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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

旧正月の年賀状

2024年02月10日 | 回想

 今日は旧正月。報道は隣国の賑わいを報じる。いつ頃から始めたか定かでないが自分の手帳には旧暦毎月の1日と15日をメモしている。暦では春だが、旧暦ではまだ寒さの中だ、そんなたわいもないことの参考にはなっているが、気象予報は四季などの関りで旧暦を参考にしていることがある。子どものころに我が家では少量だが暮れと同じように餅を搗き、祖母は鏡餅を供えていた。

 今は旧正月を祝う風習は聞かなくなったが思い出がある。Yは高校のクラスメートで同じ会社に勤務していた。地元企業から人材派遣の要請があった。職務はマレーシア工場の工場長、自ら望んで管理職の座を去って赴任した。私は派遣元担当として赴任先のマレーシア工場を訪問したことがある。国内とはなにもかも全く異なる企業の中で生き生きとして活躍していた。

 その彼から現地の正月休みに合わせ航空便で年賀状が届いた。写真は20年前の賀状の表、赴任から8年。裏面の書き出しは「明けましてお目出とうございます」で始まり「こちらは中国系旧正月の元旦です」、近況や帰国予定などが続いている。現地駐在者では長老になったとも記している。定年を迎えたが、先方の強い要請でさらに数年勤務した。

 任務を終え帰国後は関西に終の棲み処をかまえたが、同期会には毎年駆けつけていた。しかし、7年前重篤な病に罹り亡くなった。同期の寄せ書きをいつもそばに置き眺めていてくれた、奥さんからの電話で知った。次の同期会は黙祷から始まった。残している旧正月の年賀状の文面にYらしい充実した仕事ぶりが浮かぶ。

 (今日の575) 在りし日の賀状の文字に顔浮かび
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あの日のこと

2024年01月17日 | 回想

 29年前の今日は会社勤めの現役、午前6時前、出勤のため起床するいつもの時間だった。突然の揺れは地震だった。大きな地震、そう思うと同時に棟上げが終わって間もない新築中の我が家が気になり、急いで現場に向かった。日の出前の暗い中で懐中電灯の明かりで異常ないか点検した。見た目では見つからずほっとし、報告を聞いた家内もほっとした。

 NHKの画面はあちこちで炎が上がる様子を映しているが詳細は分からず。放送内容も東京と神戸の間には齟齬のあることに気づき、「大事になっとる」と思いながら出勤した。職場のTVには予想もしない被災映像が次々と映り、ただただ驚くばかりだった。何時間か過ぎたころ上司の母親が閉じ込められ救助待ちと分かった。無事救出の報に職場全員でほっとした。

 会社からも、特殊な技術を持っている社員が関西地区のインフラ復旧に交替で長期間出向いた。高校の級友が長田区で履物製造を営んでいたが、その級友は被災亡くなった。複数人がクラスを代表して弔問に伺った。震災後間もなくして上空から神戸地区を見た。ブルーシートで覆われた屋根の多さに驚き言葉にならなかった。

 今も能登半島地震では、2週間過ぎても被害の全容が把握できないほどの被害が発生している。こんな様子では復旧復興への工程の確定はいつになるのだろうか。避難の長期化は避けられないだろうと思うと関係者のお骨折りを遠くからお願いするしかない。

 (今日の575) 岸壁の隆起映像恐怖知る
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寿栄広食堂

2023年12月30日 | 回想

 何十年ぶりかに、よく利用した店の前を通った。店名は寿栄広(すえひろ)食堂、「中華ぞば」の大きな看板は昔のままの姿で掛かっている。その場所はJR山陽本線岩国駅西口を出て、右側の突き当りにある。周囲はすっかり様変わりしている。著名人も利用したホテルは14階建てマンション、銀行の支店などが進出、ある銀行の支店跡は大型交番に変わった。

