未唯への手紙
未唯への手紙
スタバのブルーベリー
未唯へ
10時から加藤内科。14時半から記念病院。薬の確保も含めて、一日が過ぎていく。
スタバのブルーベリー
ブルーベリー・チーズケーキが食べたくて、アイスドリップにしました。460円は高いよ
ね。だけど、ブルーベリーが本格的。チケットは金曜日のサンロードにとっておきましょう。
かみことごちゃになっていた、バリスタの名前はみのり。多分、同年齢でしょう。手術のことを一番気にしていた。何か、「ゆたか」という名前が出てきます。みのりゆたかdすね。
みのりとかみこの違いがやっと分かってきました。かなり、性格が異なります。髪型が同じだけど。
メッセージがない
今日もハレー彗星からのメッセージがない。丁度、2週間です。パートナーの「五月病」はどうなったんでしょう。
Iさんへの打診のメールを打つのは止めました。メールのトラウマです。
運動をはじめよう
運動を始めることにしました。心臓にストレスを掛けます。本当に血流がよくなっているのか。それと血糖値が高いままです。空腹時に運動が効くことは分かっています。
それと心臓のドキドキ感
スケジュール
明日は岡崎市図書館に行きましょうか。10冊は借りられないかもしれないけど。帰りに豊田市図書館に寄って、予約した本をとってきます。それを金曜日までに処理します。
持って行く先
どう見ても、「持って行く先」は自分しかないです。元々の結論です。それによって、断ち切ってきた、断ち切られてきた、つながってなかった人間関係。
10時から加藤内科。14時半から記念病院。薬の確保も含めて、一日が過ぎていく。
スタバのブルーベリー
ブルーベリー・チーズケーキが食べたくて、アイスドリップにしました。460円は高いよ
ね。だけど、ブルーベリーが本格的。チケットは金曜日のサンロードにとっておきましょう。
かみことごちゃになっていた、バリスタの名前はみのり。多分、同年齢でしょう。手術のことを一番気にしていた。何か、「ゆたか」という名前が出てきます。みのりゆたかdすね。
みのりとかみこの違いがやっと分かってきました。かなり、性格が異なります。髪型が同じだけど。
メッセージがない
今日もハレー彗星からのメッセージがない。丁度、2週間です。パートナーの「五月病」はどうなったんでしょう。
Iさんへの打診のメールを打つのは止めました。メールのトラウマです。
運動をはじめよう
運動を始めることにしました。心臓にストレスを掛けます。本当に血流がよくなっているのか。それと血糖値が高いままです。空腹時に運動が効くことは分かっています。
それと心臓のドキドキ感
スケジュール
明日は岡崎市図書館に行きましょうか。10冊は借りられないかもしれないけど。帰りに豊田市図書館に寄って、予約した本をとってきます。それを金曜日までに処理します。
持って行く先
どう見ても、「持って行く先」は自分しかないです。元々の結論です。それによって、断ち切ってきた、断ち切られてきた、つながってなかった人間関係。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
OCR化の15冊
『逆流するグローバリズム』
ドイツの過剰な「ルール至上主義」
立場の弱くなった国、強くなった国
なぜフランスはドイツに追随したのか
国債の買い上げをいやがるドイツ人
ドイツ人のいう「ルール」とは?
