goo

テーマ対比 物理層 編集

M1 社会との関わり

 空間モデル

  社会の現象 ⇒ 1.3.4 社会構造
  社会を分析 ⇒ 1.3.4 社会構造
  社会の変化 ⇒ 5.6.1 社会変化を示す
  社会のあり方 ⇒ 4.4.1 幸せな社会

 多様化の影響 ⇒ 4.1.4 多様化

  社会の動き ⇒ 3.1.2 社会の動き
  社会の情報 ⇒ 3.1.2 社会の情報
  蓄積されたもの ⇒ 7.6.4 社会ライブラリ
  社会の位相 ⇒ 7.8.2 社会の位相

 地域から見る ⇒ 3.4.3 自律型地域

  地域の課題 ⇒ 9.1.2 地域の循環系
  地域発想 ⇒ 9.1.2 地域は多様
  地域を知る ⇒ 3.1 社会を知る
  地域主体 ⇒ 3.4.4 地域活性化

 幸せな社会 ⇒ 1.8.3 幸せを実現

  多くの人がいる ⇒ 10.1.1 多くの人がいる
  戦争と平和 ⇒ 4.3.2 国での戦争
  個人の分化 ⇒ 10.3.1 個人の分化
  多様化をいかす ⇒ 9.2.3 多様化に対応

M2 サファイア

 空間モデル ⇒ 2.2 空間モデル

  空間配置 ⇒ 2.2.1 空間配置
  ロジック ⇒ 2.2.3 ロジック
  循環表現 ⇒ 2.2.4 循環
  多層表現 ⇒ 2.7.1空間を創る

 sファイア理論 ⇒ 2.5 サファイア革命

  4つの役割 ⇒ 2.5.1 循環の役割
  4つの機能 ⇒ 9.5.1 4つの機能
  事務局 ⇒ 9.6.2 革命母体
  持続可能性 ⇒ 5.8.1 持続可能な社会

 循環項目 ⇒ 9.4.1 方針と対応

  循環機能 ⇒ 9.5.1 機能を充実
  思考と行動 ⇒ 2.2.4 思考と行動
  全体と部分 ⇒ 2.4.1 部分と全体
  地域と国 ⇒ 4.3.3 地域と国

 数学理論 ⇒ 2.5 サファイア理論

  近傍 ⇒ 2.5.3 部分の状況
  全域 ⇒ 2.5.4 全体の状況
  連続性 ⇒ 2.7.4 部分から中核
  トポロジー ⇒ 2.2.2 トポロジー思考

M3 未唯空間

 全てを知る ⇒ 1.8 すべてを知る
  全てを表わす ⇒ 1.8.2 すべてを表す
  今を知る ⇒ 6.8.2 今を知る
  全体を知る ⇒ 6.8.1 全体を知る
  先を知る ⇒ 6.8.3 先を知る

 未唯空間の構造 ⇒ 1.5 未唯空間

  思いを残す ⇒ 7.7.2 思いを残す
  分類 ⇒ 1.5.1 分類
  言語で表現 ⇒ 1.5.2 言語で表現
  体系化 ⇒ 6.7 知の体系化

 考え抜く ⇒ 1.4.2 考え抜く

  好奇心 ⇒  7.1.2 好奇心
  数学で考える ⇒ 2.1.2 数学で考える
  本質を考える ⇒ 1.2 本質を考える
  考える時間 ⇒ 7.1.4 与えられた時間

 未来を示す ⇒ 1.8 すべてを知る

  未来学者 ⇒  1.8.4 未来学者
  未来方程式 ⇒ 4.5 未来方程式
  未唯宇宙 ⇒ 1.6.1 未唯宇宙
  先に進む ⇒ 7.1.4 先に進む

M4 システム設計

 パートナー ⇒ 5.6.1 パートナー
  全体を考える ⇒ 10.7.3 全体を知る
  先を見る ⇒ 8.3.1 地域の夢
  持続可能性 ⇒ 5.8.1 持続可能な社会
  設計能力 ⇒ 5.1.2 システム設計

 要望 ⇒ 8.1 販売店要望

  夢を聴く ⇒ 8.1.1 要望を知る
  夢をカタチに ⇒ 5.1.3 夢をカタチに
  簡単に使える ⇒ 8.1.3 簡単に使える
  つながる ⇒ 8.1.4 つながる

