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反映対比表

Week 23
 06月01日
  ヒラリーのリセット 4.1.3.2 アメリカの支配力の低下
  アメリカのすべきこと 4.1.3.2② アメリカの支配力の低下
  反映作業 1.7.2.2 思いをつなげる
  スタバのバリスタ 9.8.4.3 スタバの付加価値
  イスラムの図書館 6.2.2.2 図書館の歴史
  国家たらんとする意志  4.7.3.1 国の多様性
  「イスラム国」欧米の軍事介入の行方 4.3.4.2 アラブの春その後
  「イスラム国」第三の道はあるか? 4.3.4.2④ アラブの春その後
 06月02日
  反映作業 1.7.2.2 思いをつなげる
  未唯の結婚準備 7.2.1.4 最後の拠り所
  二台のICレコーダー 7.1.3.4 ツールを活かす
  デジタル著作権理解と行動 6.7.3.3 著作権問題
  多様なライブラリアンの活躍 6.7.4.2 社会ライブラリ
  「場」としての図書館という希望 6.5.4.1 場の提供
 06月03日
  項目への反映 1.7.2.2 思いをつなげる
  落ち着かない理由 7.3.1.1 居なくなる
 06月04日
  拒絶感が増している 7.5.1.2 不安定さ
  Iさんへの打診 7.5.3.1 女性の笑顔
  反映の反映 1.7.2.2 思いをつなげる
  反映から未唯宇宙へ 1.6.1.2 表現方法
 06月05日
  未唯宇宙は膨大な世界 1.6.1.2 拡がり
  時間の無駄使い 7.1.4.2 時間は自分で使う
  国民国家の幻想を潰す  3.4.1.3 自ら考え、作り出す
  ドイツのルール至上主義 4.2.1.3 ナショナリズム
  「うまくいく人」の人生観 10.3.2.1 個人の意識改革
  認知症の法則 7.2.2.1 悪くなる一方
 06月06日
  他者との関係の空間 7.1.1.1 生きてきた
  身体がなぜ、あるのか  7.2.2.2 シンプルな行動
  ドル崩壊のアメリカ  4.1.3.2 アメリカの支配力の低下
  20年構想、Big City Plan  6.8.3.2 未来を語り合う
  公共建築による都心再生 6.3.4.2 本を読む
  ファンにする 9.8.4.3 夢のあるもの
 06月07日
  未唯宇宙への挑戦 10.7.2.3 全ての実態
  国を作る 4.7.3.1 国の多様性
  新しい「私」感覚  10.5.1.1 法然の南無阿弥陀仏
Week 24
 06月08日
  やっと、未唯宇宙です 1.8.2.1 未唯宇宙に集約
  ローマクラブの予想とマルサスの悪魔 9.1.1.1 人口増加
  ローマクラブの誤算 9.1.1.1 人口増加
  文化大革命と中ソ対立:中越関係のきしみ 4.1.2.2 中華思想は引き継ぐ
  統一ベトナムと中国:対立の表面化 4.1.2.2 中華思想は引き継ぐ
  政治と治水 9.1.2.2 各国の事情
  現代中国政治における治水 9.1.2.2 各国の事情
  モスク 出会いと憩い 4.7.3.4 地域コミュニティ
  モスク 相互扶助 4.7.3.4 地域コミュニティ
 06月09日
  未唯宇宙の近傍 1.6.1.2 サファイア表現
  言葉の曖昧さ 1.5.3.4 要約表現
  未唯宇宙の構造 1.5.1.4 構造
  待つ世界 3.8.3.1 サービス構造は互助
  シアトルのパイク・マーケット・プレィス 9.8.3.3 どういう社会にする
  ポートランドのパール・ディストリクト 9.8.3.3 どういう社会にする
  グローバルなネットワーク社会の諸層を捉えるために 9.7.2.2 空間をネットワーク化