「神話」としての二つのイベント
「経済自由主義」が信奉される理由
「ネガティブ志向」で政府を縛る
大衆を嫌う「オルドリベラリズム」
「小市民的」であることの重要性
メルケルの「ひし形」が意味したもの
『コールダー・ウォー』
黄昏のぺトロダラーシステム
標的となるドル
ドル崩壊を自ら加速化させるアメリカ
貿易取引の潮流変化
『うまくいく人がやっている100のこと』
「うまくいく人」の人生観
倫理観をしっかり持つ
目先の損得で判断しない
いつも試されていると知つている
謙虚である難しさを認識する
大きな夢を持っている
性急に結果を求めない
変化を求め、変化を楽しむ
自分はツイている、と思う
無駄な経験は何ひとつないと知る
成功ではなく幸せを目指す
人生は有限と知っている
ものごとを善悪で判断できる
夢や思いを周囲に語る
偶然を大切にする
努力しないという選択肢はない
自分の幸せが定義できている
すべては心が決めている、と知っている
『認知症』
記憶障害
症状の出現強度
自己有利
まだら症状
感情残像
こだわり
作用・反作用
症状の了解可能性
衰弱の進行
『ツーリズムの都市デザイン』
公共建築と広場戦略 図書館による都市再生
英国の「第2の都市」
衰退した都市部の再生、シティセンター戦略
20年構想、Big City Plan
公共建築による都心再生
運河の再生
環境配慮というブランド トラムによる都市再編
『明日のプランニング』
ファンからオーガニックな言葉を引き出す7つの方法--砂一時代の生活者が態度変容するオーガニックリーチ
いまファンじゃない人にファンになってもらうために
ファンからオーガニックな言葉を引き出す7つの方法
社員という「最強のファン」の共感を作る。
ファンをもてなし、特別扱いする。
生活者との接点を見直す。
商品自体を見直す。ファンと共創する。
ファンを発掘し、活性化し、動員し、追跡する。
ファンを発掘し、活性化し、動員し、追跡する。
ファンと共に育つ。ファンを支援する。
ファンとビジョンを分かち合う。
『ぼくらの民主主義』
国も憲法も自分で作っちゃおうぜ
「社会を作る」ことは楽しい
「考えないこと」こそが罪
ぼくらの民主主義なんだぜ
『「ラットレース」から抜け出す方法』
極秘事項
誰も教えてくれないタブー
「ラットレース」という茶番
あたりまえを疑う
世界は身体の延長
新しい「私」感覚
神話の効能
「神」は自分?
あなたの手にすべり込ませたい「本」
『NPOの後継者』
組織における人間関係の考え方を学ぶ
サーバント・リーダーシップ
サーバント・リーダーシップの特性(NPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会)
傾聴
共感
癒し
気づき
納得
概念化
先見力
執事役
コミュニティづくり
職員自身の自己実現を叶える
『資源の循環利用とはなにか』
現れないオオカミ--二重の資源の枯渇問題を考える--
天然資源は枯渇するのか
天然資源枯渇に対する不安
低品位の露天掘り鉱山
二重の資源問題
ローマクラブの予想とマルサスの悪魔
ローマクラブの誤算
公害とバッズ
合理的な経済行動と資源--市場楽観主義
資源利用と環境負荷
静脈資源のフロー
バッズのグッズ化への道
『中国の歴史』
ベトナム史から見た中国近現代史
フランスの極東進出
清仏戦争:冊封体制からの離脱
フランス領インドシナ連邦の成立
中国への交通路
植民地期における華僑の流入
植民地期の対中国貿易
20世紀初頭における革命運動の交流
東洋のモスクワ=広州:二つの革命組織誕生
国民党政府と仏領インドシナ
日中戦争勃発から1945年八月革命まで
ソ連修正主義批判での共鳴とベトナム戦争支援
文化大革命と中ソ対立:中越関係のきしみ
統一ベトナムと中国:対立の表面化
改革開放政策の実施
中越国交正常化:接近と警戒 、
環境と治水の歴史
河川と人間
政治と治水
現代中国政治における治水
『日本のモスク』
コミュニティの中心としてのモスク
社会的活動の中心
宗教的活動
出会いと憩い
勉強会と教育
相互扶助
婚姻と葬儀
ハラール
「定住」ムスリムの特徴
『呆れたカントに「理性」はあるか』
理性は情動より大切か
デカルトが尊重した理性的精神
カントが尊重した「行為の道徳法則」
見逃された心の身体化と無意識
理性的であるという幻想の極北
アーリア人の純粋性という口実--ユダヤ人虐殺
コトバでレッテルを貼る心理操作--七三一部隊
憎悪の底には実存的不安がある
愛は憎しみよりも自然な情である
『リノベーションの新潮流』
ノース・ウエスト・キュイジーンのメッカ--パィク・マーケット・プレィス
全米一住みたいまち--パール・ディストリクト
元祖リノべーション--フィッシャーマンズ・ワーフ
港のグルメ街--フェリー・ビルディング・マーケット・プレイス
住宅地のリノベーション--バークレイのグルメ街
『よくわかるメディアスタディーズ』
印刷文化
テレビというメディア
ネットワーク社会の政治経済学
ソーシャル・メディアによるランキング機能
グローバル化の多層性
グローバル化における国家の役割
他者の表象
なぜ空間的アプローチなのか?