 システム構成 ⇒ 5.5 システム構成

  使える仕組み ⇒ 5.1.3 簡単に使える
  店舗支援 ⇒ 8.4.1 コミュニティ
  システムのベース ⇒ 8.6.2 クラウド
  将来のあり方 ⇒ 5.8.1 持続可能な社旗

 システム設計 ⇒ 5.6.1 システム設計

  システム要素 ⇒ 8.6.1 共有基盤
  情報共有 ⇒ 8.6.4 コラボレーション
  空間配置 ⇒ 2.2.1 空間配置
  武装化 ⇒ 5.7.1 スタッフの分化

M5 コミュニティ

 地域展開 ⇒ 3.4 地域に展開
  地域を支援 ⇒ 8.3.3 社会を支援
  地域の声 ⇒ 8.3.1 地域の夢
  静脈系 ⇒ 3.4.2 静脈系
  クライシス ⇒ 3.6.1 クライシス

 間に位置する ⇒ 3.5 コミュニティ

  生きられる ⇒ 10.1.4 活きられる
  地域連携 ⇒ 5.7.3 コミュニティ連携
  個人と組織 ⇒ 10.6.3 個人と組織
  地域インフラ ⇒ 9.7.1 地域インフラ

 知識と意識 ⇒ 8.7.3 知識と意識

  地域ナレッジ ⇒ 8.3.2 地域ナレッジ
  コラボ ⇒ 6.5.2 コラボ
  知識と意識 ⇒ 3.5.1 知識と意識
  合意形成 ⇒ 9.5.4 合意形成

 ライブラリ ⇒ 7.6.4 社会ライブラリ

  意思決定 ⇒ 6.6.4 意思決定
  活動拠点 ⇒ 6.3.3 活動拠点
  知の共有 ⇒ 6.7.4知の共有
  社会の位相化 ⇒ 10.4.4 位相化

M6 政治形態

 国民国家 ⇒ 4.2.2 国民国家

  戦争と平和 ⇒ 4.3.2 国での戦争
  中央集権 ⇒ 4.3.3 地域と国
  国家連合 ⇒ 4.7.4 国家連合
  超国家 ⇒ 4.8.3 地域と超国家

 資本主義 ⇒ 3.1 社会を知る

  持続可能性 ⇒ 9.6.2 持続可能性
  共産主義 ⇒ 4.1.2 共産主義
  超・資本主義 ⇒ 9.6.3 超・資本主義
  共有意識 ⇒ 10.3.2 意識の改革

 民主主義 ⇒ 4.1 民主主義

  全体主義 ⇒ 4.1.1 全体主義
  共有民主主義 ⇒ 4.3.4 共有民主主義
  超・民主主義 ⇒ 9.6.3 超・民主主義
  分化と統合 ⇒ 9.7.2 分化と統合

 合意形成 ⇒ 3.7.4 合意形成

  政治のあり方 ⇒ 9.2.4 政治形態
  合意形成 ⇒ 3.7.4 合意形成
  意思決定 ⇒ 6.6.4 意思決定
  集合知 ⇒ 5.5.4 集合和

M7 循環の再構成

 日本型循環 ⇒ 4.7.1 循環を変える

  哲学を変える ⇒ 10.2.3 哲学を変える
  日本を変わる ⇒ 4.7.3 国を変える
  社会を変える ⇒ 7.3.1 社会との接点
  環境社会に適合 ⇒ 10.6.4 環境社会の様相

 教育 ⇒  6.4.2 知識社会

  学ぶ意味 ⇒ 6.6.3 学ぶ意味
  教育を変える ⇒ 6.4.4 教育が変わる
  存在の力 ⇒ 1.3.2 存在の力
  知のカプセル ⇒ 6.8.4 知のカプセル

 仕事 ⇒ 5.8 いい社会

  企業の分化 ⇒ 9.7.3 企業のあり方
  仕事観 ⇒ 10.2.2 生きている力
  高度サービス ⇒ 9.8.4 高度サービス
  企業が変わる ⇒ 4.7.2 企業を変える

