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地域に必要な、女性中心の小さな経済

『人口減少×デザイン』より 提言:人口減少問題へのアプローチ

地域に必要な新しい経済

 20-30代女性の就業率と出生率

  以前から女性に関する気になるデータがありました。都道府県別の女性の就業率と合計特殊出生率に相関があるというデータです(相関係数= 0.473)。右上に位置する島根、福井、鳥取、佐賀、宮崎は女性の就業率と合計出生率が高い、すなわち働きながら産み育てる女性が多い地域です。この背景には、3世代同居などの家族環境(育児・家事を祖父母に任せられる)、地価・物価が安いなどの経済環境(金銭的に多くの子どもを育てられる)、共働きが定着しているという社会文化環境など、様々な要因が考えられます。こうした共働き&子育て環境が整っている地方都市圏に女性が働ける場をつくることは、若年女性の転出を減らし、Uターン・Iターンを呼び込み、育児と仕事の両立や出産を後押しすることにつながる有効なアプローチです。

地域に必要な、女性中心の小さな経済

 それでは、地域にどんな仕事、産業、経済をつくればよいのでしょうか?

 地方に雇用をつくることを考えると、たいていたどり着く結論が大企業の製造拠点誘致と公共事業です。これらの方法がどれだけ地域経済に貢献できるかは、私は専門外なのでここではふれません。問題なのは、この仕組みで生まれる雇用は工場や建設現場で働く作業員など男性中心だということです。人口減少に歯止めをかけるためには、地方圏に20-30代を中心とした出産適齢期の女性が働く場が必要なのです。

 それでは、今地方圏に求められる女性中心の小さな経済とはどういうものでしょうか?

 女性の力を活かし、女性が活躍できる機会の拡大につながる、この経済には3つの特徴があります。

 ①手作業・手仕事のクリエイティブ経済

  この経済圏では、主に手と身体を使って何かを創る行為から経済が生まれます。料理、裁縫、お花、お菓子、こうした細かい手作業を伴う趣味を仕事にするのはいつの時代にも夢のある働き方の1つでしょう。地域の木材を加工した雑貨製作、旬の青果でお菓子づくり、エコツアーのガイド、手づくりのカフエ経営など、地域ならではの資源に着目し、自分の力で仕事をつくり出している人たちが全国各地に登場しています。地域の基幹産業である一次産業は食の産業です。いつの時代も、新しい食品を買うのも、食のブームをつくるのも、美味しいと評判の店に並ぶのも、素敵なカフェに集うのも女性です。新しい食の産業の主役はクリエイティブな女性であることが多いのです。

  動画や映像、ウェブサイトやアプリ開発など、ITを活用した手仕事に取り組む若い世代も増えています。この仕事はパソコンとインターネットさえあれば遠隔地でも可能なことが多いため、地方圏で暮らし東京の仕事をこなすライフスタイルを送る人がどんどん増えています。

 ②少生産・少消費のマイクロ経済

  この経済の特徴は規模が小さいことです。従来型のビジネスの発想では、効率性・収益性の観点から、少ない品種の大量生産・大量消費を追求しがちです。全国チェーンの飲食店や100円ショップがその代表例でしょう。

  しかし、この経済は手作業・手仕事が基本ですから、大量にはつくれません。少量生産です。手作業ですから機械のように効率的にとはいきません。どうしても人件費はかさみます。しかし、地方圏での小規模生産は、原価を下げる方法が色々あります。お店や工房の賃料も安く、規格外の食材や間伐材などを格安で手に入れることもできます。大都市圏での生活と比べて生活費も抑えることができます。

  地域には少量多品種の資源があふれています。スーパーの生鮮売り場にいくと、全国どこでもほぼ同じ形のF1品種と呼ばれる野菜が並んでいます。育てやすく形も整ったF1品種は大規模生産・大規模消費経済では効率がいいためです。しかし一方で、日本各地には在来種と呼ばれる、その土地固有の野菜がたくさんあります。山形県鶴岡市には現在確認されているだけで50種を超える品種が受け継がれており、この在来種を活かした食と観光のまちづくり’が進められています。