沈黙の螺旋とアジェンダ・セッティング
ニクラス・ルーマン
ドイツの過剰な「ルール至上主義」
立場の弱くなった国、強くなった国
なぜフランスはドイツに追随したのか
国債の買い上げをいやがるドイツ人
ドイツ人のいう「ルール」とは?
「神話」としての二つのイベント
「経済自由主義」が信奉される理由
「ネガティブ志向」で政府を縛る
大衆を嫌う「オルドリベラリズム」
「小市民的」であることの重要性
メルケルの「ひし形」が意味したもの
『コールダー・ウォー』
黄昏のぺトロダラーシステム
標的となるドル
ドル崩壊を自ら加速化させるアメリカ
貿易取引の潮流変化
『うまくいく人がやっている100のこと』
「うまくいく人」の人生観
倫理観をしっかり持つ
目先の損得で判断しない
いつも試されていると知つている
謙虚である難しさを認識する
大きな夢を持っている
性急に結果を求めない
変化を求め、変化を楽しむ
自分はツイている、と思う
無駄な経験は何ひとつないと知る
成功ではなく幸せを目指す
人生は有限と知っている
ものごとを善悪で判断できる
夢や思いを周囲に語る
偶然を大切にする
努力しないという選択肢はない
自分の幸せが定義できている
すべては心が決めている、と知っている
『認知症』
記憶障害
症状の出現強度
自己有利
まだら症状
感情残像
こだわり
作用・反作用
症状の了解可能性
衰弱の進行
『ツーリズムの都市デザイン』
公共建築と広場戦略 図書館による都市再生
英国の「第2の都市」
衰退した都市部の再生、シティセンター戦略
20年構想、Big City Plan
公共建築による都心再生
運河の再生
環境配慮というブランド トラムによる都市再編
『明日のプランニング』
ファンからオーガニックな言葉を引き出す7つの方法--砂一時代の生活者が態度変容するオーガニックリーチ
いまファンじゃない人にファンになってもらうために
ファンからオーガニックな言葉を引き出す7つの方法
社員という「最強のファン」の共感を作る。
ファンをもてなし、特別扱いする。
生活者との接点を見直す。
商品自体を見直す。ファンと共創する。
ファンを発掘し、活性化し、動員し、追跡する。
ファンを発掘し、活性化し、動員し、追跡する。
ファンと共に育つ。ファンを支援する。
ファンとビジョンを分かち合う。
『ぼくらの民主主義』
国も憲法も自分で作っちゃおうぜ
「社会を作る」ことは楽しい
「考えないこと」こそが罪
ぼくらの民主主義なんだぜ
『「ラットレース」から抜け出す方法』
極秘事項
誰も教えてくれないタブー
「ラットレース」という茶番
あたりまえを疑う
世界は身体の延長
新しい「私」感覚
神話の効能
「神」は自分?
あなたの手にすべり込ませたい「本」
『NPOの後継者』
組織における人間関係の考え方を学ぶ
サーバント・リーダーシップ
サーバント・リーダーシップの特性(NPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会)
傾聴
共感
癒し
気づき
納得
概念化
先見力
執事役
コミュニティづくり
職員自身の自己実現を叶える
『資源の循環利用とはなにか』
現れないオオカミ--二重の資源の枯渇問題を考える--
天然資源は枯渇するのか
天然資源枯渇に対する不安
低品位の露天掘り鉱山
二重の資源問題
ローマクラブの予想とマルサスの悪魔
ローマクラブの誤算
公害とバッズ
合理的な経済行動と資源--市場楽観主義
資源利用と環境負荷
静脈資源のフロー
バッズのグッズ化への道
『中国の歴史』
ベトナム史から見た中国近現代史
フランスの極東進出
清仏戦争:冊封体制からの離脱
フランス領インドシナ連邦の成立
中国への交通路
植民地期における華僑の流入
植民地期の対中国貿易
20世紀初頭における革命運動の交流
東洋のモスクワ=広州:二つの革命組織誕生
国民党政府と仏領インドシナ
日中戦争勃発から1945年八月革命まで
ソ連修正主義批判での共鳴とベトナム戦争支援
文化大革命と中ソ対立:中越関係のきしみ
統一ベトナムと中国:対立の表面化
改革開放政策の実施
中越国交正常化:接近と警戒 、
環境と治水の歴史
河川と人間
政治と治水
現代中国政治における治水
『日本のモスク』
コミュニティの中心としてのモスク
社会的活動の中心
宗教的活動
出会いと憩い
勉強会と教育
相互扶助
婚姻と葬儀
ハラール
「定住」ムスリムの特徴
『呆れたカントに「理性」はあるか』
理性は情動より大切か
デカルトが尊重した理性的精神
カントが尊重した「行為の道徳法則」
見逃された心の身体化と無意識
理性的であるという幻想の極北
アーリア人の純粋性という口実--ユダヤ人虐殺
コトバでレッテルを貼る心理操作--七三一部隊
憎悪の底には実存的不安がある
愛は憎しみよりも自然な情である
『リノベーションの新潮流』
ノース・ウエスト・キュイジーンのメッカ--パィク・マーケット・プレィス
全米一住みたいまち--パール・ディストリクト
元祖リノべーション--フィッシャーマンズ・ワーフ
港のグルメ街--フェリー・ビルディング・マーケット・プレイス
住宅地のリノベーション--バークレイのグルメ街
『よくわかるメディアスタディーズ』
印刷文化
テレビというメディア
ネットワーク社会の政治経済学
ソーシャル・メディアによるランキング機能
グローバル化の多層性
グローバル化における国家の役割
他者の表象
なぜ空間的アプローチなのか?
