創世記 19章1−22節
二人の神からの使いが、はなはだしい罪ゆえにソドムを滅ぼそうとする一方で、アブラハムの甥ロトとその家族を救い出そうとしていることが、ここには記されています。
ロトが迎えもてなした神の使いをもてあそぼうとして押しかける町の男たち、神の使いの警告を聞いても「悪い冗談のように思った」ロトの婿たち。これらは、ソドムが滅ぼされるべき所だということを垣間見せます。5節の「彼らをよく知りたい」とは性的な意味です。
そのような中でも、ロトは町の門に座っていました。門は生活の中心で、そこは裁判や取引きが行われる場所でした。それゆえ、ロトはソドムではそれなりの地位に就いていたことが想像できます。彼は、どっぷりとソドムに漬かり込んでいたのではなくて、いわゆる「良識派」のような存在だったのかもしれません。二人の神の使いを迎えてもてなしたのも、彼が「善い人」だったことを伝えています。
ペテロの手紙第二2章7節は、この時のことを次のように書いています。「不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。」ここから、ロトの姿は神に背いて平気で不道徳なことを行っている時代の中で心悩ませているキリスト者に通じるとさえ思います。
16節に目が留まります。ロトはためらっていたのです。何が彼をためらわせたのでしょう。この町で苦労しながら築いた地位や富のゆえに、でしょうか。いのちを救うための決断をためらうのは、致命的。神の使いは、力づくでロト、ロトの妻、二人の娘をつかみました。彼らを助け出すためです。
同じ16節の「これは、……主のあわれみによることである」ということばに心を留めます。主のあわれみは、私たちにも届けられている、のです。