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「宇宙の旅人」日記

「宇宙の旅人」日記

 「宇宙の旅人」日記でもつけましょうか。これは、<今><ここ>で付けられます。高々、地球レベルでの移動は必要ない。時間も過去も未来もたかが知れている。

 土日の朝は、元町のスタバにしたが、今日はちょっと、寒いですね。昨日、借り21冊の本は、今日中に片付けます。退職後に考えると言った時に、宇宙の旅人としては、初めての経験です。メインは何なのか。

 職業自体を考える、大きな循環を考える、自分の世界を考える。それだけで十分だろう。

 人生は一度きりと言うよりも、地球での経験が一度きりです。すべての他人の経験は当てになりません。死に関することも。

人間の鎖は今も生きている

 1989年8月23日にバルト三国の「人間の鎖」200万人の思い出は未だに生きている。

空虚感の拡がり

 この空虚感は大いなる意思に報告すべきものでしょう。何か狂っている。次元が狂っている。

 コクーンの万年筆を買いました。これで日記を付けます。今日の星占いは98点だったのが、購入の理由。

婚姻届の代償

 7月7日入籍のための婚姻届の承認の代わりに、未唯から、スタバのブルーベリーのチーズケーキを買ってもらった。
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物理のおもしろさ

『先生、物理っておもしろいんですか?』より

宇宙物理のおもしろさ--多様な階層のからみ合い

 私は宇宙物理学・宇宙論を専門としているが、そのおもしろさは多様な物質の階層が相互にからみ合って、宇宙の構造と進化を決めていることである。さらに宇宙物理学・宇宙論の魅力は、これら物質の物理学と時空の物理学、つまり一般相対性理論が互いにからみ合って、宇宙の進化を決めていることである。この魅力、おもしろさを伝えるために、昔話となってしまい恐縮であるが、宇宙の多重発生、つまり宇宙が一つの宇宙から子宇宙、孫宇宙、…と無限に生まれるというアイディアを考えるに至った状況を紹介したい。

 1970年代末、私は強い力と電磁気力、弱い力の統一理論、大統一理論に基づいて宇宙の始まりを研究していた。この大統一理論に従って宇宙の初期を考えるならば、火の玉宇宙の温度が下がって臨界温度以下になると、真空の相転移(ヒッグス場の相転移)が起こることに気づいた。私は、最初の相転移がもし1次の相転移ならば、真空のエネルギーが高い状態のまま過冷却が起こり、この真空のエネルギーに働く重力によって、宇宙は指数関数的な急膨張をすることに気づいた。1次相転移の度合いによって、100桁でも宇宙は大きくなることができるし、相転移が起こったとき生じる潜熱で、宇宙は再び超高温の火の玉になる。

 これは今日インフレーション理論といわれているもので、ここで些細な解説はしない。しかし、この理論を構築する過程で、たいへんなパラドックスが生じてしまった。1次相転移はエネルギーが高いままの〝偽〟真空のなかにエネルギーがゼロの泡(〝真〟真空)が次から次へと生まれ、全体が泡になってしまったときに終了する。過冷却した水のなかで氷が生じる過程と同じである。しかし、インフレーションを起こしている宇宙では、泡の発生率が小さいときは、いくら泡が光速で膨らんでも全空間をおおうことはできず、相転移は終わらない。〝偽〟真空の領域が急激な膨張、インフレーションをしているため、泡が光速で膨らんでも、泡でとり囲まれた〝偽〟真空の領域は消滅することはできない。しかし、この〝偽〟真空の領域の表面は光速で進入してくる泡なので、表面は光速で収縮しているはずなのである。

 1980年、このパラドックスをどうしても解決できず、何か重大な考え違いをしているのではないか、インフレーションそのものが何かおかしいのではないかと、半年くらい悩んだ。最終的には、泡でとり囲まれた這r真空の領域を球対称と理想化するモデルをつくって時空構造を調べることで、パラドックスは解けた。この領域は大きく時空構造が曲がり、いわゆるワームホールの構造をしていたのである。ただし、従来から知られているワームホールは二つの平坦な空間を結ぶふ虫穴〟であるが、このワームホールはキノコ型であって、最初の宇宙からその一部分がキノコの傘の部分となって分離するようなタイプである。最初の宇宙を母宇宙とすれば、この部分は子宇宙ともいうべきもので、両者の間は大きく曲がってくびれており、時空の地平線が存在する。両者は因果関係をもはやもてなくなっているので、別の宇宙とよんでいるのである。子宇宙でも真空の相転移が進むなら孫宇宙が、また孫宇宙からも曾孫宇宙が…というように、宇宙は次から次へと生まれてくるのである。