 出張が多く部下に慕われる上司の時代だった。新幹線などない時代、東京への出張は夜行寝台、利用は今はない「あさかぜ」が多かった。終業後に出発まで駅近くの店で夕食をとる、というのは口実で、懇親の一杯を傾け、歓談していた。夜行利用だから懇親の終わる時間は決まっている。その店を出ると、寿栄広食堂へ誰言うともなく歩みだす。いい上司の一人だったことを思い出す。

 それほど広い店内ではないが、仲間うちはみんな「美味い」とほめ、味の気に入らない者はいなかった。ここが夕食本番だったかもしれない。ラーメンと餃子を食べ、発車10分くらい前には駅の待合室で上司を見送っていた。この懇親会以外でも外勤や私用でよく利用していたが、定年後に縁切れとなっていた。

 この日、昼食時間頃に10人くらい入店待ちの列があり「おお、流行っているな」と喜んだ。3時間過ぎた時間にも数名の入店待ちの人がいた。キャリーバックを曳く人も列にあり繁盛・繁盛とエールを送った。

 (今日の575) すえひろと言えば中華の代名詞
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天気予報

2023年12月05日 | 回想

 「各地の気象情報をお伝えします」。これに続いて地名・風の強さと方向・空模様・気圧・温度などを伝えていた。天気予報では県庁所在地が中心に晴れるでしょう、曇りでしょう、雨でしょうと最後に「でしょう」という推測の言葉が必ずついていた。

 これはTVの天気予報を見ながら、ラジオ放送を聞き参考にしていた頃の気象情報の記憶を絞り出し、こんなだった「でしょう」と書いてみた。祖父らは気象情報の時間に家で騒いでいると、静かにせい、と大きな声を出していた。現在のTV放送の予報画面を見たら、祖父は神の声かと思うだろう。台風進路は東経と北緯の地図の上で確認しながら聞いていた。

 北東側の屋根を霜が白く覆っている。2時間も経たないうちに霜は消えた。霜が降り降り始める日は霜降(そうこう)と言うが、これは10月下旬だった。秋の気配を遅らせる暑さが続いていたがようやく冬らしくなった。今は霜も風も雪も雨も雷も、竜巻に波浪なども宇宙からの映像で示される。地図で台風の位置と進路を確認にしたことなど大昔のことになった。

 気象予報士あるためには非常に難易度が高い国家試験に合格しなければならない。合格率は100人受験した場合5人くらいという。この人らがTVに登場している。解説図が良く理解できる人、複雑すぎる人、映像に凝っている人、ウロチョロする人などいろいろだが、予報精度はよくなっている。どこまで進歩するのだろうか。

 (今日の575) 予報官電波集めて予報出す 
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閉店の鮨屋

2023年11月18日 | 回想

 数年前、地域で唯一残っていた鮨店が閉店した。同僚や同好会仲間と杯を交わしたことも、出前を頼んだことがある老舗だった。以後は、店名はそのまま掛かっているが、暖簾のかわりに幅広いシャッターが降りたままになっている。郊外店の進出でこの地域の小売店の閉店は珍しくなく、商店街は昔の面影が消えた。

 この鮨店の前は車で通りすぎることが多い。先日、しのぎよい日和の日、たまたま歩いて通りかかり、掛かっている懐かしい看板を見たとき、軒下に並んでいるツバメの巣に気づいた。季節柄ツバメはいないが、そのうち3個は壊れているが、6個はまだ巣の形を残している。まるで昔の軒を連ねて栄えていた古い商店街の今を見るようだ。

 高校を卒業するころまでこの付近は畑や稲田の広がる食料供給地、農耕地域だった。ツバメも巣作り用の稲田の土に苦労することはなかっただろう。今は広い幹線道路と宅地に変わり、農耕地だったことを懐古する光景は無くなり淋しい気もするが、発展したと言えばそうだろう。

 これだけの数の巣が並んでいれば、出入りするお客への気遣いも大変だったのではなかろうか。上から落ちて来る粗相があっては大変だから。そんなことを思いながらあることを思い出した。日にちを間違えて5人前の出前が届いた。とっさに「貰いましょうか」と言うと「すみません」と言って持ち帰った。持ち帰ったあれはどうなったのだろうか。