  日本の漁港には様々な魚が水揚げされます。雑魚と呼ばれる小魚や規格外の魚は安価で取引されたり捨てられたりしてしまいます。愛媛県伊予市の道の駅ふたみでは、地元の漁協女性部が旬の雑魚でつくった「じやこ天」が大人気です。その場で揚げたてを食べられ、ハートの形をした「ラヴじやこ天」などのュニークな商品づくりに取り組んでいます。

  少量販売の場合、必要としている人に届けることができれば、多少高くても買ってもらえます。インターネットの普及で、ニッチな商品やサービスのファンを見つけることも容易になりました。

  北海道富良野に1日18個限定でプリンのみを発売するお店があります。プリンといっても直径20センチの陶器に入った8人前の大きなもので、1個2、600円です。昔は私もよく購入していたのですが、最近では1ヶ月待ち状態。本州配送は3ヶ月待ちだそうです。

 ③つながりから生まれるコミュニティ経済

  3つめの特徴は、自分の生活圏の中で経済が回っていて、生活コミュニティと仕事コミュニティが一体化していることです。この経済圏では地域のつながり、コミュニティとの関係が事業の大切な糧となります。地方圏に増えつつあるカフエ経営はその典型でしょう。福井県内陸部、人口3万人の街、大野市。この小さな街に実に素敵で個性的なカフエが3軒あります。

  1つは「うおまさcafe」。店主は60周年を迎えた老舗魚屋「魚正」の次女として生まれた、山本恭子さん。実家の魚屋を活かし、冠婚葬祭の宴会もできる広間を併設したカフエを2013年夏にオープンしました。

 美しく、健康になる食」をテーマに、魚はもちろん、大野産の野菜や発酵食品、特産品である上庄里芋のころ煮などの郷土料理にこだわったメニューも並びます。食文化を次世代につなぐ若いお母さんたちにも来てもらいたいと、インテリアはおしゃれな和風モダン。乳児を寝かせられる掘りごたつの席もあります。

  2つ目は、2010年に福井市内からの移住者が、古民家を改築してつくった「Cafe Name came ono)。[人や文化のつながりが生まれる場所を]と、カフエづくりの過程でも、店名のアイデアや食器選び、改装作業を地元の人と一緒につくりあげました。主婦や若者が独自で企画したヨガ教室や赤ちゃんマッサージ講座も開催される、地域コミュニティの中心のようなスペースです。

  3つ目は、地元出身の若者が東京から戻り起業した、豆や焙煎方法にこだわり本格的なコーヒーを楽しめるカフエ「モモンガコーヒー」です。店主(通称:マッキー)は大学進学を機に上京、大手電機メーカーに就職しました。「何もない大野が嫌いで、家庭の事情で帰郷したんですが、東京に戻りたくて仕方がなかった」と。そんな時、何気なく訪れた地域の祭を同年代の若者たちが仕切っていることに衝撃を受けたとのこと。その後、同級生に誘われて参加した街の活性化ワークショップで、Fマッキーは何をしたいの?jと聞かれて「大野でコーヒーショップをやるjと宣言したところ、「応援するよ!」とみんなに背中を押されてあれやこれやと開店。どんどん友人の輪が広がり、仲間みんなの手づくりで内装、メニュー、紹介映像までつくり、2014年春にオープンしました。お店は地域の人でいっぱいで、「忙しすぎて倒れそうだ(笑)jと話してくれました。

  こうした3つの特徴を持つ仕事は必ずしも女性だけが力を発揮できるものではありません。しかし、少量で手作業の仕事は、時間や場所の融通が効きやすく、子育てと両立しやすい側面があります。新しいコミュニティに入り込み、関係を築くことが上手な人は女性に多い印象です。女性がより活躍できる機会が多い仕事ではないでしょうか。



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人口減少の疑問 若者の恋愛離れが進んでいる

『人口減少×デザイン』より 人口減少の16の疑問

日本人の結婚離れが進んでいるの?

 なぜ結婚しない人が増えているのでしょうか?

