みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主は生きておられる

2024年08月03日 | サムエル記第二

サムエル記第二 4章

 夏の盛りなのに色づく樹に今年も出会うことができました。でも、例年とは違う場所での発見です。

 ここには、亡きサウル王の子イシュ・ボシェテの悲しい最後と、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテの存在とが明らかにされます。

 本書はこれまでにも、イシュ・ボシェテを描いてきました。サウルの死後アブネルの後ろ盾で後継王になった(された)こと、アブネルが父の側女と通じたことをとがめた時に、アブネルから激しい怒りを受けたことなどがありました。イシュ・ボシェテはアブネルを大変恐れていましたが、いざアブネルが殺されると聞くと、気力を失ってしまいました。

 このような時、イシュ・ボシェテは部下に殺されます。殺した二人はダビデ王のところにイシュ・ボシェテの首を意気揚々と、おそらく褒美を期待して持って来たのですが、王の怒りを買って殺されてしまうのです。

 9節のダビデのことばに目が留まります。「主は生きておられる。主は私のたましいを、あらゆる苦難から贖い出してくださった」とダビデは、二人にまず語ります。これは、ダビデがどんなにサウル王にいのちを狙われ追われ続けても、逆転の機会を二度も得ながら、主が油注がれた王に自分は手を下すことはできないと思いとどまったことを前提としています。

 ダビデはサウルのことも、その子イシュ・ボシェテのことも、自分から手を下さそうとする思いはなかったのです。「主は生きておられる」は、すべてを主の御手にゆだねようとするダビデの信頼を表しています。

 「主は生きておられる」が、私たちのただの挨拶ことばで済んでしまわないように、そのように言うからには、このお方にすべてのことを信頼するという姿勢を持ちたいと願いました。


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