 生活 ⇒ 7.6.4 社会ライブラリ

  生活者 ⇒ 9.8.1 シェア社会
  市民を変える ⇒ 4.7.1 循環を変える
  生活視点 ⇒ 3.1.1 生活視点
  家庭のあり方 ⇒ 7.3.3 家族の生き方

M8 環境社会

 グローバル化 ⇒ 9.3 グローバル化

  国家 ⇒ 4.1.2 グローバル化
  企業のあり方 ⇒ 9.7 企業の分化
  多様化 ⇒ 4.1 多様化
  分化と統合 ⇒ 9.7 分化と統合

 地域インフラ ⇒ 3.6 地域インフラ

  行政との協働 ⇒ 9.7.4 行政のあり方
  地域インフラ ⇒ 9.6.3 地域インフラ
  カバーリング ⇒ 10.6.4 環境社会の様相
  地域の安定化 ⇒ 9.8.3 社会保障

 環境社会 ⇒ 9.8 環境社会

  歴史意識 ⇒ 4.3.1 歴史意識
  超国家 ⇒ 9.3.3 超国家
  クライシス ⇒ 3.6.1 クライシス
  社会の進化 ⇒ 7.8.2 社会の位相化

 クルマ社会 ⇒ 8.8 クルマ社会

  クルマを活かす ⇒ 8.2.4 クルマを活かす
  地域インフラ ⇒ 8.8.2 地域インフラ
  地域から循環 ⇒ 10.3.4 地域から循環
  公共交通 ⇒ 8.8.1 公共のあり方
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

テーマのロジック 論理層

L1「存在と無」

 最初は、L1「存在と無」。これは定義ですね。14歳の時の存在と無からすべてが始まった。「存在と無」から「孤立と孤独」が始まって、それを考えるところから「真理」にいって、そして、未唯空間を作り上げたところで、「存在の無」にいく。論理的に考えると、そういうことです。

 「真理」といっても、あくまでも自分の中の計画。それを探究するために、社会と数学と歴史の真理がやってきた。「数学の真理」は簡単でした。それ不変です。不変なものを見つけて、それから空間を作って、その中で、それが真理だと言えばいいだけです。

 では、哲学はと言った時には、二つです。自分の存在と世界の存在です。それ以外は、そうたいした問題ではありません。

 社会の真理は数学と同じで、作り出すものです。不変なものを決めて、その中で社会を作り出してくる。民主主義は自由、共産主義は平等を求めて、作り出された。そういう、大きな社会と個人が生きている理由とはつながっていないだけです。個人にとって、真理はないです。なにしろ、放り込まれただけだから。

 それらは歴史の中で扱われています。社会の真理と歴史の真理は全体からみると同じです。

 そして、生活の面で、大きいのは孤立と孤独。これから抜けられない。何しろ、他者の存在を信じられないというところと、存在を宇宙全体から見るのがイコールになっています。それらの関係をここで示します。それらの結論は、哲学と同様に「存在の無」です。絶対的な存在は救いですけど、無です。

L2「存在の力」

 仕事を通じて、「存在の力」、生きていく理由そのもの、まとめていくためのモノを見つけた。それがL2「存在の力」です。

 これをコンパクトにまとめていきたい。これが力になります。従来の「意思の力」にとって代わるものになる。歴史哲学は力を変えらざるを得なくなっている。そして、「存在の力」とは何か。それがうまくいくために、「分化と統合」がここに来ます。

 「存在の力」にとって、重要なのは、個人の意識の覚醒なんでしょうね。今の意識の捉われていては、環境社会に移行できない。人を半分以下に減らすしかない。それが地球の役割なのか、宇宙の役割なのか。

L3「内なる世界」

 それらをまとめる力として、L3「内なる世界」がある。この大きなものは、自分という存在と世界の存在をどうまとめていけばいいのか。世界を知るために、自分の中に「内なる世界」を作り出した。

 あとから、そこには理論があるということで、哲学から「独我論」を見つけてきた。内なる世界でかんがえることで「外なる世界」が出て来た。そうなると、順番は、宇宙の旅人→独我論→内なる世界→外なる世界となる。内なる世界の評価は未唯空間で行う。