  ネットワーク社会と制御(コントロール)社会の結びつき 9.6.4.3 市民が主体
  コミュニケーション資本主義のメカニズム 9.6.3.3 資本主義の未来像
  他者化:はじめから「分割された」実践 1.6.1.4 分化を表現
  常に不完全なる「表象」 1.5.2.3 言葉の空間
  植民地からメディア空間へ 7.5.2.4 メディア空間
 06月10日
  スタバのブルーベリー 7.1.1.3 感情の表現
  メッセージがない 7.3.1.1 居なくなる
  運動をはじめよう 7.3.3.1 最低限の確保
  スケジュール 7.7.1.1 スケジュール
  持って行く先 7.7.4.4 未来を確信
  民族浄化 4.3.2.2 民族の不一致
 06月11日
  文章をつなげること 1.5.2.3 言葉の空間
  子どもの現象学 10.2.1.4 ハイデガー
  歴史的地域 4.1.4.4 活性化を保証
  世界史的立場 4.2.3.1 歴史ができた
  現代史 4.2.4.3 世界認識
  歴史は人と共に 4.2.3.4 地域が歴史を動かす
 06月12日
  未唯の婚姻届 7.2.1.4 最後の拠り所
  生活が変わらない 7.2.2.2 シンプルな行動
  環境哲学 9.8.2.1 環境社会に向けた哲学
  5週間ぶりに名古屋へ 9.8.4.3 生活できる社会
  サンロードのIさんとの会話 9.8.4.3 夢のあるもの
  「死すべき者」である私たちの定め 1.1.4.1 死すべき者
  世界がないってことがありえた? 1.4.4.1 無が出発点
  すべては無に帰する 1.3.1.1 存在と無の隙間
  私のもとでのみ、世界はいまここで現に存在する 1.4.1.2 私は私の世界
 06月13日
  FaceBookによる孤立感 1.1.1.3 誰もいない
  「戦う!書店ガール」の原点 6.7.1.4 町の本屋の組み込み
  10.1「多くの人が生きられる」 10.1 多くの人が生きられる
  10.2「歴史哲学」 10.2 歴史哲学
  グーグルの企業文化 9.7.3.4 インフラ提案
  グーグルカー 8.8.4.3 クルマを開発
  アラブ革命の混沌--SNSは世界を変えたのか? 4.3.4.2 アラブの春その後
  21世紀のイスラーム革命  4.3.4.2 アラブの春その後
 06月14日
  「存在と無」から「存在の無」 10.8.3.2 生きる意味
  「すべてを知る」の出発点 10.7.3.2 放り込まれた存在
  「外なる世界」と「内なる世界」 1.4.2.2 私は私の世界
  死の瞬間に「ざまあみろ」 10.8.3.2 死の意味
  死の話をしよう 1.1.4.1 死すべき者
  生活パターン 7.6.2.2 メリハリ
  「私は私の世界」 7.2.1.1 昼になく、夜になく
  グーグルカー 8.8.4.3 クルマを開発
  グーグルによる「分化と統合」 8.8.4.3 オンデマンドサービス
  黒死病による人口減少 9.1.1.1 少子化
  「夢追い」と「現実適応」のあいだで翻弄される子ども・若者たち 9.7.2.4 教育・仕事・家庭
  なにを大切にし、どう生きるのかのなかに仕事を位置づける  9.7.2.4 教育・仕事・家庭
  ヘンリ5世によるフランス進攻 4.2.3.2 歴史の方向の見定め
  ジャンヌ・ダルク フランスの屈服 3.3.3.4 個人化社会
  ヘンリ6世=「アンリ2世」の即位 4.2.3.2 歴史の方向の見定め
  対独戦略とヤルタでの悲哀 4.3.2.3 総力戦
  チャーチルの敗北 4.6.3.2 新自由主義
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メールのトラウマ

