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未唯宇宙の構造

未唯宇宙の近傍

 未唯宇宙の近傍を作り上げていく。そこでは、ハイアラキーではなく、半順序集合。

 中心が変われば、周辺も変わっていく。ルーマンの社会システムが目指したものと同じです。とりあえず、近傍を作ります。上の所は、4つのモノで、一つのストーリーを作ります。完全に言葉になるようにする。

 「多くの人がいる」というところから、「多くの人が行かれる」というところに持って行く。「情報共有」から「生きている意味」まで持って行く。「分化」するから「存在する意味」に持って行く。それらを言葉でつなげていく。

 出て来たものをまた、「多くの人が生きられる」というところに持って行く。これは言葉のゲームです。ウィットゲンシュタインが狙ったことです。ルーマンのシステム設計が狙ったのも、これらの論理思考なんでしょう。それらを全て、内なる世界で作り出す。

言葉の曖昧さ

 言葉での曖昧さを持ちながら、言葉での厳密さをいかにつなげていくのか。新しい近傍系です。

 数学でも1という中に、抽象化するが故に、ものすごく曖昧なモノを持っている。1らしきものが、1なんでしょう。そうでないと、一匹と一人と机一つを同じ「1」で表すことができない。その「1」にもディスクリートな1もあるし、連続の中の1もある。連続に、完全な1というものはありえない。

未唯宇宙の構造

 そうなると、未唯宇宙の構造が決まります。未唯空間のそれぞれの点が拡大していく。あくまでも、一つの点は未唯空間で決まります。それに膨大な言葉と文章がつながっていく。

 それによって、ディスクリートな空間が定義できます。宇宙空間のように、一様ではなく、ディスクリートな空間です。ブラック・マターがいくらでもあります。それらの特異点を介しながら、創り上げられる世界です。決して、ハイラキーな空間ではなく、それぞれが独立し、かつ従属している空間が集まった空間。

待つ世界

 待つ世界、高度サービスの世界。かみこはめばえと一緒の22歳。スタバに通いだした15年前は小学2年生。
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他者の表象

『よくわかるメディアスタディーズ』より

他者化:はじめから「分割された」実践

 不可避であるが、しかし決して同一化できないもの、それが他者だ。必ずいてくれないと困るけど、私はあなたにはなれないし、あなたは私にはなれない、そういう「あなた」(者? モノ?)を、他者という。いてくれないと困るとはいえ、何もその他者の都合を慮っていっているわけではない。まずもって優先順位は自己にあるからである。他者は自己から見た限りにおいて他者なのだから。ではどのように「自己」は構成されるのか。他者はその構成にとって必要な資源となる一方で、時にはその構成を中断させる破壊分子ともなる。だから「自己」は常にすでに不安定である。[自己]は他者を求めた矢先にまさにその同じ他者を廃しようとする、2つに分割される実践を同時に実行しなければいけないのだから。

 「それ」になりたいかなりたくないかはこの際どうでもいい。他者はただ、それ自体で1つの必然であり、必然である限りフィクションかノンフィクションかは問題ではない。大切なのは、他者が他者としてどのように「ある」のかではなく、あるもの「として」どのように認識されるかである。表象とはこの「として」を可能にする操作のことだ。それは何も特別なことではなく、認識や思考を通じて何かを対象化するときに必ず行われる一連の生産的な作業だと考えてもいい。他者は表象によって初めて可能であり、表象という出来事は他者を対象として可能にする。

常に不完全なる「表象」

 しかし、そもそも他者は表象可能なのだろうか? この場合、表象を事実の反映だとか、モノの記号による完全な代理だと考えてはならない。そうでないと、表現されたイメージには虚飾や歪曲があってはならない、表象は常に「正しく」なければならないということになってしまうからだ。しかしこれはおそらく、不可能である。なぜなら、表象されたものがそれ自身の表象の意味について表現し語ることは往々にして稀なため、表象されたものが正しいか間違っているかということを確かめるのは簡単ではないからである。

