40年以上も親しまれた地域唯一のスーパーが閉店して3カ月、店舗は解体され更地になった。大きな木の杭が道路との境界に立っている。近くの人は跡地の活用は定かでないと話す。更地の前に立つと、観光ホテル、岩国城、城山ロープウエイが遠くに見える。近くには宇野千代の愛した「割烹半月庵」の文字が白壁にくっきりと浮かぶ。
右側には170段の石段を上ったとこに1626(寛永3)年創建の椎尾八幡宮が所在する。この八幡宮は、2代吉川広正の時、岩国山より和木村に通ずる椎尾の地にある古神祠に猿田彦大神を祀った。これを岩国山南麗の現社地へ移し、同時に吉川家累代の産土神・駿河八幡宮を領内由宇村より迎えて合祀し、椎尾八幡宮と称した(いわくに通になろう 参照)。ここは「椎尾さん」と呼んで親しまれ、西岩国地区の氏神さまとして子どものころから参っている。
西側に昔は中級武士の屋敷で侍町であった大明小路がある。そのさらに西側には「岩国七町」と呼ばれる町人居住の町があった。米屋町、塩町、材木町、魚町、豆腐町など職業をなぞった町名表示が今も各所に見られる。この地域は2007(平成19)年「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されていることはあまり知られていない。七町も郊外型店舗に押され閑散としている。
スーパーは錦帯橋から500メートル。元々は、明治33年に劇場「錦座(にしきざ)」として開業した。内部は花道のある立派な建物として印象に残っている。錦座は錦帯劇場(きんたいげきじょう)と名前を変え、閉館前には映画館となり3本立てを楽しんだ。1972(昭和47)年に外観は劇場のままスーパーとなり1976(昭和51)年に解体され建て替わった。現在も残っていたら岩国を代表する建築物になっている。そんな城下町の中心にぽっかりと空きができた。フォローしていきたい。
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