 あくまでも、4つのキーワードでまとめるようなものです。その意味では4コマ漫画です。それが空間配置されてつながっていきます。決して、ハイアラキーではない。

L4「情報共有」

 その後の「未来方程式」は出てきますが、その前にL4「情報共有」が今後の世界には重要な要素です。それぞれが分化しながら、統合していくためには、情報共有は前提となります。情報共有のツールについても話しています。

 これは物理層の「システム設計」に関係しています。現役で仕事した時の大きなテーマでした。どういうものが居るのか、そして、人は変われるのか、変われないのか。ちなみに言うと、今のままでは変われない。狭い範囲では変われない。大きな世界からのインパクトがあって、はじめて、変わりうる。日本の民主主義そのものです。

 まあ、日本の代表的な会社に居たから、よけい、そう思うんでしょう。あんなにだらしない会社が日本で有数と言えるもんだと言うのが感想です。あまりにも、それ以外の部分が依存して居て、だらしがないからです。想定的な世界です。

 そして、情報共有では、ソーシャルネット、ポータルとコラボレーションです。ライブラリをどこへ持って行くかです。ライブラリは「共有意識」の方に待っていきます。今後は「状況把握」が重要になります。お互いのことを知るということです。ここはあくまでも、共有するということに必要な機能をツール化しました。

L5「共有意識」

 それを支えるものがL5「共有意識」です。アメリカの社会には共有意識がベースにあります。新世界を作ってきたことから、その意識が明確になったのでしょう。共有意識をカタチにするのは難しい。NPOも共有意識がベースのはずですが、結局は商売だけです。後は自己顕示欲だけです。

 では、共有意識は何なのかと言うと、典型的なモノは、私の経験からすると、公共図書館です。そして、ボランティア活動のようなものです。新しい業態がここからできていきます。分化と統合のベースになる。あくまでも、狭い範囲で行うことです。

 1億3千万人での共有意識と言うのは、ありえない。単位をドンドン、狭くしていって、そこで共有意識を持って、そこで合意形成しながら、地域から全体を作り上げるという、分化と統合。

L6「位相表現」

 それらをトポロジーで理論化するためのものとして、L6「位相表現」。つまり、空間を認識して、近傍系を作り上げて、そこでダイナミックに動かしながら、位相化というカタチで全体を見ていく。地域から、カバーリングしていく。分化と統合のやり方そのものです。

L7「進化」

 L7「進化」は歴史と言うか、シナリオとして、どういう世界に持って行くのかを述べていきます。人間も地球も数学も進化させます。その到達点がLL=GGの世界になります。この中で、新しい数学を入れています。

L8「未来の姿」

 それらが作り出す未来までのシナリオとして、L8「未来の姿」があります。その中には、「未来方程式」があります。共有意識がクラウドみたいなもので、体系化していきます。それで、未来の姿にしていきます。

テーマと未唯空間の対比

 未唯空間と項目と対比させる理由は、ここで書いていることが、考えていることとどこまで、合致しているのかの確認です。逆に言うと、ここで考えたことで、未唯空間に項目がなければ、必要十分ではないということで、未唯空間を変えていきます。

他のテーマ

 「宗教の力」みたいなテーマもあるけど、6世紀ごろのムハンマドの伝播力があります。なぜ、あんなに伝播していったのか。ベースが在ったんでしょうね。その力は未だに衰えていない。

 アラブの春とその以降にも、その伝播力ともつながっている。ムスリムは遅れてはいない。オスマントルコによって、一時期の停滞があっただけです。オスマントルコがヨーロッパとアジアを遮断させていた。だけど、「海の世界」になって、つながった。ヨーロッパがアジアに進出した、非対称が生じただけです。

 そういう地政学的なところもあるけど、順番は少しは異なるけど、つながるものはつながっていきます。

ペーパー・ホワイトの復活

 寝ながら使うには、キンドル・ペーパー・ホワイトの方がはるかにいい。とりあえず、これで、日曜日までに、テーマと未唯空間の双方向の対比を作り上げます。一応、食糧があるから、家から出るのは、金曜日に図書館しか用事がない。こもりましょうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