 1つのイメージに対して、それは誤った、捏造された、歪曲された、虚の表象であると考えることは結構多いはず。それは反映論や代理論に巻き込まれている証拠である。嘘はもちろんそれほど褒められたものではない。しかし、嘘か真かとは異なる次元にある領域、「ありうる」とか「ありえた」という領域を表象の意味範囲から排除してしまうと、他者像は恐ろしく単純な都合のいい同一化か排除の対象に成り下がるだけだ。すると、おのずと自己もまた恐ろしく単純な同一化と排除だけを実施する主体にならざるをえない。しかし中には不都合な他者もいる/あるはずである。表象されることによって自己に問いかけ、時には苛み、また時には慈しむ他者が。

植民地からメディア空間へ

 18世紀「啓蒙の時代」の遠洋航海者たちはスケッチや紀行日誌で「野蛮」人を「野蛮」として表象した。ロビンソン・クルーソーはある島の「人食い」原住民を銃で撃ち殺しつつ、「彼らに罪はなかった。その残酷な慣習は、いわば彼ら自身の呪われた禍にすぎなかった」と喋いたのである。サイードは『オリエンタリズム』において、「東洋人」を脆弱で庇護を必要とする言葉なき他者として表象してきた近代ヨーロッパの自己形成過程の一端を描いた。フロイトにおいて他者とは取り込まれる(食われる?)と同時にとりっく(食い尽くす?)外部であり、ラカンにおいて他者が最も強力に、つまり完全に近い形で表象されているのは、その不在の状態においてであった。この他者の不在を文字通り「経験的に」不在であることと解釈して立論したスピヴァクにとって、表象とは語ることによって可能なのだが、その他者は語れず、他者以外が語ろうとするとその瞬間に他者であることを休止しなければならないのである。

 このような「他者の表象」の系譜を参照しつつ、メディア実践の領野において、問いかけ、苛み、慈しむ他者の表象について考察しなければならない。他者化とは意味の生産のことなのだから、肯定も否定もあり、友愛も差別もある。思いもかけないイメージを喚起することもあれば、ステレオタイプを補強することもある。メディアの情報に五感を通じて接触している限り、他者の表象に出くわさないことのほうが稀だ。北朝鮮やイランや犯罪者や在日外国人やアフリカ人ランナーばかりが他者ではない。朝青龍が公共の電波に乗って届けられる時は、いつも決まって他者化されているのはなぜだろう? 「少年犯罪」においては10代の若者が、薬害C型肝炎の被害者もまた、テレビに出るたびに他者化される。引きこもりは他者との折衝不全症候群だとして他者化され、ニートは勤労意欲に意味を見出すことすらできない困った他者だと表象される。事態を客観化しようという欲望は、「自分は違う、自分じゃなくてよかった」という安心感や、「自分は違う、すごいな」という賞賛に偶発的に一致する。しからば、他者の表象とは自己の再定位を続けていく作業であるともいえる。もちろん定位できるかどうかの保証はない。だから、表象は終わらない。他者も終わることはない。
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ネットワーク社会の政治経済学

『よくわかるメディアスタディーズ』より

グローバルなネットワーク社会の諸層を捉えるために

 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが2000年に呈示した〈帝国〉という概念は、グローバル化する現代世界を理解するのに役立つ案内図の役割を今も果たしている。一言でいえば、〈帝国〉とは--ある中心的な国家の主権とその拡張の論理にもとづく、かっての帝国主義とは異なり--、支配的な国民国家群をもその節点として組み込んでしまうようなネットワーク状のグローバル権力のことである。現在の世界は、「二極化」(冷戦構造)でも「一極化」(アメリカや中国といった超大国をその中心とするようなグローバル帝国主義)でも「多極化」(支配的な国民国家群の支配する世界)でもなく、「無極化」すなわち多種多様な権力がネットワーク状に結びついたグローバル権力(支配的な国民国家群や、IMF・世界銀行・諸種のNGOといった超国家的な政治的・経済的制度、Google・Facebook・Apple・Amazon等のコンピュータ・ネットワークを基盤にした巨大企業やメディア・コングロマリットといった一連の権力のあいだの、不均等ではあるが広範な協力関係にもとづくもの)の構築、つまりは、中心も外部もない〈帝国〉の形成へと向かいつつある。