 (今日の575) 鮨の味暖簾降りても思い出す
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60歳と満60歳

2023年10月27日 | 回想
 

 23年前の今日付けで定年退職した。「60歳応当日を持って定年」、就業規則はそんな表現になっていたように記憶する。すなわち、誕生日の1日前が60歳での定年ということになる。多くの企業がそのようだが「満60歳定年」という就業規則なら、本来の誕生日が定年日付となる。漢字1字が多いと定年が1日遅くなる。これは民法で決まっている。

 私は仕事として定年退職者に係る業務を担当していた。いつだったか思い出せないが「自分の誕生日は明日なのに何で1日前」と聞かれ即答できずに調べた。その答えを電話で話し不勉強をわびたところ、後日、その方が手土産持参で職場に「電話嬉しかった」と話しに来られた。土産以上に来訪されたことを喜んだ記憶がある。

 退職辞令は工場では工場長から、研究所は研究所長からそれぞれの長の部屋で口達する方式だった。口達後にそれぞれの長は必ず長い勤務に感謝を込めたひと言がある。大方の人がそれぞれの長と対面で話す機会はほとんどない。入社以来初めて工場長室に入った、と話す人も多かった。

 「定年後は再雇用で働く時代」になっている。私の後任からも定年時にそんなメールが届いた。年金受取の時に返しがあるだろう、そんな言い草で励ましたことがある。60定年と同時に年金受給資格を得た昔と大きく変わったことを痛感している。定年と年金、切り離せない関係にある、現役世代が安心して働ける制度にして欲しい。

 (今日の575) 定年は自由時間を授けくる
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霜降の季節に

2023年10月24日 | 回想

 今日は霜降(そうこう)の日で霜が降り始める日。二十四節気の18番目で立冬の前日の11月7日まで。霜は晴天無風下でで地面付近の気温が氷点下になると、空気中の水蒸気が物と接触して昇華し、白色の氷片になったもの、昔のブログにメモしているがすっかり記憶から消えている。写真は昨年の1月上旬に仲間との共同農園で撮った1枚。

 今日は霜が降るような日和ではなく、日中は少し庭作業しただけで汗ばむ感じだった。こうした時に油断すると風邪をひくという。いつも霜と言うとどうしてと思うことがある。「霜がおりる(降る)」という。雨や雪が「ふる」というのは分かるが、霜は上から落ちては来ないと思う。地表にある物に触れることで触れた物につく。気象庁は「霜がおりる」としている。

 まあ、訳の分からん疑問は置いておこう。大根や白菜は霜にあたると品落ちするが、キャベツは甘みが増す、そんなことを両親や祖父母は菜園の経験から話していたように思う。そういえば白菜には新聞を被せて根元を縛っていた、樹脂フイルムなどない古い話のことになる。

 霜注意報の発表基準、というのがあることを知ったのはそれほど前ではなかった。「霜注意報は、霜により災害が発生するおそれがあると予想したとき」に発表される。具体的には、「春・秋に気温が下がって霜が発生することによる農作物や果実の被害が発生するおそれのあるときに」限られる。よって12月から1月、暦上の冬に発表されない。気をつけよう。
 
 (今日の575) 霜ばしら踏んで壊した通学路
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退くにあたり

2023年10月22日 | 回想

 あとわずかで退職から23年が終わる。早かったようでも、そうでもなかったようでもある。それは、良かったことかそうでないことかという思い出す内容によって感じが違う。大方は、自己満足かもしれないが結果オーライも含め良かったことが多い。

 そんなひとつにある団体のパソコンを使って2種類の広報紙編集担当がある。「手伝わないか」という声かけがあってから14年ほど。一つは3カ月、もう一つは6カ月間隔での発行だった。どちらも編集はお任せということで、自分なりに勉強と工夫をしながら楽しく取り組ませてもらった。時には厳しい声もいただきながら、読みやすい紙面を心掛けたつもりでいる。