メールのトラウマ

 パートナーに対しては、全ての打算を取り除くしかない。計算も理論も。中野の時は「プチウツ」の一言で、途絶えてしまった。

 「五月病」と言われたときに、もう少し、真剣に考えれば良かった。と言っても、それに対して、反応するのではなくて。メールはとりあえず、戻ってきました。「出さないといけないと思っていました」ということが書かれていた。有難いです。何しろ、存在を認められるだけで十分なんですから。
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地域コミュニティ

『よくわかる社会情報学』より

地域コミュニティの課題

コミュニティという言葉は多様に用いられる。定義や理論の変遷についてはG.デランティが詳しい。地域コミュニティについては、2004年に「地域づくり支援アドバイザー会議」が課題を提起している。帰属意識の薄れによる参画意識の醸成困難とリーダー育成についての方法論の欠如、地域づくりが別個に進められ、複数の主体の連携が不足していること。そして情報の未整理、交換のしくみが不全であるとの指摘がある。

地域コミュニティの課題については、ハイブリッド・コミュニティという概念を用いた議論もある。従来、個人は、国、地域、家族にくるまれ、重層的なコミュニティの一員として存在した。しかし、交通手段の発展、それ以上に情報技術の発展により、個人が地域という領域的概念を破って存在せざるをえない状況になったことへの指摘である。

情報技術による解決への志向

こうした状況の下、地域コミュニティの課題解決に向けた、情報技術を用いた多様な取り組みがおこなわれている。1996年に神奈川県藤沢市では藤沢市市民電子会議室が実験プロジェクトとして開設された。藤沢市市民電子会議室は市行政がテーマ設定をおこなう市役所エリアと、市民が会議室設定をおこなう市民エリアに分かれていた。参加した市民は、それぞれに関心のある会議室に分かれ、意見交換をおこなう。運営委員のコーディネートにより行政への提案もおこなわれた。

この取り組みは、情報技術を用いたデモクラシーを実現する試みとして高く評価され、同様の電子会議室を取り入れる行政が相次いだ。しかし、十分なリソースを投入しなければ維持できないしくみであり、その後、次々と撤退し、現在は藤沢市以外にはほとんど残っていない。

岡山県岡山市では2001年n月に電子町内会を開始した。既存の町内会を基礎としたシステムであり、岡山市ではもともと町内会が十分に機能していたことが前提となっている。しくみとしては、各電子町内会が外部向けと内部向けのウェブページをもった上で、電子掲示板やイペントカレンダーが整備されている。2014年現在でも岡山市電子町内会は活用されているが、他の自治体に広がっている状況ではない。

2004年以降、地域SNSと呼ばれるソーシャルメディアが積極的に導入された。熊本県八代市は2004年「ごろっとやっちろ」をはじめた。2004年当時、日本におけるSNSとして大きなシェアのあったmixiと同様な構造をもっていた。日記などを記す参加者の個人ページ、参加者が一定のグループになって意見交換する「コミュニティ」という二分構造である。ごろっとやっちろでは多様なグループが生まれ、積極的な意見交換がおこなわれるコミュニティもあった。これに注目した総務省は2005年12月に新潟県長岡市と東京都千代田区で地域SNSの実証実験を開始した。これを契機に、多くの自治体が地域SNSを導入した。しかし、地域SNSが成果を挙げたとする自治体は少数にとどまり、現在は兵庫県域をエリアに2006年10月から運営されている「ひょこむ」など一部が残っているに止まる。

これらは行政主導が目立つ取り組みであるが、民間企業が運営しているものに地域ブログポータルサイトがある。静岡県浜松市の「はまぞう」、沖縄県の「てぃーだ」をはじめ、多くの地域での取り組みがある。はまぞうは2005年に運営開始している。これらは一定の地域に関心をもつ人びとや組織、企業がそれぞれに同じシステムでブログを書く。それらの個別ブログを多様なかたちで紹介するトップベージがある。この二層構造であり、運営企業が積極的な個人ブロガーとも連携して、参加者間の交流を図るしくみもある。