確定性、偶然性、責任の問題

『独裁者は30日で生まれた』より

一九三三年一月の最初の三十日の出来事だけでは、なぜヒトラーが権力を獲得したのか説明するには十分ではない。生起したことを十分に理解するためには、ドイツ史をより幅広く検証する必要がある。少なくとも一八四八年の失敗に終わった民主革命と政治的右翼がプロイセン主導の下に国家統一を目指す過程でナショナリズムの大義の虜になった時点にまで遡って言及する必要があろう。また半封建的エリートが帝国を支配していたととが考慮されなければならない。過激な労働者階級の政治運動を生み出し、最終的には厳しく敵対する党派への分裂を生んだ経済状況と社会的緊張も同様である。ドイツ自由主義の脆弱さと分裂、強固な軍国主義的伝統、一部市民の偽科学的人種論に影響されやすい傾向など、これらすべてがやがて来るべきものの中で、それぞれの役割を果たしたのである。ドイツ人は勝利すると信じ込まされていたが、その戦争の敗北の衝撃、過酷なヴェルサイュ条約、国の通貨体制を破壊したハイパーインフレ、そして大恐慌の強烈な衝撃も同様である。

こうした歴史的先行事例に焦点を当てることで、ヒトラーの台頭を説明しようとする様々な見解は、不幸にも決定論に傾く傾向がある。それらの見解は、実際に起きたことは巨大な非人間的な諸力のどうすることもできない結果であり、起こらざるを得ず、その他の選択肢はなかったという印象を与える。しかし、そうした結果になるにはそうした要因が必要だったかもしれないが、多くの点でそれだけでは不十分である。それらは第三帝国がひとつの可能性であったことを理解するには役立つが、第三帝国がいかにして現実のものとなったかを説明することはない。

ヒトラーを権力の座に導いた一連の出来事のうち、偶然性の強い要素を明らかにして、一九三三年二月の出来事を検証することにより、決定論的見解の影響を緩和することができる。第三帝国は疑いもなくドイツ史の産物である。しかしそれは、当時この国に開かれていた唯一の可能性だったわけではない。ヒトラーが首相になるまでは他の政治的解決も可能だった。ナチ党指導者の成功は、権力を獲得しよ今と意気軒昂たる運動の絶頂期にではなく、彼の運が下降し始めたときに生じたのである。彼が首相として宣誓するまさに三十日前、情報通はヒトラーの政治的死亡記事を書くのに忙しかった。華々しい登場から無名の存在へ、彼の党は勢いを失い、解党寸前だった。結局、将来の独裁者は、最終的に彼の成功で終わった出来事を自分から引き起こすどころか、彼が制御できなかった一連の予測不能の展開の結果生じた失敗によって助けられたのである。

ヒトラーを権力へと押し上げた運命のあり得ない逆転にとって決定的だったのは、ヒトラー以外の人間の行動だった。非人間的な諸力は事件を可能にするかもしれないが、何と言っても人間が事件を起こすからである。このことはとくに一九三三年一月のドイツに該当する。このとき、この大国の運命は一握りの人間の行動にかかっていた。多くの人たちの運命がほんのわずかな人間の手に握られていたということは、人間の世界においてしばしば見られることである。三人がドイツの運命を握っていた。大統領パウル・フォン・ヒンデンブルク、首相クルト・フォン・シュライヒャー、そして前首相フランツ・フォ・パーペンである。他の三人、オスカー・フォン・ヒンデンブルク、オットー・マイスナー、そしてアルフレート・フーゲンベルクは、先の三人に比べれば重要性は少ないとはいえ、それでも一連の出来事の中でそれなりに重要な役割を担った。これらの人間だちと比較すれば、ヒトラーの役割は本質的に状況の変化に反応したものだった。ヒトラーは、彼らに狡猾に反応したが、切り札は彼ではなく、彼らにあったのである。