 一生独身で過ごす生き方が定着して、結婚しない人生を積極的に選択する人、結婚しないことを望む人が増えているのでしょうか?

 過去30年間の独身男女(35歳未満)の「結婚する意思がある」人の比率は、若干減少傾向にあります。

 しかし、男性は95.9%から86.3%に、女性は94.2%から89.4%にとそれほど急激に減少しているわけではありません。1990年代以降は9割弱の水準で横ばいです。

 男女ともに10%ほどは結婚する意思がない人がいるものの、現在でも9割の男女は結婚する意思があるということで、日本人の結婚観が大きく変わったわけではなさそうです。

 結婚観には大きな変化がないものの、結婚する人は減っているのです。なぜ結婚する人が減ったのか、その理由をもう少し深堀りしてみる必要がありそうです。

若者の恋愛離れが進んでいるの?

 結婚しない人が増えている原因の1つに、結婚に至る前の恋愛、おつきあいが減っていることがありそうです。交際相手がいない男女の比率が高まっています。

 18-34歳の男性では6割、女性では5割が交際相手がおらず、男女ともに約20年前の1992年と比ぺて10%以上増えています。

 30代後半の独身者は男女ともに7割が交際相手がいないようです。

 年代別に細かく見てみると、交際相手の有無はV字型を描くようです。

 10代後半では男女ともに交際相手がいない人が多数派です。 20代前半、20代後半と年を重ねるにつれて、交際相手がいる人が増えていきます。 20代女性の半数以上に交際相手がいるようです。

 しかし、その後30代前半以降では、急激に交際相手がいない比率が高まっていきます。

 20代で交際時に結婚に至らないと、30代以降に次第に恋愛から離れて、結婚する機会が減っていくという実態が見えてきます。

『出会いがない』から結婚しないの?

 結婚しない人、交際相手がいない人が増えているのは、なぜでしょう?

 よく耳にするのは「出会いがない」という言葉です。

 しかし、若者の人間関係の量は増えているようです。異性の友人の数は、男性20代で10人から21人に、女性20代で7人から18人へと12年間で倍増しています。インターネットやSNSの普及で他人とつながる機会、自分の趣味や関心領域のコミュニティに所属する機会が増えています。つまり出会いの量自体は増えているのです。

 結婚につながる出会いがないのでしょうか?

 グラフは結婚に至った男女の出会いのきっかけです。1982年にはお見合いが3割を占めていましたが、今は5%にすぎません。職場や仕事での出会いも1997年と比べて減少しています。出会いの場が多様化しており、決まったパターンがなくなりつつあるようです。

 市町村別の20-44歳人口の男女比を表したものです。43.3%の自治体で男性人口が女性人口を、13.7%の自治体で女性人口が男性人口を5%以上、上回っています。人口の移動により男女バランスが崩れている自治体が多数あり、物理的に男女一方が余る事態が起きています。

『お金がない』から結婚しないの?

 結婚しない理由を若い人に尋ねると、必ずあがるのが「お金がないから」という答えです。収入と結婚にはどんな関係性があるでしょうか?

 35歳未満の独身男女の年収別に結婚の意思を見てみると、男女ともに明らかな相関が見られます。

 独身男性の結婚意向率(「1年以内に結婚したい」「理想の相手なら1年以内に結婚してもよい」の合計)は年収100万未満では約3割ですが、300-500万未満では6割、500万以上では7割を超えます。

 女性も同様の傾向です。女性は全ての年収層で結婚意向率が男性を9-15%上回ります。年収にかかわらず、女性のほうが結婚意向が高いことがわかります。

 バプル崩壊やリーマンショツク後の経済不況などにより、1990年代後半から現在まで、若い世代を中心に雇用は不足し、被雇用者の給与も減少傾向です。収入が不安定な非正規雇用者も増加しています。経済的な不安が結婚という人生の大きな決断を阻んでいることは多くの調査・研究からも明らかです。

結婚する時期が遅くなっているの?