 ここでは、この〈帝国〉という概念を、今日のグローバルなネットワーク社会を捉える上でいまなお有効な視角として導入しつつ、ウェブ2.0以降のメディア・テクノロジーとデジタル文化が織りなすネットワーク社会のさまざまな層(レイヤー)へとアプローチするための政治経済学的な研究方法とその分析装置について考えてみたい。

ネットワーク社会と制御(コントロール)社会の結びつき

 ネグリとハートが哲学者ジル・ドゥルーズの分析を引き継いで明らかにしたように、帝国主義から〈帝国〉への移行は、規律(ディシプリン)社会からグローバルな制御(コントロール)社会への移行と重なり合うものとしても捉えることができる。その意味で〈帝国〉は、近代の規律社会からポスト近代の制御社会への移行および、制御社会のグローバル化によって特徴づけられる、ネットワーク状の主権形態である、と言えるだろう。

 規律社会が組織体に所属する各成員の個別性を型にはめることへと向かうのに対し、制御社会はそのさまざまなレイヤーにおいて数多くのパラメーターを貰整することを通じ、私たちの主体性やアイデンティティを絶えず分解しつつ再構成することへと向かう。 ドゥルーズは言う、「いま目の前にあるのは、マス(大衆)と個人の対ではない。分割不可能だった個人(individus)は分親によってその性質を変化させる『分人』(dividuels)となり、マスのほうもサンプルかデータ、あるいはマーケットか『データバンク』に化けてしまう」、と。制御社会が私たちに指し示しているのは、個々人のアイデンティティが分散型の情報ネットワークヘと流入し、そこに組み込まれてゆくという事態にほかならない。また、そのようにして、今日のグローバル化する制御社会においては、個体化の分散的な様式やネットワークが作動することになる。と同時にそれらの様式やネットワークは、個々人のクレジットカードの使用履歴やブラウジング履歴、信用評価や消費者プロファイル、医療記録や生体認証情報とぃった一連のマイクロなデータの流れや集積に応じて微細かつ無際限に変化しながら、監視され、調整されっづけることになる。制御社会におけるコントコールは、遠隔操作やコントロール・ルームといった言葉が連想させがちな、 管理〉や〈操作(マニピュレイション)〉にかかわるものというよりは、脱中心化された分散的な〈調整(モジュレイション)〉にかかわるものなのである。

コミュニケーション資本主義のメカニズム

 こうしたグローバルな制御社会としての〈帝国〉は、諸国家の領域を横断するグローバル資本とウェブ2.0以降の多種多様なメディア・プラットフォームやアルゴリズムとも連携している。そのようなかたちで〈帝国〉は、情報と情動が結びついたコミュニケーション・ネットワークを通じて、準個体的な「分人」のレヴェルで情動の微細な流れを調整するとともに、超個体的な「データバンク」のレヴェルで集団的なトレンドにかかわるビッグデータを採掘することにより、人々の関心や注目、生きた情報や価値を捕獲するための諸装置(インターネット関連で例をあげるなら、検索エンジンやソーシャル・メディアのプラットフォーム、ゲームサイトや動画サイト、通販サイトやコミュニティ・サイト、またそれらを支えるアプリケーションやアルゴリズムの数々)を整備しているのだ。かつて近代の政治理論家たちが唱えていた、民主化を促進するものとしての能動的な相互作用やコミュニケーションの働きは、今や〈帝国〉の論理によって実質的に包摂されてしまったとも指摘できるだろう。