もちろん、ドイツのそれ以前の歴史を理解することは、ヒンデンブルク、シュライヒャー、パーペンのような人間が、いかにしてこうした重大な政治的役割を演じることになったのか説明するために必須のことである。貴族階級がドイツ統一の際に果たしたその顕著な役割と、帝国政府における特権的地位によって彼らに付与された威信なしには、「フォン」の付いた人間たちが、共和主義的革命後も高位高官にふさわしい候補と見なされることはなかったであろう。同様にドイツの伝統に軍国主義という強力な要素がなかったら、なんの政治的能力もない敗軍の元帥が、共和国の大統領に、それも七十七歳で選出され、八十四歳で再選されるなどということはなかったであろう。また共和主義者たちが軍を有効な文民統制の下に置くことに成功していたら、クルト・フォン・シュライヒャーのような職業将校は、ドイツ政治における重要人物にはなれなかったであろう。ドイツ史をはるかに遡ったところに原因はあったが、議会制民主主義の破綻がなければ、この国の運命の決定権がとうした一連の人間に集中することはなかったであろう。あれやこれやの人間的要因を越えたものは、いかに個々人が出来事の推移に大きな影響を与えるようになったか説明するのに役立つが、個々人がいかにその影響を利用したのかを説明するものではない。

その行動によってヒトラーに権力を与えた人たちは、舞台裏で影響力を持つ既得権者の操り人形だったといわれてきた。しかし、半世紀に及ぶ研究は、そうした主張が信頼し得るものであるとはしてこなかった。それは、これらの人間がいかなる影響も受けなかったということではない。ヒンデンブルクは、経済的に困窮した東プロイセンのユンカー地主に対する憂慮の念を隠さなかった。ユンカーは彼を自分の仲間として喝采して迎えた。ュンカーのシュライヒャーヘの反対、あるいはヒトラーヘの共感は、大統領の判断に影響を与えたかもしれない。だがたとえそうであっても、それはヒンデンブルク側の感情の問題であって、彼の行動を制約するような利害の問題ではなかった。シュライヒャーはひたすら自分と軍の利害のために行動した。たしかに、彼が再軍備に関与したこと、数十万のナチ突撃隊を拡大した国防軍に組み込みたいと願ったことは、ヒトラーがもたらす危険に対して彼の判断を曇らせたかもしれない。しかし、それはシュライヒャーの判断力欠如の結果であって、やむを得ざる制約的状況の結果ではなかった。パーペンは、資本家の財政的、政治的支持を求め、彼らの経済的利害を優先する傾向があったが、彼は自らの判断で破滅的な政治路線を決定した。頑固者のフーゲンペルクは悪名高かったが、彼は自らの見解や目的と異なるいかなる陣営からの圧力にも抵抗した。オスカー・フォン・ヒンデンブルクは、彼の父親にのみ忠誠を誓った。オットー・マイスナーは自分にのみ忠誠を誓った。要するに、これらの人間は自分の好みに従って自由に政治的選択を行なったのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

地中海の誕生

『137億年の物語』より 冷凍庫になった地球

一方、他の大陸もゆっくりと、しかし無秩序に移動しつづけ、ぶつかりあって、環境に大きな影響をおよぼした。インドがアジアに衝突したのと同じころ、アフリカもユーラシア大陸に向かって北上していた。当時、アフリカとユーラシア大陸の間には「テチス海」が広がっていたが、アフリカの北上に伴って、海は狭くなり、海底が盛り上がって陸橋がいくつも形成された。アフリカのサルたちは、このような陸橋を伝ってアジアに渡り、そこで人類の祖先である類人猿に進化していったのだろう。また、アラスカとシべリアの間にも陸橋が形成され、北米で生まれたウマとラクダの祖先は、それを通ってアジアの草原地帯に渡り、ついには中東の砂漠地帯にまでいたった。

アジアに向かっていたアフリカは、はね返されて進路を変え、ヨーロッパに近づいていった。この過程で、フランスからスイス、イタリア、オーストリアにまたがるアルプス山脈が誕生した。この約2000万年前にはじまった玉突き衝突の最中に、アフリカが中東にめり込み、テチス海は地中海、黒海、カスピ海などに分割された(のちにスエズ運河によってふたたびインド洋側とつながることになる。

およそ600万年前までに、アフリカは、現在のスペイン南部にまで迫り、その途方もない力が地面を押し上げ、地中海を取り囲む山脈が誕生した。地中海は大西洋とのつながりを絶たれ、次第に干上がり、その後には、うす汚れた白い塩が何層にも重なって残された。今日、このような塩が1500メートル以上も堆積している場所もあり、研究者の中には、過去100万年以上の間に地中海は、干上がったり海に戻ったりを40回も繰り返したと考える人もいる。こうして自然の作用によって、海水から大量の塩が除去されていった。その原動力となったのは、巨人がバンパーカーで遊んでいるかのような大陸の動きだった。