 結婚しない人が増えていることに加えて、結婚する時期が遅れている、晩婚化も出生数が減少している原因の1つです。

 右図は1987年から2010年までの男女別の既婚者の平均出会い年齢と初婚年齢を表したものです。

 この図から色々と面白いことがわかります。

 出会いの年齢は、男性は25.7歳から25.6歳とほぽ変わりませんが、女性は22.7歳から24.3歳へと1.6歳遅くなっています。

 また、出会ってから結婚するまでの期間が長期化しています。女性は平均2.6年から4.2年と1.6年も長くなりました。出会いも遅くなり、交際期間も長くなった結果、女性の初婚年齢は25.3歳から28.5歳へと3歳以上遅くなりました。

 男性は出会いの年齢はほとんど変わりませんが、交際期間が2.5年から4.2年へと長期化したことで、初婚年齢が1.6歳遅くなり、ほぽ30歳になりました。

 女性の晩婚化は身体的な面で子どもを産む数、産める数を制限することにつながります。
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イスラム帝国

『世界史で読み解く現代ニュース〈宗教編〉』より

イスラム帝国の成立--アッバース朝

 アッバース朝の都が置かれたのは、イラクのバグダッドです。イラクやバグダッドと聞くと、現在は危険だというイメージしかないかもしれませんね。

 しかし、この時代のバグダッドは、そうではありませんでした。都の造営にあたったのは、アッバース朝第二代カリフのマンスール。彼はティグリス川西岸に、三重の城壁をもつ円形都市をつくり、農地の開発を積極的に行い、豊かな穀倉地帯を生み出しました。そして、バグダッドを「平安の都」(マディーナ=アッサラーム)と呼び、イスラム帝国の基礎を築きます。

 黄金時代を迎えたのは、八世紀末から九世紀にかけて、第五代カリフのハールーン=アッラシードのときでした。ハールーン=アッラシードは、皆さんご存じの『千夜一夜物語』にも、しばしば登場する人物です。

 彼は、二度にわたってビザンツ帝国との戦いに赴き、勝利をおさめました。そして、朝貢を条件に、ビザンツ帝国と講和を結びました(八○九年)。そのほか、インド王やフランク王国(のちのフランス)の王とも使節や贈り物を交換するなど、幅広く交流をもったとも言われています。彼の治世の首都バグダッドは一〇〇万人近くの人口を抱える大都市に発展し、「世界に比類なき都」と称されるほどの繁栄をほこりました。

 アッバース朝は、もともとはシーア派の不満を利用して革命を成功させ成立した王朝でした。しかし安定した政権を維持するためには、多数派を占めるスンニ派を無視できず、革命に協力したシーア派の期待は裏切られ、弾圧されて数多くの命が奪われました。一方、官僚機構を整備し、アラブ人だけでなく、新たにイスラム教に改宗した人たちも政治の要職につけました。また、アラブ人でなくても、改宗者には人頭税(ジズヤ)を課すことをやめ、逆にアラブ人であっても、征服地に土地をもつ者からは地租(ハラージュ)を徴収するなど、民族の違いによる差別をなくしていきました。こうして、それまでのアラブ人を中心とした支配の方法を改めて、イスラム法(シャリーア)を基盤に、国家の運営を行うようにしました。

 ここに名実ともに、イスラム帝国が完成したのです。

イスラム帝国の分裂

 アッバース朝が、バグダッドに建国されると、スンニ派のウマイヤ朝の一族はイベリア半島に逃れて、現在のスペインのコルドバを都とする後ウマイヤ朝を建てました(七五六~一〇三一年)。この王朝は、一〇世紀に最盛期を迎え、半島南部のアンダルシア地方では濯漑農業が発展し、首都コルドバはバグダッドと並び称されるほどの豊かな繁栄を見せました。バグダッドや東方のイスラム世界から、学術や芸術、文化がもたらされ、アラビア語の書物がさかんにラテン語に翻訳されました。それが中世ヨーロッパに伝わって大きな影響を与えたのです。