 この点に関して政治学者のジョディ・ディーンは、ウェブ2.0とりわけソーシャル・メディアの普及と浸透によってますます強化されつつある、コミュニケーション自体を資本主義的生産にとっての支配的形態とする、そのような編成のことを、コミュニケーション資本主義と呼んでいる。ごく大まかにいって、産業資本主義が労働力の搾取をその基盤としていたのと同じように、コミュニケーション資本主義はコミュニケーションの搾取に立脚している。またそれゆえ、コミュニケーション資本主義におけるコミュニケーションは、かつてユルゲン・ハーバーマスが示唆したような、理解に到達することを志向する行為を指すものではない。別の言い方をすれば、ハーバーマスの呈示したコミュニケーション的行為のモデルにおいては、そのような志向性にもとづいたメッセージの使用価値こそが重要であったのに対し、現在のコミュニケーション資本主義においては、情動や情報の流れ・流通=循環・共同利用に寄与すること。つまりはメッセージの交換価値の方がその使用価値よりも重視されるのである。

 ブログやTwitter・YouTube・Facebook 等々を通して間断なく流通し、循環しつづける、さまざまの寄与--言葉やつぶやきや文章、音楽やサウンド、写真や動画、ゲームやビデオ、コードやウィルス、ポットやクローラー等々--は、必ずしも自分か理解されることを必要とはしていない。むしろ、それらがぜひとも必要としているのは、反復され、複製され、転送されるという、サーキュレイションのプロセスそのものなのである。このように、コミュニケーション資本主義における情報と情動のフローは、今や終わりのない、果てしなくつづくループを形づくっている、とみなすべきだろう。

 それと同時に、無数の人々がコネクトしつつ織りなす、そうした情報と情動のフローやコミュニケーションのループが、ソーシャル・メディアのプラットフォームにおいて独占的に私有され、収益化される(広告・マーケティング収入や金融レントをもたらす源泉として)と同時に絶え間なく監視され、制御されている(ビッグデータの採掘やメタデータの抽出を通じて)という点にも留意しなけばならない。

 このように、グローバルなネットワーク社会と制御(コントロール)社会の組み合わさった〈帝国〉は、コミュニケーション資本主義をその原動力の1つとして作動している、と考えることができる。より細かく見れば、グローバルなネットワーク社会を構成する情報コミュニケーション・ネットワークのさまざまな層(レイヤー)自体のなかに、制御と捕獲のテクノロジーと権力がしっかりと埋め込まれているわけである。
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ポートランドのパール・ディストリクト

『リノベーションの新潮流』より

アメリカ西北部オレゴン州のポートランドは、人口六一万人、全米一住みたい人の多いまちにランキングされた都市として知られている。周辺都市圏を含めると人口は二一○万を超え、そこにはナイキやコロンビアをはじめ、世界的に有名な企業が本社を構えている。このまちは豊かな森林に囲まれていることから、一九世紀の中頃からウイラメット川を利用した木材の搬出港として発展してきたが、その後、港はより外海に近いほうに移転し、水運に代わる鉄道もやがてハイウェイに取って代わられることになった。他の多くの都市と同じく第二次大戦後はしだいに衰退していったのであるが、一九七三年にトム・マッコール知事が「都市成長境界線(UGB)」という都市開発の線引き制度を導入し、コンパクトシティ化を法制化し、この年就任したニール・ゴールドシュミット市長が高速道路計画の中止と公共交通システムの導入により都心部の活性化を積極的に始めたことから、全米の注目を集めるにいたった。この市長は当選時三一歳で、きわめて人気の高い政治家で、のちにカーター政権の運輸長官に抜擢され、オレゴン州の知事も務めた。しかし、その後市長時代の未成年者淫行が発覚して失脚することになった。