沈黙の螺旋とアジェンダ・セッティング
ニクラス・ルーマン
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
アーリア人の純粋性という口実--ユダヤ人虐殺
『呆れたカントに「理性」はあるか』より 理性は情動より大切か
「民族浄化」は少数民族を徹底的に抹殺する殺戮行為ですが、史上、これを完璧な国家事業として、緻密に計画し、組織的に、効率よく行った事例は、ナチスがユダヤ人を主な対象として行った場合しか見当たりません。
ラウル・ヒルバーグの大著『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』をひもとくと、絶滅行動は、第一に、官僚機構の諸機関を編成して「絶滅機構」を構築する。第二に、絶滅遂行に必要な手続きを決定する。第三に、絶滅過程を一歩一歩進めていく、というものです。その際、費用・便益を計算し、ヒトの「理性」を存分に行使しています。
絶滅過程には、まず抹殺すべき対象を「定義」する、つまり対象の範囲を決める。次いで対象を「収容」(拘束)する。最後に[抹殺]を行う、という三つの段階が必要です。
殺すべき対象として定義される者には、劣等民族たるユダヤ人たち以外に、「理性」がなく、役立たずで、社会の重荷になると見なされる、精神病患者、ダウン症や奇形児、知的障害者、老衰者(認知症高齢者?)が含まれているのが目を引きます。ほぼ一〇万人がガス室で殺されたり、射殺されました。
ユダヤ人は、ナチスにより収容所のガス室に入れられるなど、六〇〇万人が殺されます。殺害の方法がどのようなものであっても、組織的で効率がよかった点に特徴があります。
ドイツ人は、殺戮行動が規格統一されていたので、迅速に能率的に行動することができた。あらゆる町で同じ段取りが行われ、変更点はほんのちょっとしたものに過ぎなかった。射殺する場所は、普通、町の外で、墓穴のところだった。戦車よけの塹壕や弾孔も墓穴になったし、特別に掘ったものも墓穴になった。ユダヤ人は、男を先頭にした一群となって、集合地点からこの穴のところまで連れていかれた。(中略)殺される前に、犠牲者は貴重品を殺戮部隊の指導者に手渡した。冬には、外套を脱いだ。暖かい天候のときには、すべての上着を、場合によっては下着も脱がなくてはならなかった。
そのあとの様子には、多少のヴァリエーションがある。犠牲者を溝の前に並べて、アメリカ人は日本人に対して深い憎しみを抱いていたのである。ピュリッツァー賞を受賞している歴史学者のアラン・ネヴィンスは、「わが国の歴史上、日本人ほど忌み嫌われた敵はいないだろう」と戦後に書いている。戦時中にアメリカが使ったプロパガンダは邪悪なナチス指導者と「善良なドイツ人」を慎重に区別していたが、こうした区別は日本人には用いられなかった。《ニューズウィーク》誌が一九四五年一月に論じたように、「今回の戦争ほどわが国の兵士が敵を憎み、殺したいと考えた戦争はいまだかつてなかった」のである。
歴史学者のジョン・ダワーによれば、アメリカ人は日本人を害虫、ゴギブリ、ガラガラヘビ、ネズミと見なした。サルの比喩も多用された。
一九四五年七月原爆実験が成功し、トルーマン大統領などの指導者は、「ソ連の手を借りずともアメリカが望む条件で日本の降伏を早期に実現でき、ソ連に確約していた領土と経済上の譲歩をする必要がなくなった」と考えます。
しかし、戦闘能力のほとんどなくなった国に対し、想像を絶する破壊力の原爆を投下することの道義的意味が当然生じます。核兵器製造にかかわった多くの科学者たちが人口密集地での原爆投下に反対しました。軍人も反対しました。連合国軍最高司令官ドワイト・アイゼンハワーも、
①日本は降伏する用意ができており、あのように恐ろしい兵器を使用する必要はない、
②私は自国があのような兵器を用いる最初の国になるのを見たくない、