静岡県島田市の「eコミュニティしまだ」も地域ブログポータルを主としているが、利用者が用いるブログシステムを統一せず、さまざまなブログからRSSにより記事内容を収集し、トップベーダで紹介している。 2004年の開設当初は(独)防災科学技術研究所の主導であったが、その後、特定非営利活動法人に運営が移管された。eコミュニティしまだは2014年現在ブログに止まらず、島田市に関わるFacebookやTwitterなども収集し、紹介している。あわせて、特定非営利活動法人が多彩なイベントなどを実施し、参加者の連携を図っている。

今後への提起

地域コミュニティの課題解決に向け、情報技術を応用した試みは数多い。しかし、持続的な成功を果たしたものは少ない。一方で領域的な地域とは直接につながらないFacebookやTwitterなどのSNSは隆盛を見せている。

あらためてハイブリッド・コミュニティの議論を基礎とすれば、人はすでに領域としての地域にくるまれてはいない。むしろ、情報技術を手にした人びとは領域を横断し、同時に複数の領域に所属している。そのことを前提とすれば、個人発の多様な情報を、それぞれの地域の視点からさまざまに編集して組みあわせるキュレーションの発想が、地域コミュニティの課題への対応として意義をもつ可能性が十分にあると考えられる。
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ネット空間のコミュニティ

『よくわかる社会情報学』より

ネットコミュニティの「理想」と「現実」

「インターネットは、ユニークな、あるいは変革的ですらあるコミュニケーションチャネルである。匿名性が高く、共通した興味・価値観・信念をもつ人びとをたやすく結びつけることができる。」

これはアメリカの社会心理学者ジョン・バージが2004年に書いた「ネットコミュニティ」の特徴である。皆さんはどんな印象を抱いただろうか。確かによくネットコミュニティの特徴として語られる内容だが、自分自身を振り返るとそんな経験はあまりない、と感じた方が多いのではないだろうか。

今では、ネット上で人びとが幅広くつながり、まるで現実社会とは切り離された場であるかのように存在するオンラインコミュニティは少数派となった。もちろんネットとて現実社会の一部なのだから、厳密な意味では最初からそんなものはないのだが、そうと錯覚させるに十分な場が存在していた頃と比べると、たかだか十数年のことでも「隔世の感」がある。ここでは、ネットコミュニティの歴史と現状を概観し、このような変容が生じた理由を読み解いていく。

ネットコミュニティの特徴

バージたちの言葉にある通り、従来型のコミュニティと比較したネットコミュニティの顕著な特徴は大きく2つある。1つは、情報縁が強い力を発揮することである。情報縁とは、距離や元来の関係性の近さを超えた趣味や関心の近い人びとによる結びつきである。これまでのコミュニティで成員間を結びつけていた地縁や血縁、社縁や学校縁などは、個人の属性を共有するつながりであるために流動性が低く、社会的な制約との関わりが強いので、それによるコミュニティは持続的に堅固なつながりを保持できる可能性が高い一方で離脱可能性が低い。情報縁は、個人そのものに近い「属性」ではなく、彼らの関心をもつ「情報」が共通することによるつながりなので、流動性が高い一方で多面的であり、互いに相手を選び合う自由で多元的な人間関係が形成されやすい。

もう1つは匿名性の高さである。この特性は、ネットコミュニティで起きる「対面とは異なる」さまざまな事象をすべて説明していると言ってよい。匿名性は階層構造をもち、視覚的匿名性、アイデンティティの乖離、識別性の欠如の3段階がある。視覚的匿名性により、身振りや声色、表情といった非言語的な情報の伝達が対面コミュニケーションと比べて極度に制限される。アイデンティティが乖離した状態では、実社会とは独立した自己を確立できるので、ネット上の行動の影響が及ぶ範囲をその内部に限定することができる。ここに識別性の欠如が加われば、自己と他者の区別すら曖昧になる。匿名性によって身元が秘匿され、コミュニケーションの解釈に際する社会的な手がかりが減少することは、特に現実社会におけるマイノリティたちの自己開示を促進させ、孤立感を低減させる機能をもつことが指摘されてきた。