 宇宙の多重発生シナリオは、別の宇宙をつくってやろうとか、奇異なシナリオをつくってやろうとかというような意図で考えたものではまったくない。インフレーション理論のなかで生じたパラドックスを解くことで、自然に生まれたシナリオである。また、観測的な支持が得られ宇宙の標準的なシナリオとなっているインフレーション理論にしても、統一理論に基づいた宇宙初期の理論を探求するなかで、偶然生まれてきたものである。すばらしいことは、物理学の理論、法則にしたがって論理を詰めることにより、自然に新たな予言が生まれてくることである。いまや誰も知っているビッグバン理論、観測的に存在が確信されているブラックホールも、最初はきちんと論理を詰めることにより自然に出てきたものである。物理学のおもしろさ、偉大さを強く感じる。

私はどうして天文学者になったのか--宇宙を物理するまで

 中学1年生のとき、適正テストなるものを受けた。内容はまったく覚えていない。だが、その結果については覚えている。私に向いている職業の一つに挙(文学者・というものがあったのである。「う1む」とうなってしまった。そのころ、天文やら宇宙にはまったく関心がなかったからである。いったいどうしてそのようなご託宣が出たのか、頭をひねるばかりだった。

 当時、私が関心をもっていたことは二つある。一つは遺跡で、もう一つはチョウだった。つまり、将来の夢として職業を選ぶとすれば、遺跡という観点からは考古学者であり、チョウという観点からは生物(昆虫)学者ということだった。実際、小学校の卒業文集に書いた夢は「考古学者になる」だった。生物学者のほうは、多分にファーブル昆虫記の影響があったのだと思う。

 ただ、人は飽きやすい。遺跡やチョウヘの興味が薄れ、中学3年生のころから宇宙の神秘に注意が行くようになったのだ。けっして、適正テストの影響ではない。ところが不思議なことに、宇宙への憧れは高校に入ってからも消えず、とうとう大学でも天文学(宇宙物理学)を学ぶことになった。不思議なことはもう一つある。私は星には興味が湧かなかったことだ。ふつうは「星はなぜ光る」などの疑問をもって、天文学者への道を歩み出すことが多い。ところが、私の興味は「銀河はなぜ美しい姿をしているのか」ということだった。

 これは少し変わっているかもしれない。ところが、このあたりが、私がなぜ天文学にのめり込んでいったのかを理解する鍵なのかもしれない。いまになってそう思うことがある。銀河は多様である。美しい渦巻構造をもつものや、楕円のように見える銀河、あるいは簡単に説明できないような構造をもつ銀河など、そこには不思議な世界が広がっている。これは私が子供のころ、チョウ(広くは生物一般)の多様性に心奪われていたことと関係しているように思える。生物の多様性は化学的な多様性で、銀河のそれは物理的なものである。その違いこそあれ、多様性の発現過程に関心をもつという意味では共通項である。

 また、銀河を研究対象にすると、その生まれ方や育ち方に関心をもつのは当然である。はるか遠くの宇宙にある銀河は、はたしてどんな様子なのだろう。そう思って、遠方の銀河を観測するとしよう。光のスピードは有限(秒速約30万キロメートル)なので、遠方の天体からやってくる光は、過去に放射されたものになる。1億光年彼方の銀河を見ると、1億年前にその銀河から放射されたものを見ることになる。つまり、今日見たその銀河の姿は、1億年前の姿ということになるのだ。こうして、遠方の宇宙を観測して、宇宙、そしてそのなかにある銀河の進化を考えることになるのだが、結局、天文学は宇宙の過去を見て、宇宙を理解する営みだといえる。過去を見て研究する。これは、まさに考古学ではないか。かくして私は、考古学者と生物学者の共通の興味をあわせもつ天文学者に落ち着いたのかもしれない。

 では、物理学の対象として銀河はおもしろいのだろうか。私が興味をもったのは銀河の美しさである。銀河の形は、銀河の力学構造を反映している。つまり、力学で銀河の性質を簡単に理解することができるように思える。ところが、銀河は厄介である。何しろ1個の銀河には、ざっと1千億個もの星があるからだ。恒星系とよばれるゆえんだが、この種の自己重力多体系は単純ではない。そもそもy体系で解析的に解を得ることができるのはN=2までである。3以上になると、紙と鉛筆では歯が立たない。yが1千億では、どうしようもない。