およそ530万年前、地中海はまた干上がっていたが、スペインとモロッコの間(現在のジブラルタル海峡)を塞いでいた山脈が崩壊して大西洋の海水が流れ込んだ。これが最後の洪水となった。山脈の崩壊部分から地中海の底まで3000メートルはあっただろう。その落差は、ナイアガラの滝の50倍以上にもなる。1日あたり170立方キロメートルの海水が巨大な滝となって落ち続けるさまは、自然史の中でも並外れてドラマティックなできごとだった。そうして100年が過ぎ、地中海はふたたび海水に満たされた。

そのころ、地球は氷河期を迎えていた。その原因となったのは、地球の反対側で動いていた大陸である。それは後の南極大陸で、およそ4000万年前に南米大陸から分離すると、「南極」へと向かっていった。分離した跡には新たな海峡が生まれた。その海峡は、英国の探検家にして海賊でもあり、世界一周を果たしたフランシス・ドレーク卿(1540?年~1596年)にちなんでドレーク海峡とよばれている。

南極に大陸が移動してきたせいで、南極海の冷たい水はその大陸の周りを周回するようになり、それまでのように北上して太平洋やインド洋の温かい海水と混じらなくなった。そのため、南極の気温はますます低くなり、巨大な氷床が、がっては熱帯にあった南極大陸を覆った。現在、南極大陸の氷床は、厚さが2700メートルもあり、英国の50倍もの面積を覆っている。この広大な氷の荒野が生まれたために、海水の平均温度は10度も低下した。その氷が太陽の熱をはね返したため、気温はいっそう低くなった。南極に氷の冠をいただいた地球は、新たな氷河期に突入した、前回の氷河期から、少なくとも2億5000万年がたっていた。すべては大陸が勝手気ままに動きまわった結果である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

進化に介入する人類

『137億年の物語』より 世界はどこへ向かうのか

人間の、自然の枠組みから逃れる能力は、高まる一方である。第2次大戦後に生み出された数々の巧妙なシステムは、人間と人間、あるいは、他の生物や世界との関係を激変させた。テレビ、コンピューター、テレビゲームやオンラインゲーム、携帯電話、携帯メール、そしてインターネットは、普通の人々を、野生動物が入り込むはずのない不自然な世界へと連れていく。現在では、季節の変化さえ邪魔もの扱いされ、わたしたちは1年を通じて好きなときに好きなものを手に入れられるようになった。それを可能にしたのは、何万種類もの食料を世界中から集めて冷蔵・冷凍し、消費者に提供するスーパーマーケットである。

ラジオやテレビが普及したのは、1950年代というどく最近のことだが、それらの広告は、製造業者の販売能力をおおいに高めた。売上を伸ばしたければ、広告代理店に頼んで巧妙な戦略を立ててもらう。そうすれば、自然界には存在せず、本当はだれも必要としていない製品を、何百万人もの消費者に売りつけることができるのだ。ファッションや流行は、現代人の「仮想世界」の重要な要素であり、人間と、自然界や他の生物との距離をますます広げている。

西洋科学は、人工的な世界の守護者を自任している。化学合成薬は人間の平均寿命を引きのばし、受胎しにくい夫婦は体外受精で子どもをもうけ、以前なら出産時に命を落とすこともあった骨盤の狭い女性は、帝王切開で危険を避けられるようになった。

このような技術革新は、自然の土台となっているメカニズムにもその矛先を向けた。つまり、種が生き残るか絶滅するかは、各世代が環境に適応できるかどうかで決まるという進化のメカニズムに手を加えようというのだ。人類は、1万年以上前に農耕をはじめて以来、より好ましい作物や家畜を選んで育てるという、動植物の人為選択を行ってきた。しかし、DNAという生命の遺伝情報が明らかにされた今、さらに高度な人為選択が行われている。遺伝子工学は、命にかかわる病気を遺伝子レベルで治療することや、干ばつに強い作物を作り出すことを目指している。だが長い目で見れば、このような「解決策」は人口増加を加速させ、資源が枯渇し環境が破壊された地球に、さらなる負荷をかけることになる。