ネットコミュニティの変容

しかし、匿名性によって現実社会のもつ制約から解き放たれた自由で多元的なつながりに支えられたコミュニティの隆盛は長続きしなかった。その原因はネット利用者の増加である。個人がネット上で主体的に情報を発信する行為が当たり前のものになり、情報縁によるつながりやすさは飛躍的に増した。しかし発信の場が個人ベースのウェブサイト(ホームページやブログなど)からID制をとるコミュニティサービス(mixiやFacebookなど)に移行し、利用者間のつながりも可視化され、匿名性は低下した。

こうした状況は「拡大が同質性を生む」というパラドクスをもたらした。利用者の増加によってネット社会が拡大したことで、むしろ似通った者同士の小さく緊密な結びつきを志向したネットコミュニティが増えた。俯瞰するとありとあらゆる人や情報がつながり合い、混ざり合いながら浮遊している大海原のようなインターネットだが、よくよく眺めてみれば「蓋の閉まったタコツボ」がずらりと並んでいて、それぞれの中のつながりは緊密だが、それぞれのあいだのつながりは希薄なケースが増えた。情報縁をきっかけにコミュニティが形成されるという土壌は残る一方で、現実社会との境界線は曖昧になった。

ネットコミュニティの将来像

既存コミュニティとは異なるつながりを自由にもちうる「新しい」場所だったネットコミュニティは, Wi-Fi接続やスマートフォンなど携帯端末からのネット利用が一般化したことによる「身体化」ともあいまって、もっともアクセスしやすいコミュニティヘと変容した。ネットならではの要素をある面では保持する一方で、従来型コミュニティともシームレスに統合され、それを支える機能をも果たすようになった。「コミュニティ」そのものの主要なあり方の1つとして、コミュニティに関わる問題のすべてを包含する存在となったネットコミュニティは、これからも社会的に重要な役割を果たし続けるだろう。
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ソーシャルメディアとコミュニケーション

『よくわかる社会情報学』より

ソーシャルな孤独?

2000年代半ばからの「ウェブ2.0」と言われる技術展開のなかで, FacebookやTwitter, LINEなどのSNSは著しくユーザ一層を拡大した。YouTubeやpixivなど、動画・画像を共有し、コメントを交換するサイトも人気を集めるようになった。これらのサイトは、単なる情報の入手・伝達の手段という以上に、人と人との交流を楽しむという側面を大きくもち、そのことをもって今日では「ソーシャル」メディアと呼ばれるようになっている。

ソーシャルメディアは、私たちに新たな関係性やコミュニティのありようをもたらすものとして期待される一方で、それとは逆に、近年しばしば話題になる「SNS疲れ」のような、人間関係の負担感を強め、孤独感を増すといった問題も生じている。これは日本に限ったことではない。例えば、オーストラリアで2011年におこなわれた調査では、ソーシャルメディアの利用(なかでもとくにFacebook)と孤独を感じる頻度が関連していることが報告されている。はたしてソーシャルメディアは、逆説的にも私たちのつながりを弱体化し、孤独を強めるものなのだろうか?