と反対した理由を《ニューズウィーク》誌に書きました。
太平洋戦線で連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーも、原爆の使用を「軍事的にはまったく不必要」と考えていたのは同様です。ストーンによれば、八月六日の原爆投下が発表される前、マッカーサーは記者会見を開き、日本はすでに敗北している、「次の戦争が一万倍の恐怖をともなうだろう」と語ったのでした。
八月六日の広島には、約三〇万人の住民、四万三〇〇〇人の兵士、四万五〇〇〇人の朝鮮系強制労働者、数千人の日系アメリカ人がいました。原爆投下により何万人かの人が瞬時に落命し、その年のうちに推定一四万人、一九五〇年までに二〇万人が死亡しています。
しかし、「アメリカの公式発表は、三二四二人の日本兵が死んだのみというものであった」。八月九日の長崎での原爆投下では、四万人が即死し(二五〇名の兵士を含む)、その年のうちに七万人が死亡し、五年で一四万人がこの世を去ったと推定されます。
広島での原爆投下によって、広島の街が消滅するのを観察した別の観測機の者たちは、さっきまで朝日を浴びてはっきり見えていた街が地上から抹消されたのが信じられなかったという。「もうこれ以上どんな作戦も、原爆も、恐怖も、死者も必要なかったのに、なんてことだ。どんな痴れ者にでもわかるはずではないか」というのは、心底からの叫びだった。
アパルトヘイトの南アフリカで家畜に対するような人種差別を受け三〇年近く投獄されていたネルソン・マンデラは、抑圧者を責めないことでも知られていました。
しかし彼が二〇〇三年東京で開かれた国際女性平和フォーラムでの発言に異を唱える者はいないでしょう。
「もし言語に絶する残虐行為をおこなった国があるとすれば、それは米国である」 占領軍は被爆者の健康状態を長期間調べていますが、これには治療目的は含まれず、核兵器による放射線被曝の長期影響を観察するための人体実験でした。
しかし日本軍も、規模ははるかに小さいのですが、中国人を使った生体実験をおこなっています。
「民族浄化」は少数民族を徹底的に抹殺する殺戮行為ですが、史上、これを完璧な国家事業として、緻密に計画し、組織的に、効率よく行った事例は、ナチスがユダヤ人を主な対象として行った場合しか見当たりません。
ラウル・ヒルバーグの大著『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』をひもとくと、絶滅行動は、第一に、官僚機構の諸機関を編成して「絶滅機構」を構築する。第二に、絶滅遂行に必要な手続きを決定する。第三に、絶滅過程を一歩一歩進めていく、というものです。その際、費用・便益を計算し、ヒトの「理性」を存分に行使しています。
絶滅過程には、まず抹殺すべき対象を「定義」する、つまり対象の範囲を決める。次いで対象を「収容」(拘束)する。最後に[抹殺]を行う、という三つの段階が必要です。
殺すべき対象として定義される者には、劣等民族たるユダヤ人たち以外に、「理性」がなく、役立たずで、社会の重荷になると見なされる、精神病患者、ダウン症や奇形児、知的障害者、老衰者(認知症高齢者?)が含まれているのが目を引きます。ほぼ一〇万人がガス室で殺されたり、射殺されました。
ユダヤ人は、ナチスにより収容所のガス室に入れられるなど、六〇〇万人が殺されます。殺害の方法がどのようなものであっても、組織的で効率がよかった点に特徴があります。
ドイツ人は、殺戮行動が規格統一されていたので、迅速に能率的に行動することができた。あらゆる町で同じ段取りが行われ、変更点はほんのちょっとしたものに過ぎなかった。射殺する場所は、普通、町の外で、墓穴のところだった。戦車よけの塹壕や弾孔も墓穴になったし、特別に掘ったものも墓穴になった。ユダヤ人は、男を先頭にした一群となって、集合地点からこの穴のところまで連れていかれた。(中略)殺される前に、犠牲者は貴重品を殺戮部隊の指導者に手渡した。冬には、外套を脱いだ。暖かい天候のときには、すべての上着を、場合によっては下着も脱がなくてはならなかった。