ポートランドのまちづくりの中心となっているのは、一九五八年に発足したポートランド市開発局(PDC=ポートランドーデヴェロップメント・コミッション)である。これは市長が選び市議会によって承認された五人の市民代表の理事により運営された機関で、そこには、七つの地域に広がる九五のネイバーフッド・アソシエーションと四〇のビジネス・アソシエーションが属している。彼らは基本的に自分たちで資金を調達するTIFやBID、寄付金などにより事業を行っており、その成功が地域のエリア価値を高め、税収が増えることにより、地域が発展するというスキームを利用している。その予算は、二〇一四年度には日本円で二七〇億円に達している。この資金をもとに、彼らは公民連携事業を市当局とともに推進している。

このまちの中心はパイオニア・コートハウス・スクエアで、ここは公共交通のみが原則、通行が許されているトランジット・モールの中心でもあり、ここから、MAX(Metropolitan Area Express)と呼ばれるLRTや路面電車、バスによって市内どこへでも往来できる夕ーミナルとなっている。もとは巨大なホテルの敷地であったが、のちに駐車場として利用されていたのを、前記ゴールドシュミット市長が広場を作るために買収し、一九八四年に完成した。ここではいつでも何らかのイベントが行われており、市民のリビングルームとして愛されている。

ここからLRTに乗って北上すると、かつては倉庫街だったが今、市内でもっとも人気の高くなったパール・ディストリクトに入る。この地区は一九〇〇年代初頭にはバーリントン・ノーザン鉄道の操車場や貨物倉庫であったが、のちに使われないいわゆるブラウンフィールドになっていたところで、一九八〇年にようやく倉庫をアーティストのアトリエに使うというニューヨークのロフト・ブームを知った人たちがここを活用し始めた。やがて地元のデベロッパーのホイト・ストリート・プロパティーズが一四万平方メートルの土地を買収し、一九九七年に市との間で公民連携(PPP)契約を締結し、再開発を始めることになった。

ポートランドの街区のサイズは他の都市の標準の半分の六一メートル角で、道幅も二〇メートルという細さで、基本的に両側の建物の高さも一〇メートル以下なので、とても親しみやすいスケール感でできており、元は倉庫や工場だった建物も、改装すればすぐにさまざまな用途に転用が可能だったのが幸いして、次々にギャラリーや店舗や集合住宅が立ち並ぶまちが出来あがっていった。この地区では毎月第一不曜日にファースト・サーズデイというイベントがまちを挙げて行われ、地区内のギャラリーが一斉にオープンにされ、路上ではストリート・ギャラリー・エキシビションが開かれる。そして車両閉鎖された路上では多くの人々が深夜まで互いの親交を深めているのである。

このような隣近所が親しくするようなコミュニティのあり方は、アーバン・ネイバーフッドと呼ばれ、このまち独特の文化となっている。さらに、独自の進化を遂げているのが、前述のUGBの線引きにより保全された農地で、生産された農産物を毎日農家自身が持ち込んで消費者に売るファーマーズ・マーケットであって、これは市内各所で毎日交代に開かれていて、とくに有機野菜など、健康と環境を意識した市民が集まっている。また歩行者を重視するウォーカブル・シティには、カフェが付き物であるが、消費税のかからないこのまちは、よその都市に比べて外食する人が多く、安さを武器にした全国チェーンのファストフードよりは、地元の新鮮な食材を提供するレストランのほうが圧倒的に人気が高い。私もこの地区に最近できたレストランでランチをとったが、ソフトシェルクラブのオープンサンドウィッチとレタス四分の一玉丸かじりのサラダで二千円以下というアメリカにしては驚異的な低価格で、地元の名物を味わうことができた。とりわけ素晴らしかったのはレタスで、このランチの主役はこれだと実感した。

