派は、歴史的に分離されてきたわけではなく、互いに混じり合って住んでいて、結婚も多くあります。
ところがアメリカは、物事を単純化して見る傾向があります。つまり、サッダーム・フセインはスンナ派の出身であり、違う宗派、民族であるシーア派とクルド民族を抑圧し続けてきたので、スンナ派全体が、シーア派とクルド民族に牛耳られた戦後のイラク体制を面白く思っていないに違いない、といった考えです。だからアメリカは、徹底的にスンナ派地域を掃討しました。米軍の掃討作戦の結果、破壊された町や村がたくさんあります。宗派対立と言われるけれども、今回の事態の根幹には、アメリカのイラク戦争後の統治政策の失敗があるのです。
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