 どうしようもないのだが、銀河は美しい。円盤部には美しい渦や、棒のような構造が見える。この〝美しさ〟を物理で説明するのは、やはり銀河物理学の一つの目標である。ただ、私が天文学の研究を始めたころには、銀河の形態に関する研究はそれなりに進んでいて、渦巻も密度波理論(恒星系である銀河円盤内に、疎密波が伝播する理論)でおおむね決着をみていた。そのため、天文学を研究するきっかけになった、銀河の構造を研究対象にすることはなかった。大枠が調べられているところに、大きな研究ビジネスはない。これはどの研究分野でもいえることだろう。

 振り返ってみると、私は研究テーマを少しずつシフトしてきた。いまのテーマは、「宇宙の歴史とともに、銀河がどのように生まれ、進化してきたか」である。銀河の構造の研究だけなら、使う物理は少しですむ。しかし、いまの研究テーマは、物理を総動員しなければ対応できない。古典物理から量子力学に相対論・数学はもとより、化学の知識もいる。ようするになんでも必要なのだ! 無能な私の脳細胞は悲鳴をあげ続けてきていることは確かである。ところがなぜか、天文学を止めることはできない。物理は物の理を理解することである。考えてみれば、宇宙はまさに物の理の産物である。ということで、結論が出た。物理はやっぱりおもしろいのだ。
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なぜ、十二歳か

『世界の学び舎』より

エストニア 十二歳の鎖

 「もっと心を込めて、力強く歌ってくれ! これはエストニアが独立を求める叫びなんだ!」先生の声が音楽室に響く。外は初雪が降っている。

 1989年8月23日は、バルト三ヶ国(エストニア、ラトビア、リトアニア)それぞれの首都タリン、リガ、ビリニュスを二亘力の人が手をつなぎ、ソヴィエト連邦からの独立を訴えた日だ。この〝人間の鎖〟運動では、歌好きの国民が合唱し、一人一人の歌声は一つの大きな翼になって世界をかけめぐった。

 この先生もこの運動に参加し、子どもたちの母親・父親たちと手をつなぎ、気持ちを込めてこの独立を求める歌を共に歌った。j人間の鎖〃の年に生まれたこの子たちには、あの時に負けないぐらいの力強さが欲しい。先生には親の歌う顔がダブって見える。

 子どもたちの于には、宿題に出されタリン湾で探した小石と貝が握られている。叩けば、きっと解放の音色を出すだろう。

リトアニア 過去をすくい未来を取り込む

 首都ビリニュスの郊外にある学校を訪ねる。区山整理』された広い団地の中にある創立五年目の学校だ。一年生から四年生までの小学校の部と、五年生から九年生までの中学校の部から成っている。校長先生は歴史学者だ。「日木人に会うのは久しぶりだ。二人目だよ」と低い声で噛みしめながら話す。

 校長が赴任して、手掛けたことは二つ。一つ目は、全先生にコンピューターを学ばせたこと。情報の集め方を教え、独自の教材を開発した。また先生と生徒が協力して、民族衣装、料理、手芸などの分野でつくった作品をデータにしてファイルし、世界に発信する。二つ目は、生徒の家にある古くて使っていない鍋、釜などの炊事道具、食器、農機具などを持って来させ、教室の一角に常設・展示した。リトアニアの新しい歴史をつくる前に、生徒たちが自分たちの暮らしを目で見て知れということだ。最新の情報をとり入れた若い先生の英語の授業に、子どもたちの目は輝き、教室は活気に満ちていた。鍋、釜は、生徒たちに何を語りかけているのか。十年先、二十年先をみすえた試みは、始まったばかりだ。

フィンランド 工作の時間

 とある小学校を訪ねる。この学校は、低学年から授業時間を充分にとって、工作の指導をする。二年生ニ十四名のクラスをのぞくと、十二名しかいない。この子たちは平常より一時問早く、8時30分に学校に来ている。担任と資格のあるアシスタントの先生が、時間をかけて生徒一人一人の面倒をよく見るためだ。9時30分になると、ほかの十二名の子がやってきて、同じ工作の授業に参加する。クラスニ十四名の授業が終わる時間は一緒で、10時30分だ。はじめに来た子は、休み時問を入れて二時間続けて授業を受けたことになる。早く学校に来る子どもは、月によって週によってかわる。物をつくることが嫌いな子どもは少ない。先生と生徒の距離が近いからコミュニケーションがよくとれる。朝、来てすぐ二時間の工作なんて、思いきったことをする。工作は高学年の木工の授業につながる。

