みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

キリストの囚人

2024年09月07日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 3章1−13節

 当地では、ペットボトルなどのデポジットを行っていて、スーパーで使用済みペットボトルを専用機械に入れると1本につき25セントがレシートで戻ってくる仕組みになっています。ところが昨日、レシートが真っ白! 新しい機械でしたので、これはきっと真っ白なレシートをレジで読み取ることになっただと一瞬思ったのですが、お店の人に聞いてみたら機械の故障とのこと。何本入れたかを申告して現金でいただくという初めての経験をしました。私たちは50セントを手にしました。

 3章のこの部分で、パウロは自分の個人的な体験を書いています。ですから内容としたら、2章21節に続くのは3章14節からの祈りです。

 それでは、パウロはなぜここで自分のことを書いているのでしょうか。

 ユダヤ人も異邦人もキリストにあって一つとなるという神の雄大な計画、つまり福音について書いてきた彼は、自分がなんと、異邦人に福音を宣べ伝えるためにキリストによって選ばれたことを書かずにはいられなかったのです。

 パウロといえば、かつてはナザレ人イエスをメシアと信じる人々を激しく迫害していた者たちの一人。しかし、キリストは彼を選び、異邦人への福音の使者とされました。

 8節で彼は「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられた」と書いています。これは、「いいえ、パウロさんあなたはそんな存在ではない」という反応を期待してのことばではありません。彼は心からそう思っているのです。神は小さな者に豊かで大きな恵みを賜わり、大きな働きを与えるお方なのだということが、ここから分かります。

 この箇所は、1節の「あなたがた異邦人のために、私パウロはキリストの囚人となっています」で始まり、13節の「私があなたがたのために苦難にあっている」で終わります。しかし、彼はそのような境遇を嘆いたり、誰かのせいにしたりしてはいません。福音のために、神の壮大な計画のためにこのような目に遭っていることを、「あなたがたの栄光」と言い切ります。これをエペソをはじめとするアジアの教会はどのように受け止めたのだろうかと、想像が膨らみます。


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