もう一つこの町で特筆すべきことは、ここに全米一の在庫を誇る独立系書店パウエルズがあることである。これは、一つの街区を占めるほど多くの建物群を改装した書店で、ジャンル別に塗り分けられた内部空間には木造の部分も多く、内部はまさにカラフルな知のラビリンスになっている。書棚には中古の本も新刊本と混ざって並べられており、絶版本にも出会うことができる。さらに素晴らしいのは、非常に親切なコンシエルジュがカウンターにいて、顧客の曖昧な質問に的確なアドバイスをして、目的の書棚まで連れて行ってくれることである。もちろん店内にはカフェがあり、ここで読書を楽しむこともできる。子どもの遊び場もあり、ここに来れば一日を楽しく過ごすこともできる気がする。ここが独立系を誇っているのは、現在アメリカではバーニーズ&ノーブルという大規模書店チェーンが全国を席巻しており、地域の小規模の書店の大部分が姿を消してしまったという背景があるからだ。
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シアトルのパイク・マーケット・プレィス

『リノベーションの新潮流』より

シアトルはアメリカ西北部に位置し、ニューヨークからは飛行機でも六時間近くかかり、時差も三時間ある。人口は約六五万人で、ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックスなどの有力企業が創業され、市内および近郊に本社を置いている。シータック国際空港からダウンタウンのウエストレーク・センターまでは、一部地下トンネルを通るLRTが走っていて、きわめて便利。市内にはモノレール、ハイブリッドバス、トローリーバスなどが縦横に走っており、歩行者にやさしい、いわゆるウォーカブル・シティとなっている。地形は非常に複雑で、ダウンタウンは太平洋から深く入り込んだピュージェット湾のさらに入江のエリオット湾に面している。

このまちもまたほかの多くの都市と同様、揺れ動く経済の波によって幾多の浮沈を繰り返してきたが、とりわけ二〇〇一年の9・11事件以降、全米に広がった健康と持続可能性を重視するライフスタイルの最先端を行くところとして有名になっている。とりわけ、新鮮なシーフードや有機野菜や有機飼料で育てられた家畜の肉や乳製品を使ったノースウエスト・スタイルのレストランが多数あり、ユニークなグルメシティとなっている。このような情報はシアトルと東京を行き来しながら、両国でマキネスティというカフェを経営している辻純一さんからかねがね伺っていたので、今回の旅はその実情を見てみようという目的もあった。

全国チェーンのファストフード店やカフェなどは嫌われるので、わざと加盟店に別の名をつけていることもあるそうだ。また、シアトルは世界に広がるスターバックスをはじめとする有名カフェチェーンの発祥の地であるが、そこからスピンアウトしたカフェが小規模なチェーンストアをやむを得ず作るケースもあるという。いずれにせよこのまちは、海に面し農地や森林に囲まれているので、ジビエを含めて豊富な食材に恵まれており、若いシェフたちがいわゆるノース・ウエスト・キュイジーンという野性味あふれる地産地消のレストランで腕を競っているのが頼もしいまちである。

シアトルのメインストリートであるパイク・ストリートが海にぶつかる所に一九○七年八月一七日創設されたパイク・マーケット・プレイスである。これは二〇〇七年に百周年を迎えたアメリカ最長の歴史を誇る公設市場である。その始まりは仲買人たちによる不当な中間搾取に腹を立てた農民たちが、ここの場所に荷車に載せた自分たちの生産物を持ち込み、直接消費者たちに売り出したことである。今でもこのマーケットのモットーは「生産者に会おう」という言葉である。

このことを可能にしたのは当時の大統領セオドア・ルーズベルトの独占禁止政策に共鳴した新人市会議員トマス・レヴェルで、彼は既得権を主張する他の議員たちを説得し、ここに市場を創設したのである。ここは湾内に散らばる島々からの小船や、海岸沿いに南北に走るウエスターン・アヴェニューを通ってくる荷馬車が集まるのに適した広い空き地があり、街の中心から少し離れていたので、市場の喧騒や悪臭の問題もなかったのである。

