みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神である主

2023年01月06日 | 創世記

創世記 2章1−14節

 本欄に載せている写真、全体としては花などの植物が多いのですが、この時期はちょっと困っています。そこで、朝焼けや夕焼けを紹介することが多くなりました。すっかり葉を落とした裸の木のシルエットのような写真も、個人的にはお気に入りです。今日の写真は中心部にあるプロテスタント教会。

 これまでの「神は」が、2章4節から3章までは「神である主は」に変わりました。この変化は、神が人とかかわり契約を結ぶものだということを伝えています。

 1−3節は七日目に神がすべての創造のわざをやめられたことが書いてあります。以前の聖書は「休まれた」と訳されていましたが、新しい翻訳では「やめられた」とあります。意味の変化が印象に残りました。詩篇121篇3−4節には、「主は あなたの足をよろけさせず   あなたを守る方は まどろむこともない。 見よ イスラエルを守る方は   まどろむこともなく 眠ることもない」とあります。

 地のちりから造られた人は、神がその鼻にいのちの息を吹き込まれて生きるものとなったという、7節に目が留まりました。人は成り立ちは他の生き物と変わるものではありません。しかし、神は人にだけご自分のいのちの息を吹き込まれたのです。それによって、人は神との交わりを持つようになりました。

 「人は一人では生きていけない」とよく言われます。その場合、自分以外の家族や友、誰かをそれぞれに必要としているという意味で用いられるのですが、「神である主」ということばは、何よりも「人は一人では生きていけない。神である主との交わり抜きには……」ということではないでしょうか。


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