 アッバース朝がイスラム法によるイスラム帝国の支配を完成させたとき、イスラム教の勢力範囲は、西は北アフリカやイベリア半島から、東はインダス川流域にまで拡大しました。しかし、ひとつの王朝で統一されることはなく、九世紀以降、イスラム帝国は分裂をはじめ、スンニ派とシーア派の対立がその勢いを増していきました。イスラム法とアラビア語という共通の原理だけは何とか保っていましたが、いくつもの王朝が乱立し、三人のカリフが鼎立したりして、それぞれが独自の国づくりを始めました。そうした中、一三世紀の終わりに東地中海の地域に成立したのが、のちにヨーロッパと対峙するようになるオスマン帝国でした。

イスラム教から見た十字軍の行動

 十字軍(一〇九六~一二七〇年)といえば、キリスト教徒の聖地奪回のことですよね。これまでお話ししてきたように、この当時はイスラム教徒が勢力を拡大し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地であるエルサレムをイスラム教徒が占領してしまったことがそのきっかけとなりました。

 このキリスト教徒の軍隊は、兵士が十字架をシンボルに胸に赤い十字を描いていたので、そう呼ばれています。およそ二〇〇年の間に、大きい遠征だけで七回、そのうちイスラム勢力から聖地奪回に成功したのは、第一回と第五回の遠征だけでした。

キリスト教の聖地を奪回するという十字軍の活動をイスラム教徒側から見る

 エルサレムは、イスラム教徒にとっても聖地です。預言者ムハンマドがある夜、天馬に乗り、大天使ガブリエルに導かれて、メッカからエルサレムに行き、そこから天に昇ってアッラーや預言者たちに会い、再び戻ってきたとされています。天に昇り、降り立った場所にある岩の上につくられたのがイスラム教の聖地「岩のドーム(黄金のドーム)」です。

 第一回の十字軍遠征では聖地を奪われてしまいますが、その後、一一八七年に八八年ぶりに聖地を取り戻すことに成功したのが、クルド人のサラディン(サラーフ=アッディーン) でした。

クルド人武将サラディンがエルサレム奪還

 サラディンは、エジプトを支配していたシーア派の王朝を倒し、スンニ派を復活させて新たな王朝、アイューブ朝を建てた人物です。当時は王朝が乱立していた時代でしたが、サラディンはアッバース朝のカリフの権威を認め、このカリフからスルタンの任命を受けました。

 スルタンとは、一一世紀に始まったイスラム王朝の世俗的支配者の称号で、政治的・軍事的権限が与えられていました。この頃になると、カリフはムスリム統合の象徴として権威的な存在となり、宗教的行事にのみ関与するょうになっていたのです。

 サラディンは、もともとクルド人の武将でした。クルド人は、イラン、イラク、トルコにまたがって住む山岳民族で、勇猛果敢なことでも有名です。しかし、武力で十字軍から聖地エルサレムを奪還しただけでなく、第三回の十字軍の遠征による攻撃を受けたときには、十字軍と交渉して休戦条約を結び、キリスト教徒の聖地巡礼を許すなど、イスラム教の教えに則った節度と寛容な姿勢を示しました。ムハンマド以来の征服の慣行をよく守ったと言われています。サラディンの名声といわゆる騎士道精神はヨーロッパにも広く伝わり、しばしば文学作品にも登場しています。
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ダル・オモ状態

ダル・オモ状態

 ダル・オモ状態です。幹大も奥さんも同じ状況です。昼の1時半になっても部屋から出てきません。だから、今日はおとなしくしていた。

 まずは、部屋から出ることとし、7時に元町のスタバへ退避。2時間かけて、昨日の本の半分を処理。

メールの仕掛け

 19時半にパートナーからメールが入りました。今週の心配事?でしょうか。先週の日曜日の20時もありました。日曜日の定期メールになるんでしょうか。返答はすぐ行ったけど、いつものパターンで無反応です。言ったきりというものです。慣れてくるといいものです。

 それで、気をよくして、元隣の女性に状況を打診。こちらはFBのメッセンジャーです。今月一杯で派遣を打ち切るということです。その後のことは、会った時に話をしましょう。

 先週火曜日に発信した、アテネの玲子さんへのメールの返答がない。ギリシャ情勢を知りたいけど、感想が入ってきません。
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