ここでまず注意すべきは、上記のような1時点の調査データからは、たとえ関連が認められたとしても、ソーシャルメディアの利用が孤独感を強めるのか、もともと孤独感の強い人が(それを解消しようとして)ソーシャルメディアをよく利用するのか、因果の向きが明らかでないことだ。こうした因果関係にまで踏みこんだ実証研究はきわめて少ないものの、そのひとつに、2011年と翌年の2時点にわたってパネル調査を実施した河井大介の研究がある。その分析結果によれば、《第1時点でのソーシャルメディア利用が→第2時点での孤独感を高める》という向きの因果が示唆され、その反対方向の《孤独感→ソーシャルメディア利用》という因果は認められなかった。

河井は、このような因果が生じる理由として、ソーシャルメディアでは他者の状況が幸せそうにみえやすいことで孤独感が強まる可能性や、オンラインで取りもたれる交友関係が、対面的関係よりも希薄な、弱い紐帯(weak ties)であることに起因する可能性を指摘している。ただ、その他にも, SNS上でのやりとりから取り残されることへの不安や不信、オンライン上での自己演出へのプレッシャーやそこから生じる自己疎外感など、さまざまな要因が考えられよう。

河井の用いたデータには調査対象の代表性等の面での限界もあり、上記のような因果関係がより一般的に認められるかどうか、そして、どのような要因が関わっているのかについては、今後さらなる実証研究の蓄積が求められるところである。

閉じこもるインターネット

これとはまた別の観点から、ソーシャルメディアで形成・維持される人間関係の同質性が問題にされることもある。「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、私たちは概して、似た意見や好みをもつ相手を友だちにする傾向をもつ。ネット上ではそのような相手を実世界以上に見つけやすい。それによって私たちは、異なる意見や考えの持ち主を排除した同質的な人間関係のネットワークに閉じこもることになってしまうのではないか、というのである。

さらには、そのことが民主主義的な世論形成を阻害する可能性も懸念されている。自分と同じ意見(の持ち主)に取り囲まれることは、異なる意見にふれる機会を減らし、一方的に自分の意見を強め、極端化するように作用するだろう。強められた意見は表明しやすくなって勢いを増し、それに異を唱える意見は表明しにくくなって黙りこむ。このような「沈黙の螺旋」と呼ばれる過程によって、ネットワーク内の意見の同質性はますます増幅され、議論や熟慮を経ずに、意見の一極集中--集団極性化(group polarization)--が起きるのではないか、と。

Twitterにおける原子力発電問題についての発言を分析した小川祐樹らは、こうした沈黙の螺旋過程による意見の一極集中が実際に生じうる可能性を確認している。ただし、ユーザー自身のオリジナル発言か、他のユーザーの発言の引用・拡散か等によって、分析結果はいくらか異なっており、必ずしも一貫した強い可能性が示されているわけではない。

その他の国内外の関連諸研究を見渡しても、ソーシャルメディアによる意見の極性化の可能性を示唆する分析結果と、逆にむしろ異質な意見への接触機会を増やし、民主主義的な政治関与をうながす効果を認めた分析結果、両方が存在しており、確たる結論はまだ出ていないのが現状だ。

このように各研究の知見に少なからず相違がみられる理由としては、調査対象としたソーシャルメディア(例えばTwitterかFacebookか)によって、コミュニケーションや相互行為のありかたが異なるため、そのことが影響している可能性が考えられる。また、同じソーシャルメディアであっても、そこで取りもたれる人間関係のネットワーク特性は、国や地域によって異なってもいる。ソーシャルメディアの背景にある文化的・社会的コンテクストを見据えながら研究を進めていくことが重要だろう。
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岡崎市図書館の10冊

361.2『介入Ⅰ』社会科学と政治行動 1961-2001

361.2『介入Ⅱ』

210.7『昭和時代 敗戦・占領・独立』

312.3『独裁者は30日で生まれた』ヒトラー政権誕生の真相

302.2『カザフスタンを知るための60章』

289.1『小平邦彦』--人と数学--

345.1『税で日本はよみがえる』成長力を高める改革

131.8『キケロ』もうひとつのローマ史

493.7『依存とアディクション』いまどきの プライマリ・ケア/救急における関わりかた入門

916『太平洋戦争の肉声④』テロと陰謀の昭和史
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