オープン初日は雨で、一ダースにも満たない荷馬車が並んだだけだったが、あっという間に何千人かの、主として女性たちが取り囲む事態になり、大騒乱の間に売り切れてしまった。こうして始まってやがて広い面積を占めるようになった市場には上屋が必要になり、これに出資したのがゴールドラッシュで大儲けをしたフランク・グッドウィンで、兄弟のエンジニアであったジョンの設計で現在地に月極め賃貸用の七六の売場を備えた建物を同じ年の一一月に建てた。

やがて、市当局も出資して隣接地に毎日抽選で借りられる売り場を備えた建物を一九一〇年に建てた。こうしてこの地区には次々に建物が立ち並び、現在では三〇棟を超えている。敷地は数階分の落差がある崖地にまたがっており、崖下に車両のアプローチを取り、崖上では町の中心部から歩行者のアプローチが取ることができる。崖下を南北に走るウエスターン・アヴェニューのさらに海側にはアラスカン・ウエイという高架バイパスが走っており、著しくウォーターフロントの景観を害している。この道路を地下に埋める計画が以前から推進されてきており、日本から海底トンネル掘削用の機器も購入しているが、歳入不足で工事は進んでいないという。これが完成すれば、このマーケットはウォーターフロントに立ち並ぶ埠頭上のレストランや水族館などと一体となり、年間一千万以上の観光客をひきつけているこのマーケットに一層の賑わいをもたらすであろう。

しかし、この市場の最初の試練は一九四一年の日米開戦で、これにより、それまで農産物の六割を供給してきた日系農民たちが内陸にある他州に強制させられた結果、売り場は閑散としてしまった。終戦後は郊外住宅地の拡大や、スーパーマーケットの成長などによる競争力低下も重なって、市場は衰退し、さらに一九五〇年にはここを駐車場ビルに置き換える都市計画案も作成されるにいたった。そのうえ一九五三年には、前記アラスカン・ウェイが開通し、ウォーターフロントとの縁が切れ、このバイパス道路を拡幅すべきだという意見も出始めた。

しかし、これらの動きに果敢に立ち向かったのがアライド・アーツというアーバンデザイン活動家グループ、建築家で保存運動家のヴィクター・スタインブルーク、ロバート・アシュレイという弁護士たちで、彼らは一九六四年に「マーケット友の会」を発足させ一九七〇年にこの市場一帯の一七エーカー(六万八八〇〇平方メートル)をパイク・マーケット・プレイス歴史地区とする構想を提案した。彼らは指定区域を狭めようとするデベロッパー勢力との激烈な戦いの末、一九七三年に七エーカー(二万八三三〇平方メートル)の地域を国指定の歴史地区とすることに成功した。指定後、域内の建物は建築家ジョージ・バーソリックのコントロールのもと、修復、あるいは建て替えられて今にいたっている。そしてシアトル第一の観光地として、世界中から観光客たちを引き寄せているのである。ここには市場のほか、さまざまな店舗や高齢者住宅、低所得者向け共同住宅、その他多種多様の用途の施設が集まっている。

マーケット内に入ると、まずは威勢の良い魚屋に迎えられる。目の前が海だからだろうが、さまざまな魚が売られていて、客が品定めをして商談がまとまると、その魚をレジ担当者に放り投げるのが、この市場のお約束になっていて人気が高い。店内にはさまざまな食品が並べられているが市場の性格上、やはり午前中が勝負のようである。前述のとおり、この市場はさまざまな建物の集合体で、チーズショップや、カフェ、レストランなども各所に分散していて、迷路のような空間構成が多くの観光客を惹きつけている。わが国でも広く知られているカフェチェーンのスターバックスの第一号店はこのマーケットの中にある。この雰囲気はニューヨークのチェルシー・マーケットや、サンフランシスコのフェリー・ビルディング・マーケット・プレイスにも大きな影響を与えたに違いない。
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