 このたび私事で編集を退くことを了承いただいた。少しの問い合わせがありお手伝いしたが、直近の2種類それぞれ発行・配布された。これからも問い合わせがあれば経験を通して学習したことをお伝えするが、これで気持ちよく安心して退くことが出来る。これまで多方面にわたって広い視野で諸事を捉え考えることを学ばせてもらった。

 担当した定期と臨時号の延べ200頁余りのファイルを繰ってみる。ここに記しても用をなさないが、どの頁にも辛苦いろいろなことがあったことを思い出す。しかし、任されたという重みは常に念頭に置いて編集をした。一口に言えば14年あまり「思いのまま楽しく過ごせた」と思う。応援いただいた皆さんへの感謝は忘れない。

 (今日の575) 編集は自己研鑽を促され
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長い人気物

2023年10月09日 | 回想

 昨日は3連休の中日。曇り空から小雨が時折ふるが、猛暑のころを思えばしのぎやすくなる暦では白露。50数年前に開店した自販機コーナー前を通りかかった。他県ナンバーの乗用車が何台も止まっている。ちらりと横を見ると、うどん自販機に列ができており、食べている人も見える。コーナーを通り過ぎて車を止め覗いた。

 遅い朝食時間のころだった。家族連れに若い仲間同士と思える人らで、うどん自販機周りが賑わっている。これほど混んでいる店内は久しぶりに見た。ここは通称欽明路道路の開通と同時に開店した自販機コーナーで、近くに住んでいるころには、息子を連れて何度も食べに訪れた。

 うどん以外の自販機を利用した記憶はないのだが、装いが変わっている様には感じていたが、このうどん自販機は開店時のままと思う。ここの自販機はSNSでも紹介されていて、少しは知られているようだ。開店時の店主は知人で「いつまで動くものやら」と心配されていたが、50年以上も働いている。

 この長い人気者物(者)の賑わいを初代店主が見たらなんと言うだろう。開店当初、客もいないのに一晩中動いて、自販機の前がうどんの山になっていたそうだから、いつまで動くかの疑問もうなずける。TVでも各地の自販機が映されると、この種の自販機が登場している。故障すると修理が難しいと聞く。利用者は慈しみを持って丁寧に接して欲しい。

 (今日の575) 自販機の原点だから人気あり
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三角の油揚げ

2023年09月17日 | 回想

 何年ぶり、10年近くになるかもしれない長い間見かけなかった三角の油揚げに今日を出会った。油揚げは「薄切りの豆腐を油であげたもので、薄揚げともいう」。対する厚揚げも和食には欠かせない食材の一つ。油揚げは、あぶらげ、あげ、ともいう。子供のころから今も、あぶらげ、あげ、で通っている。

 懐かしいと思いながら、もしやと思い、手に取ってみると、子どものころに住んでいた地区の豆腐屋の製品だった。二代目として継がれた方とは子どもころには野球などしながら遊んだことを思い出すが、早くに他界された。店はその二代目の奥さんが先頭になって継がれた。その人は子どものころから知っている。働き者で、納品されるとき店でよく出会っていた。

 家内はこの店のことは結婚してから知ったのだが、この店の豆腐とあぶらげは逸品と、必ず勝っていた。最近はスーパー店頭で見かけるあぶらげは長方形で複数枚が包装されている品が多い。CMで流れる有名店の品など生産地は広域化している。そんな中で見つけた三角のあぶらげ、1枚購入した。

 大手スーパーは大量仕入れで価格を抑える。したがって地産地消といわれながらも販売スペースは広くない。この豆腐屋はスーパー時代になっても営業が続いている。株式になってはいるが店舗は昔のまま、もう3代目になっているだろうが、初代から知っている店、頑張ってとエールを送る。

 (今日の575) 懐かしい三角あげに懐旧す
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