 一、二年生の国語のクラスは、人数を半分に分ける。学年によって、算数・英語もクラスを半分に分ける。四年生で成績がひどく落ちれば別教室で個別指導がある。分ける。分ける。工作の授業もクラスを半分に分けるが、学力で分けているわけではない。先生が、ゆっくり時間をかけて子どもと接したいからだ。フィンランドの学力が高いのは、この工作の指導が大いに関係しているのではないか。休み時間は十五分で、みんな校庭に出る。

 今日のランチは、キャベツと人参のサラダ、ソーセージ、ジャガイモ、それに牛乳だ。私も自分で食べられるだけ皿に取った。もっと取りたかったけどやめた。とろけるようなソーセージが、特においしい。

リヒテンシュタイン 四つの言語を学ぶ子どもたち

 ようこそ、リヒテンシュタインに。

 私たちの国は、スイスとオーストリアにはさまれた人口三万五千の小さな国です。国上の二分の二が山地です。わたしたちが何語を話すか、御存じですか。ふだんはドイッ語の方言で話し、学校ではドイッ語で授業です。

 私は、移民の子どもたち、といっても令員リヒテンシュタインで生まれているのですが、小学三年生八名にドイッ語を特別に教えています。ドイッ語の勉強が遅れているのでね。ドイッ語がわからないと他の教科が理解できませんから。いま教えている子どもたちは、アルバニア人四名、コソボ人、クロアチア人、イタリア人、ポルトガル人です。イスラム教徒の子は、別の学校で週一回、ドイッ語で『コーラン』を学んでいます。

 この国の子どもたちは、いくつの言語を学ぶと思いますか。例えばイタリア系移民の子どもは、授業で標準のドイッ語を、日常会話で使う語としてドイッ語のアレマン方言、別の学校で週一回イタリア語を学ぶ。現在、リヒテンシュタインでは、国王、政府、EUから資金が提供され、一、二、三年生の英語教材が開発されています。来年から英語のリスニングの授業が取り入れられます。すると、イタリア人の小学生は、四つの言語を学ぶことになりますね。

 三年生から四年生になれないことがあります。えっ? と思うでしょ。なれるかどうかは、担任と校長先生が決めます。不服がある場合は、算数とドイツ語のテストがあります。ドイツ語は、国語ですから、私の役目は大きいのです。

 教育関係当局が、一、二、三年生を一緒にして一つのクラスにしたらどうかという案を出しましたが、住民投票で否決されました。年齢でクラスを分けるのでなく、習熟度でクラスを分けるべきだという考え方ですね。わかりますか。むずかしい話になりましたね。でも小さい国だからこそ、年齢差別をなくす教育のモデル国になるかもしれません。あなたの国では低学年の算数と国語の授業はどうですか。うまくいってますか。
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真理の探求

『善と悪の経済学』より

真理の探求--科学、神話、信仰

 真理とは何か。真理とはどういう性質を持つのか。真理は科学的探求によってあきらかになるのか、それとも、もっと詩的な事柄なのか。クロード・レヴィ=ストロースはこう語っている。「科学はいかなる意味においても真理を装ってはいないし、装うこともできない。これはじつにすばらしい事実だ。……科学とは、役に立つ仮説の一時的な姿にほかならない」。

 真理はときに理解しがたく、今日の経済学は多くの場合に分析ツールに頼って真理を理解しようとする。だが、真理は必ずしも分析可能ではない。私たちの周囲には、分析ツールでは理解できないことがたくさんある。だから、科学的な分析方法を使って真理を知ろうなどという望みは捨てなければならない。真理の解明を諦めた瞬間に、経済学がひんぱんに露呈する傲慢さもずいぷんと和らぐはずである。経済学は、二〇世紀を通じてみごとな数学的ツールを豊富に取り揃えてきた。おかげで、経済学の重要な部分を通常の言語から数学的言語に書き換えることが可能になった。数式を使うことで、経済学はより整合的になり、また正確にもなっている。そうは言っても、数学は言語にすぎない。言語は、どんな言語であれ、あらゆるものを表現できるわけではない。その点はさて措くとしても、さらに重要なことがある。別の言語で話し始めたら、発する問いまで変わってよいのか、ということだ。単に使う言語、が変わるだけで、注意の対象まで変わってよいのだろうか。

 近年の主流派経済学は、経済学が当初テーマにしていた倫理や道徳を打ち捨ててしまった。そしてテクニカルな分析に逃げ込んでいる。単に新しい言語を使い始めたというだけで、この学問が注意を向ける対象は大幅に変わった。経済学は数学的に表せるものに注意を向け過ぎ、そうでないものを無視している。規範的な経済学は、実証的で記述的な経済学に押しのけられた。もしも実証的・記述的経済学だけが残るとしたら、それはきわめて危険だと言わねばならない。重要な事柄から人々の目を逸らさせ、実在せず重要でもない価値についての判断を強い、その結果として危険な袋小路へと迷い込ませることになりかねないからだ。それだけではない。数学的探究の対象となりにくいというだけの理由で、人生や生活の重要な部分を無視することになる。

