イザヤ書 20章
ここのところ曇天が続いています。近くの公園を通って地下鉄で4駅先まで往復をするのが、私たちのウォーキングコースの一つですが、低い雲を見て傘を持っていくことに…。予想どおり本格的な雨降りになり、傘が頼りになりました。
20章からは、預言者イザヤが活動していた当時のパレスチナの国々、町々が強いられていた緊張が伝わってきます。アシュドデは、ペリシテの五都市との一つとして度々聖書に登場する、地中海沿いの町です。アッシリアの侵入を前にして、アシュドデは南のエジプトに助けを求めたのですが、結果はエジプトは彼らを助けることなく、そればかりか、アッシリアはエジプトとその南のクシュの者たちを捕虜として裸足のまま連れて行くということが起こります。
しかし、このことは予め神がイザヤに命じたイザヤの行動によって伝えられていました。イザヤに限らず、そのあとのエレミヤにも、またエゼキエルにも、神は語るべきことばを授けるだけでなく、なすべき動作や行動についての指示も与えられました。イザヤには三年の間裸になり、裸足で歩くようにと語っておられました。
2節に、「彼はそのようにし」ということばがあります。彼は従ったのです。周りから、奇妙に見られ、なぜ? と尋ねられたことも度々だったことでしょう。けれども、そこに意味があったのではないかと考えます。きょうの「みことばの光」には、「捨て身の預言者」という題がついています。そこまでしてイザヤは、そしてそこまでさせて神は、拠り所は神お一人なのだということを伝えているのです。
語るだけでなくて、行動することにおいても神に従うというのは、私にとってもそのとおり。それは、拠り所であるお方を指し示すためなのです。