いくら他の動物と違うように見えたとしても、本当に人類は、自然から切り離された存在になったのだろうか。たとえば石油がなくなったら、どうするのだろう。原子力発電にかつてない規模の投資をしなければ、やがて化石燃料は枯渇し、それに依存する人類の「バーチャル・リアリティー」な世界は、電源が抜かれたように消えてしまうだろう、と主張する人々もいる。彼らは、風力や太陽熱エネルギーなどの「再生可能エネルギー」では、経済成長に取りつかれている世界の電力需要はとうていまかないきれない、と見ている。

2011年の3月を迎えるまで、原子力発電を支持する人々は、エネルギー問題に関する議論において、一歩先を行っているように見えていた。ところが、3月11日に、マグェチュード9.0という巨大地震が日本の東北地方の太平洋沿岸を襲い、福島第1原子力発電所にレべル7という大事故を引き起こした。原子力が世界を救うという考えは、果たして正しかったのだろうか。このような大惨事に直面して、原子力発電を推進しようとする政党など、日本にあるだろうか。これほど地震が多い国で、原発が安全だと信じる人がまだ残っているだろうか。

日本だけの問題ではない。アメリカや中国も原子力発電を推進しているが、やはり地震は多いのだ。しかし、人口の急増や、寿命の伸長、生活水準の向上などにより、世界中の国が、エネルギーをますます必要としているのも事実である。食料やエネルギー資源が不足し、インフレが加速すると、金融市場は縮小に追い込まれるだろう。原油の供給量はこれから数年のうちにピークに達し(すでに達しているという人もいるが)、2038年までに、採算の合う油田はなくなると考えられている。この21世紀において石油への依存を断ち切るのは、19世紀の中国がアヘン中毒を断ち切るより難しいはずだ。

人類は、一方では原子力への依存に反発しながら、もう一方では原油が枯渇するという避けようのない現実を受け入れ、ジレンマを抱えながら不安定な土台の上でバランスをとっていくしかないのだろうか。

経済成長が永遠に続くという信念は、資源がいくらでもあることを前提にしている。古代ローマ帝国が学んだように、領土の拡大と経済の発展は、永遠に続くわけではないのだ。他の国から富を略奪するというローマの戦略は、大航海時代の探検家に受け継がれ、その後、欧米諸国の政府や企業に受け継がれたが、ヨーロッパ人が北米大陸に入植し、アフリカの分割がはじまった時点で、すでに限界を迎えていた。安いアジアの労働力が、先進国の快適な暮らしを支えるという状況は、あとどれだけもつだろう。

唯一、実現可能で、理にかなった解決策は、人口がこれ以上増えないよう慎重に管理して(とはいえ、この問題が政治の場で自由に議論されることはほとんどない)、エネルギーをあまり使わない昔ながらの生活に戻ることだろう。ダーウィンの結論は、人類は、あくまで自然界の一部として進化してきたというものだった。今こそ、ガンディーやその支持者が示そうとした自然の恵みの範囲内での暮らしを、ふたたび学ぶべきときなのかもしれない。電源を切り、電灯を消し、車を売り払い、野菜を育て、歩いて仕事に通い、地元の小さな学校で子供たちを教育し、手仕事を覚え、必要な物だけを買い、近所づきあいをし、娯楽としては、トランプをしたり、子供に物語を語り聞かせたり、演劇やダンスをしたり、戸外に隠れ家を作ったりする、素朴で伝統的な暮らしに戻るというのはどうだろう。

とはいうものの、人間が他のあらゆる生物と同じように進化してきたというダーウィンの結論からすると、人間は本来、そのような端的で合理的な計画に沿って生きるようにはできていないともいえる。地球上の生物はどれも、競ったり協調したりしながら、場当たり的に生きており、それらの運命は、「盲目の時計職人」ともよぶべき自然によって、無秩序に決められてきたのだ。強い者は生き残り、その恵まれた形質を子孫に伝え、弱者は衰え、やがて絶滅する。そうやって生物は進化してきたのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )