みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

一切のものが、キリストにあって

2024年09月03日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 1章1−14節

 日本に出す郵便物に切手を貼ろうと、たまたま出かけた街中の大きな郵便局に行ったところ長蛇の列。思い直して自宅近くの、日本でいうなら「宅配便受け付け所」で切手を購入しました。

 今日からしばらく、エペソ人への手紙を読みます。「みことばの光」は聖書全巻を読み通す(通読といいます)ようにカリキュラムが組まれているので、どうしても旧約聖書の割合が大きくなります。ですから、新約聖書を読むとなると、何となく嬉しくなります。もちろん、旧約聖書がつまらないということではありません。

 パウロがローマの獄中から書いたと言われるこの手紙は、ピリピ、コロサイ、ピレモンヘの手紙とともに「獄中書簡」と呼ばれます。3章1節で「私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています」と書いているのですが、彼が捕らえられたのはおそらく皇帝ネロの治政下。しかし、パウロはここで「皇帝の囚人」とではなく「キリスト・イエスの囚人」と自称しています。そこには誇らしささえ感じます。

 挨拶に続くのは、神への賛美。神のあふれるほどの祝福、想像もつかないほどの選びの壮大さを読む時に、読者である私たちがどれほど神に愛されているのかを覚えずにはいられません。

 子どもの頃、隣家の塀の上で星空を眺めて自分はなんとちっぽけなものなのだろう、自分なんていてもいなくてもいいほどだと何度も思い、その度に心が縮こまった経験をしました。しかしそんなことはありませんでした。イエス・キリストを信じて自分のどこが変わったかというと、偉大な神の前に自分が覚えられているのだということでした。

 「エペソ人への手紙を読む前に」には、この手紙の主題が教会だとありました。さらに、この手紙は「一つ」というキーワードに貫かれているように思います。10節には、神のご計画が実行され、一切のものがキリストにあって一つに集められると書かれています。 そのために教会があるのだと、パウロは筆を進めて行きます。この章には、途方もないことが書かれ、約束されているのです。


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