サムエル記第一 14章36−52節
当地は、ユーロサッカーの開催都市として盛り上がっていますが、昨日中心部の「ファンセンター」で友人がボランティアをしているのに遭遇し、びっくり! 街中がたくさんの人でごった返していることに、さらにびっくり。
本章で描かれているサウル王の信仰のあり方は、時を超えて私たちの信仰に光を当ててくれるように思います。彼は、確かにイスラエルの王に必須である神への信仰を持っていました。けれども、どうもそれは王としての体裁を取り繕うような表れかたをするのです。
まずサウルは、ペリシテ軍をそのまま追い続ける夜襲作戦を続けようとします。その時の兵の言葉が目に留まります。「あなたが良いと思うようにしてください。」同じことばが40節にもあります。これは肯定的な意味で、つまり兵士たちがサウル王を信頼して言ったものなのでしょうか。
31節に「兵士たちはたいへん疲れていた」とあります。彼らはサウルの独りよがりの誓いを兵士たちに強要し、空腹のままに戦っていました。ヨナタンの勇気ある行動によってペリシテ軍は混乱の中にありましたので、それでもイスラエルは戦ってペリシテを追うまでになっていたのですが…。
そのようなことを考えてみますと、兵士たちのことばにはむしろ、サウルへの投げやりな心が込められていたのではないでしょうか。王の「信仰」というふるまいによって、兵士たちが振り回されているのです。そして挙げ句の果てには、この戦いの功績者であるヨナタンを、しかも自分の息子であるヨナタンを、くじが当たったからといって殺されなければならないと言うのです。
くじがヨナタンに当たったのは不思議なことですが、あえてサウルの信仰の空しさを明らかにするための主の導きの一つではなかったかと、考えます。それでも、サウルは周辺部族との戦いを勇敢に進めます。主が用いておられるからといって、それで万事よし、ということではないのです。