モデルは自分

 何らかの抽象概念(たとえば万有引力)が導入され、広く受け入れられるようになると、それは世界観をも変えることになる。ある理論を信じるようになった瞬間に、そのプリズムを通して世界を見るようになるからだ。チェコの論理学者ヴォイチェフ・コールマンは、「合理的で自信家であるわれわれ人間は、つくられたものであると同時に、現実をつくっている。数学者も含めて科学者は、自分たちの主張につけた留保条件を組織的に忘れていく」と結論づけた。かくして科学理論や現実のモデルは、現実それ自体の見えない一部となる。理論はどれも信念体系であり(ここでは悪い意味で使っているのではない)、解釈フレーームワークもそうだ。そして最も成功を収めるのは、人々があまりにすんなり受け入れてしまい、疑問を抱くどころかそのことに気づきもしないような信念体系、人々の中に深く根を下ろし、ごく自然に「いつもそこにある」ような信念体系である。

 この意味で、人間は創造の最後の仕上げ役を果たしている。「創世記」で、動物に名前を付ける仕事がアダムに割り当てられたことを思い出してほしい。命名することによって、世界に秩序ある分類がもたらされた。何らかの解釈フレームワークがないと、世界は知覚することさえできない。ウィトゲンシュタインの比喩を借りて言えば、いま世界を見ている目もやはり世界の一部である。この目は解釈フレームであり、これを通じて人は世界を見る。コールマンが指摘したとおり、「数学においてあきらかなのは、最初に発見のための理論を設定しない限り、直接的あるいは自然な所与の事実というものは世界にも言語にも存在しないことだ。このことは、すべてはちがうものでありうることを意味する」。事実も「客観的現実」もじつはファジーであり、さまざまな解釈を許容する。そこで、同じデータセットを使い、同じ統計手法を使う経済学者が、まったく異なる結論に達するということが起きる。

 科学においては、整合性のある新しいフレームワークを構築し新しい世界観を確立できるまでは、不備を承知で既存のフレームワークを使う。たとえば、世界は数世紀にわたって、万有引力の法則に従って「ふるまって」きた。この万有引力という抽象概念には、競う相手も対立概念もなかった。なぜなら、ある程度の単純化が許容されるレベルでは、この法則はたいへん満足できるものだったからである。なぜ物は地面に落ちるのかと聞かれたら、万有引力のためだと答えればよい。ある時点までは、この答で何の不足もなかった。ヘーゲルの言葉を借りるなら、「世界を合理的に見れば、世界も合理的に見返す」。

 同じことが経済学についても言える。仮説は世界について考える手段、あるいは世界を観察する手段にすぎない(ここで、経済学の仮説の大半は最後まで明示されないことを指摘しておかねばならない)。観察者が存在しない世界は、それ自体カオスである。モデル思考の能力を持ったとき、つまり頭の中にモデルが構築されたとき初めて、世界を合理的に見られるようになる。構成概念(数式、定理、法則など)に従って世界が「ふるまう」としても、その構成概念は世界それ自体にねざすのではなく、あくまで頭の中にあるのだ。世界を理論やモデルに体系化するのは、思考であり、想像力である。世界がどう動くか、それはなぜかをすべて説明しようという意気込みで構築された立派なモデルはどれも、単なる構成概念、単なる見解、単なる意見にすぎない。したがってあらゆる理論は役に立つ虚構であり、もっと言えば、神話であり物語である。神話が真実でないことは誰でも知っているし、経済学の仮説は非現実的だ。それでも経済理論は、人間と世界について何かしら真理を語っていると信じられている。

 モデルというものは多くの場合、何かのイメージである。たとえばお城の模型、洪水のシミュレーションをするコンピューターモデル、宇宙の発生に関するビッグバン・モデルなどだ。それとも、お手本や模範という意味のモデルなのだろうか。つまり、経済的現実を具現化するために使うのは、どちらのモデルなのか。モデルに似せて経済を構築するのか、現実に似せてモデルを構築するのか。両者のちがいは明快である。現実のお城も、現実の洪水も、現実の宇宙も、モデルにはまったく影響されない。だが現実の経済は、理論モデルに影響される。たとえば、モデルは個人の予想に、したがって個人の行動に影響をおよぼす。モデルの選択が重要な理由は、もう一つある。
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