
現役最後の職場、製造部スッタフから人事課への異動内示に驚いたことは、退職から今秋で25年になるが今もはっきり記憶している。それは40歳になる前だった。それから20年余、60歳の定年まで勤めた。最後の職場での仕事はやりがいもあったし、やったと思っている。定年のとき、「君が思いっきり仕事ができたのは内助の功があったことを忘れるな」と色紙に書いてあったことも忘れてはいない。
その間に期間の長短はあるが7人の課長と4人の係長に仕えた。後半は組織改正で係制は消えた。そんな4人の係長の一人とは別れて30年余になるがいまも交流が続く。10年前には、私の75歳の節目にと、在京しているかつての同僚との懇親会をアレンジ、10年ぶりの上京で楽しい思い出の一日を作ってもらった。
それ以降も所用でこちらに来られる時は事前に声がかかり、一杯やりながらあれこれ語りあう。今日は3月初旬に昼食をと連絡があって待ち合わせた。昼食をとりながら懐旧談やかつての同僚の今などを語り合った。入社間もなくで若手だった同僚の活躍を喜んだ。昼食はかつては何度も利用したことのある店の「25年目に復刻した」という定食と、地酒の数種類を味わった。
会社・工場はすっかり様子が変わり、いくつかの話題には驚きと、現役の時もそうであったように、時代や社会の変革にあわせて企業も変化し進化していくことを改めて思った。退職をした工場は日本初の石化工場として稼働から67年になる。安定安全運転の続くことを祈っている。
(今日の575) 懐旧談苦い話しもふっと出る