そのあとの様子には、多少のヴァリエーションがある。犠牲者を溝の前に並べて、アメリカ人は日本人に対して深い憎しみを抱いていたのである。ピュリッツァー賞を受賞している歴史学者のアラン・ネヴィンスは、「わが国の歴史上、日本人ほど忌み嫌われた敵はいないだろう」と戦後に書いている。戦時中にアメリカが使ったプロパガンダは邪悪なナチス指導者と「善良なドイツ人」を慎重に区別していたが、こうした区別は日本人には用いられなかった。《ニューズウィーク》誌が一九四五年一月に論じたように、「今回の戦争ほどわが国の兵士が敵を憎み、殺したいと考えた戦争はいまだかつてなかった」のである。
歴史学者のジョン・ダワーによれば、アメリカ人は日本人を害虫、ゴギブリ、ガラガラヘビ、ネズミと見なした。サルの比喩も多用された。
一九四五年七月原爆実験が成功し、トルーマン大統領などの指導者は、「ソ連の手を借りずともアメリカが望む条件で日本の降伏を早期に実現でき、ソ連に確約していた領土と経済上の譲歩をする必要がなくなった」と考えます。
しかし、戦闘能力のほとんどなくなった国に対し、想像を絶する破壊力の原爆を投下することの道義的意味が当然生じます。核兵器製造にかかわった多くの科学者たちが人口密集地での原爆投下に反対しました。軍人も反対しました。連合国軍最高司令官ドワイト・アイゼンハワーも、
①日本は降伏する用意ができており、あのように恐ろしい兵器を使用する必要はない、
②私は自国があのような兵器を用いる最初の国になるのを見たくない、
と反対した理由を《ニューズウィーク》誌に書きました。
太平洋戦線で連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーも、原爆の使用を「軍事的にはまったく不必要」と考えていたのは同様です。ストーンによれば、八月六日の原爆投下が発表される前、マッカーサーは記者会見を開き、日本はすでに敗北している、「次の戦争が一万倍の恐怖をともなうだろう」と語ったのでした。
八月六日の広島には、約三〇万人の住民、四万三〇〇〇人の兵士、四万五〇〇〇人の朝鮮系強制労働者、数千人の日系アメリカ人がいました。原爆投下により何万人かの人が瞬時に落命し、その年のうちに推定一四万人、一九五〇年までに二〇万人が死亡しています。
しかし、「アメリカの公式発表は、三二四二人の日本兵が死んだのみというものであった」。八月九日の長崎での原爆投下では、四万人が即死し(二五〇名の兵士を含む)、その年のうちに七万人が死亡し、五年で一四万人がこの世を去ったと推定されます。
広島での原爆投下によって、広島の街が消滅するのを観察した別の観測機の者たちは、さっきまで朝日を浴びてはっきり見えていた街が地上から抹消されたのが信じられなかったという。「もうこれ以上どんな作戦も、原爆も、恐怖も、死者も必要なかったのに、なんてことだ。どんな痴れ者にでもわかるはずではないか」というのは、心底からの叫びだった。
アパルトヘイトの南アフリカで家畜に対するような人種差別を受け三〇年近く投獄されていたネルソン・マンデラは、抑圧者を責めないことでも知られていました。
しかし彼が二〇〇三年東京で開かれた国際女性平和フォーラムでの発言に異を唱える者はいないでしょう。
「もし言語に絶する残虐行為をおこなった国があるとすれば、それは米国である」 占領軍は被爆者の健康状態を長期間調べていますが、これには治療目的は含まれず、核兵器による放射線被曝の長期影響を観察するための人体実験でした。
しかし日本軍も、規模ははるかに小さいのですが、中国人を使った生体実験をおこなっています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )